はてなキーワード: 模型とは
指摘されている問題は、製品をリリースしている対象(この場合はバンダイスピリッツ)に向けるべきか、
もしくは、模型のレビューを性的な事を主眼に行っているブログに向けるべきでしょう。
筆者のブログは、模型のモデル(キャラクター)が高校生である事を必然としていませんし、可笑しく書くために情動的に書いてはいますが、その論点は「高校生の表象が性的に扱われること」ではありません。
しかも、ブ米に書いたように筆者は「ここで、「破廉恥だ!」「変態だ!」なんて感想を述べた瞬間に、そういう考え方をする機会は失われてしまう。」と、論点が異なる事を明言し、それと同類になり論ずる機会を失われる事を望んでいません。
しかし、読み手がどう受け取るかは自由と(私は)考えますので「主張されてる事は理解しますし」と私は書きました。
「退場して下さい」そして「一部、同意します」と同意は一部に限ったのは、著者のブログのブ米に書くべきではないからです。
トラックバックで貴方のブログで批判するのであれば、私は「退場して下さい」というブ米は書きません。
筆者個人のブログのソーシャルブックマークで、かつ筆者が望んでない議論、批判を書いたので、この場からは立ち去ってくださいと書いたのです。
ソーシャルブックマークのコメントも個人の場とする考え方もあるかと思いますが、
個人ブログのブ米で書いたことは、個人の家前の道路で叫んでいる事と同じと。
著者の他のエントリを見て頂ければ分りますが、造形に関してとても深い観察を考察を行われています。
今回のエントリも写真を見れば分りますが、明確に下着を撮影しているのは(いわゆるパンツを撮影している物ですね)2点で、
どちらも性的に撮影しているのではなく、そのつなぎの部分の自然らしさを注視しています。
性的に撮影するのであれば、フィギュアのレビューサイトなどの様に、顔が見える全体像や、下着をあおる様なローアングルの拙者になるでしょう。
著者の個人ブログである点(exciteの公式ブログは編集部の選定であって本人の申請では無い)
著者が高校生を性的に扱うのが目的でなく、模型の発展のアプローチを論じている点
なので、私はブ米で
本文読めばわかるが、トランスルーセントが主題になっている模型で、肌の質感や眼球の光彩を物理的に構成するだけではなく、衣服の下着をデザインするというのが論点。変態性を論じる貴方は退場して下さい。
まぁ、ブ米を書くお気持ちも分りますが、それによって(ブ米に書く事によって)不必要な論点が外れた批判で埋もれるのも問題だと思うんですよね。
※補足ですが、高校生の下着を記事の対象に挙げている時点で、のような事を言い始めてしまいますと、子供をモチーフとしたデッサンも、骨格、そして肉付け(いわゆる裸ですね)を主題とします。チャイルドポルノの問題があるので論ずるのは慎重に行うべきですが、主題に上げる事をNGにしてしまうと、多くの物が失われてしまいます。
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
出てくる人物どいつもこいつもみんな物理屋。そしてみんな頭がおかしい。
主人公が物理屋ということで画面のそこかしこに数式が登場するのだけれどもこれがずいぶん凝っています。
以下6話まで視た感想です。
QCD(量子色力学)の漸近的自由性の証明です。2004年ノーベル物理学賞。
(6話より)
ホワイトボードに書いてある数式は QCD のベータ関数の計算です。
彼女が数式を修正した後は β<0 になっています。これはQCDが漸近的自由性を持つ理論であることを意味しています。ちなみに部屋の左隅にある小さなホワイトボードにはQCDの真空偏極による反遮蔽効果のイメージ図が描かれています。こちらも漸近的自由性に関する図です。
どうやらこの世界ではまだQCDの漸近的自由性が証明されていないようです。それではいったいいつ頃なのでしょうか?
何話か忘れましたが カビボ小林益川行列 がホワイトボードに描かれている回がありました。時系列順に並べてみましょう:
どうやらシェルドンたちがいるのは1973年の世界のようです。
史実によるともうすぐウィルチェック達が論文を出してしまうはずなのですが・・・?
ひも理論は一般の方向けの翻訳で、本来の訳は弦理論(げんりろん)です。 String Theory = 弦理論
さて、本題に入りましょう。シェルドンは弦理論屋なのでしょうか?
実は6話まで弦理論らしきものが出てきません。ずっと場の量子論を計算しているのです。
しかもこの時代は1973年です。この時代にいた弦理論屋とは何者なのでしょうか?
というのも、弦理論はもともとハドロンを記述する模型として研究されていたものだからです。現在のように弦理論が究極理論候補と考えられるようになったのは1984年の第一次ストリング革命以降の話です。時代背景を考えるとシェルドンは南部後藤の弦でハドロンを研究していると考えるとしっくりきます。彼がQCDを研究する理由も、ボスがハドロン8重項をホワイトボードに書いているのもこれで理解できます。彼の研究対象はハドロンなのです。
もっと直接的な証拠があります。第1話でこのような会話をしています: (https://www.youtube.com/watch?v=AF58gWwHOwY)
26次元と言っています。これは面白いですね。もし現代の弦理論屋さんに「この世界は何次元ですか?」と聞くと10次元、もしくは11次元と帰ってくるのではないでしょうか。
現在の弦理論屋さんが研究しているのは超弦理論(10次元)やM理論(11次元)、そしてシェルドンが研究しているのは南部後藤の弦(26次元)なのです。
この時代において世界は26次元だと言い切るのはなかなかヤバい人ではないでしょうか。
先ほど書いたように弦理論が脚光をあびるようになったのは1984年以降です。
1973年は弦理論の暗黒期だったはずです。当時は弦理論は欠陥があると考えられていました。
米谷さんやシュワルツの重力子の論文が1974年であることを考えてもシェルドンはぶっ飛んでいるように思います。
先ほど紹介したシーンでは「世界は26次元だ」と主張するシェルドンは頭がおかしいと思われているようです。一方で現代の視聴者は、別に彼はおかしなことは言っていないことを知っているのです(26かはともかく)。この辺りの捻れが面白さを生んでいるように思います。
頑張れシェルドン!早く論文出さないとウィルチェック達に先越されちゃうぞ!
なんとも味わい深いコメディです。
Amazonやヨドバシの方が安いのは分かっているけど、やはり模型店で育てて貰った義理もあるので極力近所の模型店にお金を使っている
ただ、お願いだから常連とレジでダベるのはやめて欲しい。確かにレジに行けば店員は会計してくれるし、常連も一歩くらい後ろに下がるけどさ
が居るレジに「ちょっと会話途切れさせちゃってすまないね」って気持ちになりながら行くのって面倒よ
常連同士がダベるのも良いし、レジ以外のスペースでダベるのも良いと思う。客が常連だけならレジで話したって良い
でも客が入ってきたら少しは遠慮しようよ。そりゃそこに居る常連の方が落とす金多いかもしれないけどよ
ただ、変わんなきゃいけないのは常連な。居酒屋でもバーでも八百屋や魚やでも、常連がダベるのは多いけど大体空気読んで常連から帰っていく
プラモ屋の常連は違う。レジが終わったら戻って再び話し始める。帰れよ。お前が居て良いのは平日17時まで。それ以降は子供や会社帰りの大人が来るの。週末はむしろ17時以降に来い。開店から夕方は普通の客が来るんだ
と言うか、模型店にたむろする時間あるなら家帰ってプラモ作れ。空気読め。お前の唯一居場所とか知らないわ。そんなんだから上みたいな見た目なのか、上みたいな見た目だからそんなのになったのか
どうせなら結婚して子供作って新しい模型世代を育成しろよ。良いか、常連ってのは金落とすのも大事だが、新しい顧客が居着きやすい雰囲気を作るのも大事だぞ。金落とすだけが正義じゃない
今まで過保護に育ててもらったおかげで今では生きるのに困らない程度の世間知らずなのだが、最近になって実家は金持ちなのではないか?ということに気がついた。
私が高校生の時まで住んでいた一軒家は2世帯ということもありまあまあ広めで、購入は現金一括購入らしい。
そこから今の実家へ引っ越す時も前の家を売ったお金込みだが新築の一軒家を現金一括購入をしていた。
私が生まれる前は家にオープンカーがあったそうで(今でも模型がある)、そのほかに中型のバイクがあったのは覚えている。
小学生に上がる頃に新車の軽自動車と乗用車一台ずつ購入し、その数年後にはもう一台軽自動車を新車で購入。
2年前、私の転勤に合わせて内二台を買い換えた。新古車で軽自動車だけど車関係の買い物は全て現金一括購入。
父親は小学生の頃に病気で死んでしまい、それ以降父方の親戚には縁を切られたので母方の祖母と祖父が母と一緒に暮らしているのだが、
社会人になって4年、年1回実家に帰るたびに10万くらい持たせてくれる。怖くて一切使ってないけど。
2回転勤をしているが、転勤のたびに口座に50万くらい振り込まれている。これも怖くて使っていない。
よく考えなくてもまぁまぁ大変な額が割と頻繁に動いているのだが、うちはお金がないから!と言い聞かせられてきたのであんまり気にしたことがなかった。
【お詫び】
今回の「大当たり入り福袋」について
お歓びの声も沢山頂戴しましたが、
メール等でのクレームの声も大きく
当店スタッフで検討した結果
来年度はすべての福袋の販売を
中止させていただきます。
楽しみにされていた方には大変申し訳ありません。
ご理解のほど宜しくお願いいたします。— ゴッドハンド【公式】模型工具 直営店情報 (@godhandshop) January 14, 2020
正直小さい問題なんだが、ある模型ツールメーカーでこんな事があった
そもそもクレームの内容が分からないので憤慨するのも意味不明だが、件の福袋には問題があった
福袋の中身に差があるのは良いと思う。平等を求めるなら見える福袋を買えばいい。ただ、ここの福袋は『偏った中身』の挙げ句に『大盤振る舞いの大当り』があったのだ
たぶん皆がそれなりに同じような中身でありつつ一部に大当りが当たれば良かったのだが、実際は「ニッパーが欲しかったのにヤスリの山」とか「ピンバイスが欲しかったのに顕微鏡」とか尖った内容ばかり
福袋だしと言ったらそれまでだが、正直「なんかニッパーとヤスリとあと何か入ってたら良いな」と思うのは致し方無いと思う。まさかヤスリだけ大量に貰うとは思いもしないだろう
その果てに同じ価格なのに、使い切れないニッパーが届いたりしている人を見たら文句も言いたくなるだろう。それなのに被害者面する企業も同情の余地がない
せめて種類分けして販売。それが出来なければ価格差があっても中身は多種に渡るべきだった。福袋は基本尖っても仕方ないのだ。定価で考えたらお得みたいな客をお得意さんにする手段として上手く使えば良かったのだ
(´;ω;`) pic.twitter.com/UnG3r9gcIu— ゴッドハンド【公式】模型工具 直営店情報 (@godhandshop) January 14, 2020
そりゃ売るわw
これ思うのは知らない単語への語彙力っていうのか、知らない単語がわりとよく知られてる言葉だったりするんだよな
なのでかなり遠いキーワードからでも何度か検索することで範囲を狭くできてすぐに目的の言葉にたどり着くことが多い
俺もどれだけググっても見つからないという経験がないんだけど、それは知りたい言葉への語彙力がないからだと思ってる
でも知りたい情報にたどり着くかどうかはまた違う話だけど
情報そのものは誰かがどこかにアップしてくれないとたどり着けないし、誰かがアップしてくれてる言葉を予想しなきゃたどり着けない
まだ昭和の昔に模型雑誌に連載されてた可変飛行機の漫画のことずっともう一度知りたくて年に何度かググってたけど見つからず、雑誌の名前も何もかも情報が見つからず、こういうのはさすがにたどり着けない
(ツイッターで模型クラスタの誰かが偶然古本の画像を上げてて、そこで知れたけど、そういう偶然がなければ今もたどり着けなかった)
農業系
idが気になる
idが気になる
idが気になる
idが気になる
idが気になる
idが気になる
ほうじ茶、へそ茶(?)、ホイホイ茶(?)
b:id:himagineforthepeople
アイコン怖い
一つ目小僧?
使い分け方が謎
工場長(?)
漫画描いてる
アイコンが気になってた
「自分は『チッ』って感じのコメントが多いからこのアイコンにしよう」と決めてるところを想像すると微笑ましい
言うほどクズではない
転生
不動産屋
獣を檻に入れがち
idが気になる
あまりヤバくはない
idが気になる
idが気になる
セックスレスの話をしがち
idが気になる
https://anond.hatelabo.jp/20191224165751
idが気になる
アイコンの顔の角度
睡運瞑菜教ではない
ゆけ!
idが気になる
なお、特定防止のため、お気に入りに入れてない人のブコメ内容に言及したりしてます。
http://b.hatena.ne.jp/AQM/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%8B%E4%B8%80%E7%AD%8B/
追記2
ブクマされて思い出した人たち
いつもアイコンをちょぼ口のシロクマ(真ん中のが鼻)と見間違える
らきすたロゴの人、何人かいるよね、と思ってたら、らきすたじゃなくてみなみけらしい。
(多分b:id:kaitosterのをみてらきすただと思い込んでた)
全ては模型とお買い物を楽しんでいただくために
https://ameblo.jp/akicyan1017/entry-12490483304.html
該当の商品。転売で1万以上で売れるので毎回即完売。それに文句言われての反応が↑
模型が趣味でECサイト管理してる増田から見たら「大したサイトを運営してたわけでもないのに、なに楽天・三木谷みたいに偉そうなこと言ってるの?」って感想
転売対策は昨今いくらでもあるし、理由の大半も店側の都合。長期的に見れば価格に転嫁させてでも何かしらの手段を講じるべき。熱狂的なファンが付いているなら今のままでも良いが、アイドルでもないし正直悪手としか思えない
でも、転売ヤーから買わないでくださいと言うだけ=無能 は便利だからこれからも続いて欲しい。コンサートチケットのだって広告出した割には現状何も無いだろ?名前や連絡先の記入は一向に進まないしな
不妊治療のため仕事を辞めさせられた増田は、「生産性がないものにお金を出せない」と主張する夫から経済的DVをうけている。独身時代の貯金の大半は共同出資のタワマンの頭金に消え、残りの残高とともに、増田の物欲も枯渇していった。
ご近所づきあいが一切ない新築入居のタワマン社会には、この状況を相談できる知り合いができにくい。同じフロアの8部屋のうち、顔を知っている人はひとりもいない。
ある日、同じフロア共用の24時間対応ダストステーションに、ゴルフバックが3つ、中身ごとおかれていた。「*粗大ごみです ごみ料金シールを貼って出してください(3Fのサンクスに売っています)」と赤字で書かれた紙が貼ってあった。その状態が、3日も続いた。増田はゴミ清掃スタッフに同情し、逡巡した。その粗大ごみを一度家に持ち帰ることにした。夫は毎週末に1週間分のレシートを照会して、1円も使途不明金がないことを確認する人だ。かわりに粗大ごみシールを貼って置きたいが、夫に却下されるだろう。
増田はそのゴルフバックを、4LDKの空き部屋に置いた。夫はまったく気づかないようだった。
翌朝、ポストに不用品出張買取の業者の広告が入っていた。増田はすぐに電話をかけ、「夫が叔父からゴルフセットを一式もらったのですが、いらないんです、でも処分方法がよくわからなくて」と説明をすると、業者の弟がやっている中古ゴルフ用品買取業者が見積もりにくることになった。見積もり結果は7万円。身分証明書の写しとの引きかえに、そのまま現金を置いて行かれた。増田は驚いた。ごみが7万円になったことにも、突然自由に使えるまとまったお金が降ってきたことにも。
翌週、偶然テレビでフィリピンのスモーキーマウンテンを特集するドキュメンタリーを見た。ゴミ山からお金に換えられるものを探し当てて生計をたてるスカベンジャーというひとびとを知った。金銭的には不自由でも、心が自由である彼らをうらやましく思い、増田は自分が心身不自由であることに自覚したのだ。そしてメルカリやヤフオク、フリルなどのフリマアプリの存在を知り、ある決意をした。
増田は、ほかのフロアのダストステーションにも出張するようになった。増田の住むタワマンは、58階だてで、6階以上が住民用フロアである。増田は1~8階、45~50階にとまるエレベーターに乗れる。
白いエプロンを着て「ボランティア」と書いた自作腕章をつけていくと、ゴミの分別ボランティアと思われるため、ほかの住民や清掃スタッフに会ったとしても、一瞥されるか、「お疲れ様です」といわれるだけだった。
・嵐のツアーグッズ 5万円
・ヒステリックグラマーのデニムパンツ5本 合計6万円ぐらい
・ヒステリックグラマーのTシャツ 10枚あわせて9万円
・浦和レッズのグッズ一式 7万円
・ヴィヴィアン・ウエストウッドのストッキングセット 7000円
・アムウェイのなべセット 16000円
・ウシジマくん 1~28巻 6000円
・ミニクーパーのグッズ 15000円
・コーヒー浣腸の付け替えパーツセット 14000円
51階以上はメゾネットタイプ、ペントハウスになっており、増田は入ることができない。しかし、増田は非常用階段からの闖入に成功。
メゾネットフロアには2階ごとに3部屋あり、非常用階段とつながっている各部屋ごとのゴミ捨て場がある。51・52階は3部屋とも人が住んでいなかった。香港の業者を経由して買ったマレーシア人かシンガポール人が持ち主であることを告げる書類の写しが捨ててあった。
53・54階も同様だが、うち一部屋には定期的に生活のにおいがした。ブルーボトルコーヒーの紙袋と、RF1のサラダの残飯と、コーヒーがしみ込んだ今治タオル、中国語か台湾語の新聞がスワンナプームエアポートの紙袋に入れて捨てられていた。外国人の別荘なのかもしれないなと思った。
・クリスチャンルブタンのキンキーヒール 2サイズ(箱あり)と空箱1つ 合計5万円
・SK=2のトラベルセット 7000円
・新羅免税店の密封パック入に入ったままのディオール化粧品セット 1万円
そのころ、メルカリの現金出品がニュースで取りざたされていた。
同時に、身分証明書と実住所と銀行口座の名義が一致しないと送金できないといわれる業者が増えてきた。
金額によってはマイナンバーカードの提示が求められるようになった。増田は潮時だと悟った。
増田はフリマサイトの売上金の受け取りを、唯一残していた旧姓の口座に指定していた。母の葬式にも来なかった父が、子どものときに開設してくれたJFマリンバンクの口座。この2年半で、7桁の数字が刻まれるようになった。都心では使えないと思っていたマリンバンクは、ここ数年でコンビニATMとの連携が進んでいたことに気付き、増田は大きな一歩を踏みだす決意をした。
離婚はすぐに成立した。「家、買った時より高い値段で売れてよかったですね」と弁護士は言った。来月頭には増田の取り分が入金されるらしい。売却手続きを進めてくれた司法書士は、増田の元夫が横浜に転勤になり、武蔵小杉にある新築タワマンを買ったと告げた。そのマンションはのちの