はてなキーワード: 反吐とは
小学生~高校生を対象にした絵画コンクールの優秀賞を眺めるのがすごく好きだ。
世界児童絵画コンクールの優秀作品集を手に入れたときには涎が出た。
なんだろう。ああいうのはだいたい学年か年齢を併記してある。なんというか、その絵を描いた子供が今、何歳かを計算をする事も快感がある。
もう、その絵を描いた子供は子供ではなかったりするとなおいい。
上手くは説明できないのだけど、絵を描くという行為が反吐が出るほど嫌いで苦手だった自分のコンプレックスの部分を刺激するのかも知れない。
自分で描くのはずっと嫌いだったけど、子供の絵は子供の頃から好きだった。校内コンクールの優秀賞は張り出されたら何度も見に行った。
絵が上手い人は僕の中でかなり肯定的に見てしまう。絵が上手い女の子はそれだけで好きになった。そして、絵が上手い子にはなぜか手を出せなかった。一種の敬意か。
いい年をした大人になって、それでも未だに絵が下手な少年時代の僕が陳列された絵の前で惚けながらそれを眺めている。
あれについて、別に出版しても良くない?何で関係ない奴がキレたりしてんのって言ってる奴って人間なの?
しかも少年法とかいうやつで、そいつの名前も写真すら公開されなかった。
本は売れてるとか。
その印税でこいつは何の苦労もなしにこれから生きていくんだろうなって思うと反吐が出そうだわ。
こっちは朝から晩まで働いてるっていうのに、人殺してその話を書くだけで何の苦労もなくこれから印税暮らしかよ。
人生楽勝だな。
そこまで精神を追い込まれるほどに子供が欲しいというのはどういう気持ちなのか想像がつかない
奥さんもそんな感じでは?そこまで強烈な思いというのどういう感じなのか?なんでそこまで強烈なのか?
例えば俺が「アップルウォッチが欲しい!もう何が何でも絶対欲しい!でも手に入らないから血反吐を吐く思いで諦めるよ。俺の視界にリンゴを置くな。押さえ込んでいる思いが爆発してグチャグチャになりそうだ!」とか言ったとしても、よくわからないじゃん?そこまで言うくらいなら自分もちょっと買ってみたいかも?くらいしか思わないじゃん?
はてなに日記を書くこと自体が久しぶり過ぎてアレで、変なことしてたらご容赦。
結婚前にいろいろと話し合って、一度別れかけた。原因は私は子供が欲しい、相手は子供が欲しくないという点。
毎日深夜3時くらいまで話すのが当たり前だったのに、その喧嘩のあとは3日以上口をきかなかったことをよく覚えている。
子供が欲しいという気持ちと、彼女と暮らしていくことを天秤に―そんなこと天秤にかけたくなかったが―かけて、
悩んだ。
身体にとっても、キャリアにとっても、女性が出産育児を行うことで受けるダメージは男性より大きい・多いというのは
理解していたから、子供よりも彼女と一緒に歩んでいくことの方を選択した。
情けない話だけど、結婚後3年くらいまでは諦めきれない気持ちもあった。
結婚後からゴムは使っていないのだが、膣内射精はしていないし、してみたい・子供が欲しいと頭の中でどれほど思っても
勝手に中だしして結果妊娠しましたというのは卑怯でもあり、納得した自分を裏切る事でもあり、何より伴侶を裏切る事であると
思っていた。
結婚から5年後、妻の姉(以下義姉)に子供ができた。35歳以上なので高齢出産である。
赤子はかわいく、すくすくと育っていった。義姉にあったり義実家にいけばそこに赤子がいて、私にとっても妻にとっても
1年目の育児は夜泣きや慣れない身体の変化でキツいというのは、義姉の体験を聴かされてわかったのだろう、
「私にはとてもむりだ、こんなに大変なら子供なんていらない」
と言っていたのが、いつの間にか
などと言うようになってきた。最初は流していたが、ふとした折にこんなことを聞かされ続けるのはとても苦痛だということに
気が付いた。俺があきらめて蓋をした「子供が欲しい」という気持ちがこじ開けられそうになるのを必死に抑えているのと同時に
じゃあ子供を作ろうつくろうという前向きな気持ちと、両方の全く正反対の気持ちがぐちゃぐちゃと織り交ざるのは耐えられない。
義理の実家は古い家であるため、そろそろ子供はまだなのかと私に遠回しに言ってくる。
冗談じゃない、俺は欲し「かった」んだ。「まだ」じゃねえ、もうお互い35を超えた大人同士がナマでやっただけで着床なんかするか阿呆、
と叫びたい気持ちを押さえながら「やー、種が悪いんだか畑が悪いんだか、なんなんでしょーねー」と愛想笑いをする生活にもう疲れた。
とてもめでたい。我が家の総領息子の誕生だ。奥さん良く頑張った。弟グッジョブ。
我が両親からもあんたたち子供はまだなのと今のところは言われてはいないが…言われるのは確実だろう。
どうしろってんだ俺に。妻は時折やっぱり子供いらないと言ってみたり子供が欲しいような言動を言ってみたり決定的なことは
何も言わない。
どうしろってんだ…
※ 20150617 1718
大事なところが間違ってたので修正。俺だの私だのと一人称がぶれてて申し訳ないけど敢えて修正しません。
※ 20150617 1730
コメント(というか、トラックバック)にコメントってできないのかな。
> なんか最近子供欲しそうにみえるけどそうなの?って聞いてみたら
コメントありがとう。聞いてものらくらなんだけど、それを許してうやむやにしてるのは私の方か。
ちょっと話してみる。
子供が欲しいという根源的理由はわからない。もしかしたら単に中だしという未知の体験をしたいだけかもしれないし
他の人の赤ん坊を見てかわいいというのもあるかもしれないし、自分が育て上げてみたいというのもあるかもしれない。
もともと子供は好きで、中高時代は子供向けのボランティアとかやってたような人でした、私。
> 「アップルウォッチが欲しい!もう何が何でも絶対欲しい!でも手に入らないから血反吐を吐く思いで諦めるよ。
たとえばアップルウォッチでたとえれば、最初のロットにプレミアがついてものすごい価値になったとしますよね。
あの時買えたのに買えなかった…ちきしょう… みたいな感じですかね。
ちょっと違うかな。
アップルウォッチは(ハードやOSの変遷はあるにせよ)いつでも買えて変わらないモノですが、私も妻も35歳以上となり、
生殖能力も、元気な子供が生まれてくる確率も子育てをする体力もがっくり落ちています。いつでも作れるものではないです。
どうせつくるんだったらなんで若くて元気でリスクのないうちに作ればよかったじゃないか。同僚や幼馴染や後輩や
弟妹たちの子供がみんな可愛くて、明るい家庭を築いていてうらやましいなあ、でも俺はそういう生活はもう作れないんだなあ
と言う暗い感情も一緒にたまっていたのかもしれませんね。圧がかかって爆発寸前、と言うところかもしれません。
※ 201506191129
読んでくれた方、トラックバックコメントくれた方、どうもありがとう。
嫁ときっちり話をしてみました。おそらくもう誰も読んでないと思うけれど報告しておきます。
・ 結婚後(正しくは結婚の数か月前からなんだけど)特に避妊らしきことをしていないことについて
変な話、これでできたらできたであきらめるっていう気持ちだった、膣内に出さなきゃ大丈夫とは思っていないし、
自分でもいっそ出来ちゃえば踏ん切りがつくのかなと思っていたとのことです。
私としては「え、そんな感じでできちゃっていいのかよ…」というのが正直な気持ちで、そのことも伝えたところ、
作るか!っていうほど積極的な気分ではないからなんかこう…(原文ママ)とのこと。
・ 嫁は子供が欲しいのか
わからない、とのことでした。誰かがコメントしてくれていたように、周りの子供や家庭をみて私もそういうのいいなあと
思うようになってきたんだけど、じゃあ、本当に子どもが欲しいのかと考えるとデメリット等々考えると欲しくない…ような
それでも欲しいような。正直、わからない、と。
欲しい3割欲しくない7割というのが正直なところです。昔は欲しい10割だったのだけど。欲しい気持ちに蓋をして、それを
押さえつけるためにいろいろな知恵を付けてしまったので、もう今更…、本当に「今更」いいかなあという気がしています。
私が父親になる・なれる機会はもう得られない気がするし、それならそれでともう何回も何十回も何百回もあきらめたので
・ 今後どうするか
ここは…二人で黙ってしまって、結局結論は出ず。子供が欲しい、産んでくれる人産ませてくれる人と再婚するという年でも
ないし、そんな情熱を持つほどではないという宙ぶらりんな状態は結局変わりませんでした。今すぐ決めなければいけないくらい
(肉体的)時間に余裕はないけれど、急いでも後悔するだろうから今年中に結論だそうということで決着しました。
・ 話し合ってみて
どんなことでもよく話す夫婦なんだけれど、この点についてだけは明確に話してきませんでした。
嫁がのらくら逃げる的なことを書きましたが、嫁からしてみれば増田も同じように見えていたということについては率直に
謝りました。
まだまだ夫婦として未熟なのかもしれませんね。今回、いろいろばーっと書いてみて、コメント等に背中を押されて
話をしてみてよかったです。ありがとう。
※201702111200
40になりました。子供を作るにはもう適さない(この基準は私の中でだけだけど)年齢に達してしまったので、
もうあきらめざるを得ないし、誕生日にその話もしました。結局私は、子供を作れなかったんだなあ…となにか
種として男として終わってしまった気がする反面、もうこの話で悩むこともないし、むしろ老後の生活設計を
しっかり考えにゃならんという前向きな気持ちにもなっている気がします。
どうしたらよかったのか。いまとなってはよくわかりません。
自分でもどうしてそういう気持ちになったのかはわかりませんし、あえて分析はしませんが、精子の検査を
受けようかなと思っています。そもそも種に問題があったのなら、最初から煩悶すべき問題ではなかったという
だけの話ですし。いっそ問題があってほしい。もともとそういう能力が付与されていなかったのなら、こちらが
悪いと大手を振れる。
とはいえ、生殖能力に問題が無いと判断されてしまったらもうなんかいろいろ終わる気もしている。
よって、検査予約の電話を入れたもののドタキャンしてしまって、ふと思い出してこれを書いている。
どうしたらよかったのだろうか。どうすべきなのだろうか。
久しぶりにphaさんの文章がホッテントリに入ってたのを読んだ。
昔はおまいうとしか思ってなかったけど、今ではむしろぬるいと思うようになった。
結婚できないとか仕事で体壊したとか精神病んだとか、全部深刻に考え過ぎてるだけなんだよな。
本当に辛ければ考えなければいい。やめればいいってだけ。
ぶっちゃけなんだかんだでどうにかなる。
そりゃ子持ちなのに自分のわがままで次も決まってないのにすぱーんと仕事やめるのは無理筋だと思うけど。
何が自分の中で一番かってことだけ考えて導き出した答えに従うしかないと思う。
仕事しんどくても今が大事なら血反吐吐きながら仕事続ければいいし。
今の仕事がつらいけど子供が大事なら今の仕事をそのままがんばるか別の選択肢を探せばいいし。選択肢がないなら選択肢ができるようにがんばって勉強するしかないのはそれは自分の責任。
日本は割りとゆるいんだから死にそうなら某宗教でも某政党でも頼れば死ぬことはないだろ。
それにすがることを死んでも是としないならそれはそれでOK。
命よりそっちが大事ってだけだし。
とか言われても同意するけど実際に行動はできんわ。
すべてがめんどくさい。
あと35年も働きたくない。
そんな生活がしたい
光合成がしたい
葉緑体が欲しい
http://anond.hatelabo.jp/20150614100601
http://anond.hatelabo.jp/20090622091939
18歳から28歳の一番いい時を吸い尽くされた元嫁さんはどんな相手と結婚するんだろうね。
俺だったら、子どもを育てるためだけにそんな女と結婚したくないな。
異性の価値は若さ、人間の価値は経験~10代から30代まで付き合ってみて
http://anond.hatelabo.jp/20090622081819
真っ向から批判するコメントやブクマコメントが多いことにすごくびっくりした。
そんなに触れちゃいけないタブーだったのか。
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
同じ女性と、10代から20代という変化の多い10年を共にすごした経験から言わせてもらうと、
「女の価値は若さ」というのは、一面的ではあるが絶対的な真実だ。
もちろん逆説的に言うなら、「人間の価値は経験」というのも真実である。
10代のガキよりも、30代のお姉さんの方が、深い話をするなら絶対に面白い。
でも、それは人間として、なんだよね。
恋愛対象の異性、という、センチメンタルかつ性的なニュアンスを含む場合、
やっぱりピークってのは、10代後半から20代前半なんじゃないかと思う。
デートのドキドキ感などは、新しい相手と付き合えば、確かに毎回味わえる。
でも、若い時にしか経験出来ない人生のイベントってのは間違いなくある。
そのイベントの多くは、若さと恋愛とセックスが微妙に重なり合った部分にある。
もちろんセックスへの貪欲さも、感度の良さも、開発された30代の方が素晴らしい。
でも、初々しさから貪欲さへの飛翔、好奇心と恐れの板ばさみからの脱却、肌の手触りの変化、
現在進行形で育って行く身体、セックスの成長を共に味わうこと、などは10代の処女の時代から30代近くの
成熟する時代までを、1人の(もしくはそれぞれ同年代の複数の)女性と共にすごさないと、味わえない。
女性の変化のダイナミズムを味わうなら、10代後半から20代後半の間だと思う。
細かいことは省くが、圧倒的な真実としてひとつだけ言いたいのは、肌の手触りの変化。
元嫁が20歳になってしばらくしたある日、肌の感触が今までと明らかに変化したのに気づいた。
それまで、しっとりと吸い付くようだった肌触りが、べつに吸い付かなくなった。
最初は体調かなんかのせいかと思ったくらい、ある日突然起こった劇的かつ不可逆的な変化だった。
これは、女性自身の方が良くわかる感覚なんじゃないだろうか、例えばシャワーの水が
肌で玉になって転がる時代があったということに。
異性として、より生物的な価値、もっと言えば恋愛市場での商品価値としては、
何故なら男性は金や権力で、恋愛市場での自らの商品価値を引き上げることが
自分と元嫁とは、お互いの若さに惹かれて付き合っていたんだと思う。
元嫁は、夢を語り、追いかけ、実現して行く俺の姿に惹かれていたと思うし、
俺は、色んなことを吸収して、日々変化し、成長していく元嫁が魅力的だと思った。
そして、セックスも存分に楽しんだ。お互いの若い身体をむさぼった。
でも、色々なことを経験し、色々な人に会って、若い時と目線が変わった今は、それぞれが
別の道に歩き始めるようになったし、人生の伴侶となる異性に求める条件も変わった。
人生におけるマクロな価値観と、ミクロな生活感覚が近いかどうか。
違っていたとしても、お互いに認め合い、尊重し合えるかどうか。
元嫁とは今も仲がいい。
でも、マクロな価値観も、ミクロな生活感覚も、10年の間で徐々にその差が開いて行った。
人生の中でももっとも劇的に変化する10年を超えた時に、お互いの人生の立ち位置が
同じままってのは、本当にありえない奇跡なんじゃないかと思う。
自分たちの場合は、それが少しづつ変化して行った。バンドなら、音楽性の違い、だ。
だから、別々の道を歩むことに決めた。
たぶん、子供を産んで育てれば、半強制的にお互いの立ち位置は同じになる。
世の多くの夫婦は、意図的にせよ、無意識的にせよ、その道を辿る。
それは、凄く正しくて良い事だと思う。
自分たちの場合は、20代ではそれぞれの夢を優先させていたので、あえてそれをしなかった。
周囲の友人を見ても、子育ては人生中盤以降の最大のやりがいであり、楽しみだと思う。
個人的にも、自分の人生でその最大の楽しみ(苦しみも)が残っているのは、凄くわくわくする。
そもそも結婚って制度は、子育てをしないと何のメリットも無いし。
結婚ではなく、出産と育児で、今までの人生ってのは一度リセットされるんじゃないかと思う。
でも厳密に言うならば、夫婦間で「若さを消費する恋愛」の経験に大きな差がある場合、
それを後から埋めるのは結構難しいんじゃないかとも、ふと思う。
だって、それは人間の価値を決める「経験」の圧倒的な差でもあるわけで。
「若さ」という万人に等しく与えられた資産を、適切に自己投資して来なかった人なわけで。
それは、無駄な嫉妬や劣等感やルサンチマンや浮気や不倫や出会い系や風俗やスワッピングや
ロリコンへの傾倒や韓流ドラマブームの原因になるんじゃないかと思う。
ここらの暗いパワーを、持ち家のローン返済や子育てへの前向きなパワーに変換出来れば、
幸せになれるのかも知れないけど。
まあ、長くなっちゃったけど、一番言いたいことは。
「若い身体は素晴らしい。成熟した精神は素晴らしい。」ということ。
そして、もうひとつ。
「若い時の経験が違いすぎる人同士は、結婚しない方がいいと思う」ってこと。
いまさらそんなことにこだわるなんて馬鹿馬鹿しいことだからこそ、
逆に誰にも相談できずに悩むんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
外見だけの話じゃない。
20代で散々遊びほうけてスレ切った女が、30代40代になって理想とする男は、遊ぶことを自粛してきた高学歴高収入の男。
全く反吐が出るわ。
そして思う存分若い女と遊べばいい。
精子って高タンパク質らしいけど、殆どはアンモニアが混ざった正真正銘食べ物ではないはずだから、
そこから考えるにこの「ザーメン美味しい」はきっと何らかの意味性があると思う事にしてる。
そうでないと、激臭で無味か粘り付く様な、くしゃみをしたときに喉に引っ掛かる感じと同じザーメンを
飲み込む訳じゃないか。
そうなると、精子を飲んだ瞬間、否応なく感じられるのが反吐が出るほどの嫌悪感のはず。
それが何度も飲み続ける事によって味覚がマヒしてザーメン美味しいとなるなら分からんではない。
だけど、所詮は無味のザーメンだから「美味しい」と表現するのは可笑しいと思うんだ。
可笑しくないと思うなら、是非自分のを飲んで噛み締めてみたまえ。
ホワイトカラーの仕事柄か、社会人数年目までは、会話や議論がまったく成り立たない、
という人にはあまり出会ったことがなかった。その1点のみで自分のキャリアパスに自信を
持っていたが、今考えればラッキーだったと思う。
年次があがり様々な人と接するようになって見えてきたが、リーダーを負かされていても
認識力や理解力が異常に低かったり、幼稚な性格のまま大人になった人が1顧客のメイン担当
だったりということがざらだった。だから世の中はストレスフルだったわけだ。
はっきり言って「頭の弱い人」に仕切られるのなんてたまったもんじゃない。
世の中そういう人たちにイライラすることは日常茶飯事だ。そんな時、つい耐え切れ
なくなって私がやってしまうのが「煽り」。普段から、やまもといちろう氏をTwitterで
ウォッチしている自分としては、その鮮やかな煽りを見るにつけ「いつかやってみたい」
「相手を混乱させてみたい」と思ってやまない。そんな気持ちをぶつける相手として
そんな "頭の弱い人" は格好の相手となる。
"頭の弱い人" は物事をちゃんと認識することが苦手なので、ちょっとした勘違いに
軽くふれてあげるだけであっという間に怒り心頭。やまもといちろう氏の口調を真似すれば
とはいえ、"頭の悪い人" は煽られている状態も認識できないらしく、意味不明のロジックで
反論してくる。理解できない絡み方をされると超面倒くさいし、周りから心配されるのも嫌になる。
煽ったはいいが、煽られた奴の後始末なんて反吐が出る。「ちゃんと文章読めやクソ」なんて
思っても後の祭り。イライラは結局自分に戻ってきてしまうのだ。
そんな訳で "頭の悪い人" は調子に乗らせず、かといって怒らせもせず、クールに最低限の
セックスの値段高くないかという話。いやまじで。高くないか?俺は高いと思う。ラブホって四五千円くらいかかるじゃん。その前に飯でもおごるとしたらもっとかかるじゃん?
風俗にしたって、激安ってところでも六千円くらいするじゃん。セックスにそんな価値あるか?セックスより絶対ド派手なアクション映画見た方が脳内麻薬でるだろ。女のマンコ(もしくは男のチンコかアナル)からIMAXばりにリアルな立体音響と繊細なグラフィックが飛び出して来たらそりゃ面白いけどさ。現実のパートナーはそんなことできないだろ。ふざけるなよ。
まあパートナーにはセックス以外の価値もあると思うよ?あるけどさ、そのセックス以外の価値って友達でも果たせない?パートナーの価値って結局性的魅力だけじゃない?愛とかよくわかんないものを持ち出して説教しだすやつとかいるけどさ、友達に向ける親愛の情と何が違うんだよ。違うものがあるとしたらセックスしかないんじゃねえの?で、セックスって高くないか?四千円以上の価値があるのか?俺はないと思う。まじでないと思う。セックスに一万とか二万とか払う男を見ると心底反吐が出る。マンコにそんな価値はねえだろ。IMAX見ろよ。すげえよ映画は。インターステラーはガチ泣きしたよ。ウィンターソルジャーは見るだけで強くなれた。セックスして泣けるか?強くなれるか?俺セックスした帰りに「あ、俺今たぶんこの街で一番強え」って思えたことないよ。疲労感しか覚えないよ。というかセックスの間集中力持たねえよ。飽きるだろあれ。映画は飽きねえ。映画はワクワクしながらずっと見られる。でもセックスは無理だ。集中が持たない。セックスまじでクソだろ。なんなんだよ。俺を置いてくなよ。なんでみんなセックスに走っちまうんだよ。風俗とか行きたくねえよ。彼女とかも結局なんのメリットがるのかわかんねえよ。あいつら、がっつく男は嫌いとか言いやがるくせに、セックスしなかったらイライラしだすし、したらしたでこっちの集中が切れたらマジ泣きしやがる。本当にクソだ。本当にクソだ。なんであんなものをみんな求めるんだよ。意味わかんねえ。頼むから俺を置いてかないでくれ。本当につらい。理解が出来ない。クラスメイトの誰がかわいいとか、そういう話ですんだ時間を返してくれ。セックスよ、なあ、俺の友達をとらないでくれ。頼むよ。
セックスの値段高くないかという話。いやまじで。高くないか?俺は高いと思う。ラブホって四五千円くらいかかるじゃん。その前に飯でもおごるとしたらもっとかかるじゃん?
風俗にしたって、激安ってところでも六千円くらいするじゃん。セックスにそんな価値あるか?セックスより絶対ド派手なアクション映画見た方が脳内麻薬でるだろ。女のマンコ(もしくは男のチンコかアナル)からIMAXばりにリアルな立体音響と繊細なグラフィックが飛び出して来たらそりゃ面白いけどさ。現実のパートナーはそんなことできないだろ。ふざけるなよ。
まあパートナーにはセックス以外の価値もあると思うよ?あるけどさ、そのセックス以外の価値って友達でも果たせない?パートナーの価値って結局性的魅力だけじゃない?愛とかよくわかんないものを持ち出して説教しだすやつとかいるけどさ、友達に向ける親愛の情と何が違うんだよ。違うものがあるとしたらセックスしかないんじゃねえの?で、セックスって高くないか?四千円以上の価値があるのか?俺はないと思う。まじでないと思う。セックスに一万とか二万とか払う男を見ると心底反吐が出る。マンコにそんな価値はねえだろ。IMAX見ろよ。すげえよ映画は。インターステラーはガチ泣きしたよ。ウィンターソルジャーは見るだけで強くなれた。セックスして泣けるか?強くなれるか?俺セックスした帰りに「あ、俺今たぶんこの街で一番強え」って思えたことないよ。疲労感しか覚えないよ。というかセックスの間集中力持たねえよ。飽きるだろあれ。映画は飽きねえ。映画はワクワクしながらずっと見られる。でもセックスは無理だ。集中が持たない。セックスまじでクソだろ。なんなんだよ。俺を置いてくなよ。なんでみんなセックスに走っちまうんだよ。風俗とか行きたくねえよ。彼女とかも結局なんのメリットがるのかわかんねえよ。あいつら、がっつく男は嫌いとか言いやがるくせに、セックスしなかったらイライラしだすし、したらしたでこっちの集中が切れたらマジ泣きしやがる。本当にクソだ。本当にクソだ。なんであんなものをみんな求めるんだよ。意味わかんねえ。頼むから俺を置いてかないでくれ。本当につらい。理解が出来ない。クラスメイトの誰がかわいいとか、そういう話ですんだ時間を返してくれ。セックスよ、なあ、俺の友達をとらないでくれ。頼むよ。
私の前には買い物帰りの腰の曲がったおばあさんがいる。
のろのろと歩き始めたおばあさんを追い越して、私も渡る。
私は急いで線路の反対側に向かう。
何食わぬ顔で、いつも通り線路沿いを左に行く。
そこで初めて、渡ってきた線路のほうを見る。
おばあさんは渡るのを見送ったらしい。反対側でおとなしく次の電車の通過を待っている。
私はひそかにホッと胸をなでおろす。
同時に、何か反吐が出そうな思いを感じる。
でも、私はそういう性格だ。
助かっていなかったら、自分を責めただろう。
たぶん、助けられたのは私だけだった。気づいていた。
その人が最後の力を振り絞って助けを求めていたことも分かっていた。
でも、こうした生来の性格と、あまりの自信の無さとで、私はその人を無視した状態だった。
心の中で心配していても、何か行動しなければ、言葉をかけなければ、意味がないのだ。
その人は、いつも私に意味がある言葉をかけてくれたのに、私は、意味がなかったのだ。
後から連絡してみても、メールでのやり取りは長らくしていなかったので、アドレスが変わっていた。
頑張れば連絡する手立てはあったと思うけれど、そこで諦めた。
それから半年が経過して、いよいよ取り返しのつかない状態になっていることを耳にした。
今さら連絡先だけはなんとか手に入れたが、今となってはかける言葉が見つからない。
聞かなければ今どうしているのか分からないけれど、何も言うべきではないのだろうか。
これはひどく狭い世界の話だ。
要するに、
創作関係のコミュニティで内輪揉めを引き起こして、
結局なにひとつ現状は変わらなかった、というだけの愚痴だ。
数年前からそのコミュニティに参加し始めた。
「コミュニティの一生」というコピペがあるが、
あれでいえば俺はちょうど面白い人とつまらない人が入れ替わる、
その一番最初に来たつまらない人、という位置だろう。
当時はにぎわっていた。
最初にその場を耕し、育てあげた人々はみな何らかのノウハウがあった。
意外にも、本来いるべきその道の専門家は少なかった。
むしろ優れた部外者たちの試行錯誤やぶつかり合いが場を育てた。
たとえるなら、
トランペットを小学生の頃から続けてきたベテランが、
その経験を活かしてセンスある創作料理を次々と生み出すようなものだ。
それほどに無関係な分野の人たちが、
「その道の専門家」を圧倒する勢いで傑作を生みだしていった。
自分は以前“その道”に近い場所にいた。
だからはじめ、彼ら先駆者よりも自分の方が優れたものを生み出せると、
そんな驕った考えでその場に近づいていった。
そして打ちのめされた。
最初の半年か一年くらいは、彼らの生み出した言語の習得に追われる日々だった。
夢のように充実していた。
彼らは小手先の作法などでなく、本質を素手で掴まえようとしていた。
最盛期は「いかによりよいものが作れるか」と夜な夜な語り合い、
酒を片手に垂れ流すようなバカ話も交えつつ、
時には場を凍らせるような尖った言い争いを起こしつつも、
全体としては実りある技術論をしていた。僕にはそう映っていた。
みんな、過去の話だ。
やがてある時から、人の気配が減り始める。
そのコミュニティがどこまでも膨張していったが、
筋違いの非難や関係者への人格攻撃も増えていった。
先駆者たちの多くは、そこらで別の居心地良い場所を探し始めた。
自分も彼らの後を追ったり、まだ元の場所に居着いていたり、
あるいは全く別の場所に触れてみたりしつつも、
心まではコミュニティから離れられずにいた。
衰退以前から、コミュニティ関係者の間ではSNSが普及していた。
SNSは確かにコミュニティ活性化の起爆剤ではあったが、
同時に終焉へと向かう引導でもあった。
当初の目的を外れた雑談や日常生活での愚痴などが空間を占め、
居心地の良い場所となっていった。
そこは創作行為をしなくてもぬくぬくと過ごせる場所に変わっていった。
世代交代はゆるやかに進んでいった。
かつての先駆者たちが作り上げた傑作に魅了された、新しい作り手もやってきた。
だがすでにそこは見えないルールでがんじがらめとなっていた。
尖った作品、極端な作品は叩かれ、無難なものだけが場を占めるようになった。
それどころか、作品の評価と作者の評価が混同されはじめ、
「SNSで良い顔をしている作者は叩かれない」という
あまりにも本末転倒した状況が生まれつつあった。
コミュニティから生まれた作品を保管するサイトの運営もまた、世代交代した。
以前の運営はコミュニティ参加者とは一定の距離を保っていた。
必要最低限のことしか話さず、任務を遂行していた。
運営が引退すると、別の参加者が次期運営に名乗り出た。
それから運営が交代し、ついにSNS参加者の手に運営が移った。
その運営は作品への非難を許さず、すべてに全肯定で返した。
作者の人格をキャラ化してSNS上での人形遊びにかまけては、
作者と作品の安易な結び付けを積極的に促した。
作品非難に対しては、その質を問わず断固たる態度で臨み、
場合によってはアクセス禁止を断行した。
ユートピアによく似せたディストピアがゆるやかに形作られた。
以前はどうだっただろう。
かつてはつまらないものはつまらないと叩かれ、
時には手ひどい長文バッシングやアンチのストーキングさえも起きていた。
だが、それは間違いなく健全な場所だった。
飛び抜けて優れたものが絶賛を超えた絶賛を受け、
見るに堪えないものはこっぴどく叩かれる。
だが、そうした歯に衣着せぬやり取りこそが、
本当の意味で作品に触れることでもあったのだ。
現在、そのコミュニティには酷評も絶賛もない。
悪いものには反応がなく、
よいものにも「お疲れ」「よかった」程度の寒い拍手が並ぶ。
中身を見てなどいないのだ。
現在でも本当に飛び抜けて優れた作品が生まれるが、
参加者にそれを賛じるだけの語彙がない。
この語彙というのは単なる辞書的な意味ではなく、
作品を底の底まで見抜く目と、それを素直に口にする心意気だ。
今は作品ではなく、生身の人間としての作者との馴れ合いが優先される。
彼らは何を作り上げるかではなく、儀礼で作った愛着にしがみついているのだ。
私はコミュニティにとって老害だ。
本当はすでに別の場に片足どころか重心まで移しておきながら、
さらに当時のコミュニティで腕を奮っていた作者たちをそこに呼び寄せながら、
こうして元居た場所を憂う資格など、本当はないはずだ。
けれども、もし、と考えてしまう。
もしこの場で、
かつてのように良いものを良いと、悪いものを悪いと言えたら。
言える人物がいたら。
まっとうな評価があれば、少しは何かが変わるだろうか。
風を起こせるだろうか。・・・そんな夢物語を考えてしまう。
ディスコミニケーションが極右思想をそそのかしてしまう。
そこで、修羅の仮面を被ってみた。
最盛期よりも過剰に、気に入った作品を絶賛し、
逆に気にくわない作品を立ち直らせぬほど叩き潰した。
実作評価とコミュニティ評価の乖離した作品は許さなかった。
借りてきた怨念を込めて、身体に空く穴もいとわず、
保管庫とその運営に向けて呪いをぶちまけた。
耳に入る同志たちが影でささやいた恨み辛みを糧に、
自分が真っ先に身をなげうって、
「健全な精神」の持ち主が後に続く道を切り開こうとした。
もちろん、そんなことで現状は何一つ変わらなかった。
今でも参加者はいちゃいちゃと馴れ合い続け、
自分の酷評に対しては見当違いな人格非難で憂さ晴らししてやり過ごし、
彼ら参加者は己の手で愛すべき土地を汚して踏みにじっていることに気づかず、
ぬくぬくと余生を過ごしている。
恥知らずにも、その手は未だに僕や出て行った人々にまで向いている。
突き返して叩き落としても、彼らに言葉は通じなかった。
反吐が出る思いだ。
だが、祖国に泥を擦り付けたという点では、自分もまた同罪かそれ以上なのだ。
先駆者たちは正しかった。
何もせず、すっと離れる方が殉教などより遙かに賢い選択だった。
中でも先陣を切った人は、コミュニティの樹立どころか、
人が集まる気配すらも避け続けているように見える。
根無し草というより、難民のような様相だが、
己の創造性や価値観を守るには賢明な選択なのだろう。
作品の質云々も、手前の好みにすぎないと言われても反論しきれない。
現運営が理想主義者の皮をかぶった独裁者であるのと同様に、
自分もまた、ある種の独裁的思考の持ち主にすぎない。
「ユートピアを語るものは、そのユートピアでの独裁者である」
そんな言葉を何度となく噛みしめる。
ちょうど一連の出来事は、例のISILの事件と同時期に起こっていた。
比べるのもばからしいほど規模の違う話だが、
テロリストになるとはこういうことなのか、と共感してしまう自分がいる。
僕はもう諦めてしまった。
例のコミュニティから距離をとりつつも、へらへらと生きていくのだろう。
死んでいく老兵の遺言として、この文章をのこす。
さあ、四月から新生活だ。
がんばるぞ
自分のブログに書こうとも思いましたが、宣伝目的だろうと罵られるだろうので、増田に書きます。
これを特定地域の人に拡散したいし働きかけたいのですが、どうすればいいのかわかりません。
一人でも多くの人の目についてほしい。とにかくネットに流すしか。
http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/201412/0007573135.shtml
兵庫県芦屋市の新規開発地区に小学校を建設する方針であると報じられました。
ここはかねてから、小学校建設予定とはされてきていたものの、子供人数の上昇の推移などを
そして、今まさに子供の数もピークを迎えるし、若い世代の人たちを市に誘致しようという
ところが先週になりこのようなニュースが。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007862043.shtml
過半数以上の議員が名前を連ね、市長に直訴をして、白紙撤回させたというのです。
そして、この議員達を束ねている畑中議員は、こんなビラを号外といって配りました。
↑すみません、Facebookをしてないとみれないかもしれません。
それを前にして、「小学校建設の無駄な公共事業を中止した正義の議員は我々です、反対したクズ議員はこの人達です」
と言わんばかりのビラです。
そしてこのビラは、小学校が建設される予定だった地域にはいっさいくばられておらず、
それ以外の地域に大量に配られました。
やり方が汚いと思いますが、それは別に良いとしてもこの畑中という議員。
http://4.pro.tok2.com/~mat/kawaraban/m0106.html#30
内容としては、古くなった「小学校の改修増築工事」の際に、発注業者から100万円の賄賂を受け取っていたのです。
一方、畑中としひこ市議の仲介で富田被告らから便宜供与を受けた業者は、
その後、事実は認めながら議員は辞職せず、今もずっと議員を続けているという人です。
その人が、「小学校建設には利権が絡んでいるから辞めさせないといけない!」と声高々に叫んで
建設を辞めさせました。
この過去の小学校増改築にかかる費用は30億円かかったと報告されています。
今回の小学校新設費用予算は70億円、そのうち30億円は土地取得費用。
その過去の金額も当然知っていながら、畑中議員は「小学校新設にそれだけ税金を投じるのは税金の無駄」と訴えています。
その畑中議員がHPに掲げている、最優先事項は、「その他の古くなった小学校の増改築」なのです。
それに、先ほどの号外に載っていた、建設賛成派の木野下議員のブログを読んでみると
http://blogs.yahoo.co.jp/urukino07/68372002.html
木野下議員も、基本的には建設には反対派であるのに、なぜ、号外には「賛同しなかった議員」として
肩を並べられているのか。
http://cat.cscblog.jp/content/0000235533.html
と、まあ建設反対派の議員さん達が「正義」を自称していますが、
正義でないことは明らかなのですね。
何か、最近はこれとは色が違うと思いますが、保育園が地域住民の反対で開園できなかったり
これで、子供を切り捨て、高齢を守っていくのがあるべき姿なのでしょうか。
しばらくはそれでやっていけるかもしれませんが、いつか終わりが来ます。
また、そうした時流はなおさらに少子を加速化させていくだけなのではないかと思います。
皆さんのご意見をちょうだいできれば幸いです。
それだと益州取れなくなるか。
必然的に地理に詳しい孔明を呼ばざるを得ないのはしゃーないか。
とはいえ、あの段階で関羽の他に荊州統治を任せられる人が本当にいなかったのか
街亭でたまたま馬謖しかいなかったから彼に任せて駄目だった事があったけど、
関羽も前評判はすごく良かったから荊州も大丈夫だろと統治を任せたら
荊州全土取られた挙句関羽自身も敗死して、その後の荊州奪還と仇討ちなんてイベントが
起こるはずが無かっただけに、関羽の身勝手さには反吐が出るし、
さすが人材コレクター曹操さまが一目置くだけの事はあるなと思った。
実際、曹操の目に適ってなかったら荊州統治という大任もなかったかもしれない。
曹操は目聡く将来自分にとって害になるかもしれない人物を起用する事によって将来の害を取り除いたかもしれない。
そう考えたら関羽はある意味然るべき所に収まったに過ぎないのではないか。
【緊急告知】明日!渋谷区「同性パートナーシップ条例」絶対反対緊急行動
http://www.youtube.com/watch?v=er_KhnJcdb4
ten kou58 minutes ago
桜の活動は本当に頭が下がる。一見するとマイノリティーに対する差別という敵の核並みの兵器があっても、恐れず、言葉をつくし、真摯に立ち向かう。誰もが面倒に巻き込まれたくない。特にこういった問題は。自由、差別、権利、弱者とついてくるから、被害者になれば勝ちだし。
Goodson16 minutes ago
同感。社長はえらい。「シャベツダ!」とか南アフリカ大使みたいに言いがかりをつけてくるカスが必ず出てくるけど日本保守のために言うべきことを言う。偉い。
shinbee26 minutes ago
チャンネル桜さんはキリスト教的な伝統的家族制度を維持したいのかしら。
日本の男色なんて古代ギリシャやローマの少年愛と肩を並べるくらい有名、女装文化も独特なものをもっている。
Goodson7 minutes ago
同性結婚を公認したことは一度も無い。日本の歴史の中で同性愛は有ったが常に秘め事であった。歴史をちゃんと勉強しよう。
それにこれは家族のあり方、突き詰めると皇室のあり方に行き着く。たんに「キモチよければいい」って問題じゃないんだよ。
まりえもん1 hour ago
Goodson51 minutes ago
甘すぎる。葉隠をよめ。保守とは伝統への忠誠である。辛くてしんどいこと。ラクで楽しいことだと誤解してる浮ついた奴がどれだけ多いか。ほんと甘すぎる。好きなやつと法的に結婚できない位で(一緒には入れるのに!) 、自分が不幸の中心にいると思い込むような甘ったれは特攻隊員を見習え!! 結婚もせず若くしてお国のために戦い死んで行ったんだぞ!! ほんと甘ったれが多くて反吐が出る。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2015/02/20/170139
こういうの反吐が出る。
あの選択のシーンは、前提として「犠牲を強いなければ滅びる」くらいの戦力差がある。
だからこそ、レオナールの決断も一方の正義であるのに、カオスルートにしか行かない輩は、騎士レオナールを卑怯者と断じるのだろう。
国家の存亡と、そこに住む数多の民草の命運を、「人間として正しい選択」をしてレオナールに全部背負わせるのは、【あの場面に関して言えば】ただの逃避だ。
代案が無いのだから。
その「人間として正しい選択」の結果、ゲーム中で国が滅び民草が恨み言を主人公に吐いたら、きっとこいつらはゲームに悪い評価をつけるんだろう。
「間違った選択をしたのはロンウェー公爵と騎士レオナールでぼくじゃない」と、「人間として正しい選択」をしたのに不正解なんておかしいと。
劇中の主人公のように言うのだろう。
ずっと言い続けるがいい、「ぼくじゃない」と。
こういう人らは、ゲーム中で「カルネアデスの板」のような状況に遭遇した場合、「人間として正しい選択」の結果、ゲームを進めないという選択を選ぶんだろうか?
当然、その場でクソゲーとして売り払うんだよね?
逃避でしかない自分の選択を、「人間として正しい」とか誤魔化すな。
その逃避をして、自分は正しい価値観を持っているなどと思い上がるな。
クソ共が。
実家を出ることを決めてから3ヶ月が過ぎ、私はバイトの最終日に居酒屋の厨房にいた。
その居酒屋が近所に出店してきたとき、心地よい気分はしなかった。
春、私は休学届を提出した。
ただ大学を休んでいるだけでは親に申し訳が立たないから、バイトを募集していたその居酒屋に渋々応募した。
酒と明るい雰囲気で溢れかえる、私が大の苦手とするものに囲まれて、隅っこの方で皿洗いでもしながら細々と給料を受け取るのだ。
現実は違っていた。
アルバイトなど経験していない病身の私に、手とり足とり調理の方法や、ホールでの立ち回りを教えてくれた。
それまで聞くだけで反吐が出た冗談も、その使いどころを間違えなければ面白いのだということも分かった。
お客も酒乱ではなかった。
いつも薀蓄を垂れる巨漢のおじさん、レストランがわりに通う家族、社員(ニックネーム)を甘いジョークでからかうおばさん軍団、等々。
ある老夫婦にすっかり気に入られ、彼らに日本酒を注ぐのは私の仕事になった。
先月、誕生日を迎えた。
他の人たちも、それぞれにプレゼントを渡してくれた。
家族以外の人間からプレゼントをもらうなんて、これが初めてであった。
その時こそ明るく振舞ったが、その日の家路で立ち止まって泣いた。
少しでも苛立つことがあったら、遠慮せず記事にして報復するのがやらおん
それに加えて、作画スレはやらおんの情報源として継続的に監視されている
アニメ-ターのゴシップ掲載はPVを稼ぐと同時に作豚への嫌がらせでもある
そしてお前ら作豚はそれを分かった上で、煽り貶しとセットでやらおんやらおんと連呼する
完全に無視を決め込むのが得策。けれど義憤から挑発してしまう作豚
「ほら、ここに餌置いといてやるよ。けけけネタに出来るもんならやってみろ」
やらおんが反吐が出るくらい嫌いすぎるのに記事の掲載を止められない無力感
だから記事のネタを自ら投下して、少しでも相手側をコントロールした気になってる
知らない内に好きな人を傷つけられるのはもう辛い
それぐらいしか反抗の手がないから、誰かが一旦やり始めると追従する者も現れた
現状、複雑な思考が面倒になっている作豚たちは
やらおんにレイプされる可能性が低いアニメ-ターまで進んで差し出してしまうようになった
こんな馬鹿な話があるか??
寝取らせて興奮してんだ。最初の痛み忘れてんだ