はてなキーワード: 好きな物とは
こういう普通の人は声優なんて目指さず大学で学んだ方が潰しがきくといういい例。
何故この人が声優なんていう一見わかりやすい道を選んでしまったかというと、世の中の物事を知ろうともせず見識も狭いからだと思う。
漠然と声優っぽく異常者の真似をしてみたが、"普通の人"を捨てる覚悟が圧倒的に足りていなかったのが敗因。
次の道としても漠然と大学教員を選んでいるところから推察できる。
世の中歳食って家庭もあるけど進みたい道に行く人も実際いるし、それは「何かになりたい」ではなく「何かをやりたい」であって、どうしてたって自然に滲み出てきちゃうもの。
そういう人は好きな物事にかけてる時間が違う。人に与えられる時間は平等に24時間なのだからその中で取捨選択をやっていくしかないだろうよ。
大学教員になりたい理由もなんだかフワッとしてるし、いい加減わかりやすい物事にばかり目が行くのを矯正する必要があると思うなあ。
死にた過ぎて。
私ってJKだけど友達もいないから、ストーリーに死にたいって書いても見た人を困惑させるだけで、大丈夫の一言も言って貰えないだろうから、しない。
私の周りの人間は、わたしが軽薄で、お気楽で、なんにも省みない態度をとってる時だけ優しい。
実際の私って、そういう生き方しか出来ないし知らないから、周りの人々の私の扱いは正当といえば正当なんだと思う。
基本的に人間って他人の中に自分に与えてあげるような真剣さを、切実さを見い出せない生き物なんだから、私みたいな共感性もない自堕落なだけの人間に共鳴して自分の何か一つでも与えてやる価値なんかない、使い捨ての暇つぶしの人間なんだ。その面においても需要が少ない。それでも私みたいな人間を求めてくれる人がいるって有難いことのはずなのに、求められることがたまに重荷になる。なぜなら、私を求める人があるとき、その人には必ず私に対して、私の先に何かを「求め」ているからだ。私が彼らの要求を破棄すれば、彼らも私を気味悪がって棄てていくだけだ。今私を知る誰しもの記憶から消えて、私が必死で私を守るために取り囲んで人達からスパンと切り離して貰えたら、誰にも少しも必要とされない人間として世の中に放り出されたらどれだけ楽だろう。最初から居場所を持たない透明人間として、都市を浮遊する。やがて夜が開ける前に霧散する。たまに死んだ人はすぐに忘れられると言うけど、私はそうやって忘れらることにこそ喜びを感じる。誰も私を思い出さなくなった時、現世での私は完結する。指をパチンと鳴らしたら、それを合図に私がこの世から消えて、誰も私のことを思い出さなくなったらいいと思う。17年この地球でこの日本で生きた私という生命体が一瞬にして消え、存在していたはずの事実が消え、人々の記憶からきれいさっぱり消える。私という存在がこの世にもたらすことが出来る事として、これ以上に美しいことは無い。
さっき、死にたいと検索して出てきたサイトではただ逃避したいという思いから来る死への欲求と鬱からくる死への欲求は別だと、書いておりましたが、私は死のうとして死ねなかった人のブログや文を見て大抵ガッカリしますよ。
だって、生きていることに感謝しているし生き延びられたのも何かの運で、今死にたいと思っている人は.......と続くともう読めない。勧誘の電話をガチャン!って切るみたいにうるさい!と撥ねつけたくなる。私が今必要としてるのはやっぱり「本当に死んでしまった人」の言葉なんだ。でもそれをなぞっていくのは苦しい。なぜなら自分の死への欲望も加速度を上げてしまうから。それも途方もなく。
最近、品川同性愛者殺人事件の記事を読んだら、犯人のこういう供述が載っていた。「当時の私は自由気ままで……我慢、忍耐、努力とか、ありませんでした…」
私は記事を読みながら、この言葉に大いに共感しました。私もそうだからです。
はっきり言って犯人である彼女はめちゃくちゃな人です。やっぱり、人間ある程度我慢や忍耐や努力出来ないとまともには生きていけません。彼女の場合は彼女自身は生きていますが、その過程で人を1人殺してしまっています。
でも悲しいことにそのために頑張れません。
甘えと言われるかもしれないけど、ふざけるなと打たれるかもしれないけど、本当にそうなのです。
1番最近泣いた時は、私は、私は何にもなれなかったと思って泣きました。
私はずっと何者かになりたかったのです。でも、それに意味が無いことを知ってしまいました。世界に意味が無いことを知ってしまいました。
だからもうこの世の中の「何か」にはなれない。そう思うと何者かになりたかった自分が、自分の好きだったもの全てが、自分というもの全て何もかもが溢れていくようでした。私にそれをせきとめることは出来なくてただ声もあげず泣いていました。
最近はふと、バスの窓などから見える、自分の生活のために勤しむ人々を見ると寂しくなります。
そのような所謂「普通の人々」は私の悩みなど気にもかけないでしょう。そういう人達にとって私のミジンコのような価値のない、弱々しい、自暴自棄でクズなだけの悩みなんて鼻くそ同然です。
しかし、私が勝手に普通の人々と見なしている人々の中にも私と同じような悩みを抱えている人がいるかもしれません。
でも、絶対に私たちは、それを本質的に共有出来ない。それが分かっているなら、自分対世界と切り分けて自分だけがオカシイんだ壊れているんだと思う方が楽でしょう。耽美な悲観に酔いしれることができるから。
ああ、できればみんな私のことを可笑しい可哀想な人に仕立てあげてよ。そしてうんと優しくして欲しい。今でさえこんなに優しくしてもらっているのに?
これ以上優しくされることって、赦されることって死んでるも同然なのに。
その日の事をつらつらと書いたら長くなってしまった。
良くある義両親への愚痴だ。
頭が痛いと数日言っていたのだが、念の為と行った総合病院でまさかの大動脈瘤診断。
とりあえず義両親に連絡してすぐ来てもらう事にした。
幸いにも土曜日、義両親はすぐ向かうと連絡がきた。
仕方ないので指示された入院セットを鞄に詰めて、1歳児をおんぶ、3歳児に迷子ひもを付けた上で手を繋ぎ、5歳児にはミルクの入った袋を持ってもらって駆けつけた。
某保険会社のCMで渡辺直美さんが「あなた!」と病室に駆け込む姿そのままだ。
否、化粧もしてないし子供もパジャマに上着引っ掛けただけなのでそれより酷い。
とりあえず入院セットを置いて、書類諸々にサインをして、2人の風邪が悪化する前にお暇した。
15時頃義両親が来た。
「ねぇマスダさんは病院に行かなくていいの?」
30分事に聞いてくる。
こっちはまだグズグズの1歳児をおんぶして、突如来た義両親に出せるよう夕飯の支度をしているのに。
「誰も居ないと退屈よね」
「面会は8時までだっけ?行かなくて大丈夫?」
なら貴方が行ってくれ……
子供や私の体調を慮る内容は一切無く。
私じゃないと泣き叫ぶ1歳児と、
また熱が出てきたみたいで不機嫌な3歳児と、
目を離すと要らんことしかしない5歳児の方が、
正直リタイア年齢もとうに超えた義両親(特に義父)に子供を預けるのが危なかっしい。
今も3歳児を抱っこしようとして拒否され思いっきり蹴られてる。
育児にも参加してない団塊の世代に孫の世話など怖くて預けられん。
夕飯は簡単で良いのよ。
という言葉に甘えて、昨日買ってた惣菜とチルドレトルトの諸々を温めて出した。
配膳も手伝わない義父の前に並べるだけ並べて、1歳児と3歳児を連れて寝室にこもった。
5歳児には悪いが、好きな物並べたから喜んで食べてくれるだろう。
1時間かけて2人を寝かしつけて戻ると私の分だけ残って後は食器まで洗われていた。
良かれとやってくれたのは良くわかる……が、そこは箸立てでなくスポンジ立てだ。
というかどのスポンジ使った??
5歳児も寝る時間という事で義両親も寝ると言い出した。
風呂はと問うが要らないと言われる。
シャワーだけでもと言っても断られたので仕方ない。
2階の客間に案内しようとすると、自分でするからと客間兼物置に入ってく。
(使ってない部屋が3部屋ある。)
まて そっちじゃない
だが、義母は聞かずに隙間に布団を引いて寝るという。
シーツを出して渡してる間に1歳児が泣いてるのが聞こえたのでそのまま退散した。
翌日、シーツを片付けようと行くと使われて無かった。
最後車代を包んで渡した。
義母は不機嫌になって帰って行った。
また来週末来るらしい。
特定の検索条件をお気に入り登録しておくと、そのキーワードに関する新着出品物が通知される機能がある。
私も例外ではなく、好きな芸能人・Aの名前を「お気に入り登録」しておき、気が向いたときにチェックするのが少し楽しみだった。
ある日、いつものようにチェックしていると、芸能人Aの画像を使いまわし、ある出品物が複数登録されていることに気が付いた。
品名は「芸能人A / 写真 L判★60枚セット」、商品説明は「友人から譲り受けました」とあった。
これには少し違和感があった。
メルカリ等のフリマサイトには、出品者の手元に実際に品物があるということを少しでも明確にするために
「実物の画像を使う」というルールがあるのだが、この出品物には実物の画像ではなく、写真の「画像データ」のみが使用されていたからである。
もし「友人から譲り受けた」のなら、なぜ出品画像が「画像データ」なのか。
ちなみに、実物の画像が無い時点で、メルカリのルールには違反している。
----以下メルカリ公式( https://www.mercari.com/jp/help_center/getting_started/prohibited_conduct/#b8 )より引用----
出品画像として、実際に手元にある商品又は購入手続き後速やかに発送が可能な商品以外の画像を掲載すること ▲
購入前に実物の状態を十分確認できるよう、実際に購入いただく商品の画像を掲載してください。
以下のような違反行為を発見した際は、出品を削除させていただく場合があります。
実物の画像がない
画質が粗いなどで商品の把握ができない
----引用以上----
そして、もう一つ怪しいと思った点。商品の状態が「新品」となっている事だ。
芸能人Aは既に70代である。若かりし頃の写真を新品で売っているのは、せいぜい下町の某店くらいだ。
画像検索してみれば、この出品者が出している写真は全て「雑誌や写真集」「TVのスクリーンショット」等であった。
私はこの出品物を購入していないため、確実に「偽物・複写である」という事は言えないが、
出品されている写真の掲載元である雑誌や写真集は、もちろんL判サイズではない。
既に取引を終えた購入者が残した評価コメントを見ることはできるので、そちらから商品の状態を推測することはできた。
良い、と評価を残した者は
「新品の写真だったが、写真がピンボケのものや、荒いものがあった」
「画質があまり良くなかった」
「本物を期待していたが、やはり複製だった」
悪い、と評価を残した者は
「ピントがぼけていて、写真集やパンフレットなどから転写されたようなものが複数あった」
これで「偽物」であることを判断することもできないが、少なからず私と同じように怪しいと感じた人はいた。
また、この出品者による出品物のほとんどが「複写」と見受けられるもので溢れていた。
そして、販売価格も高額なものでは5,000円と、かなり高飛車な設定がされている物もあった。
せめて、メルカリの事務局に通報してみる価値はあると思い、商品ページから通報をしてみた。
商品ページから通報ボタンを押し、プルダウンで該当する項目を選ぶだけだ。
まぁ、商品ページからの通報というのはあまり意味が無いらしい。
「メルカリ 通報」と検索すれば、ほとんどが「全く対応されない」という文句だった。
何のための通報システムなのか…と若干呆れながらも、今度は問い合わせページから「禁止行為について確認したい」と、メールを送ることにした。
実物の写真がないこと。
出品されている写真は、全て雑誌やTVのスクリーンショットであること。
雑誌はともかく、TVのスクリーンショットは公式の写真として出回るはずが無い事。
実際に購入していない為確証はないが、過去の購入者による評価コメントにも同様の意見があること。
通報しているが、出品者には「出品物が実物であるか」等、確認したのか。
「ご連絡いただいた件は、事務局で確認のうえ適宜対応いたします。
確認内容や対応の詳細は個別にご案内しておりませんので、あらかじめご了承ください。」
なので、これで終わりだ。
正直、こんなモンだろうな、とは思っていた。
メルカリの儲けは、ユーザー同士の取引が行われて発生するからだ。
偽物なら、メジャーな海外ブランドくらいしか対応しないのだろう。
大事なお取引がなくなってしまっては、儲けられなくなってしまうから。
メルカリは最近ユーザー対応に力を入れている、というのを見たことがあるが、
せめて担当者の名前だけでも書いてあれば、少しは違うのだが……。
メルカリでの出品物は、上に書いたような物以外にもグレーな出品物が多く存在する。
きっと私のように好きな物を守るために少なからず通報や問い合わせを行った方もいるだろう。
しかし、事務局の対応がこのままであれば、改善は絶対にしないだろう。
全国に名の知れた企業が、ユーザーから出品された違反物を放置しつづけていれば、少しずつ、確実に信用も薄れていくことだろう。
出品させないためにはどうしたらよいのか。
あつかましい話。
たい焼きとか大判焼きの差し入れは大好物だし嬉しいんだけど普通のあんこが好きで期待して食べてみたらチョコだったとか白あんだったとかそういう案件がたまにある。
冷静に考えたらタダだし何の損もしてないんだけど喜びとがっかりの落差で何かすごく釈然としない気分になる。
なんでこの人は人に上げる食べ物にこの味を、このバージョンを選んでしまったんだろう?自分が好きなのかな?自分が好きな物は人も好きだと思ってるのかな?自分が好きで買ったけど食べきれないからお裾分けしてくれたのかな?メニューの先頭に載ってる一番の売れ筋を買うのを嫌がる理由とは?とか色々と考えてしまう。
最初から嫌いな物だったらここまでモヤモヤしないんだけど、下手に大好物の食べ物だから何か機会損失してしまったかのような錯覚に陥ってしまう。タダだし最初から損してないのだけど。
そんなわけで食べ物の差し入れは変な派生バリエーションに手を出さずに無難にデフォルトのドノーマルにしてくれたほうが広く喜ばれると思う。
普段からコミュニケーション取ってたら好きな物、欲しい物もわかると思うけど、
そういうの無いの?
増田も経験あるかも知れないけど、全然知らない玩具や物品だと、貰う側も気を遣うよ。
金糸で派手にラッピングするとか、
マトリョーシカみたいにするとか、
だからと言ってお金を貸すとかは一切していないが、彼のお金の管理は目に余る所があったので一緒に家計簿のアプリを使ってお互いに貯金を頑張ろう!と誘い、最近やっと今月の残高というものを気にしてくれるようになった。
彼はズボラな所があるので、今まで服とか髪型とかも一切気にしたことがなく母親頼りだったらしい。
デートも服装はダボダボのジーパンに大きなドクロがかかれた蛍光色のパーカーとかだった。
付き合い始めて最初の誕生日に大学生っぽい服をプレゼントしてからは気にするようになったようで古着屋で自分で服を選ぶようになった。
共通の友人にはずっとなんでこんな中学生みたいなやつと付き合っているかわからないと言われていたが、最近はお似合いになったねと言ってくれる。
私としては今では自慢の彼氏なのだが、どうしてもコミケに行くことだけが許せない。
お金がないからと私とのデートは近場にして済ますのに、コミケには行く。
年末年始、私と過ごしてくれたことはないのにコミケには行って友人たちと年末年始を過ごす。
私と出かける日の早起きはなかなかできないのに、コミケの日はできる。
最初は年2回しかないイベントだし趣味の邪魔はしたくないからと考えないようにしていたが、私はそんなもんなのか…と自覚してからコミケというものがとても嫌になった。
こんなのただのワガママだとはわかっているけど、実家に帰るわけでもないんだからたまには年末一緒にいたい。一緒にガキ使みたい。
普段そんな遠出してるわけじゃないけどデート近場にしてコミケに行くくらいなら、コミケで大量に同人誌買ってくるくらいなら、私にお土産のひとつでも買ってきてくれたらいいのに。
私もオタクだからコミケに行きたい気持ちはわかるけど毎回私にいつからいつまでコミケ行くからごめんねと謝る。
私が嫌なのわかってるならたまには一緒にいてよ。
絶対行くくせに。何があっても何を言っても行くくせに。
昨日今年もコミケ行く支度しなきゃとか行っててまたこんなことを思ってしまった。
こういう妬みを言う自分が嫌になるよなぁ…
※追記
タイトルが悪いとのご指摘を頂きまして変えました。
怒りと虚しさで書きなぐったので冷静になってから書けばよかったなと思います。すみません。
彼氏にはコミケに行くなとは言いませんが待遇を改善しろと要求します。
吐き出すところが普段ないのでここでは悪いことばかり書いていますが、普段はとてもいい人なんだよ。
家事とか嫌がらずにやってくれるし。
いい所も一緒に書いておけばよかったな。
※また追記
誰か話を聞いてくれー!程度で書いたものがたくさんの人に読んでもらえてかなりスッキリしました。
読んでくれた人ありがとう。
少し気になったのだけど、別のジャンルでも好きな物を追いかけているっていうの、オタクに含まれないの?
私は女性向けジャンルが好きだけど、彼氏は別のジャンルが好き、みたいなの。
本文とかけ離れた内容で追記して申し訳ないのだけど、私自分がオタクだと思っていたのでオタクじゃないみたいでびっくりです……
一緒に行く行かないは趣向がとかコメントいただきましたがそこら辺はお互いに割とオープンです。
私も性癖語るし、彼も語るし、みたいな。
だから一緒に行っても拗れたりとかはないだろうけど、友達と楽しくしてるものを無理やり私にシフトチェンジ!なんて最低じゃない?
私は皆さんの仰る通り、私のことを何より大事にしろ!とワガママを声を大にして言っているのでまあまあクソだと思います。
だけど、基本的に私も趣味を楽しみたい人間なので趣味をやめろ!とは言いたくないんです。
説得力ないだろうけど。
私だって都内のイベントに行ってたりするし、私にいいよ行っておいでと言ってくれた分、私もいいよ行っておいでと返したい気持ちはもちろんあるんだよ。
だけど、毎年、毎回、この時期が来るとモヤモヤして嫌になってしまうってだけで。
なんだかんだ彼毎回楽しそうにコミケに向かうし、無理やり押さえつけました!とかはしてないしするつもりもないよ。
またちょっと熱くなった状態で追記したのでゴチャゴチャ変な事言ってしまった気がしますが、趣味は邪魔したくないのが私の意見です。
どこかに吐き出したいけど、ごみすぎてどこにも出せないので場末に捨てさせてください。
当方、現在30代男性。彼女いない歴=年齢。もちろん童貞。それどころか異性の手すら握った事ない気持ち悪いおっさん。
高校時代に理系に進み、そのまま工業系大学電気系、修士、そしてメーカー開発というどこにでもいるありふれた人間です。
学生時代から色恋に興味がなく、一人で何かをすることが大好きで、特に週末は愛車でツーリングという生活を社会人になってから
ずっと続けています。
そんな私ですが、30歳の誕生日にやったこともないので一度くらい恋愛して彼女作ってみるのも悪くないのではないかと考え、彼女を作るために
行動を始めました。
正直30歳のおっさんがそんな男子高校生みたいな事を言い始めた事自体が気持ち悪いのですが、何事も経験だし漫画や映画を見るとみんな恋愛しているので
そういう経験をしておくのも悪くないと考えました。
もちろん30歳になって魔法が使えなかったという事実に絶望したというのもあります。
なので、ついでに童貞も捨ててしまえるような方がいればと邪な気持ちもありました。
そしてやるからには最低1年。どんなに辛くても1年は頑張ってみようと思って活動を始めました。
街コンや婚活パーティーに足を運べば相手にもされず、マッチングアプリ経由で会う事に成功した方々からは1回で連絡がなくなる。
奇跡的に二回目に進めた方からはいけたかと思いきや、いきなり連絡がなくなる。
おまけに彼女いない歴=年齢を告白したら、ホモ扱いされると今までの人生で感じたことのない辛い日々でした。
何が悪いのかと毎回、終わるたびに反省会を行い、次に改善を試す日々の繰り返しで精神が摩耗していきました。
結果、うまくなったのはマッチングアプリのやり方だけで、対人関係はまるで成長した気がしませんでした。
当時に事なのであまり覚えていないのですが、最終的にマッチングアプリだけで20人ほどお会いしたと思います。
その結果の出ない日々に1年は頑張ろうと思って始めたのに、たった3か月で心が折れそうになり、その度に
30年間まともに活動してこなかった癖にたった3か月で結果が出るわけがないと自分を鼓舞して続けてきました。
ただその活動の中で、漠然と感じ始めた事がありその事に関してもやもやして心を蝕まれ始めたというのもあります。
という疑問です。
私は歩きながら話すのが好きだったので、そういう風な方向に話を誘導して女性と二人で遊びにいくという事をやっていたのですが、
「横の女本当にこれいるか?」
数をこなすうちにその疑問がどんどん強くなってきました。
初対面とか関係なしにこの活動一人でやった方が楽しいのではと考えるようになりました。
初対面な上に女性だから慣れてないだけで、仲良くなったら楽しくなると自分を騙して活動を続けるのですが、終わる度に
楽しかった気分より疲れたって気分の方が大きくなっていきますます疲労する日々が始まります。
この頃にはなぜうまく行かないのか、世間はこんなにカップルであふれているのにどうして私だけだめなのかという考えが常に頭を占め、
それでも、まだ半年もやっていないのに諦めるのは早すぎると考えて義務感だけで続けていました。
そして、全然考えてもいなかった結婚を視野にいれた方がいいのではないのかという本末転倒な結論に至り、結婚相談所に話を聞きに行ってしまいました。
今考えれば完全に頭がおかしくなったとしか思えないのですが、当時の私は今のまま続けてもうまく行く未来が見えないという焦りからそのような道を選びました。
結婚相談所は正直担当のお姉さんの巧みな話術によって、これもありかなとハンコを押しそうになってしまっていた事を告白します。
詐欺にかかる人間というのはこうやって詐欺にかかるのだと自分自身で実感したものです。
結局、結婚相談所は連休中の旅行先でずっと考えた結果、流石に結婚する気がないのに結婚相談所はあり得ないと結論を出して入ることを回避しました。
とはいえ、結果の上がる気がしないマッチングアプリ経由の活動に嫌気が指していたのは事実だったので、この頃は生きている人間は無理だから好みのAIを作る研究でもした
ほうがいいんじゃないかとすら考えていました。
そんな地獄のような日々の中で、世間でバーチャルYoutuberなるものが流行っていると耳にしました。
正直Youtuberというのは存在は知っていましたが、あまりに文化圏が違うので一度も見た事がなかったのですが、そういうものが流行っているなら知識習得の為に見ておこうかな
と軽い気持ちで見始めました。
正直最初に見た方はかわいいけど、特に面白くもなくそのままフェードアウトする感じでしたが、おすすめで表示された方を見ていくとある方が目に留まりました。
その方はかわいい容姿はもちろん、笑い方が特徴的でぶっそうな事を頻繁に言っていて、それなのに知性を感じる。その上本当に楽しそうに自分の好きな物の話をしていました。
私の求めていたのはこれなのではないかと頭の中でかちりと鍵がはまったような気がして、気が付いたら睡眠不足になりながらその方の動画をむさぼるように見てその方を好きになってしまいました。
1週間たち落ち着いて、冷静になってからはいろんなVtuberさんの動画を見始めるようになりました。本当にいろんな方がいて界隈全体がまだまだ未発達で見ているだけで
面白かったし、こんなにも世界は楽しい事であふれているのにつまらない事で疲弊している自分はなんなんだろうと思い、いろいろとばかばかしくなり1年は最低続けるつもりだった活動も
やめてしまいました。
それからは憑き物が落ちたように軽やかな毎日に戻り、あんなに目障りだったカップルさえお幸せにと願えるようになりました。
元々の趣味に加えて、Vtuberを応援する趣味も増えて二馬力になり、ずっと世界が明るく楽しくなりました。
さて、そんな私を救ってくれた最初のVtuberさんには後輩のユニットさんがいました。
最初は生放送中心という事で眼中にもなかったのですが、ある時その後輩の一人がトラックを運転しているというとても怖い恐怖映像を見ました。
気になったらその方の生放送を元にしたたくさんの動画があり、凄いなと思って調べて行くとほかにもたくさんその方の後輩がいるという事が判明し、生放送なんて見る気
起きないなと思いながらもアーカイブを流しているとその後輩さんたちは偉大なる先輩を目標に活動していて先輩と同じ3Dの体を手に入れる為に日夜頑張っているという事が
分かってきました。
その子たちは12人いてみんな個性的で、それでいてどこかに先輩の面影を感じさせるという事で私も少しでもお手伝いしようと思い、チャンネル登録を行いました。
それからも特に生放送中心という事で積極的に追いかけるという訳ではないけど、時々時間が空いたら見るという感じだったと思います。
それが決定的に変わったのは、確かその後輩ちゃんの一人と先輩が外のイベントで共演するという時だったと思います。
先輩は3Dなのに、後輩は2Dという事でとても違和感があったという事を覚えています。はっきり言えば罰ゲームか何かだと感じる構図だったと思っているのですが、
とにかくこの子たちが先輩と同じように動いている姿を見たいと感じました。
それからは、生放送にも通ってtwitterで実況するようになり、登録者が増えて目標に近づくのを見るのが毎日の喜びでした。
そして念願かなって先輩とその後輩ちゃんたちが一緒に動いている姿を思い出すと今でも目頭が熱くなります。
と、言っても私は飽きっぽい人間なので、年明けから2か月ほどで飽きてしまいました。元々生放送という形があまり好きでなかったというのもあると思っています。
なので、そのころには生放送もほとんど見ず、気になるアーカイブを見る程度になっていました。
それからも彼女たちの躍進は止まらず、本当に大きくなっている姿が誇らしくなったものです。
しかしそんな日々も長くは続きませんでした。彼女たちのプロデューサーがリスナー相手に暴言を吐いた事を皮切りに、いろんな歯車が狂い始め
結局二人が契約解除という事で決着を迎えました。
運営の杜撰さはいつもの事なので、深くは言及しませんが、直接の原因はおそらく内部の人間関係でこじれたという事で間違いがないと思っています。
とても悲しいし、どうしてこうなってしまったのか疑問は今でも耐えませんが、それ以上に私はかつてのあの地獄のような日々を思い出してしまい辛くなってしまいました。
あの時感じた女性への恐怖がまた襲ってきたと申しますか、漠然と感じていた女性不振を確信したといいますか。とにかく女性の怖さを改めて認識しました。
私はあの件以来生身の女性とは積極的に関わらないようにしてきました。幸運な事に仕事以外で女性と会う事もないのでそれを実現するのは簡単だったのです。
逃げ込んだネット上なら大丈夫だと思ってVtuberと関わっていましたが、所詮女性であることには変わりはなくやっぱり女の人は怖い。
人生三回目にしてようやくハプニングを体験した話をここに書き捨てる
週末の都内某所
これで三店目のハプニングバーだ
一店目は見学の気持ちで行き、置いてあったSM雑誌を心ゆくまで堪能して帰った
二店目ではベテラン男性や女性に膣フィストを堪能して貰い、その後飢えた単男から囲って守って貰えお互い楽しくまったり変態会話して過ごした
交わる事に興味はない
真性M女という言葉がある
色々性的経験を積み重ね、プロとしてM女もした結果、私はS性もしくは変態性を持った相手にしか体を使って欲しくという事が良く判った
相手が有段者な程、戦いは盛り上がる
この対戦相手は何処までの経験を持っていてまだ自分が知らない快楽を与えてくれるだろうか?
また、自分はこの対戦相手の欲望に応えられる経験を有しているだろうかと思い身震いがする
この間プライベートで出会った相手は一晩中アナルや性器をひたすら舐めたいと望む人だった
一晩舐められるなんて屈強な舌の持ち主だなぁと二穴を蕩かされながら考えていた
有段者に遭遇するとすぐに判る
彼らは性に対する余裕が違う
一般の相手は回転寿司で価格を気にしながらお腹を満たそうとしている感じがする
有段者の彼らは価格のない寿司屋で価格を気にせず好きな物を好きな分だけ食べる感じ
そのぐらい圧倒的に違う
誰が対戦相手になるか判らないのがハプニングバーで、今回訪れたハプニングバーには複数の有段者がいた
ポリシーとして避妊具無しで舐める事は通常滅多にしないのだが、この相手の要求には素直に従えた
交わろうとせず只々弄りあう事を求める相手だった
何と弄り合いだけで5時間以上経った
一回飲み物を取りに行った時もその後もずっと共にいた
口移しで飲み物を呑ませ合い、当たり前の様にキスをしてキスをされて
---
我々が長い時間ソファで弄りあっている間、同じく隣で弄り合いだした女性と目があった
華奢で可愛らしい女性だ
彼女は夜の部開始と共にすぐ相手を決め、艷やかな声を響かせていた
その後も相手を取っ替え引っ替えし、空間にその嬌声を聞かせる様に響かせていた
彼女のお眼鏡にかなっただろう新しい相手を連れて隣に腰掛け、その相手に肌を貪られている彼女の目は爛々と燃えていた
こちらを見るその狂った目は白くてらてらとと輝いていた
まるで美しい女神を見ている様で弄られながらもずっと目が離せなかった
相手の愛撫を受けた後、嬉々としてまた個室へと消えていく彼女を自分の濡れた太もも越しに見ながら、私の目も彼女の灯りを反射して燃えられていただろうかなと思った
今回かなり満足いく経験が出来たので、ハプニングバーに行く事は今後もうないだろうなと思いながら、唾液の残り香と共に帰路についた夜だった
僕を含めた世間の愚衆には理解出来ない対象を嗜好しているにも関わらず、ずば抜けた熱意と説得力を以ってそれを納得させてしまう変態がいる。
最近見かけた中では「子供用パジャマのカタログ写真で抜く」という変態の文章が極めて秀逸だった。8歳くらいがいい、男児と女児ならどちらかと言えば男児、外国人ではなく日本人、且つパジャマ。パジャマでなければ駄目。僕の拙い文章では再現出来ないが、画面越しにフリックする手が火傷しそうになるほど彼は熱く語っていた。ペドでもなくパジャマにも興味のない僕も、つい近所の西○屋に行ってチラシを貰って来たくなった。
好きな対象を熱く熱く熱苦しく語る変態はただでさえ素晴らしい。表現力が合わされば最高だ。そんな人々に出会うために僕は生きている。
いい変態は好きな物に対してまっすぐだ。まっすぐ故に人を傷付けたり犯罪行為に走るのは言語道断だが、そうでないまっすぐな変態からは美しさすら感じられる。
変態を誇りたがる連中のほとんどは自分にキャラ付けをしたいだけのエセ変態だ。偽者共は他者と張り合うために変態と名乗り、表立って下品な言葉を口にしたり自分がいかに変わった物を好きであるかを喧しく語りたがる。僕も下品な物言いこそ嫌いだが、増田にこんなことを書いてしまっている辺り、きっとエセ変態の一人なのだろう。
僕が本物だと感じた変態は、大抵少し後ろめたそうな雰囲気を纏っている。あるいは自分が変態という自覚をほとんど持っていない。後者はとても貴重な存在だ。世間の目に流されないまま、気付きすらしないまま、自然に、直向きに、魅力を感じた物を愛している。もしも周りにそんな変態がいたら、どうかそっとしておいて欲しい。少なくとも彼らの心を常識でへし折りに行くような真似だけはしないで欲しい。
弊社はバリッバリにバレンタインにチョコ配る風習のある会社で、女性社員は部門内外問わずお世話になった男性社員や女性社員同士でチョコを配る。えら〜い人もおたか〜いチョコを配って参戦するガチな環境。
一方わたぴはその風習に馴染めず、今年はなんだかんだで配らなかった。もらったものにホワイトデーにお返しするだけにした。
強い圧力に負けそうな気持ちになってるけど、もう一度自分がチョコを配りたくない理由を整理し「来年も配らない」という強い意志を持ちたい。
①受け取る側がもらって不満に感じない(喜ばなくてもいい)レベルのチョコを用意する必要があるプレッシャー
②受け取る側も結局面倒だと思う
③甘いもんは苦手なため選ぶことすら苦痛
④いくらホワイトデーでお返しがもらえるといってもどうせ甘い物。お気持ちは嬉しいけど、バレンタインもホワイトデーもなくなればみんなその金で好きな物食える
⑤わたぴは女だけど「女である」ことを主張?するのが嫌い。バレンタインに男性社員にチョコ配るのが思想的にしんどい。媚び売ってるみたいでむり。
例のポスターや乳袋の話を「男vs女」の話にするのは乱暴じゃないかしらん。
実際、以前過激すぎるラノベ表紙をなんとかしろ〜と言い出したのは男性だったわけで、
男女関係なく萌え絵に違和感を覚える人は居るってだけの話でしょう。
そもそもアニメーターや漫画家のアシスタントなどなんらかの創作活動に携わる人間は萌えやえっちいらすとに対して耐性があるし、なんなら「えっちで可愛い女の子を描きたい」とさえ思っている(個人差あり)ので「これは酷い!表現の自由を逸脱している!」とか「あまりにも女性軽視だ」とかの意見は出づらいんじゃなかろうか。
なんの創作者でもそうだろうけど、基本的には本人の好きな物、得意なものを描かせるのが一番輝くので進行管理のひとも本人のポリシーに反する仕事わざわざ任せないんじゃないんすかね。
ミクロな話でいえば、乳揺れの動かし方で揉めるとかはありそう。
でもそれってポリシー云々っていうよりは表現者としてのこだわりみたいなもんだしまあ何かどうでもよくなってきたわ、それじゃ。
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
これはウザイかな、迷惑かな、馴れ馴れしいかなって小一時間考えてからようやく一言LINEを送れる
どんな服が、髪型が、化粧があっちの好みかなって会う約束立ててからは死ぬほど考えて眠れない
あって楽しい1日終わったあとは永遠と反省会を開く。あそこの返答はキモいな、あの時あまり盛り上げられなかったな、目を見て話せてなかったな
相手の好きな物をSNSから必死に調査して、大学の勉強以上に気合を入れて履修する。そしてさも前から知ってたみたいに振る舞う。
思い悩む日々の結末は見事な失恋。あーあ、ものすごく好きだったのにな。そして失敗しても何がダメだったのか明確な答えはわからない。容姿か?中身か? 振る時にそれを教えてくれたらどんだけ楽かわからない
この「恋愛」とかいうゲームをまわりの同世代の人たちはできて当然のように攻略している。
きっとこういう経験を繰り返していつか好きな男を手に入れるものなんだろうけど、今は失恋とかいうものが思った以上に辛すぎてきついわ。
とても好きな絵師さんがいた。最初はこちらからフォローをしているだけだったが、ある日相互フォローになれて、とても嬉しかった。SNS上でよく会話する仲になり、ある日電話しましょうという話になった。緊張と嬉しさでドキドキしながら、何を話そう、こういうこと言おうとその日を待った。迎えたその日、滞りなく電話は始まったが、何故か少しずつ相手の反応が薄くなった。無言の時間も多かった。なんだかんだと3時間ほどの通話時間だったが、話したのは半分くらいの時間だっただろうか。通話を終了したあと、私は何か間違えたのかもしれない、と不安を感じた。
その後、お礼のメッセを交換しあい、その人との絡みは無くなった。人間関係ってテストみたいだ。私は不合格だった。とても好きな方で、色々な人に気さくに話してくださる人だったのに、私はそんな人を不快にさせてしまったんだという罪悪感で胸が潰れそうだ。もっと話題を用意すればよかったとか、相手の好きな物を調べておくべきだったとか、後悔ばかりか残っている。でももう時間は巻き戻せないので、私はまともに人間関係を築けずに終わった愚か者でしかない。
憧れている人に近づくというのは、いい事ばかりではなくて、嫌われる恐怖との背中合わせなのかもしれない。私の人間関係の合格率は低い。悲しいが、これが結果なので、これからは陰ながら応援させていただく。一瞬だけでも仲良くしてくれてありがとうございました。とても楽しかった。