私の前には買い物帰りの腰の曲がったおばあさんがいる。
のろのろと歩き始めたおばあさんを追い越して、私も渡る。
私は急いで線路の反対側に向かう。
何食わぬ顔で、いつも通り線路沿いを左に行く。
そこで初めて、渡ってきた線路のほうを見る。
おばあさんは渡るのを見送ったらしい。反対側でおとなしく次の電車の通過を待っている。
私はひそかにホッと胸をなでおろす。
同時に、何か反吐が出そうな思いを感じる。
でも、私はそういう性格だ。
助かっていなかったら、自分を責めただろう。
たぶん、助けられたのは私だけだった。気づいていた。
その人が最後の力を振り絞って助けを求めていたことも分かっていた。
でも、こうした生来の性格と、あまりの自信の無さとで、私はその人を無視した状態だった。
心の中で心配していても、何か行動しなければ、言葉をかけなければ、意味がないのだ。
その人は、いつも私に意味がある言葉をかけてくれたのに、私は、意味がなかったのだ。
後から連絡してみても、メールでのやり取りは長らくしていなかったので、アドレスが変わっていた。
頑張れば連絡する手立てはあったと思うけれど、そこで諦めた。
それから半年が経過して、いよいよ取り返しのつかない状態になっていることを耳にした。
今さら連絡先だけはなんとか手に入れたが、今となってはかける言葉が見つからない。
聞かなければ今どうしているのか分からないけれど、何も言うべきではないのだろうか。
老人が死ぬのは良いことです 邪魔をしたらだめです