はてなキーワード: 冗談とは
数年前、小学生の息子が泣いて帰宅したので、どうした? と聞いてみたんだ。
事情を聞いた俺は、溜息をついて、「男はキモいと言われる生き物なんだ」と教えた。
——息子よ。この先の人生でキミは何度もキモいと言われるだろう。
当時、幼いながらに将来は作家になりたい、と夢見ていた息子を想いアドバイスを与えた。
大人になってもキミは、読者や同じ職場の女の子とかに、事あるごとにキモいと言われてしまうだろう。
避けられない宿命なのだから、『キモい』と言われることに、いまのうちに慣れておけ。
言われても、心の温度が上がらないようになるまで。
…そんな風に話したと思う。神妙な顔をして聞いていた彼の成長過程で、この教育がどう影響してるかはわからない。単に忘れ去られてしまったかもしれぬ。
有名税についての俺の考え。
芸人とか Youtuber とか人気ツイッタラーなどは、民度もリテラシーも異なる色んな人たちにビックリするような抜き身の意見をぶつけられる事が多いようだ。
嘆いても、 “有名税” だから仕方ないですよ、と言われる。どうしようもなく発生するので受け入れるしかないのだ、と。
しかし有史以来、税金は民衆の合意の上で委託された組織によって取り立てられてきたはずだ。
どこの馬のホネとも知れぬコメントの連中の身勝手な意見を、受け入れます っていう合意なんて存在しないだろ。だから、有名税なんかない。あるのは “有名みかじめ料” だよ。
アメリカでーとか言いながらなんで Yahoo! JAPAN ほか日本のニュースサイト(笑)を見てんねん・・・って気持ちにしかならん
下記のワードを Google に入れて検索掛けるってそんなに難しそう・想像もできない行動か?
Chris Rock Will Smith After Oscars
そうすれば秒で出てくるでしょ?ニュースやそれにコメントしている一般人のお気持ちがさ
下記のコメントがアメリカの3.3億人を代表する意見だとは思わないが、国籍問わず下記に同意出来ない人は文明人は名乗るべきでは無いと思う
というか殴られたくないので頼むから家にこもってお外に出ないで欲しい
Oy. It was not a joke about disease. It was a joke about a shaved head. Two completely different things.
And let's say it was a cruel, vicious joke about alopecia. How is strutting across the stage and assaulting Rock "defending" Jada? Smith could have shut up, glared at Rock, and made a statement later about a serious medical condition (you know, like a fully mature adult). He could have stayed in his seat and yelled for Rock to shut up. He could have gotten on his feet, walked on stage, and yelled at Rock. He did none of these things. He chose to commit a criminal act. That is not defense, that is offense. And it's a crime.
They are celebrities. They chose a life in the public eye and so along with the fame and money and celebrity, comes criticism. If they don't have thick skin they should retire from public life.
病気についてのジョークではありません。坊主頭についてのジョークだった。全く違うものだ。
仮に、それが脱毛症に関する残酷で悪質なジョークだったとしよう。
ステージを闊歩し、ロックに暴行を加えたことが、どうしてジェイダを「擁護」することになるのだろうか。
スミスは黙ってロックを睨みつけ、深刻な病状について後で声明を出すこともできたはずだ(ほら、完全に成熟した大人みたいにね)。
彼は自分の席にとどまり、ロックに黙れと怒鳴ることもできたはずだ。
立ち上がってステージに上がり、ロックに怒鳴ることもできたはずだ。
彼はそのいずれもしなかった。
彼は犯罪行為を行うことを選んだのです。
ウィル・スミスがしたことは犯罪で恥ずべき行為でそこに同情の余地はない
むしろこれに同意出来ない理由が知りたい。盗人にも三分の理じゃねーんだわ。日常で身の安全を心配する必要があったら何も出来ねーんだわ
文明人ならここで話は終わりだし終わって欲しい
あと、『ウィル・スミスがしたのは犯罪行為で稚拙ではあるが妻を守る行動だったのか?』に対しても、
ほぼ満場一致で『守るという発想自体が有毒な男らしさ(Toxic masculinity)』です
支配されたい支配したい欲望を持つ方々は生きづらい俺私さんと泥沼愛憎劇を繰り広げたくないなら、
しいて無理やり自分の身の回りのことに置き換えて話を続けようとした時に意見が割れるというか食いつかれてるのがここ
Yea, no. It was an example of lack of self control, misplaced anger, and uber Hollywood entitlement to think he can physically assault someone for comparing his wife to Demi Moore. Smith was on camera laughing at the joke. Jada, is a strong woman, she doesn’t need theatrics like what Smith did to ‘protect’ her.
I’ve seen serious Alopecia in my 30+years as a hairdresser, and those who had it didn’t consider themselves ‘diseased’ or in need of pity. It was distressing at best, but not anything they needed their husbands to defend. These millionaire entitled elitists were at their best that night showing us who they are, and Smith ruined what should have been a big night for his acting career in behaving like a thug.
自分の妻をデミ・ムーアと比較したことで、誰かを身体的に攻撃できると考えるのは、自制心の欠如、見当違いの怒り、そして超ハリウッド的権利の一例です。
スミスはそのジョークに笑っているところをカメラに撮られていた。
ジェイダは強い女性だから、スミスがやったような「守る」ための演出は必要ない。
私は美容師として30年以上、深刻な脱毛症を見てきましたが、そのような人は自分を「病気」だとも「同情されるべきもの」だとも思っていませんでした。
悩ましくはあるが、夫に守ってもらうほどのことでもない。
But the fact is that Chris Rock didn't just go after Smith's wife, he went after her appearance, which is caused by a medical condition.
That's as beyond today's current standards as it gets.
Alopecia is a painful experience that many Black women go through and should not be joked about.
クリスは “Jada, can’t wait for G.I. Jane 2,” とジョークを言ったわけでどう聞いても髪型をいじったとしか思えないけど、
意外と病状に起因する彼女の容姿をネタにしているのでけしからんという意見もあった
というかそもそも外見を弄ること自体が現代の感覚からして時代遅れであるという意見も
まぁこの感覚は日米問わず若者にはある物じゃないかな?って思う>外見弄りのジョークは"時代遅れ"or "不快だから見たくない"
あとは少し脱線気味な気はするのだけど、脱毛症が軽く扱われていることからの『黒人女性はとにかく軽く扱われる』という意見
実際、黒人女性にはさまざまな困難があるみたいなので、有名人の話題に乗せて問題提起したい気持ちはわかるし、それが悪い行いとも思わないけど、
あと、脱毛症>黒人女性はとにかく軽く扱われ過ぎ からの マイノリティへの差別
マイノリティの困難はなんでも鼻で笑ったり軽く扱いがちなんだみたいな
実際、その通りなんだとは思うけど、やっぱり純粋に今回の話に関係あるかないかって言ったら無いよね
以上です
元増田じゃないんだけど、この話について当の本人たちの表現よりブクマで「挙式だけなら誰でもできるんだからおかしいことはない、一人でも友達同士とでもできるんだし」って言ってるブクマカの方が気になっちゃったよ。
そりゃそうなんだけど、現状同性同士については「挙式しかできない」わけじゃん。シスヘテロが法的拘束力のある婚姻というか、入籍に加えて他の選択肢として楽しみや決意や他の動機からの挙式を当然に選択できる自由がある状態と
婚姻や入籍ができなくて区切りとしての「挙式しかできない」不自由な状態とは全然イコールじゃなくて、そのうえでそれ言うのか…と思って「入籍」の話でない方がすげえ残酷だなと思っちゃったよ。
(その人たちがその意見のまま普段なにか同性婚賛成についてアクションをしてるなら別に文句はないんだけどさ…。でも実際はただ話を聞きたくないだけの人がすごく多い気がしない?)
一応パートナーシップ制度のある市区町村や養子縁組はあるわけだけど、これって結局は「法が同性婚を認めない」上でとれる対症療法のような抜け道のような方法にすぎないわけで、
生来の権利と言われるとちょっと違うし、婚姻ができるならこちらを選ばない人がきっと多いよね。(事実婚については話がブレちゃうんで措くけど)
というか異性で、恋愛的、あるいは親愛的了解のある二人がなにか関係を結ぼうとして、婚姻を選べる状態の上でさらにこういう方法が一般的にとられていない以上、
やっぱり両者には権利の上での格差があると思うんだよね…婚姻ができない状態において法的、金銭的な不利益を被っている現在がある以上、誰でも「挙式」はできるでしょ、それなら問題ないと思うよ!と言われても、
当事者としてはやっぱりひっかかるものがあるのはあると思うんだよね…。立っているラインが全然違っているんだから、なんかそこについてはもう少し耳を傾けてもいいし、
変わってない現在とそれに対する彼らの行動が現在進行形である以上は今回あがったような声自体は別に不当でないし「性的少数者としてなにかを解決しようとしてる態度とは思えない!」みたいに
大上段から複数で言われるほどおかしな意見でもないなって思うんだよね。言い方は強かったかもしれないけど、あの写真を出した側の考えなさと商業主義の姿勢に比べて
(個人的には今回のような表現をやめろとは言わないけど、世間的に嘘をついていい日っていう了解のある日にあれを出すことについてデリカシーがないというのは全然否定はできないとこだと思ったし、
それに対する批判だって同じように表現の自由で守られていいと思ったよ)それ以上に予断や思い込みのあるものとも思えないし、
未だに同性婚が法的にできないことを知らない人もいる、それを気にしなくていい人の多い社会構造の中の現状を生きてる人間にとって
ああいう発言をすることにおいて「逡巡がない」と受け取られるのもそりゃあ違うだろって感じたよ(これはこう言っているブクマカの人がいたので)、
そもそもこういう何か言えば猛烈な反応の返ってくる状況をずっと見ていてカミングアウトできてない人だっていっぱいいるのだろうし、マジョリティ側が持ってる発言することの気楽さのある世界とはかなり違う世界を生きてると思う。
我々が特に気にすることなくブクマで見られるような発言をしているとき、もうすでに黙って何度も何度もそれに耐えて頷いているかもしれない当事者はいっぱいいて、隣の席の同僚とかクラスメイトとか家族だってそうかもしれないわけでしょ。
そのことについてちょっと考えてもいいし、元ツイート主のああいう意見を見て、じゃあこの先どうしたらいいかなって両方で歩み寄っていけないものかなって思った。別にそんなに損することなくない?
我々に話を聞いてもらいたいならそういう態度をとるんじゃないよっていうのも、「理想の〇〇」(この間橋下さんが理想の戦争被害当事者を規定して燃えてたね)をやすやす規定できる側の考え方に見えるし、
現状特に何かを変える必要にない側にいる人間だから言えることだなって思ったよ。今性的に多数派の側にいることそれ自体で被る法的な不利益が自分にはないし、
他のいろんなものを対象にしたコンテンツや表現を楽しめる状態に水を差されることの方が自分たちが持ってる権利を持ってない人がいる社会が変わらないことより重いなって思うのも結構傲慢だなって感じるし、
よっぽど他の人間の表現の自由どころか得られていない権利の自由を侵害しといてそれはないよ…と思う感情自体は否定されなくていいんじゃないのかなって思ったよ。
何か言いたい人の話をもうちょっとばっさり切り落とさずに聞いたってそんなに損なことある?って思ってしまった。とにかく多数派は多数派の論理でそうでない他者を規定しすぎている反省はあってもいいのではないかな…って少し感じた。
一連の紛糾を見ていて、そもそも戦い続けてもまだ同性婚を法制化できてないくらい全然強い力を持ってない側にいる人たちの批判を表現の自由を規制する側=権力としてとらえてるところから変だし、
とにかくもうちょっと「なんでそんな風に思ったんだろう?」って聞いたっていいじゃんってなった、「お前の態度が気に入らない」「論理が破綻している(こっちもたいてい破綻しているのに向こうにばかり完璧を求めるのヘンだよな)」で切り捨てるんじゃなくて。
社会を動かす力も現状の社会構造を温存するのもどっちに対する力もむしろ多数派の方にこそあるんだから、それでとっとと同性婚成立させて好きなような冗談好きに言いあえる世の中になるのが一番いいよ。
https://www.instagram.com/p/Cbzc4-kLWMh/](https://www.instagram.com/p/Cbzc4-kLWMh/)
怒りはなかった。むしろ、これだけ長い間差別されてきた歴史があるのに、それらのことを何も把握していない人間にかんたんに「理解(わか)」ってたまるか。というのが本音。けどただ何も考えずに怒ってもどうにもならないので自分のために文字に起こしたのが以下。
異性との恋愛が禁止されている女性アイドルが仲の良い同性アイドル(友人)と結婚したような写真を掲載した上でエイプリルフール(嘘の投稿)であると表現
ってもちろん本人じゃない我々はそんな事は知らないけど、差別されてきた本人たちであればこのようなことはできないと私は思う。「結婚という選択肢が奪われている」当事者が「それを冗談のネタとして大衆に提供する」なんていうグロテスクなことがもしあるのなら信じたくない。重い心臓病を患っており見た目にはわからない(公表していない)患者が自分で「実は心臓病です! #エイプリルフール」なんていう投稿をするか?もしそうなら自分のメンタルを傷つけているだけだからやめたほうがいいし、通常ならまずありえないと思う。もしあったとしてもそれはあまりにもイレギュラーなケースすぎて、今回の問題を考える上でその考えが浮かばなくても責められることではないと思う。
この度、友人の生田絵梨花と式を挙げました🫶🏻💍
このような表現を使っておいて「結婚式だとは一言も言っていない」というのはただの揚げ足取りだろう。2022年を生きる大多数の人間は『白い服を着て』『ツーショットの仲睦まじい写真を掲載し』『ハートと指輪の絵文字を使い』『彼女と式を挙げました』と記載してあれば結婚式を連想する。この点についてなにか言う人間は相当ひねくれている人なので自覚したほうが良い。
同性婚については今まさに裁判が行われており、2022年現在とてもセンシティブな性質を持つ。
かつ、該当のアイドルはとても有名な人物であり世の中への影響力が強い。
大多数の人間(ここでは異性愛者)からしたら、同性愛結婚=絶対にありえないもの。なのでエイプリルフールで嘘ネタとして表現できてしまう。
ここでいう「絶対にありえない」は法律で云々ではなく、異性愛者は同性を愛せない(結婚はありえない)という意味。10人に1人は「(法律で禁じられていなければ)普通にありえる」のに。
投稿した本人はそこまで考えていなくても、この意識を助長させてしまう投稿になる。
自分はゲイだが傷つかない。でも無配慮で文化盗用だと思う。Aフールで難病や障害者のフリしないでしょ。ジョークで困難な立場にある人達の一面を切り取ってフリだけして盛り上がるのは純粋にデリカシーが無いって話
そう。デリカシーがないのだ。
感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ。「デリカシーに欠ける振る舞い」「デリカシーのない人」
いま同性愛者は困難な状況にあるのに、そういうことを全部無視して「私達同性愛者でーす!もちろん嘘でーす!エイプリルフールなので!w」って言われたら、本当に同性愛者である人間は「失礼すぎない!?!?」と思う。
ただアイドルからしたら「アイドルとして仲良しアピール(百合営業)するのに何しようかな。そうだ、嘘をついても良い日だから同性婚したっていう嘘ネタにしよう!」とチョイスしただけなのだろう。「結婚」は、おそらく彼女らにとって「とても仲が良いという最上限の表現」として存在した。ただそれだけ。同性愛者を攻撃しようとしたわけじゃない。けど同性愛者からしたらそれは上のように「いや失礼すぎない!?!?」と受け取れる表現だった。
異性愛者はたまたま口にした軽めのジョークだから「これくらいで」って思う。でも同性愛者はこの手の数多くの「冗談」をずっと許容してるんじゃないの。軽めでも皆んなから足100回踏まれたらどっかで怒るでしょ
異性愛者からみたら「ちょっと1回踏んだだけじゃん。はーなんなの?めんどくさ。」ってみんな思っているかもしれない。でも同性愛者は100回どころじゃない数、何度も何度も踏みにじられてきて、今、ついに先人たちのおかげで声を上げても殺されない社会になりかけてるからやっと少しずつ声が上がっている状態。そこで「あーもーさあ、君ウザいから黙って」「今までずっと黙ってたじゃん。だる。さっさと前みたいに黙れよw」と大人数に囲まれて文句を言われている。でもこっちだってもう踏まれても笑顔で対応したくないし黙りたくないのだ。だって痛いんだもん。
同性愛者と異性愛者は大雑把に言えば1:9の割合だ。1人が約9人に囲まれて黙ってろと詰められている。全員が詰めてくるわけじゃないのは分かっているが、今までずっと黙ってろという圧力をかけられていたのでそう思えてしまう。
「私達見た目にはわからない難病患者でーす!もちろん嘘でーす!エイプリルフールなので!w」は「いや、失礼すぎない!?!?」となると思う。それと同じだけのことなんです。痛い時は痛いって言うよ。熱い時にあち!!っていうのと同じで。
本年4月1日に販売を開始いたしました、当社の新商品「大人用哺乳瓶」は、大変なご好評をいただいております。
「授乳は赤ちゃんだけのもの、なんてない。」をコンセプトに、今まで赤ちゃんに独占されてきた授乳を広く大人にも開放すること—— 授乳の多様性の実現を目指して、本製品は開発されました。
考えてみて下さい。授乳の安心を赤ちゃんだけの特権にする理由は ゼロ でしょう。
権利を分け与えて、誰も・何も・損をしないのなら、なぜ大人だけが無意味に我慢するんですか?
ストレス社会がますます閉塞していく中、せめてテレワークの孤独だけは癒せたら、という願いを、当社の技術者は懸命な努力をもって、なんとか形にすることができました。
「大人用哺乳瓶」の最大容量 500ml は自宅での水分補給に最適です。プラスチックを含まない総シリコン製のボディは、乳首だけでなく乳房全体もリアルな柔らかさで再現しています。成人男性でも遠慮なく、授乳時の温もりを体感することができます。
さあ、赤ちゃんになりましょう。
※ 本製品は無臭です。多数の「女性っぽい匂いがしないので吸引中に虚無になる」というご意見をいただいておりますが、製品の仕様上、持続可能な香りをつけるのは不可能でしたので、どうかご容赦ください。
※ 本製品の乳首の位置、大きさは変更不能です。少数の「デカい乳輪は慎ましくなくて虚無」というご意見をいただいておりますが、何もわかっておられない。
___________
…成人男性でも遠慮なく、授乳時の温もりを体感することができます。」
俺は、プレスリリースを読んで、溜息をついた。
Youtube で Vtuber 同士が、オッパイを揉ませてほしいと懇願したり、揉ませたりしていたのを思い出したのだ。
俺がもし女性に生まれていたら、仲のいい女友だちのオッパイを(服の上から)揉むくらいは許されただろうに。おっぱい欲求は確かに存在する。純粋おっぱい欲求は、男女関係なく揺りかごから墓場まで続いていくスピリットなのだから、本当は性欲とは無関係なんだけど、社会はなぜか誤解したままでいる。
でも、あらためて考えると、オッパイ揉みって女同士だけで許される冗談だよな? 決して異性間ではできないネタは、レズビアンの存在を無視しているといえる。ホモセクシャルが透明化されているからこそ、オッパイ揉みはネタとして実行可能なんだ。芸人は自分たちがレズビアンかもしれないと思われる可能性を考慮してないし、視聴者は男女間の性的接触についてだけ、嫉妬する。ビアンをライバルとは考えないのだ。
もう10年近く前になるが兄は両親へ紹介したい人が居るとして婚約者を連れて来た。
いやそもそも連れて行こうとする段階で私も含め家族全員が会うことを拒否した。何故ならば兄の結婚へ対して反対していたからだ。
兄は唯一の男の子で実家の農業の跡取りだった。
兄は両親の期待へ応えるため高校も大学も農業を専攻していたが、実家は現金収入の少ない貧乏農家であったため、父は息子へそのようなものを継承させるわけにはいかないと自分の代で我が家は離農することを決断した。
母もまたそれを了承したが兄はそれに関して怒った。
当然だ。兄からすると高校大学で農業を専攻するという青春を費やしてきたのに突然の離農宣言は受け入れられるはずがない。
両親のやり方も悪手だった。
意気揚々と農業学ぶ兄の学生時代に離農を決断していることを伝えず、卒業が見え始めると両親は一旦社会に出て学べと言って兄はそれを信じて大手の農業関連企業へ就職した。
両親はその兄へ離農を言い出しにくかったようなのだ。
まだまだ跡取りなんか中卒で十分と言う価値観が多くある当時の田舎で、兄はこの時点で近隣の集落では例がないしっかりと高度な学問として農業を修めた唯一の人で、俺が実家を守り立てるんだといつも言っていた。
私の実家にはお金がなかった。今でもない
そんな中で3兄妹の1人が離婚して子供を2人実家へ連れ帰り、さらに困窮する可能性が非常に高かった。
兄は心根が非常に優しい人で姪甥をことさら可愛がり、寂しい思いをさせまいとしている様子がよく見て取れ、姪甥もお兄ちゃんお兄ちゃんと後ろをついて回っていた。
兄は父による離農宣言へ非常に怒っていたが、それを半ば諦めることにしたのは姪甥の存在があったからというのは大きいと思う。
母は40歳50歳くらいで農業を始める人も居るし今は一旦外で働こうと怒れる兄を説得していたので、それも考慮していたのかも知れない。
しかし外へ出れば出会いもある。兄は恋人を作り結婚を考える関係性まで発展させてしまっていた。
兄の婚約者を紹介したいという言葉で私たち家族の頭によぎったのは離婚した姉と姪甥、そして結婚に係るであろう様々な費用、つまりお金だった。
両親は兄の結婚はまだ早い。30歳程度になれば結婚しても良いかも知れないがと言い、私もその通りだなと思ってしまっていた。
歳を重ねれば外での収入も増えているだろうし実家の金銭的負担が減るだろうと思った。
この考えがどれほどおぞましいのか10年前の私は一切気が付いていなかったんだ。
兄はこの世に生まれた瞬間から実家の跡取りとして生を受け、期待に応えるため学生時代を過ごし、両親の決断でそれを無駄にされ、両親の言われるまま就職し、30歳になったら結婚して良い、40歳になったら農業をして良いと、兄の人生に兄の計画や意思など無かったのだ。
兄は行動力の人だ。
誰かから指示されたこととは言え、頼まれたことをしっかりと実行実現できてしまう人なのだ。
そして心根が優しく、身内にはことさら甘い。
当時の婚約者さんから実家への挨拶を頼まれれば兄は実行してしまうだろうし、実現されてしまった。
事前に何度も兄から婚約者を紹介したいと話があり、私たちはそれを拒否した。
繰り返されるそのやり取りに兄は埒が明かないと婚約者紹介について日時を一方的に決めて強行することにしてしまったのだ。
今考えると兄がこんな強行手段に出るなんて初めてであり、その本気度は相当なものであったはずなんだ。
その当日、私たちは兄とその婚約者を罵倒した。
お金目的なんじゃないか、生命保険がどうのこうの、水商売女か?と、当時を思い出せば何故こうも皆が悪態を付けたのかと思うくらいだ。
お金がないという実感は人間性を失わせてしまうのか。
兄は激怒し、婚約者さんは泣いていた。
そして兄は婚約者さんを駅まで送り、実家で夕飯を取り、次の日朝に衣服も何もかも置いて居なくなった。
私は兄へ対して夕飯の際にもっと可愛い子紹介しようか?なんて冗談のつもりで言ってしまっていた。
兄が今回の件で別れることになったと静かに言うものだから冗談半分にフォローしたつもりだったのだけど、何てことを言ってしまったのだろう。思い出せば涙が出てくる。
時間を戻せれば私は婚約者さんの味方についてあげたい。なんて私は世間知らずで愚かだったのか。私の家族はなんて非道なのか。
ウィル・スミスの件を見ると当時の様子はアカデミーよりも酷いと言って良い。
兄が殴りかかって来なかったのが不思議なほどと言えるし、兄がどれほど私たちへ優しかったのか身に沁みる。
兄は電話番号を変え、職を変え、私たちから連絡を取れる手段を完全に断ってしまったが、集落に残る兄の友人たちの口伝てで兄が結婚したことを兄失踪の2年後に知った。
その数年後に子供が生まれたらしいことも知った。
しかし私たちは祖父の葬式にも兄を呼ぶ手段が無かった。
兄の友人たちへ連絡先を教えて欲しいと頭を下げたが全員が知らないと言って教えてくれなかった。
おそらく知っているが兄に口止めされている。兄の友人たちは裏切ることをしないほど兄を慕ってくれているのが頭を下げる度に知ることができた。
1人だけ風の噂だがと前置きして「どうしても葬式に呼びたいときは新聞の訃報欄へ載せれば動くかも」と教えてくれた友人が居たと祖父が亡くなって数年経ったとき両親が言っていたけど、両親はお金を理由として訃報欄へ載せることをしていなかった。本当に馬鹿だ。
集落でもおそらく兄が突然失踪した理由を皆が知っている。
祖父母は学問に精通する兄を自慢していたし、私としても自慢の兄だった。
10年経っても兄の連絡先を誰一人教えてくれないことから兄の評価はいまだ集落内で高いこともわかる。
逆の立場で考える癖を身につけたら?
自分が痩せてて気にしているとして、末期がん患者みたい。と言われたら。
自分がイライラしてる時に、セックスレスだから苛ついてるんだろ。と言われたら。
コイツ……ついに来るところまで……
今まではコロナに対する逆張りや全方位政党批判(主な話題は給料もらいすぎなのにワイロも貰うのかよ)だったので皆そこそこ相手にしていたがこれにはあまりのヤバさには全員スルー。
ネットでなら言っていい冗談とリアルでは言ってはいけない冗談の区別ぐらいつけろよ。
おまえもうアラフォーだろ
俺はアメリカ人でもなければ、在米日本人でもないし、アメリカのことなんてメディアを通してしか知らない凡百な日本人だ。
だが、今回のビンタ事件を機に数年前ネトフリだかアマプラだかで見ていたサタデーナイトライブのことを思い出した。
サタデーナイトライブはアメリカで人気のコント番組だが、はっきりいって日本人が見ても半分も笑えない。アメリカの内輪で受けるネタなんだから当然だが。
だからどんなコントをやっていたのかは殆ど覚えてないんだが、ただ一つ強く印象に残っていたものがある。
ネタがボストンマラソンのテロ、アメリカ同時多発テロ、アメリカの儲け至上主義批判、銃規制反対運動と日本人でも比較的理解しやすい内容だったのもあるが、何よりこんなことをテレビで言っていいんだという驚きがあった。
やってのける芸人がヤバいのはもちろんだが、それを電波に乗せるテレビ局、そしてそれに怒ることもなく笑う視聴者、それらすべてから、アメリカのお笑い文化の懐の深さを感じた。
クリス・ロックが飛びぬけて過激なのか、たまたま炎上しなかっただけなのか、数年前と今とでは基準が変わってもうアウトになってるのか、そんな詳しいことはわからない。
だけれども一つ言えるのは、現在の日本人がお笑いにおいて最も重視している「人を傷つけないこと」はアメリカ人にとってはそんなに大事じゃないってことだ。
日本人は「誰も傷つけない表現こそ至高であり、誰も傷つけないお笑いこそが最高なんだ。逆にどんなに面白くても、そのネタで傷つく人がいるならそのお笑いは最低で、やってはいけないんだ。」と考えている節があるのでクリス・ロックの今回のジョークは謝罪相当に思えるんだろう。
そこには文化の違いしかなく、どちらの方が優れているとか、どちらが正しいとかはないと思う。
まあ御託はこの辺りにしておいて、とりあえず俺が日米のお笑い文化の違いを印象付けられたオープニングトークを見てくれ。
そしてその違いを体験してくれ。
https://www.youtube.com/watch?v=gYZLKqGhSZs
[バンドが音楽を演奏] [クリス・ロックがステージに登場] [歓声と拍手]
クリス・ロック ありがとうございます。ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます 皆さん、ありがとうございました。ヘイ、ヘイ!私はとても興奮しています。戻ってこれて最高だ、日本人の慣れした視点でいるデーナイトライブに出られて最高、ハロウィンの翌日にここに来られて最高だ。何人かは成功したようですが、私は信じられません。[会場笑]
昨日はハロウィンだったけど 明日はニューヨークのシティマラソンです。そうですね、怖いですね。
何が起こるかわからないよ?ニューヨークは大丈夫です、ボストンがマラソンの後、元気になったようにね。ボストンマラソンは恐ろしかった、怖かったな。おい ボストンは好きだよ、そこの人たちが大好きだ。でも、あれはこれまでで最も恐ろしくて、サディスティックな、テロ攻撃だった。
ちょっと考えてみてくれ。
26マイル。26マイル![会場笑] (※注:26マイル=42.195㎞)
もし友達に電話して 「迎えに来てほしいんだ」と言ったら?「どこにいるんだ?」「26マイル先だ!」「Uberに頼んだ方がいいよ」
膝を痛めてる、足が痛くてたまらない、女性なら胸から血が出ている。[会場笑]
26マイル!1年間も練習してきた。そしてとうとうゴールラインを踏んだんだ。
そしたら誰かが叫んだ、
「走れ !(逃げろ!)」って。 ワオ![会場笑]
ひどい話だ!でもね、ボストンの善良な人々は立ち直った。その通りだ。そして、ニューヨークは立ち直った。その通りだ。ニューヨークでもテロがあったんだ そして立ち直った その通りだ。今、私たちはフリーダムタワー(※注:911で倒壊した世界貿易センタービルの跡地に建てられた高層ビル)を手に入れました。フリーダムタワーを見たことがありますか?あなたがどこにいても、それを見ることができます。見えないなら、そこはコネチカットだろうね。
フリーダムタワー、どこにいても見える。"フリーダムタワー "を "ネバーゴーイングインゼアタワー "に変えるべきだよ。だって、私は絶対にあそこには行かないんだから。[会場笑]
あのビルに入るような事情はないんです。冗談でしょう?[観衆笑い]なんてこった!どうなってるんだ?この建物はアヒルか?[観衆笑い]何を考えているんだ?スポンサーは誰だ?ターゲット?[会場笑]
やめてくれ!同じ場所に 別の超高層ビルを?フロイド・メイウェザーの傲慢なたわごとは何だ?同じ場所に?
フリーダムタワーにはどんな企業が入るんだ?彼らはそこにいくつかの必須のものを置く方が良いです。国税庁、家庭裁判所、DNVのような、抜け出せないものを。サングラスハットを入れたら、空っぽになりそうです。[会場笑]
フリーダムタワーには絶対に入らないぞ。冗談だろう?同じ場所だぞ!
20年前、48丁目で強盗にあったんだ。そこに戻ったことは一度もない。(※注:昔強盗に遭ったことがあり、持ちネタにしている)
フリーダムタワーには行かないよ スカーレット・ヨハンソンが89階で裸でリブを食べていても気にしない。[観衆笑い]ダメだ、ダメだ。
みんな「いい加減にしろ!」という感じです。「フリーダムタワーのことを冗談で言うんじゃないよ」って。9.11と関係があるんだ。9.11のことを冗談で言っているのではありませんよ。違うってば!
でも、みんな気づいただろ?ここはアメリカだ。アメリカには神聖な日というものがないんだ、何でも商業化してしまうからね。
そうです、ラジオで言うんだ「レッドロブスターにおいでよ、このエビは9ドル11セントです。」
その通りです。祝日なんて関係ないんです。マーティン・ルーサー・キングの日だろうが、同じことだ。
「トヨタがついに無料になった」 (※注:キング牧師の演説「free at last!(ついに自由になった!)」の引用、トヨタがMLKセールをやってることを揶揄している)
それがアメリカです。何でもかんでも商業化する。クリスマスに何をしたか見てみましょう。クリスマス!クリスマスは神様の誕生日よ イエスの誕生日だ!
私はキリストのことは知らないが でも、読んだ限りでは、イエスは地球上で最も物質主義的でない人だと思う。装飾品もない。
でも我々はイエスは目立たないようにし、彼の誕生日を一年で最も物質主義的な日にした。実は、イエスの誕生日シーズンがあるのです。そのシーズン中ずっと、物質主義の季節なのです。そして、イエスの誕生日シーズンの終わりに、経済学者にテレビに出演してもらい、今年のイエスの誕生日シーズンがいかにひどいものであったかを話してもらうという有り様です。「ああ、今年はひどい誕生日でしたね。うまくいけば、彼の磔の刑までにビジネスは回復するでしょう。」そうです。[会場笑]
でもね、助けようとするんですよ。ジーザスは助けようとした- [歓声と拍手] ジーザスは助けようとしたんです。
私も助けようとしたんです。助けると傷つくんだ。そういうことなんです。
銃反対運動でワシントンDCに行ったんだ、いいかい?ホワイトハウスで銃反対運動。
私がそこらの道でナスカーの運転が禁止されてるように、学校の向かいの家に住んでるならマシンガンを持てないようにすべきだ。簡単なことでしょう?[歓声と拍手]ダメだ、ダメだ。
私はこのイベントに参加した、私と大勢の芸能人がいて銃反対を訴えたんだ。そして家に帰り、自分のウェブサイトをチェックする。
そこには脅し文句が書いてある。
「お前を殺す」 「お前の頭に一発ぶち込んでやる」「ノドを切り裂くぞ」 「俺と武器の間に割って入るんじゃない」
それで、「ああ、大変だ!」と思ったんだ。
その瞬間から、私は一生、どんな慈善事業や大義にも関わらないことにしました。自分のことは自分でやる。それがどんな病気であろうと、子供を守ることであろうと、環境を守ることであろうと、そんなことはどうでもいいんです。もし私が病気のことを話しているのを見たら、私はそれを手に入れたんだ! [会場笑]
今夜は素晴らしいショーがありますよ。プリンスが来たよ。すぐ戻ってくるから待っててね。
https://snltranscripts.jt.org/14/chris-rock-monologue.phtml
※この書きおこし(英語原文)を元にdeepLの助けを借りて訳した。
日本語で解説されてるアメリカの世論を整理するとこうなんだろうか?
→「たとえ相手が誰だろうと」言ってはいけない冗談がある。ってのが日本的な考え方なんだろうね。その人の社会的地位がなんであれ、その人だって感情のある一個人だっていう日本の考え方のが好きかな。
ノブレスオブリージュって良い考えだとは思うけど「多く持ってるんだから多く供出しろ」ってのはわかるけど、「多く持ってるんだから嫌なことも文句言わずに引き受けろ」ってのは違うんじゃないか
→黒人スタンダップコメディアン(?)というのの立場がよくわからんが、彼は守られるべき弱い立場の人間。というのもよくわかんない。アメリカ的考え方なのかな。ステージに立ってるちゃんとした大人で、守られるべきってのがよくわからん。ステージに立ったら大御所も端役も子役も、みんな一人前の一人の仕事人ってなるのが日本的考えな気がする。というか自分はそうだ。
誰だって言っちゃいけない事言ったら、言い返されるべきなのでは? 彼はXXだから彼の発言を否定するな。って、その考え方こそ、「XXな彼」を対等な人間扱いしてないと思うんだけど。
黒人というカテゴリがないからよくわからんのか…そもそもこれ、黒人が黒人を殴っているから、日本で言うならネパールカレー屋の裏でネパール人オーナーがネパール人バイト殴ってるみたいなもんで、欧米世論的には自分とは別のパッケージの中の出来事なんじゃないか…(ネパール人さん、例に出してごめん)
→日本人、いうて平手打ちくらいはいいだろって思うよね。まして成人男性同士なら別にいいだろって。向こうの人にはこれは「成人男性同士」という同じカテゴリ同士の出来事とは見られてないみたいだけど
そうか。
アメリカは自分の考えよりずっと「強い方の行動を制限して弱い方に保護と免除を与えよう」って考え方なのかもしれん。
あの二人にそもそもそんなに格差があるというのがよくわかんない。というか、守られるべき弱い立場ってのがまったくピンとこないんだけど。
それは日本がアメリカよりは平等だからなのか、それとも自分が弱い側だからなのか、それはわかんないですね。
アカデミー賞授賞式という公の場で、その発言は許せなかったという個人の感情を主張するな。
→これはわかる。心底ムカついても我慢しなきゃいけない場面はあるよな。
それはご冗談でしょう?
単純な事実として人工子宮が宗教で許されるまではすべての人間は女から出てくるのである
そして人権があるので『はい出産ご苦労様ボッシュート』とは出来ねぇのである
ともなれば女性の自立というのはすべての人間にとって自分ごとの話のはず
彼女や嫁が婚活がどーたら以前に自分の母親が自立していない女性とか世界中でありふれた話だ
『TPO理解出来ない発達障害』or『貯蓄&投資至上主義のドケチかつ食に興味無しだけど場所問わずカロリーは摂りたい謎の人』でも無い限り出てはこないが
自称フェミニストの『男性の奢りが当然になっているのをスルー』どころか『化粧やセックス対価としてサイゼは安すぎる😡』発言は
陰キャコミュ障ぼっち、空気読めないから人と話せないし人見知りだし初対面の人だらけの場所にいけば吐く、今はそれが当たり前
幼少期はそんなことは無かった、むしろ積極的に人と関わろうとしていた
だけどそれは奇行だった
かまって欲しくてなんでもやった、それが原因でクラスメイトを傷つけてよく先生に怒られた
当時の気持ちは今でも覚えてる「だってみんな無視するんだもん、自分は悪くない」ってその度に言ってた
小学校から中学に上がる時、同じようなことが起こりいじめにあった
初めはクラス、気がつけば学年まるごと。2年生に上がる頃には1~3年生全てからいじめにあった
上履きがないのは当たり前、みんな口を揃えて言う「アイツ頭おかしいんだよ」「気持ち悪い」、教科書がないのも当たり前
ゴキブリが出れば机に入れられ、手荷物は理科の授業で使われた生卵まみれになっていた日もあった
耐えかねて授業を抜け出した時もあった
ある日先生が探しに来て泣いてる私に言った「ふざけるなよ」と
振り返れば奇行者がいじめられるのは当たり前で、輪を乱していたのは私だったのだから周りからすれば空気の読めない猿がいるのが悪いのである
つまるところ、お前の頭がおかしくて奇行を取った結果いじめられるのは当然被害者面をするなということである
猿である私は馴染むために猿らしく周りの人の真似をした、
そうすれば「普通」になれると思った、同じになれば虐められないと思った
その振る舞いをした相手が泣き出した
訳が分からなかった、みんなこうしてたよ?と本当に理解が出来なかった
先生に呼ばれ「お前が悪い」と言われた
どうしてあの人たちと同じことをしたのに私は怒られたのか、あの人達は怒られないのに
怒られない人たちと同じことをしたのに、訳が分からなかった
どう交流すれば仲良くなれるのか正解が分からないまま、見よう見まねで周りの真似をして友達を作りたかった、とにかく寂しかった
高校にもなれば、周りも大人な考えになりいじめも無視するだけという範囲に納まった
無視される日々は静かだった
そこでやっと気がついた、これが正解なのかと、人と関わらないのが1番いいのだと理解した
大人になり仕事につき、必要以外は関わらないを徹底したお陰か奇行の頻度は社会的には目立たくなった
しばらくすると、大人しい静かで過ごしやすい人という印象が周りにつき仲良くなる同僚もできた
仲良くなった人ができた、相手が嫌がらないように慎重に慎重に話した
気がつくと、自主性がない、気を使いすぎ、自分の考えがない、他人任せと言われ嫌われていき職場での無視が始まった
正解が分からない
数年経って、発達障害がわかり「ああ、私は頭が本当におかしいんだ」と理解した
どうしていじめられなきゃいけないんだと、ずっと思っていた