はてなキーワード: TVとは
家族でTV見てるときにFGOの水着のCM流れたときの気まずさったらない。毎度出てくんなボケーーーーーと念じている
俺はFGOが好き。エロ水着も好き。アルトリアたんのレーズンを永遠にペロペロしたい。だが表に出てきてほしくない。その点ディズニーは安心だ。誰と一緒にいても気まずくないし。まさにポリコレ。
断トツ一番好き。イントロがかかると「えっ…なに?」と言ってTV画面をみて、銭湯のシーンになると踊り出し、湯船のシーンに入ると「服は脱いで下さ〜い」と突っ込む。TVで川谷氏が映ると「お風呂屋さんのお兄さんだ」と言う。
同じく殿堂入りレベルで好き。車でも部屋でも、この曲を流すと「サカナクションだー!」といって踊り出す。
「しちごさん(椎名林檎さんのこと)の猫ちゃんみせて」と言われたらこれ。猫が可愛らしくてハマった模様。
・「私以外私じゃないの」ゲスの極み乙女。
これで娘は川谷氏推しとなった。ピンクベースの衣装が良かったものと思われる。
娘がMV観るようになったきっかけの曲。Fire stick買ってからアンパンのおもちゃ動画ばっかり見るんで試しにみせたらえらい喜んでくれて、そっからリコメンドを繰り返しお気に入りが増えていった。
ドラえもんがきっかけだったんで、アニメ関連のとか全編アニメの曲が良いのかと思いきやそうでもない様子で、娘なりに好みがある模様(Perfumeの未来のミュージアムとかドラえもんテイストだけど全然ハマらなかった)。
他に彼女が気に入りそうな曲があったら教えて欲しい。
俺はゲイなんだ。初恋の相手は男だったし、今まで生きてきて男としかセックスしたことがない。
でも最近、もしかしたら俺は生まれつきのゲイではなかったのかも知れないと思い始めた。
少し長くなるかも知れないが、読んで、そして率直な感想でも良いからコメントをくれれば嬉しい。
俺が初めて男とセックスしたのは10歳の小学校4年生の時だった。
相手はサッカークラブのコーチだった。当時の俺はすごくサッカーに熱中していて、クラブの時間も、放課後も休日もサッカーをしてない時間はないくらいだった。
当時俺に指導してくれていたサッカークラブのコーチは熱心な人で、厳しい部分もあったが基本的には生徒思いのコーチだったと思う。
そんなコーチと初めて性的な接触をしたきっかけは、俺が休日にもサッカーをしている話をしたことだった。
「そんなにサッカーが上手くなりたいなら、俺が時間がある時なら休みの日でも練習を見てやる!」
コーチの住んでいるアパートは、俺の実家からそう離れておらず、休日の練習場所にしようと約束した公園もアパートと実家の中継地点にあった。
しばらくの間、休日にサッカーの練習を付き合ってもらっていると、ある日コーチが「今日は練習疲れたろ?俺の部屋近いから休んで行けよ」と言ってくれた。
俺は当時、特に考えもなく「ありがとうございます!」とふたつ返事でコーチについて行ったと思う。
コーチの部屋は物が多いのか少し散らかっていた。コーチが部屋で飲み物の準備をしてくれているのを待つ間、ぼーっと部屋を見回していた時に、ある物が目に飛び込んできた。
エロ本だった。コーチは一人暮らしだからか、エロ本が隠すことなく部屋の隅に積まれていた。
エロ本、当時の俺はサッカーと同じくらいエロいことに興味があった。中学生の兄がいたので、兄の部屋に忍び込んでは押し入れに隠してあるエロ本を読んでいた。
当然、俺は興味があるそのエロ本を「読んでみたい…」と凝視していたと思う。
飲み物の準備を終えて持ってきたコーチはジュース片手に「何だ、興味あるのか?」と笑っていた。
俺がエロ本の表紙を凝視しているのが視線で丸わかりだったのだろう。
俺は「あります」と照れ笑いしながら答えた。するとコーチは「良いぞ」と言いながらエロ本を持ってきてくれた。
俺は「エロ本は大人しか読めないのに、読ませてくれて良いのかな」なんてことは全く考えず、ここでも「やった!」とか単純に喜んでいたと思う。
しばらくコーチと一緒にエロ本を読んでいると、「その年でもうエロいことに興味あるんか?」と肩や腕を撫でてきた。
コーチはわりと練習の時から頭を撫でてくれたり足や背中を摩ってくれたりしていたので特に違和感はなかった。
いや、今思い返すと本当は「いつもより多いかな?」という疑問があったかも知れないが、それでもいつもしていることだった。
俺は当時、友達と性的な話をしたこともないし、兄の様子やTVなどの情報を見るにそういう行為を表立って話すのは恥ずかしいことだというのは認識していた。
だからコーチに聞かれた時も「僕の年齢でエッチなことに興味を抱くのは恥ずかしいのかな」と思った。
コーチの問いかけに対して肯定で答えるのも物凄く恥ずかしそうにしていたのだと思う。
コーチは「照れることない。お前くらいの年齢からちょうどエッチなことに興味が湧き始めるもんなんだ」と笑いながら教えてくれた。
その言葉に俺は安心した記憶がある。この頃はまだ陰毛も生えていなかったが二次性徴期が始まる頃に、
同級生より性の話に恥ずかしさが少なかったのはこの時期の経験があるからかも知れない。
性への関心からセックスの話をコーチに振ったのは俺からだったと思う。コーチは笑いながら「あるぞー」と答えてくれた。
俺はセックスってどんな感じなんだろうとずっと疑問だったからコーチに「エッチって気持ちいいの?」と質問した。
エロ本にはセックスはとても気持ちの良いものだと書いてあったからだ。
コーチは「気持ちいいぞ。みんな大好きなんだ。でも周りにそういう話をしたりしない。みんな秘密にしてることだけど。」と
俺は納得していた。セックスの話をしてる人なんて見たことないが、でも隠して独占したいくらい楽しいことなんだと。
そう思っていると、するするとコーチの手が履いていたハーフパンツの隙間から俺の太腿を触っていた。俺は少し、いやかなりびっくりした。
「こういう風に触り合うと気持ちいいんだ、気持ちいいか?」とコーチは言った。
ここまで書いていて俺は思った、俺は当時コーチと初めて性的な接触をした時のことは今でも鮮明に覚えているし、初めてコーチとアナルセックスした時のことも鮮明に覚えているし、
小学校卒業とともにサッカークラブを辞めてコーチと会わなくなるまでの間にしていたセックスの内容も、全部ではないが印象に残っている経験は覚えている。
その仔細をこの文体で描いていると創作エロ小説を書いている様な気分になるし、読んでいる人は「嘘柱 誇張しのぶ ホラの呼吸乙、釣られねーよクソ腐女子w」と思って俺が思ったことを真剣には聞いてくれないだろうと思ったので割愛することにする。増田は追記ができるので反応次第では追記するかも知れないが、俺の経験したエロ話は今回要点ではない。
俺が思ったことは、俺は当時、確かに性に対する好奇心は抱いていたが、勃起や精通もしたことがなかったし(俺が明確に勃起と精通を体験したのは小5だ)、男女への恋愛感情も抱いたことがなかった(初恋は中学校で知り合った同級生男子でコーチではない)。
俺は小学校の時男性コーチとセックスをしなければ、あるいは普通に女性を好きになり恋をして結婚。子供を作っていたのだろうか。幼少期のこの性的な経験が指向をねじ曲げてしまったんじゃないのか。あの経験がなければゲイにならずにノンケとして生きていたのではないかと思うことがある。
実際、Google検索すると、幼少期の性的トラウマが云々という話を見かける。しかし、俺はあの時を思い出して感情がフラッシュバックして鬱になり自傷や自殺未遂を繰り返す。ということはしていない。
NHK中学生日記では男子中学生に対する男性臨時コーチからの性的虐待がテーマとして取り上げた回があったが、作中で登場した少年はかなり思い悩み不登校になったりしている。
一方俺は、コーチとのセックスは当時かなり楽しんで行なっていた様に記憶している。でなければ、何年もの間セックスをし続けることはなかったと思う。
それはつまりあの経験はトラウマにはなっていない=あの経験と俺の性的指向は関係していないということなのだろうか。
覆水盆に返らず。当時の経験をなかったことにした現在というものは存在しないが、もしそのIFがあったら、俺はどんな今を送っているのだろう。そう思うときはわりと頻繁にある。
【終わりに】
俺はコーチと肉体関係を持った後、もう関係がなくなった現在でも、自分のこの経験を友人や知人、親兄弟に話したことはない。
それは単純に性的なことをベラベラと他人に話すものではないという思いとそれが男同士ならなお他人に言って良いことではない。
という認識が小学生だった当時から、今でも自分の固定観念の中に根付いているからだ。
俺が子供の頃は、同性愛というのはTV番組で笑いのネタにされたり、気持ちの悪い可笑しいことだとして扱われる風潮がまだ残っていた。
今でもそうだが、オネェタレントはTVではキワモノ枠で、決して美化されたり憧れられる存在ではない。
つまり、ゲイはゲイというだけでバカにされていじられる存在だと子供ながらに認識していて、そして自分はバカにされて
「ホモだ!気持ちわるい!」と周りから拒絶されるのが怖かったのだ。いや、大人になった今でも、実はそれがとても怖い。
コーチは結局、俺が高校生ぐらいの時、同じ様に自室にサッカークラブの生徒を連れ込みセックスをしていたことがバレて逮捕されていた。
(しかも複数人だ。当時から実は俺以外にも別の相手がいたのだろうか。)
当時、近隣住民や同卒の友人たちはその噂で持ちきりだった。「俺、あいつに体触られたことあるぜ」とか「俺、あいつの家に来ないかって誘われた」とか
その話の内容は、性犯罪の被害に会う危ない目にあったというより「ホモ、気持ちわりー」という嘲笑の内容が多分に含んでいたと思う。
それもあって、関連の話で盛り上がっている友人を何人か見たが、俺はなるべく話に関わらない様にしていた。
また、俺は被害を訴えようと思わなかった、それはやっぱりコーチへの憎しみ(さほどなかったが)よりも、その経験がバレたことで周りから拒絶されることが怖かったからだ。
歌手のディナーショーとかもTVのバラエティとかも言ってみれば雑談ゲーム歌じゃん
そもそもエンタメってものがそういうもんじゃない?Vにできないのは大道芸やら手品やらとロケくらい?いや野良猫はロケしてたな。他にもあるとは思うけど
生主やVが今までのエンタメと違うのはコミュニケーションがとれる(可能性が高い)点
で、生主とVが違うのは設定の有無
女の声だろうが男の子ですって言ってりゃその設定を遵守しないといけない
生主の女が男の格好して男の子ですって言い張っても無理があるわけじゃん
それはもうLGBTQの人でガチの男でずっと通すのは無理があるじゃん。配慮すんのめんどいからこう書くけど
性別違うくらいならまだよくて、吸血鬼とか悪魔とか種族違うやつとかはまた別の制約がある
その制約の中でどうふるまうかというRPを俺は見てる
悪魔の男の子なのに生理がつらいみたいな話は許されないわけだ、何言ってもいい生主と違って
悪魔の男の子なのに優しい一面を見せたらリスナーにいじられるわけだ。そのコミュニケーションは生主にはない
確かにV全体を見ると設定は今軽んじられてる傾向にあるけどね
TVのコメンテーターも、報道陣も、何故か追求しないので一応書いておく。
これは、20年前からで行政のスリム化を続けてきたわけだが、維新もエンドレスに公務員を減らす方向にやってたせいで、いざというときの備えがガタガタだった。
②そして、医療を切りまくっていた。
無駄なものとして排除しまくってきた。病院機能も弱り果てていたところにコロナである。
病床を作ったと言っても運用する人員がおらず、他県から貸してもらうという情けない有様。
③自粛を真っ先に解除した。
大阪の専門家会議はK値とかいうトンデモを引っさげて、なにもしないでも収まると主張。
7月には100人を超えると言っていた西浦教授の予測がズバリ当たる。K値はドハズレしてるが、未だにK値を使う専門家は元気である。
PCRを全国民にやればすぐにも経済が動かせるとトンデモコメンテーターが毎日叫んでいた。
経済を動かせ動かせと連呼して、それに政府も引っ張られた。あそこであと2週間歌舞伎町を集中的に締め潰す自粛を続けていたら、恐らく違う結果になっていただろう。
⑤ワクチンがすぐできると誤解
当時、大阪ワクチンが、7月にワクチンができて、9月に臨床実験、12月に供給が開始とか言ってた。
8月にニュースで画期的な治療法というから、「マジでできたのか?」と喜んだら、イソジンが効くと大真面目にいい出した。
洛山戦は…もうちょっとなんとかならんかったんか。
ゾーンに入りまくることで何とかする話だった。
まあ、瞑想に習熟しきった人間と同じだと考えれば、ああやってスルっとゾーンに入れるもんなのかもね。
それにしたって赤司は尋常でなく強いのに…到底勝てるとは思えなかったけども。
誠凛に勝たすのね。うーん。
というわけで、もう見るものが無いのでエウレカセブンの映画(ポケットが虹でいっぱい)を見る。
思い切りが良くていいぞ。
こっちの方が全然良い。
まだ見てる途中だが、どういう終わり方にするか期待している。
ここ数日、はてな匿名ダイアリーで、都会から田舎へ引っ越してだるーんな人の記事が話題になっておりましたので、ここで一つ自分の話をしようと思いました。
私はまず埼玉の、池袋や新宿まで自宅から1時間くらいのところに産まれ20才で家を出て、東京23区内に10年、多摩地区に2年、そして鹿児島のとある離島に嫁いで12年になります。
何で離島まで行ったかと言えば、色々事情が重なり、夫婦共々義実家にお世話になる以外選択肢がなかったからなので、行きたい嫌だ以前に、行かざるを得ません、という感覚ですね。
で、特徴を箇条書きしてみます。
1.一軒家かつ隣が遠いので、騒音を気にせず音を出せる。
これは住んでみると案外大きかったです。
声量や足音を気にしないで行動できますし、いつでも音楽を流せます。
コーポやマンションはそうもいかないと思いますが、大体見知った仲の人たちがぐちゃっと住んでいるらしく、お互い様感覚だとか。
2.買い物する場所がない
私は車の免許を持っていないので(取ったら人を死なせるか自分が死ぬかのチキンレース)、徒歩で買い物に行きますが、10分圏内だと個人商店が2軒だけで、20分で薬局兼雑貨屋、といったところです。
肉や魚は冷凍、他の食品も高いので、夫が休みの時に車で15分くらいのスーパーに買い出しに行きます。
私の住んでいる場所から20〜30分のところに島で一番栄えてる港がありますが、そこもスーパーが3軒、ホムセンが1軒、あとは個人の専門商店が多いです。
何でか知りませんが肉屋が多くて、関東よりお肉がおいしいです。
ただ、通販の著しい発達で欲しいものは大体Amazonや楽天で揃います。
ウィンドウショッピングや、書店やレコード屋がないためジャケ買いができないのはキツいです。
3:都会を一番感じるのはコンビニ
3軒あるなら別々にして欲しいですが事情があるので仕方ありません。
この島で流行の最先端や都会の匂いを嗅ぎたければコンビニが手っ取り早いです。
品物の入れ替わりが頻繁ですし、流行しているものを多く取り入れてますから。
島には書店がないので、雑誌や流行しているマンガの単行本などは本来の発売日より3日遅れで棚に並びます。
流石に鬼滅の刃は置いてありませんでしたが、予約取り寄せはしてくれるようです。
4.娯楽施設がない。
大きな公園・遊園地・動物園水族館博物館美術館・映画館・ゲームセンター・ショッピングモール、全滅です。
あと、男性の一部にとってはつらいかもですが、キャバクラと風俗がありません。
鹿児島と我が島に予算や力が無いのと、風営法が絡んでそのような状態になっています。
我が家はインドア派なので、休日はTV・PC・スマホ・ゲーム機がフル稼働していますが、正直なところこの環境で他の家庭が休日に何をしているのかさっぱりわかりません。
いや本当に何してるんだろう?
なんか、山林はたくさんあります。
ただ、本州ではみたことのない樹木や植物がワサワサしていて、それらは常緑樹?みたいで、紅葉や落葉をしません。生体よく分からない。
また、夏場はハブがでるので草深いところに行くのは厳禁です。噛まれたら死にます。保育園の避難訓練に「ハブ」がある程度には頻繁に出ます。
農作物に関してはサトウキビ畑がうわーっと広がっていて、その間に個人所有の畜牛の牛舎があって、秋になると空き地が耕されジャガイモを植えます。
その年によって台風や気候がかなり違うので、取れ高やキロあたりの価格も相当違いますが、島で農業をしている人はそこらへん余り気にしていないようです。
高く売れたらヤッホー!安い時はショボーン、みたいな。
まあ皆さん元々がいいかg…おおらかなので、そこも大雑把でやってるようです。
7.帰省が難しい
イマドキの増田さんなら、こんなところで生きたく無い育ちたく無いと感じる方も多いでしょう。
もう子どもの頃からネットに触れて、全国、特に大都市圏の事情を知っている人がここにきたら、出生・移住ガチャで大失敗をした、と感じるはずです。
ただ、私としては、ネットがあるから隣の芝生がエメラルドグリーンに見えちゃうし、ネットがあるからこんな僻地でも生きていける、という二律背反はひしひし感じます。
嫁いでから島に友人知人が全くできなくとも寂しく無いのは、リアルタイムで住まいがどこであろうと友人達にアクセスできるからですし。
いや、人として1人くらいリア友いるべきなんでしょうけど。
長々と書いてしまいましたが、何というか、暮らしに飽きたりモノがないことにブーブー文句言いながらも、割と快適に生きてはいるよ、という感じです。
住めば都、とは申しませんが、まあ都会の方が圧倒的に楽しいのはそうですけど、楽しいばかりが生活でもないので。
何か尻切れ蜻蛉ですが、これにて。
自分も新幹線のぞみが止まる都市育ちで、20代前半で田舎に配属されてしばらくは辛かったな~1年働いてクルマ買って、3年ぐらいで慣れた。深夜思いつきでドライブして、500円のものを買うのに片道80kmのドライブもラジオや音楽を聞く時間として楽しめた。ちょうどガソリンが激安の時期だったし(リッター85円とか)
10年後に落ち着いたころに、こんどは東京飛ばされて、しばらくは辛かったな~。クルマは持っていったが、使い所が難しい。それでも10年居たら徒歩も電車も自転車も電車も東京でのクルマ活用も慣れた。今では首都高もほとんど迷わない。たぶんだいたいの東京生まれの奴より東京の道には詳しくなった。
仕事帰りにアングラな劇団やアングラなトークライブとかを楽しめるのは東京ならではだな。TVやメディアの中の人にも目の前で会えるしメディアには乗らないディープな話も聞ける。思いつきでフラフラできるのは東京の良さ。首都高は深夜走れば300円の夜景ドライブコースだしな。
んで、また飛ばされたわけだが、故郷を離れた頃は故郷が、田舎を離れた頃は田舎が、東京を離れた頃は東京が懐かしかった。どこも行った最初は辛かったのな。不思議なもんだ。たぶん次もそんな感じで馴染むんだろう。
初博多ということで中洲の風俗を楽しんだり、十数年ぶりの下関でふぐを食べつつ風俗にも行った
中洲で相手してもらった嬢は大分の系列店で人が増えすぎてフルタイムで働けなくなったので
博多でやってみると言われて来たとのこと
下関であたったデリヘル嬢(普段はソープ嬢)は普段から色んな場所で働いていて今は下関
12月から武雄温泉でソープで年始まで連続でとか言っててすげえなあと思った
下関から帰るときに朝一で行ったソープ嬢は系列店の案内で和歌山から下関に来てるとのこと
でみんな拠点としての賃貸は持っており、仕事はビジネスホテルで連泊して稼いでいるとか聞いて
俺的は賃貸解約しちゃってアドレスホッパーで良くねって思っちゃった
女性の荷物も機能性衣類で固めれば冬でも40Lキャリーで済みそうな気がしている
持ち運びを多くしたいなら80Lもあれば殆ど賄えると思った
40Lならメジャーなら機内持ち込みできるがLCCだときついかな
80Lまでとしたのは東海道・山陽・九州新幹線の荷物持込ルールのbaggage160を兼ねている
参考: baggage160~東海道・山陽・九州新幹線の荷物持込ルール~
https://twitter.com/baggage160
家賃払ってそのためにTVや冷蔵庫買うために借金してとか聞いていて
iPad Airとスマホでなんとか出来ないかなあとか思っちゃうのは環境の違いかな
衣装はとか言われるけどそこにビジネスチャンスありそうだなって思って今調べまくってる
キャバクラじゃない限り衣装はなんとかなりそうな気もしてるけどね
ただ洗濯がネックなんだよね まあ使い捨てで言いやってってのもありかな
そこら編の調査が足りんわな
とりあえず今回のGTTでビジネスネタを見つけつつ抜きも出来てよかった
風俗嬢向けのアドレスホッパーサイト or アプリ作成がとりあえず来年の目標
以前TVアニメが放送されていたのが2019年の4月から9月の事らしいので、丁度1年以上遅れて好きになった訳だ。
放送当時も一応見ていたけれど、「ああ、空の境界やFateのufotableが好きそうな作風だな」と思ったくらいでその頃はそこまで興味が無かった。
鼓の屋敷から伊之助登場あたりで顕著になったと思うけど、話の進みがそこまで早くないのだ。
OPでは初めから鬼殺隊の主要メンバーが登場しているのに、1クールが終わってようやく伊之助が仲間になるかならないか…くらいのペースに、やきもきさせられた。
2クール目の終盤など、鬼殺隊本部に連行された炭治郎と禰豆子が傷を癒し新たな任務に向かうまでの話に4話以上使うのだから堪らない。
古き良きジャンプアニメといえばそうだけど、例えばufotableが以前製作したTVアニメ版のFate/ZeroやFate/stay nightなら2クールもあれば話は終わっている。
アニメ鬼滅の刃の続編が劇場で公開される事は放送が終わってすぐに公表されていたと思うけど、この「続きは劇場で!」というやり方も正直嫌ではあった。
ジャンプ作品の長編アニメーション映画は本編と時系列上は関係ない番外編をやるもの、という意識が僕にはあったからだ。例外は殆ど無いと思う。
その結果はご存知の通り、現在公開中の「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は日本映画史の記録に残る歴代興行収入2位という凄まじい成果を叩き出した。間違っていたのは僕の方だった。
鬼滅の刃はアニメの放送終了後、女性ファンを中心に人気が爆発し流行した事が話題になった。
去年の終わりかそれとも今年の初めの方だったか、30~40代の女性に高い人気を得た作品としてTVでも取り上げられる事が多くなった。
2019年の年末に紅白でLiSAが主題歌の「紅蓮華」を熱唱した事でアニメや漫画には興味の無かった人達にも曲は有名になったんじゃないだろうか。
この作品が、ニュースで取り上げられた時のように女性層だけでなく、老若男女関係なく幅広い層に支持されるようになったのはいつからだろうか?
特にアニメをプッシュしている訳でも無いスーパーマーケットやドラッグストアー・コンビニエンスストアに、鬼滅の刃とコラボした各社の商品が並ぶようになった。
「ああ、この作品は本当に人気があるんだなぁ」と自分の身で実感出来た時、僕は鬼滅の刃の事が好きになっていた。
土曜プレミアムで放送された総集編の「兄妹の絆」と「那田蜘蛛山編」を見たのが決定的だったかもしれない。約1年振りに見る鬼滅の刃だった。
本放送時は話の進みがゆったりしていた事に不満があったけど、総集編で一気に見るとそこが解消されて良い部分しか残らないのだ。
放送終了後に人気が爆発したというのも、動画配信サイトで全25話を一気に見れる事と関係があったのだろうか?とにかく、まとめて見ると鬼滅の刃の面白さがとても理解しやすかった。
僕は鬼滅の刃のキャラクターの中でも主人公・竈門炭治郎とヒロイン・竈門禰豆子の二人が特に好きだ。
人食い鬼に家を襲撃され一人の妹を除いて母親と他の兄弟を皆殺しにされた長男と、鬼に襲われた際に自らも人食い鬼へと変えられてしまった長女。この二人が鬼滅の刃という作品の主役である。
炭治郎はこのたった一人の妹を守るために戦う。これまで争いとは無縁だっただろう少年が、鬼になった妹を守るために鬼狩りを生業としている凄腕の剣士に一本の斧で立ち向かった。
禰豆子は人食い鬼に変えられても、兄を食らいたくないと涙を流した。鬼になったばかりで重度の飢餓状態でありながら兄を食らう事より兄を鬼狩りの剣士から守るために戦う事を選んだ。
鬼狩りの剣士は、この二人は今まで見てきた鬼とその被害者とは何かが違うと感じ、この兄妹に行く道を示した。鬼になった人間を元に戻す方法を探すため、炭治郎と禰豆子は二人で孤独な旅に出る。
鬼滅の刃1話の大まかな流れはこんな感じだろうか。人を食らう怪物となった妹をそれでも守ろうとする兄と、人を食らう怪物になってもそれでも兄を守ろうとする妹。実に心に響く関係性だと思う。
この兄妹が仲睦まじく一緒に居る所を見るだけで、何だか嬉しくなってくる。現在発売されている鬼滅の刃のコラボ商品も大体この二人がセットになっているので、そこも嬉しい。
原作者の吾峠呼世晴先生やufotableのアニメーターさんが描き下ろしたこの二人の公式絵も、非常に華があると感じる。兄妹として二人一組として生み出されたキャラなので、並ぶと絵になるのも自然なのかもしれない。
タイトルには「カップリングが好きだ」と書いたが、僕は本当に炭治郎と禰豆子にカップルになってほしいとまでは思わない。元増田が言及しているように、直接的な描写が無いが禰豆子は公式には善逸と結ばれたと言われている。
もっとも、直接的な描写が無いので、善逸は禰豆子に振られてその子孫同士がくっついたのではないか?と言っている人も居る。禰豆子は鬼殺隊の風柱・不死川実弥と結ばれたのではないか?と考察している人も居る。
僕としては、禰豆子が鬼と知りながらも人間の女の子と変わらぬように接し続けた善逸の好意が禰豆子に通じてこの二人が結ばれたなら喜ばしい事だ、と思う。
一人で鬼になった妹を背負って戦い続けてきた炭治郎の優しさと頑張りに真っ先に気付いて、炭治郎の大切な物が鬼だと知りながらも命懸けで守った善逸だから、炭治郎からの評価が初期から極めて高いのも納得行く。
それはともかく僕は炭治郎と禰豆子がカップルのようになっている二次創作も好きである。前言と矛盾するようではあるけど、要はこの二人が仲睦まじければそれが良いと思っている。
禰豆子が作品のヒロインでありながら妹であるのは、主人公である兄・炭治郎と絶対恋仲にならない関係だから、という考察を聞いた事がある。
確かに禰豆子には少年漫画のファンによく居る熱狂的なヒロインアンチはどちらかといえば少なく、むしろマスコット的なキャラクターとして女性ファンからも高い人気がある。
そんな炭治郎と禰豆子がカップルになるなど原作無視も良い所ではないか!と思わなくもない。別にカップルでなくてもこの二人が兄弟として家族として仲睦まじいだけでも僕としてはある程度満足出来る。
ところで、鬼滅の刃の二次創作において最も勢いがあるキャラクターのカップリングは、鬼殺隊の水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶの二人組だと僕は感じている。BL界隈の事については詳しくないので失礼する。
しのぶさんが原作に初登場した時からこの二人は一緒に行動していた。意見の対立から二人で刃を交えたり、体を絡ませるような事もあった。アニメではしのぶさんが冨岡さんに「月が綺麗ですね」と語りかける場面もあった。
口下手であり人付き合いの上手くない冨岡さんを、何かと世話焼きなしのぶさんが構ってあげている…という関係性であり、しのぶさんはよく冨岡さんを指で突いたり二人きりになると彼を下の名前で呼ぶなど意外な一面もあった。
こうやって見ると、なるほど、確かにこの二人は親密な間柄で実は恋人同士なのではないか?と思う人が少なからず居る事も分からなくはない。冨岡さんがしのぶさん以外の同僚と壁があるのも理由の一つだと思う。
美男美女であるこの二人は、並んで立つととにかく絵になる。鬼滅の刃が何かの商品がコラボした時もいつも二人で一セットという扱いである。容姿を見ると確かにお似合いだと思う。
しかしこの水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶのカップリング、所謂「ぎゆしの」は公式設定という訳ではない。初登場時二人一緒に行動していた事以外、それ以降この二人が本編で絡む事は殆ど無かったのだ。
鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴先生はキャラクター同士の好意や恋愛関係を描くのは好きな漫画家さんだと思う。その吾峠先生がこの二人の恋愛関係を描かなかったという事は…原作でこの二人は脈が無かったのでないだろうか。
勿論公式であろうとなかろうと、二次創作を楽しむのはファンの自由である。今日も鬼滅の刃のファンはぎゆしののイラストや漫画を描き小説を書く事だろう。それだけ「ぎゆしの」に心を惹かれたファンは多い。
炭治郎と禰豆子のカップリング、所謂「炭ねず」も非公式である。こちらは鬼滅の刃の二次創作のカップリングとしてはマイナーではあるけど、見たところ熱心に愛好するファンはぽつぽつ居るように感じられる。
こちらは原作ではお互いが違う相手と結ばれたので公式になる可能性は100%無い。まあ兄妹でくっつくのはインモラルだし仕方ない事だと思う。二人とも誰とも結婚せず山奥で静かに暮らす、という展開なら無くもないだろうけど。
そういう僕からすると、禰豆子が善逸と一緒になり炭治郎から離れていくという公式の展開は少し寂しくはある。勿論禰豆子と善逸が幸せならそれに越した事は無いと思う。
炭治郎は鬼になった禰豆子を人間に戻すために、禰豆子が人間としての幸せを掴めるようにと命を懸けて戦い抜いた。その禰豆子が一人の人間としてこれから逞しく生きていくなら、炭治郎は誰よりも喜ぶだろう。
「鬼滅の刃」は炭治郎と禰豆子の兄妹の話から始まり、炭治郎と禰豆子の兄妹の話として終わった。誰にも引き裂けない強い絆を持つ二人が、「結婚」というゴールを機に自然と離れていく事に、少し物悲しさを感じた。
素晴らしい小説が書けているのだから、寧ろ、もうしばらく二足の草鞋を履いてもよくね?
とか自分なら思うんだろうけど、
スパッとこれまでの人生を捨てるぐらい小説家へ進路を切り替えたイメージがある
というのは、自分も自分の死期が段々分かるようになってきた気がするからだ
死ぬ前にやっとくべきことをやっておかなければ、という引き算の人生を加速させるべき
そういえば、今はエヴァのデザインで有名になってしまった山下いくと氏だったか、
ガイナックスって言ったら、みんながイメージするガイナックスは王立宇宙軍オネアミスの翼のガイナックスなんだよ!
みたいなことをどこかに書いていた覚えがあるのだけど、
庵野氏とかも言ってたけど、王立宇宙軍は足し算、エヴァンゲリオンは引き算、であって、
老人になったら何だってとにかく引き算して作らないとやっていけない
引き算で作るということは、本当に必要なものは何か、を考えることである
(TVエヴァなら何といっても最初に力を込めたのは1話、2話だと思う。そこから作画レベルも落ちていくが、最初のインパクト、ツカミは大事!
本当に必要なものを徹底的にやったら、あとは手を抜くぐらいでいい
楽器もちゃんと弾こうとするほど肩に力が入り、手が楽器を力強くホールドすることで速いフレーズが弾けなくなる
寧ろ手をブラブラさせること、軽い気持ちで肩の力を抜いて弾くのが大事なんだと思ってる
ちゃんとやるべきことはちゃんとやるけど、あとはいいかげんでやる
それぐらいの心意気でなければ歳は取れないということなのだろう
思いついた順。順番に意味は無い。
・田舎の道路は舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装はコンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。
・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。
・石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭を小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカスの掃除は先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブが石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋に改装されて、学校でニワトリを飼っていた。
・火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。
・掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。
・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。
・洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器や食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。
・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番のおやつだった。
・農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。
・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。
・軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。
・コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。
・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。
・街へ行くたびに、あちこちでボコボコビルが建ち始めていた時代。1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビルが建設されて、日本の街の風景が一変した。
・いまはシャッター街となっている田舎の商店街に、もっとも活気があった時代。
・軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦の特攻隊の訓練生だったとか、広島に原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師がリアルに居た。多くの大人たちが原爆のキノコ雲の目撃者だった。
・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。
・貯金の金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。
・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。
・お豆腐屋さんに毎日お豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。
・主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋。
・生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミの収集車は、不燃ごみの回収が主だった。
・冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。
・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦でセックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。
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・子どもは神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。
・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所が神社の床下だった。
・雨の日はよくトランプしていた気がする。
・こたつのテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。
・蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。
(しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)
・バスには運転手のほかに、切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年代
・国鉄で荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定のタグをつけたりしなくてはならなかった。
・昭和50年代に複数の宅配便会社が競争で一気に普及して、国鉄で荷物を送ることは全くなくなった。
・女子の体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活やマラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。
・ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。
・そんなド田舎でも新聞と牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。
・学校の校舎は当然木造。体育館も木造。今思うと、体育館のような大きな建物が木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。
・バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。
・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。
・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチックや発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年代
・幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞でにっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。
・リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。