「Wikipedia」を含む日記 RSS

はてなキーワード: Wikipediaとは

2021-07-21

これを機に精神障害者歴史を少し知ってほしい

まず、下のリンク先を読んでみてほしい。5分もあれば読めるはず。

『どうすれば、差別偏見をなくせるの?~人権侵害歴史を考える~』

https://www.jamhsw.or.jp/ugoki/hokokusyo/20110219-kenri/26-30.pdf

"1960年代に、駐日米国大使が、精神障害のある人に刺されてけがをするという事件が起こり、社会で大きな問題となりました。この事件精神障害イメージに大きく影響し、地域行政相談機関が設置されるなどの法制改革の一方で、強制的入院させる制度(→入院形態;p.35)が促進され、全国各地で、多くの精神障害のある人が強制入院をさせられました。"

もっと長くなるが、wikipediaのこの項目でもいい。

精神保健の歴史

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E5%81%A5%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

"1964年昭和39年)、ライシャワー駐日大使刺傷事件が発生する。精神障害者を隔離収容すべき、と言う新聞雑誌などが主張し、世論も野放しは危険と支持して、厚生省日本ハンセン病問題同様に、精神病院への隔離収容政策社会入院)を始める。"

"2013年平成25年)、国際連合人権理事会日本に対し、精神障害者の非常に大勢が自らの意思に反して長期間に渡って社会入院されていることや、身体拘束と隔離が過剰に用いられていることを警告。"

社会入院」については一例として下の記事などを。

『60歳から青春 精神病院40年をへて』

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/4/

"現在グループホームで暮らす時男さんが初めて精神病院入院したのは、今から46年前の1968年。当時、時男さんは16歳で親戚を頼って福島から上京し、働き始めたばかりでした。しかし、慣れない環境人間関係ストレスから体調を崩し、妄想などの症状に襲われるようになります。そして都内精神病院入院

このころ、国は精神障害者の隔離収容政策を進めていました。大きな契機となったのは、1964年統合失調症少年が起こした傷害事件マスコミも一斉にキャンペーンを展開し、精神障害者を「危険存在」と見なす社会の風潮が作られていきました。"

"精神病院入院患者の数はおよそ32万人。そのうち、1年以上入院している人は20万人以上、10年以上同じ病院入院し続けている人は7万人もいますしかもこの長期入院者のなかには、社会入院の人が相当多いといわれており、そのために「日本精神科の平均在院日数は諸外国に比べて突出して長くなっている」と精神科医の岡崎伸郎さんは言います。"

まり、一精神障害者が事件を起こす→精神障害者全体が危険視される→「危ないか隔離しとけ」という世論政策が生まれる→強制入院退院後の受け入れ先がないための「社会入院」が多発、というようなことが実際に歴史の中で起きてきた。これはまだ過去の話とも言えず、日本各地の精神病院にはこうして何十年も病院で過ごしてきた高齢の方がたくさんいる。

こういうことを多少とも念頭に置いて見ると、今回の『ルックバック』の描写幻聴台詞の内容で(統合失調症とは限らないが)何らかの精神障害を暗示した後、その人物理不尽に襲いかかってくる殺人犯としてのみ描かれるという描写に、精神障害者やその周辺の人々が危惧を抱くのは合理的に思える。少なくとも、危惧を表明した人に「被害妄想」や「自意識過剰」と言えるほど、現実歴史は優しくはなかった。

もちろん現在はまた時代が変わっている。また事実として精神障害者が犯罪を起こすこともあり、そういう報道描写を一律に避けるというのも不自然だろう。報道表現の自由偏見強化の危険との間でどうバランスを取るかという議論はこれからも地道に続けていくしかない。

しかしとりあえず今言いたいのは、これを機に上のような日本精神障害者が置かれてきた状況、いまだに残っているいろいろな問題もっと知られてほしいということ。それから、昔にはなかったような形で出てきている精神障害の多様な語り方、その面白ももっと知られてほしい。有名でとっつきやすものとしては、やはり「べてるの家」の記録などだろうか。まあ「べてるの家」も最近内部告発が出て来たりいろいろ問題含みなのだが、『べてるの家の「非」援助論』(2002年)や「当事者研究シリーズなど、読み物としても非常に面白かったのでおすすめしたい。「偏見差別大歓迎」と掲げて近隣住民交流集会を開くなど、柔軟で斬新な実践の数々に衝撃を受けた。

あらためて、今回の議論が例の描写を認めるか認めないかというような話に終わらず、かかわった人が精神障害について新しく何かを知るきっかけになってほしいと願っている。

2021-07-20

anond:20210720130625

今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている増田ですが、こんなの読むより村崎百郎Wikipediaを読んだほうがデータも充実してるぞ

wikipediaって儲かってるんでしょ??

なにこれ

 

最近では初めてとなるお願いですので、単刀直入に申し上げます。この火曜日、誰もが自由に読めるウィキペディアを守るために寄付していただけませんか?読者の98%は寄付をしてくださらず、見て見ぬふりをします。あなた私たち特別支援者のお一人であるならば、あなた感謝し、心からお礼を申し上げます

お忙しいあなたのお邪魔をするつもりはありませんが、どうしてもお伝えしたいことがあります。もし皆様が ¥300のご寄付をお寄せくだされば、ウィキペディアは長く繁栄することができますウィキペディアは購読料をいただかず、わずか2%の読者からのご寄付によって支えられています金額の大小にかかわらず、読者の皆様のご寄付がなければ、ウィキペディアを今のように運営することはできません。

ほとんどの人は、このメッセージ無視するでしょう。でも今日あなたウィキペディア支援してくださることを願っていますウィキペディアボランティア編集者たちは、あなたがここで読む情報証拠事実に基づいていることを保証します。

ウィキペディアで今年読んだ情報に¥300の価値があると思われるのでしたら、サイト未来を守るためにぜひご寄付をお寄せください。どうぞよろしくお願いいたします。

anond:20210720160306

日本人はとても親切である

ただし、自分の懐が痛まない限りにおいて。

からwikipedia への寄付最低。

wikipediaから寄付のお願いのDMがきた

98%は寄付しないから、寄付したことがあるあたなは2%の特別存在ですって。

Wikipの利用者って膨大な数だろうけど、2%も寄付してるのか。

すげえな。

Wikipedia寄付お願いメールはなんかイラッとさせられるな

2021-07-19

テキストWebアプリ比較

Simplenote(Androidアプリ:あり)

テキスト保存系では文字通り最もシンプルインターフェイスが特徴

単純なタグによる管理しかないが、そのシンプルさでわかりやす簡単に使えるのが利点

Markdown対応(一部非対応)しているので、Markdownを使っている人、使ってみたい人に向いている

作ったノートWebに公開(Publish)できるので、プレーンテキストコピペとか)を公開するのに便利

Dynalist(Androidアプリ:あり)

Simplenoteとインターフェイスがよく似ているが、こちらはリストを軸にしたアウトラインテキストを扱う

Simplenoteのようなタグ管理機能と、アウトラインマインドマップ形式に表示できる機能があったのだが最近有料化されてしまった

作ったノートWebに公開(Publish)できるので、アウトライン形式テキストを公開するのに便利

ScrapboxAndroidアプリ公式はない)

テキストのほかに画像動画も挿入できる(左寄せ固定)ほか独自記法で装飾が可能

タグリンクを使ってページ間を連結することで様々な情報管理できる。「個人Wikipedia」とも呼ばれるWebサービス

Webへの公開・非公開はページ類全体に設定でき、ページごとの設定はできない

単純なBlogとして使うのもよし、独自研究したり蓄積した「個人Wikipedia」の公開するもよし

Notion(Androidアプリ:あり)

形式データベースが便利なWebサービステーブル構築やデータ入力などがしやすくできている

カレンダータイムラインなどタスク管理目的とした機能が多いが、スケジュール的な使い方をするには周期的な入力(毎週〇曜日とか)ができなかったりとちょっと足りない面がある

画像動画も挿入可能だが、テキストは1行ごとにブロック管理されるため、長文を扱うのは不向き

ブラウザ拡張機能や共有機能でWebページをNotionに飛ばすことができる。データベースに飛ばすと後の管理ラク

ページ(データベース)ごとにWebに公開(Publish)できるので、データベースを公開するのに便利


EvernoteAndroidアプリ:あり)

言わずと知れたテキスト管理サービスクライアントアプリが有名だが、Webサービスもある

テキストの装飾はいろいろできる

だが重い。デバイス制限もあるので使い勝手が悪い

すべてはここから始まった。現在過去遺物の置き場所になっている

ルックバックが完全にポカーン、、

何一つ共感出来なかったし、特に感情を揺さぶられることもなかった。

Wikipedia理不尽事件顛末を読んだときと同じ感情しか湧いてこない

2021-07-18

anond:20210718201541

どうしても話が通じないな

半グレやその類似行為をしてるヤツは直球で上級国民が含まれてるんだよ

半グレやその類似行為をしたか上級カテゴリに入ったように見えるではなくて

 

まれwikipediaに載ってるようなお家なんだ。わかった?

anond:20210718182500

浮動小数点数定義IEEE 754 といった定義はあるよ。ただ、Wikipedia にもあるとおり、

その他の関数では、四則演算と同様の正確さを実現することは難しい場合がある。

とあって、現実世界乖離が生じる可能性は定義にもあるよ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/IEEE_754

anond:20210718161714

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84

Wikipedia引用すると、

計算結果の検証のため同一のデータを初期値として複数回シミュレーションを行うべきを、

ここまではよくわかる。それで物理学数学的なカオス理論を押す連中が間違っていると思うのが、

二度目の入力の際に手間を惜しみ、初期値の僅かな違いは最終的な計算結果に与える影響もまた小さいだろうと考えて、小数のある桁以降の入力を省いたところ、

ここ。ここが諸悪の根源だ。まず計算科学の連中が大学に入って最初に引っかかるミス大御所がひっかっている。たとえば、0.4 - 0.3 は計算科学では 0.1 じゃない。それは十進法から二進法に変換するという計算機の特性理解してない人がやるミスだ。嘘だと思ったら、0.4 - 0.3 == 0.1 と C なり Ruby なり Python なり Java なり Haskell なりでやってくれ。ちなみに JavaScript なら 0.4 - 0.3 === 0.1、Lisp族の Clojure は (== (- 0.4 0.3) 0.1)、PHPちょっと自信がないので省かせてもらう...。浮動演算ユニットがついているプロセッサIEEE 754 の類をサポートしているなら「偽」となるはずだ。ここでは「桁あふれ」「丸め誤差」なんかは説明しないが、計算機で小数を扱うのは注意が必要ってことだ。閑話休題、つまり計算機で数学物理学実数のように小数点を扱うなら 3.0 と 3.1と 3.14 は別物として扱う必要があって、カオス理論創始者であるローレンツは「有史に残る」ミスを犯した。

結果が大きく異なった。

これは金融界隈のエンジニアたちにとっては、コンピュータが現れてから悪夢のような形で襲っていて、ゴースト・イン・ザ・シェルの題材にすらなっている「既知の未知」という類のエラーだ。はっきりいうと、大御所にこんなことを言うことは憚れるが、エンジニアだと3年目以降だとしないミスMITエリートがやっているという、なんというか「そりゃ、そうなるだろ」的なミスをしでかした結果なんだよ。例えば、古典物理学だと有効数字ひとつ下の数値は切り上げて四捨五入するというのは教科書的には正しい。だがね、計算科学だと小数点の扱いは事故の元なんだよ。具体例を出すと「Ruby円周率を100回掛け合わせる、Ππ(パイパイ、n=100)みたいなことをする。

puts [3.0, 3.1, 3.14].map{|i| 100.times.reduce(i) {|j, k| j *= k + 1}}
# 2.7997864633183236e+158
# 2.893112678762268e+158
# 2.930443164939848e+158

もう一度、特に高校物理をやった人は考えてほしい。数値を切り捨てしないだけで、これだけの差が生じるのだ。そりゃ、ローレンツ大先生も驚くわな。現実世界では起きないような気がするのはなぜか?、と思うじゃん。そこで、わたしはこう思うわけですよ、

計算機は実数を正しく扱えない」

とね。だからこそ、

計算機を正しく扱わないことで生じる偏見差別

というもの科学する学問があって良いのじゃないかと。つまり

それこそが【計算科学】というもの

なのではないかと。


異論は認める

Wikipediaの「寄付のお願い」を見ると

広告を貼らないネットメディア運営を続けるにはこうするしかないのかなぁと思う。

Appleプライバシー重視の姿勢を全面に打ち出しており、アドテクに関わる身としてこの先どうしたものかと思う一方で、いちユーザー立場としては規制妥当だとも思う。

しかFacebookが主張するようにネット情報提供している多くのサイト広告収益を得ているわけで、その収益性が悪くなるとサイト自体が畳まれしま未来もあり得る。

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2104/21/news071.html

サイトが他にも収益を得る方法はあるとは思うのだが、Wikipediaの「寄付のお願い」を見るたびにそんなにうまくいくものなのかとも思う。

そんなことを考えながらアドテクで稼いだ金を少しWikipedia寄付した。

昔、「探偵ナイトスクープ」という視聴者の疑問を探偵役のお笑い芸人レポートする番組で、ご意見番ポジションキダ・タローがいるときに、彼が作曲した「アホの坂田テーマ」をノルウェーだかカナダだかのホッケー試合で聴いたという調査依頼があり、それは要するにどこかの民族音楽キダ・タローがパクっただけという話なのだが、コメントを求められたキダ・タローが「引用や!」と開き直ってスタジオ爆笑というオチになった回があった。

それで済んでしまったので子ども心に釈然としない思いを抱いたものだが(もちろんアホの坂田原曲著作権が切れているのだろう)、音楽業界の「引用」って、もしかして思ったより根深くて、当時キダ・タローが「引用や!」と言ったのも、ウケ狙いとかではなく、本気だったのかなあというようなことを、昨今の騒動でふと思った。

ちなみに「フニクリ・フニクラ」という曲はどこぞの登山鉄道宣伝のために作られたものだそうで、それを知らず「イタリアの昔の民謡かなんかだろう」と思い込んで「引用」したクラシック作曲家が訴えられて著作権料を払う羽目になったそうな(Wikipedia情報)。

小山田圭吾を選ぶ前にすべきだったこ

東京五輪パラリンピック組織委員会武藤敏郎事務総長はもうお年だし、現場ネットのことはわからないだろう。

しかし、その周辺の人間は以下のことをしていたのだろうか?

Wikipedia小山田圭吾の項目を見る

・5chの小山田圭吾スレッドを見る

・「小山田圭吾とは」や「小山田圭吾 評判」などのワードググる

これで間違いなく過去イジメ問題は目につくはずであり、そのことを武藤氏に進言すべきだったのではないか

イジメ問題」はネット大炎上間違いなしの事案であり、さらに「障害者問題」はパラリンピックにとってどう考えても相応しくない。

このあたりの勘どころというか、ネット作法というか、民間企業だったら基本中の基本なのに、公的なチームにはわかってない人多いよなぁ、という印象。

2021-07-17

anond:20210717131958

ラストエンペラー戦メリは俺でも知ってるが小山田何とかは知らない

いまWikipedia見てみたけどやっぱり知らない

市川崑のこと誤解してた

子供の頃や若い頃は、金田一映画グロテスク死体の描かれ方を見て本格派だと思っていたけど、

あれってむしろ、虚仮威しの子供騙しに過ぎない過剰演出なんだろうなと今は思う。

女王蜂で何の必然性も無い義足の子供を出したりとかさ。

Wikipedia監督作品を振り返ってみたが、基調としては明らかに色物監督だよ。

イメージに騙されては駄目だ。

2021-07-15

フェミニスト原則女性の権利言及していない

「[『フェミニスト原則』は女性の権利言及していない」という意見TwitterやToggeterで見かけた。

全ての人に普遍的権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。

フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。

Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感TwitterTogetter活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。

ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。

日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません

~~呼びかけ団体がLGBTQI関連団体ばかりでは?

そりゃそうでしょう。LGBTQIにも女性はいるのだから

まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。

「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明肯定していないと思う。

それはホモセクシャルヘテロセクシャルトランスジェンダーシスジェンダーもみんな同じだ。

~~「家父長制の権力と闘い、それを解体しなければならない」とは?

この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。

宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダー性別構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャル男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。

その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全社会参画を奪ってきたものではないか

女性から低賃金仕事を割り当てられたり、結婚出産時に転職退職を迫られたり、男性支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。

~~「ジェンダー性別セクシュアリティ経験には均質性などなく」とは?

序文最後の方に「​私たちフェミニズムは、ジェンダー性別セクシュアリティ経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベル差別や抑圧、特権経験していると認識することからまれる力を確認します。」とある

まり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。

例をあげると、母親に比べて父親子ども保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。

男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだから父親育児参加を妨げていると、結果的女性の不利にもなると思う。

母親ばかりが子どものために仕事休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。

実際のところジェンダーだけでなく地域人種階級信仰経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベル差別や抑圧、特権経験」をすることになるのだと思う。

単純化してしまってごめんなさい。

あと「私たちフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別経験するとは限らないということも言っていると思う。

SNS上だと全ての女性痴漢被害経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。

しかし、同じ経験をしていなくても共通目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。

~~「仕事としてのセックスワーク」を容認して良いのか?

経済的困窮や社会の混乱によって女性セックスワークに就かなければいけないのは私も反対。

ましてやセックスワークをする女性妊娠性病暴力などのリスクさらされるのは論外。

ただ、心身の安全保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。

それはセックスワークも同じだ。

~~「自分の法的なジェンダー自己決定できる自由」がなぜ必要なのか?

ジェンダー自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。

誰かの自由を認めることで他の誰かの権利安全が脅かされてはならない。

そもそもの話、性自認私利私欲のために簡単に変えられるものではない。

覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。

自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。

~~「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はフェミニズム無関係なのでは?

宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーインターセックスの人に対する手術について言及している。

女性の権利向上を目的としたフェミニズムには無関係に見える。

ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダー女性にも起こりうる。

女性器切除(FGM)」というものアフリカなどの一部地域で行われている。

女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会

女性器切除 - Wikipedia

「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思いますWikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。

日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピル承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。

他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性同意できるはずだ。

~~「フェミニスト権力分析は、バイナリーを超えたもの」にして良いのか?

第八項のこの部分はまるでフェミニスト女性を見捨てたように感じる。

女性女性の権利のために始めたフェミニズム男性セクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。

この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。

女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。

それらの意見女性という存在理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見ライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。

からこそフェミニスト一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。

その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。

~~最後

フェミニズム活動が「家父長制の権力」の解体目標とする限り、シスジェンダー女性以外のLGBTQIも活動恩恵が得られることは必然だ。

目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。

それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。

フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要宣言になるはずだ。

最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます

アニソンコメが伸びてたシティポップって

個人的には7thコードを多用したオサレな曲ドルテンポで落ち着いててリバーブは深めってイメージだったんだけど

集合知たるwikipedia記載ですら

洋楽特にアメリカ音楽)の日本独自アレンジという側面を持つが、決まったスタイルサウンドは無く、「明確な定義は無い」「定義曖昧」「ジャンルよりもムードを指す」とされることもある。

すんげーふわふわしてるのな…


例えばフュージョンってシティポップなんだろうか。

NHKアニメモンタナ・ジョーンズ挿入歌 おかえりなさい

https://www.youtube.com/watch?v=p43O5MWAfaU

17歳井上喜久子さんが30歳の時に出した曲。

2021-07-14

読者の98%は寄付をしてくださらず、見て見ぬふりをします。

Wikipedia寄付した?

日本インターネットコミュニティの盛衰について

以下は完全な主観と狭い範囲経験談産物であり、つまりver.0なので、追加・異論反論大歓迎

皆でこのリストの完成度を高めませんか

◆成長期

note

◆成長著しかったけど失敗に終わった

マストドン

クラブハウス

◆今が全盛期

Youtube

Twitter

tiktok

◆全盛期は過ぎた感

Instagram

東方

◆まだまだ(独自路線で)頑張ってる

・なろう系

ニコニコ動画

 日本独自インターネット文化を地で行ってる

ニコニコ大百科

pixiv百科事典

爆サイ

 民度の低さがよく指摘されるけど、似たような立ち位置のまちBBS駆逐したのではないか

・アンサイとか、ジョーク系○○ペディア

食べログ

教えて君サイトYahoo知恵遅れ、Quaraなど)

ヤフオク

・(民度の低さがよくジョークネタにされる)メルカリ

ヤフコメ

落ち目

Facebook

ニコ生

◆衰退著しい

・5ch(旧2ch

はてな村

 先週くらいのはてなランキング記事に詳しい

個人ブログ

個人サイト

◆固定ユーザーは多いが、風前の灯火ではないか

ふたばちゃんねる

スラド

◆(ほぼ)絶滅

テキストサイト

雑文サイト

旧2ch以外の掲示板サイト

 megabbsとかthebbsかいちごbbsとか、もう誰も覚えていないだろう

mixi

 日本では元祖SNSだったのにどうしてこうなった

 (多分会社が存続できてるのはパズドラだかモンストだかのおかげ)

 あとバトンリレーとか、もう誰も覚えてないだろ

 (これは当時友達がおらず、誰からバトンが回ってこなかった逆恨みである

モバゲー

前略プロフ

位置けが変わった

Wikipedia

 創設当初は、網羅性は低いけど面白い雑学が多かった

 最近は、網羅性とか信頼性は高くなったけど内容はつまらなくなった

 (要出典厨とか大言壮語厨、テメーだよテメー)

チェコ民族意識社会主義ブルマー

序文

あれだけブルマーについて調べたのだから、しばらくはブルマーに対する知的関心も収まるだろう。そう思ってはいものの、何となくツイッターブルマー検索したときに、ヨーロッパ女の子ブルマー姿を目撃し、疑問が再発した(画像はこちらフェチの人のアカウントにつき注意)。結局、東欧ブルマーの普及っていつからだったんだ?

以前の調査でも、チェコポーランドにもブルマー存在していることまでは調べたが、言語の壁もあり画像検索にとどまっていた。ならば、まとまった時間が取れたことだし、しっかり調べてみるべきではないだろうか。元々チェコ文化には文学音楽を通してなじみがあることだし。ドヴォルザークいいよね。

調査方法

チェコ体操着事情

社会主義政権下では、制服を着て体育の授業に出るのが義務であった。

体操服としての制服は、第一共和国時代(1918-1938)にはすでに一部の学校やソコル(後述)で必要とされていたが、社会主義時代になって初めて一斉に普及し、広く統一されたものとなった。

男子は白いタンクトップに赤い短パン女子は短い袖に青いスエットパンツだった。この強制され対象階級のない社会主義未来象徴だった。これは1965年チェコの3回目のSpartakiada(東側体育祭、後述)のためにデザインされ、70年代から80年代にかけてが最盛期であった。1985年のSpartakiadaではチェコ国旗三色再現するため、赤いブルマも導入されたようだ(ここは誤訳かもしれない)。

女子の短パンはお尻の周りゴワゴワとまとわりつき、ウエストは高く、太ももにはゴムが入っていた。ブルマーによく似ているが、体育の授業のたびに太ももに跡がつくくらいきつかったという。

ちなみに、この時代運動靴は後に普段使われたり、バレーダンサーがはくようになったりしたそうだ。のちに、ポーランドなどに輸出もされたらしい。

Jednotný cvičební úbor: noční můra děvčat za socialismu - ExtraStory

https://www.abczech.cz/Jednotny-cvicebni-ubor-P7035300.html

ソコル

プラハで創設された民族的体育運動協会。現チェコ国民性形成重要役割を果たしたと言われる。元々はハプスブルク家から独立を目指す意図を持っていた。

ソコル設立の動きは他のスラヴ系民族にも波及し、1908年スラヴ・ソコル連盟設立された。チェコ以外にもスラヴ諸国連盟が加入し、1912年にはプラハで全スラヴ・ソコル祭典が開催される。1926年には180,000の観客を収容可能マスゲームの上演のためのGreat Strahov Stadiumが完成。

大戦間にソコルはより発展するが、ソビエト連邦では活動禁止された。ナチス下では解散させられるが、戦後協会は再建される。しかし、共産党政権下では東欧諸国のソコルは事実上活動禁止され、協会国外活動継続した。1948年プラハで開催されたソコル祭典の集団演技には98,000人の学童と273,000の会員が参加し、2週間にわたって行われた大会の中で共産主義政権への反発が露にされた。

チェコスロバキアではソコルの活動が停止した後、社会主義的な演出を施した「Spartakiada」というマスゲームを中心とした体育大会1955年から5年ごとに行われるようになった(後述)。

なお、もともとは同じユニフォームの着用、マスゲームの参加は過去には民族主義による開放感をもたらしていたが、関心が多様化した社会ではそれらの行為は拘束として受け止められているそうである。現に、上から国民教育しようとしたこ運動はあまり成果が出ず、徐々に管理主義的になっていったという。民族自由を求める戦いも、完全にクリーンというわけでもないらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%AB_(%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)

Spartakiadaとは

ソビエト連邦スポンサーになったスポーツ大会であるソビエト連邦はもともとオリンピックに対抗し、これを補完しようとしていた。国際Spartakiadaは1928年から1937年に5度開催されたが、のちにこれは東側ブロックの国ごとのイベントになった。名前スパルタクスから来ており、プロレタリア国際主義象徴する。貴族的・資本主義的な(古代オリンピックとの対比になっている。

その後、チェコでは大規模場マスゲームを指す言葉にも転用された。これは先述のGreat Strahov Stadiumで5年に一度開かれた。規模は非常に大きく、1960年は75万人が国中から参加し、200万人がイベントを目にしている。

1955年から5年ごとに開かれたが、1970年プラハの春で中止、1990年ビロード革命で中断され、小規模な形で再開した。

1994年以降ソコル祭典は6年ごとに開かれているが、祭典のマスゲームパレードに参加する会員の多くは過去のソコルに馴染みが深い高齢者で占められているらしい。

Spartakiad - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Spartakiad_(Czechoslovakia):title]

結論

今後の研究


今後も調査継続したい。

2021-07-13

なぜサウザン・ドレッシングは「サウザン」なのか

サウザン・ドレッシングとは、マヨネーズベースビネガーケチャップなどを加え、みじん切りにしたピクルス玉ねぎを混ぜこんだドレッシングのことを言う。

正式名称は「サウザンド・アイランドドレッシングである

英語ではThousand Island Dressingと書く。

Thousand Islandとは、アメリカカナダ国境にあるオンタリオ湖と、そこから流れ出すセントローレンス川のあわいに浮かぶ「サウザンド諸島」のことである

このドレッシングがなぜ「サウザンド諸島」の名を冠するのかについては、日本では「ドレッシングに浮かぶピクルスがサウザンド諸島のようだから」と説明されることもあるが、Wikipediaでは普通に「サウザンド諸島で生まれドレッシングから」と説明されている。

前者の説は、英語圏ではまったく見かけないので、おそらくキユーピーが広めたガセだろう。

さて、「Thousand」のカナ表記は、通常なら「サウザンド」である

にもかかわらず、なぜ日本では「サウザン・ドレッシング」という表記が定着したのだろうか。

疑問に思った増田は、いつものようにGoogle Booksへと飛んだ。

軽く検索してみたところ、古くは1952年「American Cooking in Japan」でサウザン・ドレッシングが紹介されていた。

この本は、日本駐留している米軍兵士の妻が、日本人の家政婦にアメリカ料理を教えるための本だったらしい。

American Cooking in Japan - Elizabeth B. Patterson - Google ブックス

同じく1952年の「七輪で出来るアメリカ料理」という書籍も出てくる。

この本はロングセラーだったようで1970年に第23刷を数えていたという。

七輪で出來るアメリカ料理 - George E. Engler - Google ブックス

こうした英語日本語を対訳した料理本によって、サウザン・ドレッシング戦後日本に知られていったことは、まず間違いないだろう。

ただし、この時点ではまだ「サウザンド・アイランドドレッシング」と表記されていた。

では「サウザンド」が「サウザン」と表記されたのはいつ頃なのか。

まず、キユーピーが「サウザンアイランドドレッシング」を最初に発売したのは1963年のようだ。

ドレッシング・サラダの歴史 | キユーピー ドレッシング

ただし、この写真を見るかぎり、ラベルにはThousand Island Dressingと書かれているだけで、それを「サウザン」と読ませていたかはわからない。

商品名は「キユーピーアイランド」だったらしい。

「サウザン」表記確認できるかぎり最も古いのは1973年のキユーピードレッシングの広告で、右下のほうに書かれているのを見つけることができる。

他社ではライオン1973年ごろに「サウザンアイランド」のドレッシングを発売していたようだ。

マコーミッククリーミードレッシング(イタリアンフレンチサウザンアイランド)

1979年ごろに発売されたネスレマギークリームドレッシングもこう謳っていた。

おなじみのフレーバーフレンチをはじめ、スパイスのきいたイタリアンピクルス甘味いかしたサウザンアイランドの、 3 つのおいしさがそろっています

ちなみに同時期のカゴメは「サウザンド・ドレッシング」派だったようだ。

たとえばスパゲッティピザなどのナポリタンソース、濃厚なサラダソースのサウザンドドレッシング。そのほか、トマトソースフレンチドレッシングケチャップを加えてトマトドレッシング

サラダ文化ドレッシング文化日本に広まったのが1970年代であり、それに乗って大手企業ドレッシングバリエーションを拡充していくなかで、「サウザン」という表記が広まっていった、ということが言えると思う。

では「なぜ各企業がサウザンドをサウザンと表記したのか」について検討したい。

まず思いつくのは、当時はまだ「Thousand」のカナ表記として「サウザンド」が定着しておらず、語末の子音が抜けて「サウザン」と表記されることもあった、という可能性だ。

しかGoogle Booksで戦前書籍などを検索してみると、「Thousand」のカナ表記は当たり前のように「サウザンド」で定着しているし、「サウザン」と書けば「Southern」、すなわち「南部」を指すことが圧倒的に多かったようだ。

となると、さすがに1970年代にもなって「Thousand」を「サウザン」と表記することは無いと思われる。

次に「サウザンド・アイランド(千の島)」を「サウザン・アイランド(南の島)」と勘違いした可能性が思いつく。

が、サウザン・ドレッシング最初に出したキユーピーは、ラベルに「Thousand Island Dressing」と表記していたので違うだろう。

そうすると、単なる「略称であるとか、「語呂の良さ」を重視したものなのではないか

特にキユーピーが「サウザン」と表記していたのは普通に略称だろうと思う(ちなみに現在商品では「1000アイランド」と表記されている)。

キユーピー最初に「サウザン」として売り出して知名度を高めたので、他社もそれに合わせて「サウザン・アイランド」だとか言い始めたのではないか

また、カゴメ表記していたような「サウザンドドレッシング」では「ド」が重なってしまうので、「ド」がひとつ無くなって「サウザンドレッシング」になったということもあるかもしれない。

からは以上だ。

誰かキユーピー(@kewpie_official)に真相を訊いてきてくれ。

追記

anond:20210714062246

1960年朝日新聞縮刷版に「サウザンアイランド(ピンク色のドレッシングの作り方」とあるように見える。

これは私も調査の初期に見つけて、一時は「朝日新聞黒幕説」も考えたのだが、そのときは「70年代に用例が増えたこと」のほうを重視して除外したのだった。

しかし、ひと晩ぐっすり眠って整理された脳であらためて確認してみると、この1960年朝日新聞記事は、おぼろげながらキユーピーとの関係示唆しているように思える。

朝日新聞縮刷版 - Google ブックス

サウザンアイランド(ピンク色のドレッシングの作り方アメリカ代表的ドレッシングでローンのある地名を取った名で、ピンク色のドレッシングの中の、色玉子)を島にたとえたもの

そう、キユーピーがしきりに主張している「ドレッシングに浮かぶ具材をサウザンド諸島見立てた」という説が、既にここで出てきているのだ。

ドレッシングなどに関するQ&A|よくお寄せいただくご質問|お客様相談室|キユーピー

細かく刻んだピクルスが、ドレッシングの中に「1000の島が浮かんでいる」ように見えることから、この名前が付いたようです。

キユーピー社員なりが1960年のこの記事を読んでサウザン・ドレッシングを知り、自社で製品化したのが1963年の「キユーピーアイランド」だった、という可能性は充分にありうるのではないか

これもやはりキユーピー(@kewpie_official)に訊ねてみたいところである

あとはこの朝日新聞の実際の紙面も確認してみたいが…。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん