はてなキーワード: 脳出血とは
欧州に住んでいた事がありますがミニスカートを履くと売女扱い軽蔑の目で見られましたが、日本で履いたら男が足が綺麗だとかチヤホヤ。男女格差国10位以内のヨーロッパと110位の日本では、男の質に雲泥の差がある。私は自分の子供に日本人とは結婚するなと言い聞かせてる。女性は日本に住む意味がない— ai-P!nk Tokyo (@setagaya2013) 2019年5月20日
Working mom with 7yr old daughter in Tokyo. My goal is to be a strong woman . Feminist. Love wines and classic music & of course, a huge P!nk fan!!!
『欧州ではミニスカートを履くと売女扱いで軽蔑の目で見られた』→【だから欧州は日本より優れている】…との結論に困惑の声 - Togetter
https://togetter.com/li/1358437
特に女子高生がってとこなんだけど、あの、短いスカートはいてるの、させてる親、日本くらいしか、いないんでないの?それだけ、日本は、女に甘いってことでしょ。仕事の関係で米軍基地で2ヶ月ほど、過ごしたけど、スカートはいてるの見たことない。あとは、言わぬが花。 https://t.co/grOPLERDfn— 薄野のBoo (@BooSusukino) 2018年7月4日
すすきので命を懸けて遊んでます。昔のやんちゃ生活のたたりで左目はお飾り、脳出血の後遺症で色んなとこに麻痺有りで、一番困ってるのが喉とか舌とかの麻痺、大したことなくても、大したことある。おまけに車に轢かれて右足まで折っちゃってダメダメなんだけど、人様の何倍も遊び倒したから、良いかなぁ~~とか、思ってるプレ還暦爺ぃだよ。
「海外で女性が太ももを見せながら街を歩く事は、「誰か私を買って!」と言って歩くのと同義」←世界中から「そんなことないです」 - Togetter
https://togetter.com/li/1250184
オタク?
小児科医です。話題になっている虐待冤罪について、というより、冤罪の詳細については立ち入りません。
自分は虐待専門の小児科医ではありませんが、一般小児科医としての視点から、医学的な面についてのみ書きます。
小児の静脈洞血栓症は10万人中0.64人と「極めてまれ」な疾患。
一方で虐待では、年回50人以上は命を落としている「きわめてありふれた、死に至る病」。そして虐待死の半分以上は0歳児。
更に小児の場合、静脈洞血栓症を発症する子は、何らかの基礎疾患や投薬を受けていることが多い。
たとえば悪性腫瘍がある子どもは血液凝固能が亢進しているため、血栓ができやすい。あるいは血液凝固因子の先天的な異常により、血液が凝固しやすい子どももいる。
逆に言うと、「何も基礎疾患がない子が脳出血で死亡した場合、強く虐待を疑う」というのが、ある意味小児科医として当たり前のスタンスである。
そしてどうしても人間は自分の知識でバイアスをかけて物事をみてしまう。
こういった虐待死が疑われる症例で出てくる小児科医は、いやになるほどの虐待関連の症例をみてきている。
虐待専門ではない自分ですら、表面的には人当りのいい両親が、どれだけ恐ろしいことを子どもにしているのか、絶望することだってある。
虐待の医学的な研究が難しいのは、唯一の観察者である保護者が加害者であるという事実である。
司法システムの問題はきっとあるのだろうし、それは司法の人に任せる。
私は小児科医として、あらためて思考停止せず、他科にも敬意をもってコンサルトしなければならないことを痛感した。
子ども虐待医学-診断と連携対応のために 編著:ロバート・M・リース
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjscn/49/6/49_396/_pdf/-char/en
脳出血とかでも起こるんだっけ?
元増田だよ。
この話題を出すと、だいたい既存の安否確認サービスを例示されて終わるんだが、安否の「安」は本当にどうでもいい。
健康管理なんか不要。シンプルに安否の「否」を検出してほしいだけ。
ウェアラブル機器は、つけ忘れがあるから、あまりよろしくない。電池切れもある。
実のとこ、https://anond.hatelabo.jp/20190527134114
の、スマホのメールに返信、というのはシンプルだけど結構いい。実用化もとむ。
理想をいえば、ユーザーのアクションは極力へらして、「腐りつつある肉が部屋にあるかどうか」だけをシンプルに自動検出してほしい。
大事なのは、夏場に脳出血で孤独死した俺の死体が、腐って溶け出す前に燃やしてほしい。それだけ。
外出中に死んだら誰かが見つけてくれるから、それは別にどうでもいい。室内の死体を自動検知する、そういうサービスがほしい。
でもつまるところ、
↓ドラマ編はこれ
https://anond.hatelabo.jp/20190429201600
思ったより需要なさそうだけどせっかく途中まで書いたしコメントもらったので続き書く。
お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。
漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。
あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。
【漫画】
最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品。
自身のアル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。
『僕と大家さん』
2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部のエッセイ漫画。
アパートの大家さんである老婦人と矢部との心温まる交流を描いている。
ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争、老い、介護、孤独といったテーマがさりげなく混ぜ込まれている。
アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。
病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。
『海街diary』
これもまた有名な吉田 秋生の名作。
漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。
話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。
【本編】
夫の入院先からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。
実は木皿泉は夫婦のユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手にシンパシーを感じていた。
もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。
東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。
あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル。
転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。
よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。
そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。
やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。
こんなところからなあ。
丁度5年前癌になって手術したんだが、その後地獄の抗がん剤治療8ヶ月が待っていた。
抗がん剤中でも上手に調整して出歩いてる人もいるみたいだけど、自分はずっと白血球値が低いままだったし体調も良くないし、メンタル的にもやばかったので病院に行く以外はほとんど出歩かなかった。今思うとちょっと鬱っぽかったのかもしれない。
で、その間に読んだり観たりして救われたと思う作品を挙げていく。
治療後に、これ治療中に知りたかったと思ったのも含まれているので時系列的におかしいとこもあるけど勘弁な。
治療中に下手な本読んだり映画を観たりして登場人物が自分と同じ病気で死んだりするとダメージくらうし、かといって主人公が元気にはねまわってるのを観て今の自分の境遇と比べて落ち込んだりするし、なかなか難しいんだよ。
病気療養中の人、あるいは周りに病気の人がいてお見舞いに本でも持ってこうかという人はよかったら参考にしてほしい。
ちなみに自分は以前はサスペンスとかホラーとか好きだったんだけど、癌になってからは一切受け付けなくなった。一番最初に死ぬ登場人物に感情移入してしまうので。
あと『きのこを食べたら癌が治った』みたいな本をお見舞いに持って行こうかと考えてるやつは自分が死んだらいいと思うよ。マジで。
【ドラマ編】
『名探偵モンク』
ちょうどHuluで公開されていてこれはマジでよかった。エミー賞も受賞したアメリカの人気ドラマ。
主人公の探偵モンクが重度の強迫性障害を持っているんだけど、同時にそれが事件の謎をとくヒントともなっているところがうまい。モンクを取り巻く元上司の警部や看護師がモンクの強迫性障害に振り回されてうんざりしつつも暖かく見守っていくという構図になっている。
探偵ものなので当然殺人シーンはあるけどソフトに表現されていて何とか大丈夫なレベル。シリーズになっていて話数が多いのも助かる。基本コメディ。
『dinner』
登場人物の一人ごとにスポットを当てていく形式だけど、誰もスネに傷持つ訳ありの人ばかり。
小さな希望を胸にまた明日も頑張ろうとする姿に励まされた。視聴率が悪くて話数が削られてしまったのは何とも残念。
ラスト一人ラジオ聞く江口洋介の姿に泣いた。サカナクションの主題歌もいいよね。
『カルテット』
社会的には落ちこぼればかりの現実離れした夢の共同生活。明快な答えも解決策もない日々になぜかほっとして救われる。
例の前夜、ゲームやとりとめのない会話を楽しむ4人のシーンは何度も観てしまった。マキさんの「ちょっとトイレ」にも泣いた。
『鹿男あをによし』
玉木 宏が鹿になっちゃうやつ。幻想的な作品なので現実逃避にもってこいだった。でも良くできてるよね。
仕事を定年退職したサラリーマンが妻と娘のため正月の福袋の行列に並ぶというドラマ。これも面白い。
ドラマはHuluで配信されて入ればHuluで、なければ無料動画配信サイトで観てた。
あんまり褒められたことじゃないけど抗がん剤治療はとにかく金がかかるので大目にみてほしい。
癌の種類にもよるけど自分の場合は1回あたり15000円、それを月3回8か月続けるのよ。
あと漫画とか本も書こうと思ったけど以外と大変だし読んでくれる人もいるかわからないのでここまでにしときます。
需要ありそうなら続き書くわ。
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漫画・本編こっちにまとめました。コメントくれた人ありがとう。
あとドラマ編で『植物男子ベランダー』忘れてたわ。NHKの30分深夜ドラマ。おっさんマジ癒し。途中の変な小劇場は飛ばしちゃうけどね。
お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。
漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。
あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。
【漫画】
最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品。
自身のアル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。
『大家さんと僕』
2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部のエッセイ漫画。
アパートの大家さんである老婦人と矢部との心温まる交流を描いている。
ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争、老い、介護、孤独といったテーマがさりげなく混ぜ込まれている。
アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。
病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。
『海街diary』
これもまた有名な吉田 秋生の名作。
漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。
話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。
【本編】
夫の入院先からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。
実は木皿泉は夫婦のユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手にシンパシーを感じていた。
もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。
東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。
あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル。
転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。
よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。
そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。
やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。
こんなところからなあ。
東京医科大学が女子に一律減点を課して意図的に男子学生を採っていたことが分かったわけだが、それはポリティカルコレクトだとか試験の平等性だとかを抜きにすれば大変理にかなっていると言わざるを得ない。「現役・浪人・再受験」ではやはり現役が受かりやすいだろうし、「地元出身・他県出身」ではやはり地元民が優遇されることはもはや医学部受験生の多くは既知である。ならば「男女」について差があったとしても然もありなんといったところである。
なぜそうした性差が生まれるかといえば、いくつか増田内記事でも既に言及されていたが、やはり出産妊娠育児に対して女性は男性に比して重要なポジションを担うからだろう。卵巣や子宮のない男性は子供をどうやったって産めないのだから。そして出産妊娠育児については大きな負担がかかるため一定期間仕事から離れる必要がある。
しかし医者として最も体力のある20代後半から30代前半で女医の大半に抜けられてしまい、更に育児があるので時短勤務で夜間当直は少なめで頼むとなれば、医療現場が成り立たなくなるのは明らかである。女医の割合が少なかった昔はそれでもなんとか成り立ったかもしれないが、女医の割合が年々高まっている中ではそうはいかない。
現場からみたまともに働ける「医師」の総数が減った場合、その影響を受けるのはまず「まともに働いている医師」であるが、その次は患者である。「まともに働いている医師」が馬車馬の如く働き、無理にでも代償しているうちはいいが、いずれ二進も三進もいかなくなる時が来る。脳出血や心筋梗塞が起きてますけど手術できる人は今手が空いてないのであっちへと別の病院へ送られたり、予約がいっぱいなのであなたの手術が出来るのは1年後ですと言われる未来もありうるかもしれない。頭ごなしに男女差別だと声を荒げる方はそうした状況を全く考えていないし反射的にミサンドリーを唱えているだけである。
医療の現場で人が足りないことが原因で自分や自分の親族が死にかけても文句を言わないし諦めがつくという人のみ男女差別だと主張するべきなのだ。
しかしこうした状況を根本から打開するため医学科増員について提案がなされたこともあった。残念ながらそれは結局開業医が牛耳る日本医師会により立ち消えになった。大学病院やら市中病院であくせく働かざるを得ない勤務医を救う施策は、最前線を退きすっかり肥え太った開業医によって潰されたのだ。
医学部増員できない中で、現在の医療レベルをなんとか保っていくためには、永く(より長期に)長く(昼夜問わず何時間でも)働ける医師を採るしかないという結論にたどり着いたのは仕方がないことである。
今時女性差別なんて中世か、というコメントも見かけたが、一周回って考えた末、中世のように見える施策に帰着したというのが正しい。そもそも縄文時代女性が獣を狩ることはなく、家のことを執り行っていた、それは差別ではなく男女分業という形だったはずだ。それが近世に近づくにつれてそうした外での仕事が獣狩りからデスクワークの形態へ成り代わったことで女性は社会に進出できた。しかし仕事内容は変わったものの生殖器や筋骨格器の性差は変わることはなく、性差として埋まらない溝は確かにある。女性の、私も男性と同等に働きたいという気持ちについて私も同じ女性であるから分かるけれども、生まれ持った肉体構造を超えた役割を果たすことは出来ないのだと思う。
そんな中で長時間労働オンコールプロフェッショナル技能が求められる医師といういわばマンモス狩りに近い職種に女性が進むことは、古来からの歴史を無視した行為に近い。人は歴史に学ぶべきだ。なぜ女性が狩猟を行わなかったか今一度考えてみる必要がある。今回の件は古来より存在する性差に対して生まれたばかりのポリティカルコレクトネスが生み出した矛盾の象徴のようにも思える。
これは医師に限らず数々の職種について言えることである。女性の働き方改革が実際には多くの男性の協力があって成り立つことであり、女性差別という性差をふまえない女性側からの一方な主張は、男性から同意を得られないだろう。働き方改革についての理想は「男女分業」の仕組みを整えていくことだと思う。
確かに東京医科大学のことで泣いた女性は多くいるかもしれない。しかし数々の採用・登用の決定については必ず選考という過程があり、東京医科大学からしたら女性より男性が欲しかった、ただそれだけのことだったと思う。それにその分医療の水準を保ちより多くの患者を救うという大義は果たされたのかもしれない。功利主義の観点から見ればこの選択は間違ってるとは言えないのでないか。よって今回東京医科大学の女子一律減点について、私は一概に非を唱えることができないと思う。
東京医科大学は間違えた。男子学生を意図的に多く採る、それ自体は正しい。女子一律減点が間違いだった。試験科目を2科目に絞ればよかったのだ。数学と理科、更に数学に傾斜をかける。女性は言語機能が発達している、男性は空間把握能力が発達している。これは脳の構造にも性差があるからだ。それを利用することで男子を多く抽出することができたというのに、東京医科大学は間違えたと言わざるを得ない。
子供が産まれてから、ベランダや歩道橋の上にいる時などに「いま邪悪なエスパーが私の精神を乗っ取ったら、あるいは私自身が突然発狂して自我を保っていられなくなったら、10秒あれば余裕でこの子を地面に投げ落として殺せるだろうな」ということを考えるようになった。
そもそも邪悪なエスパーなどいなくとも、子供と2人きりで在宅している際の入浴中に脳出血などで私が意識を失えば子供は死ぬ可能性がある。まだ浴槽の縁を自分で乗り越えるには背が足りず、風呂場のドアをうまく開けられない。
とりあえずこうして思いを書き出した今は、子供が自力でドアを開けて外に脱出し、誰かに助けを求められるくらい大きくなるまでは何があっても発狂したり昏倒したりできないなという認識を新たにする。
http://www.dr-hori.com/media/mag/20101002_kn.php
ガン、動脈硬化、高血圧、心臓病、狭心症、糖尿病、肝臓機能障害、腎臓機能障害、脾臓機能障害、脳出血、メタボリック症候群
アレルギー性疾患
腰原病、リウマチ、ぜんそく、アトピー性皮膚炎、べーチェット病、花粉症、鼻炎
美容系
ニキビ、吹き出物、小じわ、シミ、肌荒れ、ひび、あかぎれ、早期老化、若白髪、更年期症状
心の病気
明るさがない、積極性がない、暴力行為、うつ病、パ二ック障害、拒食症、過食症、登校拒否症、出社拒否症、集中力欠如、不眠症、神経衰弱、居眠り
痛み
朝起きられない、体がだるい、疲れやすい、風邪が治りにくい、むくみ、貧血、めまい、立ちくらみ、便秘、冷え症、虚弱体質、食欲不振、低血圧、息切れ、イライラ
脳神経の病気
その他
バセドウ病、くる病、前立腺肥大、頻尿、排尿困難、血液不良、白血病、胃潰傷、慢性胃炎、ストレス性十二指腸潰傷、腸疾患、慢性下痢、不妊症、虫歯、弱視、骨格形成不全、生理痛、水虫
全身をよく操む
首のストレッチをする
大地を素足で歩く
おしやぶりをする
唇を閉じて紳創一骨を下唇から上唇の方向にはる
口を閉じて日頃使わないほうの歯で無糖ガムを噛む
鼻の両側と鼻の下の真ん中の部分を指で刺激する
約1%の食塩水で「あーいーうーえーおー」といいながら上を向いてうがいをする
21歳。忘れてしまう前に、死んでから2年少し経つ父の話をさせてくれ。
家は二代続いていた自営業で、祖父が亡くなった時に父はサラリーマンをやめ、三代目になったそうだ。
昔はけっこう上手くいってたんだって。儲かって儲かって仕方がなくて、お金を入れてた地元の信用金庫の人からは未だに感謝されてるぐらいだ。儲かったお金は祖父が連帯保証人になってた親戚のせいで吹っ飛んだので俺におこぼれがくることはなかったがな!
でも俺が7才ぐらいのときかな、事業は上手くいかなくなってしまった。石油が値上がりしてな。夫婦仲は最悪になり、毎日喧嘩が聞こえてくるリビングと自室が離れていることが唯一の救いだった。すべてが最悪になってしまい、父は家を避けるように日中仕事場にこもり、帰るなりビールを煽る。高校生のときには家族が見てないところで酔った勢いで殴られてたので父のことは大嫌いだった。縋るように手を出した新事業も失敗。もともと健康だった父は日に日にやつれてしまった。
そんな家庭環境が続いて十数年、転機が訪れる。廃棄木材を大量に譲っていただけるツテが見つかったのだ。これなら石油に頼らずやっていける。でもこの10年で父の身体はボロボロで、病院で貰った血圧の薬をビールで飲む毎日。そんな父に廃材を運んだりバラしたりする体力があるはずも無かった。
そんな父に家族は冷たかった。母は心配するそぶりを見せているが全くそんなつもりはない。最大の関心はジャニーズと毎週のドラマである。上の兄弟は大学生活をエンジョイしてるので家には全く関心がない(しかし母に同調するのが上手かったので母のお気に入りだ。それは今も)。
そう「家族は」と書いたからには俺も含まれる。苦しかった大学受験が終わり、新たにはじまった大学生活は楽しくて楽しくて仕方がなかった。家のクソさに嫌気がさして、大学を理由に門限ギリギリまで外に出て、帰るなり自室にこもる生活だった。
廃材を使い始めて1年。案の定、父は倒れた。倒れているところをお客さんに見つかり、救急車で病院。意識朦朧の父が担架に乗せられたときの「ア、だいじょうぶで……」が最後に聴いた言葉だ。脳出血。なんと植物状態。ここで家族は延命措置を取るか否かを迫られる。
まあここまで読んだらわかると思うが即決だった。
葬式で涙を流しながら親戚と話していた母と兄弟は忘れられない。お前が、いや、俺たちで殺したんだろ。愛情もなく、正直死んでホッとしたと思ってるだろう。生命保険もたくさんかけてて良かったな?ウン千万だってさ
親戚もすべて憎かった。父が家業を継いだ経緯を知ったのは父を殺した少し前のことだ。曽祖父、祖父が死んだとき、ハイエナのように遺産を奪いに来た親戚から必死で家業を守ったのが父だった。サラリーマンをやめ、家業を継ぐから売却しないでくれと。家業は、大企業のエリート営業マンだった父がそれを捨ててまで守りたかったものだったのだ。
俺は父のことが嫌いだが、親戚も同じぐらい嫌いだ。そんな親戚達が「あの人は立派だった」「お前は父に似ている」など涙ながらに語るのでハラワタが煮えくり返りそうだった。
そう、もうすぐ父の遺産が1/4手に入るからその金で家を出るんだ。父が死んでからの家はこれまた最悪で。縁をさっぱり切ろうと思う。大学はまだ一年残ってるけど、まあ何とかなるだろう。
以上。家族の愛を受けて育ってきた人たちが羨ましいぜ。俺は家族も親戚も大嫌いだ。
追記 増田に投稿するの初めてだったので多くの人に反応していただけてとても嬉しい ありがとう。ブコメ全部読みました。増田にカテゴリーとかあったんだな。全然「おもしろ」じゃなかったわすまん。父のかわいそうな部分を後半書き連ねたので誤解してる人がいるが、俺は父の死について「内心ホッとした、もっと言うなら嬉しかった」人間だぞ ということだけ追記。それを踏まえて読んでもらえると本当に伝えたかったことが伝わるのかなぁ。
ただただ疲れた。
人員基準違反で運営を続けるせいでほとんどの事故は人手不足に起因し、現場は疲弊する。
中間管理職なので是正しようとしても「困ってる人がいるから」となり上司とは会話にならない。
「皆の意見を聞きたいから開催してくれ」と、開催したミーティングで改善策と対応を決めた翌日にちゃぶ台返しをされ、最後の心が折れた。
客も行政も吉野家に行ってフレンチのフルコースを出せみたいな過剰な要求を行うのがまかり通ってる。
家族は下手したら週7通わせようとする、あれこれ時間外サービスを要求する。そして上司は断らず、運営基準を無視して人を入れる。送迎も入浴も、フロアの座席も限界。
行政はボケ老人であっても健常者と同様に扱えという。先が分からないんだからたまに死んだっていいだろ。
薬剤師でも看護師でもないのに誰しも配薬について責任をもたされる。ミスを起こせば事故報告だ。
辞める言い訳には給料が安い、将来が見えないということにした。それも一つの事実だが。
何をどうやっても月収=年齢(万円)にならないのだから長居する理由もない。
引き止めの時には上司が私達で待遇改善を進めていきましょうと言われた。現場にそんな決裁権ねえよ。
インフルエンザにかかって家で寝ていたら、こんな夢を見た。
実家のダイニングでテレビを見ている。仮面ライダーをやっていて、仮面ライダーが銭湯で敵の一味にこてんぱんにされて終わる。
隣のキッチンでは大きなアルミ製と思われる金だらいがコンロで火にかけられていて、中のお湯が沸騰している。
いま風呂に入っている母がやっていったのだろう。
僕はダイニングテーブルから火を消しに立ち上がるが、そのとたん強烈な目眩に襲われて立っていられない。どうにかキッチンへ辿り着いてコンロの火を消すが、目眩は終わらない。脳出血などを思い浮かべ、死を覚悟する。助けを呼ぼうと何故かトイレに閉じ籠ろうとするが、トイレに辿り着けない。
更に消したと思っていたコンロがまだ火がついており、金だらいが熱で溶け始めていて、形が崩れている。目眩でバタバタしながらキッチンに戻るが、どのつまみを触っても火が消えない。どうしたらいいのか分からず叫んだところで眼が覚めた。
また、夢ではないが、眼が覚めてからこんなことを妄想して本気で涙していた。
昨日テレビで見た、珍しい姓のルーツを辿る番組で取り上げられていた「返脚」さんの件。
木地師の姓である小椋を木地師の免許と一緒に返却したのが由来ということだったが、並大抵のことではない。
400km以上を明治の初期であるから歩いて木地師の集落まで訪ねて返したのだ。
国の政策で林業が自由にできなくなったから廃業を決意したのであろうが、この返しに行った人物がしたためた文書が出てきたという妄想から始まる。
文書には、初代返脚氏の木地師許可と職能姓を返却することにした理由が語られている。
曰く「免状と小椋姓を返納するのは、御国の方針に自ら進んで協力した証を公文書として残すためである。やがて姓名の由来など忘れられようが、私が免状と姓を返却したことは公的な記録として残り、子孫の目にも留まるだろう。祖先が御国の施策に沿うべく行動した栄誉ある者だということが分かるであろう。」という内容で、備忘のためにこれを記すとされている。
これを聞いて当代の返脚氏は涙を流す。「良かった」と。
「何代も続いた生業を国の政策で捨てざるを得ず、私はこの人が、ひょっとしたら惨めで悲しい気持ちで出自の村まで歩いて向かったのかと心を痛めていた。しかしそうではなかった。誇らしい気持ちで返却したのだと分かった。良かった」
どうだろう?
x 「大丈夫ですか?」
o 「よし、もう大丈夫だ。次の駅で降りてベンチで休憩しましょう」
視界がブラックアウト気味、思考もままならないので、回答できる余裕はない、回答できたとしても、「大丈夫です」とか状況改善しない回答をしてしまう。
x あの席に座りましょう
発生初期は、一歩も動けない。目の前の席でも、座るという動作も出来ないんだよね。
僕達素人が、無理やりやると、きっと良くない事が起こりそうなので、座らせて対応者の自分が安心したいだけの事をするなら、状況観察に注力した方がいいと思う。
ごく個人的な体験からすると、動く車内よりも安定したホームで休息した方が回復が早い事が多かった。
あと、脳出血だった60代の人も、電車内で次の駅に救急車を呼べたので、すぐに搬送出来て、左手にちょっと麻痺が残る程度に抑えられたと聞いた。
・痙攣有無
・左右半身のバランス
・言語の明瞭性
この辺りの症状、そう脳卒中/脳出血の可能性。非常停止ボタンを押して電車止める人を見た事あるが悪手ではないかな?
でも、素人が勝手な正義感?で対応するのは是なのかと迷う。実は大した事なくて、その人の会社の運命を左右する商談に遅れたら責任負えるのかとかとか。
3日毎に貧血起こす慣れた人で、大げさな対応して欲しくないんじゃないかとかとか。
ただし個人的に、祖母を脳卒中で亡くし、電車で倒れて会社まで自力で行った後に救急搬送された父親の半身不随介護で、5年費やした身としては、、なるべく症状が軽くなるような対応をした方がと思うが、どうなんだろうか?
5年長かったなあ
1作目、2作目にあったドンパチや暴力シーンはかなり抑えめで、政治群像劇みたいな仕上がりになっていた。
これで2時間弱もたせるのだから、やっぱり監督北野武はたいしたものだなと思った。激しいシーンが少なめなので、前2作と比較しても客層は広がりそうだ。
ただ、ビートたけし、西田敏行、塩見三省の役者としての劣化が激しく、見ていて辛かった。
バラエティやニュース番組でも、たけしのろれつが怪しくて何言っているか分からないことが多いが、映画でも同じであった。
西田敏行は、演技の技でごまかしてはいたが、病気の影響を隠しきれず。
塩見三省は、脳出血の影響で身体に麻痺が残っているのか、だいぶ辛そうだった(けれど、耳に手をあてて「はぁ?」と聞くシーンは良かった)。
最終章見てからビヨンドを見たら、演技のハリが違いすぎて同一人物とは思えない。
映画は良かったけれど、役者ビートたけしの老いを痛烈に感じてしまい、そのことがとても悲しくなった。
ドンパチヤクザ映画の主人公としてのたけしに期待するのはもうやめよう。
クリント・イーストウッドみたいなポジションで、シニカルな映画を撮って欲しい。
実の父が風呂場で倒れて救急車で運ばれ、なんだかんだで脳梗塞と診断されて血栓をカテーテルで除去されてから1週間がたった。
正直カテーテル治療は全てが全てうまくいったとは言い難い。入り組んだ奥の方にある血栓にはカテーテルは届かずそれで左脳の前側1/3の血行は回復しなかったし、推定2時間~4時間の脳梗塞状態では血流が回復したとはいえ残りの左脳にある脳細胞も死んでいてもおかしくないらしい。でもって、意識が微妙に回復していない状態では、脳細胞が死んでいるかどうかの判断はまだできる状態にはないらしい。
とはいえやれることはやった状態で父は入院している。術後考えられる副作用といえば血栓を取ったことで勢い良く流れ出した血液が血栓のかけらをまた集めてさらに先で血栓を作ることで起こるさらなる脳梗塞、カテーテルを使う前に使った血栓を溶かす薬(4時間半以内に固まった血なら溶かすことが出来るらしいのでみなさんもおかしいと思ったら躊躇せず病院へ)を使った副作用で血管が破れやすくなっていることによる脳出血、そしてこれが一番大変なのだが、脳梗塞の憂き目にあった脳細胞が腫れることにより他の脳細胞、特に脳幹の細胞がヤバいそうなんだが、その辺を圧迫して潰すこと(脳浮腫というらしい)だった。
脳浮腫がもっとも危険なのは統計的に発作、もしくは治療から5日後らしい。その対策として脳が膨らまないようにする薬を点滴しつつ、その5日後は一昨日に過ぎ去った。山は越えたということだ。
父の目は覚めない。睡眠時無呼吸症候群の気があったので重傷者病棟のモニタにもヤバいんじゃないかと思うほど呼吸が止まったりもしたのが映し出されたのだけど、それでこれまで死ななかった父だから今回も死なない。おそらく右の手足は完全に麻痺しているのだけど、特に顔が歪んだりはしていない。左足や左手はたまに動かすので左手にはミトンをはめられて拘束されてはいるのだが(親族としてそこは了承している)、左足の裏をくすぐってもそうそうくすぐったがりはしない。
反応と言えば基本的には反射的なものが多い。溜まったつばが喉に入りかけてひどい咳をしたり、歯磨きを嫌がって口を閉じたり。意識があるようにも見えるがたぶん反射だろうとも思う。反射だろうと思うがそれが回復の兆候だと話す母や親戚一同にはそのツッコミはできない。
病院スタッフはけっこう頑張ってお世話してもらっているので特に文句もない。ここまで一進一退どころか良くも悪くもなっていない患者に対して、ほぼ毎日診察結果をレクチャーしてくれる担当医師もけっこう頑張ってくれている。ただ、あそこまで頑張ってもらっていることを考えると、これを家族だけで世話するのはたぶん無理だとも思えてくる。見てくれているスタッフののべ人数だけで言えばこの週末に全国津々浦々からなんとか集まってきたうちの親族一同の総数と大して変わらない、というかたぶんスタッフの方が多い。
脳梗塞の入院期間は標準では2週間だそうだ。来週の月曜には仮の退院スケジュールが組まれている。回復しない場合の延長は出来るらしいが、おそらくそれも月末までだ。スケジュールを考えれば、延長を前提にしたとしても、そろそろ目を覚ましていただかないとどうしようもない。
もとはと言えば、最初の治療後に聞かされた副作用告知で変に覚悟が出来てしまっただけのことなのだが、タイトルに書いたようなことはスタッフにも親族にも、もちろん父とは無関係な仕事の同僚や友人にも、誰にも言えなくなってしまった。
そんな女友達がいる。
まずは18才。
顎を擦りむき、3針縫う。
車は全損。
これに懲りて、2台目、中古のいつ止まるかわからん、2年もてばいいだろうというミラを買う。
無傷。
胸部打撲。
車は全損。
4台目、マーチを購入。大雨の日、信号で止まろうとしたがブレーキ効かずノーブレーキで衝突。
全損で買い換え。
5台目、ステップワゴンを購入。
見晴らしのいいなんともない農道でハンドル操作を誤り電柱に自爆。
右肩骨折。
6台目、出産したばかりでまだ授乳中の子供のお宮参りの日、神社へ向かう途中、対向車がウインカー出しているので曲がるかと思いきや、直進してきて衝突。
そこから意識不明。脳出血を起こしてしまい数日意識不明だった。
助手席に乗っていた子供は着ぐるみを来ていたため、座席から落ちたが無事。
車のグレードが上がる度に怪我のグレードもあがってるよ。君みたいなのは二台目みたいなのを乗ってればいいよ。事故の神様が乗り移ってるんだよ。
と言うと、彼女は言う。
二三年周期で事故に遭う。今でも毎週弁護士から電話が入り、通帳によく分からない振り込みがある。
そう遠くないんじゃないかなあと笑った。