2022-04-01

いじめられた側が悪いを認める

陰キャコミュ障ぼっち空気読めないから人と話せないし人見知りだし初対面の人だらけの場所にいけば吐く、今はそれが当たり前

幼少期はそんなことは無かった、むしろ積極的に人と関わろうとしていた

だけどそれは奇行だった

奇行が多いから、子供の頃は友達ができなかった

友達が欲しかたか積極的に関わりに行った

かまって欲しくてなんでもやった、それが原因でクラスメイトを傷つけてよく先生に怒られた

当時の気持ちは今でも覚えてる「だってみんな無視するんだもん、自分は悪くない」ってその度に言ってた

小学校から中学に上がる時、同じようなことが起こりいじめにあった

初めはクラス、気がつけば学年まるごと。2年生に上がる頃には1~3年生全てからいじめにあった

上履きがないのは当たり前、みんな口を揃えて言う「アイツ頭おかしいんだよ」「気持ち悪い」、教科書がないのも当たり前

掃除時間になれば私の机だけ端に寄せられゴミが積まれている

ゴキブリが出れば机に入れられ、手荷物理科の授業で使われた生卵まみれになっていた日もあった

耐えかねて授業を抜け出した時もあった

ある日先生が探しに来て泣いてる私に言った「ふざけるなよ」と

振り返れば奇行者がいじめられるのは当たり前で、輪を乱していたのは私だったのだから周りからすれば空気の読めない猿がいるのが悪いのである

つまるところ、お前の頭がおかしくて奇行を取った結果いじめられるのは当然被害者面をするなということである

である私は馴染むために猿らしく周りの人の真似をした、

そうすれば「普通」になれると思った、同じになれば虐められないと思った

仲のいい人はいじり合いという冗談を言うらしい、真似をしよう

猿には知識がない、真似をしたらどうなるかが分からなかった

その振る舞いをした相手が泣き出した

訳が分からなかった、みんなこうしてたよ?と本当に理解が出来なかった

先生に呼ばれ「お前が悪い」と言われた

どうしてあの人たちと同じことをしたのに私は怒られたのか、あの人達は怒られないのに

怒られない人たちと同じことをしたのに、訳が分からなかった

高校にあがっても、私は同じことを繰り返してしまった

どう交流すれば仲良くなれるのか正解が分からないまま、見よう見まねで周りの真似をして友達を作りたかった、とにかく寂しかった

高校にもなれば、周りも大人な考えになりいじめ無視するだけという範囲に納まった

無視される日々は静かだった

トラブルが何も起きない、平穏だった

そこでやっと気がついた、これが正解なのかと、人と関わらないのが1番いいのだと理解した

大人になり仕事につき、必要以外は関わらないを徹底したお陰か奇行の頻度は社会的には目立たくなった

しばらくすると、大人しい静かで過ごしやすい人という印象が周りにつき仲良くなる同僚もできた

仲良くなった人ができた、相手が嫌がらないように慎重に慎重に話した

気がつくと、自主性がない、気を使いすぎ、自分の考えがない、他人任せと言われ嫌われていき職場での無視が始まった

正解が分からない

数年経って、発達障害がわかり「ああ、私は頭が本当におかしいんだ」と理解した

どうしていじめられなきゃいけないんだと、ずっと思っていた

頑張って普通の人と、皆と一緒になりたい!とずっと思っていた願いは叶うものでは無いのである

だって頭がおかしいか

はいじめられて当然なのだ

  • は?キチガイだからって上履きを隠されたり教科書を隠されたり生卵で汚されていいわけないだろ てめーさては嫌なやつには何してもいいと思ってる系だな そういう私刑をさせないため...

  • アタマがおかしい側には、おかしいという自覚が無くて、 みんなの真似をしている、合理的に考えて自分は正しい行動をしている と本気で思い込んでいるんだよね。 自分もそうだった...

  • 一部の成功した起業家や芸術家は発達障害の疑いが濃いことは結構知られている 一芸で突き抜けて、周りを振り回して、多大な恩恵と少なからぬ迷惑を与える人生もある

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