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はてなキーワード: ピノキオとは

2023-04-30

anond:20230429120637

マリオ映画 映画として50点

子供も見ることを考慮されている為90分の上映時間しかない

・上映時間が足りない為とにかくストーリー駈歩

・一番顕著なのはマリオ父親関係

マリオ父親が直接会話したのは最初最後のみ

・なぜか映画ストーリーマリオ父親に認められたことになるらしい

・とにかくドラマが足りない

描写不足

ピーチマリオ出会いもあっさりしすぎている

ピーチピノキオ隊長マリオを一瞬で受け入れすぎではないか

ピーチピノキオ出会いなども語られているがあそこはもっと掘り下げるべきではないか

結婚式で捕まった面々が生贄にされるのは意味がわからないしストーリーの都合でしかない

マリオギャラクシーに出てきた青い星は何かストーリーに関わってきそうでひたすらネガティブなのことを言ってるだけで何もない

そもそもクッパピーチ求婚する理由やそのきっかけがまるで描写されていない

・本当にクッパは全軍侵攻する必要があったようには思えないしストーリーの都合でしかない

クッパストーリーのために悪役を演じている

色々書いたが、とにかく一本の映画として評価すると観客のマリオ知識思い入れに甘えた描写不足の作品という評価になる

2023-03-18

匿名Mの歌ってみたが聴けない

 匿名Mの“歌ってみた”が聴けない。

 投稿初日に聴いてそう思った。本家リスペクトのある歌ってみたは嫌いではないし、好きな歌い手やVの歌ってみたは好き好んで聴くしかし、インタビュアー淡々とした声と、匿名Mの「人間じゃないので。」「16才です、永遠に。」「まあ全部、言わされてるんですけど。」という掛け合いで紡がれるメロディーが素敵だと思うと同時に、この曲は匿名M以外が絶対に歌ってはいけない曲だと思った。

 ある歌い手が、匿名Mの歌ってみた投稿していることを、Twitterリツイートで知った。ああまた歌い手が何も考えずに歌っているのか、と思ったが、それをリツイートしていたのは、ある歌い手が招いた、あるインタビュアーだった。

 その歌い手概要欄には、「歌わされてるやつの曲を歌わせていただくから歌詞は改変したくない」というようなことが書かれていた。そこまで考えられているなら、なぜ曲の趣旨無視して“歌ってみた”を投稿できるのか、が理解できなかった。匿名Mの投稿から1ヶ月経ってから投稿。その辺の当日や翌日にそのままの歌詞だったり歌詞を改変したりして投稿していた歌い手と何が違う?

 そして、その招かれたインタビュアーのことは、Twitterフォローし、記事日記を読み、書籍を買うくらいには、その人の考えや言葉が好きだった。そのインタビュアーアイドルゲームオタクでその“解釈”を大切にする人で、その人の言葉が好きだった。

 ジャンルは違っても何かのオタクであって、その解釈が美しくて素敵な人が匿名Mの歌ってみたに協力したこと、が、つらい。匿名Mを匿名M以外が歌ってはいけないことなんて、一回でも曲を聴けば理解できる簡単なことではないか、と思うのだが。最近初音ミクに歌を歌わせてくれないけれど、曲がりなきにも“ボカロPである同僚の参加した“初音ミク”の作品に、そういう世界観をぶち壊すような乗り方をしたことが、何かのオタクとして、つらい。ひとまず、そのインタビュアーフォローは外したままだ。

 ただのオタクひとりがこんなことを言っても仕方がないし、ピノキオピー歌ってみた許可していることはわかっている。その歌い手オタクも、そのインタビュアーオタクも喜んでいることはわかっているのだけれど、気持ちの整理がつかずに書いてしまった。匿名Mは、匿名Mのための、ピノキオピーの曲だ。そのインタビュアーたちの曲じゃない。歌い手のための曲でもない。個人の感想です

最後初音ミク以外が歌ってはいけない曲を発表します。

ODDS&ENDS

愛されなくても君がいる

匿名M

さようなら

2022-11-13

久しぶりにボカロ曲聞いた

こんないい曲出てたのになんで誰も教えてくれないんだ!!

youtubeおすすめ機能してないし今更ニコニコで探す気にもなれない

今のボカロ流行りってみんなどうやって探してんだろ

ピノキオピー - 神っぽいな feat. 初音ミク / God-ish

https://www.youtube.com/watch?v=EHBFKhLUVig

2022-09-15

樫の木モックは見るとめっちゃしんどい気持ちになるけどなんか見続けちゃうんだよな……で後半からの怒涛の展開に圧倒されるという

あと二次創作から始めるオリジナル作品の作り方みたいな創作論として見ても勉強になる ピノキオとそれを混ぜちゃう発想は無かったわ!っていうユニークアイデアてんこ盛りで楽しいのだ

2022-06-26

コロナで太ったんだけど、太り方が変で怖い

なんか上腹部?だけ肉がどんどんついてきた

下腹部もついてきてるけど、上だけガンガン増えてる

ワイシャツ着るとその上腹部だけが突っかかって今までのサイズの着れなくなった

俺の腹はピノキオの鼻か?

2022-06-02

ここに来てピノキオ二次創作の傑作のひとつである樫の木モックに再注目が集まらいかなーって思っている

昔話ならではの残酷さや寂しさを感じさせる話が毎週続く中で終盤のモックの怒涛の成長っぷりがめっちゃ燃えるんだよ

2022-05-22

幼稚園の思い出

現在三十代半ばなので二十数年前のことになるが、幼稚園児だった頃を思い出そうとすると以下の三つが浮かんでくる。

プールに現れたライオン

私は幼稚園バスに乗って隣の区にある私立幼稚園に通っていた。敷地内に二階建ての園舎と運動会ができる広さの園庭、そしてプールがあったのでそこそこ大きめの園だったのだろう。夏になるとプールで遊んでいたはず。水着になってプールで泳いだ記憶はまったく残っていないのに、当時園児あいだでもちきりだった気がする噂話を覚えている。

それが「大きなライオンプールに出た」だった。

プールの底に大きな三つの爪痕が残っていたとかなんとか。

②実習にきた学生が親戚だった

少しの間外から来た先生園児に実習とか学生なんて区別はつかないので、エプロン着ている大人はみーんな先生なのだ)が親戚だったため私はその先生のことを「○○おねえちゃん」とお正月におばあちゃん家で会ったときのように呼びかけ、みんなより親密に振る舞えてこっそり得意げだったのだ。ふふん。

ちなみに同じ幼稚園ひとつ年上と同い年の従兄弟たちも通っていた。家から遠い幼稚園、通園以外でおともだちとほとんど会えなかった。仲良く遊んでいた子はいたと思うけれど一人も思い出せない。

お遊戯会のてづくり衣装

幼稚園にはしっかりした舞台ホールが備わっていた。年に一度お遊戯会が開催される。

年長さんは劇、年中さんはダンス、年少さんは合唱といったような。

ステージの上で着る衣装はだいたい親の手作りだった。幼稚園が用意した型にそって、色付きポリ袋切り貼りする。私たちドレスは親が一生懸命こどものサイズに合わせて作ったピンク色のポリ袋で出来ていた。

(いま検索してみたら白雪姫ベルドレスの作り方動画がでてきたから、もしかして今も現役なの?)

母が私のために作ってくれた衣装は、ちょっと丈が長かった。こどもの下着が見えないように袋を二重にしたりくしゅくしゅにしたりするところが本来位置からやや下になった。

なにが起きたか。その年のお遊戯会ビデオで、ひとりだけぱんつまる見えな子が映っていたってこと。

ついでにお遊戯会関連でいえば

年長のとき私のクラスピノキオだったが、となりのクラスアラジンで。

水色のポリ袋で出来たジャスミンお腹を出したあの衣装を着ている子がめちゃくちゃ羨ましかった。

2022-02-02

はてブのための音MADの楽しみ方 ~モスバーガーに挟んで~

先日のモスバーガーのトム・ブラウン超合体CMになんか否定的だったので、識者の俺が音MADの楽しみ方を教示しよう。

最初に言っておくが強烈なハイコンテクストが特徴の文化なのでNot for meと思った瞬間に立ち去るように

このテキストでは当該の超合体CMのもの解説しません

教材 全28

教材は当然ニコニコから

そしてなんと教材にもってこいの28秒! この音MAD出会たからこの増田書いてるまである

分解

ソースは現時点では見なくてよい

視聴

では動画を見ましょう。

導入

パーカッションの助走ののち、映像メロディが同時に始まる。

タイトルトラック、特徴的な文字演出からこの動画が「神っぽいな」の音MADということがわかる。

そしてアニメ(もしくは原作小説)を知っていると、画像キャラクター結婚相手に高い理想を抱いているシーンを想起する。

まずここで視聴者コンテクストロードされる。この作品への向き合い方が決定される。

理解

まりにもロマンチック理想独白が「神っぽいな」のワードシンクロする

しかアニメの音声だと思いこんでいた矢先の「高学歴 高身長 高収入」の3連打によりなんだこの音声(音源)は!?の驚きと遭遇する

追い打ちのように音声のリリックオフボーカルのサビ部分にカッチリとはまり込み、リズム気持ちよくなる

尋常ではない繊細な作品と気付き、より深く注目する

加速

中世界にあるはずもない「ママ友とのランチヨガネイルサロン代」の登場により感情は更に加速される

ネタとしての異常性という部分ではもちろん、作中婚活期のロキシー境遇からすればあまりにも遠い理想に胸が締め付けられる。

そして続く「山崎賢人阿部寛坂口健太郎を足して割らない」、素材の爆発力である

まず感情として、割らないで大丈夫なのか、1人で十分じゃないか不安感が脳裏をよぎる。

そしてその場合顔は3つなのか? それはもう阿修羅なのでは? 阿修羅って神っぽいなと脳のシナプスが一気につながる

そういやケルベロスも顔3つだな。犬っぽいな。ぽいじゃん。脳内連想ゲーム危険領域突入する

回帰

そして化け物「顔の青年迷宮の奥底で偶然助けられるんです」と原作の展開に帰ってくる

この作品は投げっぱなしではなく、非常に練られた展開という満足感が気持ちよさに変換される

しかしここで終わらない

オチ

最後最後で内容がいきなりYouTuber「syamu game」氏の名言に変化する

コイニハッテンシテ 素敵なことやないですか」あまりものカーブ、脳はsyamu氏のコンテクストロードする

そして最後の音声「理想たかっ!」、BGMでは「憧れちゃうわ!」に重なる。歌詞を考えると関西弁ダブルミーニングも想起する

そしてsyamu氏が登場することにより同氏の「おい!それってYO!」という名言脳裏によぎる。

この動画で描かれていないことまで、沢山のシナプスがつながったと思う。この音MADの素晴らしさが理解できただろう。

小学生並の感想

非常に素晴らしい音MADでした。

音声素材の強すぎる力を見事に制御しきっていますし、動画エフェクトも最小限に留めています

とはいえそれは手抜きではありません。

素材の発掘力は音MADの肝ですし、楽曲PVオマージュは極めて精緻で丁寧さが伺えました。

キャラクタ楽曲、syamu氏の持つコンテクストシナジーがキマったシナプス感涙の作品でした。

総評 音MADとは

みなさん、少しは音MADという存在理解できましたか

リズムに合わせて素材を次々に展開し、コンテクストをつなぎ合わせて脳のシナプスを繋いで脳内麻薬ダバダバ

これが音MAD本質です

その性質ゆえに表社会に出ることは稀ですし、件のCM音MADではない、そうだとしても劣っていると批判が一部でなされる理由もわかっていただけたかと思います

ここまで聞いてくださってありがとうございます

それでは最後にトトトトトム・ブラウン、ぱちんこCRおどれまさのりファイアーの作者で知られる零氏がRTしたツイート引用を持って終わりにしたいと思います

ご清聴ありがとうございました。

音MADが表沙汰になってることに対して賛成派も反対派もいる様子ですね

僕としては「音MADという手法」は表沙汰になっていいが、「音MAD界隈のネタ」は絶対に表沙汰になるのは絶対にやめてほしい派です

https://twitter.com/nelucochen/status/1486927250155274240

トトトトトム・ブラウン

https://www.nicovideo.jp/watch/sm34503384

2022-01-26

anond:20220126094026

否定的感想は一切言うな!って言っている人はいない。

お前ら好き好んで作者の世界観に入っていってるんだから、それに対する想像力を最大限働かせて飲み込もうとする努力をするのは鑑賞者として最低限のマナーだぞっていうレベルのことしか言われない。

ピノキオを見た子供が「人形の鼻が伸びるとかありえねーしゴミだなこの作品どこが面白いんだリアリティラインの設定もろくにできんのかこのディズニーって奴は」とかいい出したら「違うよ」って言いたくなるでしょ。

そういうレベルの見る気ないような誹謗中傷跋扈してるのが最近アニメカルチャー系なんだよ。分かれ。

2021-09-20

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

2021-08-24

anond:20210824191653

当時、日本出版されていた11社38種のピノキオ本の回収を要求した。

12月図書館問題研究会検討を行い「図書館自由」を基に

回収措置言論に対する封殺行為であり許せない。

本作は、弱点を克服し成長する子供可能性を描いた作品であり、

めくら」「びっこ」という言葉障害者差別に結びつけるのは拡大解釈作品意味を汲んでない。

回収を行えば障害者差別が無くなる道理も無く、「言葉だけで何かを変えよう」という幻想に繋がりかねない。

個々の企業に対する脅しが差別撤廃にはならないし、体制も変わらない。

とする「反論声明」を提出した。強引な告発に対して批判があったが、小学館側の回収についても「安易」だとの批判があった。この騒動に対し「ピノキオ退治は世界の笑いもの」と揶揄する声もあった。

2021-08-13

anond:20210811210713

http://tokusatusokuhou.blog.fc2.com/blog-entry-1281.html

人造人間キカイダー

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兄弟全員ぶっ殺して

「ぼくの心は人間と同じになった!だから嘘も平気でつけるようになった!」

"こうしてピノキオ人間になれました

めでたしめでたし"

だがピノキオ人間になれて本当に幸せだったのだろうか

2021-04-05

なんとなくで生きすぎてる思うから

ちゃんと好きなもの理由をつけて話そうと思う

そうだなぁ…感覚的に好きなもの音楽の話にしよう

俺は好きだ。ピノキオピーが好きだ。

ボカロ歴史についてはドにわか…というのもおこがましい、ドシラソファミレドにわかだ。

初めて聞いたボカロは覚えていないが姉がイカサマライフゲームを聞いていたのが最後記憶

昔、学校でミクが流行っていたか初音ミクプロジェクトミライを買ってもらった。

今思えばこの頃の環境が一番オタクに優しかったな、カースト上位が全員オタクだったか

やってみて好みだなって思ったのがささくれPピノキオPだった。これが出会いだな。

ちょっと暗い歌詞と音が好きだったんだと思う。

母親に頼んでスマホを貸してもらって、ピノキオピーマイリスを見たそのときの最新投稿が頓珍漢の宴だったのをよく覚えている。

それからしばらくはマイリスを周回していた。

ピノキオピーは曲が多いから、アルバムクロスフェードで大体の位置記憶していた。

個人的には漫画が好きだ。comic and cosmicの発売がすごく嬉しかったのを覚えている

引っ越し環境がかなり変わったことがあって、そのときは、ちょっと周りにトゲをばら撒くような歌詞自分の心を守ってくれるような気がした。

からはっぴーべりーはっぴーとか、人間なんか大嫌いが好きになった。

このあたりの曲は言葉を選んで強いことを言っているから、言ってやった!感が強くて、歌っていて気分が良い。

うっせぇわが流行ってるのってそういうところあるんだろうなって思う。

関係ないけどadoマジで歌が上手いから消費される歌い手にならないでほしいし、語彙がちゃんとしている上で言葉の強い歌を歌ってほしい

それからしばらくして、生活に少し慣れてきたときには何気ない歌に励まされた。

あめのひ喫茶とか、宇宙みかんとか。

あと本当に辛いことがあったとき、今でもネガポジを歌ってしまう。

心が重たいときにはcontinueも沁みた。

最初ピノキオPの何気ない素朴な歌詞がすごく好きだ。今も。それが強い気はする。

ピノキオピーの好きなところはやっぱり歌詞だ。曲調も好きだが。

いろいろあるんだけどレアノの毎分毎秒毎時間感動してられないものとかブラックホールヶ丘商店街アイスの棒のあたりとかの素朴さが好きなんだ。

そういう歌詞の身近さが、最近ピノキオピーでは少なくなってるきがしてさみしい

どうしてちゃんテーマとかどうなのって言われそうだが最近ピノキオピー歌詞リフレイン率はヤバい 体感だけど

404もリアルにぶっとばすも愛されなくても君がいるもちょっとキャッチーじゃなくリフレインしている、その隙間にもっともっと自我さらけ出してほしいと思っちゃうのはオタクキモくてイタい欲求なんだとは思う

でも正直言ってさんさーら!では感動した、ARuFa表現する言葉の巧みさに脱帽した

全部好きだけど、友達百人できる?できないのところが彼らしくてやっぱり好きだなと思った。

彼の夢と希望と少しの諦めと内輪ノリがないまぜになったような言葉遣いは沁みる。

インターネット上の元気いっぱいバカ真面目バカARuFa体現した歌が良かった。

MeiMeiみたいなユルさとはじめまして地球人さんを聴いたときのワクワクが同時にきて、ちょっとしかった。

俺としては一番ピノキオピーがとっつきやすキャッチーさとひねくれ感と共感を上手く歌にできているのがはじめまして地球人さんだと思ってて、本音を言うとこの時期にコンパス楽曲提供を依頼されて欲しかった この欲求は無茶すぎるけど

でしゃピノもよかったピノキオピーが調整する声が好きだがね、可愛くて聞き取りやすくて

ちょっとマイリス見に行ってらリアルにぶっとばすが99作目だった、マジ!?100作目は祝いたい

散文すぎるが次100作目ってわかったらもう言いたいことなくなった、とにかく大好きだピノキオピー…アンタのポップな曲調、内面に迫ろうとしたり、どうでもいいことを急に言ったり、たまに説教臭いことも言う、距離が近いけど頼れる先生みたいな歌詞が好きだ。これから作曲していってくれ…頼む…生きて作曲してくれてありがとう

なんか感傷的だな 日記じゃなくて雑記だし

あいいか。終わり

2021-03-14

ディズニーランドに行ってきた話

チケットは売り切れ、ホテルも満室なんだけど、SNS検索しても驚くほど投稿が少ない。みんな批判を恐れて公にしないんだなって理解したので、記録に残しておきたい。

チケット限定数を1週間毎に発売しているけど売り切れが基本。公式ホテルを予約すれば宿泊の翌日だけチケット購入の権利を売られる。価格は通常。施設は、アトラクションはわりあい営業してて、レストランとお店は半分以上閉めている印象。特に小さいお店は閉まっている。レストランメニューも半分くらいに感じる。どこに行ってもハンバーグシチューみたいな煮込み料理ランチタイムピンポイント営業も多く、夕食営業する店も18時ラストオーダー。予約無しで夕食食べられるお店は2件のみ。下げものをしてくれるスタッフさんがシュッとした男女で共に黒スーツ違和感すごかったから、パレード演者さんが配置換えで入っているか制服ではないのかなと邪推

パレードはなんか小規模なのをやっていた気配がする。というくらい、気配なし。待機も沿道1列くらいだと思う。花火なし。消毒液がそこら中にあり、少しでもマスクがずれて鼻が出てると注意される。食事の席にアクリル板はないけど、ウエスタンリバー鉄道などの座席にはしっかりしたアクリル板がまるで最初からそうだったかのように用意されてた。

園内はガラ空き。開演閉園のタイミングだけゲート付近が混んでいるけど、それ以降は他人が2mの距離に来て逃げられない!というシチュエーションはなかった。列もみんな空間あけて並んでいるし。モノレール降りて、荷物と検温チェックがあって、それから入場ゲートに並べる。客層は大半が若い学生グループカップル幼児連れの家族か親戚。高齢者皆無。平日だから小学生以上もいなかったな。修学旅行らしき学生グループは少々。外国のお客さま無し。あまり空間が余っているから、そこらへんの床でカモや鳩が丸まって寝ていた。ヒヨドリにはポップコーンカップの中から強奪された。鳥は飢えている。

アトラクションは全てにおいて待ち時間なし。キャラクターに会えるやつだけ40分まちとか。あまりに客がいないらしく、ホーンテッドマンション美女と野獣の前などで客引きをしていた。待ち時間案内とかじゃなく、乗りませんか〜お待ちしてます〜という客引き。そんなの初めて見た。アトラクションに乗っても、10人定員の乗り物に1組だけの案内が普通ベース。空のスプラッシュマウンテンが落ちてくるのを何度も見た。だから客も誰も焦ってない。次はあっち並ばなきゃ!みたいな小走り皆無。あまりの列のなさに、行列の退屈を紛らわす各所の仕掛けが全然見れずに通過しなきゃいけないのが寂しかった。気のせいか、客が静かすぎるのかアトラクションの音量レベルもうるさく感じた。耳をふさいで乗車すること多かった。

キャラクターは以前のように散歩してないけど、リロウッディージェシー、3匹の子豚、ピノキオあたりを見かけた。地面にラインが引かれていて、それより内側には近づけない仕組み。人気どころは混雑避けで出てこないんだろうな。

目についたのはとにかく撮影。どっち向いてもめちゃくちゃ写真撮ってる。武器みたいな重厚感のあるカメラを構えたディズニー撮影ヲタさんをはじめ、スマホを地面に置いての自撮り公式カメラマンにポーズ指導されながらの撮影ツアー、袴を着て非公式カメラマン連れて卒業写真撮ってる女性2名とか、もうここはテーマパークっていうよりフォトロケーション地なんだなっていう印象。ディズニー側もよく心得ていて、公式アプリ上の地図ポイントが表示され、実際に行くと公式カメラマンが撮影してくれて、その写真を後日スマホからデータ購入できる、というサービスが人気のようだった。無料プロ写真撮ってくれるわけで、人気になるよね。園内空いてるから引きの構図も取り放題だし、撮影場所の順番待ちもない。ただマスク絶対に外せないようなので、マスク記念写真なっちゃう。カメラマンも心得ていて、後ろ姿でサマになるポーズや構図を指導しているところ見かけた。後日SNS投稿するにも顔が出てないと都合いいしね。

私はディズニーランドに行くたびに、植栽の素晴らしさに驚くんだけど、今回も手を抜くことなく各所ゴージャスだった。ビオラをこれでもかと密に植こまれていて華やか。花ガラも摘まれてどこから見てもピッカピカ。レンガの隙間を引っ掻いて苔取りしてらして、普通なら一番にこういう地味な分野が予算削減の対象になるであろうに、維持した気概に感銘を受けた。アーモンドも椿もチューリップも絢爛だった。あと美女と野獣エリアに堂々とした針葉樹が植わっていて、よく舞浜気候で挑戦したな〜メンテナンス技術すごいんだなと惚れ惚れ。とにかくディズニーランドは植栽が最高に贅沢。フォトロールは植栽ばかり。

というわけで、しばらく行かないうちにディズニーランドは撮影場所になっていたっていう話。アトラクションフリーク撮影フリーク幼児連れには適した内容だった。

2021-03-10

コロナ〜っ!収束しないでくれ〜っ!

東京が憎いんですよ俺は

個々の東京人は憎くねえ 大学の先輩も親戚もいて、彼らはいい人たちだ

でも、それはそれとして、当たり前のように、注釈なしに東京地名バンバン出してくるインターネット雰囲気はすげえムカつくし、毎回かなり新鮮な怒りを覚える

この前腹立ったのはこの記事だ: https://dailyportalz.jp/kiji/imagawa-yaki-pretending-be-pancakes

今川焼きパンケーキ代わりにする?うーん、楽しそう!読もうっと!

丁寧に時間をかけて焼き上げた厚みのあるホットケーキ板橋区大山の「ピノキオ」など、昔ながらの喫茶店でも人気のメニューだ。

ああ?"板橋区"?都道府県名言わずに、いきなり"区"ですか?ってことは……東京だな?

東京のおいしいパンケーキ屋さんをご紹介!」みたいな記事でこの感じなら全然文句もねえ

しかし、こういう、おもしろ記事みたいなテイで、サラッと、東京地名をなあ、なんの注釈もなしに、いきなり!ぶち込んでくるので!その度に!俺は!自衛もできず!!ムカつくんだよ!!!

この記事マジで東京圏を舞台にしてるってことを一切明かさずにいきなり"板橋区"だからタチが悪いよ

渋谷くらいならギリ許せんでもないが、板橋ってなんだよ んなローカル地名知るかよ 

"区"つったら東京しかない、って状況なんだったらまだわかるが、そんな事実はねえ

http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/cities/seirei.htm

これがいきなり「安芸区の〜」だったらどう思うかって話だ はあ?何?どこ?知らねえぞそんなとこ、テメーの世界が全てだと思うなよ、ローカルメディアならまだしも、そんな括りじゃねえだろ、このサイト! そう思うんですよ

いっそ「東京を中心とした情報をまとめる、関東人専用のおもしろサイトです。都道府県名に言及のない地名はすべて東京のものです。田舎者お断り!」くらい書いてるサイトなら文句はねえが、いちおう万人に開かれてるってえ体裁サイトでやることかい!これが!!

ヒートアップして本題を忘れてしまった

とにかく、コロナちゃんですよ

コロナちゃん、実店舗ぶっ殺し力が高くて、俺は本当に推しているんだ

東京のパワーの中核をなしていた、「いろんな店が密集している、いろんな場所に行ける、たくさん人がいる」を全部潰してくれるんじゃないかと思ってるんだ 全部は無理でも、多少は……

店舗に行くのはダサい時代ネット注文

・家を出るのはダサい時代ステイホーム

・人が集まるのはキモい時代は疎

そういうことなんだよな

東京のギチギチライブハウス映像とか、昔は「すげーなあ!」と思って見てたけど、今見ると「うわ……」って感じだもん 確実に潮目が変わっている

まだだ、まだだよコロナちゃん

もう少し粘って、この意識を定着させてほしい

店舗に行くのなんて無駄、全部オンラインOK!人と直接会う意味なんてねえ、zoomOK!そういう風潮を醸成してくれ!

東京を、ただ人がギチギチに鮨詰めになってるだけのキモくて臭い街にしてやってくれ

田舎を、開放的空間と安い地価享受しつつ、都市部と受けられるサービスはそう変わらない極楽に変えてくれ

俺の願いはそれだけだ

2020-07-17

私はDオタを名乗らない

はじめに:

これはあくま個人独り言、考えです。何かあってもマジにならないでください。

私はディズニーが好きだ。

映画好きだ、短編好きだ、ゲーム好きだ、パークが好きだ、音楽好きだ、キャラクター好きだ、歴史が好きだ。

好きが高じて知識もかなりある

(パークならば、ピノキオアトラクション日本世界最初にできているとか、TDR富士山の麓にできる可能性があったとか)

しかし、私はDオタを名乗ることは無いだろう。

その理由をここに書き残しておく。

ディズニーオタク=パークオタクイメージがあるからだ。

ディズニーは巨大なコミュニティのようなものだと思う。原作となる映像作品(映画短編ドラマなどTV作品)が中心にあり、そこからミュージカルゲームコンサート、パークなどが派生する。

から本来なら「Disney」と名がつくものはどれであれディズニーであり、それらを一部でも愛する者はディズニーオタク(以下Dオタ)と認定しても良いと私は思っている。

しか現実はそうではなく、Dオタと言えばパークを愛する者に限られているように感じる。

Dオタを名乗るには年間パスポート必須条件だったりするようだ。(内部に行けばさらに細分化されそうだ)

私は年間パスポートは持っていない。時間金銭面が不十分であるし、何より何度も行けるのが当たり前になってしまうと、ディズニーに来たという特別感が損なわれる気がしてしまうのだ。

ショーやイベントキャラクターグリーティングにそこまで大きな興味がわかないのもあるかもしれない。

よって私は年パスを持たない。

パスを持つDオタでも、原作映像作未履修でショーなどの展開から原作を知った気になっている人もいた(アニメ映画版「美女と野獣」のガストンの死因が間違っていた)。たまたま始まったショーを見ていたらうっかり前の人と少しぶつかってしまい、こちらが謝る前に大きく舌打ちをされた経験もある。関連ゲームファンを傍から見れば過剰と思えるほどに忌み嫌う人もいた(何がきっかけであれ、ディズニーの良さを知ってくれれば良しというのが私の考え。もちろん最低限のマナーを守るのは前提条件)。季節限定品の高額転売行為を働く者もいるだろう(メルカリなどを見るといないわけがない)。

彼らを見ると、正直同じに見られたくない。そんな気持ちもある。

そんなわけで私はディズニー知識豊富にあるオタクであると自負しているが、Dオタを名乗ることはないだろう。

ならば何を名乗るべきか?

ディズニー好き」だろう。

2020-07-13

[][]7月13日

https://4komagram.com/users/5792

・「転職」を投稿

雑記

道端の猫に触ろうとして逃げられた。今にしてグリーンマイル気持ちを知る。

「人生」投稿

雑記 

録画しておいた100分de名著ピノキオ回を視聴。

「ぼくは生まれつき働くのに向いていないんだ」というピノキオ台詞アムロの「僕には帰れる場所があるんだ」に匹敵する、言葉の響きに美しさを感じる。

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