はてなキーワード: 背中とは
動けなくなって4ヶ月が経つ。
立ち上がって10分も経つと失神しそうになる。そのうえ息切れも激しい。
そうすると外に出られない。買い物に行けない。仕事にいけない。
私の身体は社会という輪の中からポンとはじき出されて、魂だけが自宅に軟禁されているかのようだ。
そんな中では些細なことなのだが、私には「宅配の受け取り」という問題があった。
食料、医療器具、薬とすべての物が宅配で届く。健康な人にとっては便利なものかもしれないが、病人にとってはライフラインである。
現代のように宅配システムが発展していなければ、渋谷のスクランブル交差点で寝っ転がり、決死隊同然のデモを起こすしかなかったのかもしれない。デモ当日が晴れであることを祈るばかりだ。
とにもかくにも、宅配のおかげで何とか生きていけている(しかし、これも貯金が尽きるまでという期限付きの安息であるが)。
だが、宅配にもまた壁があった。
まず突然のドアベルが怖い。当然のことながら、配達人は私の事情を把握していない。食後の調子が悪い時間帯でもお構いなしだ。
しかも、驚かせるというのがよくない。私の心臓は壊れているので、驚くと心拍数が上がる。これまた尋常ではない上がり方なのだ。
最悪の場合、悪い調子のさらに悪い状態で対応する必要があるということだ。
マスクは必須である。ワクチンの副反応によってこの窮地にある以上、コロナに罹患した場合はさらに命の保障がない。
そして、とぼとぼと玄関に向かう。
息切れも強くなるし、胸も痛い。
なんとか玄関に着く。そしてドアを開ける。
そして、自分の背でよいしょとドアを支える。
それから頑張って応対する。首もうまく動かせないのでにらみつけるような形になるが許してほしいと願う。商品を手渡される。重い重い重い。
まず、ドアストッパーを購入した。
玄関ドアに磁石でくっつけるタイプのストッパーだ。磁力が弱かったらどうしようと考えていたが、それは杞憂だった。
ドアの下部にストッパーを近づけると、金属の本体部にパシッとくっつく。ストッパーを下ろすと小さい部品で大きな玄関ドアを力強く支えてくれる。
素晴らしい。
このドアストッパーのように小さくとも力強い人間になりたいものだ。
これなら、わざわざ自分でストッパーを下ろさずに済む。本当にありがたい。
次に玄関前に椅子を用意した。立って対応するのを避けるためだ。
配達人が来ても落ちついて座る。私は座位でも心拍数が高いが、立位より全然良い。
今のところ、全員が書いたとおりに対応してくれる。
重ね重ね、本当にありがたい。
あとはわずかに生じた余裕でもって、心ばかりの笑顔を作ればよい。
何も対策をしてなかった頃の私は、まさに必死の形相で対応をしていたのだが、お姉さんは何の気もなく。
「あ、いいっすよ」と荷物を床においてくれた。
そして、最後に「大変ですね」とニコッと笑って、颯爽と去っていった。
ありがたい。ありがたいが、なるほど。
これはもしかして、こちらが「そうして下さい」と言ったほうが、向こうとしても楽なのではないか。
そう思ってこの対策を準備した。
玄関ドアを背中で抑えて、にらみつけながら対応されるよりよっぽど良いのではないだろうか。
ギャル風のお姉さんには頭が上がらない。二十代前半だろうか。年齢など、人の器の大きさには関係ないものだなと心底実感する。
ちなみに、ここまで読んだ人は、「置き配」という手があるじゃないかと思うかもしれない。
私も「置き配」が可能であれば利用しているのだが、二つだけ例外がある。
まずは、置き配に対応していない業者があること。二つ目に、ネットスーパーだ。
ネットスーパーに置き配を頼むとコンテナに入れてくれるのだが、そのコンテナが固い。労作性の頻脈でもある私は、ほどくだけでえらく疲れてしまう。
なので、ネットスーパーに「置き配」は存在するが、必ず対面で受け取るようにしている。
タイトルの「いかにして動けない私が安心して宅配を受け取れるようになったのか」という問いに対しては、小さな工夫を積み重ねた結果という答えになるのだろうか。
さっき読んだ直後は、単なるジャンプラの読み切りなんだから軽く流そうと思った。
でも10分ぐらいしたらやっぱり口にしないと気持ちが収まらなくなった。
100字では、140字でも書ききれない。
言いたいことが多すぎる。
どこから書けばいいのか。
ああ、もう嫌いだ。
『写実の世界から抽象画の世界へ』というメッセージは一発で伝わった。
でも絵が気に食わない。
繊細な写実というには右の絵は稚拙で、意図的な子供らしさと作中で語られるにしてももうちょっとなんとかなるだろうと思ってしまう。
ゾッとさせるような写実が持つ、バランス感覚に対する驚嘆と、生まれつきの能力で絶対にかなわないと感じさせる認識の解像度が……。
抽象をテーマにしている左は、モヤモヤっとしたものをたくさん並べて配置しましたよとただそれだけで……抽象とは近視が眼鏡を外してクシャクシャのフィルム越しに遠くを見た景色のことなどでは……
つうか、この橋……モネ!雑!つうかそれなら左側にあるべきはこんなモヤモヤじゃなくて!
ああもう嫌!!!キレそう!睡蓮の橋だって分かったことで「なるほどね、分かってるじゃん」じゃなくて「分かってね~~~~」が出ることにキレそう!!
もう無理これ以上書きたくない!
既にもう無理!!!
ねーなにこれ ←それな なにこれ
で?
結局なんなのこれ?
またどっかのパクリ?
で?
もう考えたくないから次
客の方を向いてアニメ絵を描いて喜ばせた人間が馬鹿にされて、シコシコ自分の趣味を押し付けた奴らが文句を垂れる。
身勝手だよね。
こういう姿勢駄目だよね!
って漫画になると思ってました。
でも違いましたね!
大ゴマでこのシーンを印象づけるのと、場面の情報量を絞ることで次のページからの場面切り替えをやりやすくしたのはいいね。
は?
芸術家って感じでゾクっと?
池田屋って店名の直後に名字出して、服もわかりやすくすることで今なにしてるか分かりやすいのはいいと思うね。
キャラクターの状況説明に無駄にセリフ使わない工夫をしようと思えば出来るくせになー。
大きい画廊に絵を出せる人からも評価されてるなんてモネさんすごいな~~憧れちゃうな~~~。
中間のコマでセリフを右から左にグイグイ読まつつコマを埋めることで圧迫感出すの上手いな。
技術的には漫画ちゃんと描けるのに話がほんとな、まあ作画だけやってろというには画力がまだまだなー。
ネームだけって感じか?
どうなんでしょうか?
「売れるか」を「」書きしてるのは、あとあと引用するときのため読者に印象づけたいってのもあるけど、言い方がわざとらしいってのも含まれとるんやろうねえ。
と、ここでは評価できるのだが、それがあとあとね。
最初の吹き出しが後頭部から発射されていることで、そっぽを向いて話していることが分かる。
その次にイーゼルにセリフがかぶってることで、意識はそっちにあることが分かる。
若干吹き出しが下がっているのは視線誘導による宵宮さもだけど、発した側の意識の比重が周囲の会話から絵の方に戻ったことも分かりやすくなってていいと思う。
クソが、褒めたくねーんだよ本当はこんな漫画、でも誠実に向き合った上で批判してる感出したいからな。
「発想も描き方も自由でのびのび」
はい嘘ー。
せんせー、物語の都合のために嘘を演じさせられる子供たちが可愛そうだと思いまーす。
絵を目と心で見るんじゃないんだよな……。
それって作中で自分でも言ってるんだけど、こういうセリフは統一感持たせてほしいな。
咄嗟に言った感じを出すたびにブレを出すにしても、それならそういう作劇意図が分かるようにして欲しいんだよね。
そのあとの「こどもなら尚更」はモネのくそみてーなエゴがダダ漏れでいいと思うね。
ここでね、読者が「ヤベ、100点じゃん」ってならないと負けなんすよ。
作者の意図的に「子供が書く絵としては凄いけど……」を思わせたかったのかもだけど、そうだとしてもここは思いっきり嘘を振り切っておいた方が作品がビっと引き立つと思う。
いやー読者的にはそーゆーの関係ねーんで。
うーんここでカラーを使うって手もあるんだよなー。
とにかくここでのパワーの弱さが読者側に「おい、俺の作品に歩み寄れよ」って命令されてるような感じにさせるんだよね。
好意的にそれを受け入れてくれるやさし~~い読者じゃなくてごめんねー。
点数って概念がデジタルで抽象的過ぎるから、金払って評価貰う側としてはどうしたらよくなるのかを具体的に書いて欲しいって感じそうだけどな。
いやすまんね。
でもな~~んか、そもそも論として悪手にみえるんだよなあ点数をつけること自体がさ。
だってアトリエのオヤジ、やり手オーラ出してるキャラなんだからそういうことするかなって。
学校の美術でいい点取りたい子が集まってる教室って感じもせんしなあ……。
ああごめん、俺が勝手に「作者の人形劇っぽさを感じる小道具が出てきちゃったな」ってケチつけてるだけだから。
リアリティ 23点 ってか~^~^
ああなるほどね。
いや、でもそれにしちゃ用紙がしっかりしてんだよな。
やっぱ日常的に点数つけてるわコレ。
それなら店長からなにか注意とかありそうだけどそういう描写がない……。
まあそれより気になるのはさ、モネの「はいはい…で何がご不満なの…?」なんだよね。
お前よー「美術の先生にあんまりいい思い出ないなあ」と言った口でコレかー。
まあ初日っぽいし勘弁してやっか今回は。
ページの左下でコマぶち抜いてることの演出意図がいまいち分からん。
違和感でまっさきに目が言っちゃうけど、まず上から見てもらった方がいいページに見える。
100点じゃないんですか……?の寂しい背中が重要なページでしょこれ。
・ ・ ・
みんな って言い方にさ、「大衆は無知蒙昧なクズであり、芸術を介さぬ下等種族である」と言わんばかりなものを感じるんだよね。
それが演出意図として分かっていて、読者はモネのこういった発言にイラッとするのがこの漫画の誘導として正しいのかが引っかかる。
というか俺は終始そこが引っかかる。
モネをどう見てほしいのか。
そしてこの物語をどう感じ取ってほしいのか。
背骨とも言えるその部分にどこかゆらゆらとハッキリしない感じがある。
そうしたゆらぎの最中に、蛇行運転の酔っ払いが次々と不特定多数にタックルをかまして帰っていくような不躾さを覚える。
俺はそこが本当に嫌いなんだ。
それを分かっていてやっているのか分からないことが。
「心で見たら なにも見えなかった」
は?
計算して書かれた上手な子供の絵を描こうとする子供の姿を、心で確かに見ておきながら、自分が気に食わないからとなかったことにしたのはお前だろうがモネよ。
お前な、相手の嫌なところが作品から見えたらそれは何も見なかったことにするのが絵画鑑賞だと思っとんのか?
悪意を感じ取らせることがコンセプトの作品もあるし、空虚さがコンセプトの作品だってあるだろう。
見えないのは、お前の心が、お前の見たいものしか、見てないからだ。
そういうところが嫌いなんだよなモネ。
抽象画について語るのはほんま難しい。
俺は火傷したくないから自分から語りたくねーので「ブルーピリオドとかに描いてあった気がするぜ?」とでも言って誤魔化すけど、この作品は火中の栗を拾いに行くんだから勇気があるなあ。
まあ~~~言ってるのは小学生と~~画家ですらないモネせんせ~~ですから~~~作者の意見じゃないし~~~いいんじゃないっすか~~??
でも冷めちゃうんだよね。
没入度 10点 ってか~~~^^
モネさんにじゅうはっ さい
絵画歴15年
いやまあこんな所噛み付いて「じゃあ小学生で絵が売れてるやつの何が分かるんだろうな」なんて言いませんよ?
雑に揚げ足取りたいってほどじゃないんで。
真っ向からぶった切ってる感出したいからここは、刃を縛ってフェアを演出ですよ。
あっいや違うよね。
無知蒙昧なクソ雑魚読者に対して抽象画について1から説明しても仕方がないから抽象化≒グルグルってこの作品では仮に定義してるんですよね。
あれ、なんで俺今一瞬アオスジピキってなったんだ。
無意識化で何かを抑えた音がしたわ。
絵を描く楽しみを、人からチヤホヤされることに求めちゃ駄目なんですかね?
ゴメン僕ホントこういうのわかんないんだよね
やっべフライングした
風が吹いている絵を見て、そういった概念を描写しようとしたことを理解するのと、実際に風が吹いている用に感じるのは別っすね。
膨大な価値がつく理由は様々で、投機目的だってあるからなんとも言えないっすね。
あえてズラして頑張ってる感の演出っすね。
歪みを入れてるのもわざとでしょ?
はい 23点
これはだいぶ浅い見方なんですよ。
そもそも論として、レンズを通った時点でそれはもう正確な風景とは言えない気さえします。
そういった疑問を人の心に浮かび上がらせてくれるのがカメラの魅力だと私は思います。
魚眼レンズは文字通り、魚の眼に映る世界なわけですが、もし人間の目が魚眼レンズだったら、正確な風景と呼ばれる写真は魚眼レンズの写真になったのでしょうね。
ではその世界において私達が見るような比較的フラットな景色はどう扱われるのでしょうか?
望遠レンズで撮ったときの遠近感を人は嘘と感じますし、広角レンズにしてもそうなのですが、それらは単に私達の視覚とは違う道具を……
人に見せて再生数を稼げるかじゃなくて、自分が気持ちよくなれるかだから。
それを、人に押し付けるなよ。
股間の筆を、SEXに使うか、オナニーに使うか、それを決めるのは本人の自由でいいじゃん。
お前のオナニー気にくわないよ、お前がSEXだと言い張っても筆を使うならオナニーだって俺は思ってるから、お前がSEXと言い張ろうとオナニーとして評価するから。
それがお前の考えるいい先生なのかよ!
そういう所だぞ。
突然人の髪触る奴……こわっ……
でもあれだな。
「教えたいことがある」のセリフに被せられるとエゴイストっぷりが引き立つからいいシーンだな。
自分の顔を鏡で見た時は鏡に写したキメ顔だけってのは、人間の人生が持つ欠陥の一つです。
そこが味わい深……あー駄目だまた話が長くなりそやめやめ
じゃあどう表現したら良かったんでしょうか?
難しいね!頑張って!
ここの背中から表情の違いを上手く出せると良かったんだろうな。
多分、それだけでもだいぶ変わる。
自分の知ってる悲しみを、他の人には味合わせないようにと考えられる人が、優しい人だと僕は思います。
私はそれを乗り越えたから、それについてはもうどうでもいいよと言いながら、他の人が同じように悲しんでも、自分と同じように乗り越えろは、優しさとしては3流、いや、そもそも優しさじゃなくて自己満足、エゴだよそれは!
今、愚痴を吐くためにあえて1ページずつ見てるんだよね。
それでさ、このページを1ページだけ見たんだよ。
そしたらさ、頑張って描いた絵の上に「お前の絵は心に正直に描いてないよ」ってセリフが被ってたんだ。
お前の絵は無価値だよ。
本当は0点だ。
そう言わんばかりだった。
悲しみが、胸に押し寄せてきて泣きそうだった。
ゴッッホーンってな。
はぁ……31Pの悲しみのせいで内容がうまく頭に入らねえ。
うわああああああ急に白黒に戻るなああああああああああ
ぶっちゃけ見開き2ページぶち抜きでこの振り向きで良かったと思います。
そもそもの話なんだけどさ、描いてる最中にチラっと横見てなんとなく何描いてるか途中で分かったりしない?
完成まで間に衝立でもあったのかな?
わりい。
俺2周目だから超冷静なんだわ。
こまけーなわりい。
場面が転換してるけど台詞が直前の事象を引きずりすぎてるので「え?なんか急に生徒生えてきてない?」ってなるんだよなー。
レオの席が空席なのを先に見せてワンテンポ落として、それから教室全体とかにするといいのかなーって。
気に入っているから居残るってのはどうなんだろう。
俺は今、大嫌いな漫画のためにこんな夜中までひたすら居残りしてるんだけど?
すごいお家……以外の情報はないなこのページは。
俺もちょっと他人に無関心な所あるけど、最悪の出会いをして今夜ふかししてこんなの書いてるよ。
この辺、状況説明みたいのばっかで文句をつけようにもそもそも何もないって感じだ。
しかしあれだな「気に障るようなこと」と口にしては具体的にそれがどうなのかは考えないんだよなモネって。
休憩していいぞ。
待ってるやつがいるぞ。
どっちだよ。
「」の中身がなげーよ。
どんな時でも描きたい気持ちに素直になれるかで定義するのもなんかモヤモヤするしな。
前半部分いらなくね?
いるか?
自称画家じゃないのモネが半分だけ定義を満たしているのってキャラ的に正解なのか?
看板を背負う勇気さえできりゃ俺こそが画家なんだよ!ってキャラだったのか?
そのへん混乱するぜ。
上半分は回想ページだから雑な絵柄じゃん?
でも下半分だと偉い人から「本当にいい絵だと思っている」ってオーラを出すために書き込まれてるじゃん。
んでこれってレオの回想だからレオの思い込みの光景なんだよな?
いやそこが分からん。
実際にあった光景に対してレオの印象だけが吹き出しで追加されているのか、絵も含めて全部レオの妄想なのかが分からないんだよ……。
多分だけど、上半分のオヤジと画家をもっと丁寧に書いて、吹き出しは思い込みで、映像は事実そのものですってした方が漫画的にいいのかな。
そして、それがこのページを読みにくくしてる。
やっぱ父さんの顔のタッチ、さっきのページの上だけおかしいんだよな……。
どうあってもレオの絵はレオの絵であって、そこに世界はやはりあるんだろうな……って演出でいいんだよなコレ?
この辺のわかりづらさ本当なんとかしてくれよ。
光ってるのはお前だぞ派
それが読者に分かるのがいい漫画なんだぞ派
君はどれ?
「大したやつだ」
「やはり天才か」
上から目線で語ってんじゃねーよババァ俺より稼いでねーくせにと言ってえーんやぞレオくん。
俺は許すよ。
『「世界」が描きたい』って話さっきまでしてたのに「描きたいものが分からない」って話にいつの間にかなってる!?
編集も読んであげて!
うーん。
ビジネスマンと漁師のアメリカンジョークみたいになってきたな。
あの稼ぎまくって最後はのんびり釣りをするんだぜって既にのんびり釣りをしてる人に説法を始めるやつね。
俺あれ好き。
この漫画嫌い。
最初に髪の毛触ったコマでもうちょっと分かりやすくしたほうがいいよ。
この石何?ってなる読者いると思うからね。
それか完全にゴム紐にしちゃったほうが逆に分かるかなー。
目線の高さを合わせて喋ってる感出してるはずのシーンで高さがあってないの苛つく人ー ノ
いやお前ゴム紐に向けて喋ってるわけじゃないだろ?
扉絵のクソ雑い睡蓮の橋を思い出して思い出しギレしそう!!!!!!!!!!!!
なにいきなりフェラ顔してんの?
ここ1Pずつ読むとそんな違和感ないけど見開きだとなんかバランス悪いんだよね。
どっちで読ませたいのこの漫画結局?
縦読みだと多分この構図でいいんだろうけどー。
友人再登場してるけどコイツのこと読者だいたい忘れてると思う。
会話させるために引っ張ってきたんだろうけど……。
つうかなんであれモノクロだったの?
なんで?
白黒にしたの?
なんで?
でもさあ、あのサイズ(3mぐらい?)で描かれてる設定ならなおさらもっと精緻なタッチでよかったんじゃないの?
小学校の頃の僕はこれぐらいの画力でしたとかだとそれこそ「世界」がないよね。
バリバリに写真みたいな「世界」の中にいた僕を先生が引っ張り出してくれたんですにするのが、あの絵でやるべき「世界」だろぉ?
20代会社員。女。3次元に推しがいる。CDが出たり、ライブをするようなジャンル、とだけ言っておく。かれこれ4年ぐらい、大学生の時から推している。
推しがいるかいないかであらゆる物事を考え、金も時間も惜しみなく使う。推しがコンテンツとして私たちに提供してくれる部分を余すことなく消費したい。わたしの知らないコンテンツとしての推しがいることが耐えられない。そんな感じ。
認知されたいとかTOになりたいとかはない。まあ、いつもありがとうとか言われたらそれは嬉しいけど、ステージでキラキラしててくれればそれで良かった。
「○○したいから○○しなきゃになったら離れ時」みたいなことを聞くが、私からすればそれは常にイコールだった。買おう買いたい、行こう行きたいではない。全部見たいから買わなきゃ、全部見たいから行かなきゃだった。
どうして世の中のオタクは、好きな人に対してそうも適当でいられるのだろう。金がない? なら作れ! 都合が合わない? 合わせんだろうが! その時その瞬間にしかいない推しを、どうしてそんな簡単に諦めて生きていけるの? そう思っていた。
というか、正直今も思っている。じゃあ全てを掴もうとすることが真摯ですか? と言われても、そうだよなんてとても言えないのに。
どうせ裏では何やってるかわかんないのにとか知らないことだらけなのにみたいなことを言われるが、それは当たり前だ。だから「コンテンツとしての推し」と書いた。
見せられない部分は知らなくて良い。知り合いにもなりたくないし付き合いたくもない。でも、こちらに見せているところは余すことなく見たい。
それが「普通」だった。私の中では。
当然、会社員の給料で生活費を切り分け、残ったお金だけで全部を賄うのはだいぶ厳しい。
いつしか夜の仕事に手を出した。そんな感じの漫画が少し前にバズっているのを見たが、まさにあれだ。推しのためなら頑張れる。頑張れた。あの輝きを得るためなら何だってできた。推しのためなら。推しを見るためなら。
わたしの原動力は全て推しだった。もはや、生きる理由も推しだった。
ある時、「自分の生活もままならないのに、何でこんなに頑張ってんだろう」と思った。
思ったら、最後だった。
ちょうど昼の仕事で人間関係で悩んでいたこともあり、全てが崩れた。
推しに会いに行っても全く心が踊らない。煌めきがない。推しのパフォーマンスのクオリティは何も変わらないのに、わたしがそれを受け取れなくなっていた。その頃には仕事も何もかもやる気がなくなり、1日ベッドに沈んで自分の空っぽの心に泣き伏すこともあった。
苦しい、くやしい。推しが嫌いになったとかじゃないのに。でもこう悩んでる間にもコンテンツとしての推しは続いていくから、一寸先も真っ暗の中縋るように次の予定を入れてしまう。諦めたくないから。やっぱり見たいから。
反面、どんなに見ても大事にしても応援しても、推しは決してこのボロボロのわたしを肯定してはくれないのだと悲しくなった。そんなの当たり前なのに変な話だ。それでも疲れきった身体は、なぜかステージ上での煌めき以上の労りや見返りが欲しくなっていた。
愛し返される範囲に限界があるのなら、わたしがこんなに費やす意味はどこにある。自己満足でなければいけない「応援」が、うまくいかなくなった。
そんな日々が数ヶ月続いた。さすがに何もかもを失う前に行動を起こそうと、心療内科に行った。
「やりすぎだね。多分もう、依存症に近いと思う」
最初に医師にそう言われた。正直自分と一番縁遠いと思っていた形に、わたしはとまどった。
依存症というのは、対象(たとえば酒などの物・ギャンブルなどは当たるという行為自体)に触れると発生する、ドーパミンなどの快楽物質が忘れられなくなることを示すのだと言う。いつの間にか対象を通り越し、快楽物質を求めるために対象に寄り掛かってしまう状態になるそうだ。私の場合は、この対象が「推し」ということになる。
こういう人がある時、はたと対象で快楽物質を得られなくなることがある。すると、どでかい喪失感に襲われて軽い鬱症状などが出る。わたしは今、この状態に近いらしい。
「推しを支えるっていうのは、自分が二本足でちゃんと立ってて、初めて背中を押せるものだから。今のあなたは支えるを通り越して寄り掛かって、寄りかかりすぎて、全部倒れちゃってる」
徹頭徹尾その通りで、何も言えずただ泣いた。自分を正当化するための理由に推しを使っていたのは確かだった。それを人は、寄り掛かっていると言うのだと思った。
推しと呼ぶなら、推しというコンテンツに触れ続けなければ。別に一つ失ったぐらいで何でもないはずなのに、そうしたくなかった。できなかった。欠けることが不安になるのは、依存なのだと言う。
脳内の物質を調整する薬を貰ったが、それはそれとして、私は私の中で推しとのあり方を治さないといけないらしい。
「別に変えたところで、今まであなたが頑張りすぎるぐらい頑張って推した事実は消えないし。きっと少し離れても、推しの中であなたは大事なファンの一人で変わらないよ」
医師はわたしにこう言った。脳内の一部のわたしは「ぬるいこと言ってんなや」「そういうことじゃないんだわ」と思ったが、それ以上に救われてしまってめちゃくちゃに泣いた。
わたしはきっと、こんなめちゃくちゃで自分勝手で傍迷惑な理由でも、誰かに「頑張っているね」と言われたかったのだ。
オタクなんて、頑張ってすることじゃないのにね。
とまあ、長ったらしく匿名で自分語りをしてしまってようやく本題なのだが、わたしと同じような思考のオタクって決して少なくないと思う。わたしが長い間麻痺していたように、推しに会うことで快楽物質が得られている間は、多少無理が祟ってもなんてことなくいられるからだ。
酒とか競馬とかホストのために、と言うとみんなあんまりいい顔しないけど、「推しのために」って口に出すと、献身的で綺麗に見えてしまう罠があるような気がする。だからなおのこと麻痺していく。どれも執着しすぎたら異常なのに。
だからわたしみたいになる前に、自分がちゃんと立って歩けてるか、やりすぎではないか立ち返ってほしい。推しててちゃんと楽しいですか。今日も推しが眩しいですか。お金を使うことを使命のように、義務のように感じていないですか。美味い飯食べれてますか。友達とも遊べてますか。ちゃんと寝れていますか。
医師はわたしに「今のあなたを推しが見たら、まずは自分のことを大事にしてって言ってくれると思うよ」と言った。
もう、容易に想像できた。というか、いつも言ってくれてた。応援はできる範囲でいいんですって。そういう優しいところがずっと好きだと思っているのに、どうにもわたしだけはそこにはいないような気がしていた。
シーモアで無料で読めるBLを物色したのだが、無料作品は最近新刊が出た作品の1巻部分とか以外は、精神力をごっそり削がれるなぁ。ずらりと並ぶ表紙の裸率の高さたるや。無料なんだから仕方ないけれども、頭痛くなってしまい、面白そうなタイトルが探せない。
ともあれ、読んだBLのことを書く。
日雇い労働者のマコトは、ある夜、仕事仲間に連れられて入ったゲイバーでしのぶと出会う。しのぶが元彼が家に置いていった棚を解体する為の工具をマコトから借りたことがきっかけで二人の距離は縮まる。仲のいい友達のはずが、いつの間にかしのぶの部屋に入り浸っていたマコト。ほぼ恋人同士状態にも関わらず、マコトはしのぶの本名さえ教えて貰えないまま日々が過ぎていった。そんなある日、しのぶは職場のゲイバーの夏恒例の日帰り海遊びから帰ったら本名を教えるとマコトに約束する。ところが海遊びの帰りのバスの中、マコトがしのぶの肩に持たれたまま寝入ってしまい、目を覚ますと……。
軽い気持ちで読み始めたら、ヤバい、猛烈どシリアス。わかりやすい超特大不幸急展開に突き落とされてしまったぁ! すごくベタなんだけど前フリほぼ0でこれはかなりきついな。1話目の陽気なゲイバーのイケイケなノリはなんだったのか。ずっと陽気な仲間でキャイキャイしながら支え合っていくのではなかったのか。
時の経過とか時系列がかなり分かりづらくて、何度もページを行ったりきたりしてしまった。そこが分かりづらいからこそ突然のシリアスにまんまと衝撃を受けてしまったのだけれども、しかしそれにしても第一話半ば辺り、解りづらすぎね? という気もする。
期間限定無料の4話のラストがあまりにも引きが強すぎて、思わず1巻を買いたくなってしまったのだが、某BLレビューサイトを確認したところ、最近4巻が出たばかりでしかも未完。3巻から4巻が出るまでに三年以上の空白があったというので、続きを正座待機するのはかなり辛そう。完結するまで買うのは止めとこうかな。恋愛ものというよりも、とあるゲイカップルの人生を描いた超大作なのかな。読むのに覚悟が要りすぎる。あと、読み応えはあるけど萌えはしなかった。
(【追記】おもいっきりタイトルを誤変換していた!「非行少年ズ」ではなく「飛行少年ズ」が正しい)
「野火ノビタ」は榎本ナリコ先生の二次創作でのペンネーム。本作は『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作BL漫画で、カップリングは蔵馬✕飛影。
百年後の未来。飛影が東京タワーの近辺をうろついていたところ、偶然蔵馬と再会する。妖力を喪いただの人間となった蔵馬は、人としての天寿を全うして一度死んだが、自分そっくりのアンドロイドに憑依して復活し、日本に帰ってきたという。ちなみにタイトルはsteel man No.28の意。つまり鉄人28号。
黒龍に心の表層部を喰われてしまい精神が幼児化してしまった飛影が、蔵馬の背中にへばりついて離れなくなってしまった話。タイトルは戸川純の曲から。
大人になった蔵馬が、飛影と自身との関係をピーター・パンとウエンディの関係になぞらえて語る話。
一話目は飛行して、2話目はぶっ飛んでいて、三話目もやっぱり飛行していた。さすが『飛行少年ズ』というタイトルなだけのことはある。久しぶりに読んだが、懐かしき平成同人誌のにおい! 楽曲の引用、枠外で語られるどうでもいい設定、変な模様のスクリーントーン。懐かしい、ああ懐かしい!!
『SM-28』ラスト辺りの飛ぶシーン、鉄人28号というよりはサイボーグ009だった。002と009は飛ぶというよりは墜落したのだけれど。『好き好き大好き』は全力で飛ばしてるギャグから最後ストンと切なさ残すエンドなのがとてもいい。これ、こういうところが、野火ノビタ先生の同人誌の好きなところ。『飛行少年』では、唐突にフック船長役で軀が登場したけれど、そんなことして、剃刀入の殺害予告とかビリビリに破られた本の返送とかに遭わなかったのだろうか。と、昔の過激派やおいちゃん(←腐女子という言葉が当時はなかったのだ)恐すぎ伝説を当時の同人界隈を知る人から聴いたことがあるので思った。ピーター・パンとウエンディ……原作はどうかなと思うが、二次創作での蔵馬と飛影の関係性って概ねそんな感じがする。
榎本ナリコ先生の『センチメントの季節』が読みたくなっちゃったな。BLじゃないけど。
私自身はリアタイ当時はBLをまだ知ったばかりだったという(むしろ幽白で知ったのだが。)のもあり、幽白のBLにそこまで深い思い入れはない。だが、野火ノビタ先生の蔵飛はすごく印象に残ったので、大人になってから再録本を買った。今の私のBL読書傾向からすると、幽助✕蔵馬辺りにハマりそうな気がするが、さてどうかな。といって、幽白全巻読み返すのはちょっと億劫だ。いざ読めば面白くて徹夜で読破しかねないほどだというのは、分かっているけれど。
劇団の手伝いやさとるの脚本を通して、演劇をしてみたいと思ったいつきは、そのまま入団。新米役者として稽古に精を出すことになった。一方、さとるはというと、いつきが入団したことを嬉しく思いながらも、私情を挟んで依怙贔屓をしてしまうのではないかとおそれていた。また、自身のいつきへの感情が性愛含みの恋愛だと気付き、自己嫌悪に陥ってしまう。
んまぁー!? 想像以上にちゃんとBがLしているではありませんこと!?
ていうか、最後まで恋なのか何なのかわからないままもだもだし続けて終わるのかなと思っていたから、ちゃんと告るまで行ったことに驚いてしまった。その前に、いつきの豪快な脱ぎっぷりに動揺したさとるが、「そういう意味」での欲をいつきに対して持っていたことを自覚して悩む……ところまで行くとも思ってなかったし。ほのぼの系かと思ったら、案外シビアに掘り下げたな。1巻の冒頭辺りでまず、いつきのうなじの辺りが綺麗だと独白していた時点で、さとるがそういう欲を持っているのはモロ見えだったから、今更いつきの後頭部の刈り上げ部分を触りたい以上のことを言うとは思わなくて。いいけど……読んでるこっちもかなり動揺する展開w
「同性をそんな目で見るのは失礼では?」
「異性に対しても失礼じゃないの?」
というさとると坂上の会話が印象的。自分の気持ちを打ち消すのに、もはや同性だからは言い訳にはならない。いい時代だけど奥手人見知りには退路がなくて大変かもなあ。
それと、最強に萌えた&笑ったのは、パーカーonパーカーいつきくん。いつきのかわいい挙動の最たるものがこれ。かわいい。
この巻で早くも完結になってしまったけれども、もっとさとるといつきの日常を見てみたいなぁと思う。小池先生もあとがきに描き足りないと書いておられたので、小池先生のツイ垢をフォローしなくては! ちなみに、ずっと自キャラで遊んでいるタイプのBL作家さんが私は好き。
言うてドローイングシットアップなんだけども
1.仰向けになって寝転ぶ
2.両膝を90度くらいに立てる
お腹に手を当てて腹部が下がっている感覚を確かめるとわかりやすい
4.その状態で腹筋に力を入れ、息を止めて上体を持ち上げる
腹斜筋のあたりを触ってみてきっちり力が入っているか確認してもよい
キープが難しいようであれば立てた太ももの裏を軽く持って補助してもよい
6.3秒かけて上体を下す
7.軽く息を吸って3に戻る。
これを15回、休憩挟んで3セットやる
持ち上がらなくなったら15回以下でも可
15回以上余裕でできそうであれば
・上体を下す時間が早すぎる
・息を吐き切れていない
・途中で腹筋の力が抜けている
めちゃくちゃ効くし、見た目にもてきめんに表れてる
腹筋何やればいいかわかんねーんだよなって人は一度やってみて
https://anond.hatelabo.jp/20211201215614
・奥行き150cmのベランダ
工務店にはとにかく居室を大きくしろと言われたけど、意地でもベランダを広くした。
庭なんて作れないので、庭代わりに使うつもりだった。
結果、夏にはプール、最近でも昼間にコンロ出してバーベキューなどフル活用。
確かにリビングは少し狭くなったかも知れないが、掃き出し窓から見えるベランダの視覚的な広さのほうが開放感になっているという実感がある。
ちなみにベランダの壁もギリギリまで高くして、さらにシェードを使って正面の家との視線の衝突を回避させている。
そうすると日中にカーテンを開けっ放しにしていても開放感が得られる。
(向かいの家の視線が気になると日中もカーテンを閉めっぱなしにしてしまうような性格だったので、開放感がとてもうれしい)
ダイニングテーブルの真下にコンセントを開けてある。いわゆるアップコンというやつ。
そこから這わせて、ダイニングテーブルの足に魔法のテープでUSBポート付きの電源タップをくっつけてある。
すぐ横にガス栓もつけてあるので、ガスストーブや食卓でガスコンロも使える。
・テレビ裏配線穴
狭いために壁掛け必須だったので、テレビからプレイヤーなどを置くラックまで、壁内に配線穴を開けた。
テレビまわりがめちゃくちゃすっきりした。
ぐるりと一周できる長さの予備線が通してあって、普段は両端がテレビ側とラックにしまわれているのだけど、通線したいときは両端を結んでぐるぐる回せば何度でも新しい線を通すことができる。
・袖壁に下地
いわゆるうなぎの寝床的な3階建て狭小住宅なので、居室を広くしようとすると耐力壁という袖壁が何枚か必要になる(場合がある)。
袖壁は例えばラックや掃除機の充電ステーションなど見える側も見えない側も便利に使えるので、ビスが使えるように全てに下地(ベニヤ)を入れた。
下地は頼めば入れてくれるけど、あんまり多すぎると嫌な顔をされるので袖壁とテレビまわりに絞った。
あとキッチンまわりも少し多めに入れてもらったらめちゃくちゃ便利だった。
3階の上は屋根。斜線規制がかからないほうは採光のための貴重な壁面。
本来は3階居室の床になる部分を、屋根付近まで吹き抜けにして大きめのフィックス窓をつけた。
最初は腰の高さくらいからの収納を提案されたけど、不便そうなのでやめた。
更に少しでも光が入れられるようにと、階段の壁にもできる限りのスリットを入れてもらった。(わかりづらいけど、外の壁ではなく、階段とリビングの間の壁に天井から胸の高さくらいまでスリットが入っている。)
なお、3階は上がってすぐにドアに挟まれる形なのでスリットの有無くらいで空調ロスをそれほど気にする必要はない。
カウンターキッチンにしてリビングとベランダを眺められるようにしたら、背中側の壁の裏にパントリー兼物置を作った。
リビングにとにかく収納を作りたくなかったので、考えた結果のことだけど、主に家事のものしか収納しないので大正解だった。
インターネットのルーターやテレビアンテナの引き込みなんかもこの部屋に集めてメンテナンス性を高めにしてある。
あと、無線LANルーターを1台で済ませたかったので、建物の中心近くの壁にLANの出口を作ってそこにルーターを設置した。
ちなみにパントリーの入り口はカウンターキッチンから入った奥。
最初は買い物袋を持っていくのが面倒くさいかなと思ったけど、とりあえず買ったものはなま物以外パントリーに放り投げておいても見た目的に全く気にならなかった分結果的に良かった。
コロナで人を呼ぶ機会もないけど、人が来たときもとりあえず荷物をパントリーに突っ込んでおけば来客の動線からは切り離せるのでかなりよい。
・その他
2重サッシすごい。防音も空調も段違い。目の前がバス通りなのを忘れるくらい静か。
揺れを先に感じてからクレーン車っぽいエンジン音に気づくとかよくある。
あと浴室乾燥機のおかげで24時間洗濯ができるのも便利。洗濯機に乾燥機能もあるけど、終わったらすぐにだして畳むのしんどいので、それならまだ干しっぱなしで済むほうが楽。
今はまだガソリン車なので契約は100Vだけど、電気自動車を購入したときに困らないように駐車場の壁に外用コンセントは予め作っておいた。
あとあとそういう使い方をしたいと電気屋に伝えてあるので、あとは契約変更と簡単な工事で済むらしい。
これはまだ活用できてないので未知数。
他にも色々あるけど、とりあえず都内狭小住宅視点に絞ってみた。
思いだしたらまた書く。
それと、我が家はハウスメーカーと比較して安く済ませられる木造セミオーダータイプだったので、ハウスメーカーの鉄骨造と違って耐荷重に必要な壁や柱が多いです。
壁内に筋交いとかも増えるので、開けられる窓が限られたり制約が多かったけど、逆にパズルみたいで楽しかったです。
本当はお風呂を2階、屋上もつけたかったけど、重量物を上にすればするほど耐荷重の制約が増えたのでこんな形に収まりました。
建築のことなんてどうせわからないだろうっていう態度の人が多い中、この辺のできるできないを丁寧に説明してくれる工務店さんだったのはありがたかった。
表題の通りです。
母親がよく恋愛をする人間だった。父親は何回も変わった。その中で一番長い父親からはずっと私はいないものとされていた。
母はホステスでとても美人だった。中森明菜みたいな感じ。実子ながら母が着物やドレスや普段着や何を着ても、髪型を変えても、口紅の色を変えてもどんな姿でもずっと見惚れてしまうほど美しいなと思っていた。
そのせいかバイセクシャルになり、若い頃の母とセックスする夢をいまだに何度も見る。
実父のことは何も知らないけど、私を一番長く育ててくれた血のつながっていない父は母を溺愛していた。
暴力団員で金も湯水のように注いでいたし、後から知ったが母が結婚する前の学生時代からずっと片想いしていたそうだった。
そんな重い愛を抱えていたせいか、母の遺伝子が半分入っていても、もう半分は別の男の遺伝子で出来ている私のことは道端のゲロを見るような目で見てきた。
その気持ちもわかります。金かけて育ててくれてありがとう。憎しみはありません。
バイのマザコンだったから、母にべっとりな私が本当に憎かったと思う。
運が悪いことに私の顔は実父にそっくりだった。母に似ていたらもう少し優しくしてくれたかな。
そんな感じでスタートした人生だったので、男性に関してはとても苦手でした。
実父にそっくりとはいえ、母は面食いだったため私の顔は整っていました。
そのせいか4歳から30歳の今日まで、多くの男性と女性から好意と悪意を向けられてきました。
誘拐未遂、性的暴行未遂、自慰を見せてくる同級生、盗撮、私物の盗難、私の写真へ射精した写真を下駄箱に入れられました。
30歳になってどうでもよくなって、向精神薬が一番効いてる時に勢い余って女性向け風俗を予約。
震えながら当日を迎えると、見目の整った同じ歳の男の子が控えめにホテルに入室してきました。
挨拶をして、様子のおかしい私を気遣って「横に座って大丈夫ですか?」と聞いてくれました。
頷くとそのまま震える手をゆっくり撫でて、背中も撫でてくれました。
そのまましばらく泣いて、謝って、ありがとうと伝えました。
大丈夫だよ、大丈夫だよと私の息が整うまでただ撫でてくれました。
接客時間の終了までそのまま、手と背に手を置いてくれて暖かくて嬉しかったです。
お金を払えば怖いこともされないで、優しさを買えるんだと思いました。
でもまたその彼を予約して、今はキスまで出来るようになりました。