はてなキーワード: アクティとは
最近公開されたアプリの「trickle(トリクル)」について
http://blog.h13i32maru.jp/entry/2018/11/12/092904
このアプリをやりはじめた。
私はTwitterに窮屈感というか「誰かに監視されているようで好きなこともつぶやけない」といった感情を抱いていた。
それでいて、自分の行動記録をプロフィール欄でみるのが大好きだったので、「これはちょうどいい!」と使い始めた。
最初の方は良かった。まさに気兼ねなくアクティビティを記録することが出来た。
それでいてオールアクティビティ(All Activity)で他の人の興味のあることも分かるためにいたので意外な発見もあって楽しかった。
All ActivityとはTwitterで言ったらアカウントを持っている人全員のつぶやきが時系列で流れているようなところだ。
(現在、All Activityにアクティビティを流すか流さないかは選択できる)
Twitterくらいユーザーがたくさんいると気にならないが現在7000人弱のtrickle内ではトリ廃と見られる数人のアカウントが常にAll Activityに居座り、リンク機能でだれかと会話したり絡んだり
絡んでくる、とは引用機能を使ってアドバイスをしてきたり、飴やいいね!のトピックを作ってそこにリンクしコメントすることで「自分は見てますよ」アピールをしてくるということ
その人に監視されているようだし、まるでその人達のためにアクティビティを書いているようでイヤになる。
「だったらAll Activityに流さなきゃいいじゃん」と思う人もいるだろう。
ところがどっこい、トピック自体をそのトリ廃達にサブスクライブ(フォロー)されてしまうとAll Activityに流れなくてもその人のタイムラインには流れてしまうのだ。
つまり、「トリクルをやると居座っているトリ廃に反応されてしまう」という状態。
正直、ほおっておいてほしい。trickleはTwitterではないのだ。
自分の行動を記録してくれ。
安住の地かと思ったtrickleがはやくも私にとって窮屈な場所になっている。
モヤっとしてるんだよ、って話でした。
私は違うと思った。
そんなことに仕事を分掌されるのではなく、授業準備により時間を使わせてくれと思った。
わかる。どこの仕事でも、集団でも会計は必ずあるしやらなければいけないのはわかる。
もちろん校務分掌やら部活やらでわかるのだが、これからの教員は「会計」というのはおかしいのではないか。
会計は嫌いではない。が、やはりそちらに重きが置かれるようであってほしくない。
これからは授業だろ!!!生徒の成長のためにもっとじっくり勤務時間内に研究、用意させてくれよ!!
教員の皆さんは、仮に勤務時間内で仕事を全て行うとした場合にどれほどの時間を授業準備に費やせているのだろう。
私の場合は平均2時間である。ある程度授業内容のパターンを決めればなんとかならないこともないが、
これで世間の皆さんは十分授業準備ができていると感じるだろうか。
2 授業の空き時間(50分授業×0~5コマ 授業時間は学校による)
3 放課後(15;30〜 16:30〜 といっただいたい30分〜1時間半)
4 勤務時間後(上限なし)
B 校務分掌(例えば学校行事運営、地域連携、キャリア支援、生徒指導といったグループの仕事)
C 宿題チェック(添削やコメントもつけるなら1クラス分10分ほどだろうか)
F 会議(校務分掌でのグループ会議、職員会議、学年会 30分〜1時間半ほど)
などである
正直、B〜G全部が重い。
CやDは生徒への成長のために繋がっているので率先してやるが、こういうチェック系の仕事は時間が地味にかかる。
私は英語科なので、英作文の添削をよく行っているが1クラス36〜38と考えると30分はかかる。
必要な打ち合わせとして議題に上がっているのなら理解できるが、大体が名目上やっているだけの報告。
そして一番腹立たしいのが定時を過ぎても当たり前のように続けることだ。16時すぎに始まって18:30頃終わったりする。
管理職が何事もないように、区切ることを一切せずに話を進める様は怒りで震えてくる。
職員たちの時間を当たり前のように搾取するな!!!会議で延びた時間のお金はでてないぞ!!!
私は最近試しに無理にでも17時に切り上げるようにしてみた。バスの都合もあり実際は15分くらい業務をしているが。
もっとやりたいんだけど、無理にでも切り上げよう。働いたら犯罪!という独自のルールを作って日々を送ってみた。
家で仕事を持って帰ることはしない。まぁ授業の構想は練ったりはするが、負担にならない程度である。
まして、うちの学校は英文にルビを振る必要がある生徒も在籍しているため、何かアクティビティやワークシートを作るとなれば、
必然的にルビつきようも作成しなければいけない。これもプラス10分以上は必要だ。
それなのにこれからは会計だなどとふざけた発言は聞き捨てならない。
これは私がすっかり優先順位がとんでいたところに落ち度があるのだが、
正直ここ数週間は仕事A〜G全てにいっぱいいっぱいだった。どこかで何時間か残業すればできたがそれをやる気はかった。
副校長に呼び出され、「金曜日ではなく明日の水曜日の午前中までに出せる?」ときかれた。
水曜日は6限中5限授業で 1限分の空き時間は授業準備にも使いたいなぁと考えて「微妙です」と答え
小会議室に連れてこられた。怒られた。繰り返しだが、私のスケジューリングが甘かったところもある。
「間に合わなかった場合どうするのか」と聞かれて、「間に合わなかったら間に合いません」という旨で返したのが副校長の怒りを買ったのだろう。
有無を言わせず残業させれらた。
おそらく、副校長も私と同じように上から怒られるのだろう。申し訳ない、、、が
間に合わないものは間に合わない。直径3センチの穴に一辺が5センチの正方形の筒を通せと言っているようなものだ。
「通せなかったらどうするの?」と言われているようなものだ。通せないものは通せない。
おそらく、多くの方は「なにをいまさら。もっと忙しいところはいくらでもある」と思うだろう。
それでも私はそれに流されたいと一切思わない。
近くのラーメン屋に飯を食いに行った。普段と味を変えてみた。悪くないけど何か違った。
「悩みにふりまわされて しんどいあなたへ」(https://bookmeter.com/books/12779104)を読んだ。
もうちょっと気力が出たらやろうかな。
有意義な本ではあると思う。買って損した気にはならなかった。
自信と自己肯定感が足りていない。
何をしたらそれらが身につくかというのも難しい。
職場で一定のプロセスを終えたときも上司から褒められてなお達成感などまるで感じられず、
ただただ自身にとっての次のプロセスが待ち構えているだけだった。
今思えば、何から何まで完全に俺が悪かったのだ。
ことの始まりは友人Aが彼氏にこっぴどく振られたので、傷心旅行に行きたいと友人Bと俺のライングループに誘いをかけてきた。
ここで軽く人物紹介をしておく。
友人A:女。いわゆるスイーツ思考の持ち主。人の悪口で連帯感を求めるタイプ。
性格が悪い。
なぜこの3人でつるんでいるのかと言うと、学生の時とある実習グループが一緒で、卒業した後も年に1〜2回集まって愚痴を聞いたりしながらちょこちょこ遊ぶ仲だったからだ。
本題に戻ろう。
Aが「とにかく旅行に行きたい!せっかくなら海外!」と言うので、海外旅行に行ったことが無かったBや俺もつい乗り気になってしまった。
あれよあれよと決めて行く内に南国の国に4泊6日で旅行に行くことになった。
この時点で冷静に考えてみれば防げた事態だったのかもしれない。
そもそもこの3人はAが基軸に動いているグループだ。Aが言い出しっぺとなり、Bが賛同し、俺が調整する。そんな仲だった。
気が合うというよりは、なんとなく付き合ってるに近い。
AやBは旅行のためガイドブックを買ったなどの報告はするもどこに行きたい、何をしたいなどの要望を言うことはなかった。
俺はきっちりではなくても、長い旅行なのだから大体のスケジュールを決めたかったので、旅行先のリサーチをしつつ色々な提案をした。
今思えば彼女らは南国で特にやりたいこともなかったのだろう。俺の意見はほとんど通り、予定は着実に決まっていた。
それに対して彼女らは考えることが面倒臭くなったのか「とにかく安いところがいい!」とそれだけを要求していた。
安いところがいい!と言う意見を尊重して値段が安いホテルを選択したのだが、ホテルに入るなりA、Bが開口一番「シャワーが無理!」と不満を漏らした。
確かに少々古びたシャワーだったが、事前にホテルの写真は送ってあったし、そこに納得したのは彼女らだ。
俺は何度も4泊もするのだからいいホテルの方が過ごしやすいのでは?と念を押した。
しかし「安い方がいいに決まってる!」と安いホテルを選択したのはAとBだ。
だがどうしても納得出来なかったらしい彼女らは「自分たちだけ別のホテルに泊まる!」と言い出した。
女々しい話だが俺は「一緒にホテル変わろう!」と言うならまだ話は別だ。
しかし彼女らは一緒に旅行に来ているはずの俺に「お前だけ一人で過ごせ!」といった趣旨の言葉をぶつけて来た。
ひどくショックだったが、旅行初日から喧嘩したくなかったので渋々と承諾してしまった。
楽しみにしていた海でAとBは「焼けたくない。水が冷たい。」と日陰で時間が来るまで過ごしていた。
海からの帰り際「早く帰りたかった。」というBの言葉にトゲを感じた。
というか、アクティビティをやりたくないと言った彼女らは残りの数日ほぼショッピングしかしていなかった。
一人で過ごす南国も気楽で楽しかったが、最初から一人で行くのと途中から一人にされるのでは意味合いが違ってくる。客観的に見ればひどく惨めな人間だなと笑ってしまった。
彼女らは俺に男として都合の良い頼りがいや決断力といったものを期待していたが、彼女らからすると俺は頼りがいの無い優柔不断な男に映ったのだろう。
不要と判断すればコミュニティからすぐさま削除し、いないものと扱うようになる。
写真の共有は初日だけで、残りの数日は彼女らだけで共有していたことを後から知った。
会話も最低限のみ。目を合わすことは無い。1日1回一緒に取る食事はなぜか全部不味く感じた。
気づけばAとBと離れる瞬間に安堵を感じるようになっていた。
辛い辛い旅行が終わった後、俺はすぐに彼女らのライングループを抜け、連絡先を削除した。
人との関係を断ち切ることなど、始めてのことだったが、少しは胸のすくような気持ちになった。
彼女らは俺がいかにダメか、どんなに最低なやつか周りの人間にあることないことを語るのだろう。今まで3人でそうやって話して来たように。
結論としては「旅行に行く人間は選べ」という非常にシンプルなものだ。
普段悪口しか言ってない人間は旅行に行っても悪口や文句しか言わないのだ。
今回の一件は本当に大事な教訓になった。
こうして増田で気持ちを整理して、俺は少しでも先に進みたいと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/ とそのブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/
これは日本のやり方が良いとか悪いとか、飯として豚骨が受け入れられるとか受け入れられないとか、ホテルの予約手法がいいとか悪いとかそういうことではないのだ。本当に身も蓋もないがそのとおりなのだ。
ここでは外国人=欧米の旅行者として話をする。同じ海外でも東アジアとか東南アジアとかそういったところは習慣が違うし、単なる観光旅行でアフリカとか南アメリカとかから日本に人が来ることも多くない。ちなみにこれから言う「旅行地としてのアジア」だけど自分の行ったところのある範囲に限るからそういう留保はしておいてほしい。
で、アジアに外国人が来る理由だが、特にあいつら食べ物を食べたいとか現地の人と触れ合いたいとかそういう目的でアジアに来てないのだ。いやもちろん現地のものだって食べるしエキゾチックな風俗嬢と遊びたい、って目的がないとも言えないのだがどちらも「体験してもいいかな」レベルの話なのだ。
だからホステルの食パンとジャムとシリアルとミルクとコーヒーしかない朝食に全く文句を言わない。要するにこれでコンチネンタルブレックファストとしては十分だからそれ以上求めてないのだ。海外旅行サイトで「〇〇でぜひやるべき100のこと」とかあるけれどあそこの食べ物を常食としたいのではなく「得難い体験イベントとしてちょっとやってみたい」だけなのだ。ちなみにアメリカンブレックファストが食いたいやつはホステルじゃなくて少しランクが上のホテルに行く。そっちなら卵の焼き方にこだわりの注文を付けられるコックがいるからだ。
台湾人はおそらく世界で一番外食としての朝食にこだわる人だと思うが、パンとコーヒーしかないホテルの朝食会場は欧米人で埋まっていた。もちろんこだわりの朝食を探しに出かけている人もいるだろうが(でなければ近所の豆乳屋の英語がスラスラ通じるはずがない)、コンチネンタルブレックファストが欧米人の旅行スタイルなのだからしょうがないのだ。
振り返ってみれば日本人だってそうだ。大した大きさでなくてもバスルームに湯船があればお湯を入れて浸かりたがる。シャワーで十分汗が流せるから良いじゃないかと言われても意識外のレベルで否定してしまうのだ。
アクティビティだってそうだ。みんなアジアに行ったら何をしたいか。寺を周るか、そこでしか食べられない美味いものを食べるか、絶景を見るか。欧米人がなんとか理解できるのは「絶景を見る」だけだ。寺も食いもんも「体験してもいいイベント」の1つでしかない。食べログが信用できないこれからはgoogle mapsだなんて話があるが非英語圏アジアの英語レビューにろくなものはない。なんで東南アジアでピザ頼んで不味いって言うんだ。なぜそこでイタリアンを食べたいと思ったんだ。理解不能だが仕方がないそういう習性の生き物なんだ。
話が逸れた。アクティビティだ。欧米人がしたいアクティビティったらトレッキングにサイクリングだ。奥地じゃチュービングにジップロープ、ちょっとイケるところならシュノーケリングにパラグライダー、どれもこれも欧米基準のアウトドアアクティビティだ。エクスペディアあたりのサイトはこういうアクティビティをやりたい人間が集まっているサイトだから、失われた王国が作った「新しい街」という名の古都とか、ベトナム戦争の滑走路が通常の道路として今でも使われる景勝地とか、4千の島が集まる滝の際とかどこもかしこも同じようなアクティビティで溢れていて、しかも外国人は楽しそうに遊んでいる。彼らにとって旅というのはそういうものだから仕方がないのだ。言い換えれば、旅行先というものがそもそもあいつらにとっては劣化ディズニーリゾートなのだ。バンコクの町中を走るトゥクトゥクはちょっとスリルを楽しめるカート、古いお寺は雰囲気を増すパビリオン。だから「予約の仕方が違う」とか「出てきた飯が自分の思ってたのと違う」で文句をいうんであって、それはもうそりゃすいませんでしたねと改善方法を考えるのもありなのだ。
ただ、ブコメで社長の目線が変だ、といわれているのもそのとおりで、どこもかしこもこういうやり方で集客しようとするのは「レッドオーシャン戦略」だということを我々は既に学んでいるはずなのだ。日本だって登りやすい山が多いところか、綺麗な水の海があるところか、新雪が山ほど降るところとか、数ヶ所で同じことをするならまだそういった他の目的地に飽きた人たちが来てくれるかもしれない。一斉にやる必要はない。先にやりだしたところが飽きられ始めた時に「隠された名所」として知られる手法だってある。ちなみに欧米人のアクティビティと違い、アジア人のアクティビティは自撮りだ。トレッキングスポットの整備よりインスタ映えする看板のほうが安く作れる。海外事例(この場合の海外は欧米ではなく東南アジアと台湾だ)を参考に作ってみたらいい。ついでに看板の端っこに南京錠かけるところ作っておけばカップルが南京錠買ってくれるよ。
日本では「Task List」や「Reminder」ほど定番化はしていないのだけれど、同種の行動管理ツールに「Habit Tracker」というものがある
Habit Trackerは毎日の行動を習慣付けることを目的として、一定期間の行動の完了・未完了をトラッキングして習慣付いているか?を視覚で確認することができる
Habit Trackerをデジタルデバイス上で再現したアプリは所謂フィットネス系アプリに多く、例えばApple Watchだと「アクティビティ」はHabit Trackerの一種だ
Habit Trackerをデジタルデバイス上で再現したアプリは、一定期間の行動の完了・未完了をトラッキングしてスコアとして表示してくれるものが多い
更にはHabit TrackerアプリにはReminder機能を内包しているものもおおく、所定の時間になると通知してくれたりもする
1日にこなす全習慣の全貌を把握しきれていない、習慣をどれだけこなせてるか判らない、物忘れが多いような人はHabit Trackerアプリを様々試してみては如何だろうか
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事あるごとにだんまりするパソコンを使い続けている人って本当にすごい。
USB接続はセキュリティ的にどうのこうのって言うけど、多少手間が掛かっても好きなの使わせてよ。買ってくれとはいわないから。
自分は最低でも3つは欲しい。こういう仕事してればウィンドウだらけになるじゃん。
机が広いってだけで効率と気分が良くなる気がする。というかディスプレイが置けない。
後ろを誰かが通るとき、逐一すみませんって通路を開けなくちゃいけないのつらい。
腰がつらい。
アクティベートしないまま使わせるのは百歩譲るとしても、ヤフオクとか怪しいところからマイクロソフトやアドビのライセンス仕入れて使わせるのってどうなんだ。
そういう思考回路の人間は、バレないからとか、まわりもやってるとかいう免罪符を盾に、法律や倫理も破っていいとか考えていそう。特に労働基準法的なやつ。
JetBrainsのIDEを使うのに骨折って交渉するところからはじめたくない。
めんどい。上掲した項目を実現するのに、対費用効果がどうのこうの・・・って。誰が得するんだよ。
ベンダーの資格とか高いけどさ、業務に関係するのなら、資格手当が出ないのなら、せめて合格したときは受験料払ってよ。
一般的な感覚で会社負担の費用を個人負担にさせるような会社は嫌い。好きになれない。
高い意識を持って働いてほしいだとか、会社を好きになってほしいとか、そういうこと全く思っていないのだろうか。
あるいはそれが労働者として当然のことで、自然にそうなるとでも思っているのだろうか。
少なくとも自分は苛立ってると普段より頭の回りがそれなりに悪くなる。
残業だってそう、連日遅くまで残って仕事して、それで効率よく質の良いものを作れるとは到底思えない。
240万にも満たない年収で雇ってるんだから、ちゃんとその程度のゴミを雇ってるって自覚持ってほしい。
お金を貰ってるんだからとか、社会人なんだからとか、そんなん言われただけでやる気になるわけねーだろ。むしろやる気なくなる。
この年収の自分が幾らか熱意を持って仕事したり勉強するのは、あくまで自分の個人的な興味や矜恃の問題だから。
というか発注する客側もそう。然るべき時間と費用があってこその質なのだから、短い時間と割安な費用で納品されるのはゴミだと自覚してほしい。
短い時間と割安な費用でも、企業として質の高い製品を納品するのが当然だと思っているのだろうか。まあゴミが納品されるんですけどね。
そういう会社は等しく今すぐ潰れろ
ほどほどが良い。Slackみたいなコミュニケーションツールがあって、気軽に話せるけど、物理的には近すぎないのがいい。
壁を自由に使えると手軽で良いな。
複雑なものをある側面から、誤解なく簡素に表せる、素晴らしい言語なのになぜ使わないのか。
draw.ioみたいな便利なのがあるのに、Excel方眼紙でアクティビティ図に似て非なる謎の図を書き続けるのはなぜなのか。
画面を動かしてみて、できました、このテストおわりです、それで済ませて質が高くなるわけないだろ。
そもそもjenkinsとかcircle ciとか誰も知らない。seleniumとか聞いたこともない。
前もって仕様が確定することなんてどうせないじゃん。いつまでたっても客側にいいように言われて、しっちゃかめっちゃかされるんでしょ。
なら保守されないExcel方眼紙を量産したって仕方がないじゃん。せめてじゃあその辺は最低限にして動くものを作ろうよ。
だからってアジャイルにしようとは絶対にならないだろうけど。。。そういう参加を客側と交渉すること自体ありえないって思ってそうだし。
でもさあ、とりあえず動くものを早い段階から見てもらうくらい良いじゃん。どうせこそこそやると後になって見たいって言われて叩かれるんだから。
話の論点がズレて、何を話したかったのか、何を聞きたかったのかわからなくなる。そして後から言った言わないになる。
あらかじめ資料を用意しとくなり、どこか広いところに書きながら話そうよ。で、できれば書いた人がデータとしてどこかに投げてほしい。そして消しておいてほしい。
訳のわからない造語を使い出したり、意味を分かってないのにその言葉を不用意に使うの止めてほしい。
きっとそういう人って、まずその言葉の意味を理解しようという意志が致命的に欠けているから、会話していて不毛感が凄い。
短い文章で齟齬なく十全な文章を書けることは確かに素晴らしいことだけど、だいたいそんなことは出来ない。
だから多少冗長であるように思えても、細かすぎるように思えても、長く書いてほしい。
つーか、毎度毎度短い謎の書き残しがあって、それの話を聞きに行くのつらいんだよ。わかってくれ。絶対わかってくれないけど。
読んで意味のわからないことって、読んだつもりにだけなってしまって、後で指摘されると読む側が一方的に悪いことにされたりするのつらい。
正直自分の気づかないところなら好きなだけ寝ていてもいいけど、まあ気づくし。
眠い頭でこういう仕事なんて効率よくできるわけないのに。つまり目障り。
強いて言うならグラフィックデザイナーだ。
世間一般にはデザイナーもアーティストも似たようなもんだと思われているかもしれない(私自身もまあ近い存在だとは思っている)が、私は自分の立場としてアーティストは名乗らない。
私は仕事で様々なものを作る傍ら、時々SNSに自主制作として作品を投稿したりしている。
この作品というのも普段の案件でデザインするものと同等の物を目指して作っている。つまりは、その作品が仕事の成果物としても通用するレベルの物だということだ。
あくまで自主制作なのでクライアントは自分(笑)だが私はネット上の不特定多数をクライアントとして見ることにしている。
ではそれらの人々が満足してくれるには何が必要だろうか。
私は、「理解し納得できること」だと思っている。
例えば「牛乳」をテーマにあるロゴマークを作ったとする。そのロゴには商品名に加え牛乳を感じさせる要素(牛、牧場、牛乳瓶、みずみずしさなど)を含めたい。
それらをすべて網羅してまぜこぜにして図案化すれば確かにいろんな要素を含んでいてリッチそうではある。この段階においては入れたい要素を盛り込んだただのアートである。
まず何を一番伝えたいのか。商品名か、おいしさか、それとも牛か?それを決定する。次に付随する要素を厳選し、先の要素を打ち消さないように追加する。
といった感じで取捨選択しながら図案に落とし込んでいく作業が必要だ。
これが難しい。要素を入れすぎれば複雑怪奇になるし、逆に減らしすぎれば伝えたい事が伝わらない。なおかつそれを一つの図案に集約し、見た目が破綻しないように形を整える必要がある。ただ形を整えるだけではダメで、インパクトを与えるためにある種特徴的な意匠が必要だし、何より不特定多数が見て説明を受けたときに理解できるものでなければならない。
こういった「人に理解してもらえる意匠を設計する」プロセスがデザインである(と私は考えている)。
まあ簡単に言えばデザインは制約付きのアートといったところだろうか。
ここまで作業の流れをざっと説明してきたが、私のデザイン自主制作はまだ終わりではない。
作品をネット上に投稿し反響を見る。(←これ大事、テストに出る)
おもにTwitter, Tumblr, Behanceなどに載せるが、いいねやRTやその他のアクティビティを数字として見る事ができる。時には見た人から感想(賛否両論)をもらえることもある。「数字なんて関係ない」と反論されるかもしれないが、数字は正直である。そもそも最終目的に「見た人の満足」を挙げているので私にとってここまで含めてデザインである。
私のやたら細かいデザイン観についてご理解いただけたところで先日起こったある事件のお話をしよう。
先日Twitterにてこんなメッセージをもらった。送り主をA氏とでも呼んでおこう。(ちなみにFF外から失礼された)
「あなたの作品をよく拝見しております。いろんな作品を作っていらっしゃいますが、結構〇〇(とある技法、素材やジャンルではない)を使ったものを投稿しておられますよね。△△△(私の作品名)や▲▲▲(私の作品名)は良かったのですが、最近のXX(私の作品名)はちょっと〇〇としては面白くないというか正直〇〇の作品には相応しくないのでこういった使い方は遠慮してほしい」といった次第である。
はぁ〜そうきたか
少し想定外であった。私は〇〇をデザインの一部(前述した特徴的な意匠の一つ)として利用していただけなのであるが、どうやらA氏は〇〇のそういった使い方が気に入らないようであった。A氏とは面識も交流もなかったので、いろいろ調べてみたのだが、どうやら〇〇界隈では有名というか第一人者で積極的に〇〇の研究や界隈のつながりに寄与されているらしい。
〇〇界隈について調べてみた。〇〇を使った作品を制作している方々が多数いたが皆一様にこの作品は〇〇です、と言っているのである。
〇〇と明記することで界隈のつながりは広がるかもしれないが、ただの技法に固執するのにはすこし疑問をいだいた。
(念のために書いておくが、〇〇は技法であって、素材やジャンルではない)
絵に置き換えてみればわかるが、要は遠近法使ったよ。遠近法すごいでしょ。俺らの遠近法を見てくれ。と言っているようなものである。ちょっと違和感を感じた。
試しに〇〇界隈の作品を眺めるとどうも洗練度がたりない。なぜだろうか。デザイナー目線になってしまうのだが手法に固執するあまり他の要素がなおざりになっているようである。
これは面白くない。〇〇は表現上の単なるテクニックに過ぎない。界隈の人には悪いが、手段を目的化してはいないだろうか。
大事なのは何を作るかである。アートだろうとデザインだろうと、どこに出しても通用する作品としてきちんと完結していることが大切だし、未熟だとしても目指すべきところである。別に最初のうちは技法にこだわっても良いかもしれない、そうしているに作品自体の質が大事だと気付けることだってある。しかしどうも〇〇界隈を注視して見た限りではそういう発展が見られない。むしろ私にメッセを送ってくるあたりからしてだんだん閉鎖的になっているのではないかと心配になってきた。
私は別に〇〇が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。だから積極的にデザインの中に取り込んだり応用して独自の表現方法を考えたりしている。
そしてそういった技法を適材適所に使ってもっと広めていきたいと思っている。そのためには前述したような「誰もが理解し納得できる」形のものをデザインする必要がある。
美を追求する点においてアーティストもデザイナーも違いはない。だがデザイナーには確実に人に理解させ納得してもらえるものを作るという使命がある。
ツイッターは愚痴を吐き出す場所として使おうと思っていたが、気付くと中途半端にフォロワーも増えて、大体はアクティビティ少な目なんだけど時折どーでもいい呟きが数百人の目に触れていて焦る事が増えた。
そしてしばしば「ネガティブな呟きを見せられるほうは迷惑」「ポジティブな呟きを心がけなければダメ」といった文意のツイートがRTで流れてくる。
では愚痴を控えて普通のつぶやきだけにしようとしてみると、なんとも自分の言葉が空々しく空しい呟きにしか思えない。
では他に良い場所はないものかとTumberだったかを使ってみたが、明るくも空虚な妙な雰囲気がどうにも肌に合わない。
ではでは匿名で日記が書けるアノニ増田イアリーをと思って登録してみたが、ココはココで妙な感じですね。まとめサイトのコメ欄のような馬事雑言で普通の増田日記が流れていく。
ネット黎明期だと個人HPなんてのが普通で誰もが気兼ねなく自分のHPで日記とか愚痴とか書いていて、その後にもっと簡単に日記が書けるブログというものが流行して、その後にはお膳立てが整ってるSNSというものが流行して、そのあたりまでは結構みんな好き勝手に好きな事を書けていたと思うんだよね。通りすがりの見知らぬ人に文句を言われる事も殆どなかったし。
気付けば主流のネットサービスは軒並み外国の会社の提供する日本語版だったりするし、規制や検閲も当たり前で、非難するほうが偉いという風潮さえあったりなかったりするので、棘のない言葉しかネットに書き込めないようになったような不自由さというか堅苦しさが付きまとう。
こういった事を書いていると「ネットをやめろ」と言われそうだが、実は半年ほど止めてみた。
止めてビックリしたのが、世の殆どの人がネット依存症状態だという事。スマホのおかげで猫も杓子もネットやってる。
なのでネットやめると連絡も取れず、共通言語も激減し、人との関わり合いが結構減ってしまう。スマホがないと何もできないという人も多いようだ。いまやネットが社会のコミュニティスペースと化しているのかもしれない。
しかしどうにも、僕がネットで自由に呟ける場所というものがみつからない。
でもそれが出来る場所って、案外と無いみたいだ。