はてなキーワード: インセンティブとは
うああああああ、SNSでマウント取りまくって自慢しまくりてええええええええええええぐがあああああああああああああ
もちろん資産、億超えるのを目指してはいたけれども。本当に超えるとはなぁ。
私はビットコインを続けるよー😆
上下激しいしから価格帯がいつまでも持たないことは痛いほど痛感してるでな。
40歳までに資産1億円作るって目標で生きてたんだけど、本当に実現出来てしまった。
これが富裕層の見る景色か。正直3000万超えたあたりからあんまり変わらんな。
人間関係のしがらみとかメンタル考えて仕事もやめられなかったしな。そうFIRE出来なかったんだ。
俺は仕事を辞めるとメンタルが崩壊する。仕事を通じてしか人間関係がないせいで、仕事をやめられないんだ。会社に掛け合って仕事のインセンティブ下げたりとかパート契約に直そうかしら?
というのもなんかもったいないよな。せっかく正社員としての恩恵受けてるしな。まぁ仕事はやめられないよな。
さて、1億超えたら今の5万円ワンルームから引っ越して10万円ワンルームでゆったり暮らそうと思ってたんだけどな。どうしようか。
この家、数ヶ月前に引っ越したばかりなんやが、あんまり頻繁に引っ越ししたらメンタルおかしくなりそうでやだな。
金がいくらあっても、不安や恐怖はついて回るよな。特にメンタルなんて脳の炎症の問題だし、薬物投与でもしないと助からんだろう。
そしてこのパラノイアじみた強迫観念こそが、1億円突破の執念をドライブしてただろうし、世の中何が何につながるのかよくわからんですね。
とにかく今日は、一つの達成感に浸って、バンホーテン(業務用400g)ココアをゆったり飲むか。
LLM用の数百万円するGPUくらいしか欲しいのないな。ドラム式洗濯機は部屋が狭すぎて電気屋さんが無理って言ってたから1.6万の中古縦型洗濯機をメルカリで買ったでな。
とにかく、なんか祝うか。でも今日は昼飯に唐揚げ弁当食べたせいでもうお腹いっぱいなんだよな。
こんな喜ばしい出来事があるってわかってたら、お昼ガッツリ食って血糖値スパイクで気絶昼寝してなかったのに。
というか昼寝して起きたら1億突破してたでな。
なんか歳を重ねて思うことは、人生真剣に生きるだけ損な気がする。でも真剣に全財産ビットコにぶち込むという狂気をしたのは過去の俺自身だったな。
人生を舐めてかかってるからこそやったのでは?みたいな気もしている。
なんというか、よくわからんですね。
実際の富裕層:🐔🍱🤪☕
3000万超えたあたりから見える景色がってことだけども要は俺はミニマルな生活をしてて生活費が相当圧縮されてるでな。
みんな大好きトリニティスタディによれば、資産4%取り崩しなら長期で持つわけで、つまり3000万もあれば月に10万ずつ取り崩すことが可能だでな。
月10万あれば俺は生きてゆける。ということだ。
とはちょっと前まで思ってたけど、今円安やろ。月10まんはさすがの俺でも難しいよな。まぁ実際資産1億超えてるし、俺の手取りよりもこの1億が生み出す資産の方が高いでな。
r>gですわ。
1億ためておいてなんだけどこんな資本主義がいつまでも続くとは思えんでな。
なんにせよ!うらやましいだろーーーーうぇええええええええええい🤟😎🎉
子供を産むか産まないかの自由があるのは良いことだと思っているんだけど、子供を産まない自由があるのがいいよねの人たちが出生率減って少なくなっていった結果、選挙で勝てなくなったり侵略されて軍の人数で負けたりして、最終的に子供を産まない自由が認められなくなる、みたいな力学が生まれるのか、生まれたとしてどうなるのか、その辺の研究とか本とか知ってる人は教えてほしい。
基本はやはり自由はあるがいろんな経済政策やインセンティブ設計で子供を産みたい人は産めるよね諦めなくて良いよねみたいな社会を形作る(そもそも本来、自由とはその手段が取れる状態を作ることとセットだから)ことでそもそも子供を産みたくない人たちを包摂してもなおその集団を維持できる方策を作るしかないということかなと思っていて、そのための手段や数字のラインの話なのかなとは思っている。難しそう!
子供を産みたくない人だけの国とかを作ると滅んで子供を産みたくない人だけの国が消滅する気がする、ずっと移民でなんとかする? そもそも国を必要とする発想にならないかもしれない。
一方で、子が減ったところでそもそも人類が滅んで良い派はこれは考えない気もするが、産みたい人も常にいるから滅んで良いくらいの考えだと滅ばない気もする。
自分が死んだ後の社会の存続について思いを馳せるのは子供が産まれると地続きになりやすいと思うけど、子供が産まれなくても考えられることだとは思うけど、もちろん考えない自由もあると思う。いろいろある。
・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカいキャラが苦手
ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941
ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5
先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有の文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。
件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。
(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質の人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質の人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)
本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。
「自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。
自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。
ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルのイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルのCVが決定しない」「担当アイドルのSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである。
※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。
そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。
といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である。結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクがいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。
念の為に予め言っておくがこれに揶揄の意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサーの自分としてはむしろコンテンツに真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校の文化祭だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。
正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタクの割合が高そうだという偏見が自分にはある。創作経験があるオタクの多寡。ミームや定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。
アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくまで自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)
何故かというと、それはアイドルマスターがリアルとフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。
例えばアイマスのライブには演者が自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元の人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタがキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分は解釈している。
それになんでも最初のアイマスであるゲームセンターのアーケード版の時点からフィクションがリアルに侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないかと不安になったアイドル達が実際にEメールを送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコの常套手段である「女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣な人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。
当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲームの動画を編集して制作した担当アイドルの自作MVを投稿したり、担当アイドルの二次創作小説・紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者とコメントで交流していていたニコマスという文化も、リアルとフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子の担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分は世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。
そしてそのリアルとフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマスの場合は商売っ気がやや強すぎる気もするが)。
代表的なものはやはり悪名高い「総選挙」システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルのCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。
そしてデレマスの総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実の人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルのプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実の選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手の担当アイドルに投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身のインフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然と自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである。自分もプロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由は理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象を俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象は現実にも存在し、例えば作品を宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)
シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステムを採用したイベントが存在する。とはいえミリマスの場合は提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディションと表現した方が近い。そして当然これも現実でCDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。
そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差が存在しないぶん比較的平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。
ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分の担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公で自分の担当アイドルがラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。
ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有の戦略として、特定の時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気を意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略が有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である。
(誤解の無いように書いておくと自分がアイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙系イベントはアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングなイベントもそう無い。自分がアイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである。商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)
今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイの範疇に収まる程度のものでしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側の人間でもないのに架空の版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。
これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営ももう時代にそぐわないと判断したのか今のアイマスは比較的カジュアルなスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから。
この記事で自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤーに責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルとフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマスの場合はシナリオ中の表現・描写・演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマを写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境音しか収録されていない事務所内の定点カメラの映像を六時間ぶっ続けでYoutubeで配信するなどがある。どれも意図は理解できるがどこか変態の所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。
ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端にしか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20240221/k00/00m/040/223000c
この件な。
男の平均年収が2000万で女の平均年収が500万の地域の男の方がいいだろ。
実際に300万の女も500万の女も結婚したがるのは2000万の男だろ。
300万の女であっても300万の男と結婚したがらないだろ。
さらには2000万の女よりも300万の女の方が2000万の男と結婚したがるだろ。
地方自治体で少子化問題に対応していくなら、男の年収だけを引き上げるのは正解なんだよ。
本来は正しくない男の年収だけを引き上げることが正しくなってしまうのは、女が上方婚を志向するという正しくない行動が原因なんだよ。
女が上方婚を志向せず、平等婚志向になれば、地方自治体にだって男女の年収を平等に引き上げるインセンティブが生まれるんだよ。
地方自治体に男の年収だけを引き上げるインセンティブを与えてるのは女だろ。
昔からみてきた、ゲームとかスーパーみたいな何らかのサービスに対して「こういうインセンティブや商品があるとみんな集まってくれると思いますよ」という投書や意見を出している人たちと、本質は一緒なんだよ
インベントリが管理しづらいとかログインボーナス実装早くしろとか、詫び石渋いとか
スーパーだと、レジの接客が悪いとか、サービスの氷がないからあっちのスーパー使いますとか
じゃあ彼らが提示したことを実行できるのかとそれで客が来るのか定着するのかってのはまた別問題だったりする
別にその人たちが100%間違ってはいないけど、意見を汲むのはないんだよね
顧客が率先して出す情報って単なる個人的なオキモチでしかなく、本当に欲しいものは別の部分から見えるからさ
ただ、そういう意見を出すこと自体は間違っていないし出してくれることは全然ありだと思う
むしろそういう人たちを泳がせておかないと駄目なんだよ
だからハテブでご意見言ってる子育てに積極的な顧客層は大事にしないといけない
ツッコミ役としてね
芦原先生の死去にはじまる様々な報道を目にして、昔の記憶が蘇った。
25年働いて10社くらいを経験したが、今思い返すと出版社で小説編集やってたときが一番「組織としてヤバい」と思った。色々な組織を見てきたから言うけど、出版社/編集部は抜群にヤバい。
小さな出版社/編集部にありがちなことや、そこから生まれる構造的な課題を説明する。
雑誌の編集は担当してないのでそこは語らない。スポンサー見つけたり、締め切りカツカツでたくさんの原稿を本をまとめなきゃいけない苦しみはわからない。
また、メディアミックスを担当したことがないので、そういった経験も語れない。
ほとんどの出版社において「新卒採用」は行っていない。音羽や一ツ橋、KADOKAWAあたりは大手も大手なのでまだまともな部類。「他にも新卒取ってるところもあるよ」って反論が出てくるのは目に見えてるが、そんな会社はまだまともなので安心してほしい。
つまり、「編集者のほとんどは中途採用」であり、中途とは自分から情報をキャッチアップすることが当然の現象となる。そのため、「若手に先輩が何かを教える」という風潮に乏しくなる傾向があると思う。
また、「新卒採用が存在しない」は同時に「同僚に『同期』がいない」ことも意味する。何社も渡り歩いて強く実感したが、同じ日に入社したってだけでも意外と同僚同士の絆は強まる。他の会社だと中途でも同期飲みとか不通にあるんだよ。新人が社内の人間と積極的に交流を持つ為の経路が「制度として」存在しないことは、新人メンバーの孤立を後押しこそすれ緩和はしないだろう。
更に輪をかけて大きな問題は、「お抱え作家がいない場合、編集者同士はライバル」ということだ。大手出版社であれば、「高橋留美子なり尾田栄一郎なりのビッグネームの担当が定期的に変わる」という現象は当たり前に聞くが、中小出版社/編集部においてはそうもいかない。「売れっ子作家の担当」というポジションは、中小出版社/編集部での社内政治においてものすごく重要であり、手放す意味も意義もない。また、そもそも人数が少ないので引き継ぐ相手がいない。
結果、「新人のために作家を引き継ぐ」という経路が細くなるわけである。基本的に他人から担当作家を引き継ぐ機会がないのだ。もちろん0ではないが、引き継ぐ前の編集者がよっぽどの超有能編集者でその人がキャパオーバーとかでないかぎり、既存メンバーが他人に引き継いでいいと思っている作家は大体「自分が手放しても惜しくない作家」である。
それはつまり、「新メンバーは自分で新しい担当作家を発掘する必要がある」ということになる。
まず、編集者同士での情報共有が阻害される。「いまこういう作家さんがすごく好きだから声かけしようと思うんだよねー」みたいな会話がなされづらい。しなくもないけど、虎の子だけはみんな腹の内に隠していることになるだろう。
一般企業と対比させるとわかりやすいかもしれない。通常であれば、取引先相手一覧はチーム内で共有されている筈だし、朝会等で業務の進捗状況を共有しあうだろう。しかし、編集においては「自分が誰と仕事をすすめているか」という情報がチーム内で共有されているかというとかなり怪しい。
結果、何が起きるかというと「編集者が作家・イラストレーター・デザイナーと連絡を取る際、その情報を編集部の誰にも共有しない」という現象が発生するわけだ。具体的には外部とのメールのやりとりをチーム内にCCで共有しない。そもそもCCで飛ばす文化がない。
そこから当然のごとく発生するのは「本を作る為の進行管理が編集者個人に完結する」という現象。原稿が遅延しててもその情報をチーム内に共有しないし、共有しても聞いてもらえない。
ここに多忙が乗っかればもうおしまいだ。高確率で「編集者は作家に嘘をつく」。自分だけでやりとりが完結している相手には、嘘がばれにくい。嘘がばれにくい相手がいれば、構造上嘘をつきやすいのは想像に難くないだろう。
また、共有を怠ったまま業務を進めたことで、「編集長チェックの段階でひっくり返る」という現象も発生する。これが作家の目には「直前までOKって言ってたのにいきなり前提が全部ひっくり返ってやりなおしになった」として目にうつるわけだ。
これらはあくまで「組織構造上、このようなことが起こりやすい」という話をしている。だから、似たような環境でも「それは違う、うちはこうしてる」ということはたくさんあると思う。
だが、ここで一番重要な点は、「不正を塞ぐ手段を組織として準備できていない」という事実である。嘘をついてもバレない環境において人間は嘘をつく。100人いれば1人は嘘をつくに決まっているのだ。
ここで「いやでも仕方ないよ」と思った人がいれば、あらためて考えてほしい。「仕方がない」なら「問題が起きても許容されるべき」とはならないだろう。組織構造上不正を生み出しやすいなら、不正が生まれないような組織構造に作り替えるべき……というのが、一般的な企業における「コンプライアンス」というものである。中小出版社/編集部は、そこがまったく整備されていないし、そこを整備するインセンティブは薄い。なぜなら「チームとして動く」という感覚が(少なくとも自分のいたところのような)雑誌などを作っておらず、メディアミックスを担当することもないような木っ端編集部では存在しないからである。
新卒採用を行っていないような「編集者を育てない出版社」では、中途採用において同期の絆を深めることは少なく、また担当作家も新しく捕まえなければならない。
ライバル同士である編集者間の情報共有は滞り、作家さんとのやりとりはチーム内の他の編集に伝わらない。
結果、記事制作時の過失や遅延を適切なタイミングで適切なメンバーに共有されない(少なくとも、制度設計上共有しないことが最小リスクとなってしまう現状が発生する)。
そういった環境にいるとどうなるか? 編集者は基本的に「嘘」をつくんだよ。編集と作家とのやりとりは二者間で完結してるし、その嘘を編集部の他メンバーが気づくことはない。だって情報共有してないんだもの。ばれない嘘はつき放題、だろ?
「お前のところだけだろ」と思ったあなた:正しいし、一部の出版社はその問題を解決するための方策をちゃんと考えている。たとえば、漫画だったら講談社、小説だったら電撃文庫辺りは1人の作家に2人の担当編集がいると聞く。少なくとも「1人の作家/作品の状況を複数人で管理する」という体制がついてるわけだ。こうすることで作家との揉め事を編集が一人で握りつぶせないということは構造上なくなる。そういう意味で、大きめな出版社/編集部はある程度とマシな気配はする。が、中小出版社で働いていた経験からすると、出版社/編集部の9割はこんな感じなんじゃないかなーと思っている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/times.abema.tv/articles/-/10090085
金持ちに課税しろって話題になると、なぜかみんな富裕層や経営者視点で成功者の超高額報酬は当然と言う。
これも同じじゃね?(少し違うか…)
特権階級が国の実権を握っているのに、それに対して庶民が所得上限を設けたら国が産業が発展しないとか言って。
あっそれは無理か。
ただ、共産主義は駄目だ。
革命うんぬんはさておき、
でも、これと所得上限の設定は両立するだろ。
いきなり1億円の所得上限でなくても、段階的に昭和の超絶所得税なみに1億円以上は75%みたいにすればいい。
お前らの大好きな累進課税だぞ。
そんでもって、社長の給料(株式込み)は平社員の平均年収の20倍までとかにする。
みんな大好きインセンティブ。
1970年代の所得税の最高税率は75%(所得区分8000万円超の部分)住民税を合わせた最高税率はなんと93%!
だったら、今さら所得上限を制限しようがしまいが人口増えないんだから成長しないっしょ。
だったら逃げたやつらは日本入国の際に高額な入国金をかせばいい。
抜け穴抜け穴言ってる奴は、抜け穴がふさがれば文句ないのか?
今後、国が紙幣じゃなく電子マネーを発行して、AIに監視させれば大半は解決するだろ。
なんなら、足並み合わせて資本主義国同士で一斉にやればいい。
無理だけど。
富裕層が可哀そう。
だったら、インセンティブとして名誉や公共機関の特別待遇、医療費無料、ディズニーアトラクションのフリーパスでもつけときゃいい。
とは言っても、年収1億円の富裕層(23,000人)から超絶累進課税で金を徴収しも多くて年間数兆円。
でも、少子化対策に数兆円を使えるのだとしたら…
報酬は働く人々にとって働くモチベーションを形成し、維持する重要な要素の一つであり、以下のようなポイントが考慮されるべきです:
これらの要素が整った報酬体系は、組織全体のモチベーションと生産性を向上させ、新しい知識やスキルの獲得に積極的に取り組む文化を築くのに貢献します。
以下は、モチベーション向上に関連するいくつかのポイントです:
これらの要素が揃うことで、従業員は新たな情報やスキルを獲得することへのモチベーションを高め、それが組織全体の生産性向上にもつながります。
https://anond.hatelabo.jp/20240126162507
どちらも欲しいよりの人間ではあるけど改めて子供持つハードルって高すぎない?
よく考えてほしい。女の小さい穴から子供1人出てくるんです。怖くないわけない、痛くないわけない。聞いただけで死がよぎる。
子供が欲しいって気持ちだけで乗り越えられるとは思えない。普通に欲しいけどただ単に怖い、痛そう、辛いのは怖い。出産で死ぬ母体もいる。やっぱり怖い。
障害持ちの子供は嫌だと言うとひどく聞こえるかもしれない。でもよく考えて欲しい。
自分が生きていくだけでも簡単じゃない世の中で、もう1人の人間の金銭身体の世話を死ぬまでする可能性があるなんてこわすぎる。恐ろしい。
子供は欲しい。楽な子供でも夜泣きの短時間睡眠にはじまり、反抗期、進学の金銭負担、病気罹患等悩みは尽きないだろう。でもそこまでなら自ら進んで困難に立ち向かう気持ちはある。耐えられるかは知らんけど。
それでもしんどそうなのに、それ以上しんどいかもしれないなんて考えたくない。可能性が1%でもある以上こわい。
これらの恐ろしさに立ち向かう気持ちでなお胸を張って「子供が欲しい」なんて言える人いるの?本気で、、、?
むしろどうして欲しいのかもう一度自分に問いたいレベル。でもなぜだろう。愛する夫との子供、何となく欲しい。
ああ。どうしよう、どうしよう...
皆さん子供を持つのにそんなに覚悟しました?各種リスクを考えても、それを乗り越えられると思って子供を持ちました?正気になったら子供なんて持てなくないですか?
子供産めば一生お金に困らないとか一生生活のサポーターさんがつくみたいに乗り越えられそうなインセンティブとかあればまた違うけど...
気持ちでは子供が欲しいのに理性がリスクを負うなと言っていてここずーーーっっと2人で悩んでいます。。
子持ちのひと、ほんとすげえよ...すげえ...
だって現状のイラストAIで出力されるイラストって形が整っているだけの二流の域を出ないじゃん。
逆にマジでAIだけで一流コンテンツをポンポン作れて絵師いらずになったら、オタクは手の平返しでAI賛美すると思うよ。
今は絵師の権利がどーとか言ってるけど、オタク市場なんてエシカル消費とは程遠く、面白いが正義! の世界だもん。
……こういう言い方すると、オタクって凄い身勝手に聞こえるし、まあ実際そうなんだろうけど、でも著作権の理念を考えたらこの考えはむしろ正しいんだよな。
なんで著作権が存在するかと言えば、後発が自由にパクりたい放題だったら、一次創作者のインセンティブが消えてモチベ的にも報酬的にも創作が難しくなり、文化そのものが崩壊するからだ。
ただ、逆に厳しくし過ぎると今度は後発が文化を発展させることができなくなり、これも良くない。
なので、著作権周りの法の理想は、一次創作者と後発権利を調整して、『より優れたコンテンツがより多く創作される』バランスを保つことにあると思う。
この理念に従えば、二流のイラストAIを生かすために優れた絵師からインセンティブを奪うことはうまくないし、逆にイラストAIが絵師を超えた時に絵師の保護のためにラッダイトするのも同様に間違っている。
消費者の立場にいるオタクはこのことが肌感覚で分かっているから、イラストAIに対する忌避感が強いんだよ。
逆にはてななんかで反AI規制を叫んでいる人を見ると、イラストAIがこの社会に生み出すもの・損なうものに対する意識が希薄で、ただ技術フリークの視点でAIに好き勝手やらせたいだけだろって人が多いように感じる。
今のイラストAIに関する議論を見ていると、絵師が学習されない権利を訴えたり、逆にAI推進派が人間とAIの学習は本質的に同じとか言ったりしてるけど、結局それって生成の過程の話で、文化発展のためにどういうルール作りをするのが良いかっていう結果を見据えた議論があまりにも乏しいんだよな。