はてなキーワード: スキームとは
インターネットを巡回していていると、下のような個人間融資を促すようなサイトに容易にたどり着ける。
https://twitter.com/hashtag/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E9%96%93%E8%9E%8D%E8%B3%87
これは、ネットと携帯が普及してから底なしの馬鹿が量産されたのと、(コロナを含めて)金に困っている学生・フリーターが安易な気持ちから、あとは消費者金融を踏み倒しているような玄人層がこういうところから借りている。
それで、(個人間融資から借りて)踏み倒す連中が現われるわけで、そういう連中の個人情報が下のリンク先のようにネットに晒されている。
※借りパク情報掲示板@JW3rs3tvsXwTTKk(Twitter)
https://twitter.com/JW3rs3tvsXwTTKk
※借りパク掲示板@nvK9xRxIsEz9F7P(Twitter)
https://twitter.com/nvk9xrxisez9f7p
※「https://twitter.com/JW3rs3tvsXwTTKk」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)
一方、返済できないで「素直にギブアップする連中」は商品として売却されるわけで、強制的にタコ部屋に送られたり、売春をさせられたり、風俗に沈められたり、素人物AVに出演させられている、(あるいは、受け子にさせられたり、内臓でも売らされている)ことは容易に想像できる。
下の東京モーションのようなエロ動画共有サイトに登場する素人女性も、かなりの割合がそういう女性で占められていると考えると、今までとは違ったモノの見方が出来るかも知れない。
金融庁は個人間融資の利用に警鐘を鳴らし、NHKや時事通信でも報道されている。
※SNS等を利用した「個人間融資」にご注意ください!(金融庁)
https://www.fsa.go.jp/ordinary/chuui/kinyu_chuui.html
※News Up 利息は性行為で… 個人間融資の闇 (NHKニュース)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191107/k10012167441000.html
※【図解・社会】SNSを使った新型コロナ向け個人間融資の手口例(2020年3月)(時事ドットコム)
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_medical20200314j-03-w440
「個人間金融」もそうだけど、「個人間金融で借りパクした人間の個人情報を晒す行為」も「個人間金融で借りた若い女性が商品化されるスキーム」も、今は野ざらしになっている状態。
岡村さんがこのような軽率な意見をするに至った社会背景があることは、普段からフェミニズムを真剣に学んでいる身として重々承知しております。これは日本社会が産んだ発言であり、日本社会が許容している発言です。どんなに岡村さん本人が謝罪されても、彼の本心が変わらないことも想像に難くありません。
そして、このように考えている人が日本社会にはあふれており、彼が偶然間抜けだったために、自分の影響力についての考えも及ばず、この発言を公共の場でうっかりしてしまっただけのことだと考えております。
しかし、このような女性蔑視な発言は、女性が自分自身の可能性を信じ、豊かな人生を歩むことに対して、大きな障害となります。そしてそのような方が、小さな子ども向けの番組、さらにはマスコットキャラクターが5歳の女の子で司会を続けることが許されるような状況は見過ごせません。 実際には、もうテレビに出演することすら許されることではありませんが、今回は、NHK総合1で放送されている番組、「チコちゃんに叱られる!」からの降板のみを希望します。
そしてこれをきっかけに、謝罪をするからには、岡村さんには、日本社会における性差別・性暴力・性犯罪の問題についてきちんと向き合っていただきたく思います。 彼のような知名度の高い方のこのような発言が許容されている状況を許してしまうことは、日本社会において性差別・性暴力・性犯罪を助長することに繋がりますので、例え岡村さんの普段の人柄が良かったとしても、私たちが許容してもう一度チャンスを、と優しく許してあげることはできないのです。
社会が岡村さんのこのような言動を許すことは、何人かの女性の心と体の犠牲を伴うからです。そして、過去の報道を見る限り、このような言動は初めてではなく、常習的に行っていると見受けられます。本来は一番組からの降板では済まされない話です。
女性蔑視な言動を行った方が、以前のように当たり前に職場に戻れるようなケースをもうこれ以上一回も出さないことが、「女性が輝く社会」を真に実現するためには必要です。例えこのケースが社会的に風化されようとしても、私たちが忘れることは決してありません。
やっぱり芸能界から完全抹殺を希望しているし、どんな謝罪をしたところで受け入れないぞって宣言してるんだけど血みどろになるまで戦争を望んでるの?
「痛みを理解して~うんたらかんたら」みたいなコメントを出したところで「魂が籠もってない」とか「口では何とでも言える」と糾弾して「勉強会への参加」や「活動への賛同」を求めたり、それで許されることは無く繰り返し自己批判と反省を求めたりするの?
ちょうどいい機会!今やらないでいつやる!みたいな人が多くてうんざり。いい加減にしてほしい。これは学校だけの問題じゃない。早生まれや学年の定義や、そういうことでもない。
教育業界は何十年も、4~3月のスケジュールで動いてきた。お金も人の動きも、それに関係する全国の民間企業も、全てがこのスケジュールに応じて動いてる。公立高校も実質無償化になって久しいけど、それも全て、4~3月の中の国の予算組みで動く。人の動きや転勤も全てそう。各種調査統計も、5月1日を基準日として行われ、それを基礎数字に全てが動く。
民間の会社もそう。仮に9月入学になったら、近いところで、学習塾業界に激震が走る。そこの決算や人の動きも全て変わる。新卒採用にも影響が出る。例えば、教科書を作る会社。それを販売する会社。机や椅子といった教育機器・備品の会社。制服を作る会社。進路情報をサポートする会社。その全てが、4月入学やそれぞれ適した時期にに最高の形で供給できるよう、工場の稼働や人的な問題など、調整している。地方だと、春先の年一回に全てを賭けた老舗の制服取扱店や教科書販売店も少なくない。
9月入学にするというのは、文部科学省が決めて、各県に通達して、予算や人の問題をクリアすればOKという話じゃない。教育業界に関わる日本中の民間企業も、大きな変化を迫られてしまう。事業の大幅な組み換えや、見直しが必要になる。ただ単に半年ズラすとか、そういう簡単な話ではない。欧米と合わせて9月に!というのもナンセンスな話で、半年ズレによる受験機会増などの恩恵も沢山あった。
確かに、9月入学のメリットは分かる。受験シーズンと厳しい冬を切り離せるのも魅力的。でも、絶対的に時間が足りない。今年の9月は無理。そもそも、9月にコロナが終息しているかも分からないのに、どうやって9月入学に向けて動けというのか。全国の教育業界に関わる全ての企業や組織が一斉に段取りを始めれば、緊急事態宣言どころじゃなくなるのは目に見えている。
少なくとも、今年は無理なのだ。2023年に9月入学を始めるから今から数年かけて準備していきましょうなら、まだ分かる。でも今年はあと4ヶ月しかない。それも、コロナが終息しているかも不透明な4ヶ月先。ただでさえ、現場の教職員たちは、生徒の学習をなんとか継続しようと、今必死になって取り組んでいる。地方だと家にWi-Fiがない家庭も多い。もちろん、ろくに家庭訪問もできない。休校要請が非人道的なスケジュールで降りてくる中、どうにかできないものかと、試行錯誤しながら必死にくらいついている。そんな現場に、9月入学に向けて学校行事他全てを見直して準備していく余裕は、はっきり言って無い。無いです。
今大切なのは、子供たちの学習機会をどう確保するかということ。ネットを使った環境を、いかに整備するのか。郵送でのやり取りと抱き合わせでもいい。そこに文部科学省なり県なりが経費や補償を投じて、統一のフォーマットやスキームを形作ってくれれば、現場はいくらか楽になる。頑張るための方向性が見える。どうなるかも分からない9月入学に振り回されるより、直接的に、目の前の子供たちのためにやれることをやりたい。
だから、安易に9月入学がちょうどいいなんて、そんなことを言わないでくれ。煽らないでくれ。4ヶ月でやれることでは到底ない。そして、現場はもう、耐えきれない。
5(3+4).不顕性~軽症者は自宅という座敷牢にいれられたからようやくPCR検査の拡充に入れる厚労省スキーム作り準備期間
医者にしつこく「どんな防護服があれば4分でCTやPCRをすませられますか」ってたずねてユニクロあたりに打診してるがユニクロも中国だから輸出入しづらいのでおなじ中国でも岡山県あたりに・・みたいなすっとろいやつやってそう 酒造のつくった77%アルコールも5秒くらいで医薬品認可したれよ ウサギの目テストとか食品水準なんだからいらんやろってのに もとから農水とは仲悪そうだからなぁ厚労省とか他の省も
6.covid19のなかでも強毒性ウィルスが喫煙タバコ群と出会って早めに対消滅しつつあり、変異かもとからあった弱毒性covid19が蔓延してるが増田で「そりゃマイコプラズマとかだまされてて検査にさえいかない(そのうち新しいPCRで2株以上あるのがわかるかもってこと)←SF者はすぐこういう希望的観測をもっちゃうのはいかんねw
払い戻しを諦めた観客は寄付扱いになり税金が控除とか寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ。
特別立法して新型コロナの流行期間中はチケットの払い戻しと施設のキャンセル料の請求を全面的に禁止しろ。
どっちみち誰も損をしないなんてありえない以上は損失を分散させるしかないし、みんなに補償なんて無理なんだから補償対象は絞るしかないだろ。
興行団体は物販とかの収入を諦めろ。観客やサークル主はチケットをドブに落としたとでも思って負担を甘受しろ。
そんでもって利用料もキャンセル料も取れずに大損するハコに絞って補償しろ。
興行団体やら観客は大勢いるし全部を把握するなんて無理ゲーだから個別の補償なんて難しいだろうけど、ハコは数も限られれて運営主体がハッキリしてるんだからそいつらに絞って補償するのが一番コスパいいだろ。
K-1が開催されたさいたまアリーナみたいに自治体が運営してるハコはそのままキャンセル料を踏み倒しておいてあとで地方交付税とかで調整すればいい。
払い戻しを諦めた場合は寄付扱いで控除の対象になりま~す! じゃねえよさっさとキャンセル料徳政令と払い戻し禁令を出しやがれこの無能政府。
日本のフェミニズムが抱えている問題は複数あって、煎じ詰めれば「思想の善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。
女性の地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構。
しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果が殆ど出ていないことに問題があるのである。
むしろ、結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲からの評価を下げてさえいるのが問題なのだ。
古来より女性は男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。
例えば、近代イギリスの小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性は自分を殴る男性を好んでいる。むしろ、自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。
このような記述は、文脈的に言えば主人公のチャールズ・ストリックランドがタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場で女性を一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。
また、自然主義(人間の本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想)作家の大家である、近代フランスのエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実を標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。
このように、国の内外を問わず、女性に対する男性からの暴力というものは散見される。流石に、このような状況は現代において相対的に改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。
問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズムの評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である。
具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?
以下に論点を纏めていく。
古代ギリシャの劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。
女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」
と、戦争反対のため断固セックスを拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである。
女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。
このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代のフェミニストらにも見られる。
女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会に地位を占めること――その権利を回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀のフェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。
イランのごとき保守的な国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体をベールで覆う必要がある。そのような規則が女性の利益を担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体をベールで覆うことを一般的によしとしない。
女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である。
性はそれまで女性の自由にはならなかった。構造主義の先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性は男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判は推して知るべしだが、女性の婚姻が父権的立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代が存在していたのである。
自身の性を管理し行使する権利が、婚姻の不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性の権利は現代において拡張されたのである。
とは言え、問題はこの延長線上にある。
女性が自身の身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネスの喜劇に見られるように、女性の自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性の権利の実現が確認できる。
しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。
相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。
当然、女性が社会進出をする上で、女性が自身の性を政治の手段として用いることには、危うさが秘められている。
そのような危うさをして、現代のフェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。
これらの分野における女性の露出が性的搾取の危険を秘めている、と現代のフェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。
女性がスキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?
政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性と女性という対照を想起させる。
男性は狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性は狡猾である。男性は暴力を行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性の尊厳を根本から損なうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力の弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティとコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性の尊厳が考慮されることはない。
昆虫や動物らに見られる、コミュニティとコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。
男性は狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。
勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合は存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。
その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。
人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。
我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。
それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。
性的魅力は疑いなく女性の能力である。女性が自身の尊厳を担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。
しかし、その能力を女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。
近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。
例えば、大きな胸を強調したポスター。女性の魅力が強調されてはいるが、不適切な方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。
この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。
とは言え、ここが言わばロドスである。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。
勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論の錯綜するポイントがある。
まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。
女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。
自分の能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である。
例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。
例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なラインで身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。
絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。
これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性の地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである。
例えば、女性歌手が楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
「媚び」はこの場合、不自然に女性の立場を貶める行為であり、最終的な女性の不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取の対象であると、誰かが指摘する。
例えば、写真家が女性の写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
例えば、
例えば、例えば、例えば――
女性が魅力を発露すること、それが搾取の対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性の尊厳を担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取の対象とされてしまうこと。
女性が能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。
能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益に帰着すると、その誰かは指摘する。
これが、フェミニズムがソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である。
カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取」であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。
このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代のフェミニズムによって獲得された、女性が自身の能力や魅力を自身の権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。
能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。
このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?
勿論それは不可能である。フェミニズムは矛盾にぶち当たっている。
そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズムの論理が一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在。思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。
結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。
その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである。
昨今のフェミニズム運動の空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾を解決することなくして、現代のフェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。
結論としては以上となる。
チョット長文
ツイッターでもよく見かける転売屋はどう見ても頭が悪そうに見えるのね。
自分はお金を稼いでいるつもりなんだけど実際は小売りからも目を付けられていて
今後現金から電子通貨に変わっていくと自分の購入履歴が可視化されて、対策を取られるんだけどそういう自覚もないんだよね。
小売もマスクの件以降目を付けられるのが怖いから、転売対策をしないといけなくなるのね。
それで、どうしても不思議で仕方ないのが、転売屋の自己正当化スキームがみんな判を押したように同じことなんだよね。
小売店は全部転売とか、実際には色々な許可を取って商売している事実をあえて無視しているの、不思議でしかたないの。
そしてここで転売を正当化している人たちとツイッターで実際に転売をやっている人、全然違うのよ。
実際に転売をしている人はツイッターで何を書かれても動じないような厚顔無恥な方々ばかりでとにかくお金が欲しいんだけど
正当化している人は、マニュアルでもあるかのように、同じ言説で無理やり通そうとしているのね。
それで思ったのよ。もしかしたらここで転売を正当化しているのって実は副業をエサに人を集めている方々で
実際に転売をしているのって実質マルチの被害者なのではないかってね。
もちろん実際のマルチと違って、何か商品を売ってもらっているわけでないから追跡が困難だけど、ノウハウを売りますって
ちょっと調べると、月額で金を取るやつがすぐに出てくるの。 転売塾 月額で検索するとわんさか出てくる。
これってちょっとした集金装置ですよと。どう見たってマルチの変種です。本当にry
みなさん、確かに転売屋は害悪ですが、実は彼らが被害者であるかもしれない、本当はもっと別なところに相談すべき
日本の新型コロナ検査数の少なさに疑問を持つ人が増えてパニックの様相を呈してきたら検査を求めるのは非科学的とする派閥が盛り返してきた。
科学的な彼等は検査を受けられない事を訴える患者やその家族のTwitter等に押掛け冷笑的な態度で批判して黙らせる警察活動に夢中なようだ。
治療薬が無いので検査は無駄で、仮にコロナ19(韓国等で使われる通称。通称として良いので以下呼称する)罹患であっても検査しなくていいのだという。
ところがこの科学的な人たちは対策のスキームとなる感染症法を読んだ事が無いようなのである。
指定された感染症に掛かった患者は入院費用が公費負担で殆どゼロになる。病院にとっては検査が無くても同じでも患者にとっては大違いだ。法に定めがあるのに検査せずに通常通りに本人請求するのは不法行為である。
科学的態度の前には数十~100万程度の治療費など関係無いという事か。
感染症法では蔓延を防ぐ為、流行実態を把握する為に、医者に報告義務を定めている。外来がパンクするのでサボタージュしてよいなんてどこにも書いてない。
検査して実数を把握するという方向だけで書かれている。これは近代国家の国民の常識の通りだ。
つまり医者が疑わしいのに検査しないのも保健所が拒否するのもサボタージュであって違法行為である。
だが科学的な人らは子供が検査を受けられないと騒ぐ親のアカウントに押掛けその非科学的態度を糾弾。https://togetter.com/li/1474001
TVの取材まで受けた末に最終的にマイコプラズマと判定した事で親の非科学性は更に糾弾されることになった。「この反動的マスコミと結託した非科学主義者!クレーマー!」
因みにマイコプラズマの判定にはコロナ19と同様のPCR検査を要する。
科学的な人らの最近のお気に入りの糾弾先は和歌山県知事だ。知事は「軽症でもPCR検査する」と発表して「非科学的!医療崩壊!」と科学的人士は色めきだっている。
科学的人士らによる医療崩壊の理由は「コロナ19陽性と出たら入院の必要があるから」という実に科学的なものだ。例えばBuzzfeedによる聖路加の感染管理室マネージャーのインタビューなどでもそう言っている。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto
だがこれは誤りだ。
感染症法では強制入院の権限を知事においている。つまり知事が指示せねば必ず入院する必要はないのだ。軽症なら外来で帰しても良い。
同時に知事は感染者に勤務禁止命令を出す権限がある。会社や電車内で感染を広げる危険を防ぐ為だ。
何より勤務禁止命令があるって事は入院必須ではないという事である。
また2類感染症の場合は外来費用は公費負担にならないから財政も圧迫されない。
科学的人士らは「軽症は自家療養、重症だけ医療を受けられる」との方針のあいまいさに疑問を抱かない。科学的だから自明なのであろう。
だが一般に炎症が肺に回ったら重症だ。また「重症の肺炎」となったら回復の見込みは薄い。この認識の齟齬は命に関わる。だが科学的人士らが気にしている様子は無い。
また科学的人士らは重症の対処以外を治療しない理由として「治療法が無いので免疫頼りでしかない」という。
ところが武漢では重症の約6割が死亡し、半数が多臓器不全となっていると報告されている。
科学的人士らはなぜ多臓器不全が発生しているか判っているのだろうか?
ウィルスのせいじゃないよこれ。自己免疫症でこうなってるんだよ。
肺炎では免疫が亢進しやすく、免疫機構の過剰な働きで健康な臓器もボロボロになってしまう。
この為に重症では免疫抑制剤を投与する。生命維持の為に免疫を殺すのだ。
ここから導かれるのは「肺炎を重症にしてはいけない」という誰でも知っている常識だ。
だが科学的思考は常識に優先するらしくそんな事を気にしている様子は無い。
科学的人士らはPCR検査の偽陰性と偽陽性も区別せず、検査は恐ろしく意味の無いものと喧伝して回っている。
だがコンピュータ使ってたらこの二つの確率が段違いだって事ぐらい判るだろ。
まず薬剤処理して染色体を膨張させる。検体の中の色んな細胞やウィルスのDNA、RNAはごちゃまぜだ。
そこで見つけたいウィルスの塩基配列の一部パターンで検索してパターンマッチしたら陽性。
コンピュータウィルスの誤検出はパターンの指定がおかしい時のみ起こり得る。それと同じで偽陽性の方は原理的にはあり得なさそうという推定は出来る。
だがターゲットのウィルスがそもそも採取できていない場合、薬剤処理で塩基配列を破壊してしまった場合は偽陰性になる。
だから「行動して安全ですよ」とのお墨付きにはならないから他の症状や感染経路の疑いの方を優先させろってのがPCR信頼性の議論だ。
科学的人士以外でもPCR検査が浪費してはいけないなんだか凄いリソースと考えている人も居るのだが、毎日バイク便が病院を回っていて検体回収している。勿論病原菌が入った検体だ。ライダーは普通の人で医療資格なども持っていない。
これをまとめて検査会社に持って行っている。そもそもが大層な検査ではない。
また検査体制を整えてもエライ金額がかかる、1億検体×1万円=1兆円とか言う人も居る。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200228-00165104/
だがこんな金額にはならない。年に定常的に1億検体なら千円以下になるのでは無いか?
例えばアメリカではPCRは3000円もしない。病院でコロナ19検査したら数十万円とのニュースが出ているがそれはアメリカの病院がおかしいのであって、PCRはカジュアルな為費用が安いのだ。
だから今回PCR検査が高額、市場キャパが少ない事が露呈したのなら、今後は無駄なほどPCRを使って需要を伸ばして参入と値崩れを起こすべきだろう。ソフバンに参入してもらったらどうか。
だが科学的人士らはPCR検査=悪なのでこういう改善に繋がらない。
この他、科学的人士らの攻撃は冨士フィルムのアビガンにも向いている。
「治療薬が無い」から出発して攻撃的な知的派閥を維持する為に「副作用が強い、臨床試験が不十分」などの理由が引き出されるためだ。この手の思考法は参加していると気分がいいようである。
だがアビガンは備蓄薬である。ならばなぜ大量に備蓄されているのだ?
それに科学的人士らはインフルエンザ薬のアビガンがコロナ19治療薬となりうると発見されたのか、その経緯は知っているのだろうか?これは中国が発見したもので、中国の国策と日本企業のビジネスが偶然に一致して発見された(発表で冨士フィルムのアビガンと名指しされている)。知的派閥のように振舞っているが誰もそれを語っていないようだが。
『 新型コロナで「情報汚染」されたメディアが報じない「5つの真実」』
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70709
書いたのは松村 むつみという医療ライターだが、内容は科学的人士らの言説をまとめただけ。
一応医師らの記事やインタビューを下敷きにしているが、クレジットはしていない。
これならGIGAZINE等のほうがマシだ。参照した記事のクレジットやリンクは入れる。
感染症法や感染研のPRも読んでいない。流行っているWEB記事だけをまとめているのだ。何の知見の追加も無い。医師の名は権威付けだけに使われている。
そして「メディアが報じない真実」である。自分らの意見にこんな惹句が付いたら少し自戒するものだが科学的人士らは権威付けされたので満足な様である。
なんだかどいつも菊池誠みてぇだなと思って菊池のTwitterを見に行ったら盛んに「メディアが報じない真実」でフォロワーに囃し立てられ、声を上げた患者等に冷笑的な非難を浴びせかけていた。
これは単純に、好みの問題なんだと思う。
家族を作らないと老後がやばいとか、子供が居ないと孤独すぎて死ぬ、とか。
それは国家による社会保障とか、現代の医療技術とか、テクノロジーによる娯楽がなかった時代の発想だと思うんだよね。
一人で生きるのが、シンプルに無理だったんだよ。
結婚っていうのは、現代人が免許を取ったり年金を払ったりするのと、同じスキームの行為だった。
それがさ、なんとかなるようになったわけじゃん。
嫁いできた嫁に頼むしかなかった介護はサービスとして受けられるし、孤独はテレビやゲームでごまかせる。
どっちでもいいんだったら、そりゃ一人のほうが好きだよ。という奴は、最初から相応に居たんだろうな。