2015-05-20

踏切帰宅ラッシュ電車が通過するのを待っている。

私の前には買い物帰りの腰の曲がったおばあさんがいる。

遮断機が上がる。人々がいっせいに渡り始める。

のろのろと歩き始めたおばあさんを追い越して、私も渡る。

と、渡りからないうちにまたカンカン鳴り始める。

私は急いで線路の反対側に向かう。

後ろのおばあさんのことは意識している。意識している。

渡り切って、遮断機が完全に下りる。

何食わぬ顔で、いつも通り線路沿いを左に行く。

そこで初めて、渡ってきた線路のほうを見る。

おばあさんは渡るのを見送ったらしい。反対側でおとなしく次の電車の通過を待っている。

私はひそかにホッと胸をなでおろす。

同時に、何か反吐が出そうな思いを感じる。

確認たからってなんなんだ。

自分の中でまで免罪符を作るのか。


でも、私はそういう性格だ。

結果論で言えば、助かるか助からないかの2つに1つ。

助かっていなかったら、自分を責めただろう。

私だけが気が付いていたかもしれないのにと。

(それも、気持ち悪い。自己陶酔が混ざっている)


そして今、ある人が電車に轢かれてしまった。

たぶん、助けられたのは私だけだった。気づいていた。

その人が最後の力を振り絞って助けを求めていたことも分かっていた。

何か言いたいと思った。その人の幸せを願っていたことは本当。

でも、こうした生来性格と、あまりの自信の無さとで、私はその人を無視した状態だった。

心の中で心配していても、何か行動しなければ、言葉をかけなければ、意味がないのだ。

その人は、いつも私に意味がある言葉をかけてくれたのに、私は、意味がなかったのだ。


から連絡してみても、メールでのやり取りは長らくしていなかったので、アドレスが変わっていた。

頑張れば連絡する手立てはあったと思うけれど、そこで諦めた。

それから半年が経過して、いよいよ取り返しのつかない状態になっていることを耳にした。

さら連絡先だけはなんとか手に入れたが、今となってはかける言葉が見つからない。

聞かなければ今どうしているのか分からないけれど、何も言うべきではないのだろうか。

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