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はてなキーワード: 中国語とは

2018-03-27

anond:20180327165202

DQN撃退拍手喝采ネトウヨ要素が欲しい

警備員のおじいさんが注意したら、中国人日本語からないフリしてのらりくらり。

→すると、おじいさんが突然ペラペラ中国語を話し出して注意し出す。

中国人涙目。周囲から拍手喝采

→思わずおじいさんに話しかけたら、太平洋戦争従軍したときに覚えたんだって

艦これのことを教えてあげたらよろこんでたw

こんな感じでどうだろう?

2018-03-25

anond:20180324204110

マクスウェルの悪魔

分子の振る舞いを測定することができれば、熱力学の第二法則無視できるように見える(永久機関が成立する?)」という思考実験。どこがおかしいかで多くの科学者を悩ませた。

中国語の部屋

あなたのいる部屋には一冊の照合表が置かれ、部屋の壁には紙が差しまれ差し出すためのスリットが開いている。あなたに与えられた命令は「○○○」という中国語メッセージが入ってきたら、「△△△」と書いて返せ、というものだ。あなたは指示に従い、外から差しまれ中国語メッセージ中国語リアルタイムで回答する。外の人は部屋の中に中国語理解する人がいると思うだろう。あなた中国語を何一つ理解していないのに。…人工知能言語を「理解」していると言えるのか、という問題

サバイバル・ロッタリー(臓器くじ)

移植技術が完全に発達し、人々は安全確実に他人の臓器を移植して健康回復できるようになった。そうなると、今度は移植用の健康な臓器が足りなくなった。そこで政府は新しい法律を作ろうと考えている。それは「サバイバル・ロッタリー(臓器くじ)」である。このくじは100%公平で、いかなる身分立場・年齢の人も免れることはできない。生きている限り人は全てこのくじをひき、そして一定確率で「体の全ての臓器を、移植を待つ人に提供する」義務を負う。つまり死ぬ。その代わり、あなた健康な臓器を移植される何十人もの人々はそれによって健康回復することができる。このようなくじを行う法律を作ることは妥当か?

箱の中のカブトムシ

(いくつか見かけた説明がどれも間違っているので修正しておきます)人が使う言語の「意味」とは、それぞれがもつ箱の中だけをのぞき込んでそこにいる虫を「カブトムシ」と呼んでいるようなものだ、という話。他人の考える「意味」をお互いにしることができないという思考実験、とされていることが多いですが、この思考実験の真の意味は、お互いの箱の中が決して見えないとしても会話は成り立つ、という点にあります。つまり、Aさんが「赤」と呼ぶ色とBさんが「赤」と呼ぶ色が、それぞれ心の中で全然違う色を指していたとしても会話は問題なく続いていくという可能性があることを示唆した思考実験なのです。【コミュニケーションとはAさんとBさんが「コード」に基づいて「意味」を伝達する行為だ】という古典的コミュニケーション論に対する反論としての思考モデルなのです。

2018-03-24

Siri日本語Wikipedia記事読み上げさせると、途中から中国語って認識して中国語発音漢字とか読みだすんだけど

なんなんこれ?

2018-03-21

anond:20180321162204

英語にしても中国語にしても「n分」の前に「before」とか「差」とか言うから

日本語みたくイントネーションの違いで聞き間違えることはないのでは?

追記

しかに。英語は「時」の前に「before」でした

anond:20180320214446

今のうちから準備して中国語勉強しとくんだよ

Duolingoはいいぞ

2018-03-20

anond:20180320195213

かにWikipediaの「キズナアイ」のページも中国語版とかのほうが充実しているんだよな

2018-03-19

憧れの中国に行ったこと。

先日まで五日間北京観光に行ってきた。

本当はハルビンに行きたかったけど寒いし、まあ初めての旅行だしと思って北京にした。

一年半近く働いたバイトも先月やめた。

小学生の頃から中国に憧れていたわけだけど逆に行って嫌になるんじゃないかとか思ったりもしたけど、そんなことなかった。

行くことに緊張もなく飛行機から夜景をみてやっと来れたと思った。

いつも一人でベッドの上で映画を見たり本読んだり、犬の散歩をしたりして過ごしているか外国で一人で過ごしたって特別孤独を感じたりしなかった。

ドミトリーで同じ部屋になった人、長城に行く途中で知り合った子とも住所交換した。

友達はいらないし、親しい人ができたとしても結局また一人に戻ると考えてた。

今住んでいるとこは本当につまらなくて、ここの若い人は何というか金持ち面白みがない、経験値が低い。

帰ってきて思ったのは今住んでるこの場所で親しい人はやはりつくれないなということ。

どこ行っても年寄りには親近感があるけど、若い人には基本的にない。自分とは違うしそうでありたいと思ってる。

北京ではよそ者だけれども、この人たちと自分は違うとは思わなかった。

北京毎日スーパーで食料を買ったり、荷物検査してから地下鉄バスに乗ったりするのが当たり前のように感じた。

5日しかいなかったし、しか北京だけしか今のところは知らないけれどここにいるより中国生活する方が自然な感じ。

日本に帰りたくないとは一度も思わなかったけれど、とにかく中国日常生活を送りたい。

またバイト探して、今年中に北京ともう一都市行きたい。

中国語が話せたらすぐ仲良くなれるんじゃないかと思う、実際に結構筆談したし。

中国人は思っていたより全然しかった、日本ももちろん優しいし寛大だと思う。でも優しいの基準が違うと思う、どちらかというと他人に興味ない感じ。

近いうちに韓国台湾にも行ってみたい。

自分日本人ということに誇りを持ってるし、日本が好きだ。自分日本人だし、東アジア人だという自覚がある。

2018-03-14

パク・クネ元大統領のお蔭で仕事している

私は日本語以外に興味がなかった。もっと言えば日本語にも興味がなかった。

そんな時韓国大統領パク・クネになったというニュースが流れ、彼女韓国語で何かを言っていた。

言語に興味のない私は当然何を言っているかからないし、字幕に書かれている日本語発音が似ている言葉抽出してやっぱり中国語が元になっているんだなぁぐらいにしか思わなかった。

でも聴き続けていくと彼女言葉エロく聞こえた。本当なんだ。言ってしまえばちんこを刺激してきた。艶めかしい声だったのだ。

彼女が何を言っているのか知りたい。その思いで韓国語の勉強に取り掛かった。


言語学習をするのは中学校から強制的に始められた英語ぐらいしか経験がなく、どの様に扉を開けたのかわからなかった。なので本屋に行って0から始める韓国語(みたいな)という本を購入して、韓国語を勉強する方法を学んだ。

その本を理解してから韓国教室に通い始め、本についていたCDの口調と実際の先生が話す口調が違うことにびっくりして「実用的な韓国語はこの様にしゃべるのか」と思った。

韓国語入門の先生は「資格をとることも大事ですが、本格的に話したいなら韓国旅行するべきです。」と話していたので土日月休みがあれば韓国に出向いて韓国語で各地を回った。

そうすると2年ほどで日常生活では困らないようになり、契約書のような硬い文章を自らの能力勉強して解読できるようになった。


パク・クネ大統領の話すことが理解できるので履歴書韓国語が出来ると書いていろいろな企業を受けた。

韓国語が出来たところでねぇ・・・」とか「何故中国語じゃなかったの?」とか「英語はどうなの?」と聴かれることが多かったが、今勤めている企業は「韓国旅行者が増えてきているので喋れる人が欲しかった」と言われた。

パク・クネ大統領のお蔭で私は仕事にありつけ、ご飯を食べている。

残念ながら彼女汚職事件によって弾劾裁判が行われ、最終的には逮捕されることになった。

彼女のおかげで人生が狂った人も多いかもしれないが、私は彼女のおかげで人生が大きく変わった。

この場を借りてお礼が言いたい。ありがとうございます

anond:20180314015815

いやでも面白い視点なので。

へんてこな読みのやつで聞いた話だと、

案山子、とか美人局

これらは中国語から持ってきたのでこうなったそうな

あと数字もへんなのが多いし、漢字は謎がたくさんある。

慣用句の定着とかも不思議にかんじる。やぶへびとか。

2018-03-09

anond:20180307121623

実際は、日本の会員だけではやっていけそうになさそう

中国語版、英語版ポルトガル語スペイン語版を同時に出して世界展開して初めて「やる意味ある」利益出せるだろ

2018-03-06

「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン


◯ 高所得(たくさんのことが学べる人)

相対的中国が大きくなるにつれて

漢文重要性はあがると思う。


知らないより知っていた方がよいと思う。

ワイ理系やけど、センターで、そんなに勉強した記憶ない。

文系の人は時間取られるんやろか...。


最近歌詞の中に中国語が

英語と同じような立ち位置

取り入れられたりしている。


中国語のみられ方が

変わってきてるのだと思う。


彗星ハネムーン

キラキラ光る流星群

わたし想うわ

ウォーアイニー

彗星ハネムーン / ナユタン星人(cover) - Eve - YouTube


◯ いーあるふぁんくらぶ

〔れをる〕 いーあるふぁんくらぶ 〔歌ってみた〕 - YouTube


仮定の話でしかないけど

もし漢文じゃなくてラテン語だったら

この人もそんなに文句

言わなかったんじゃないかなと思ったりもする。

中国はいまだにダサくてかっこ悪い言語だけど

中国興隆に合わせて、そのうち立場が変わってくると思う。

シャイニング丸の内さんのツイート: "本気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない"



低所得(そんなにたくさん学べない人)

わいのような低所得は学ぶべきではない。

他に学ばないといけないことがある。


やったらよいことはたくさんある。

でも、やるべきことは他にある。


投資できるものの量が多くはない。

何を学ぶかは慎重にならないといけない。


この手の記事は大抵

10 に 8, 9 は自分自尊心を満たすための記事だ。

漢文重要だ→漢文を学んでる俺は重要だ」

それに引きずり回される必要はないと思う。




2018-03-05

anond:20180305082941

なるほど増田の言いたいことは大体わかった。ありがとう

Yónnde kureté arigátou gozaimásu.

それにしてもローマ字表記の読みづらさは、それはそれでトレーニングがかなり必要な気がするが…

これから増田コメントを見かけたら、なるべくスルーせずに読むようにしてみよう。どれだけ慣れるものなのか。

Arigátou gozaimásu.

Eigo no tanngo wo oboéru yóri ha rakú na hazu da to omoimásu. Mimí de ha shitité, mé de shiranaí dana no de.

あと中国語漢字がそのまま変換されるのは、中国語は知らないが一つの漢字に一つの読み方しかないんだろうか?ないのか。

Chuugokugo de mo onaji yomikáta no kannji ha arisu ga, búnnshou de nyuuryoku surú to kánariido ga íi desu.

Boinn wo shouryaku surú to séido ha ochimásu ga, yóku tsukawú Fureezu nara seikaku ni hennkann dekmásu. 谢谢 nado ha "xx" to útsu daké desu.

あとあれだ、日本語単語をひとかたまりにして認識するのめっちゃ難しい。なんでかわかんないし慣れかもしれないけど。

それだったらいっそルー大柴語にしてもらった方がなんぼか読みやすい気がする。

This sentence no read wa very easy dayone! みたいな。英語圏では当然混乱する。

でもそれなら外国人日本語習得する際のコストさらに減るし、日本語がわからない外国人でも単語だけ拾ってニュアンス理解することができるではないか

Hanashi kótoba to shité no nihonngo wo yori seikaku ni kouritsu yóku hyóuki dekíru yóu ni shitái to omótte imásu.

anond:20180305075939

なるほど増田の言いたいことは大体わかった。ありがとう

それにしてもローマ字表記の読みづらさは、それはそれでトレーニングがかなり必要な気がするが…

これから増田コメントを見かけたら、なるべくスルーせずに読むようにしてみよう。どれだけ慣れるものなのか。

あと中国語漢字がそのまま変換されるのは、中国語は知らないが一つの漢字に一つの読み方しかないんだろうか?ないのか。

まあそこが日本語面白いところなので、もし増田の考えがオーソドックスになって効率という意味でそれが駆逐されてしまうのは寂しい事ではあるが。

かつてあった古来の言語がそうであったように、日本語がそうやって形骸化して失われていく未来もなくはないかもしれないな。

あとあれだ、日本語ローマ字にした単語をひとかたまりとして認識するのめっちゃ難しい。なんでかわかんないし慣れかもしれないけど。

それだったらいっそルー大柴語にしてもらった方がなんぼか読みやすい気がする。

This sentence no read wa very easy dayone! みたいな。英語圏では当然混乱する。

でもそれなら外国人日本語習得する際のコストさらに減るし、日本語がわからない外国人でも単語だけ拾ってニュアンス理解することができるではないか

anond:20180305072034

問題意識としては、効率性です。

日本語現在表記方法は、表記ゆれが多かったり、入力に手間がかかったり、学習コストが大きかったりと、問題が多いという認識がまずあります

この認識が共有できないと、多分問題意識も共有できないと思います

入力に関しては、コンピュータ入力ソフト進歩によって、少しづ改善していますが、まだまだ英語韓国語などの変換のない言語に比べると、入力速度は体感できるほどの違いがあります

日本語入力システム中国語に似ているというイメージがあると思いますが、実際には中国語入力システムの方がシンプル方法採用していて、その分、母音を省略して入力できたり、スペルミス自動修正してくれたりといった機能がよく整っています。(何がシンプルかというと、日本語入力ではまずローマ字ひらがな自動変換され、そこから手動でかな漢字に変換するという二段階の変換システムになっているのに対して、中国語入力システムでは、ローマ字から直接普通中国語に変換される、一段階の変換システムだという点です。)

また、そのようにして入力された文章に関しても、違う単語が同じ表記になってしまう(例:「行った」)とか、曖昧性があったり(例:「この先生きのこる」)など問題が多いです。

これらの点を改善する方法としては、色々と考えられます

などの方法があります

このうち、分かち書きはかな漢字のままでも可能です。

ローマ字採用する利点があるのは、後者についてです。ローマ字は、ひらがなよりも使えるパターンが多いです。ひらがな表現できるモーラパターンはたった115です(参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/日本語音韻 )。ローマ字であれば母音5種、子音21と子音がないパターンで合わせて22で、これだけで110になります。私がやっている方式では、母音にはアクセントがあるものとないものがあるので10種類であり、さらに子音は2文字重ねるものshなど )があるので、使えるパターンは200をゆうに超えます

一口ローマ字表記するといっても、やり方によってその成果に大きな差が出ます訓令式ローマ字をわかち書きするだけでは、違う単語が同じに表記されてしまうケースは減らず、むしろおそらく増えるでしょう。

そのため、どんな方法がいいかを探求するために、色々と考えたり試したりしているわけです。

今のところやっているのは

などで、まだ決めていないことはたくさんあり、例えば以下のようなことを考えています

などなどです。

「違う単語が同じ表記になるケースがゼロ」の状態を「完全な表記法」とした場合表記の完全性と学習コストトレードオフになる場合があるので、どのへんがちょうどいい具合かも探っていく必要があると思います

論点散逸してる感があるのでまとめると、ゴールは次の二点です。

加えて

があるのですが、これはローマ字採用した時点でほぼ達成が約束されているので、割とどうでもいい扱いです。

2018-03-03

大学新入生のための)第二外国語案内

大学受験も大体終わった頃のようなので、何となく書く。筆者は以下の言語すべてが流暢という訳ではもちろんないが、まあ平均的な高校生英語を知っている程度よりはそれぞれの言語について知っているつもりだ。ただし、大学教師でもなければ語学で食べているわけでもないので適当に割り引いて読まれたし。

のっけから本題とずれるが、これから大学生になる人が外国語学習において力を注ぐべきなのは英語学習であって第二外国語ではない。各国語(あるいは文学)を専攻しないならば、第二外国語を学ぶのは大体多くても2年くらいだろうが、授業を聴いているだけならば間違いなく卒業する頃にはすっかり忘れているだろうから実際的には毒にも薬にもならないと言ってよい。それでも外国語を学ぶことはその使用者文化垣間見せてくれるし、ヨーロッパ言語であれば英語理解を深めてくれる部分もある、かも知れない。

というわけで結論だけ先に述べれば「直感で好きなのを選べばよい(どうせたいした違いはない)」。もう少し付け加えるならば「フランス語はやや覚えることが多く、単位を落とす人がそこそこいる。英文法になじんでいる人間にとっては中国語文法はややとっつきづらい。逆に英文法がどうも嫌いだという人は中国語チャレンジしてみてもいいかもしれない。以上を逆にとらえるとドイツ語スペイン語無難選択肢だろう」くらいだろうか。

以下各国語についてのコメント文法:A(簡単)- D(難) 発音:A(簡単)- D(難) 実用性:A(役立つ)- D(全く無駄) で一応つけてはみたものの、印象なのであしからず

ドイツ語

文法:B 発音:A 実用性:C

かつては第二外国語筆頭だったろうが、学習者は減少している。大学の二外として言うのであれば、初期学習簡単なので一番無難であると思われる。英語と同じゲルマン語に分類され、文法はまあ似ているのでそれほど違和感なく入っていける。また、発音もよく知られるようにだいたいローマ字読みであり簡単。また、日本人にとって、クーゲルシュライバー(ボールペン)などの一部の単語は(ドイツ人理解することができない)クールで魅力的な響きをもつ

歴史的な経緯からドイツ語が通じるのはほぼドイツだけで、ビジネスで関わるようなドイツ人であればまず英語が話せるのでドイツ語実用性は低い。とはいえ、EUの中で最も力を持つ国ではあるし長期的に学習することを考えるのも無駄ではないだろう。

フランス語

文法:B 発音:B- 実用性:B

こちらもメジャーで、その意味では無難文法ハードルになるのは、やはり動詞活用であろう。例えば英語だとgo三人称単数でgoesと活用する。フランス語場合、{単数、複数} x {1,2,3人称}の6パターン活用をするのが普通で、さら現在形、過去形etcと6種類ずつ活用を覚えることになるので英語ドイツ語に比べると暗記が必要な部分は増える。二外としてみる場合、大してモチベーションもないのにこれを暗記するのが大変という場合が往々にして起こりえて、単位を落としやすいように見える。

発音については、英語ほどスペルとの対応が不規則ではないと言われるが、発音しないのに表記される文字が多く初学者にとっつきにくいものである。またこれが上の動詞活用スペルを覚えにくくするものでもある。

以上の点から、二外として単位を取るだけならばあまりオススメはできない気がする。ドイツ語に対して利点があるとすれば女の子が多そうなイメージがあるくらいだろうか。ただ、ある程度学習が進むと上で書いた文法発音の困難はたいした問題ではなくなる。また、歴史的経緯から英語の語彙は(同じゲルマンであるドイツ語よりもフランス語との方が共通点が多いので、英語が十分できる人間にとっては、入門を果たした後ある程度読めるようになるための労力はドイツ語より少なくて済む。

実用性という点では、アフリカ植民地がたくさんあった関係アフリカで多く使われるため国際協力云々といった仕事に興味がある人にはフランス語知識は有利に働く。

中国語

文法:B-C+ 発音:C 実用性:B+

いろいろな問題を抱えつつもとにかく巨大かつ成長中の国で、さら地理的なこともあって学習者は増えているようだ。

まず、発音が難しい(厳密に言えばどの言語も難しいだろうが)。よってリスニングが難しいので単位取得にはマイナスかもしれないが、逆にだからこそ授業でとるべき言語とも言えるかもしれない。文法についてはひとことで説明するのは難しいのだが、なんと言っても全く活用しない(=漢字は形を変えない)ので英語と同じノリで文法理解しようとするとなかなか腑に落ちない。原因をいくつか挙げると、一つの文字がいろんな品詞で使われることや「目的語」の概念英語と若干違った意味で使われるといったところだろうか。また、文法ルールが複雑というよりもどのルールをどこで使えばいいのかがよくわからないという難しさがある。

こういう難点はあるものの、暗記するのはまあ文字くらいで、日本人にとっては文字習得する苦労があまりないので二外の単位取得くらいだったら一番労力が少なくて済む(かも)という面もある。ある程度要領が良い人で、外国語勉強をしたくない、というひとには選択肢に入るだろう。

実用性という意味では、もちろんペラペラになればそれなりに重宝されるだろうが(ただし英語もできるという前提で)、そこまで行くのはまあ大変だろう。日本語ができる中国人は大量にいるので、ちょっとやそっと中国語ができても、それだけではあまり使い道がない(と言われている)というのは留意すべきか。

スペイン語

文法:B 発音:B+ 実用性:B

文法の複雑さという意味ではフランス語と似たり寄ったり(どちらもロマンス語に分類される)。ただし、発音がおおむねローマ字読みでありその分暗記はしやすいように感じる。二外としては大きな困難がない言語であると思う。実用からみても、話者の多い言語でありそれなりに有望だろうが、下手にスペイン語ができるからといってメキシコで働くことになったりするのは怖いかもしれない。

スペイン語も読めるようになるまでは英語知識が役に立つが、おそらく難しいのは聞いて話すことで、一般早口で話されるので実際に会話できるようになるまでに必要な労力はどの言語でも変わらないなあ、と感じる。

ちなみあまり二外の選択肢にない気がするがイタリア語も同じロマンス語であり、スペイン人イタリア人場合によってはそれぞれがそれぞれの国の言葉で話して理解できるようであるポルトガル語の方がスペイン語に近いらしい)。少し勉強しただけの印象だとイタリア語の方が文法発音も少しルールが複雑である。それよりも大きな違いはイタリア語特定の分野をのぞけば実用性があるとは言えないという点だろう。もっとも、プロとして高い能力を持った人も少ないらしいので全く仕事につかえないという訳ではないだろうが。

ロシア語

文法:C 発音:C 実用性:B−

実用性は近いからなんとなくドイツ語単品よりは仕事ありそう(ただし地理的限定される。北海道とか新潟とか)、というくらい(あくまで印象です)。

まず文字が違うのでそれを覚える苦労があり、発音も難しく、文法も複雑である語学時間を割きたくない人にはお勧めしない。二外としての利点を挙げると、大体少人数の全学部合同クラスなので、知り合いの幅が広がって楽しそうだった、という風に記憶している。難しい言語ではあるが、その分授業も緩くすすむ場合が多く、選択者の評判はおおむね良好だった。

個人的にはドイツ語フランス語の後に学習した方が諸々楽な気がするので、二外としてはやはりオススメではない。ただ、ロシアという国に何となくロマンを感じる人は適当勉強してみるのはオススメしたい。

番外

古典語について個人的印象。括弧は実際問題発音しないので...

ラテン語文法:C- 発音: (A) 実用性:C- (ヨーロッパ言語文法的特徴について見通しをつけるのに役立つ気がする)

古典ギリシア語文法:D 発音:(B) 実用性:D (特定目的があるなら別ですが)

以下蛇足

くどいようだが、(少なくともほとんどの人にとって)なんといっても英語勉強をする方が先決だ。日本人が中高大と英語勉強しても話せないのは教育が云々といっていろいろな試みがなされているが、第一の原因は勉強不足であるそもそもセンター試験で安定して9割くらいとれないのであれば高校までの勉強が不足しているし、話せるようになるにはセンター9割からさらにそれなりの努力必要だ。日本人ほとんどはセンター9割*に達していないうえに、大学に入ると勉強を止めてしまう。これでは「中高大で英語を学んだ」とは到底言えないだろう。(*あくまで一例。要は高校までの学習内容をきちんと身につけているかということ)

また、機械翻訳が発達して語学力はいらなくなるという意見もあるかもしれないが、すくなくとも10年以内に(話を英語に限ったとしても)英語を全く理解せずに英語話者と口頭でコミュニケーションがとれるようになることはないだろう。先のことはわからないとはいえ、機械翻訳の発達を強調して語学学習無意味を説く人はノストラダムス予言を当てにして何の努力もせずともよいと言っていた人(いるかは知らんが)と大差ない。ただし、コストパフォーマンスの面から翻訳が金にならなくなっているのは既に事実であり外国語で食っていくのはコンスタントに難しくなっていくというのも正しいだろう。自分は「英語はただのツールなんだから必要になればすぐに身に付く」という言説は全くの嘘だと思っているが、そうはいっても金になる技術を身につけるのはそれはそれで重要であるのも事実で、英語だけできても仕事がないというのはある程度正しい。同時に、別に誰もが英語をぺらぺらになる必要もない訳で、「英語が先決」と書いたのはあくま外国語学習という範疇に限れば優先すべきは英語であるという意味なので、自分時間配分の優先度を考えた上で外国語学習をしてほしい。

2018-03-01

anond:20180301211215

宇宙人がまず、地球語を何語と定義しているかにもよる。

人口比率で言うなら中国語かもしれない。

中国の動向も観察はしているだろう。

仮に自分が他の惑星に偵察にいくとしたらだ。

まず現地人への擬態化を考える。

これからいうのは偵察にきた来客が、酸素によって活動可能な1Gに耐えうる生物であることを前提としたはなしだが。

1.に関する話

ワープを使いこなす宇宙人が、まず見返りなしに科学技術提供してくれるか、というところから、考えた。

提供してくれるとしたら、何かを要求してくると思う。

地球通貨地球上でしか使用できない。これはない。

だとすると?

地球上にあるもの生物もしくは来客が持ち得なかった発明品、文化産物など。

未開の地といえど、来客とまったく同じ発明品は有り得ない。

絶対に物珍しいはずだ。

あと、人間進化を止めてしまうかどうか、思慮してくれるかも分からない。



2.

なぜ侵略してこないか

手間がかかる。

欲しい何らかのサンプルがあるとしたら、持ち帰るのに地球人許可は、はっきり言っていらない。

少量、仮に人間一人誘拐する程度の量なら、強奪してしまえばいい。

あとは、地球のものが気に入って、少数なら移住してくる線もあり得る。

デジタル疲れた人間アナログに帰るように。

もうどこかにいるかも。

地球まるごと手に入れたいという話なら、はっきり言って来客は居住地を求めているか、ここを資源のものとみているか。このどちらか。

母星を失った一民族郎党ぐらいでないと、侵略する意味がない気がする。

ただ、母星を失ったなら、そう人数は多く残っていない気がする。

資源として見ているなら、地球を傷つけたくはないはずだ。


3.

統一国家はできるか、現段階ではわからない。

各国ごとに決別して宇宙に散る方が早いかもしれない。

こちらを観察はしていると思う。

記録もとっていると思う。

しかし、どれくらいの惑星からどの程度の人数きているか不明

友好的かもしれないし支配的かもしれない。

どういった目的で来ているかにもよるが、支配するにも手間がかかる。

あくまで観察者であるだけで、干渉してこないだろうことは同意見。

膠着状態は続く。これも同意見。

すでに居住者がいるなら、ここもみているだろうか。

地球の片隅の島国に興味を持ってくれた来客も、居るだろうか。



侵略目的なら日本には恐らく来ない。

居住目的ならすでにいる可能性は否定できない。

日本日本語を気に入ってくれていれば、だが。

侵略目的ならアメリカ中国ぐらいじゃないかな、観察されてるのは。

2018-02-26

日本語発音って外国人にはどんな感じに聞こえるもんなんかね

何かの外国記者会見で、日本人記者の喋り方を真似してその場で笑いが起きたってニュースもあれば

アナ雪のマルチリンガルバージョンでは、日本語パートが評判良かったりする

一体、どう聞こえてるもんなんかね

英語は滑らかでかっこいいけど、中国語は怒ってるように聞こえるみたいな

そういうやつ。

2018-02-22

https://anond.hatelabo.jp/20180222030002

中国語で「娘」をNiang(にゃん)と発音しますので、それが由来かもしれません。

ちなみに、中国語の「娘」の意味母親です。

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

anond:20180219020929

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。


あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。



理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。




論文英語日本語問題についてはとりあえず冷静に原文を読んでくれ。

3本しかないので数が少ないと書いただけで日本語は業績に入れないとは言ってない。日本学会で発表したり国内研究者向けに文章を書くのも意味がないわけではないことは知っている。そもそも三浦の業績もショボいと酷評しただけで全くないとは言っていないし。

それからここは誤解があったみたいだけど英語でないことは「国際政治学」だから批判しているのであって、日本中心で行われている学問なら日本語でも問題ないことは理系元増田にもわかっている。文系増田動物学を例として挙げてくれているがああいローカルな側面がある学問についてまで何でもかんでも英語統一しろと言ってるわけでもない。アジア研究についても日本語論文重要視されているということもよくわかった。


その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。


将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

anond:20180218204936

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。

文系でも同じですが。研究という営みの本質文系理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているか相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラル上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)

もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。

いや、レビューオリジナル研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナル研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナル研究成果だ。博士論文書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチオリジナル研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナル研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。

ひょっとして文系研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。

から、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者彼女学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田最初和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わずレビューしか書いてないなんて研究者はいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。

いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。

そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PD東大講師、あるいはテレビ出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビ問題言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者リテラシー問題でしょ。理系学位肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由開放的性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。

文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。

うんだから文系研究者が色んな外国語勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語ドイツ語研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。

これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語地位を高めていくべきだ派と、日本アカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本文系研究者多様性は、アメリカイギリスほどじゃないにせよフランスドイツロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史英文学からアフリカ人類学オセアニアの少数言語中央アジア歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人フランス人ドイツ人がそうできるように、自分たち言語でそれらの分野の最先端研究成果を手にすることができる。東アジア中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語博論を書いて自国教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。

もちろん、日本研究を専門としていない欧米人日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたもの翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。

こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文アメリカ人日本語翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀フランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別にからずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産動物種の研究だと英語論文和文論文引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。

いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田感覚はわかるんだよ。というかそれは文系研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端研究成果を自分たち言語で読めて、どんな地域研究だって自分たち言語遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマ研究ホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史研究する上で西洋史探究されてきた研究モデル概念意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国政治についてなんの情報もなしに、自国政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツール必要なんじゃないか? ジャーナリスト政治家欧州統合アフリカ経済アメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本EU研究者アフリカ研究者アメリカ政治研究者がみんな英語論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。

2018-02-15

anond:20180215233745

中国語の老という字には、尊敬すべき存在みたいな意味合いがあったな。老師とか。

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