はてなキーワード: その男とは
経済的にも精神的にも男に依存する事から抜け出そうとしてるなら偉いよ。
完全に自活しなくてもいいけど身動きできなくなるほど依存するのは男の奴隷だよ。いいように女を奴隷化したいバカ男のカモになるのだけは、同じ女としても本当に見てられないから。
結婚がどうのっていうのはどんな田舎に住んでるかわからないけど、そんなに外から圧力があるのね。
でもどっちかというと、そういう価値観に一番縛られてるのは増田自身だよ。
自分の人生なんだから、自分を大事にしてほしいよ。これ以上女を食い物にする価値観に、女まで迎合して染まらないでよ、同じ女としても迷惑。
その男と結婚しないで、別の道を模索してみればまた違った視野が開けるよ。
そっちの方に進むなら心から応援するよ。
初夏頃にあったお見合い話(既に終了)について。
紹介者は何年か前にオフ会で最初にお会いした方で、マイミクでtwitterで相互フォローと言いますかそういう関係の女性(既婚子有り)。これまでにお会いした延べ回数はたぶん5~6回ほど(いずれもオフ会で、サシは無し)で、特に親しい関係ではない。相手は紹介者の高校時代の同級生とのことで、年齢は34歳と或る意味切羽詰まってくる年齢。
見合い話があったら会う前から断ることはしない主義なので、最初に頂いた以上の詳しいプロフは聞かずにお会いしたい旨を伝えておく。
最初は紹介者の方も含めて三人でお会いします。三人でお茶などした後、紹介者は別れて二人で軽く食事をしてからこの場は別れます。
別れ際に仕事について尋ねるのですが、かなり意味不明というかはぐらかすような回答。
私としては断られても再度会うのでもどちらでも良い(少なくとも×ではない)という気分であったのですが、その後先方から再度会いたい旨の連絡があったので、その方向とします。
話題は趣味や、あとは、「専業主婦嫌い」ということも伝えます。
私は自分の趣味などについて好き勝手喋りますが、先方は自身のことをあまり話さない(話す内容も高校以前や幼い頃のことなど古いことが多い)という印象。
先方は「好奇心としては」こちらに興味をお持ちのようでしたが、オタク的な傾向は絶無で、合わないと判断。
私としては二度目でかなりどうでもいい気分になっていたのですが、先方から再度連絡があったので最後にするつもりで三度目。
−−−−
先方:こんなに話しやすい人は初めて。以前お断りした方は、人柄は良かったけど感覚が合わなかった(以下、その男性をdisる)
先方:子供が出来なくても不妊治療は経済的にも肉体的にも大変なのでしたくない。その場合養子をとることも考える。
自分:自分としては「子供を育てたい」と考えており、自分の遺伝子に強くは拘らない。その考えを否定はしない。
−−−−
三度目にお会いする前から自分的にはこれが最後のつもりであったのでその場では言いませんでしたが、過去の男性をdisったのは相当印象悪いです。子供そして不妊治療云々は勿論夫婦にとって非常に重要な問題であるということはよくわかるのですが、そういうデリケートな話題を高々三度目のお見合いデートで持ち出す話か?と思います。男性の立場としては「この人は自分(達)の子供を産むつもりが無いのかな」と解釈できる。
毎回別れ際は駅のホームまで見送るなど当方としてはマナーは尽くしますが、感触良くないですし既に断るか断られるかという状態です。
で、別れてから丁度一週間後(時間までほぼ一致)に電話があり「婚活として続けるのは難しい」とのご連絡。
紹介者へは簡単に報告のメールを出しておきました。
あらゆるコトについて守りが堅いと言うか慎重過ぎると言うか悪い意味で真面目過ぎると言うか、とりあえず、これまでに会ったことの無い、自分の周囲にいないタイプの女性でした。
国立大大学院卒と結構な高学歴の割には職業職歴が不詳(あまり深く突っ込まなかったのですが、紹介者からの事前情報ではバイトとかをしていたとのこと)で、所謂キャリアウーマン系ではない。
細かいことを言えば服装については初回はロングスカート、それ以降は(働きに行くような)パンツスーツスタイルで、男としてはこの人お見合いに本気なのかな?と感じてしまいます。男性を釣るつもりであればもう少し女性として魅力的な服装の方が良いと思いますが。
他にも色々と違和感感じるようなコトがあった訳で、正直なところ「真面目だけど、結婚相手としてはあり得ない」というのが印象です。
ついでに言わせて貰えば、自分としては結婚相手にある程度の経済的な安定と、便利な住処ぐらいは提供できますが、彼女が妻として夫に何を提供できるのか?と考えると「何も無い」という感じがします。
って感じで、いい年したおじさんが金田一蓮十郎のライアーライアー読んでハマって一人で身もだえしています。
金田一蓮十郎はジャングルはいつもハレのちグゥで見出された天性のギャグセンスの持ち主。
少年漫画のギャグセンスがほどよく少女マンガライズされてラブってコメったらもう最強です!
あらすじは、
お団子すっぴんデフォの姉がちょっとしたきっかけでゆるふわモテカワガールで歩いてるとナンパされちゃってそれが実は弟で!? 言い出せないまま禁断の恋をすることに!?
ってな話です。
いやぜってーねーよ普通肉親なら気づくよっていう野暮なツッコミは無しでねてへぺろ!
ありがちっちゃあありがちな設定かもしれないんですけど、金田一蓮十郎のラブコメセンスでそこいらの似たような設定のマンガとは違って読んでてすごく男も楽しめるんですよね。
まあ個人的に好きなのは主人公の姉じゃなくて同じ大学のサークル部員でショートヘアで食べること大好きな方の女の子なんですけど。
とりあえず絵柄がかわいい。
エロとかなくていい。
ほへら~って崩れたギャグ絵がかわいすぎてもうひとりで悶絶してます。
あと
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みたいな口の描き方とかあわわわわってなってるときの口の描き方とかすごくかわいい。
ニコイチ(同じ作者のマンガ。完結済)でもそうだったけどぽへ~っとしたデフォルメ絵がかわいすぎて見てるこっちもすごい和むんです。
絵柄もキラキラしすぎてなくてすっきりしてて読みやすいですし。
絵柄だけじゃなくてお話もキャラクターも男が読むに堪えうる感じです。
姉がどんどん泥沼にはまっていってるんですが、それでも変な嫌らしさとかドロドロとか逆に女の妄想ばっかってことがなくて、読んでて胸糞悪くなることがほとんどないんですよね。
例えば、姉にフられた男が姉に対して「友達だろ? なんでも相談しろよ」って言うのに対して、当のフッた姉は「聖人君子かよ!いい人すぎる!!!」ってバカみたいに感動してるっていうシーンがありました。
ここ、男の読者からしたら、それただええカッコしいなだけなのに何張本人が調子ぶっこいて感動しちゃってんの?とイラっとするんですが、その後でちゃんと本編でその男の苦悩描写があって溜飲がある程度下がります。
ここだけ書いてもわかんないですね(汗
とりあえずそんな感じで、男が普通の少女マンガ読んだときに感じるような、全然納得いかない、できない、もやもやするってことが読んでて少なく感じます。
とにかく少女マンガが面白いのは知ってるけど、いかにもバリバリでコテコテキラキラなのはさすがにちょっと…という男性にもオススメです★
同じような関係を続けた結果、華麗に他人に先を越された増田が通りますよ。
先を越されたのは、よりによって共通の男友達。
単に男友達というよりは、私増田とその子と男友達の3人で遊びに行くこともある
くらいの親しい仲だったので、思えばその頃から勝負は決していたのかもしれません。
彼女からは「ありがとう」の後に「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
とかむにゃむにゃ聞こえた気がするけど、向こうもはっきり言わなかったので
聞かなかったことにしました。
人生初の告白で不慣れとはいえ、そこで問いつめるほど野暮じゃございません。
こんなみっともない告白でも、今ではして良かったと思ってます。
結果的には拒否であっても照れたような笑顔(ただし困惑気味)が見れたので
なんだか清々しい気分です。
とだけ伝えさせていただきたく、老婆心ながら筆をとらせていただきました。
ご自分で決心できるタイミングを見つけられることを願っております。
「彼女いない歴=年齢」の先輩より。
『××署が男性誤認逮捕 目撃情報だけで痴漢の現行犯』
の記事を見て、思い出した事がありました。
文章が長いし、文章が下手で読みにくいです。すみません。
あと痴漢?に合ったその時の状況とかを書いているので、読みたくない人は読まないで下さい。
まだ私が小学生の時、学校からの帰宅途中時に、多分20代~30代男性一人に後を付けられた事がありました。
私と友達で道を歩いて帰っている時に、その人が後ろから私たちを追い越していったはずなのに、
友達と別れて、自分が住んでいたマンションの階段を登っている時に後ろからその人も登ってきました。
「あれ?」って思って、すごく急いだんだけど、踊り場で持っていた傘を手から落としてしまって、拾っていたら、その人が私を追い越して階段を登って行きました。
追い越したから、後を付けられてのは私の勘違いか~ってホッとした覚えがあります。
傘を拾って、階段を昇ろうとして階段を見上げたら、さっき追い越していった人が階段に座っていていました。すごく怖くなって泣きそうになりました。
私は半泣きしながら、座っていた男性を追い越そうとしたけど、階段の幅は狭いので追い越すことは無理な話で、気が付いたら私は階段に座っていて、その人は階段に立っていてお互い向かい合う形になっていました。
スカートをめくられて、その後にその人は自分のズボンの股のファスナーを下げて、トランクスも見えていたような気がします。
その隙に階段を降りてその階の家のピンポンを何回も押したんですが、住人はいなかったようで誰も出てきませんでした。
そしたらその男性は驚いたのか、一言、二言何か言って階段を降りていって、いなくなりました。
私は逃げれたし、相手も逃げたので結果的には直接は性的被害には合いませんでした。
こういう場合はどういう罪になるんだろう?痴漢…ではないですよね。
私は泣きながら階段を登って自分の家に帰り着いて、私が泣いている事に驚いたお母さんに、泣きながらさっきあった事を説明したら、お母さんもパニクって「その人がまだ外にいるかもしれないから見てくる、家から出ないでね」、みたいな事を言って、私をおばあちゃんに託して、ドアを閉めて急いで出て行きました。
お母さんが外に出た時には周りに誰もいなかったようで、家に帰ってきました。あの時から何分もたっていましたしね。それからお母さんが警察に連絡して、警官が家に来ました。
でもお母さんが外に出た時に、道に男性がいたら?そして私もよく分からないまま、もしくは勘違いで「この人」とでも言ってたら?
多分その人は捕まっていたかもしれません。
犯人だったら良いけど、違う人の可能性もかなり高いですよね。
そして最近起こった誤認逮捕。
あの親子に対して、糞、実名を出せ、実刑にしろ、刑罰だ、ペナルティがないのはおかしい!というコメントを見て、
あの親子は、私と私のお母さんだったかも、私とお母さんもものすごく叩かれていたかも、と思いました。
あと帰宅後に犯人探しとか異常、とかもあって、私のお母さんも犯人探しをしたので悲しくなりました。
女からフィメールチョイスの欲望だけを取り除けば素晴らしい人格者ができあがるのにな。ほんと残念だよな。
より良いオスに乗り移るという本能がどれだけ洒落にならない重罪かということだよな。
yahoo知恵袋の恋愛相談とかも「彼氏がこんなひどい」という愚痴が多いが、翻訳すれば「私に利益を与えてくれるオスではない」というだけの話で、だからそのオスを見限るということはもう普通に邪悪な心なんだと、誰かが義務教育でしっかり言ってやらなきゃだめなんだよと思う。
利益を与えてくれないどころか、損害を与えるレベルであってもその男を悪く思ってはならない。何をしてもらうかではなく何をするかだ。見返りなく。もちろんこれは男女逆でも同じ。人と人とが関わるというのは損得ではない。
同性同士の友人関係でも、基本はそう。
しかし、「得をしない」というところはまあ何とかクリアーできても、「損害を与えるのに何で関係を継続しなきゃいけないのか、相手を悪く思ってはいけないのか」と思うかも知れないが、「損」得で思考しないというのはそういうことなんだ。
通知ランプがぴかぴかとひかっていた。私は幾人かの顔を思い出しながら、うっすらとした期待とあとは面倒くささを胸にスマートフォンを手に取り、その通知がなにかを確かめた。母からだった。昔からかわらない狂気がごってりと乗った文面はひさしぶりのそれで、私はなんとなくちょっと笑った。
そんな将来のない男と母は言った。別れろとも言った。姉の恋人は絵描きだった。国内のいくつかの、若手にとっては将来が見込めるコンクールで賞を取り、その賞金のひとつは海外での制作の場を与えられるというものだった。おとなしい人で、声が小さくて、貧弱な体をして、ハゲで、食べるのが遅く、マイペースで、でも見ず知らずの恋人のきょうだいの引越しを手伝ってくれるいいひとだ。母に似てエキセントリックな姉の話を辛抱強く聞き、無愛想なその妹が昔美術をやっていたということをいつも覚えていて、展示会のはがきをくれる、良い人だ。
しかし母はそんな彼が気に入らなかった。その彼の母親が気に入らなかった。片親であることが、資産家であることが、その母親が教師であることが気に入らなかった。それで、別れろといった。
姉は別れなかった。母に一生恨んでやると言って、結婚した。
母は何かを恐れたようだ。いつか復讐されると怯えるようになった。私は昔あの子を叩いたから。馬鹿だといったから。頭をかち割ってやりたいと思ったから。だから憎まれている。あの子は頭がおかしかった。だから叩いた。でもそれが伝わらなかった。それで憎まれている。私は悪くない。でもあの子は私を憎んでいる、おかしい子だから、いつか私を苦しめに来るかもしれない。
恐怖のためか、母は眠れなくなり、心療内科にかかった。医者はうつ病だといって薬を出したが、その薬はうつ病の薬ではなかった。母は気づかずに飲んだ。薬漬けにされる、あの医者は藪だと言いながら飲んだ。少し眠れるようになった途端弾薬をしようとしてまた恐怖に心をつかまれ、慌てて薬を飲む。あの医者に騙されている、殺される、といいながら、しかし飲んでいた。
そして、母は変わった。少なくとも変わったように見えた。突如激昂することがへり、よくわからない理論を並べ立てて人を詰問することがなくなった。言葉尻を取り上げながらじりじりと論点をすりかえ、人を追い込むようなことがなくなった。そんなふうに見えた。穏やかになり、普通の人になったかと思えた。
しかし、また薬はなくなってしまった。ゆっくりと医者の指導のもと断薬をしたせいだ。そのうえ、妹が結婚をしてしまった。母は反対をしなかった。妹の恋人は有名私大の学生だった。哲学科の博士課程に在籍していた。外見は爽やかで、はきはきとしゃべり、話もなんとなくうまいようだった。だが学業が忙しいとアルバイトをせず、一般職の妹とほとんど同棲するような生活をしていた。そのうえ、巧妙に人の対立をあおる人間だった。それは昔の母とおなじだった。にこやかに近づいてきて、しかし笑顔の中に卑屈さをにじませ、かならず誰かが悪いという。時代が悪い、老害が悪い、あいつが馬鹿なのが悪い、あいつはいつも上から目線で腹が立つ。私は彼のことが嫌いだった。しかし母は、姉の時のようには反対しなかった。しかも妹は姉のことがあったせいか母になにか暴言を吐いたようだ。母は私にそれを言わなかった。
妹に対する愚痴が増えていた。私はそれを聞き流し忘れようと努めていた。もう少しひどくなったらまた病院をすすめようと、そうぼんやりと思っていた。
妹はリストラされたようだ。会社名を言わないと母は言う。私は多分、きっと正社員ではないからだろうと想像する。妹の夫なら派遣社員のことはばかにするだろう。一流企業でなければ人ではないということくらい言うだろう。母もそういう人間だ。だから妹はそれを言わない。
あの子なんてもう家族じゃないと母は言った。だってケータイの家族割からお母さんのこと外したのよ、あの子。勝手にやればいいわ。もう家に入れてやらないから。あの子は昔から馬鹿だった。あの男に騙されてるんだ。薬を飲まなくなった母はまたそんなことを言う。言ってから、自分の言葉に恐れる。あの子のこと、いつも馬鹿だといって殴った。たくさん殴った。馬鹿だから殴らなきゃわからないけど、あの子はそれを恨んでるのかもしれない。自分のことを馬鹿だともわかってないから。あの男にあることないこと吹き込んで私にしかえしにくるかもしれない。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
その昔、母は私を殺そうとした。死ねといった。不潔だといった。姉よりも妹よりも先に恋人ができた私はていのよいサンドバッグで、その男は騙そうとしている。どうやって媚びたんだと罵った。姉も妹も私のことを気持ちが悪いといった。その気持ちが悪い私は二人を養うのが当然だとよく金をせびった。私のものを使い、壊した。母はそんな二人のことをたださなかった。あの子は馬鹿だからいいのよ、とさえいっていた。あの子はバカで嘘つきで、しかも男に媚びて、だからなにをやってもいいの。しかし母はどこかでその記憶を姉と妹に言ったとねじまげてしまった。殴られたのは私だった。馬鹿だと言われたのは私だった。不潔だと言われたのは、デブだと言われたのは、不細工だと言われたのは私だった。あんたに出す金はないと言われたのは私だった。死ねと言われたのは私だった。しかし母は忘れてしまった。そして私に言う。
あなたのことはずっと頼りになると思ってきた。一人で何でもできるし、言わなくたってちゃんとしてる。早くまともな人と結婚して子どもを作りなさい。その論理の飛躍を母は自分で自覚できない。それに比べてあの二人は、と母は憤然として言うだけだ。だから子どもができないんだ。だからあんな男に騙されるんだ。あなたはちゃんとした人と結婚してね。
私は母の言葉に逆らわない。うん、うんと聞いてそうだねという。あの二人は馬鹿だから気をつけないとね。馬鹿だから金の無心に来るかもね。バカだから、子どもができたら世話を押し付けてくるかもね。馬鹿だから、頭がおかしくなって仕返しをしに来るかもね。
そのまま死んでくれと思う。なにもかも恐れたまま死んでくれと思う。
今回はFBで支援ページみたいのが出来たり、明らかに世間に知れ渡ってたからじゃない?
ただ、禁止されている場で飲酒してたのは明らかな法律違反だから罪を問われる事は何も問題ない(知らなかった、では済まない)
同僚に部屋まで連れてって、って言った、というが、そこまで酔っ払って男に連れてって、と言ってる時点で
実際誘ったのかもしれないし、
単に、後でその男の事が気に食わなくなって訴えてやった、とかだけな気がする。
むしろ、男側が無理やり押し倒された可能性すらあるわけで。
現地での罪は問われなかったけど、単なる不倫で、この男の妻から慰謝料をふんだくられればいいのにね。
そうならないために、強姦を装ってるのかもしれないけど。
若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミの渡邊美樹候補を自民党が擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業」であるかどうかは問いません)。
「ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法の抜け道をつかい、若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。
「ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力が必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要なコストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコストは人件費、つまり労働者の賃金です。
そんなひどい低賃金で長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないか、もっといい会社に転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。
しかし、現代の就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境の職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者を恫喝します。だから、労働者は労働環境を改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまいます。
つまり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者は自分の自由を犠牲にしてでも、ブラックな労働環境で働きつづけることを余儀なくされます。
さて、一部から「ブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354
この演説のなかで彼はこう言っています。
「日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もあります。しかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」
国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。
ワタミの渡邊美樹候補は、会社の経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。
「社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要な費用です。すこし前に、生活保護の不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護の不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年のデータ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護を必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護が必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。
このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。
だから、ワタミの渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります。
国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者を使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策(アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党の精神と同じであるように私には思えます。
いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業が労働者を解雇しやすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張しています。しかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。
そのほかにも、自民党は憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本が軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています。
しかし、それでもなお、自民党の経済政策に期待する声があります。
そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?
―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから、自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分の利益にもつながるのだ」、と。
しかし、この考えは、「うちの会社はブラックだけど、自分がサビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。
「ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラックな労働環境をネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済・福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。
「社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。
無理やりの原発再稼働、ブラック企業の正当化、国防軍が必要だという声。これらに共通するのは、恫喝でものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済がダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。
このように、危機に乗じて威圧的な論理をつかい、政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。
もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。
こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまいます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境が正当化されるでしょうか。たとえ経済がダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。
その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。
少しうがった見方をすると、ワタミの渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。
つまり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミの渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。
要するに、「ブラック企業」といわれるワタミの情報をインターネット等から得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。
この参議院選挙のあと、自民党は憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。
その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党の改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されています。しかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまいます。政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。
もちろん、批判する必要のないほど完璧な政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧な政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。
それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?
ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われます。ふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びます。しかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。
経済政策を武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。
実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113
世界の歴史の至るところで、私たちは私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまいます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史が証明しています。
すでに長くなってしまいました。
ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。
ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLをSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります。中国や韓国、北朝鮮といった東アジアの外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます。
しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います。
なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。
この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。
http://anond.hatelabo.jp/20130705113110
若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTVや週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実の情報」として受け取っています。しかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。
多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓や民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たちに提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。
しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?
少し、個人的な話をさせてください。
私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います。
2chを最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています。
作家・筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります。
しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。
文学的価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教を冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会において消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモアを指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間が人間の 倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄へサイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。
(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)
初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思います。しかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別やブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています。
こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?
最後に、映画監督の想田和弘さんと、哲学者の木田元さんが今回の参院選について語った言葉を引用しておきます。
「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPPを公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議を検討したり生活保護切り崩したりワタミの会長公認したりとあまりに最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」
「時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正が必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易に同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前、日本の孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民は拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」
十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。
九歳で、夏だった。幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
引越そうと思う。
八月のある日、男が一人、行方不明になった。 県営プールの水泳競技場。 兵学校出身者や予備学生から成る飛行学生や、飛行予科練習生(予科練)は、茨城県の土浦や霞ヶ浦での練習機による教育を終えると、戦闘機や陸上機要員を除く多くがここに来て、急降下爆撃を行なう艦上爆撃機(略して「艦爆」)や、同じく水平爆撃や雷撃を行なう攻撃機(略して「艦攻」)などに乗り組んでの訓練を短かい期間に集中的に受ける。
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
飛行機の音ではなかった。 街を眺めながら鈴木は、昆虫のことを考えた。
「ばあちゃん、もう春は来とるんかな」
今は夏。
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これは私の知る限り、最も不思議な事件だ。
つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。 メロスは激怒した。 花の木公園にはうさぎが棲んでいる。 ふと気づいたときには部屋は赤に染まっていた。 目を覚まして最初に目にはいったのは、やけに高く見える天井だった。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。 パン屋襲撃の話を妻に聞かせたことが正しい選択であったのかどうか、僕にはいまもって確信が持てない。
北京の空は紺青に澄みわたり、秋の陽が眩く地面を照らしつけている。 風は全くない。
百人一首を全部暗記している、と得意そうに宣言した少女に対し、周囲の生徒がすげ-、うそ-っ、と驚嘆の声を上げるのを、光紀はきょとんとした顔で不思議そうに見回していた。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
放課後の校舎は、静かでなにかしらさむざむしい。 音楽室でラヴェルの『亡き女王のためのパヴァーヌ』を弾いていると、ドアが乱暴に開いて、背の高い男子生徒が入ってきた。
「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」とカラスと呼ばれる少年は言う。
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ある日の暮方の事である。 薄曇りの空には、数多くの鳶やカラスが、乱舞していた。
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。 この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
越後の国に枝折峠という難所がある。 越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。 美国が暮れに松籟館に残る決心をしたのは、別に大層な理由があったわけではなかったが、寛司が残ると聞いたのもその一つであることは確かだった。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。 駐車場には、約束の時間よりも早めに着いた。
関東生命の相模原本社への最終便は、東京本社を六時十五分に出る。 おろち峠を越えると、山の斜面には、まだ雪が残っていた。 電車が綾瀬の駅を離れたところで、雨が降り始めた。
慶応四年旧暦一月七日の夜更け、大坂北浜過書町の盛岡南部藩屋敷に、満身創痍の侍がただひとりたどり着いた。 とてもいい気持ちだ。 明治十年の二月に永野信夫は東京の本郷で生まれた。 彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。
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鉄三のことはハエの話からはじまる。 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 私はその人を常に先生と呼んでいた。 正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
私は此れから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのまゝの事実を書いて見ようと思います。
始まりは春休みにはいったばかりの月曜日。 野島が初めて 杉子に会ったのは帝劇の二階の正面の廊下だった。
夕暮れの盛り場には期待が満ちている。 玄関の扉を引くと、いかにも作りものめいた芳香剤の香りが鼻腔を刺激する。 いちばん好きな花はフリージアだった。 厚い雲が月を隠すと、江戸の夜の闇は、ずしりとのしかかるように重かった。
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たった二十六文字で、関係のすべてを描ける言語がある。 「最初の機会で恋を感じないなら、恋というものはないだろう」と言ったのは、イギリスの劇作家マーローだ。
或春の日暮です。 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。
人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。 恋は人を壊す。 第一印象は信用できない。 完壁な文章などといったものは存在しない。
今夜、死んでしまいたい。
いい金づるが見つかった。
(完)
ってそう思えるくらいに、同じ状況で、同じことを元彼女は言っていて、同じことを俺は元彼女に言ったよ。
なんか思い出してきたから、元増田と元彼女は違う人だろうけど、元彼女の場合の被害妄想が現実はどうだったか、ってのを伝えてみる。
俺は元彼女と結婚を前提に付き合っていて、元彼女は元増田と同じようになぜか異常に劣等感を抱いていた。
実際の元彼女はといえば、学歴は低学歴と卑下するところではなかったし、ブスや馬鹿と自分では言いながら、実際はすごく美人で、馬鹿ではなく無邪気だった。
俺の友達は口を揃えて「どこでこんな良い彼女を見つけたんだ」と言っていたし、元彼女ほど魅力的な人なんてどこにもいなくて、
この先60年の時間を一緒に過ごしたいと思える相手に出会えて、本当に俺は幸運で絶対に後悔なんてありえないと思えたし、
2人に子供ができたとしたらそれはどれだけ嬉しいことで、どれだけ愛に溢れた家庭になって、子供が母親を責めるなんて想像すらできなかった。
別に俺は高学歴ではないと思うけれど、元彼女から見たらそうだったのかもしれない。確かに職場の人は皆それなりの学歴だったし、女性も優秀な人が多かったよ。
でも職場で優秀なことと、職場を離れた場所でその人に惹かれるかは、まったく別のことだよ。
自分の結婚相手に求めたことは、仕事ができる優秀な女性ではなく、元彼女のような安らぎをくれる人だったんだよ。
そもそも、仕事ができる優秀な女性と、元彼女が立っていたフィールドはまったく違ったんだよ。
何年も前に劣等感を訴えられた。「俺くんといると自分がダメな人間に思えてくる」って。
だから、俺は「俺をすごいと思うんなら、そういう自分がすごいと思える人間に、好かれて付き合っているってことは自信持っていいんだよ」と言った。
同じくらい前に自分のどこが好きかと尋ねられた時に、「仕事を持って自立しているところ」と言ったよ。
「付き合う女性とはパートナーでいたい、だからそういう自己実現のできている女性が好きだ。
でも結婚して専業主婦になると経済的にきついし、世界が狭くなるから、結婚して子供を作っても働いて(自分の世界を持っていて)ほしい」というのが俺の希望だった。
正直なところ、自分としてはここまで深く考えていなかった。
正社員にこだわっていなかったと言えば嘘になるけど、こどもを作ることと正社員でいることを天秤で考えていなかった。
逆にもっと不安を話してくれていたら、俺ももっと違ったように考えられたのかもしれない。
ただ、俺が元彼女を好きだったのは、「仕事を持って自立している」から好きだったわけではなく、
「仕事を持って自立している」かつもろもろ俺の好みだった、から好きだった。
元彼女はそれを唯一の取り柄だと言っていたが、それは俺から見たら数ある元彼女の魅力のひとつにしか過ぎなかった。
『俺の嫁美人なだけでなく正確も可愛いんだぜ。パートしてくれるだけでなく、家事もやってくれて、安らぎを与えてくれる。大当たりだよ、本当に結婚してよかった』
『でもその分二人っきりで過ごせて、時間も経済的にも余裕があるから気楽でいいよ』
元彼女は元増田と同じように将来に怯えていた。ずるずると交際を引き延ばしていた、というのも同じ。
俺にはなぜ元彼女が将来に怯えていたのかわかっていなかったし、ずるずるなんて気持ちは微塵もなく将来の結婚を想定して付き合っていた。
嫉妬深いとは特段感じなかったけど、長所はたくさんあったよ。元彼女が自覚してなくても、俺にとってはね。
愛想を尽かしたわけではなく、俺といない方が元彼女は幸せになれるのかな、と思ってた。元彼女のためを思ったら何も言えなかった。
もっと優秀で結婚に前向きでまともな女と付き合っていれば、相手は今頃子供の一人二人作って幸せな家庭を築いていたのではないかという罪悪感もわずかにある。
まったく理解できなかった。感じるべき罪悪感なんて、被害者と想定される俺からしたってそんなのはどこにもなかった。
そんなことを感じるくらいなら今一緒に過ごしている時間をかけがけのないものだと感じてほしかった。
やはり元彼女も同じように「正社員でなくなったらもう自分には価値がない、捨てられる」と言った。
俺には大げさにしか聞こえなかったが、たぶん元増田のように元彼女は本気で思ってたんだろうと、後になったわかった。
恐らく自分は精神科の医者に見せたら生育環境のトラウマがどうこうで認知の歪みがあれそれで、ナントカ性人格障害で、という診断や分析のもとに矯正を施される案件なのだろう。しかるべき治療を経て健常者に生まれ変わり、結婚をして子供を作るのが本来人間としての正しいあり方なのかもしれない。
元彼女も同じように、ではないが、精神科に通っていたよ。良くなっていったかどうかはなんとも言えないが。
それでもこの異常な自分のまま、一生独りでいることを決めて本当に良かったと思っている。
元増田と元彼女の決定的に違うところは、元彼女は俺より高スペックの男を見つけてそっちに行ったということだ。
多分今頃はとっくにその男とよろしくやっているのだろう。
ここまで書いてみて、我ながら非常に残念な気持ちになった。
やはり元彼女のことは今でも心の底に引っかかっているんだな。
誰かと一緒にいようといまいと、今でもこうして書けるくらいに、忘れられていない。
今思うと、どうしてもっと早く仕事辞めていいよ、って言ってあげられなかったんだろうと思う。
苦労をかけさせたくなくて、苦労をともにしていくって発想がなかった。
きっと元彼女は苦労するとわかっていても、一緒にいたいと思ってくれていたのに。
もっと言えば、当時の俺は給料が少なくて、だからこそ考え方に余裕がなかったと今は言える。それは当時でも自覚していたけど。
給料が増えた今は、当時自覚していた「給料が増えたら考え方も変わるのかな」ってことが現実になって、
相手に経済的なものなんて求めなくなった。むしろ専業主婦で家に帰ったら出迎えてくれるのでもいいとすら思ってる。
「ちゃんと」っていうのは「する」もんじゃなく「なる」もんだと思うんだよな。
そして、自分じゃ判断できないもんだとも思う。
「俺はちゃんとしてない」って言う男は、多分永遠に「今の俺はちゃんとしてる」と思わないような気がする。
ちゃんとしてないから結婚したくないんじゃなくて結婚したくないから結婚したくないんだろうな。
結婚したいなら、子供が欲しいなら、自分から男を捨てろって意見が出そうだが、女にしてみれば「その男と」「その男の」って但し書きがどうしてもつくんだろうな。その男じゃなくてもいいんだったらとりあえず一秒でも早く捨てるべきだけど。
あまちゃんが好き。
一番見てたのはちゅらさんだけど、
ここまで一話も逃さず見続けているのは初めて。
元々、宮藤作品は好きだし、キャストも面白そうなので見始めた。
で、案の定、面白かったわけで。
(コスプレもすっぴんもかわいいし、ブログとは別の、昔手作りしたと思われる魔法のiらんど的な携帯サイトも愛おしい)
潮騒のメモリーも歌える。(Kyon2風の方で)
なんでこんなに流行ってのかずっと考えてて、
日本は9割以上、田舎者か、田舎者だった人たちで構成されてるからなんだな。
というところにたどり着いた。
それはこの間、太巻さんもGMT47の説明してるときに似たこと言ってて、やっぱり!!と膝を打ったんだけど。
で、生粋の東京人だとしても、なんか東京しっくりこねえなあと思ってる人の気持ちは、アキが引き受けてる。
だとしら、もう、人気が出ないわけない。
みんなの気持ちが詰まってるから。詰まったうえで、夢も見させてくれるから。
今までのあまちゃんには、東京に出ても、帰ってきた人しかいなかった。
東京に負けて。夢破れて。
そんな東京に行って、アキちゃんどうするの? どうなっちゃうの?
そして何より、私たちはどうすればいいの……?
東京に残ってても挫折感を感じながらなんとか生きてる人がほとんど。
東京で成功していたとしても、過去には絶対砂を噛むような経験をしている。
みんな東京で、嫌な思いいっぱいしてる。
そんな東京に……。
なんとなくたらたらと就職して早○年。
だけど東京が良い理由も思いつかない。
でも仕事は休みが少ないから、田舎で週休二日有給もちゃんと取れるところに就職して、遠征してきた方が賢い。
営業ができない。窒息しそうになりながら、なあなあで生きてる。
友達も少ない。
というか、たぶん大切にしないから、結婚式とかに呼んでもらえない。
悩みを打ち明けられるのは一人だけ。それも相手はどう思ってるんだか。
そんな中でまた友達を失った。
まあ、手放しで好きって言える子じゃなかったけど、
その子が懐柔してる友人たちも離れていくかもしれない。
(こうやって書くとほんとクズだな……。)
それなのにまだ、東京にしがみついてる。
負けたって思いたくないから。
戦いを避けて避けて、勝ち負けが出ないように。ずるっこ。
アキにとっての故郷を、克服するために。
私は東京にいる。
東京を克服したい。
アキが成功しても、失敗しても、私の気持ちは寄り添っていられるだろうか。
どちらに転んでも、
東京に私がいないと困るって、少しでも思ってもらえるように。
地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない子で終わらないよいうに。
て、とりあえずまだ袖が浜なんだけどね、アキとユイ……。
「今となっては昔のことだが、僕は四人の「社畜妖怪ウワバミ」を知っている。今回はそのうちの一人について語るとしよう。」
その一人は岡本と言って、気さくな先輩だった。
「その男は岡本といって、社内でも一目置かれる、気さくな先輩だった。」
その先輩と飲んだ尾部という年上の同僚なのだが…彼が妙なことを言いだした。兄貴だとしたっていたし、売上成績も良かった彼と飲みに行ってから、彼と距離をとり始めた。
「尾部という同僚も、岡本のことを兄貴と呼んで慕っていた。しかし、彼と連れ立って居酒屋へ行ってからというもの、尾部は妙な態度を取りはじめた。岡本を避けるようになったのだ。」
入った時期がほぼ同期でありながら、出世は桁違いでだった岡本に僕は仕事を教えてもらったため、彼のことはアニキとして尊敬していた。
「入社時期はほとんど同じだったが、僕は岡本に仕事を教えてもらったため、彼のことをとても尊敬していた。」
さらに、何より尾部という人物、裏表が少なくよほど頭に来ない限りは相手に面と向かって悪口を言ったり、避ける人物ではない。
「一方、尾部という人物も、よほどのことがない限り、誰かを嫌ったり避けたりする性格ではない。」
尾部と僕は辞めていった同期に変わって、後輩の研修をやる「新人世話役」みたいな意味ではほとんど同じ立場にいたが、尾部は俺ぐらいにしか他人の悪口は言わなかった。
「尾部と僕は、ともに新人の研修を担当していて付き合いは長かったが、尾部が誰かの悪口を言うところを見たことがなかった。」
その尾部が露骨に避ける?これはただ事ではないと思い、岡本と何があったかを聞く。すると、尾部は吐き捨てるように、私に言った。
「その二人に何があったのだろう? これはただ事ではないと思い、僕は尾部を問い詰めた。尾部は吐き捨てるように言った。」
「ヤツは妖怪だ!社畜妖怪ウワバミだ!お前も気をつけたほうがいい!二人になった途端に彼は妖怪に豹変する!妖怪に豹変したら…嗚呼、語るのも恐ろしい。」
序盤こそ吐き捨てるようだったが、尾部という男は実に実直なお人。それゆえ、口惜しげに語ることをやめてしまった。
「そう怒鳴ったあと、しかし尾部は急に消沈して、「お前も気をつけたほうがいい」とだけ言って口を閉ざしてしまった。」
以下略。
というか、ここまでしか読んでない。
絶対に寂しくさせないから、などとほだされてはまた付き合っていた。
まるで光源氏があちこちで女口説いてるのと同じだなあ<その不倫相手男
その人と結婚しても、そういう尻軽男だから結局愛人余所に作られてしまうと思うよ。
結局寂しい嫉妬人生。
自分自身が恋愛体質って思うなら、結婚して子供を作らない事だね。
自由に恋愛出来ないよ。結婚するだけならまだいいけど、子供産んだら足枷。
全ての子供が親を大事にしてくれる訳でも無し、可愛い訳でもない。
親子で骨肉の争いになることだってあるし、死に別れる事もある。
それとその男を基準点にしないことだね。色んな男と付き合わなきゃ。
合コンっていっても偏ってないかな?
知人友人のツテでの合コンなら似たような男しか集まらないんじゃね? だからピンと来ない。
小学校の頃はゲームクラブというなんとなく先生と遊んでいるだけの部。(部活動といえるかわからん)
高校では吹奏楽部(しばらく物理部とも兼部していたがこれはやめた)
大学では漫画研究会(しばらくフェンシング同好会と兼部していたがこれはやめた)
綺麗にばらばら。なんでも経験という気持ちで色々やってみた。僕は入部時点ではその都度初心者だ。それで先輩や経験者の同輩に教わりながらそれなりに真面目にやってた。
で、大学卒業して10年以上たってふと気がついたのは、このやり方だとリーダーシップがちっとも鍛えられないってことだ。意識にも登らない。マインドの醸成もない。
この本によれば採用活動ではリーダーシップがある人を採りたいんだそうだ。そういう人が集まるとパフォーマンスが上がる。実際に仕事でリーダーをやらなくてもリーダーで苦労する気持ちがわかるから仕事にも積極的になるし結果的にパフォーマンスが上がると。多分大人数をまとめて結果を出すってことが目的意識として強化されるんだろうな。
しかし、部活動をころころ変える人はリーダーにはなれない。経験者はどこにでもいる。運動部でも文化部でも一番技量のある人が部長なりパートリーダーになるのが普通だ。初心者が経験者の気持ちを掴んでリーダーになるなんてちゃんちゃらおかしい。まず経験者は初心者を下だと思ってる。当たり前の話だ。自分がずっと昔に通ってきた場所にいるんだから。よっぽどの弱小クラブでも無い限り初心者は最初から最後までずっと一介の下っ端。初心者は自分の練習で手一杯で部員をまとめる余裕なんて無い。
これから部活動を選ぶ立場のひとは、そのへんのことも頭の片隅に入れて選ぶと良いかもしれない。僕はすべて終わって10年以上たって転職活動始めてやっと気がついた。
話は飛ぶが君は女の子にもてたいだろうか?部活動をころころ変えるとこの点でも不利だと思う。
高校の吹奏楽部で、同じパートに経験者の女の子がいた。僕は楽器は初めてだった。彼女に音階とか和音とかチューニングを教わった。3度は低めにするほうが和音が綺麗とか教わったが全くわからなかった。綺麗なのだろうか?普通の方がいいんじゃないのとか間抜けなセリフを馬鹿正直に言ってしまった。素直にハイハイと聞いておくなり適当に調子を合わせておけばいいのにドシロウトが経験者に歯向かうとは我ながら暢気なもんだ。彼女は呆れていた。
2年生になって後輩が入部してきた。彼は経験者。いつだったかパート練習をしていた時後輩を何かに理由をつけて追い出してから練習を再開した。その時の彼女のセリフ。「後輩にかっこわるいとこ見せたくないでしょ。」ものすごい気遣いにこっちの気が遠くなりそうになった。僕は君にも後輩にも技量で追いつかないことはとっくの昔にわかっている。後輩も僕が初心者だって知ってる。そんな簡単にうまくなって追い越せるようなもんなのか?
ちなみにこの後輩は後で指揮者になっていた。指揮者ってのは全パートの譜面を読んで曲を覚えて全員で行う合奏を聞いて、全員に改善点を指摘するのが仕事だ。いや、もっと色々演奏者からは見えない仕事があるはずだが音域を広げるのが精一杯の僕にはなかなかわからなかった。
高校卒業直前ごろに定期演奏会があって、その時ソロをやった。やろうと思っていたアドリブは綺麗さっぱり全部忘れて譜面通りの曲を無我夢中で吹いた。手が勝手に動いた。それなりに練習は真面目にやっていたのだろう。その時は部長の女の子に「上手くなったね。」と褒められた。それはそれで単純に嬉しかった。そしてそれで終わり。
大学では漫画研究会に入った。同期の友人が何人かできた。僕は漫画は描いたことがなかった初心者だ。で、よくある話で部内で経験者同士のカップルができ、その後彼らは結婚をした。大学を卒業してずっと後にそのカップルと話す機会があり、当時女のほうが男のほうに惚れた理由が話に出た。絵柄で好きになったのだそうだ。その男そのものの見た目とか性格ではなく。
漫画描きにとって絵柄で惚れるというのはよく分かる。僕も絵の練習をしてみて自分の絵柄が何となくわかってきた頃は自分と同じような絵柄の作家を探すようにもなった。自分の練習のための題材になったり、読んでると自分が上手くなったような気がするのだ。なんとも横着極まりない。
初心者は楽器も絵も下手だ。そんなの当たり前だ。そしてそういうのは真面目に部活動やってる女子の目指す所に居ない。むしろ何年か前に通りすぎた場所にいる。
僕自身は別にモテたいともモテるとも思ってなかった。実際モテなかったし。毎日会う至近距離の人間関係を混乱させるのはどうかとも思っていた。そこをうまくやる自信は全然なかった。行動ペースがあわないし、もっと言うと女子なんて取り扱い注意の危険物ぐらいに思っていた。いつの間にかうまくやってるカップルを見ると一体動やったんだろう?と不思議で仕方なかった。女子については性的興味があること以外はどうでも良かった。(酸っぱいブドウだろうって?そうかもしれない。吹奏楽部に女子が多いのは入部してから理解した。吹奏楽って男子向きではないのか。別に男子がやってもいいと思うんだけど。)
閑話休題、、、とおもったがここまで書いて「就職は結婚みたいなもの」という物言いを思い出した。相通ずるものがあるのかもしれない。
部活動をころころ変える人はリーダーにはなれない。経験者は初心者についていかないから。リーダー経験は就職の面接での評価対象であり答えされられる。なぜなら技量と意識が突出していると期待されるから。会社はそういう人を採りたい。
この考えが全てとは思わないけどこれから部活動を選ぶ人は参考になると良いかもしれない。すでに終わっている人は別のことを考える必要があると思う。僕もこれから考える。僕にとっては課題がはっきりしたということが収穫。
別にリーダーじゃないからって真面目にやってないわけでは無いつもりだが、つもりで考えていても評価はされないし通用もしないだろう。具体的な結果を出していくしか無いのか。人を巻き込むのが苦手だと大きい成果は出せない?ごもっとも。だから僕は別のことを考える。