はてなキーワード: あやふやとは
「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。
そこまでは正しい。
だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」という本を出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、この本も20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。
便宜的に、「論理哲学論考」に代表される思想を「前期ヴィトゲンシュタイン」。「哲学探究」に代表される思想を「後期ヴィトゲンシュタイン」という。言語ゲームについてのアイデアは、「哲学探究」で初めて示された。つまり、前期の彼の哲学を「言語ゲーム」という言葉で説明したり、呼んだりするのは、全く間違い、ってこと。OK?
じゃあ、両者はどう違うの? …ってことが気になる人もいるよな。
暇な人向けに書くよ。忙しい人、知ってる人、自分で調べたい人は、以下読まなくて結構。
さて、「この世のあらゆる問題は、記述が論理的に正確であれば、簡単に解決できる。」と、前期ヴィトゲンシュタインは考えた。確かに、かなりの程度これは正しい。だがしかしそれは、「言葉」というものを、「思想」を記述するための単なるメディアとする言語観に基づく場合の話なんだよな。「言葉を正しく定義する」というのは、「言葉には定められた『意味』がある」ということを前提としてる。だが、後期ヴィトゲンシュタインは、その定義自体が危うい場合があることに気づいたんだよ。
どういう場合か? たとえば子どもが言葉を学ぶとき、どのようにして学ぶと思う? 「言葉の意味」を教えられることによって、子どもは言葉の意味を学ぶのだろうか? 考えてみてほしい。生まれた最初から言葉を話すことのできる子どもはいない。つまりゼロだ。その状態から、どうやって「意味」を教える?
身振り、手振り、ジェスチャー、雰囲気、表情、……いろいろな「言葉ならざるもの」に頼って、最初の「言葉」は身に付けるしかない。でも、「意味」が分かった、と確信できる瞬間なんて、あるのだろうか? とヴィトゲンシュタインは考えた。
たとえば、あるとき子どもに数の順序を教えていたヴィトゲンシュタインが、黒板に
「1、2、3、4、□、□、……」
と書いて、空欄を子どもに続けさせたわけだ。数を習っていた子どもらは、まあ、普通に「5、6…」と続ける。普通の人は、「ああ、子どもは数の並びを理解した」と思って、そこで安心するだろうな。でも、「5、6」の次に子どもが「8、10…」と書き始めたら、それはダメだ。台無しだ。仕方ない。もう少し教える必要がある…まあそんな風に考え、行動するね。
けど、それは、一体どこまで続けることができたら「数の『意味』」を理解したことになるのだろうか? 「10」までいけば、まあ大抵は大丈夫? でも、ひょっとしたら、「10」の次に「12、14、18」…とか続けるかもしれない。子どもはまだ何も「理解」していないかもしれないな、「100」までいったら? でも「102、106」とか続けるかも………でも、でも、じゃあそれはいつ「絶対大丈夫」と言えるのか?…と、「論理哲学論考」で「完全な言葉の定義」にこだわっていたヴィトゲンシュタインは考えてしまったんだ。どこまでいけば自分は、この子たちに、数という概念(意味)を伝えることが、本当にできた、と確信できるのだろうか?
そして、考えはじめたヴィトゲンシュタインは、もっともっと怖いことを考えてしまった。自分は、周りの大人が、一応みんな数の概念を理解していると思っていた。でも、そいつらが、数の概念を誤解したまま大人になっている可能性は、本当にゼロか? もっといえば、これは数の概念だけではなく、あらゆる言葉についても同じだ。我々は、お互いに言葉の「意味」を理解し、その理解を共有していると思っている。でも、それは証明できないね。言葉が通じてるって、単なる幻想じゃないの、と。
先に言っておく。これは、たぶん否定できない。ヴィトゲンシュタインの問題提起により、もし、「言葉」の体系を、「共通したルール(たとえば文法や辞書的定義)」を共有することで意味を伝達するシステム、と定義するなら、我々の言語が確かに「通じている(100%意味を伝達している)」ことを証明することは、たぶんできない。
嘘だろ? と普通の人は思う。オレが言ってることを、みんな分かったような顔をしてるじゃないか。あれで、分かってないなんてことがあり得るのか? と。
でも、誰もが考えたことがあるはず。オレは、赤色が、なんだかイライラするんで嫌いだけど、Aさんは、赤色がすごく好きらしい。ところで、オレが見、感じている「赤」という色と、Aさんが感じている「赤」という色は、本当に同じなんだろうか? ひょっとして、全然別の見え方をしてるんじゃないだろうか? ってことを。もし、オレが赤色を見て「赤ってイライラするね」と言い、Aさんが「そうかな、オレは赤が好きだな」と言うとき、オレとAさんの間で本当に「言葉」は「通じている」のだろうか? …ってことを。 後期ヴィトゲンシュタインが気づいたのは、つまりそういうことなんだ。
そして、すっかり参ったヴィトゲンシュタインは、草原でサッカーに興じる子どもを眺めていた。「オレは、言語というものを、きっちりと決められたルールに従って運用されるシステムだと思っていた。たとえば、目の前でサッカーをやってる子ども達のように。けれども、その根幹が、本当はこんなにあやふやなものだったなんて!」このとき、ヴィトゲンシュタインは、「言語の意味や定義さえ完璧なら、あらゆる哲学上の問題なんて一瞬で解けるんだよ!(ドヤァ」とやってた過去の自分(前期ヴィトゲンシュタイン)の思想が、完全に崩れ去ったことに落胆していただろう。
ぼーっと子どもらを眺めるヴィトゲンシュタイン。
そのうち、妙なことに気づいた。なんか、一人の子がボールをもって走り出した。「おい、サッカーじゃなかったのか? ラグビーか何かか?」。ところが、今度はボールをぶつけ合いはじめた。「おい、君ら何をやってるんだ?」そのうち、一人の子が高くボールを投げたのをきっかけに、なんだか高く投げ上げる競争のようなことをはじめた。「おい、一体何を……」「一体どんなルールでやってるんだ…どんなルー……」その瞬間、天啓が走った。ルールがあるように見えていたのは、幻想だった。ルールなんてなく、彼らはただ遊んで(ゲームをして)いただけだった。つまり、ルールなどなくても、ゲームをする上で支障がなければ、ゲームは続くのだ。人は言語を使って「ルールに基づき意味を伝える」という作業をしていると思っていたけれども、本当は、ただ「言語を使って遊んでいた(ゲームをしていた)」だけだった。ルールは「やりながら、その都度でっち上げて」いるんだ。それで物事は、進むのだ。
これがつまり、後期ヴィトゲンシュタインと呼ばれる思想の根幹となった「言語ゲーム」という思想だ。
前期ヴィトゲンシュタインが考えていた「ルール→意味」という静的なシステム論に対して、後期ヴィトゲンシュタインは「そこにルールなどない」。ただゲームをするときのように、言葉の「使用」が先にあって、意味やルールはあとから付いてくるものなのだ、(つまり、前期ヴィトゲンシュタインが主張した「先に定義を完璧にすれば」云々というのは、その前提となる言語観から間違っていたということになる。)言葉の意味とは、「言葉がどのように用いられているか」ということに過ぎない(「言語の意味とはその慣用である」)、という動的なシステム論を唱えたわけだ。この動的な言語観や、それに基づく汎用性の高い動的なシステム論を「言語ゲーム論」という。
先に言っておくと、この後期ヴィトゲンシュタインの思想というのは相当な極論であって、これをもって前期ヴィトゲンシュタインの思想が全て否定されるというものではない。前期ヴィトゲンシュタインの問題提起も、静的システム論の基盤を為したという意味で、現在でも非常に重要な思想に位置づけられる。ただ、その思想を含んだ上で、更に高次の問題提起(動的システム論)を行ったという意味で「言語ゲーム論」には非常に重要な意味があるので、前期の思想と安易に混同されると、ちょっと困る。
もう少しだけ、具体的に例を挙げて説明するな。
たとえばさ。「神はいるか」という問題に対して、「それは『神』という言葉をどう定義するかによるね」と答えるのが、前期ヴィトゲンシュタイン。そして、「万能で超自然的で創造主で…」と答える人に対して、「万能」と定義するなら「存在」もできるということだ。従って、「万能」と定義した上で「いるかいないか」議論するのは、トートロジーだ、とか、まあそういう批判をしちゃうだろう。
対して、後期ヴィトゲンシュタインなら、「神はいるか」と質問する人に、「あなたは『神』という言葉をどのように用いているのか」と質問するだろう。「『神』という概念で、あなたはどのようなゲームをするのか、そのゲームはどのような性質のものか?有益か、無害か?」…etc。(後期の哲学を書いた頃、彼は「宗教とは、一つの生活の形式のことだ。」「信仰は、言語ゲームに似ている」と述べています。)
この二つは、つまり問題の視座(あるいは取り扱い方)が全く異なるんだ。一緒くたにはできない。
だから、前期の論を「言語ゲーム」と誰かが呼んだりしてるのは、ヴィトゲンシュタインをかじった人間としては、ちょっと居心地が悪い感じがするんだ。まあ、そういうこと。
よろしく頼むわ。
続き。
あれから2週間だか1月だか過ぎて、結論から言うとあまり状況に変化は無い。
キャンプにも行くらしい。数百人規模だそうだ。値段を聞いたら1泊2日にしては結構高い値段だが、まぁ楽しければいいだろう。
ただ、「みんな、いつかは分かってくれる」という。あやふやだ。この点だけ、ふとした拍子に裏切りを感じさせてしまう危険性がある。
(何を期待しているのかわからない。分かったって何だ?商品を買うことか、理解することか?応援することか?
僕が「心配してないよ」と伝えたら、安心したようで、団体について話してくれるようになった。
前のエントリから気分もわりと変わった。変わってないこともある。そもそも書いてないこともある。それを書こうと思う。
・僕が後輩を止めようと少し思っている判断の迷いについて
この2つをまとめて書く。
つまり、
そして幸せは他人が決めることだろうか。
単に僕はねずみ講的機関が欲しくないだけ、引きずりこまれたくないだけなのだ。
これは友人の話だが、彼氏ができたんでウキウキ部屋に行ったら商品を売り込まれた、って話なんか聞いても僕には笑い話だ。なぜなら当人は売り込み男と別れたのだから。
僕は特別避ける必要さえ感じないほどどうでもいいと思ってきた(からこういうこと考えなければホイホイ入ってしまうと思って僕なりに考えてる。)
つか、団体の本質はともかくとして、というか、本質など関係なく、気付いたのだ
後輩は、人生の意味だとか、を組織の中で考え、実行する機会がそこにあると思っている、
僕は、まーねずみでしょ、金儲けだよね、ってもあんま儲からないよね、と思っている。
ここで僕と後輩の違いがある。
僕には幸い、会いたいと言ったら会ってくれる友人が数人はいるし、そういう友人とは缶ビールやジュース一本とスーパーの総菜で数時間話せる。
これは友人らと物的距離も近いせいでもある。1時間あれば会える。
後輩は遠い街からたった一人で自活している。
僕も左遷されてひとり孤島に飛ばされれば、身近な友人と出会えるツールに頼るかもしれない。
ねずみ講の1つの側面は、とても優秀な、「友人と出会えるツール」でもあるのだ。確かに人はいるしね。
後輩にはその面が強く感じられているのだろう。
(僕は、心的に欲する優先順位は、「友人関係>金」じゃないかと思っている。)
まぁでも、いくら友達がいても、弱点も知っておいたほうがいいよ、とは言いたい。
弱点や危険や未来を考えない人間にはあまりに強烈に、「本物」「ほんとう」は効いてしまう。
めっちゃ効く。もうほんとうのプロテインとか本物のプロアクティブとか真実の人間の姿とかそれくらい効く。
ほんとうの友人関係とか僕も欲しい。どんなんか知らんけど。
僕はその弱点は、知らないうちに今の友達と遠ざかってしまうことだと思う。
しかもしょうもない商品の売り込みを、ちょっとLINEやなんかのゲームのお誘いみたいに気軽にして、その結果「コイツウッザ」、そして破局。
なんてことが起きたら、非常につまらないと思うのだ。
どんな大事な話ができても、金が絡めば親だってなかなか面倒くさいものだ。友人なら推して知るべし。避けるべし。
①原価の安いものに
②知らないうちにハマって
>その3日後、「水の浄化機を買った」とその人は言う。
>水を一口もらった。水道水よりかは美味いな、と思ったが、僕は元々味に鈍感なので「美味いね」とだけ言った。
>「いいんですよ。これが。」
>あ、この人はなんかにハマってきてるな、と思った。
④ネズミヤリタクナイナー
というのが僕のやりたくない理由だ。
なんのおかしみも工夫も特別性も感じられない感想文のようだがしょうがない。他に理由が無い。
(・・・喜んで何も考えず商品を買っている場合は問題にさえならないのではないか?
ねずみ講は下になるにつれ儲からなくなる場合は詐欺まがいであり、かつ資金が吸い上げられ様々な資金源になるから問題なのである。
問題がなければなぜ止める理由があろうか。)
まぁネガティヴな結果は全て③で出てくるわけで、正直、
a.友達と呼べる人がいなかったり
そういうの、そういえばサイコーって言うんだ。そりゃやめないわな。
僕としてはなんとなーく、僕にとっての
a.トモダチー
にはなれないのか一瞬思ったりしてもなんとなーく無理やりなるもんじゃねーなーと思って何にも特別努力はしていない。
だいたい、努力ありきで繋がる友情ってのは、死んでも思い出したくないものばっかりだ。つらい。努力がつらい。だるい。すげーだるい。
僕もいつ「お前みたいなハゲと話したくなんかねーよ」と言われて音信不通にされるのか不安だ。
そんな時受け入れてくれる人がねずみ講にしかいなければ入会を真剣に考えるだろう。
でもそれまで僕にねずみ講的組織は必要ない。今しばらく、今しばらくは。
だから、今必要としていることを満たすのが大事な人が、今満たそうとしている時に、茶々を入れるのは、
まぁ、僕の理由なんか押し付けたって後輩に交友関係が広がるわけでもないので、根本的な問題解決にならず、
根本的な問題が分からないがゆえに壁にぶち当たり涙し自暴自棄になるくらいは誰でも1度くらいあるはずだし僕にもあるので、
話を聴くだけ聞こうと思ってる。
ぐちゃぐちゃになったけど、おわり!
考えてみて
ねずみ講ってのは組織・社会的な問題かと思いきや、考えた末にすんごく個人的な着地点だったんで、肩の力が抜けた。
そもそも僕が後輩との対人関係の問題としてこの問題を捉えてるあたり、社会問題だなんてたいそうな結論になりそうもないということだけ分かった。
勧誘のやり方がうまいのは分かったし、まーいろんなとこで流行ってるだろうから、構造なんかかいま見れて面白かったは面白かった。
でも、金、かかりすぎ。僕には手が出せん。十万だの二十万だの百万だの、買ってどうすんだ、儲かるどころか、捌くのに時間かかりそう。そして僕は借金が嫌いだ。
あと書いてスッキリした。しばらくどうなるかわからんけど僕は臆病だから、ネットの匿名性にに救われてる。
これも後輩から見たら病的なもんかもしれないな。まぁいいけど。
単に頭悪くて人生負けが込んでて自分の存在する意味があやふやになってるやつは
たとえそれが社会的にネガティブなものでもいいから、なんらかの自己規定を求めるもんなんだよ
使う側から言えば消耗品、作る側から言えばいかに小手先で目新しさを演出するかの勝負
必然的にどんどん(表面的に)過激なほうへ、社会的タブー感が残ってる方へ
少しでも新鮮味のあるズリネタ求めて流れていく
メンヘル小娘がやれうつ病だのボーダーだのアダルトチルドレンだの「病名」自慢したがるように
俺ってロリコンだぜー。陵辱エロゲ愛好者だぜー。学生時代にいじめられて心が折れたからこうなったんだぜー
スゲーだろーふきんしんだろー、っていいたいんだよなキモオタは
ガチの気違いとか異常者の深刻さはない、ただの甘えだって本当は自分でもわかってるところまでそっくり
母子相姦モノのAV観たからって母ちゃんを狙ってるとは限らないように
お前らがロリコンポルノを好むのも消費行動上の選択に過ぎないんだよね
とくにオタクってのはもともとそういうたかが買い物チョイスにすぎないことを
空虚な人生の時間を埋めるために惰性でオナニーばっかしてるから、
すこしでも表面的にタブー感のある商品を探して流れていってるだけ
そしてそういう消費行動を通してしか社会とつながれない視線でもって
そこらを歩いてるガキを眺めて退屈を紛らわしてるだけ
現実の女に失望したからとかじゃなく、最初から最後までたったひとりで、使えそうなズリネタを物色してるだけ
キモオタの人生というのは、女だの社会の風潮だの硬直した良識だのとの闘いなんかではない
そしてそこには敵対するにせよ協働するにせよ他者との関係というものがない
ただ退屈なオナニーがあるだけなんだ。本当はお前らが一番よくわかってるよな
AVやエロ漫画のステレオタイプな記号的イメージの並べ替えなんだよね
実体験という土壌を持たず、限られたリソースにしかアクセスできない
キモオタのイマジネーションは加齢につれてどんどん枯れ果てていく
なんとか自分(のちんぽ)を奮い立たせなくてはならない
だからせめて「フツー」のAVとかより世人が眉をひそめそうなモノにとびついて自己暗示をかけなきゃならない
これはすげえエロいものなんだ、俺はまだまだ飽きちゃいないんだと
なあ?
自分たちで自嘲的に言ってるような変態でもない。ただの暗くて孤独で暇な人にすぎない
ただしかし、子供リュックにつめてお持ち帰りしようとする一部のキモオタが
自分の貧しいおつむで思いついた範囲の「タブー侵犯」をやってみたのだろう
やっちゃいけないことだからやりました、という裏返しの常識の奴隷というわけだ
ロリコンがどうの以前に知恵が足りないやつは時として危険だというだけのことだ
慰安婦がいたことを否定しているのはただの馬鹿なんだけどなぁ。
「軍に連れ去られた」とかその手のが気になるって話なんだよね。
年齢があやふやって事は、「慰安婦であった事」は嘘ではなくても、他の証言の信頼度は落ちるだろうって話なんだよね。
強制連行された年が不明って事は、それ本当に「日本軍だったの?」とか。
http://tanakaryusaku.jp/2013/05/0007159
始めにマイクを握ったのは金福童(キム ボクトン・88歳)さん。金さんの次に吉元玉(キル ウォノク・86歳)さんが話した。金さんは自らの体験を詳細に、吉さんは自らの体験には触れずひたすら平和、世界に遍在する戦時性暴力に対する解決を訴えた。
「満14歳の時、軍需工場に行くと言っていたのに、着いたのは日本ではなく戦場、遠い暑い国だった。そこで私は日本軍の奴隷となった。台湾を始め、中国の広東に着いた時は陸軍の軍医が身体を調べた。そこでは何人入るのか知っていて、私達の部屋が用意してあった」。
「満14歳」
ここだと年齢は88歳か。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450
旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。
金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49447
「国家による性暴力に遭い、人権を踏みにじられた少女のことを知ってますか」。韓国人の元「従軍慰安婦」、金福童(キムボクトン)さん(87)が、舞台の上から「慰安所」での生活を語り始めると、会場は静まり、地をたたく雨の音が響いた。
金さんが14歳のころ旧日本軍に連行された場所には、複数の部屋を備えた慰安所があったという。金さんは「日本政府は民間人が慰安所をつくったとしているが、(戦時下の)民間人があのような慰安所を準備できただろうか」と軍の関与を指摘。「日本政府はうそをつかず、公式に謝罪してほしい」と訴えた。
「14歳のころ」
年齢が87歳か。先の88歳が数え?
あと名前でチェック
生存する日本軍従軍慰安婦被害者の実名記録が初めて発見された。
韓国挺身隊研究所のカン・ジョンスク研究員は国家記録院の軍人軍属資料を調査途中、従軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(79)の実名記録を発見したと11日、明らかにした。
名簿に記載されている金さんの本籍や生年月日などの内容が挺身隊研究所が1997年に発行した『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たちの証言2集』に収録された金さんの証言と一致するという。
今回発見された軍属名簿は、1947年9月に作成されたもので、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」と書かれている。
この記録によれば、1945年8月31日、当時19歳だった金さんが南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされている。金さんは97年の「証言集」で「15歳で連れて行かれ中国の広東、マレーシア、インドネシア、シンガポールで日本軍の慰安婦として生活した」と明らかにしている。
結論がおかしな方向になってるなぁ。元記事が消えてるので、コピペで失礼。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2005/01/11/20050111000084.html
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2005/01/12073703/ コピー元
「15歳で連れて行かれ」
いつの間にか年齢が1歳変更されているようです。なんではてぶでこの修正は指摘されないんですかね?
年表
1938年 数え14歳 慰安婦に徴用される(満12~13歳)
数え8年間(満6~7年)勤務
1945年 数え21歳 終戦を迎える(満19歳)
2005年 数え81歳 第16軍名簿が発見される(満79歳)
2012年 数え88歳 来日講演(満87歳)
ところがここで本人談の「満14歳」が再び「数え14歳」で計算されるという、摩訶不思議な現象が発生。
15歳が14歳に変更が「数え年を満年齢に修正」じゃないんですかね?
で、最初の引用では年齢が88歳。去年が88歳で今年が89歳? あれ? 一番最初に取り出したページ書いたのは「今年の講演」。
まぁいいや。来日公演の年2012が間違いだったんでしょう。とりあえずそうしておきましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4
1939年ですね。
年表
やった! こんな感じで考えれば年齢がきれいに一致したよ! 国民徴用令もぴったり一致だ!
じゃぁ、後は8年間慰安婦を強いられたって期間だね!
8年「間」だとやっぱり足が出る。数えでいっても6年。
そもそも慰安婦募集の広告を見ると、17歳とか18歳とかで募集。数えでこの年齢なので、満年齢だと15歳以上くらいか。
吉原遊女の事例だと、客取るのが17歳。数えだとして15歳以上。同じ条件だね。
第二次性徴終わって数年経ってるくらいなので、まぁこれくらいなら不思議ではない。
ところが最初の Togetter だと満12歳か満13歳で慰安婦になってることになる。ロリコンだね。
すごく頷いた。
かんがえすぎだよね。結婚も子供もしてしまえば、できてしまえばたぶんなんとかなる。
でもあまりに、ネガティブな情報ばかりみせられて、金持ちと結婚できた美人妻以外は、母親になったら爪に火をともして子供につくさないといけない気がする。
それは辛い、できれば逃げたいって思うのは甘えなのかな。
そしてそれでも産みたいと思うのは、少なくとも見知らぬ他人や、社会のためではないよね。
そんな風に思わなくてもいい社会になったら嬉しいな。まさに夢のようなおはなしだけどね
http://anond.hatelabo.jp/20130518094738
うん、仕方ないよ。
元増田だってもっと収入と時間の余裕があったら子供だって考えられるだろうけど、無理なもんは無理だし、社会とかそういうあやふやなもののために自分を犠牲にしないといけない理由はないよね。
もしかしたら将来子供いたらよかった……って思うのかもしれないけど、やっぱり仕方ないことなんだと思う。
っていうかちゃんと結婚してるだけ、私の百倍えらい……。。
結局、世代とか、管理職という概念が、デジタルデバイド世代なんだろうな。
横のつながり、横のつながりで結局は中貫の多重構造みたいなのは悪しき文化って事で満場の一致を見るだろうが
それが、悪しき文化なんじゃなくて、古い文化という事なんだと思うよ。
クラウドの誕生で、作り手と買い手が直接結び付けられる。農家から楽天で直接米を買える時代。 中間というものが不要になってきている。
中間 つまり結びつけるのはクラウドの役目。そこがもう、人じゃなくなる。
国境ですら、すでにあやふやだ。国境を超えてものが買える時代になってきている。中間がどんどん不必要になっていく。
ピラミッド構造ですらなく、フルフラットな多次元メッシュ構造の時代。そんな時代にXX世代だからという概念が不必要。
ゆとり世代でも優秀な奴は優秀。不幸な奴は不幸。いろんな奴がいる。世代で横のつながり、というものその物がインターネットによって置き換えられていく。そういう時代になっていく。
だから、団塊Jr世代という言葉が要らない。俺らより上は、俺らも含めて十把一絡げに、デジタルデバイド世代でいいよ。
世代で考えるのをやめよう。新しい子たちに失礼だ。 ゆとりだろうと、さとりだろうと、できる奴は出来る。ダメな奴はダメ。
世代でまとめるんじゃなくて、できるやつどうしでまとめて、できないやつどうしでまとめてかないとダメだろ。
そこを無理やり、世代で混ぜることに無理があるよ。
【急募】レイシストの俺を、レイシストじゃなくする方法 - http://anond.hatelabo.jp/20130501200747
とそれにまつわるトラバ、ブクマ、の一部を読んで、問題を私なりに整理してみようと考えたこと。
元記事のレイシスト俺さんについては、
・大元に何かを攻撃したい欲求がある。
・その攻撃対象として丁度よく嫌いな中韓に、欲求を(内心や内輪との会話で楽しむ範囲であれ)ぶつけている。
・レイシスト俺さんは、心の中に民族差別感情を持つ人間をレイシストと定義しているので、自分をレイシストだと思っている。
・レイシズムが道徳的によくないし、経済などの面でも己に損をもたらすとはある程度理解しているが、攻撃欲求を発散する気持ち良さを優先させてしまう。
・なので、将来状況が変わればもっと明確なレイシスト的行動をとるかもしれない。
・こんな俺を変える方法はあるのか。
という風に読みました。
1.攻撃欲求が強くなるのは生活に不満があるからなので、人生を充実させる。
2.相手のことをよく知らないのにイメージに嵌ってるから差別したくなるので、実際の韓国人と知り合いになる。
3.2と似ているが、色んな事を学んで、よく考えると、単純な差別をする気はなくなる。
4.お前の性格が悪いんだよだのその程度でスカっと出来るなんて安易ですねだのの罵倒。
みたいな意見が多いように感じました。
個人的に一番頷けるのは1(と、白目で見た意味での4)なのですが、実現は難しいと思います。
充実した人生を送る方法、幸せになる方法が確立されてるなら、誰だって幸せになれるはずでしょう。
現実では、方法が確立されていない、もしくはその方法をとるにはある程度の能力がいる。
経済がよくなれば少しはマシになる、ってのはその通りなんですが、
日本・世界の経済をよくするために即効性のある、一個人ができることってほとんどないです。
即効性がないと手ごたえが得られないので、実際に経済がよくなるまで攻撃欲求を持てあますことになります。
また、もし生活が充実してもやっぱり攻撃欲求の強い人はいるのではないでしょうか。
2は、実際に効果があるかどうかも少し疑問だし、実現するのもそれなりにハードルが高いと思いました。
知り合いになった韓国人がたまたま気の合わない奴だった、という可能性があり、
うまく仲良くなったところで、個人は好きだが集団へのレッテルは変わらないので叩き続ける場合もよくあり
そもそも新しく他人、それも外人と知人になるのはそれなりに面倒なことであり(面倒でない人もいるでしょうが)、
まして、現状馬鹿にして喜んでいる相手とわざわざ友好的に付き合おうとするのは酷く心理的に抵抗があるわけで、
それができれば苦労しない、気がします。
で、3についてがこの記事のメインなんですけど。
互いの国や文化や歴史、その他知見を広めてよく考えなさい、というのは、まあ、理想的だなあとは思います。
思うのですが、やはり実現は難しく感じるのです。
要するにこれは、理性を使いなさい、ということでしょう。
でも、理性って、普段自分がやってる以上に使うの、凄く難しいし大変じゃありませんか?
最初に書きましたが、レイシスト俺さんが特定の国を馬鹿にして喜ぶのは、
「他人を攻撃するのはよくないとは理性ではある程度分かるけど、
嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいいので、その気持ちよさを優先してしまう」
ということのようです。
「嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいい」のは、誰しもが秘めているものだと思います。私もモリモリあります。
(一部ブコメやトラバを見ると、この時点で「いや気持ちよくないよ」という人もいるようですが、
攻撃欲求が全然ないのでしょうか、そんな人いるのかしらん)
そのような人に、積極的に知見を広める(それも恐らく嫌いな中韓にプラスな情報を多く)、という理性を沢山必要とする行為を望むのは、
ちょっと無茶な気がするのです。
それでも「(思考で)殴ると気持ちいい」という感情的快楽は消えないわけで、
「中韓にも事情はあるんだろうけどテメーら嫌いだよ苦しめざまぁww」という風にならないでしょうか。
そう言えば、2の嫌いな国の人とわざわざ仲良くなるというのも、理性を必要としますね。
結局、何度も繰り返しになりますが
「嫌いな奴を殴ると気持ちいい! それが駄目なことと理性は言うが俺は目の前の快楽を優先するぜ!」ということに核心があり、
それを解消するにはどうしたらいいか、というのがレイシスト俺さんの問いかけだと思います
(そして暗に「無理じゃないの?」と言ってる気がします)。
この、感情的快楽を理性より優先させる姿というのは、世の中に往々にして見受けられます。
雑な例示なのは許してほしいのですが、
様々な差別、いじめの一部、暴行、薬物使用、日常でひたすら感情的になる人、などなど。
全くの無知からそれらをする人もいますが、悪いと知っていても目先の快楽に溺れる人も沢山いるでしょう。
こういう人たちに対して何ができるか、が、この一連の話題では問われているのだと思います。
解決法はある意味ではシンプルで、彼ら彼女らが、感情より理性を優先させるようになればよいのです。
上の方では敢えて省きましたが、「知見を広めろ、よく考えろ」という助言には、
「足りない理性を鍛えろ」という意味も含まれていることでしょう。
でも、それって現実的に可能なんでしょうか。
自分の普段よりも多く理性を働かせようとするのは、凄くストレスだと思います。
理性を使う気持ち良さというのもあるので、それに高いレベルで馴染んでいる人からすると、
もっと理性的になろう、と望むことはごく当然だと思われるかもしれません。
(攻撃欲求に身に覚えがない人というのも、もしかしたら理性が凄く強いので、
そのような荒っぽい欲求は存在を感知できないくらいに抑制しているのが常態化しているのかも?)
でも、そうじゃない人もいる。私は多分、そうじゃない人が凄く多いと思う。
私自身が、非理性的で、感情的な快楽に弱いので、理性的になれ、よく考えろ、大人になれ、としょっちゅう言われるのですが、
理性が身に馴染んでいないのに理性的になろうとするのは、とっても大変、です。
理性を働かせることは、特に馴染んでいない人には快楽をもたらさない。
モチベーションが湧かなきゃ、そりゃ、やらないよなあ。
果たして、理性より感情を優先させる人に、理性を重視させる方法はあるのでしょうか?
レイシスト(元記事作者さんについては反中・反韓感情の持ち主、レベルの気もしますが)に、
薬物使用者に、暴力をふるう人に、過剰な感情論を振りあげる人に、何かできるのでしょうか?
もし、実現可能なレベルでの対策があるのならば、凄いなあと思います。
私は、ないような気がしています。
ないよ、で終わってもなんなので、私の考える、何かできること。
感情の衝動を弱めて理性の方を相対的に大きくしようという取り組みですね。
これはもし実現できれば効果があるような気がしたので一番好きなのです。
人生が充実しても全ての負の感情衝動が弱まるかは分かりませんが、ベターではあるかなあ、とか。
けれどやはり、充実した人生ってどうすれば手に入るんだよ、という問題が。
物事を十分理性的に考えるような教育を施されれば、ある程度理性的になるでしょう。
しかしこれも問題は沢山あって、
まず、既に義務教育期間を終えた人間を教育するシステムがないということ。
現在の教育者側が理性的な人間揃いではないのでは難しい……かも?
それに、今だってかなり児童を理性的に育てようという教育はあるのでしょうが、
ついてこない子たちが沢山いて現状になっている、というのは、何かしら問題があるせいな気がします。
また、教育については、
「学がない人間は学のある人間を逆に軽蔑する場合がある。親世代にもその傾向があると子供は当然学びづらい」
みたいな低学歴の再生産みたいな話も絡んできちゃいますね、とか。
やっぱり、難しいですね。
これぞという、いや、これぞじゃなく漸近的にでも、
以上。
感情だの欲求だの快楽だの理性だのレイシストだの、他にも様々な用語の使い方は雑だと思います。
すいません。
用語以外も雑だと思うのですが、元記事さんに用語の使い方で突っ込んでる人が多かったので予防線。
もう、面倒くさいなぁ。
はぁ???元増田は「生物学の話をする」とも言ってないんですよ???
どっちつかずの話を出してきて、生物学的な話を無理にジェンダーで説明しているわけ。
あやふやにジェンダー用語(しかも解釈がおかしい)で性質的な話をしている。
だから誤りを指摘して、こっちは質問されて答えてるんだってば。
その流れを無視して横から論法がどうだこうだ言い出したあんたこそお門違いだし、
それこそ文脈読まないブーメラン乙でしょう。自分の論法を認めさせたいだけじゃないの?
横槍の自覚があるなら、別でやってくれよ。あんたが何をしたくて必死なのかがわからんw
なんで一分野の内輪の論理が、当然のように他分野で通用すると思ってんだ?
これはあんたが言い出したことじゃん。数学ではうんたらかんたらとw
「一分野の論理が他分野で通用しない」のは、元増田に言ってやってくれ。
ジェンダー用語を持ってきたら観点の異なる話になるから、元増田の話は必然的にぶれる。
でさ、いい加減な話をしてたって本人も認めてんだからさ、もういいじゃん。
それこそブーメラン乙という奴だ。
貴増田は、スレッドの進め方や論法を指摘しているわけで、それこそブーメラン乙でしょw
あ、違うな。単なる横槍か。
こちらは元増田の間違いを指摘をし、にも関わらず元増田はあやふやな知識でおかしな話を続け、
「人間関係において「借り」をつくることに、根深い恐怖心」もすごくわかるわw幼少期にいろいろありそうですね。
ヲチに悩む増田のブログを実際に見ていないので、何が原因かは断定できないし、
これから書くことはヲチに悩む増田に限った話ではないので、当てはまらないかもしれませんが、
「基本うまくやる」の人は「正しい」にとらわれてしまいがちではないかと思います。(自分もそうなんだけど)
でも人間の感情は正論で解決できないから「わかっててもできないんだよ」と思っている人達もいて、弱者意識をぶつけてくるかもしれません。
この増田がためになるかも。→(「正しくて強い」人へのお願い http://anond.hatelabo.jp/20130424175214)
あと、あやふやな根拠で「これはこういうことです(キリッ」と意識の高い()持論を展開すると炎上しやすいですね…。
ネット上にはいろんな人がいるので、増田のように匿名でない場合は、気をつけていないと誰もがヲチ対象になる可能性があります。
こうした叩かれたり粘着されるパターンをまとめて書いている本があります。未読でしたら読んでみてくださいね。
・ウェブを炎上させるイタい人たち-面妖なネット原理主義者の「いなし方」
http://www.amazon.co.jp/dp/4796675809
天華の救済の前身団体、法の華三法行(法の華)についての体験談
帰り、男女5~8くらいの集団でこーえんにいると円陣、正面に最高ですか裏には似たよーな文句の書かれた布を上着代わりに…。
そしてみーちんぐが終わり散らばると道行く人に「さいこーですか!」と繰り返すだけ。
17だったあたくの所にも訪れます、公園で話したり休憩してる人間に対しては、いい印象を受けると立ち止まります、輪に入ろうとします、勧誘ですね。
あたくしはうざいから、軽くキレて終わらすくらいでした。
この方々「さいこーですか!」は質問してる訳ではなく言ってるだけ押し付けにも聞こえますが何よりあのにこにこした奥の目付きは怪奇。
深夜12時から翌昼の15時まで、そこから歩いてましたがあたくし車だったから寝不足とまだ酒残ってんじゃね?て事で連れが車はだめと言い、しばらく昼下がりの公園でぽーしてましたら数年振りに団体を見ました。
渋谷の交差点とかに単品はよく居ましたが学校卒業してから宮下公園にこんなに滞在したの初だったので久々だなーと…。
連れ「あいつらってさうろうろなんなんだろか?」
あた「ほーの華…」あたくしはこの頃は彼等の正体把握済みでした。
ただ、気になったのは昔に比べ随分減ったって事、この公園に一度集まり散らばるスタイルだった筈だから今あそこに居るのが今日の渋谷チームの数なんだろーな、あの頃の半分くらいだなと勝手に心配。
偶々かもだし活動場所を変えたかもだし大して気にしませんでした。
連れ「あー、福永なんたらね…どエライ訴訟数で大変になりそうなとこ。」
どうやら端くれはそーゆー話題がめちゃくちゃ拡がる前にノータッチなジャンルでも知ってる模様。
あたくし「そうなんだ、だから随分減ったのか?」
あたくしが此処で昔遊んでた話しやこいつらを昔見た話しは済んでいます。
連れ「もうやばいんじゃなかったかな。なんか万単位の人間から何百億をお布施って事で……みたいな。」
ピークと言われた頃に、しょしょしょしょしょしょしょーこー♪が逮捕、戦後最大のカルト教団として連日報道されていた際にエライとばっちりを受けて叩かれた複数の新興宗教の中にこの法ノはながあったのを思い出しました。
そこから付随し信者離れや訴訟の流れになったのかなぁと円陣から散らばったそいつらを眺めながら考えていた………てゆーか散らばったよ…。
あたくしは寝不足クソだりーから離れようと考えましたが有料駐車場がこの公園の真下……もうちょっとも動きたくないって何となくこの体調なら理解できますよね?
信者(きびきびしてる動きや口調から推定45歳だがどう見ても身なりの汚さと肌自体は普通だかシワの多さ深さが60歳。明らかに苦労やストレスに依る顔面は口角も下がり痛々しい)がにこにこで来ます。
信者「さいこーですか!」「さいてーです」←この返しは数年前にあたくしがした最低な返し、初遭遇ならまぁありだが。常連は無い。
あたくし「さいこーですな…そちらは?」
連れ「うるせーばか、ばか!ばか、ばか」
信者何故かフルシカトしたあたくしに(冷たくされたりキレられたりしたら普通に接してくれたとこに戻る傾向がある)「さいこーですか!」これにはちょっとあたくしかちんときまして…。
長いからつづく
続き
あたくし目をジッと見詰め
「………では、逆に聞こう…」
信者「え?」
恐らくこの展開は彼女には初でしょう。
あたくし「空遥、相当の苦難を乗り越えたとお見受けする…時代錯誤なその風貌から想像もつかない未来に何かを期待した表情……最たる高みを諭してくれるのか?話してみなさい。」
あたくしの言葉…とても浅いがそなたとかおみうけとか言っておくといいのさ精神。
連れ「ぉぃ…………ぉい(笑いを堪えている)」
あたくし(椅子くらいの高さの柵に座ってたが立ち上がり近寄り目を見詰め)「さあ、答えなさい、空遥にとって刀とは何か?」??????となりましょ…信者、連れ、やや後方待機様子伺い信者全員ぽかんです。
後方待機は格上らしい、引っ張れそうな話を聞いてくれてるのがいるとタイミング良く現れ畳み掛ける、どこぞの商人とか二人組で家にやって来ますが一人は後方待機もそれ。
信者「………ぇっと…えー…うーん」
連れ小声「かんがえるのかよ……」
あたくし「空遥はその最高ですかと問うのを哲学の刀と?真理の刀と?…物理的武装を纏わない最高の武器とするのかな?それは違う、我がくるじんしんの会(咄嗟の会名だが役立つ)での刀、つまり刀の様な扱いの武装無き武器は最高ですかではなく…。」言葉を止めるあたくし。
え?真っ直ぐあたくしを見詰めています…改宗チャンス?いや、しなくていいさせなくていい来なくていい……狂人神の会なんてないのだから…ちょっと前にやっぱ頭おかしいなー話ししてた流れだから…。
しかし、後には引けない。
俯き、何かが入ってきたかの如く顔を上げ彼女を見詰めて…真っ直ぐ澄んだ瞳(推測)で言った。
「狂ってよかたいねー!!」…………暫くの沈黙→笑う連れを制止、終われないまだ広がるぞ的に睨むあたくし。
連れ「すいません、突然その言葉をシューキガイチが仰るから嬉しくなり…。」今度はあたくしが笑いそうになり俯きます。誰だよ…しゅーきがいちって……。
何故かエセ博多系だし…。
かなり支離滅裂を何故記憶してるかと言うと連れが「さいこーですか!」の生録をしたいから回してたのよテレコ。
呑みで会う前に誰かのインタビューしてたらしい、誰か忘れた。
「どれ、空遥の信仰する教えがどのくらいの我がガイキの知(キチガ○からあたくしのネームを付けてくれた事で浮かんだ)の思想と交差しているか見せてくれ。」と言いながら小冊子とアンケートを受け取ります。
「これは…更なる高みなのか?」と連れに見せたのは何て事無いなんたら集会報告のページだったかな。
連れ「確かに…だが、しかし…。」
あた「そうだな、やはりこの剣では…。立ち去れ…これは我が思想と掛け離れた剣。」刀と言ってたのを忘れてます。
信者「なにがどう違うのですか……。」
あたくし「話しにならない…この教典に列挙されし内容は既にガイキの知では刀ステージで完結、刀ステージとは入信一年未満が脳に刀パルス赤浄化を流されて行う修行だ。」
信者「そうなのですか…がちきのきって団体は存じ上げませんが…あなたはどのくらいの…」
………なんだよ「がちきのぎ」って笑いそうになります。しかし、この時点で何て言ったかちょっと微妙になりツッコミません。
連れ「彼は刀称号156のAクラス、つまり剣ヤンバーのトップって事、あんたすげー人に教えを説いてもらってるんだよ。順位で表すと………」
思い付かねーかよ!と言いたいあたくしは「弾きエモスリアの刀だよ。」ここちょっと聞き取れないのですがこんな感じ。
連れ「ぷっ…」と吹き出したのを「ぷっ……うーん」と無理矢理伸びをしてた。
信者「かなりの御方なのですね。道理で…」と言いながら格上に目配せをします。
やばいだろ…話しが長くなりキレる終わりしか見えなくなる、撤収だろ。
あたくしは話しを終わらせたくアンケートに目をやり「今後の空遥の自慰の系譜に役立てなさい、書いておこう。」と今日一意味不明を呟き、ぺらぺらのアンケートのトップを見た瞬間…………「素晴らしい……これは?帰るぞマグソギラ(思い付きネーミング)空遥の未来に私達の教えは要らぬ。」と去りました。
「てゆーか、何か書いてあったの?」
あたくし、アンケートを見た瞬間に限界に到達、後、数秒で爆笑しぶち壊す
とこでした。
A、知っていた
B、今、知った
……………おぅ……B…かな。
A、知っていた
B、今、知った
もう何年か前に貸してくれたあるものが返せない。
貸してくれた人とは途中で付き合うことになったが、すぐに私が勝手に何もかもいやになってしまって連絡を絶ってしまった。話してはいなかったが、その人と付き合うことによって、そもそも私が恋愛できない人間であることがわかってしまったからだ。ほとんど拒絶反応で連絡を絶ってしまった。
貸してくれたものは頼んで借りたものではなく、自分にとっても良い物であったから試しに使ってみてほしい、という好意で貸し出されたものだと思う。それが相手との初対面の出来事であったせいか私は断ることもせず、にこにこと無意識の愛想で受け取ってしまった。この時の自分にずっと後悔している。私はこれを借りてから一度も使っていない。ずっとしまったままである。のちに家族が誤ってばらしてしまったため、後にあわてて探し出したものの、最初に貸し出された数と合っているのかすらあやふやである。見たくないし、考えたくないのだ。
借りたものもまともに返せない私が考えるのは自分のことばかりである。
もう私の中では呪いかなにかのように扱われていて、「持ち主に返す」という正しい手順を踏むことすら恐ろしく、気持ちが悪い。
そもそも会いたくない。今の私はその人に、自分を棚に上げて罵る事しかできないだろうから。
私はもう友達になった人とは付き合ったりしない。
断定し得ぬ情報を持ちだしたことに関しては私の落ち度でしょう。論理構築にあやふやな点があったことは否めません。私はこの指摘通り誤りを認めます。しかし、私の不快な体験を「トラウマ」と表現し、なおかつ、私の論理に勇み足があったことを「被害妄想」と呼ぶ。私に勇み足があるのは精神疾患を患っているからでしょうか?因果関係に乏しいにもかかわらず、デリケートな状態を指す言葉を用いるのは、精神疾患を患っている人に対して大変に失礼だと思います。
もし彼氏の側が彼女の条件を到底履行できそうにない、そもそも条件そのものが呑めない、というなら、もっと前に彼の方から彼女に条件を緩和もしくは破棄させる努力をしておくべきだった
これについては「ダブルバインドだよなあ」において、
日帰りにしよう、部屋を分けよう、まだ私達には早いから旅行はしばらくおあずけだね。こういう選択を模索することが信頼の積み重ねにつながるんじゃないの?小さな信頼を築いていこうというステップで、相手に対して「セックスしないはず」「応じてくれるはず」という社会通念を突きつけあっている図式に見えるよ。
と書いています。また、俺個人の見解として「長いスパンを考慮せずに旅行前の段階でお付き合いをやめます。」とも書いています。これは条約を締結しない=セックスしないという意味です。そもそも、「ダブルバインドだよなあ」は、彼女を襲ってしまった男性が悪いかどうかという記事ではありません。その前の平和条約を結ぶ段階で「こんな合意を受けいれられねえ!」と破棄する話なんですよ。一緒に部屋にいたらセックスしてもおかしくない、という俺の考え方自体が誤っているとお考えかもしれませんが、それはすり合わせるべき価値観の話で、合意形成や契約の問題とは違うと思います。
要は、「旅行先で彼女にセックスを迫るという社会通念からも許される行為を望んだだけなのに、彼女はよりにもよって大げさに怯えてトイレで30分も立てこもるというやり方で俺を拒絶して、俺のプライドを傷つけて俺を悪者にしやがった!」と云いたいんだろうけど
俺は「圧倒的に男性に非がある」「信頼関係は男性にも明々白々な責任があるというつもり」、繰り返しますが、「長いスパンを考慮せずに旅行前の段階でお付き合いをやめます。」と書いているんですよ。俺は元記事の男性が約束を破ったことに関して何一つ擁護していないです。俺=上記のような不愉快な考え方をする男性、ということを言いたければ、私が書いた文章を元に、なぜそう考えられるかを論理的に示すべきではありませんか?
正直に申し上げますが、あなたの書いていることは対話のマナーとして不愉快極まりないと感じております。許容範囲を超えましたので、これ以上フォローはいたしません。「ダブルバインドだよなあ」に書いた通り、レイパー認定していただいても構いませんし、それを周知徹底することもあなたの自由です。
もちろん、850点程度だと何の役にも立たないのがわかったので、さらなる勉強中です。
現在、37歳です。まともに英語の勉強をしたのは、大学受験の時が最後。
大学は慶応大学。でも、合格時点でも五文型をよく理解できてなかった。
大学受験時の英語の偏差値は代ゼミで70くらいだったような。昔のこと過ぎて覚えてない。
五文型わからずに偏差値70? って声も聞こえてきそうですけど、事実そうなんだから仕方ない。
勉強再開時、つまり、受験から15年以上経ってから受けたTOEICは400点。
大学受験当時、確実につぶしたといえる英語の書籍は以下の5つだけ。
・新・英文法頻出問題演習 (Part1)
でも、聞くところによると、最近の受験生にとっては、英頻ユーザーは多数派ではないんですってね。
この三冊だけつぶしました。当時の上級編は、早稲田と慶應の入試に出た文章だけで構成されていました。
今は違うんですね。
ちなみにZ会の本は、なぜかアマゾンでは新本が手に入らないんですね。
他にも何かマイナな熟語集をつぶした記憶がありますし、こまごまと色々やりましたが、極めたといえるほどやりこんだものは上記五冊だけです。
なんで英語をいまさら勉強し始めたかというと、英語くらいしゃべれてもいいんじゃないか? というテキトーな理由からです。
そして、未だにある程度の英文を読むことはできるものの、まったくしゃべれないし、海外旅行のときに自分のふがいなさにうんざりしたというのも理由のひとつです。
そこで、まず、評判の良い英文法書を、ということで以下の本を読み始めました。
この本は良いですね。でも、初学者向けではない。
僕のような、大学受験時にまあまあ偏差値が出ていて、三十代になってから英語を再勉強する人には良い本だと思う。
ただ、熟語が列挙されているだけのページなんかもけっこうあって、しかし、暗記に適したレイアウトになっていません。
なので、そういった完全なる暗記ものについては、この本でこなそうとするのは非効率だと思う。
ようやく五文型がクリアになりました。
大学受験当時、滑り止めの明治大学の英語の試験が、けっこう基礎英文法重視の問題ばかりで、五文型をまったく見分けられず、滑り止めどころか受からなかった記憶がよみがえります。
巨大な上に2冊組なので、僕は上記書籍をやりましたが「新版が良い!」というかたは以下の2つがそうです。
・大岩のいちばんはじめの英文法【超基礎文法編】 (東進ブックス 名人の授業)
山口の英文法で扱っていないような、もっと初歩的な英文法に穴があるのではないかと思い、使った本です。
さすがに、だいたいのことはわかりましたが、一部、わかっていなかったこともあり、役に立ちました。
関正生さんの本はいくつか読みましたが、この1冊はなかなか良いです。
この本は大岩さんと同じレベルくらいの本ですが、網羅的な本ではないです。わかりづらい部分を平易に解説した本。
no more thanとかそのへんの文法の理解については、この本と上記山口本の併用でようやく理解できました。
でも全体的に関さんの本は費用対効果が悪すぎるように思います。
・全解説頻出英文法・語法問題1000(大学受験スーパーゼミ)
問題集ですね。解説が充実していてやりやすいです。勉強になります。
本当は、これより簡単な、
・全解説入試頻出英語標準問題1100―文法・語法・イディオム・会話表現の総整理(大学受験スーパーゼミ)
から取り掛かるべきだと思ったものの、1100のほうが簡単ということを知らず1000のほうから始めてしまいました。
・おまかせ!英文法・語法問題演習888
これも問題集ですが、山口俊治さんの著書です。山口さんの著書ですからもちろん「英文法TRY AGAIN!」との親和性が高いです。
そのため、この問題集もやってみました。感想としては、なんというかまあまあ。
上記の1100と1000のほうが解説が厚いのでオススメです。
・英語上達完全マップ―初級からTOEIC900点レベルまでの効果的勉強法
この本の内容は(おそらく)すべて公式サイト上にあるので、買う必要はないかもしれません。
英語の勉強法に迷いが出ていた時期に読めたので、この本を読んだ後は、かなり勉強法を参考にしました。
・ドラゴン・イングリッシュ基本英文100
この本は、やって良かったとは思うのですが、どうも他の竹岡本同様、めちゃくちゃ効く感じはぜんぜんないです。
何か中心点を突けてないような、そんなもどかしさがあります。
でも、全文暗記しました。
文句を言いながらも、竹岡本をまた買ったりしてるわけですが笑。
この本、勉強になりました。なりましたが、どうも、ところどころ英語がヘンな気がして、そんなときは職場のネイティブに確認してもらったりしました。
絶対のオススメというわけではありません。
ちなみに、大矢本を読んだ後で竹岡本を読むと、暗に大矢本の英文をバカにしている箇所がいくつか発見できたりして楽しいです。いや、それほど楽しくないです。
・例解 和文英訳教本 (文法矯正編) --英文表現力を豊かにする
この本は、上記大矢本と扱っている内容がある程度似通っていますが、より充実していて洗練されています。
もちろん、大矢本は良いですが、個人的にはこちらのほうが良いと思いました。
these days, recently, lately, nowadaysあたりの使い分けについても、こちらの本のほうが定着しやすい説明でした。
残念ながら、竹岡さんの「ドラゴンイングリッシュ」や「CD2枚付 竹岡広信の 英作文が面白いほど書ける本」はわざわざやる必要がなかったなと、この本を開始した後で思いました。
英作文の参考書は、英文法の参考書ではあまり説明されないような文法のポイントが出てくるので、前記のような文法書をつぶした後であっても、色々と学ぶ部分があります。
・どんどん話すための瞬間英作文トレーニング
・おかわり!スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング
英作文の参考書を数冊こなした後、いわゆる「瞬間英作文」というのを開始しました。
良い点は、簡単な英文を大量に作成する訓練をすることで、アウトプット力が養える点です。
悪い点も明らかで、誤植が多い、奇妙な英文がある、という点です。
でも、これらの悪い点は、良い点に比べてはるかに微細な問題といえます。
ちなみに、上記4冊をすべてやりました。
また、この4冊の中では「スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング」が圧倒的に難しいので、最後にやるのが良いでしょう。
どんどん→スラスラおかわり→ポンポン→スラスラ の順が良いと思います。
深い意味はありませんが、どんどんおかわりはやっていません。
単にさすがに飽きたというだけです。
・必ずものになる 話すための英文法 Step1[入門編I]
森沢洋介さんの瞬間英作文ものがほぼ終わったので、次の段階の瞬間英作文としてやってみました。
この段階でこの本をやると、瞬間英作文としての機能は低いです。
なぜなら、どんスラポンを終えた後だと、文法レベルが低すぎて、文法的な側面からのアウトプット力が上がらないからです。
森沢本と違って、難単語というか気の利いた表現みたいなものが頻出しているので、
むしろ、それらを暗記する本のような取り組みかたになってしまいます。
とはいえ、このシリーズは上級編まですべて出て完結しているので、最後まで取り組もうと思っています。
ちなみに、市橋本については、以下のサイトが参考になるかもしれません。
http://www.geocities.jp/boston_english_80/
…などと書いていましたが、すみません、結局1巻目で挫折しました。
どうも親しみのない表現が多く、これらを暗記していって良いのか確信がもてなくなったためです。
この本はまだ途中です。そして、この本を開始したのは、以下のサイトでオススメされていたからです。
http://www32.atwiki.jp/english_map/pages/17.html
この本は、この段階でやる本としては非常にオススメです。
構文のくせに540も? とか思うかもしれませんが、「よく見かけるし読めるけど、英作文のときは出てこないなー」という文章が多く、かなり勉強になりました。
その後、本編の540部分を25周ほどこなし、書き換え表現を含め、ほぼ暗記しました。
そして、 やはりこの本は良い、という実感が増しました。
この本は、持っているもののちゃんと読んだことはないのですが、300文の例文集がついており、しかも、この例文集は以下のリンク先でpdfで入手できます。そのため、このpdfを加工してankiに突っ込んで全文暗記しました。短い文章ばかりですから、暗記しておいて損はないです。
http://www.obunsha.co.jp/pr/jroyal201203/jroyal201203.html
英単語は、まずはみなさんがオススメしているこれをやりました。
かなり良いです。短い英文に非常に巧みに必修英単語を組み込んでいます。
他の類似単語集を試すとわかりますが、DUOの完成度の高さはすごいです。
ちなみに、日本文を読んで英作文するというやりかたをしました。
そこまでしなくても良かったかもしれません。
DUOはほぼ完璧になったので、次は何をしようかと思ったときに、受験時代に慣れ親しんだ速読シリーズに取り掛かってみました。
さすがに15年以上経つと、収録されている英文も総とっかえされているのでしょうか。まったく見覚えのある文章が出てきません笑
・ワードスター エッセンシャル2300 - Wordster Essential 2300
・ワードスター アドヴァンスト1300 - Wordster advanced 1300
速読英単語のほうは、英文読解の練習を兼ねてぼちぼちやっているので、それとは別に、本格的に語彙を増強するための書籍がほしかったときに買ってみた本です。
すでに絶版なんですね。
学習本は、版を重ねていくうちに間違いが減ったり改良されていったりすることが多いので、本当はもっとメジャーな英単語勉強本をやりたかったのですが、どうも良いのが見つからないんですよ。
SVLみたいな英単語羅列型の本は、この歳になると、どうしてもなかなか覚えられないものですから、
DUO式というんですか、いわゆる、短文で覚えていくタイプが良かったのです。
時々、「これって間違いが直ってないんじゃないかなあ」という不安感を覚えるときがあるのですが、そこそこよくできています。
・究極の英単語SVL Vol.1 初級の3000語
・究極の英単語SVL Vol.2 中級の3000語
・究極の英単語SVL Vol.3 上級の3000語
・究極の英単語SVL Vol.4 超上級の3000語
アルクのSVLはリストとしては素敵だと思うのですが、書籍としてはちっともよくないんですよね。これらの本で暗記していくのはなかなかつらいです。僕はankiに全部突っ込んで覚えました。ankiの使い方は他のページに任せますが、ankiはすごいですよ。
語源系の英単語本を使用するのは初めてです。この本はもともと評判が良いですが、たしかに良いですね。以下列挙します。
1)価格が安い
2)重さが軽い
3)説明が面白いし、しつこく練習させられるので定着率が高い。
例えば、principalとprincipleの違いについての説明。
principleの最後の「le」は語源的には「rule」のことであり、principalとprincipleと迷った場合に、ruleが関係しているものはprincipleで、それ以外はすべてprincipalだ! と書いてあります。
で、その後4周目に入ったあたりで、それでさらに上記3)を実感しています。
単純に3周しただけで、もうほぼ覚えることができました。
僕はこの本については、フリクションボールペンでどんどん解答していき、一日の終わりにドライヤーの熱で書き込みを全部消すというやりかたをとっています。
・ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100―誰もここまで教えてくれなかった使える裏技
・英会話なるほど練習帳―50のフレーズで500通りの表現をモノにする
・50のフレーズで500通りの表現をモノにする英会話ペラペラ練習帳
スティーブ・ソレイシィさんの本はどれも良いのですが、暗記に適していないレイアウトばかりなのが難点です。
でも、上記一通りこなしました。
これだけやっておいてなんですが、英会話本は、別にTOEICで900点すら出てない段階ではやらなくても良いかなという気持ちもあります。
でも、さらっと海外旅行に行くときのドーピング用としては、フレーズ100の2冊は良いかと思います。
ある程度英語の独学で勉強をしていると「かなり複雑な文章を読めるし、少し時間はかかるもののかなり複雑な文章も書ける。でも、スモールトークがさっぱりで、どうも簡単な会話が微妙」という状況がやってきます。そのあたりのギャップを埋めるためには英会話本はたしかに役に立つことがあります。
・英語耳
発音の練習は真っ先に取り組むべきという声を頻繁に聞くので、おそらくそうなのでしょうが、いかんせん出先で合間合間で勉強していると、発音の練習に取り組むのがなかなか大変です。
このあたりの本に取り組んでいるものの、なかなか進んでいません。
イギリス英語に憧れがあるものの、時々イギリス人と話すと、「完全にアメリカの発音だよな」と言われます。
もちろん、それ以前に明らかに日本人の発音の域を出てないんですけどね。
・英文読解の透視図
英文読解本といえば、伊藤和夫の「英文解釈教室 改訂版」( http://amzn.to/12HbrAU )をオススメするかたが多いですが、
独学だけでTOEIC970点の友人が強くすすめてくれたので、この本をやってみるつもりです。
…と書いていましたが、その後やり始めました。うん、これは良いですね。
ページ数も少ないのですぐ終わりますし。
地味なレイアウトの本なので、流して読んでると重要ポイントをスルーしそうになりますが、これはかなり良い本です。
熟読玩味すべきです。
英文を読んでいるときに、ややあやふやなところを、単語の意味から「えいや」で解釈するということがたいがい誰にでもあると思いますが、そういった機会が減ります。
ただ、どうもこの本は、大学受験生には「国立上位、早慶」あたりを目指す人向けと言われているようですね。
なので、ちょっと取り掛かってみて難しそうだったら撤退してしばらく寝かせると良いと思います。
まあ、このことはたいがいの英語参考書について言えるんですけどね。
透視図が良かったので、もっと初歩的な内容からおさらいしてみたくなり購入した本です。こちらは透視図よりずっと簡単ですが、それなりにあやふやだったところがつぶせました。薄いからさらっと終わるのでなかなか良いです。
DUO 3.0が良かったので似たような方式の英単語集を、と思い買ったものの馴染めずやめてしまいました。
というのも、英単語の盛り込みかたが凄く雑なんです。
無理やりすぎて、これなら単なる羅列型の単語集とさほど違わないじゃないかと。
・English Grammar in Use with Answers and CD-ROM: A Self-Study Reference and Practice Book for Intermediate Learners of English
英語で学習する英語の本としては非常に有名なこの本ですが、どうも重いし巨大だしって感じで、なかなかやる気がでずじまい。
・Practical Everyday English: A Self-study Method of Spoken English for Upper Intermediate and Advanced Students
・Advanced Everyday English (Practical Everyday English)
もともと、イギリス英語を学びたいという気持ちが強くあります。
でも、やはりアメリカ英語の勉強本のほうが日本の英語本だと圧倒的に量も質も高いので、時々、こういうイギリス英語の書籍を手にとって挑戦してみます。
とりくみやすいレイアウトだし、良い本だと思います。しかし、自分のレベルだとまだ難しい部分が多いので、もう少し後に再挑戦するつもりです。
やはり、大学受験生の頃と比べると、本当に暗記力の低下を感じます。
当時は、何か1冊の勉強本を全部覚えるというのは、けっこう楽だったのですが、今は何周しても100%にはなりません。
なので、95%くらいまでこなしたら、諦めて次の本に移るようにしています。
そうすると、なかなか覚えられなかった内容や理解できなかった事柄が、別の本だと簡単に覚えられたりするものです。
その後、900点までいきました。また、紹介書籍は随時追加予定です。
よくもあれだけ毎日人を罵倒してられるなあと感心しますが、それはともかく彼がなぜあれだけ口が悪いのか考えた事がありますか?
彼は自分に反論してくる人の数を減らす為の防衛手段として罵倒を使っているんです。
あれだけ毎日赤の他人にクズだのカスだのゴミだの言うような人ですから、たとえブログやブコメでkyoumoeさんが頓珍漢な事を書いてたとしてもそれを指摘し辛いわけです。
だってひとたび指摘するとブログにid晒してゴミだの死ねだのと言ってくるわけですから、まともな神経をもったはてなユーザーだったら触らずにスルーしちゃいますよ。現にこうやってビビリのボクは自分のアカウントを使わずに増田に逃げています。だって怖いもん。
自らの知識のあやふやさというか社会経験の無さをご本人も自覚されているんでしょう。だからネットにあふれる彼よりの優秀な大人からのツッコミに恐れているんですね。無意識のうちに罵倒を駆使して自分を守ってしまっている。もったいないなあ。
例えばkanoseさんが書いた事に何らかの指摘をしたとしてもそれが罵倒になって返ってくる事はありえませんよね。だからみんな安心してkanoseさんに突っ込めるし、それが有益な議論に繋がるんです。そういう積み重ねが今の彼の立場というか、kanoseさんを中心にしてまわるエコサイクルを生み出しているんじゃないでしょうか。まあkanoseさんは隙が少ないからあまり突っ込む所はありませんけども。
kyoumoeさんは人生を損しておられる。だって自分の間違いを指摘する人がいないんだもん。今の彼は若くて?イケイケドンドンかもしれませんが、誰からも有益な指摘をしてもらえない人間が10年後どうなるかだいたい予想がつきます。もったいないなあ。