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はてなキーワード: 脳出血とは

2021-08-03

平均寿命の年齢超えたら医療費は自費で

みたいな案を挙げた政治家が叩かれまくって、すぐに取り下げた、みたいな事があった記憶がある。

別に日本長寿世界一を目指して頑張ってこうなってる訳でなくて、医療技術の発達とか国民皆保険の仕組みとか色んな要因で長寿国になっちゃってるだけで。

平均寿命の年齢超えたら医療費は自費で」いい案だと思うんだけどなぁ。もういいでしょ、たくさん生きたし。まだ生きたいんだったら、お金払ってね。みたいな。

ただ、生きてる限りはQOLは維持したいので、それにまつわる医療白内障とか入れ歯とか)は保険効くようにするとか。で、癌とか脳出血とか心臓とかクリティカルものは自費にする。もう寿命でしょって事で。

医療費は抑制されるし、介護負担も軽減されるし、いい事づくめだと思うんだけどなぁ。

しかし、1人1票のこの国でそんな法案が通ると思えない。絶望しかない。

2021-05-17

anond:20210517101455

いいえ。

心臓病が大半で、次いで脳出血ですね。

事故死はまた別枠だよ。

2021-04-28

anond:20210428141102

脳出血でぶっ倒れたとき同じ症状になったわ

書けない読めないカタツムリがどんな動物かわかるけどカタツムリって言葉が出ない

釣りじゃなければ脳に異常がある可能性大

2021-03-22

緩やかな死に方案

塩分の多いものを食いまくる→腎臓ダメージを与え続ける

タバコを吸いまくる→肺に継続ダメージを与え続ける

毎日最低1本はストロングゼロを飲む→肝臓継続ダメ

ぐらいしか思いつかないんだけど、なんかない?

家系をかんがみると、どう考えても脳溢血脳出血系の家系で、ガンが出来る可能性は低そう。

ガン家系だったら楽だったんだけどなぁ。

2021-03-15

新型コロナの数少ない良かった点は欧米でのアジア系差別の激増

まさか出羽守との長い戦いをウィルスが終わらせてくれるとは。

かつて僕は出羽守を敵として憎んでいたけど、今となっては黄色い肌の人種を憎む異人の国にしがみついて生きるしかない彼らは哀れな生贄にしか見えない。

彼らとて今更この人権後進国家中ジャップランドに帰りたいとは思うまい。なにせ未だにコロナヘイトクライム中国人の撲殺事件硫酸攻撃も起きない酷い人権軽視の差別大国なのだから

卑劣レイシストどもは最も弱い女性子供・老人を狙ってヘイトクライムを仕掛けている。

これは欧米に住む日本人同胞が守るべき家族を持ち、年齢を重ねるに従い、加速度的に生きづらくなっていくことを意味している。幼い孫を持つお年寄りストレスホルモン血中濃度すごい値になってそう。

しかしどうか耐えて欲しい。米国大統領が「あなた方を虐め殺したのは日系人強制収容と同じく過ちでした、ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ」と謝罪してくれる日が来るのを信じて。百年後ぐらいにあなた方の墓の前で。

米、アジア系へのヘイトクライム再燃 暴力性増し、殺人事件まで

https://news.yahoo.co.jp/articles/3a8a33f5fb3305df8472682b22a847c5eee200df

 タイ男性(84)が道路を渡って突進してきた男に突き飛ばされて、脳出血で2日後に死亡した。男は19歳の黒人

 アジア系男性(91)が後ろから男にいきなり押し倒された。

 フィリピン系男性(61)が男にカッターナイフで顔を切りつけられ、約100針を縫う大けがをした。

アジア系住民狙う暴力事件 深刻化 大規模な抗議集会

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210314/k10012914741000.html

 地下鉄で知らない男から差別的なことばで侮辱されたというタイアメリカ人女性が登壇し「悪夢のような夜だった。車内にいたアジア系は私だけで、周りに助けを求めたが、誰も目を合わせてくれなかった」と振り返り、問題の深刻さを訴えました。

 ニューヨーク市内で赤ちゃんをだっこしていた25歳のアジア系アメリカ人母親が知らない男から突然、つばを吐きかけられたということです。

2歳と6歳含むアジア系家族、新型コロナヘイトクライムで刺される。広がるアジア系アメリカ人への差別暴力

https://www.huffingtonpost.jp/entry/asian-ameriican-hate-crimve-corona-virus_jp_5e859e28c5b6f55ebf482cfc

 2歳と6歳の幼い子供を含むアジア系アメリカ人家族3人が、スーパーマーケット「サムズ・クラブ」で刺された。

 女性男性の3倍、ハラスメントの報告数が多かった。

 「中学校の生徒が暴行を受けコロナウイルスに感染していると責められた」「若い女性が路上アメリカコロナウイルスを持ち込んだと言われて唾を吐きかけられた」

殺人が強く批判される町とそもそも殺人が起きない町、どっちに住む?

本日のほのぼのニュース(昨日のだけど)

米、アジア系へのヘイトクライム再燃 暴力性増し、殺人事件まで 毎日新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/3a8a33f5fb3305df8472682b22a847c5eee200df

 タイ男性(84)が道路を渡って突進してきた男に突き飛ばされて、脳出血で2日後に死亡した。男は19歳の黒人

 放火などに遭った日本の寺は、ロサンゼルス東本願寺別院だ。

 バイデン大統領は今月11日の国民向けの演説で、「残忍なヘイトクライムにより、アジア系米国人は通りを歩くだけでも恐怖を感じている。(ヘイトクライムは)米国価値観に反する。止めなければならない」と呼びかけた。

ところで差別大国たる我が大ニッポン帝国におけるコロナ関連ヘイトクライム殺人は何件起きたのかな?

世界に冠たる人権先進国アメリカ合衆国でもこの有様なのだから、この極東土人国家ならば最低でも1,000,000,000人は犠牲になっていることだろう。

え? 日本では1人の中国人イギリス人コロナ(笑)扱いされて殴り殺されてないって? そんなバカな、あり得ない、警察組織的隠蔽しているに違いない。何という陰湿差別国家だ……

皆さん、2つの町を比べてみましょう。

1つ目の町は、毎晩のように強姦殺人が発生して、市民は「女性を殺すのを止めろ!」とデモをして、市長も「女性への暴力は我が町の価値観に反する。我々は女性を護るために立ち上がる!」と演説してくれます

2つ目の町は、「オラの町で人殺し? 百年は聞いたことねぇよ。そういや、隣のボブ爺さんの娘が若い頃に流れ者の男と好き合って妊娠したら男が逃げようとしたから、ボブ爺さんショットガン突き付けて『娘と結婚するか、鉛玉か、どちらか選べ』って騒動があったっけなぁ。男がどうなったかって? あそこの畑でトラクターに乗ってるジミーだよ」という牧歌的な町。

どっちの町に住みたいですか?

2021-03-14

アストラゼネカワクチンノルウェーでも血栓脳出血などが3例報告

だってさ。

これはなかなか難しい判断をしなくてはいけない事態になってきたのでは。

2021-01-21

とにかく病気が怖い

二十代男性

体調が悪くないときでも膵臓がんのような早期発見が難しい病気な気がするし、ちょっと体調が悪いとありとあらゆる病気にかかっているような気がする。

どんなに健康でも脳出血心不全死ぬ可能性があるのに、なんでみんな平気な顔で生きているのが不思議で仕方ない。

2020-12-19

「母が死んで寂しい」を薄く長く書いたやつ

母が突然死んでから2ヶ月経った。

気持ちの整理をしたくなって書き始めたのに、言葉がうまくまとまらない。

寝てないからかな。ちゃんと夜に寝て朝起きる生活がしたいんだけど、今日はなんでか眠りたくなくて、ずっとスマホを弄っていたらこんな時間になっていた。

やっぱり寝ないと思考力が低下してだめだな。ママが恋しいポエムを書き連ねるはずが、派手に脱線事故を起こしてしまっている。

あいっか。匿名だし。顔も名前も知れないどこかの誰かとしての吐き出しだから、見苦しい気持ち悪い文章であっても、まあいっかー、って。

で、そろそろ当初の目的を思い出そう。

私の母は、2ヶ月程前に急に倒れて意識不明の重体となり、それから数日後に帰らぬ人となった。周囲の誰もが普通の元気なおばさんだと思っていた母は、高血圧が原因で脳出血を起こした。そして死んだ。

血圧ってめちゃくちゃ怖いんだな…と、母が倒れるまで全然知らずに生きてきた自分をぶん殴りたい。

母の血圧が高いらしいとは知っていた。それなのに、高血圧リスクを知ろうとせず、なんとなくまだまだ生きているだろうと思って、ろくな親孝行をせず、むしろ親不孝者でありながら開き直って生きてきた自分を、過去に戻って変えられたらどんなに良かっただろう。

いくら願っても母は生き返らないし、私の人生明日へと進み続ける。過去には戻れないし母がまだ生きているパラレルワールドにも行けない。

母の死に目に合えずに泣いて、冷たくなった母に触れて泣いて、棺桶に入れられた姿を見て泣いて、火葬場で最後のお別れをしながら泣いて、ぼろぼろに焼けたお骨を拾いながら泣いた。

葬儀が終わっても、母とよく行ったスーパーを見て泣きそうになり、母が好きだったお菓子を見かけて泣きそうになり、母のことを語る時に「母は生前…」と口にしたら母は死んだのだと改めて実感して泣きそうになり、母が喜びそうなスイーツを見つけて「母はもう食べられないんだよな…」と思った瞬間に泣き喚きたくなり、とにかく何かにつけて泣いたりこらえたりしていたら2ヶ月以上経過していた。

最近はだいぶ落ち着いてきたと思っていたが、さっきから涙と鼻水が止まらなくて、鼻をかむために文字打つ手が度々止まっている。そもそも真に落ち着きを得ていたのなら、気持ちの整理と称してメンヘラポエムを書き始めたりしないのでは…?

私の母は病院や薬、医療というものがとにかく嫌いな人で、血圧を下げる薬などは一切飲まずに暮らしていた。食事なども血圧配慮することなく、食べたいものを食べ、好きなように生きていた。

……好きなように生きていた、と言い切っていいんだろうか。

なんというか、血圧を無理に下げようとはせず、ありのままに生きていたのは確かだと言えるだろうけど、人生のもの全然好きなようにできていなかったんじゃないのか、と考えてしまう。

母は幸せだったんだろうか。さっぱり分からない。

私がこうしてうじうじめそめそしている様を、母はあの世から見守っていたりするんだろうか。

母よ、娘は元気じゃないです。もし霊界なるものがあって、母がそこから私を見ているのであれば、あれば…なんだろう…今更求めることは特にないような気がする。

私が母の死に対して気持ちの折り合いをつけるのは、私が一人で考えるなり周りの生きてる誰かにこぼすなりしてどうにかしていくことであって、死んだ人間に助けを請うたところで不毛しかない。

だいたい生前幸せだったのかを疑問視する母に対して、死して尚何かを求めようというのがもうだめ。発想がだめ。

なんだか疲れてしまったよ。気持ちの整理はあんまりできてないし、むしろあれこれ思考が飛んで収拾がつかないし、泣いてたらちょっと頭いたくなってきたし。

今日ポエムはこのくらいにして、いい加減寝ようかな…寝られるかな…

2020-12-11

ワークマンフランチャイズステマ

つぎゃったーでワークマンFCのんびりやるはずだったけど忙しくなったと言うネタ話があったけど、それに便乗してステマ

この間ご近所のワークマン経営一家結婚式があり、呼ばれていってきたんだが、その入り婿さんがワークマンの元FC本部社員

この経緯が、ワークマンフランチャイズステマみたいな話だったのでちょっと書く。

経緯は

そのワークマンFC20年以上地元でやっている。

同じオーナーが2カ所店舗経営してて、一カ所は基幹店で、人通りも多いバイパス沿い、もう一方はそのご実家土地を利用して作った、ちょっと中心街とは外れている店舗(それでも国道沿い。俺がよく利用するのはこっち)。

オーナーが奥様と脱サラして始めた店舗で、朝からやってるし、便利だし安いし、あんまりガツガツしてなくて、ちょうどいい距離感接客してくれるからありがたい存在

オーナーあんまり店舗にいなくて、普段は御用聞きをしたり、配達をしたりと言う外回りをやってる、お店ではパートアルバイトを雇い、オーナー奥さんやら、お姉さんやら、時にはオーナー父親が店番をし、そんな店だった。

実は俺の家族もそこでアルバイトをしていたことがある。給料バイトとしては普通だけれど、余裕を持った人数を雇用しているため、仕事はそんなにきつくないし、シフト自由は効いてくれるし、お昼ご飯はお店の負担で出前を取ってくれるし、定期的に食べ物屋につれていってくれるし(これはオーナー取引先のお店を使うという、営業の一環でもあったみたい)パートアルバイトにも若干ボーナスオーナーポケットマネーから、と言う名目なので税法上は微妙かもだが)も出る、と言うことで、かなりホワイト職場だった。

が…。

が、オーナーが突然亡くなってしまう。脳出血だったらしい。自分もそのちょっと前に、地域ゴミ捨て場当番でご一緒させちただいたばかりだったので、かなりショックだった。

亡くなった日はワークマン臨時休業になったのだが、なんとその次の日から営業再開。

休めよ…と思ったのだが、ワークマン本部から人がドカンと送り込まれて、オーナー一家がいない状態営業ができるようにしたらしい。

から聞いた話なのだが、普段からワークマン本部担当社員は、特に何も無くても、たまに店に入って手伝いをする仕組みがあるらしい。恐らく非常時に店を休ませない仕組みなのだと思う。

その後、葬式もろもろも落ち着きはじめて本部の人たちは帰…らなかった。ワークマン本部から送り込まれ若いお兄ちゃんが残った。

そのお兄ちゃんは外勤をやってて、今までオーナーがやってた配達などの仕事を補ったらしい。

自分コンビニでの勤務経験もあるのだけれど、本部SVがこう言う、いわば雑用やどぶ板営業をやるというのはちょっと考えられない。

それ以外にも、オーナーが亡くなった後、亡くなったオーナー奥さん社長業を引き継ぐ事になったのだけれど、それの支援もかなり手厚く行われたとか。

そして、その支援に送り込まれたお兄ちゃんと、オーナーの姪、つまり、亡くなったオーナーのお姉さんの娘さんと結婚した、と言うのが最初に言った話である

お兄ちゃんはもうワークマン本部退職して、今は外勤営業をやっている、と言う話。

今では

ブランドが「ワークマンPlus」にかわって、ブームが来て最近駐車場が足りなくなってる感じになっているけれど、私の目から見ると昔から置いてあるものあんまりかわってなくて、安定して営業している。

これだけ売れているのだけれど、ワークマンコンビニみたいにドミナント戦略はとらないようで、この地域ワークマンは、このオーナー一家経営する2店舗だけ。

それが結局事業継続性にも繫がって、よい関係になってるんじゃないかなと思う。ワークマンはやっぱり手堅く商売していると思う。

こう言うフランチャイズが増えて欲しい。

2020-10-26

『翼ある人びと』整理

『BADDAY』『星逢一夜』『金色砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。

金色砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。

それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?

ああ、本来は『サパ』ブルーレイ購入検討のためであった。

前段:上田久美子氏

金色砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。

前段:ブラームス

ブラームスイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。

それからビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。

自分携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。

あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ交響曲1番1楽章とか激しい。

まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家

前段:シューマン

シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。

あと名高い『音楽音楽家』が3ページぐらいで止まって積読

から

ヨハネス・ブラームスクララシューマンロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム

知ってる人らだからと油断していたら名前からなくなった罠。ヨハネス、クララロベルト、ヨーゼフ。

ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。

フランツ・リストフランツ・ヨーゼフ・ハイドン

史実らしいこと整理

【】翼ある人びと

1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』

1841年シューマン交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチメンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。

1845年:三女ユーリ誕生【長女、遥羽らら】

1846年長男エミール誕生【秋音光】。シューマン交響曲第2番 Op.61』

1847年長男エミール死没

1848年フランツ・ヨーゼフ1世即位

1850年シューマン交響曲第3番 Op.97』

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1853年ブラームス20歳クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳フランツ・ヨーゼフ1世23歳)

8月18日バート・イシュルの夏は暑い、今年は特別

9月30日シューマン邸『ピアノソナタ第1番』を弾く

10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声使用などの先見性が評価されるようになった)。

秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタシューマン出版提案するもブラームス判断で破棄

11月シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている

12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒヴァンハウスシューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品作品1として出版することを提案していた。

12月30日シューマン交響曲第4番(改訂版Op.120』初演(現在一般的演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)

1854年

1月:『ピアノトリオ第1番 Op.8』@ハノーバー

2月27日シューマン投身エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。

春?:『ハンガリー民謡主題による14の変奏曲 Op.21-2』

6月:四男(末子)フェリックス誕生次男、花菱りず】。ブラームス名付け親ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。

8月:『シューマン主題による変奏曲 Op.9』完成

夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。

1855年クララ手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンレッド序曲』を聞いて)。

1856年フーガ』『前奏曲フーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』

4月05日:『惜しみなく与えよ Op.30』

7月29日シューマン

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1857年:『前奏曲フーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』

1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルト婚約。『セレナード第1番 Op.11

1859年結婚生活音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄

1861年:『シューマン主題による変奏曲 Op.23ユーリエへ献呈。

1863年エリザベート・フォン・シュトックハウゼンブラームス弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女まれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。

1867年オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生戴冠式マーチャーシュ協会ミサ曲はリスト作曲

1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクラライタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」から断章Op.53』を作曲(別のサイト表現では、プロポーズを承諾したときにわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。

1874年フェリックスの詩に付曲(Op.63-5~6)

1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。

1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った

1879年フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリンソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。

1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。

1889年フランツ・ヨーゼフ1世から芸術科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララ改訂版派だった)

1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。

1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナ校訂版出版、世に知られるようになる。

1893年:『シューマン全集刊行ブラームスクララ編纂

1896年

3月26日クララ脳出血で倒れる

5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世作品とみなされている。

5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。

6月:『11コラー前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームス健康は日に日に衰えていく。医者治療を受けても病状は一向によくならず。

1897年 4月3日:没(63歳)

1898年エリザベート暗殺

1937年シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される


※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。

あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい

あと映画

2020-10-14

私の祖母

私の祖母来年で90歳になる

今年脳出血を起こして、植物状態になった。コロナ禍で、もうずっと長い間会ってない。

祖母が息さえしていればいいと親戚は思っていて、延命治療している。みんな祖母が好きだから死んでほしくない。生きててほしいのである。私の伯父は祖母を神に近い存在だと言っていた

どういう意味だろ…あの世に生きかけている尊い人ってこと?

それとも死にかけて仏(神?)になろうとしているってこと?

祖母富裕層ため生きてると毎月高額な年金が入ってきて貯金たまる

祖母生命力がすさまじくある日「痛い」と言っていたのを看護士が聞いたらしい

医者は弱っている老体を無理やり生かすのはどうかと言っていたらしい

祖母は強い人だったから、延命治療が続けば意識が戻らないまま長く生き続けるんだろうなぁとなんとなく思っている

脳の一番大事なところが出血を起こしてしまたからもうもとには、戻らないそう

このままずっと植物状態で生きていくのかな。祖母がもしこの状況を認知できたらなんて思うんだろう

祖母はずっと寝てて夢を見ているんだろうか。ずーっと眠っている状態って気持ち悪くないんだろうか?

2020-10-11

anond:20201009131515

男女逆の増田のような夫婦は、どうなったのか。

おそらく、それは、私の夫の親夫婦ですが、あなた立場に当たる方は、脳出血を何度か起こしまして、後遺症で今は寝たきり生活です。夫の父が介護しております

あなたがそうなるとは、限らないですけどね。メンタル健康には、気をつけてください。

この増田を読みまして、子育て中の人間として、少し懸念材料があるなーと感じたので、一言言いたくなりました。

それは、この増田奥さんの欠けた能力が、将来の子育てにおいて、必要不可欠な能力であるという点です。

まれたばかりの赤ちゃんは泣くだけしかできないですし、赤ちゃんの泣き声で、赤ちゃんの求めるものを適切に察して対処していく能力必要からです。

それなのに、大人同士で、まともに会話できる旦那さん相手に、弁当箱の容器について、洗える容器にして旦那さん自身が洗うなどの妥協策を取るわけでもなく、「気にしなきゃいいじゃない」で済ませてしま彼女感性は、これから子育てしたいという希望を持つ方なのだと考えると、とても心配です。

いくら保育園に昼間の子育てを任せる予定であるとしても、朝と夜は、親が子育てしなきゃいけませんし、そもそも保育園子育てを任せることが可能なのは、早くて生後六ヶ月前後です。

そして、なにより、保育園であっても、子供からみれば、集団生活の場です。

周りの子供の親が、どのようなもの子供に与えて暮らすか、嫌でも子供は知ってしまます

そして、子供は、社会の中で生きていくために、周りの人と価値観を合わせていく練習必要なんです。それをご自身のお子様にも、「気にしなきゃいいじゃない」をし続けてしまうと、児童心理の発達に支障をきたす恐れがあり、最悪、あなた奥さんが将来的にお子様から毒親扱いされたり、お子様が不登校をおこしたり、いじめを受けたり、精神の病を起こしたり、といったリスクがあります

から、そこは、周りの親の価値観子供価値観に寄り添って合わせていくために、周りのママ友とのやり取りや、保育園からの連絡や、子供の拙い表現から読み取っていく感性が親には必要です。

そこの点が、奥さんには、そもそも欠けているように思います

また、妊娠出産リスク奥さんに与える健康リスクは、実はやってみなきゃわかりません。個人差も大きいし、同じ人でも、毎回違います。初産はなんともなかった方でも、二回目3回目で産後うつになる方もいらっしゃるからです。

地域の状況によっては、妊娠中や出産直後から保育園探しをやらなきゃいけないのですが、出産直後にママが動くことが難しくなることがあります

から、そこらへん旦那さんが動けるのは助かるでしょうけども、実際のところ、産院も保健師市役所子供支援課も保育園も、何もかも、お母さんが主に子供のために動くことが前提の仕組みだったりもします。それをなんの力もない個人がいきなり変えるのは難しく、実際にやろうとすると、仕組みに巻き込まれしまうことと思われます

それに、私の夫から聞いた話なので恐縮ですが、実際にパパ友達をつくることは困難らしくて、ママ友なかに旦那さんが入り込むことはもちろん、子育て広場の場や、健診などでパパ単身乗り込むことも勇気がいるそうです。

実際、私が参加してきた場も、ほとんどが母親ばかりで、母親と親、母親父親が一緒にいるケースはチラホラあっても、父親単身で子供の健診するケースは多くはない印象です。

ただ、これも地域差はあるかもしれませんが。

そういうところで、あなた奥さんのような特性を持った方が、パパ中心に子育てするとしても、ママ中心に子育てしていこうとしても、ママ友付き合いをしていこうと思うと、かなりキツいことも予想されます

あと、どちらかが仕事をやめることも考える場合ならとにかく、どちらも仕事しながら子育てしていこうと考えるならば、奥さんだけでなく、あなた側がお仕事やめることもできるのであれば、実は保育園側の査定の点数が減ってしまうので、保育園に入ることが難しくなるんです。なので、たとえ産後の体力キツくても、ママ本人が動く方が保育園入園のものは有利です。

また、あなた奥さんは、今現在お仕事のものは順調のようであり、忙しくしているようですし、仕事内容や人間関係については、悩んでなさそうですよね?

だったら、正直な話、夫婦人生計画として、現時点では、これから子育てするプランは諦めて、このまま子なし夫婦生活を二人で送り続ける方が、トータルの奥さん側の人生満足度としては高くなるように、私は思うんですよね。

このまま、奥さん職場をクビになる的なアクシデントがなければの話でしかないですけども。

ただ、そのことって、ご本人が子供産める年齢のうちに、ひとつひとつ納得しながら(というのがないとダメ性格奥さんでしょうから)ご検討しつつ、ご決断していかなきゃいけない事柄だろうなとも思うんです。

そういう意味でも、夫婦奥さんからしたらムダな会話は、今現在増田夫婦にとって、必要不可欠なんじゃないでしょうか?

と、私は思いました。

ただの老婆心お節介なだけです。

2020-09-17

anond:20200917183131

ちょっと検索したら、

安全阻害行為等をし、又はしようとしていると信ずるに足りる相当な理由があるときは」機長命絶対らしい。

マスクは現時点ではこれに該当するのでは?

黒人は移動しろ」は該当しないと思う。でも「不合理な命令に従わないために『揉める』」と、揉めたこ自体が「安全阻害行為」になっちゃう気がするよ。

              

揉めて暴力を振るえば「安全阻害行為」だし、乗務員に延々と抗議すれば乗務員業務妨害するから安全阻害行為」。移動しないと移動するまで乗務員は説得し続けないといけないので、やはり業務妨害からの「安全阻害行為」…になってしまう。「安全阻害行為」をしないためには、命令には従い降りたあと抗議するしかなさそう。

              

以下、与太話。

じゃあ機長が「安全のために隣の人を殺せ!機長命令だ!そいつ人間じゃない、エイリアンだ!そう信じるに足る証拠がある、私の頭の中にだ!」って主張したらどうなるのかね?

こんなに極端じゃなくても、急に脳出血妄想様の症状が出たらどうするんだろ?

              

何か規定があるのかな〜?副機長がどうにかするとか…前に機長か副機長が乗客道連れ自殺した記事を見たことあるけど、何かしら規定はありそうな気がするけど…どうなんでしょ詳しい人…

2020-09-06

10年かけて父は死んでいった

私が30歳の時に両親が離婚した。

その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか

両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金借家更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。

そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。

私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつ飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。

大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由アルバイトを辞めた。

就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態かいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟けがあった。

私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。

父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。

それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。

10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単ものだった。

ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初メッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。

次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。

次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。

2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしかさない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。

父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。

最初コンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。

そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってから再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要書類を集めて回り、家庭裁判所相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。

相続放棄の申立は無事受理された。

父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから

父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。

家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。

長くなりました。読んでくださってありがとうございます

2020-09-05

人は簡単に死んでしま

本日は月初につき、朝から出勤だった。

夕方になり私が現場作業から戻ってきたところ、仕事場に隣接する独身寮で、20代後半の男性社員が部屋で倒れていたと聞いた。

私はその騒動をそこで初めて知ったが、その時まで気づかなかったのは、到着した救急車サイレンを鳴らさずに帰ったからだと思う。

その社員救急搬送されず、その場で死亡が確認されたようだった。

・・・のようだったと言うのも、私も出勤していた別の課の部長からそのことを聞いており、その部長現場居合わせたようではないからだ。詳細は来週に分かると思う。

部長と話していると、その社員は先週、私が現場作業応援を頼んだ際に、手が空いているからと応援に来てくれた人だと分かった。

その場にいた同期は、つい昨日その社員に頼みごとをしたばかりだと言った。

彼の年を聞いたら、職場の同僚と結婚すると今週にLINEで連絡があった弟と同じ年齢だった。

彼の顔を、私は覚えていない。ぼんやりと顔が浮かんでくるぐらいだ。

仕事を終えた私は、その彼が倒れていた同じ独身寮の自分の部屋に帰った。そして今、ここにそのことを書いている。

私の部屋より数階下のどこかの部屋で、ひっそりと彼は亡くなった。

彼は関学出身で、土方ばかりのうちの会社にしては珍しく、頭のいい大学出だったと部長は話していた。

部長新入社員研修で、彼と話したこともあるらしい。

私は3年ほど前に、職場で30代後半の管理職仕事中に倒れ、そのまま脳出血年末に亡くなったことを思い出した。

コロナ禍で、人は簡単に死んでしまうと思い知ったが、コロナ流行る前から人はそうだった。

2020-08-25

じいちゃん脳出血で倒れて、意識は取り戻したけど、ほとんどぼーっとしてる状態で、でも頭をかく仕草が元気だった頃のまま

2020-08-24

あいてが、脳出血かいっても

もう意地張らないからとかいうやつら。

むりだろ、そんなもん。

2020-04-20

感染症指定病院感染症病棟で働く看護師です

 居住地は伏せます感染者数が3桁に達するレベル感染が拡大している県です。大学病院ではありませんが、県内屈指の症例数を誇る3次救急指定総合病院です。私の勤める病棟一般内科、呼吸器内科が主ですが一類感染症にも対応できる陰圧室を有する感染病棟でもあります現在新型コロナウイルス感染症(COVID-19)専用病棟として運用されており、入院しているのは陽性が確定した患者と、感染が疑われる患者です。病床数は40床程度ですがそのほとんどが埋まっています。はじめは陽性の患者は陰圧のかかる個室で管理していたのですが、すぐに個室は埋まり現在は大部屋で管理しています一般病床ですので陰圧はかかりません。病院構造病棟のものを閉鎖空間にすることもできず、病棟入り口ポールを立て出入りを制限しているのみです。すぐ隣の病棟には癌で化学療法を受けている免疫の低下した患者大勢入院しています院内感染が起こると危険な状況です。

 PPE(個人防護用具)の不足についてはメディア報道されているとおり危機的な在庫状況です。陽性患者が療養されている空間レッドゾーン)に入る際には、私たちマスクガウン手袋キャップフェイスシールドを装着します。このうちマスク一般的なサージカルマスクではなく、今や皆さんご存知のN95という空気感染にも対応できる特殊マスク使用します。通常であればこれは患者毎に使い捨てものですが、1日に1個まで使用制限されています新型コロナウイルスが発生する以前は、N95使用する機会はほとんど無く、たまに入院してくる結核患者対応使用する程度で院内在庫豊富にあったのですが、あっという間に品薄になってしまいました。ガウンフェイスシールドに至っては在庫が底をついてしまったので、自家製のもの使用していますゴミ袋で作ったガウンクリアファイルを切り抜いたフェイスシールドで、看護助手さんが毎日せっせと作ってくれています。PPEも満足に揃わない状況で患者対応をするのは不安でありますが、あるもので何とかしなければならないと割り切って仕事をしています院内感染全国的に多発しており問題となっていますが、私の病院でもいつ職員から感染者が出てもおかしくない状況と言えます。余談ですが看護助手さんの存在なくして、私たち看護師は満足に働くことはできません。もちろん陽性患者に直接接することはありませんが、彼らも立派な医療従事者です。危険手当も感染した場合補償もないにもかかわらず、文句一つ言わず働いてくれています。ちなみに私たち看護師はありがたいことに1日あたり300円の危険手当がついています

 入院している患者の大多数は軽症患者です。味覚・嗅覚障害のみで発熱もなく元気な方もいますし、呼吸器症状のある方でも酸素投与までは必要としない方が大半です。入院治療必要としない軽症患者ホテルなどの宿泊施設移送するといプロジェクトが本県でも始まってはいますが、手続き上の細々としたことで難航しており、あまり上手くいっていない印象です。

 当然ですが重症化する方もそれなりにいて、数名の方は病棟で人工呼吸器につながれています。今のところ人工呼吸器が足りないという話は聞きませんが、今後の状況次第では不足する可能性は十分にありそうです。人呼吸器につないでも呼吸状態改善されない場合は、亡くなった志村けんさんも使用していたと言われるECMO(体外式膜型人工肺)を回したりします。ECMOは一般病棟では到底管理できないのでその時点でICU集中治療室)に移します。ICUで勤務する同僚に聞いたところでは、残念ながらECMOまで稼働させて持ち直した症例は少ないとのことです。脳出血などの重篤合併症引き起こして亡くなるケースも少なくない印象です。

 また、新型コロナウイルス感染症では腎機能障害を併発する方が多く、腎機能低下が著しい場合CHDF(持続緩徐式血液濾過透析)といって特殊ポンプを用いて24時間血液浄化する場合がありますが、この回路が血液凝固でよく詰まります。そのため24時間MEさん(臨床工学技士)が常駐しており、回路が詰まるたびに対応してもらっています。人工呼吸器、ECMO、CHDFなどの医療機器の稼働率が高くなっている状況において、MEさんの疲労は半端なくピークに達しつつあるのが表情から察することができます人員が少ない分看護師以上に過酷労働環境でしょう。

 看護師は誰でもそうだと思いますが、看護学生時代から幾度となく、看護はベッドサイドからと教えられます。私も患者の側にいてこそ看護師であると日々思いながら仕事をしてきましたが、今はいかにベッドサイドに行かずに済ますか考えなければなりません。軽症な方の食事は部屋の前に配膳しておき自分で取りに来てもらいます。検温もナースステーションから電話で声掛けし、自分で測ってもらいます隔離されている患者不安ストレスは相当なものだと思います特に高齢患者場合隔離による悪影響は計り知れません。ベッド上で過ごす時間が1日のほとんどを占めるようになると、あっという間に歩けなくなり認知機能も落ちてしまますせん妄と言って見当識障害引き起こしたり、不穏になる方も出てきます。できることなら側で話を聞いてあげたいし、世間話でもして気を紛らわしてあげたいのですが、患者との接触は最小限にするようにICT感染対策チーム)に強く言われています看護師の一人でも感染するとかなりの数のスタッフ出勤停止となり、医療崩壊を招きかねませんので当然ではありますが、今まで自分看護と考えていたことと間逆な対応余儀なくされていることへのジレンマは常に感じています

 私も何例か立ち会いましたが、この感染症の患者最期はとても悲惨です。家族に看取られることもなく、防護服をつけた医療従事者に囲まれながら一人で死んでいかなければなりません。通常ですと医師により死亡確認がされたあと、看護師によりエンゼルケアといって清拭をしたり軽く化粧をしたりするのですが、本線感染症の場合エンゼルケア感染リスクを高めるため避けるべしという病院方針により、亡くなったそのままの状態で納体袋に収めることになっています。納体袋は2重になっており内側はビニールシートのような材質で中が透けてみえるようになっています。遺族は患者が亡くなったあと窓越しではありますが、ビニールで密閉された患者に対面することが許されています。変わり果てた患者の姿に絶句し、無念さに涙する家族の顔が焼き付いて離れません。つかの間の再会のあと、分厚いブルーシートのような素材の外袋で密閉し火葬場に直行荼毘に付されます。とても非情残酷ではあります遺体から感染懸念されることから、仕方のないことだと自分を納得させています

 スタッフの中には自身感染するという不安や恐怖のため、メンタル的にやられている方もいます。小さなお子さんがいる方は特に神経質になっているようです。そのような方は他の病棟に異動させるなど配慮をしてほしいものですが、スタッフの数が不足している状況でなかなか声を上げにくい環境ではあります医療差別については個人的には経験がありませんが(両親には実家に帰ってくるなと言われてはいますが)、差別的な言動対応を受けたスタッフも実際にいるようです。そのようなことがあると仕事に対するモチベーションが下がりますが、ほとんどの医療スタッフ普段どおり淡々仕事をしています仕事ストレスに対する耐性が高い人が多いこともありますが、このような感染症の流行に備えて日頃から訓練を積んでいますし、覚悟もできています医療現場が忙しいのはコロナ以前からですし、このような状況だからこそ冗談を言い合いながら笑って仕事をして、むしろ病棟の結束力は以前より増しているように思います。これに関しては人間関係に恵まれ職場で働けていることに感謝しています

 新型コロナウイルス流行がいつ終息するか、それは誰にもわかりません。メディアではコメンテイター医学博士といった肩書の方が様々な持論を述べていますが、第一線で患者治療にあたる医師たちはわからないという事実に対してとても誠実です。すくなくとも年単位覚悟しなければならないだろうというのが現場共通認識です。国民の大多数が感染集団免疫を獲得するかワクチンが開発されるまでこのウイルスが影を潜めることはおそらくないのでしょう。ワクチンについては、すでに感染している患者治験薬を投与するのとは違い、健康な人に接種するのですから段階的なフェーズを踏んで安全性有効性を確認しなければなりません。開発にはそれなりの時間がかかることが予想されます自粛生活がいつまで続くのか、先行きの見えない不安ストレスを抱えながら生活するのは気が滅入りますが、いつか終息すると信じて耐えるしかないのでしょう。

2019-12-23

憎い友人が死んだことを半年遅れで知った。

ただの、フィクションの⻑駄文です。

⻑い⻑い文になってしまった。



1ヶ月ほど前、私の男友達からメッセージが来た。

Facebookの、アイツの投稿なんだけど」

と文に続いて画像が送られてくる。

Facebook投稿の、スクリーンショットだ。

だいぶ彼も慌てていたのだろう。

ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。

Facebook投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。

彼女の母を名乗る者から投稿は、淡々とした文で訃報を綴る。

しおり半年前、突然の病気で急死したこと

心の整理がつかず連絡が遅れてしまたこと。

そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。

かに淡々と、けれど詮索を拒否する文面がそこにあった。

LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。

とはいえ彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。

返信をしてからすぐに、彼から電話がかかってきた。

彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。

その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。

本当は大笑いしたかったのだ。

憎い憎い、彼女の死が、心の底からしかったのだ。

私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。

当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。

そういう、他愛もないよくある関係の三人だった。

そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。

彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。

そういう微妙バランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。

そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。

私は彼女完璧無視されながら、「三人で話していた」。

まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧無視されていた。

理系大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。

大学中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)

ただの恋敵からマウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。

その願いは数年後に叶うとも知らずに。

その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。

大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。

食事も取れず、かなり痩せてしまたこと。

そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇シンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。

実際彼は、彼女のことを心配していたし。

私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。

彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。

そうして、今回の訃報に至る。

彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。

勝った、と思った。

私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。

わたしは、人の死を、よろこぶひとになってしまった。

後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。

多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。

から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。

バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。

彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。

けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。

穏やかな顔で私は嘘をついた。

「知ってたよ?あの子、たまに私に相談してくれてたから」

割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。

何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。

どうしても彼女恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。

どうしても身体関係を結べなかったこと。

最後喧嘩別れしたこと

そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。

これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。

そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。

けれど、彼女は死んでいる。

からこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。

そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。

草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。

彼女には未来がないこと。

それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。

あんなに学歴や彼との距離感マウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。

もう彼女には何もない。

あんなに心を崩すほどに勉学に励んでいたのも無駄になった。

入った大学キャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。

そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。

何よりもそれが嬉しい。

彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。

リビングには薔薇ドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースクロスが敷かれていた。

そして、彼女仏壇を置くために、一室を使っていた。

仏壇とき大仰なと毒づいてしまいそうになった。

演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。

くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。

悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。

仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分我慢 しよう、という気概を感じ取れた。

男子からこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。

リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。

「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」

彼女の母と、私は目で訴え合う。

それを聞くのか?という母親の目と、

死因を教えて楽しませろという私の目。

たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつのなのだと感じてしまっ た。

あの、喰えない女を産んだ女だ。

「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」

浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。

ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。

けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。

彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。

話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。

浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。

けれども、脳浮腫医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。

浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である

それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。

たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である

そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。

そして私は、一つの結論に至り、また悦に浸る。

まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。

浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。

可能性はこちらの方が高そうだ。

突然、死に至る病としては説得力がある。

けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。

から、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。

浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものであるくも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。

そして、私はふと思い出すのだ。

彼女大学入学からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。

そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。

もちろん七割は、私の願望なのであるが。

帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。

その煌めきの中に、彼も共にいる。

なんと幸福時間なんだろうと、心の底から思った。

この煌めきを、彼女はもう永遠に味わえない。

その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。

から、いいのだ。

彼の口から、今の彼女との結婚プランの話が出てきたとしても。

彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。

この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。

から、その今の彼女名前を、今回死んだ彼女仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。

来年の今頃、彼は式を挙げる。

彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。

それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。

そして、もうひとつ彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。

彼女は、どのように死んだのだろう。

微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?

それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。

ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。

けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。

首吊り飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。

ああ、彼女は、世界絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。

今までの努力が全て無駄になった上、 彼から彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望最中彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。

そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。

私の恋心はどこから崩れてしまったのだろう。

駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。

からは、ニコニコと笑いながら答えが返ってきた。

「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。

来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。

それは、幸せことなのだ、きっと。

そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せ人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。

死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。

やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。

その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。

この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。

ただ一つの結論として言えることはある。


こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。

2019-11-09

anond:20191109135813

ai-P!nk Tokyo @setagaya2013

Working mom with 7yr old daughter in Tokyo. My goal is to be a strong woman . Feminist. Love wines and classic music & of course, a huge P!nk fan!!!

欧州ではミニスカートを履くと売女扱いで軽蔑の目で見られた』→【だから欧州日本より優れている】…との結論困惑の声 - Togetter

https://togetter.com/li/1358437

薄野Boo @BooSusukino

すすきので命を懸けて遊んでます。昔のやんちゃ生活のたたりで左目はお飾り、脳出血後遺症で色んなとこに麻痺有りで、一番困ってるのが喉とか舌とかの麻痺、大したことなくても、大したことある。おまけに車に轢かれて右足まで折っちゃってダメダメなんだけど、人様の何倍も遊び倒したから、良いかなぁ~~とか、思ってるプレ還暦爺ぃだよ。

海外女性が太ももを見せながら街を歩く事は、「誰か私を買って!」と言って歩くのと同義」←世界中から「そんなことないです」 - Togetter

https://togetter.com/li/1250184

オタク

2019-11-05

虐待冤罪について小児科から

小児科医です。話題になっている虐待冤罪について、というより、冤罪の詳細については立ち入りません。

自分虐待専門の小児科医ではありませんが、一般小児科医としての視点から医学的な面についてのみ書きます

小児の静脈血栓症10万人中0.64人と「極めてまれ」な疾患。

一方で虐待では、年回50人以上は命を落としている「きわめてありふれた、死に至る病」。そして虐待死の半分以上は0歳児。

更に小児の場合静脈血栓症発症する子は、何らかの基礎疾患や投薬を受けていることが多い。

たとえば悪性腫瘍がある子ども血液凝固能が亢進しているため、血栓ができやすい。あるいは血液凝固因子の先天的な異常により、血液が凝固しやす子どももいる。

逆に言うと、「何も基礎疾患がない子が脳出血で死亡した場合、強く虐待を疑う」というのが、ある意味小児科医として当たり前のスタンスである

そしてどうしても人間自分知識バイアスをかけて物事をみてしまう。

こういった虐待死が疑われる症例で出てくる小児科医は、いやになるほどの虐待関連の症例をみてきている。

虐待専門ではない自分ですら、表面的には人当りのいい両親が、どれだけ恐ろしいことを子どもにしているのか、絶望することだってある。

虐待医学的な研究が難しいのは、唯一の観察者である保護者加害者であるという事実である

まり受傷機転についての信頼性が著しく低いのだ。


司法システム問題はきっとあるのだろうし、それは司法の人に任せる。

私は小児科医として、あらためて思考停止せず、他科にも敬意をもってコンサルトしなければならないことを痛感した。





子ども虐待医学-診断と連携対応のために 編著:ロバート・M・リース

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjscn/49/6/49_396/_pdf/-char/en

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