はてなキーワード: JOCとは
以下は小山田圭吾さんの辞任騒動をきっかけに、SNSの問題やマスコミの姿勢についての疑問、虐めの本質とは何かを私なりの視点で考えた物です。
本来はTwitterで呟くつもりでしたが、かなりの長文となってしまいましたので、こちらで書く事にしました。
基本私はTwitterであまり呟く事はないのですが、ファンである小山田さんの擁護をきっかけに今回の炎上の渦中に入りました。
そんな私のツイートにリプして来た人の殆どが汚い言葉を使い、怒りの感情をぶつけて来ました。私はそれを〝攻撃〟と呼び、ミュートやブロック等でスルーしましたが、冷静に対話出来ると感じた人とは出来る限りやり取りしていました。
そうしたリプの中に、障害者と直接接触する機会がなかったのか、TVドラマによくある表現に影響されたのか、「障害者は純粋である」とか、障害者はとにかく「被害者となる対象(弱く可哀想な人)だから優しくしろ」と思い込んでる人が多い印象を受けました。「障害者が小山田の音楽を聴く訳がない」と言う人もいました。
しかしそれこそが私は差別的だと常々思っていて、それを今回の辞任騒動で再認識しました。
障害者の中にはして貰って当たり前の態度の人もいれば、席を譲る等の声かけに強く拒む人もいるし、嘘をつく人もいます。多様な人格や価値観があるのは健常者と一緒です。
(その点ではQJを見る限り、小山田さんは障害者である沢田さんを事細かに観察し、〝探究心〟で接しています。先入観なく人を知ろうとする姿勢そのものは、虐めはともかく差別はしていないと思います。)
それを想像せずに叩いて来るのは〝正義感〟ではなく〝傲慢〟であり、自己中心的な価値観の〝押し付け〟でしかありません。
そもそもSNSにおいて、なぜただの擁護者までも攻撃するのでしょう。それはまるで、殺人犯の家族まで同罪のように扱うのと同じ事です。
いえ、元々そう言う思考を持っている人達が攻撃しているのかもしれませんが。
攻撃は問答無用で人を傷付ける事ができます。その武器が言葉なら、傷が目に見えない分だけどこまでも攻撃でき、相手が死のうとする迄のダメージを与えていても気付かないのです。その行為こそが「虐め」そのものなのに。
誰かを虐める理由のひとつとして、相手と同じ立場に立った時の想像力が欠けている〝経験の浅さ〟があると思います。それだけなら大抵は躾や注意で改善されるでしょう。
それが駄目なら実際にその立場に立った時にしか気付けないかもしれません。
他には承認欲求が満たされないストレスがその行為に繋がっていると見られるパターン。
劣等感は内に向く人と外に向く人とがいて、内に向く人は自分に自信がなく自分を責めて病む。外に向くと他人を見下したり攻撃的になりやすく、虐めに発展しやすくなる。
劣等感の元は無意識下にあるので、罪悪感が伴わないのではないでしょうか。
最近になって本当にケアが必要なのは虐める側だと言われていますが、そこに本質があると思います。無意識にストレスが存在したままの人は、今回のような出来事がスイッチとなり、ヒステリーを起こすのでしょう。
虐められる側には理由がなく、仮にあったとしても虐めていい理由にはなりません。だから世間は虐めを許さないと言う。学校や会社と言う限られた世界でそうならば、今回の件は異常なまでの規模での虐めです。
しかも真実の検証も本人の説明の時間もない完全に不利な状況で始まっているのです。
それをマスコミはこのまましれっと終わらせようとしている空気になっていますが、私自身は謝罪しない限り許す気はありません。何が出来る訳でもありませんが。
煽られた攻撃者は個人なので、私が何かを要求する義理はく、真実が世に出た時は黙っていればそれでいいと思っています。ただ、最初に誤情報を拡散した人は別ですが。
ここまでで私が言っている事は虐めを容認している訳ではないと解るはずですが、そうでない人は読解力が足りないと言っておきます。
どんな場合でも相手を理解しようとする姿勢で対話しなければ、お互いの考えや価値観を知る事はできません。その上で解り合えなかったとしても、認め合う事はできます。
いきなり断罪しては真実も何もあったものじゃ無い。まだ「真実」には辿り着いていないのだから。
現時点で検証しているのは擁護側(しかも個人)だけで、本来は攻撃側もしなければなりません。QJ全文を読んだけど印象は変わらなかったと言う人がいますが、それは検証ではなく文字通り〝印象〟で留まっているだけに過ぎません。
しかし、双方が検証をしてもやはりまだ〝検証〟の段階でしかなく、何割が、どこが嘘か真実かは
それら全てが揃って始めて〝真実〟と呼べるのではないでしょうか。
こういう事を書くと「汚名を晴らしたいなら本人が会見すればいいじゃないか」等とよく言われましたが、普通に考えればパラリンピックが終了しないとタイミングとして難しいと思います。
オリンピックは終了したと言っても今回の発端が〝障害者を虐めた〟である以上、パラリンピックではより過敏にならざるを得ず、水を差す事になりますから。
私はまずそこまでは待ちたいと思っています。
会見が行われた場合、雑誌社からの証拠の提出やライター本人の釈明がなければ、小山田さんの発言が全てとなります。
そして世に出た情報が嘘であった場合には、彼がこれまでと同じ活動が行えるようになるレベルでの、マスコミやコメンテーターの謝罪を含まなければ終了にはなりません。
逆に、証拠が全て揃わなければ言い訳としか取らない人がいる事は容易に想像できますが、その場合は雑誌社を追及するのが正しい姿勢です。
会見がなかったなら、被害者とされる人が虐められたと思っていたとしても、謝罪文を出していれば本来は〝社会的〟には終了する話であり、これ以上叩く必要はありません。
本人に謝らなければ意味がないと言うならば、謝罪文には〝本人に連絡を取り直接謝罪したい〟と書いてあります。連絡が取れて受け入れられなかったとしても、後は当事者同士の話であり、外野が口を出す事ではありません。会えなかったとしても同じです。
本人に連絡を取っても傷口を広げるだけだと言う人もいますが、それも当事者の問題です。何故なら
その点について言及する人を少なくとも私は見た事がありません。攻撃者が常に小山田さんが〝許されない〟事を前提で話しているのには疑問が残ります。
また、この件について同じ経験のある人を刺激したという声もありますが、それは小山田さんだけが悪いのでしょうか?
確認しておかなかったJOC、沈黙したままの当の雑誌社、問題になったブログ、検証なく報道したマスコミ、間に受けて拡散・コメントしたタレントや識者、それに煽られた一般人。
無闇に人の目に入るような形にしたのは決して小山田さんだけのせいではありません。その点は責任転嫁ではないかと思っています。
本来マスコミは、検証、取材、時代背景、あらゆる面からひとつの物事を捉えてからでないと報道するべきではありません。憶測がひとり歩きするような今回の事態は普通ならあり得ないのです。エンタメ的な雑誌やワイドショーならともかく、公的なニュースを慎重に考察した上で伝えるはずの新聞や報道番組でさえ、エンタメ化しているようにしか私には見えませんでした。
しかも著名な識者までもが感情的にコメントしていた事には愕然としました。連続殺人事件のような大きな事件ですら、冷静にコメントしているのにです。
国民の半数が反対していた五輪だったからなのか、コロナ禍でのストレスが噴き出したからなのか、とにかくどこでも爆発的に感情が横行していた事に唖然としました。
敢えてTwitterの炎上に飛び込みましたが、その異常さを目の当たりにして、文字にここまでの殺傷能力がある事に恐怖を感じました。
木村花さんの出来事が遠い昔でも無いのに、こんなにも簡単に忘れてしまうのかと。
また内容の是非はともかく、その後に起こったメンタリストのDaiGoさんや、アーティストの大森靖子さんの騒動は、ご本人の口から出た確実な証言です。
それを考えると、小山田さんの場合は本来、ここまでのバッシングを受ける物であったのだろうかと違和感を覚えます。
ここまで書いて、ただの擁護という印象を持たれる方もいるかもしれませんが、一度冷静に考えて欲しいのです。「小山田」と言う主語を、貴方の敬愛する誰かに当て嵌めて。
そしてそれを守る為にその時、自分はどうするべきなのかを〝想像〟してみて下さい。
傷つける人、傷つく人が一人でも減る事を祈って。
JOC経理部部長の自死のニュースをみて初めて増田なるものに投稿してみる。
だが、やはり彼が死んだのは、オリンピックで生まれる金の行き先を知っているがゆえに自殺したのではないだろうか。
この明らかに中止スべき中、人々を死に導いてまで開催されるオリンピック。
きっと表に立たず、この社会のお金を動かしている上流階級のやつらの懐にだろう。
人の死を糧にしてまで金をとりつづける全くの人権を無視したこの行為に僕は苛立ちを超えた何かを感じざるを得ない。
このオリンピックに人の善性ははっきりいってない。
不思議でならない。なんでこんな状況でだれも彼もがオリンピックの中止を口にしてるのに、それを強行するやつらを止めるために動こうとはしない。
おれは動きたい。このクソみたい行為が行われるのをただ見ている自分に嫌になる。
だけど見えないんだよ。
何をするにしても、どこのどいつに働きかければいいのか。
ただ、菅じゃないのだけはわかる。
この金を得るためだけに人々を地獄に落とそうしてる本当の黒幕はどこどいつなんだ?
だれか教えてくれエロい人。
オリンピック期間中ずっとだし今日ホットエントリー入りしてる太田雄貴のツイートへのブコメ見て、もう本当にダメなんだと思った。
アスリート(≠五輪)を批判するときにすぐ予防線として「アスリート無罪」「アスリートだけ特別か」とか言ってる人がいるけど、全く違う。
例えば
id:suzukihanako13 このタイミングでこのツイート出せるあたり、煽りスキルが高く、選民意識丸出しのIOC貴族ルーキーらしい言動かも
id:hatsumoto スポーツひとすじの世間知らずの子が、一躍時の人になって、政治家にも会えて(メダル齧られて)JOC役員や保守議員になれる通行手形かぁ…そのために国民は疫病リスクと借金を負ったの…?
id:sorachino バッハ会長みたいな人だな。五輪の開催強行にまつわる数々の問題をまともに向き合わないまま発される「沢山の人にポジティブなメッセージを」「少しでも社会を元気に」という言葉の、なんて薄っぺらいことか。
どれもズレてる。
まず前提としてオリンピック開催を決定したのは参加するアスリートではないこと。
そして現実としてオリンピックでメダルを取るかどうかで、アスリートとして活動中はもちろん引退後まで含めたトータルの収入が数千万、数億変わってくること。
まさに将来を切り拓くための「手形」であることは揺るぎのない事実だ。
ここだけを切り出して「自分の将来のために国民を犠牲にするのか」とアスリートを責めるがそれがズレてる。
今、自分の収入や将来を豊かにするための教育や試験を受けている人が他にいないとでも?
日々の糧を得るために、通勤や経済活動をしていない人がいないとでも?
アスリートを批判する人間がこのすべてに対して「国民を犠牲にしている」というなら主張の一貫性は保たれるが、果たしてそうなのか?
医者を目指し、学校に通い、試験を受ける医学生を批判してるか?
将来のために大学を目指し、学校や予備校に通い、入試に挑む受験生を批判してるか?
テレワークしてくれない会社に務めていて、生活のために通勤して同僚と接触してる社会人を批判してるか?
アスリートを批判し「人殺しの顔をしろ」と十字架を背負わせるのであれば、彼らにも背負わせろ。
(自分は、為政者を除けばレギュレーションの中で自身の将来のために活動している個人は一切の咎を負うべきではないという立場だ)
不当かつ醜悪なアスリート憎悪の人気ブコメの中に、1件、2件のそれをたしなめるブコメが入ってるのがせめてもの救いだよ。
あまりに醜悪なコメントが多くて辛くなってきたので、最近非表示を活用するようになった。
そうしたら人気ブコメが5件とか4件しか表示されないことが増えてきて、このコミュニティにいる価値があるのかわからなくなってしまった。
東京海上日動がものすごく気持ち悪い新聞広告打ってる。あなたたちは日本の誇りですとか、スポーツの力に感動とか。池江がバーン、勝とうが勝たまいが予め掲載が決まってたんだろうけど、金メダルも何もとってないじゃん…こういう押し付けがましいうんこ広告は出すべきではない👎— 焼きにけば焼きにかないほど焼きにけり (@yakiniku_design) August 9, 2021
何気なく開いた新聞の一面広告。東京海上日動のなんだけど、まあ当然五輪閉幕に合わせての広告な訳だけど、この一部分に私が五輪が嫌いな理由が詰まってる。 pic.twitter.com/lb1abapKnS— 蒼海波 (@sei_gaiha) August 8, 2021
東京2020・JOCコールドパートナー"東京海上日動"の広告よりも、"JKA"の「東京2020オリンピック ご声援ありがとうございました !」の広告のほうが自然に受け入れられた。
別に、オリンピック選手の努力を否定する積りはないけれど。
金権で強行させた IOC に怒りを覚える。 pic.twitter.com/DlFAtGWQdR— 庭のホクシャ (@niwa_hokusya) August 9, 2021
なんか特に聞いた覚えがないんだけど。
「我々が政権をとったらオリンピックを叩き潰すために戦います」
みたいな主張してた政党ってあったっけ?
「他人の立場を考えて。でも俺はお前の立場考えないけど」ってことだからなソレ。
人間のクズじゃん。
俺はもし自分がアスリートだったとしたらやっぱ諦めるのは無理だったと思うな。
その後の人生のことを考えるとワンチャン金メダル取れるなら取っておきたい。
選手登録とかも結構前からなので『コロナが収まって来てるし対策もされてたけどビビって出れなかった』というパターンになる可能性もあるのが特に怖いな。
『出れる試合だったのに自分の政治的主張を優先して出ることを拒否するような選手』ってレッテルを貼られても生きていけるほどに『ネームバリューや社会的立場が太い選手』ってメダリストクラスでもなかなか居ないと思う。
特に日本って金メダル一個取ったらそれでもう食ってけるような社会になってなくて、そのあともチマチマとスポーツ会やメディアに貢献していかないと生涯年収的には全然駄目。
サッカーとかでも選手の年齢の低さを考えるとまだまだ一生分稼ぎ終わってるとは言えない人が多いと思うんだよな。
IOCやJOCとした大会運営組織を中心としたスポーツ界全体を指して「お前らは色んな奴らの犠牲の上に今回の大会を開いた」って言うのは問題ないと思うし、それがそういった運営組織の責任ってもんだと思う。
でも選手にソレを背負わせるのはお門違いでしょ。
親の罪を子供に問うようなもんだと思う。
呪われたオリンピックとも揶揄される東京五輪関係のトラブル・スキャンダルをまとめた
・安倍「アンダーコントロール」
・猪瀬がボストンバッグで辞任
・舛添が公私混同で辞任
・森元女性蔑視発言で辞任「女性がいると理事会の時間がかかる」
・ 池江璃花子 「私は何も変えることができません」 内村航平「選手が何を言おうか世界は変わらない」
・ついでにのぶみも参加辞退
・聖火リレーで芝生が変色
・オリンピック関係者の指示どおりのところに行くようボランティアドライバーに通達、バブルが実質崩壊
・福祉保険局長「いたずらに不安をあおることはしていただきたくない」
・伊藤美誠に妨害ライト、韓国の仕業とネトウヨが大はしゃぎするも結局国内メディアだったことが判明
・ボランティアの弁当をキャンセルせず漫然と発注し13万食の食品ロスが発生
・首相、広島の平和記念式典で読み飛ばし。糊がついてたためと言い訳。
・名古屋市長河村が選手の金メダルをかじる。トヨタに謝罪に行くも門前払い
・マラソン沿道に大量の観客
・パラ選手団長「児童・生徒に観戦してほしい」と千葉知事に申し入れ
・丸川「不要不急の外出であるかどうかは、ご本人が判断すべきもの」
・コロナ禍のさなかにオリンピック委員会の会長を招きパーティ「質問の意図が全く理解できない」
・平井「徹底的に干す」
あと一つは?
つ https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop07/list/detail/1372078_00002.htm
金:500万円 ※2016年リオ大会より、300万円から引上げ
銀:200万円
銅:100万円
金:300万円
銀:200万円
銅:100万円
アメリカ人「ルールが想定していない事態もあるだろう?ルールを守るべきかはケースバイケースで交渉事だ」
少なくとも政府、東京、IOCやJOCなどからのパラリンピック中止の発信はないと思うのに、同組織がパラリンピック中止を考えている前提でコメントして叩いている人たちが大量にいる。
結論から言うと「人里離れた山か無人島で自給自足するしかない」という、よくある話になった。以下東日本基準で検討してみた詳細。
東京ガスがJOCオフィシャルパートナーにいるため、ガスが使えない。これは地味に痛く、ガスコンロ調理が出来ないだけでなく、タクシーが使えない、外食やスーパー銭湯の利用がほぼ不可能などのオプションもついてくる。
NTTがJOCゴールドパートナーにいるため固定電話はNG。携帯電話はドコモ以外なら問題ないと思われたが、KDDIは東京五輪で新規採用された「スポーツクライミング」の日本代表メインスポンサー(チーム名が「team au」)であるためNG。ソフトバンクも野球日本代表にソフトバンク所属選手(柳田など)がいるためNG。つまり携帯電話も全滅だ。
インターネットもNTT、KDDI、ソフトバンクがNGなため回線の選択肢がほとんどない。それ以前にCISCOがスポンサーにいるためネットに繋ぐという行為自体がNGである。
ちなみにインテルもスポンサーのためパソコンほぼ全滅、クラウドサービスほぼ全滅である。
車はまずトヨタがNG。五輪スポンサーからは降りてないからだ。また、日産とホンダもNG。日産は子会社に所属してる選手がサッカー日本代表に居り(前田大然選手)、ホンダも陸上などで選手を輩出しているからだ。日産がアウトなので自動的に三菱自動車もアウトになる。また、野球日本代表にもマツダ傘下(広島カープ)の選手がいるのでマツダもアウト。
電車はオフィシャルスポンサーのJRと東京メトロ、傘下のスカイツリーがスポンサーになっている東武鉄道が使用不可。また、選手村スポンサー(傘下のホテルを提供)である京急、東急、京王もアウト。従って首都圏では流山鉄道とか銚子電鉄くらいしか使えない。
バスは日野自動車がスポンサーにいることと三菱系が先述の理由でアウトなため、大半のバスが使えない。
まず醤油が使えないのが痛すぎる。醤油市場を寡占しているキッコーマンがオフィシャルスポンサーに居るからだ。また明治もスポンサーなので、菓子類の選択肢はかなり狭まる。味の素も使えないので、日々の食事は肉や魚を電子レンジで暖めて塩をかけて食べるという形になるだろう。またガスが使えないため米は炊けないので要注意。
冒頭の通りガスがNGなので通常の風呂には入れない。スーパー銭湯も行けない。どうしても風呂に入りたいなら、自前で薪と風呂釜を調達するしかない。
トイレはTOTOとリクシルがスポンサーにいるため、この二社を避けないといけない。自宅トイレは何とかなるだろうが、外出先ではトイレがほぼ使えない。外でもよおしたら立ちションか野糞するしかないのである。
不可能。ほとんどの会社のパソコンはintel入ってるだろうし、ほぼ全ての会社のLANはCISCOを使っている。つまり会社勤めは無理。インターネットが使えないので在宅勤務も不可である。
電気は使えるがガス利用不可、電車バス移動不可、勤務不可など多々制約があるので意味はなく、結局山か無人島で自給自足するしかない。
はじめに自分の政治スタンスを説明しておくと、非自民党支持者で、また地方住まいかつノーテレビのためオリンピックは可能ならば中止それがダメならばワクチンが行き渡る2022年まで延期というもの。なので、ワニウエイブ氏の記事が仮に彼の note で発表されていたのならば「語調はキツイがこれもまた東京五輪開会式のレビューであるな」と受け取ったと思う。ただそれが政治的中立に見えるゲーム専門メディアに発表されたのがショックだった。
目次
「東京オリンピック開会式への怒りと絶望…ゲームへのリスペクトがない演出とそれをありがたがる人々が許しがたい」 https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
というものだ。自分が最も疑問に思うのがこれは誰に向けて書かれた記事であるのかと言う点だ。はたして Game*Spark の読者に向いて書かれた記事なのか?
自分は、開会式でゲーム音楽使われて喜んだ大衆の大半は、非日常でよく知った音楽が流れてきたから単にアガっただけだと感じている。そこに国家威信の誉もなければ愛国も何もない。そんな気持ちが大半の読者に対して、実際に開会式を見ていない人が「自らの政治スタンスを自覚しろ。楽しむのは現政権を支持するのと同じだぞ」と攻撃的に主張するのはいちゲーム専門メディアとして良いやり方なのか?自分はそうは思わない。
また仮に読者を攻撃するような内容ではなく、あくまでワニウエイブ氏がそう感じているだけであるという内容であったとしても、最終段落の
秋には衆院選がある。もちろん選択は自由だが、老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ
というのはライターの政治性が強すぎて、中立的なゲームメディアを標榜するならば絶対に排除しなければならなかった。この文から始まる段落は「政治家の老人達を落とすために選挙へ行け」という主張になっていると思うが、これまでの前提と合わせると 政治家の老人達=オリンピックに関与する与党政治家 となり、この段落は自民党の政治家を落とすために選挙へ行けという主張になる。重ねて言うが、特定の政党を擁護/批判するようなものを中立的なゲームメディアが載せることは絶対にあってはならないものだ。なぜ政治批判に繋げる?なぜオリンピック組織(IOC、JOC、東京都)批判を超え衆院選という国会の話を持ち出すのか?
めちゃくちゃ些末だけど「『ファイナルファンタジー』や『サガ』シリーズは、“かみ”を殺したり、環境テロリストが主人公だったり、その世界の仕組みそのものを恨むような反権威的なシリーズのはずだ」これ前者のゲーム(FF7)が環境テロリストで後者(サガ1)が神殺しなので、前段と後段がチグハグな説明になっていると思う。
「7月25日掲載のオリンピックに関するコラムにつきまして」 https://www.gamespark.jp/article/2021/07/27/110661.html
二日後に出された編集長の声明は、記事の賛否を受けたものとして完璧な内容に思う。記事を削除したり、チェック不足と言い訳したり、ライターの責任としたりするようなことはしていない。ライターに記事の依頼をしたこと、批判を覚悟して掲載に至ったこと、そしてすべて編集(部|長)の責任であることをはっきりと宣言し、ライターおよびその記事の内容を守ることを表明している。だからこそ自分は「読者を攻撃する文調かつ政治的中立とはとても言えない」コラム記事の掲載を問題ない判断した編集部と編集長に失望を覚えた。なぜならば、このレベルの内容ならば今後も編集部として注釈なく掲載するつもりであることが本声明によって肯定されるからだ。少なくとも自分はそう受け取った。今後、自分は Game*Spark は攻撃的な主張も政治的中立ではない内容も載せるメディアとして見るようになるだろう。
政治的中立性について補足すると、声明では「常に特定の政治思想を背景にしながらコンテンツを制作しているということもありません」とある。自分も直ちに Game*Spark が左や右に偏ったメディアとなるとは考えていない。しかし自分が危惧しているのは、これから Game*Spark に対して「左だから」「右だから」という要らぬ対立軸を立てレッテルを貼る輩が出てくること。ゲーム業界は娯楽をターゲットにしているため政治性から逃れている部分があるのに、なんでこっちから飛び込むのよ…
強調しておきたいのはこれが一概に悪い変化というように考えている訳ではないということ。もしかしたら政治色の強い記事を好む人が多いかもしれないし、政治性を明らかにした記事の方が読み応えがあるものができるかもしれない。ただ自分にとってはそれは not for me だ。
スペースが余ったので自分のゲムスパに対する感想でも。自分にとって Game*Spark/INSIDE は他のメディアがやらないような泥臭い企画をやったりしているけどイマイチ一流になれないゲームメディアというものだった。ただ大手メディアにしては珍しくコメント欄を開放しており、読者との距離が近く独自のコミュニティが形成されているように見えた(某通はコメント欄をすぐに封印したからね…)。今でも続いている「来週はどんなゲームを買うか」等のユーザーアンケートも豊富なところもそれを後押ししていたところがある。あと変な企画もいっぱいあった。「インサイドちゃんのゲーマー相談」とか誰得なものもあった。それから脇が甘くてたびたび炎上・謝罪していたイメージもある(栗本チャレンジとか)。
しかしここ2-3年はライターの独自性を生かした企画が次々にヒットしており、個人的には最大手(F, D, 4)とはまた異なる面白い立ち位置のメディアになっている印象だった。例えばFE風花雪月の「なんでそんなことするんですか?」とか現役パイロットによる Microsoft Flight Simulator の紹介、あつまれどうぶつの森の生物を DPZ でおなじみ平坂さんが紹介する企画など目の付け所が良い企画がいくつも発表されていた。なので編集長が交代し、ライターが生き生きする良い方向に変化しいるなあと感じていたところに今回のこれがあった。
気持ちとしては「たまに通りかかるグラウンドで見かける近所の草野球チームが最近いい感じになってきたけど、急にダーティーなプレイをするようになって驚いたし、今後もそのレベルのプレーをすると聞いて驚いた」に近い。
ここで話したいのは、「オリンピックの開催の是非」になる。
オリンピックの開催の是非に関しては、時期によって異なると考えている。
人命は言わずもがな、政治を誤れば経済が揺るぎ、貧困による死や少子化があるためだ。
これらを前提とさせて欲しい。
1~半年前の決断であれば「延期」がベストであったと思うが、今年の4~5月、つまり2~3ヶ月前になると中止延長が難しくなると考える。
何故なら「開催に向けて対策を万全にする」という感じのことをだいぶ前に言っちゃったからだ。土壇場でここで「できませんでした」は政治的に難しいのは容易に想像できる。
直前すぎるため中止延長を申し出れば「今まで何してたん?」という話ができてしまうからだ。
そしてこの時点で日本という国は現場は頑張っているのにトップが変なところで悠長であったため、ワクチン接種は不十分、JOCの人事はグチャグチャという有様だった。
改めて上記の状況を鑑みてここでの中止延長を考えてみよう。
恥を忍んでという形にはなるが、人命も守れるし、政治的にはちょっと悪いがまあ言い訳は効く。
世界中から謗られたとしても五輪という挽回の場が残されているのだ。
中止は流石に厳しいだろう。人命の面では問題ないが、政治の面であまりにも悪い。
スポンサーとなっている世界的な巨大企業郡への背信行為というのは、資本主義が行き詰まっている今、社会主義でもなければできない。
そして、日本は社会主義国を掲げている国ではないし、できるような資本主義であることが良いが、そのできる資本主義は最近提唱されたばっかりで導入している国はない。
更に挽回の場もない。
つまりできないのだ。
では仕方なくするという形になってしまうのだが、その「するための準備」が全くできていなかったと感じる。
一番の問題はここだ。
つまり、行政、運営側に「ゴールをに対して最善を尽くす」という力が欠けていたのだ。
五輪の開催可否はIOCに一任されているが、彼らの意思を見定めてそれに対して開催するしないなりの対応をするのは日本及びJOCの仕事だ。
あらゆる可能性を想定しすぎ日和見的、かつ楽観的に構えてしまい、結果的に悠長で後手後手の対応になってしまったというのが実際のところだろう。
人命も政治も宙ぶらりんだと言える。
開催セレモニーも、MIKAKO氏が降板してから再構成したのであればかなり綺麗にまとめたなとは思ったが、そんなクソみたいな事情は見る側には関係ない。
JOCはオペレーションの簡略化に気を配るあまり、成果物のクオリティを下げてしまったと感じる。
結論としては、「やるとかやらないとかではなく、ギリギリまで動けなくて何もかもが間に合わなかった。」
だと個人的には感じている。
今回の開催は「やると決めた」ではなく、「なんかやる感じになった」なのだ。
対義語は「やらない」ではなく、「やる、やらない」そのものが真反対の意味になる。
そういう風に感じている。