はてなキーワード: 駄々とは
※注意 死ぬほど長いです。
俺は映画が好きだ。
だけど映画は好きなだけであって、「映画が好きな俺」に特に思い入れはない。ゲームも好きだし、読書も好きだし、美術も好きだしカラオケもバイキングも友達とあてもなく街を歩くのだって同じくらい大好きだ。
映画はその中の一つでしかないけれど、それでもやっぱり好きなもんだから、結果的に多くのものを見てきた。そのくらいだ。
見たい時に見るし、興味がなければ見ない。
見るものを指定されるのが大嫌いなので、「映画が好きならこれだけは見ろ」と言われたらどんなに名作だろうと以降の人生それは絶対に見なくなる。こいつ損な性格してやがる。
だけど、そんな俺でも最近思うことがある。
「邦画と洋画を比べて、邦画は面白くないという意見が多いなあ」ということに。
「邦画は資金がないからなあ」「漫画原作実写はコスプレ感が酷くて」「それに比べてやっぱり洋画はクオリティが高い」なんて言葉を聞いたことはないだろうか。少なくとも俺はめちゃくちゃある。だから筆を取ったわけだし。
特に、つい最近公開された邦画の出来がかなりアレだった故に、再びそんな意見が噴出されていて、俺は「いやいやいや、ちょっと待ってよ!」と思うのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20220206022647
その「思い」を、長くはなるが少し聞いてほしい。
※ここから先の「映画」並びに「邦画」「洋画」は、【大小問わず正規の映画館のスクリーンで放映されたもの】を指し、ソフトのみの販売や配信での公開は含まないが、これは文章の意図をわかりやすくするためであって、他意はありません。
そもそも、海外で作られた映画が日本に入ってくる際、字幕がつけられ吹き替えが行われポスターが刷られてメディアが広告を打つという流れが入る。
多くの人手とお金がかかるが故に、「日本で売れなさそうな映画」はこの時点で脱落する。
よくて規模の小さいスクリーンでの放映。
悪くてソフトのみ。
最悪日本に来ない。
つまり、日本全国のスクリーンで大々的に放映されるような洋画は、そもそも「日本で売れそうだから」放映されているのだ。クソつまんねー洋画は、そもそも日本人の目に触れないのだと俺は思っている。
まとめると、「日本に来る時点で選別されてるだけで、洋画も洋画なりにきっと死ぬほどクソ洋画があると思うよ」、ということだ。
それから、これはちょっと、怒る方も多いとは思うのだが、「漫画原作とする実写版映画における、俳優のコスプレ感」に関しては、同じく漫画原作の実写版映画であるところのマーベルとかDCとかも……その、あんまり変わんないと思うんですよね。もちろん、クオリティは段違いに高いとはいえ。
俳優で売るために顔を出させることの多い邦画と違い、マーベルの方はフルフェイスのヒーローがかなり多いとはいえ、スパイダーマンがマスクをとった時とか、アイアンマンのフェイスシールドが解除された時とか、フィクション感全開のコスチュームからはみ出た生の人間の顔面に、ちょっとも違和感がないとは俺はどうしても思えないんですよね。
しかしそれは、「キャストが外国人だから」という点も強いと思うのだ。「キャストが実力のある有名俳優だから」ではなく。
日本という国にほとんど日本人しかいない中で、スクリーンに映る「外国人」というのはどうしても特別に見えてしまうのではないかな、と。
外国人が外国を舞台に外国語を話しているだけで、日本人にはそこがある程度「見慣れない異世界」イコール「特別なもの」に映ってしまうのでは、と思うのだ。
現に(この「現に」とは俺の実体験なのでこれを読んでいる方には信憑性が無いことはわかっているがそれでも)、俺は以前「シャンチー」というマーベル映画を見た。これは主要キャストをアジア系でまとめていることも特徴の一つだ。つまり、キャストに日本人のような面影がないわけでは無い。
ここは内容や感想を長々話す場では無いので手短にいうが、俺はとても楽しめた。が、違和感がすごかった。
なんで違和感がすごいって、主人公である「シャンチー」がマジで本当にびっくりするぐらい俺の高校の友達に似ているのだ。念のために今ポスターを再確認したけどやっぱり似てる。すげえ似てる。彼女を茶化したら喧嘩になった時のあいつの顔じゃん。あのときはごめん。
俺に人の心とネットリテラシーがなければその友達の顔写真をここに貼り付けてみんなに見てもらいたいくらいマジで似てるのだ。
もしあなたが街中で「シャンチー」のポスターの男性を見かけて声をかけて、「なんでしょう?」と言われたら俺の友達。「what's?」と言われたら緊急来日しているシャンチーだ。俺の友達が「what's?」って言ってるんだったらもうお手上げだ。そのくらい似ている。
「高校卒業してから連絡取り合ってなかったけど、君はそんな壮絶な戦いをしていたのか……言ってくれれば良かったのに」
まさかテン・リングスを巡ってお父さんと壮絶なバトルをしていたとは……。
俺の友人、アベンジャーズだったとは……。
なんの話だっけ。
そう、まとめると、「洋画の良さって外国のものでできてるから特別感が出てるだけってのもあると思うよ」ってことだ。
シャンチーの例にしても、見ている間他のキャストを「あれ?あの芸能人に似てない……?」なんて思った人もいるんじゃ無いだろうか。その「違和感」は洋画にもやっぱり、実はつきまとっているのかもしれないということだ。
さて、ここまでに読んだ人の邦画と洋画への物の見方を同一にしようとするために明らかな「洋画sage」をしてしまったのは申し訳ない。もっとうまい方法はあったと思いしばらく悩んだけど、ちょっと思いつかなかった。正直に謝ります。気分を害した方は本当にごめんなさい。その悪感情に関しては俺の文章力の無さが引き起こしている。
俺があげた要素はそっくりそのまま邦画にも跳ね返っていく。「放映に際して洋画ほど手間がかからないから駄作も市場に流れて目に写る」し、「画面を構成するものに既視感が強いからチープに見える」
俺が言いたいのは、「洋画は洋画ってだけである程度の特別感があるし、面白い洋画が日本に多く入ってくる構造になってるから面白い映画ばっかりに見えるけど、邦画だって捨てたもんじゃ無いんだぞ」ということだ。
「でも、洋画は日本に入ってくるけど、邦画は外国に行ってるという話を聞かない」
という意見もあるかもしれない。だけど俺としては、「邦画に限らず中国製も台湾製もイタリア製もロシア製も、この場合の洋画の生産国であるハリウッドのある国アメリカで大ヒットしたという話を聞いたことがない」と言いたい。
数本くらいあるのかもしれないけど、数本くらいあるというなら邦画だってそうじゃないのか。なんて思うのは少し都合が良すぎるだろうか。
そもそも。
俺は少しみんなに聞きたい。そもそも。
洋画、邦画という括りから始まって、資金が潤沢に注ぎ込まれている映画、たくさん賞を受賞した映画、素晴らしい脚本家が書いた映画、ハリウッドスターが出演している映画……。決め手は色々あるけれど。
俺にとって、これらはただの【保証】でしかなく見える。「ある程度の面白さは保証しますよ」という情報。「これだけお金をかけたんだからある程度は面白いですよ」「みんなが好きって言ったんだからあなたもきっと好きですよ」という。
なんかちょっと、気障ったらしいね、恥ずかしくなってきた。でも俺にとってはマジなんだ。
だけど、俺にとって、俺が面白いと思う映画は「俺が面白いと思った映画」だけなんだ。これ以上でもこれ以下でもないんだ。
熱く燃えたりゲラゲラ笑えたりベソベソ泣けたり、チケットを便所に捨てるほどムカつくクソ映画だったり、ぽかんとするような実験的映画だったとしても、結果俺が面白かったらそれは面白い映画なんだ。
ここに「資金がかかってるから」とか「俳優が豪華だから」とか「賞がどうのこう」「脚本がベラベラ」「撮影の背景がグチャグチャ」「映画史に歴史をモチャモチャ」とかそういうのは関係ない。全く関係ない!まっっっっったく関係ないんだ!
古いとか新しいとか関係ない!
男も女も関係ない!
俺が面白いと思う映画の条件が「俺が面白いと思った映画」である俺が、「面白い映画」に出会う方法はただ一つ!
洋画に関してもそうだ!何日本に来る途中で「日本人に受けなさそうだな〜」とか言って弾いてんだクソ配給が!全部流せ!全部見せろ!受けるか受けないかは俺が判断する!
そもそも言葉の壁が厚くて仕方ねえんだよクソ!吹き替えも字幕も何そこで派閥が生まれてんだよ意味わかんねえ!間に人が入ってる時点で元からニュアンス変わってんだから同じだよ!アンゼたかしか戸田奈津子かの違いだよ!あぁあ〜!またジョークが日本向けに置き換わってやがる〜!!!!!!!!!!!!原語ではなんて言ったんだろう〜!!!!!!!!!!!!(字幕か吹替派かで言ったら、DVDで吹き替え流しながら英語字幕流す派です。それが簡単にできるネトフリ、サンキュ)なんで俺は日本人なんだよ!なんで俺は日本語しかわからねえんだよ!クソが!!!!でも邦画も好きだ!!!!!!!!!!!!愛してる!!!!!!!!Kiss……。
各界から大絶賛を巻き起こしてスタンディングオベーションで歴史を変えた映画がマジでクソつまんなかったことだってあるし、賛否両論で感想は否定一色な映画に痺れるほど感動したことだってある!
2000円を賭けて自分のお眼鏡に合うものを得れるかという大博打!
外れれば2時間と2000円はドブに流れて戻ってこないが、少しでも当たれば楽しい時間が押し寄せてくる!それにもし【大当たり】を引いたら人生が変わる大ギャンブル!脳汁がジャックポットのように溢れ出る!鼻息荒く足速に家まで帰ろうぜ!おいおいどうしたんだい映画館に来るまで嵌めてたイヤホンが今はポケットに入れっぱなしじゃないか!
だから!俺は!映画が!好きなんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
……。
みんなは……違うのかな。
なんか後半すごい熱くなっちゃったけど、まあそうだよね〜……二時間2000円で周りに人がいる中集中してスクリーン見ろ、だもんねえ。短くないし、安くないし、楽じゃない。だからこその「せめて映画は良いものが見たい」という思いの保証となる事前情報は確かに必要だよねえ。
大体俺は趣味の一つとして映画が手近にあるからたくさん見てて、知ってる映画が手広くて分母が多い分、「面白い邦画もあるもん」と駄々をこねてるだけで、映画の出会い方によっては、つまんない邦画を立て続けに引いた人もいるかもね。だったらそういう意見になるのも仕方ないのかも。
だけどやっぱり、冷静になっても俺は思う。
たまにはギャンブルしてみてほしい。
邦画とか洋画とかでも、お金がでも賞がとかでも、ポスターやあらすじや予告でもなんでもいいからちょっとでもあなたのアンテナが動いたら、誰がなんと言おうと、ええい!と二千円を放り込んでみてほしい。
そして、変に斜に構えず、「よっしゃ、この俺を楽しませてくれよなっ!」って席についてほしい。そもそも見る側が楽しもうとしなければ、大体楽しめないから。
騙されたと思って、なんて文句は無責任だから嫌いだし言わないけど、面白そうだと思って見て騙されたと思ったら「騙された!」って怒っていい。「ふざけんな!」って喚いていい。あんまり人を傷つけない範囲で。そこに悪意があったらせっかく感じた感情の説得力がなくなっちゃうので。
少なくとも、見ないくせにアレコレ言う人よりよっぽど真摯だと思う。
超長くなっちゃったけど、そろそろ終わろうと思う。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
スパイダーマンもあとしまつもノイズも真夜中乙女戦争も見たし、次はウエストサイドストーリーと嘘喰いまで待ちかな……。今見たら二月Deemoやるじゃん。超いいじゃん……。
見てえ〜……。
【余談】
個人的に、2021年一番面白かった邦画は「ベイビーわるきゅーれ」、並んで「映画大好きポンポさん」、次点で「キャラクター」「あなたの番です」は意外なくらい面白かった。わざわざ映画のために見たドラマ版あんまり面白くなかったから期待してなかったけど、二時間の尺でシュッとして、それでいて映像のトリックが施されていたのが良かった。多少無理があるとはいえ、死体の死に様が派手なのはGOOD。
洋画で一番面白かったのは「サイコゴアマン」、次点で「フリーガイ」、「トムとジェリー」も面白かった。サイコゴアマンマジでずっと笑ってた。グロは少し苦手だけど、爽快感とチープさで見れた。下二作はエンタメとして良かった。いつ画面を見ても楽しいのは素敵だね。家族で見てもドライブの時のモニターでもおんなじぐらい楽しいと思う。
あー、ヴェノムもよかった。続編やってくんねえかな。あの二人をもっと見たい。
「白蛇:縁起」はどこの映画だ……?中国かな。これも面白かった。シナリオもいいしアクションもいい。ベロベロ泣いた。中国は最近アニメが強い。ちょっと前だけど羅小黒戦記は是非見てほしい。シナリオもいいしアクションもいい。ベロベロ泣いた。なんかなんとかっていう人形劇のアニメもすごいらしいんだよな。忘れたけど探そう。
映画じゃないけどアジア系なら韓国のイカゲームが良かった。ただやっぱり内容が既存の作品に似ているってのもあったし、ラストもやっぱり既視感。独特の味と面白さ、テーマがあっただけに、外側をもう少し捻ってほしかった。ただやっぱりデスゲームものは単純に面白いから続編も期待。
韓国はゾンビものが強いね。新感染よかった。去年の続編は見てないなあ。舞台が変わって少し求めているものとずれてしまった。「新幹線×ゾンビ」ってのに惹かれたので。見たほうがいいかな、見ようかな。
スクリーンではやらなかったけどコロナで配信行きになった「ミッチェル家とマシンの反乱」は人生ベストに入るくらい面白かったな。みんなも見てほしい。見ている人を楽しませようとする意欲がすごくて、その圧に負けて笑っちゃう。愉快な映画。洋アニのクレヨンしんちゃんって感じ。ネトフリ独占だよ。今からでもスクリーンでやらないかな。
「ガンズアキンボ」を見てないじゃないか……クソが……なんでだろう、金なかったのかな。配信あるかな。ダニエルラドクリフのヘンテコ映画、いい加減ちゃんと見たい。スイス・アーミーマンとか。
人生で一番面白いと思った映画は「Too young to die!若くして死ぬ!」というクドカンの映画だったりするあたり、どう言う好みをしているかをわかってほしい。
俺の中で不動の一番。
後は「We are little zombies」は衝撃だったな。これ全てが真新しい映画で最高に面白かった。まさに令和の映画。けど人を選ぶしアマプラの配信は先日終わっちゃった。残念。15回は見れたからいいか。
「地獄でなぜ悪い」もいいよな……。
「初恋」もいい……。
「東京ゴッドファーザーズ」もいい……。
「逆転裁判」かも……
そう、実は俺、実写版「逆転裁判」がかなり好き。原作が好きすぎて見たけど、シナリオを原作の2話と4話に絞ったのは良い判断。確かに演者にコスプレ感はあるけれど、あの映画は「端っこに映るモブ」まで逆裁っぽいトンチキ衣装を着ているので、「こう言う格好が普通なんです」という世界観がちゃんと作られている、作ろうとしているのがGOOD。さらに、「地方裁判所では証拠を移すのはブラウン管のモニターだけど、東京裁判所ではホログラムを使ったメカメカしいモニター」っていう違いがあるのも、世界観に妥協がなくて好印象。原作を再現しているのではなく、映画として面白くなるように解釈を変えているのは、良い。そのくせ「インコに尋問する」とか言うシーンは、リアルで見る Permalink | 記事への反応(11) | 08:39
2022年2月5日22時。某TOHOシネマズ第一スクリーン。
一際広い劇場内に敷き詰められたシートの中心の一席、J-22。
そこに一人の男性が呆けた顔で座っていた。
いや、特徴的なのはその顔だけではない。その両手両足を乱暴に投げ出し、尻は座面からこぼれ落ちそうなほどずり下がり、首は赤子のように垂れ落ちる。だがかろうじて眼球だけは、正面のスクリーンを向いていた。
何を隠そう、俺である。
炎上必至の数々のマナー違反は許して欲しい、レイトショーだからか左右どころかその列には誰もいなかったのだから、誰にも迷惑はかけていないもん、と駄々をこねることも許して欲しい。それになにより、彼は普段はこんなことはしない。映画に限らず定められたマナーを守る善良な一市民なのだから。原因はただ一つ、目の前のスクリーンに映る映像だった。
クソつまんなかった。
本当にクソつまんなかったなあ。
まず、俺は以前、こんな文章を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20220204190811
上の文章をまとめると「この作品はおちゃらけパロディ映画だと嘘をつかない広報をしているため、シンゴジラやパシリムを期待して見に行き、その尺度で批判しているのはおかしいぞ!」と言うものなのだ。別に「みんながクソ映画って言ってるけど、絶対違うよ!」と言ってるわけではない。
あえてハッキリ言うが、映画を観た後でもこの感想は変わらなかった。シンゴジラやパシフィック・リムとはそもそも土俵が違うので、その点で批判するのはやっぱりおかしい。
が。
それはそれとして、明らかにモチーフ、パロディにしている「特撮」と言うものについてのリスペクトが感じられないとは強く思う。
感じられないどころか、コケにしているのでは、とも。
そりゃあ、怒る人もいるだろうな、と。
パシリム二作とシンゴジラと、ゴジラが光線で空を飛ぶシーン、ラドンもそうだそうだと言うシーン、シェーをするシーンだけ知っています。この知識の質で比較して語るのは不可能どころか怒られかねないので、その視点では今回何も言えない。
あ、あとゼンカイジャーの2021年の放送分は見てました。今年に入ってから終わるのが寂しくて見れてない。おわんないでくれ……頼む……。
話を戻して、「そりゃあ不満が噴出するだろうな」と言うところ以外にも俺の目には悪い点がかなり写った。
ただ、俺はこの映画に対して怒りは抱いていない。
先程貼ったリンクからの文章に書いた通り、俺はクソ映画を見るのが好きなためだ。
なので、クソ映画を見るぞと思いながらお金を払ってクソ映画だなあと思いながら見てクソ映画を観たぞと今に至るため、何も裏切られていないからだ。
さて、これから感想の主題、いい点と悪い点に分けて感想を言っていきたいと思う。
・いい点
「倒された怪獣をどうするか?」という点は「なるほど!面白いところに気がついたなあ」と膝を打つものがあった。既出かもしれないがそれは知らん。
・悪い点
要は他全部。
いやー、酷かったな。
セリフで説明しすぎて不自然になってるし、ギャグは好みはあれど全体的に下ネタで塗れていて、しかも俺は下ネタが嫌いなので聞くたびに不愉快な気持ちになった。画面も凡庸すぎて目が滑る。演出に関しても、「映画を良くするため」のものはほぼないようなもの。
挑戦的なことをしろとまでは言わないが、映画として形を作る最低限のものすぎて、きつい。
「今何をしているのか」が全くわからない。
「今は作戦が始まっているのか?」「今ピンチなのか?ひと段落してるのか?」「あいつ結局どうなったんだ?」「今は結局誰が味方で誰が敵なのか?」が、観ていて全くわからない。
例を挙げる。
【怪獣の死体を水で流して海に捨てる】という作戦が始まり、死体は巨大な水流によって流され始める。
↓
しかし、口へと流れ込んだ水が何かがどうにかなって(不明)、なんと腐敗ガスが怪獣の尻から出てしまった!オナラみたいに!
↓
↓
場面転換、主役たちは別の場所にて沈鬱な顔で別のことを話し出す。ここからさらに数分後、次の作戦の話し合いが始まっているのでどうやらアレは失敗扱いらしいとここでようやくわかる。
……ん?え?は?
作戦はどうなったの?成功したの?失敗したの?失敗したなら、なんで失敗したの?
水流によって死体は「動いた」のであれば成功であり、「死体がオナラした」からって失敗にはつながらない。しかもそれをギャグで茶化しているのでシリアスなシーンなのかもわからない。「少し流れたけどオナラが押し戻しちゃった」とかでもない。なにこれ?
これはこのシーンだけではなく、ずーっとこんな感じなのである。
シナリオの整合性が取れていないため理解できない上に、演出も最低限で目を引くところがない。セリフも説明ばっかりでつまらない。ギャグに関してもクドくて下品で不愉快。うんこチンコゲロチンゲセックス……それが一瞬出てきてクスッと笑わせてとっとと引っ込めてくれるならともかく、つまんないくせに場面が変わってもまだ言ってる。
――この映画に「飽きた」。
脳の処理が虚へ向かい、耳は音を聞き流す。
目の役割は「スクリーンを見る」から「光を見つめる」とタスクがぼんやりし始める。
飽きた。
飽きちゃった。
飽きちゃったでヤンス。
これはとんでもないことである。
信じられない。
今でも衝撃を受けている。
少なくとも楽しいエンタメ作品のテイで作られた映画を観ている俺の心境は、「三回サボった大学の講義に参加している時」と全く同じなのだ。講義ならスマホをいじれるだけまだマシだ。スマホいじるなカス学徒!
同じ映画で例えるならば「2001年宇宙の旅」を観てる時とおんなじなのだ。音も場面も数倍賑やかなのに、おんなじぐらい退屈になっちゃった。
画面を見る気が失せ、後どのくらいで終わるのかを気にし始め、普段なら絶対興味ない窓枠の掃除の手順を思い返していた。
そしてやがて、俺が「捕まえたアルセウス、畑作業させたらギャップで可愛い気もするなあ。農作業に従事してたまに顔を見せるとこっちを観てニコッと一鳴きして挨拶するアルセウス……うーん、可愛いかも」とおおよそ1400円払って映画を観ている最中とは思えない、毒にも薬にもならなければ益体もないことを考えていると、ヒロインが叫んだ。ヒロインが叫んだらクライマックスの合図だ。意識が久しぶりに作品に向かう。
山田涼介が光の巨人になって怪獣の死体を抱えて飛んでいき、エンドロール。
俺の意識は再び虚に沈む。「いや、畑仕事はパルキアもいいかもしれない。水タイプだし」
俺はふと、なんで反響に対する文章を書いて、「三木聡が映画作ったんだぞ!」って言ったんだっけなどと考える。
「あ、そうだ。俺俺だ」
かつて「俺俺」と言う映画があった。星野智幸の同タイトルの小説を原作にしたそれを、俺は原作をいたく気に入り、映画の存在を知って借りたのだ。観た記憶はあるけれど、内容が思い出せない。ただ、ハッキリと思い出せるのは「この映画、何やってるのかわかんないし退屈でつまんない」と言う感想のみ。おんなじじゃねえか、なつかしいな、俺はクスリと笑う。この時映画が始まってから初めて笑った。
劇場が、明るくなった。
いやー、クソつまんなかったな。
ただ、多くの人からの批判を見る、「山田涼介が光の巨人になる」については反感はない。
序盤から「デウスエクスマキナ」と言うワードと「主人公の謎」はちゃんと敷かれていたので違和感はないし、過去の特撮物のヒーローを「デウスエクスマキナ」というものと定義した点はなるほどと思った。「最初からそれをやれ」とも実は思わない。「デウスエクスマキナ」は物語が収集つかなくなって初めて登場する物だから。
だけど、俺がこの映画について興味を惹かれた「この死体、どうする?」というテーマにおいて、やれることをやらずに終わらせた。というのはハッキリマイナスだ。
仮にこの映画がシンゴジラだったなら、「ゴジラを倒したけど、行き場を失ったゴジラの内部のエネルギーが爆発するーっ!」というところでデウスエクスマキナが登場するなら、それは好意的に観れる。
けどこの作品は死体のガス抜きをしただけで発動している。死体の処理の完了まではほど遠い。やれることはまだある、もっと散らかせる。ゴジラの例えを使えば在来線爆弾が当たったくらいのところだ。
これは擁護もできないマイナスだ。作り手側の事情を見せられることほど白けることはない。
総評としては、「映画を構成するすべてが下手くそであり、シナリオのテーマを書き切ることもなければ、そもそも意識や目を引くものが出されることなく、途中で飽きた」となる。
ギャグに関してはかなり個人的なものなので分けるが、「面白くないどころか不愉快だった」となる。
これにて、俺の感想は終わりだ。
俺はネットにおける「叩いていいものだから叩く」みたいな風潮が大嫌いなので、今後この映画についてどうこういうことはないと思う。別に怒りを抱いたわけでもないので。
それに関して、少し思うところがある。
実写版デビルマンが現れてから十数年、この作品のタイトルを出して何かを表現することがとても多くなった。
俺としては、それに強い反感を抱いている。
もし、まだお時間があるとするならば、別に投稿したものも読んでほしい。
では。
バイビ〜。
【余談】
なんて可愛いんだガハハと思っていたら、全く同じことをしている人がバズっていた。
クソが……!
リムーブが意図したものでない可能性を考えてリプライしたが無反応だったのでやはり意図してやってるのだろう
まあそれは相手が私に興味無くなったのだしリムーブするのも自由だから良い
しかしその後その人から合同同人誌を発行したいから書いてくれと連絡が来た
単に数合わせの声かけであろう定型文の連絡だがリムーブ後のタイミングでだ
何かの間違いだとスルーしていたら他の複数SNS経由で再度連絡が来たので間違いでは無いと分かった
話を聞いてみるとその人の趣味嗜好に合わせた内容にする事や途中経過など掲載しない事、この話は一切口外しない事などが書かれていて私が寄稿しても誰から喜ばれない事が予想されたのでお断りした
しかしこの件でイライラしてしまってジャンル全体が嫌になってしまった(ミュートはとっくにしている)
ついでにそれをきっかけに皆が自分を無視しているようで(元から気にしてもらう価値など無いのだが)自分と関わる人は可哀想だと思うほど現在進行形で拗らせが酷くなっていったのでtwitterはやめた
私にはこの件を相談できるような友人知人は居ないが私自身この話を聞いたらさっさと断ち切って何か新しく夢中になれるものを見つけるべきと思うだろう
それが拗らせを更に加速させているのだが、中谷美紀がどんなに辛く苦しいことでも文章にすると俯瞰して見れるのか気にならなくなってくると言っていたので増田に吐き出して様子を見たいと思う
だからさぁ、増田にきて「きてほしくな~い」とか匿名の駄々こねて同業者の評判もろとも地に投げ捨てるんじゃなくてさぁ。
他の業界なら「入れ墨入浴おことわり」とか「コンサートの撮影/転売目的購入/危険物の持ち込みは禁止させていただき、発見しだいご退場いただきます」とかなんかあるわけじゃん。
こまる客いるよね。どこにもいるよね。うん知ってる。詳しく説明されるまでもない。
でもさ、実名でブログ書いた弁護士さんは身内を救ってきた信仰だけでなく、「困る」だけで20年間法制化とかなにもしなかった医療にもふりまわされてるわけよ。
一番こまったの弁護士さんじゃん。
なんでそれに対して「来てほしくない」とか砂なげかけれんの。もうそろそろ石投げてるっていってもいいかなとおもったけど医師投げてるwってダジャレじゃねえし。
読解力と判断力も死んでない?元増田の糞医療関係者ってほんとおかしいわ。
まあ自称だから、のんびりブクマ(もともとクソだぞ)までも読んでられるし、医療への評判くっそ悪くしたいただの知ったかぶりと善意でよめなくもないけど、それにしちゃあ細々書きすぎてるよねえ。
こんくらいかけば3文字しか入力できない系増田にもわかるかなぁ、わかんねえだろなぁ。
とか
https://gentosha-go.com/articles/-/25876
1/12(水) 13:09
今年秋に開催される第20回党大会で習近平の三期目が決まるが、建国以来の中国の動きから見れば異例ではなく、むしろ鄧小平個人の指名による江沢民政権と胡錦涛政権だけが異例だった。鄧小平神話が中国の真相を見抜く目を曇らせている。
1949年に中国(中華人民共和国)を誕生させた毛沢東は、事実上、1976年9月に逝去するまで実権を握っていた。途中で国家主席の座から降ろされてしまった時期があったが、それでも中共中央委員会主席(現在の中共中央総書記)と中央軍事委員会主席のポジションだけは維持し続けたので、27年間にわたって実権は毛沢東の手の中にあった。
鄧小平は最終的には1977年7月に開催された第10回党大会三中全会から復権し、職位としては中共中央副主席、国務院常務委員会副総理、中央軍事委員会副主席と、「副」でしかなかったが、1981年中共中央軍事員会主席、83年からは国家中央軍事員会主席になるなどして「軍」だけはトップの職位を要求している。
職位が何であろうと、実権を握っていたのは鄧小平で、鄧小平の一言は「神の声」として恐れられていた。
1994年に健康を害して政治の舞台から退いたが、それまでの17年間は、実際上の実権を握った最高指導者として君臨していた。
恐るべきは、鄧小平の一存で天安門事件後の中国を統率する指導者を江沢民とすると決めてしまい、その期限を10年と定めて、江沢民の次の代の指導者を胡錦涛として決めてしまったことだ。
こうして江沢民政権を基本10年間、胡錦涛政権を基本10年間と、鄧小平の「神の声」が決めてしまったのである。
もっとも、江沢民の場合は、1989年6月4日の天安門事件があったために指名しているので、1992年10月に開催された党大会まで3年間余分に中共中央総書記をしており、国家主席になったのは1993年である。
したがって江沢民は中共中央総書記のポストに「13年間」就いており、国家主席だけ1993年から2003年まで「10年間」就いている。
その意味で、中共中央総書記および国家主席の就任期間「10年間」を正確に守ったのは、中国建国以来、「胡錦涛一人だけ」だったということが言える。
中央軍事委員会に関しても1982年末の憲法改正により国家中央軍事委員会が設立され83年からは「中共中央軍事員会と国家軍事委員会」が一つになり「中央軍事委員会」となったが、江沢民はこの中央軍事委員会主席を1989年(全人代では1990年)から2004年(全人代では2005年)まで「15年間」も務めている。
というのも、中共中央総書記にも中央軍事委員会主席にも任期期間に関する制限がないことを利用して、2002年に胡錦涛が中共中央総書記になったというのに、江沢民は中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に譲らず、「駄々をこねて」降りようとしなかったからだ。
しかし反対者が多く、中共中央委員会では2004年に、全人代では2005年にようやく中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に明け渡したのである。
その意味で、中央軍事委員会主席に関しては、誰一人「10年間」という期限を守っていない。胡錦涛は江沢民が任期内に食い込んできたために、二期で合計「8年間」しか主席でいることができなかった。
その意味では、鄧小平によって指名されるという異様な事態を、「元に戻した」だけであるとも言えよう。
毛沢東の「鶴の一声」が法律となるというほど人治国家であったことは、今さら言うまでもないだろう。
しかし、毛沢東はたった一人の国家主席(劉少奇)を、その座から引きずり下ろすために、わざわざ文化大革命(1966年~1976年)を引き起こすということまでして、引きずり下ろす正当性を求めようとした点は注目すべきだ。
それに比べて鄧小平はどうだろうか?
いったい何名の国家主席あるいは総書記(当時は中共中央委員会主席)を、鄧小平の一存で引きずり降ろしたか、それをしっかり認識している人は少ない。
拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』に書いたように、建国後、鄧小平が、毛沢東生存中は陰謀により、毛沢東死後は一存により、失脚に追い込んだ国家指導層あるいはその予定者は数知れない。その名前と時期を以下に列挙してみよう。
1954年:毛沢東が後継者に考えていた高崗を、事実捏造により自殺に追い込んだ。
1962年:毛沢東が周恩来の後継者として大事にしていた習仲勲を、冤罪により失脚させた(16年間、軟禁・投獄・監視)。
1981年:華国鋒(中共中央主席、軍事委員会主席辞任)を失脚へ追い込んだ。
1981年:華国鋒の代わりに自分の思い通りに動く胡耀邦を中共中央主席に就任させる(但し、1982年9月で中央主席制度を廃止し中共中央総書記制度に)。
1986年:胡耀邦(中共中央総書記)を「気に入らない」として失脚させ、趙紫陽を後任に就ける。
1989年:天安門事件のときの言動が気に入らないとして、趙紫陽(中共中央総書記)を失脚に追い込んだ。
1989年:趙紫陽の代わりに、江沢民を鄧小平の一存で中共中央総書記・中央軍事委員会主席に指名した。
いずれも中共中央委員会常務委員会多数決議決制度がある中での出来事だ。この制度は毛沢東時代からあった。そのような中での鄧小平の独裁ぶりは群を抜いている。
だというのに、鄧小平の老獪(ろうかい)な言動に騙されて鄧小平を神格化した日本政府は、「中国を孤立させてはならない」として天安門事件後の対中経済封鎖を積極的に解除させ、鄧小平を応援して今日の中国経済の繁栄と大国化を招いている。
何度も同じ図を持ち出して申し訳ないが、中国の中央行政省庁の一つである商務部が『中国外資統計公報 2021』というのを出していて、その中に「対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982-2020)」という図がある。
それを日本語に訳して文字調整などをしたのが以下の図表1である。
図表1:対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982年-2020年)
日本が1989年の天安門事件発生後の対中経済封鎖解除に動き、1992年には天皇訪中迄実現させた成果が、赤線で示した中国投資に参入した新規企業者数で如実に表れている(2018年の赤線ピークは香港関連)。
恐るべきは、2017年にはトランプ政権が中国に制裁を加え始め、バイデン政権になってからも、あれだけ対中制裁を叫びながら、何のことはない、投資額は年々増えているではないか。コロナにもめげず増えている。
いや、アメリカや日本はそんなことはしてないはずだと言う人のために、念のために2020年における国・地域別の対中投資企業数と金額を見てみよう。
上記公報にある当該図表を新規企業数の多い順に並び変え、日本語に訳したのが以下の図表2だ。
図表2:対中投資新規企業数と実行額の国・地域別トップ15(2020年)
ご覧の通り、アメリカも日本も、キチンと対中新規投資をし続けているのである。ここでは引用しないが、2019年も同じだ。
これは鄧小平を神格化し、その姿勢で習慣づいてしまった対中投資が、どんなにアメリカが制裁を叫び、日本が「アメリカと一体である」かのごときポーズを取ってみたところで、減少することはないのを如実に示したデータである。
ちなみに、香港マカオは「中華人民共和国特別行政区」なので新規企業数が多いのは仕方ないとしても、あれだけ日米に寄り添おうとしている台湾が、香港に次いで多いことも注目される(台湾に関しては別の機会に論じる)。
◆「習近平三期目は異例」より注目すべきは「鄧小平神話」の罪悪
習近平は三期目以降を目指すため憲法改正まで行っているので、中国流ではあるものの、一応、憲法を重視しているということは言える。逆に憲法を改正するところまで持って行っているので、三期目以降は既定路線と考えていいだろう。
若者をはじめ中国の庶民は、「中華民族の偉大なる復興」を政権スローガンとして経済的にアメリカに追いつこうとしている中国共産党政権を、悪くは思っていない。むしろ「強い中国経済」に自尊心を刺激され愛国主義が行き過ぎて、ネット・ナショナリズムに向けて燃えている若者に習近平は手を焼いているくらいだ。
しかし日本は「習近平、異例の三期目」、「習近平の独裁強化」、「習近平の権力闘争と路線対立」あるいは「中国経済は今度こそ崩壊する」といった類のセンセーショナルな報道に飛びついて「安堵する」傾向にある。
気持ちは分からないではないが、現実とかけ離れた情報に喜び虚実空間に酔いしれている間に、世界の投資先は間断なく中国に向けて注がれており、中国共産党の一党支配体制を強靭にすることに貢献しているのである。
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。
奴らはベクトルの存在しない掛け算に順番を求めてくるから駄目。
順番が大事なのを本気で教えたいなら「お前らが小学生だろうと容赦せんぞ。今日は単位ベクトルの授業じゃ!」をすべき。
それをしないくせに「なんで俺の言うことが分からないんだ?」は完全に無意味。パワハラ。
こういうことをやるやつは「教師は神職なので、教師は生徒に性器を舐めさせても許される。それが神と蟻の関係だから」と言い張る。
つまりやな、お前の言い分に本当に正義があるならそれを証明するために「伝わらないだろうから諦めて駄々をこねる」ではなく「伝えるために自分も血の汗を流す覚悟をする」ことなんだよ。