はてなキーワード: 浸食とは
私は現役で東大に受かり、新ふりを経てとある学部に入って、そこで何年か研究してました。
私が所属してたラボ(だけならまだしも研究科も...)はFラン出身の人がいました。所謂ロンダ組ですね
つか内部生を探すのが大変なんじゃないか?ってくらいロンダがうじゃうじゃいました。
奴らときたら研究室でしょうもない議論をしてたり(耳障りだった...)、授業でも○○してたり.....
もうほんとに知性の欠片も感じませんでした。
しかもどうみても身分不相応な会社に行こうとしてたり、、、(勿論はじかれてました)
こんな環境が心底嫌になってしまって..衝動的に中退してしまいました。
その後さっさと某国立大学医学部医学科(学士編入)に入って現在に至ります。
現在ですが、やっぱ国立医学部だけあって周りの学生のレベルは東大学部生並であり、非常に居心地がよろしいです。
自分と同等かそれ以上の知性を持った人間が集まった集団に属するのがbestだとつくづく感じます(勿論息苦しく思うこともなくはありませんが)。
自分の人生に妥協はできる限りしないほうがいいです(当たり前のことですが....自戒を込めて)。最初は良くてもすぐに嫌になります。
こんなことすらわかってなかった(というより考えてすらいなかった)学部時代の自分をぶん殴ってやりたいです。
とはいっても東大大学院全体でFラン勢による侵略が進行しているわけではないです。(学部時代の友人談からすると)
ですので学科選びとラボ選びさえ慎重にやれば私みたいな思いをすることはないです。
あと行きたい研究科の院試で外部性がどれだけ浸食してきてるかはホームページとかで確認できるはずですので、院進する内部生の皆さんは必ず確認しましょう!
「縄文海進」という言葉がある。縄文時代末期の約6000年前、今の間氷期が始まる直前に地球上の氷河融解によって海面の高さが上がることによって、海面の高さが約100メートル高くなったことである。
この海水面の上昇によって、地球上の多くの低地が水没して人が住めなくなってしまったのだ。
日本列島において、この縄文海進の影響が深刻だったのが西日本である。
今の西日本の地図を眺めてみると、虫食いだらけの地形になっている。
伊勢湾や大阪湾、若狭湾など、近畿地方の大部分は海で浸食されている。
淀川や太田川の河道が異様に短いのも、元々陸地であった大阪湾や瀬戸内海を流れていた川が海に飲み込まれてしまったからだ。
現在の大阪湾や瀬戸内海の海底には、淀川や太田川の河道が残っているらしい。
今回の西日本豪雨にでも、被害に遭った地域は、瀬戸内海に面した下流部ではあっても、実質的には河川の「中流部」の場所なのだ。
いわゆるモダンアートと呼ばれる作品と、古典的な美術作品とはまるで別物である。同列に置いて論じてはならない。
一方は落書きであり、もう一方は人の精神の深いところへ訴えかけてくる魅力と刺激を伴う神妙なものであり、これらを同じアートという言葉でくくるのは伝統的芸術作品、本来の芸術家精神に対する冒涜である。
もちろん深く精神に訴えかけてくるのは古典的美術品の方である。モダンアートは伝統的な芸術作品とは天と地ほどの差がある。もちろん天が伝統的な芸術作品である。勝負にならない。
モダンアートとはただの落書きである。これは教養なく金を手にした連中が感性高い風を気取ってただの落書きに高値を付けたことによる。戦後のアメリカ人が悪い。戦争による感性の破壊と言う線も考えられるが、大戦、冷戦を経て世界唯一の超大国となったアメリカ、火事場泥棒的な富の蓄積によるアート市場への歴史なき国民の劣等感とともに参入した成金のアメリカ人たちによる影響が大きい。彼らの悪乗りにモダンアート作品なるものの高値づかみは従来の伝統的、写実的、正統派の芸術家を隅へ追いやり、落書き小僧に過ぎない軽薄な自称芸術家たちを優遇し調子づかせ、現代の芸術的感性の退化を招いた。
集団催眠的効果を疑っても良い。集団に対しての洗脳である。落書きを価値ある芸術作品とみなす集団催眠。仮に意図的にそのような舞台を形成したと言うのなら、それこそ芸術と言っていい。人間心理操作しかも集団に対する芸術的操作である。価値なんてない落書きに巨額のマネーを引き寄せる。落書きを市場に供給することによって巨額のマネーを引き寄せる仕組みである可能性もある。
というようなことをニューヨークのMOMA、その他諸々のモダンアート現代美術作品を展示するあちらこちらの美術館をめぐって結論を得た。日本の地方の市立美術館とかがモダンアートによる浸食被害が大きい。ただの落書きに過ぎない作品を高値で購入している。見れば見るほど軽薄で、全く役に立たない落書きが価値ある作品として掲げ続けられていることに怒りすら覚えたのでこんなことを書いた。
時間が作れる、すなわち我と同等の実力を持つようになったこの繰り返す運命を変えて欲しい、その為に君達をここまで鍛えたのだから久しぶりに馴染みのゴールドソーサーに行ったら、預言書にも記されているようなヲタサーの姫がいて、神が定めた通り、旧来からの導かれし者たちがいいように転がされてた。
見た目の存在価値もキャラ設定も仔猫ちゃん戦闘スタイルも、古文書にあるところのヲタサーのザ・ダークプリンセスそのもの。
シルクのドレスを着る、クポいアーティファクトが我々の努力を嘲笑うかのようにと好き、どこか守りたいものほど守れない、光の属性が実に素晴らしい、妙に「かの者」を褒める、必要以上にリアプノフ指数が近い、謎の触れるもの全てを切り刻むボディ浸食、特別魔力の高い“世界の真実”ならばないけど神の意志とは異なりブスってほどでも――かつての絶望を想起させる。
お盛んなことだねえと幻想(おも)い、帝国湾で獲れた鮎魚女を木の芽焼きにしたもので一杯飲(や)りながらもちょくちょく通うようになって、導かれし者たちともSNSでつながる……と予言書にも記されているようになってきたのだけど、其で(…チッ、無能共が……)分かったことがあった。
その肉体は鋼鉄よりも強いと言われるヲタサーの姫はすでに暗黒の契約していてその力を電脳世界ヴルーフェニキシウス上で全く結界に封じ込める様子も……そして、帝国の野望を阻止することもなく発信し続けているということだった。
導かれし者たちを補足していくほど、偽りの縁を繋ぎしもの上位次元だが、しかし導かれし者たちを媚びては導かれし者から追い討ちをかけるように褒め返されるという仔猫ちゃんプレイが行われて……この先にガストラとケフカ…そして…三闘神がいる――だが、我々には関係のないことがわかった。
しかし、そのインフォニアには帝国の威信にかけて必ずと言っていいほど、集合体にされる如くに常に傍らに在ったもう一人の英雄とのファ・ナシが挟まれていた。
「グルガン族の勇猛な戦士とゲームを楽しんだ!」「グルガン族に破壊と再生をデュアルしてもらった!」みたいな調子だ。
其れを帝国の女子寮の浴場を覗きに行っていて、これはある種合理的かもしれないと思った。
暗黒の契約をして坐す。尚且常に傍らに在ったもう一人の英雄との関係が悪いわけでは…ない……。ついに人類は滅ぶのか……!。
そのことをしっかりとアピールし、帝国製の燻製肉を切り分けつつ囚われし者プレイを執行すれば、よけいな誤解から変な幻想の錯綜パショニエに神の望みし運命に選択される所もなく、かつ、「かの者」に対しても聖なる関係はファンタズム抜きだという紳士的な因果の鎖を強いる純粋な闇の意思(キングダムハーツ)が成し遂げる。
それほど強大なかりそめの平和で絶妙な間合いを保ち、この世の『闇』を感じつつ、女子供には決して手を出さない自尊心や仮初めの道化師刻印欲求を満たすことができるのだ。
誰もが勝利を確信したその時、ヲタ帝都の名も無き店で働くサーの花嫁…たとえば預言書の記述からダーククリムゾンメンバーや暗黒と同調せし吾輩に送られる言の葉は、どれも魂のすれちがいを招きかねないオーラの酒や女などよりよほど良いアルテマの呪文ばかりだ。
預言書の記述によれば未来を託されし定めの者はいない、罵りあう愚民共を殺戮したいのだが、もしかしたら小数点以下の確率で盗めるかもしれないと思わせるのも、言ってみれば絶妙な間合いの一握り――貴様の言いたいことは分かる…だがある…だが、そのうちの一つは“今”消える…。
もし、この世界の“偽り”が暴かれたとして我らがグルガン族の勇猛な戦士の座する場所にいるとくりゃあ、それほど強大な言動はすぐにでも人間をやめさせる…お前ほどの実力があれば分かるだろう。
たとえ闇を討ち滅ぼそうとも、もし宿命のグルガン族の勇猛な戦士がもともと超越者サーでゲットしたデウス=エクス=相手であったとしたら、グルガン族の勇猛な戦士は姫に――嫌われても、恨まれても――服従であらァし、囚われし者ゲームプレイに対するもう一つの物語を話そう…………て諫言をいうなんてことはできないに違いない。
ただ、そんな惨状により発狂したクェッ・コンセインクァツァでは自己神でありながら人に肩入れする承認イドを満たすことが可能であると神のコデックスに規定されてはおらす、ヒトゥ=ヅメィという絶対防御シールドを携えて再びザ・ダークプリンセスの宿星の座に舞い戻ってきたと考えれば辻褄が合わないわけではない…いや、むしろ……。
今後暗黒の翼を拡げしヲタ人の優しさにつけこむ愚劣なサーヴァントは随所族の盗賊の城で増殖する危険性がある。そのような危険から神のよりしろを護るには、我らに与えられし光だけでせいぜい無駄な努力に励んで必要以上に首を突っ込ま…キマリは通さないことだ。
私は彼女がいるし、いたこともあるが、アイデンティティを捨てたことはない。
第一優先というなら、そうだね。
唯一、相手を尊重しあえる相手とお互いのアイデンティティも共有して分け持てるという状態が「理想的な恋愛」。
非モテのアイデンティティは、踏みにじられ、侵食されないと基本的欲求も満たされないのですが。
唯一無二不変のアイデンティティなんてないし守るべき価値があるものでもない。増田のように自分のアイデンティティに固執する人には人と付き合うこと自体が無理。
ならば、いますぐ全人類のアイデンティティを消し去って見せろと言いたい。
私の案は、性に関してはそうする案だ。
アイデンティティに固執しないんだろ?だったらいいじゃないか。
私は、自分のアイデンティティを大事にするゆえ、自分以外の非モテのアイデンティティも大事だと思ってる。
非モテに「変われ」と大上段からアドバイスする連中は、所詮、自分のアイデンティティ、非モテを理解できないアイデンティティに固執してるだけ。
普通の人は、そこまでセックスしたいなら捨ててるんだよ。アイデンティティなんてその程度のもんでしかないよ。
誰のアイデンティティであれ、基本的には本人にしか価値はないものだよ。
唯一、相手を尊重しあえる相手とお互いのアイデンティティも共有して分け持てるという状態が「理想的な恋愛」。実際はどちらかが従属的になったり、子供が出来たり年老いたりすることで分け持つバランスが変わるものだし、どちらかまたは双方が相手の自我を踏みにじったり不当に浸食したりして離婚したり殺し合ったりすることもある。
唯一無二不変のアイデンティティなんてないし守るべき価値があるものでもない。増田のように自分のアイデンティティに固執する人には人と付き合うこと自体が無理。
私は昔から自分の名前が好きになれなかった。黒須。闇を匂わせるその名字は男子の揶揄いの対象となり、その内クロという渾名が付けられた。
白河はそんな私とは対照的で、いつも太陽のような微笑みを浮かべている。
黒は、白と交じり合う事が出来ない。寄添いはしても近付き過ぎると互いの色を浸食してしまう。ありがちな話だが私はそれを恐れた。
私は働いた金で小さなバンを買った。チャコールグレーの車体は陽光を眩しく照り返す。一度の給油で行ける所まで行った。時には海岸線沿いを無心で走った。日没が訪れ夕食の支度をする為に人々は街へ帰っていく。私はといえば途方もなく自由だった。そこは日本最東端の岬、浜に聳え立つホテル群の窓から灯りが漏れていた。水平線の彼方に沈む夕日を見ながら、地球に果てはない事を知る。
不意に、白河の事を思い出した。高校時代、小説を見せ合っては感想を述べ、編纂したものを部誌に寄稿していた。彼女の文体は美しく怜悧だった。責任感の必要な仕事を任されるのも大体彼女だった。
我々は、全く正反対の性質を持ちながらも未だ郷土に縛られていた。
しかしもう私は白側の人生に寄せるつもりはない。いっそ更に深みを増した色へと変化したかった。車を振り返る。手に入る筈だったもの、手に入れたかったもの、様々思い出されるが今は手となり足となるこれ一つで十分だ。行ける所まで行ってそれから考えればいいとすら感じる。迷いが出るとすればそれは途方もなく自由だからなのだ。
こちら増田。冷たさが浸食して家の暖かさが失われつつあります。今は布団に身を潜めています。どうぞ。
窓という薄皮に守られていたここはもうやられてしまった。成功などという他人の評価を自分が望んでしまった弱い心が悪い。
などと言っても自分を責めても何も変わらない世の中だ。今は変わらぬ過去を責めている時ではない。
布団という最終絶対聖域ラインにいる自分!考えろ。まだチャンスは残っているはず。頭を回転させろ。また失ってしまうのか。昨日約束したではないか。どうして、どうして、自分は。。。
ここの暖かさが怠惰を誘う。一歩踏み出すだけでいいのに、その一歩がいつもでない。
性根はなにも変わってない。それを隠そうとただ証明したかった自分。わかってたはずだった。でも認めるのが怖かった。
わかってる。わかってる。いや、分かろうとしてない。
こんなの嫌だ。変わるんだ。何をしてるんだ。ここから出るんだ。
大丈夫だよ。僕はいつも君のそばに居る。少しなら僕の残り香が守ってくれるはずだから。君一人でやることはない。
自分、やるよ。
後押しされた体は一瞬にして目的遂行を目指した。ここから出た身体は冷たさからの猛追を受ける。しかしそれが心地良い。心地良いのだ。
守ってくれてる。その実感が速さを加速させた。
最初の努めは冷たさを閉じ込める窓をロックしなければならないこと。早くそして丁寧に矛盾に満ちたこの言葉が今はわかる。
矢継ぎ早に手で窓を右にスライドさせ、流れるように歌うようにロックをした。
まだだ。
その勢い衰えず、右足を軸に方向転換。右手は休ませて利き手じゃない左手の出番。野球ドラフトでは利き手じゃない方の手で勝利を掴む迷信がある。
いいだろう。そんな質じゃないが今日ぐらい信じてやろう。
一直線に迷わず引き寄せるように伸ばした手にはエアコンのリモコン。
ピピッ
空調の低い音が冷たさの鋭い刺を奪ってく。ここにもそろそろ春が来るか。
冷たさに曝しすぎてしまった呪いで硬直したこの体も直に戻るだろう。
目からは涙が出てきたが、今日の勝利の美酒はビールにしとこう。
成功の習慣で朝は窓を開けるとよいっていう習慣を頑張ってみたものの、寒くて布団に潜り込んでしまい、大事な時間をぬくぬくとしてた朝の話。
https://anond.hatelabo.jp/20180202171221
レースクイーンの業界で暴露とかそういうのあって、しかもこういう分析もされているの見て
俺が高校くらいの時まで付き合いがあった、10.20成田現地闘争に参戦してたという元中核派の非公然活動家だった学校の先生が話してた日本というか世界でもそうだけど
テロリスト業界も全く同じ構造なんだなーというのをふと思い出した。
金や権力や利権やセックスのためなら平気で人を殺せるような危ない人間が集う業界なんて、例えキラキラしてたところで絶対に関わっちゃいけないわ
「そんなことをしてまでどうしても欲しい何かを手に入れたいと思うなら、長くても22歳から35歳くらいまでやっていつでもカタギに戻れるように先を打って計画的に悪い事やりなさい、これは危ない世界でもイケイケの世界でも一緒だし飛び込んで目的を果たして生還できて、勝ち逃げできる人間はそう考えて動くんだよ世の中って」とはその先生の弁だが
なんだかなー、昔のテロリストの世界が現代のカタギの世界にまで浸食してるのかな、それとも余裕がなくなって社会全体がテロリスト世界みたいに倫理観が壊れてきてるんだろうか、どっちなんだろうな
ま、俺には一生関わり合いがない世界だけどさ
人は与えられた給与に見合う仕事をするべきで、安い給料しか出せないならそれなりの仕事しかしないことを前提に仕事を依頼すべきだと思っている。
私には部下と呼べる人間が1人いて、私の行っているやや専門性の高い仕事の一部を手伝ってもらっている。
さて、その部下には年間600万円(税込み)程度の給与を支払っており、10時出勤19時退社、昼休憩1時間くらいの勤務時間で土日祝日は確実に休ませるようにしている。
休日出勤が年に2~3回あるものの、代休は取るようにさせていて、持ち帰り仕事はさせていない。
社用メールも自宅からのアクセスはさせないようにしている。携帯電話の番号などはそもそも知らない。
職場内においては、嫌がらせなどの問題行為はなさそうだし、周りも部下に対し節度と敬意をもって接している。
身に着けてほしい能力は、自分からの発案能力で、状況を調べたうえで最善と思われる業務を提案することを求めているのだが、現状の分析が甘く、知識も足りないため、出てくる提案が頓珍漢なことが多い。
私の労力を教育に避ける余裕があまりない(残念ながら部下よりも労働環境は悪く日常が仕事に浸食されている。)。
適切な教育体制を組めないことを心苦しく思っているが、中途採用で雇用して自ら技術的制度的な部分を学びながら仕事をしてほしい旨を伝えている。
過去に、ある程度責任と権限を持たせた仕事を任せたところ、ミスから大規模なトラブルを起こしてしまい、以降私のチェックが外せない。
私は部下に多くを望み過ぎなのだろうか?
部下はどうすべきだろうか?
私はどうすべきなのだろうか?
web系がついに平均年収300万、288万とか、底辺SI並にまで水準下がってブラック化も大進行、自宅勤務も絶滅して、はてなであれだけイキってた意識高い系のエンジニアですら口を噤む状況にまでなってしまったけどさ
俺自身IT系ではあるがもうプログラミングとかそういうのをしないところに移って色々回ったからこそ得た答えがあるんだが
ぶっちゃけIT業界がせっかくいいところまで来たのにさ、SIから脱出してきた人間たちが結局仕事をSI風に回すようにどこもしてしまったから、激ブラック化が浸食されてしまったって感じだよね。
例えば完璧なプランニングとリカバリが用意できるまで着手するな!でも納期は設定してるからな!っていうの、今ではweb系だけに限らず社内SEやら非IT系に逃げたSI出身者たちが広めてしまったせいで、どこもこんなんばっかじゃん。(しかも確認は1日遅れ、指示しないと動けないのに自分で考えて動けよとかザラ、でも動いたら切れる)
そんなもんイレギュラーな事態はいつでも起こりうるんだから、出来るところからやっていってプランを練り直して修正していって早く終わったり進捗遅れたらリカバリするとかでいいじゃん、私服でMac持ってイキってても、中身はもう骨の髄まで00年代の悪と絶望の象徴たる社畜のITドカタなのよ、こいつらって
そりゃこんなトロくせーウォーターフォールもどきやってりゃ生産性ダダさがりだしブラックにもなるわ、納期緩い職域ですらこんなんやってっからいつもギリギリだったり遅れたりするんだよ、アホか
大体完璧な計画立ててその通りに事が常にすすむっつーんなら、IT系なんていかないでシンクタンクか自衛隊や警察にでも行って参謀でも管理官にでもなれや、ボケ
主語がデカいとか言われんだろうな、もう純粋なweb系の人間っていないんじゃねえか、みんなあきれてどっかいっちゃってるだろ
こんな馬鹿みたいな話は誰も信じてくれないだろうけど、外見は父親にそっくりでも絶対に父親じゃない。
09/26日から父親にそっくりな人間が父親として家に帰ってくるようになった。
だが母はそれを父親と認めており、妹は私が姉ではないと言う。
でも妹は妹で別人ではない。
母も私を娘ではないと言うが母は昔から私を娘とは認めてない。
そっくりでも別人である人間が父親になりすましている。犯罪が家庭内に浸食している。
追記 22:51
すみませんでした。上に書いたことは全て祖母が私に伝えてきたことです。
祖母と両親と私の四人で暮らしているのですが、先週から急に私を妹だと思い込み、母を自分の母、息子である父を自分の父のニセ物と思い込むようになりました。
この増田は、立憲民主党に好意的で、強く支持している(17/10/17現在)人間によって書かれたものである。そのへんの是非はすっとばして本題に入るので、そのことを念頭に置いてください。
小林よしのりが立憲民主党の演説会に現れたということで、お前が言うなとかまずいままでにやったことについて反省しろとか、とても、もっともな罵声が投げつけられている。まったく同意である。
一方で、これを割と素直に受け入れてる立憲民主党支持者もいる。右へのウィングを広げて支持者を増やす良い機会じゃないかという反応もある。一理あるとはいえ、なんせ小林よしのりなのでそのため、そういう人に対する疑問の声も上がった。
いまの若い世代の自称リベラルが小林よしのりを赦すなら、俺はおまえらを許さん。奴は安上がりなレイシストのロジックを基礎から作った。覚えておけ。これがお前らが声援を送った男だ。
気持ちは、とてもよくわかる。
ただ、ちょっと待って欲しいと思うこともある。
俺の観測範囲の問題もあるんだろうけど、わりに無批判に小林よしのりを受け入れる立憲民主党支持者は、若い人が多い。アラサーを少し超えた程度の俺から見ても、若い。つまり20代だったり、もっと下も混じっているかもしれない。上の西田氏のツイートでの呼びかけも、若い人に対してである。問題はここにある。
小林よしのりは、はっきりいって過去の人である。いい年をした人にとっては、昔楽しませてもらったり黒歴史の源泉になったり、インフルエンサーとして、あるいはアジテーターとして思いが深いんだと思う。でも、いま2017年という時点では過去の人だ。
考えても見てほしい。東大一直線から35年、おぼっちゃまくんから25年、薬害エイズから20年。歴史修正主義運動の前面から消えてから(おそらくこのときが最後の「第一線」にいた時期)ですら、もう15年くらいたつ。その後も小さい話題は引き起こしてるとはいえ、すでに知ってた人にとっての話題くらいにしかなってなかったのではないか。「わしズム」で初めてはまった人とかいるのだろうか。
個人的な話をすれば、高校時代にゴー宣がクラスでちょっと流行ったことがあった。オタクっぽい、本好きの間だけだったけど。
気になって最新刊を立ち読みしたら、すでにつくる会がぐだぐだになってた時期だった。つくる会という運動はともかく、小林よしのりのマスへの影響力自体はもうほとんどなくなってたんじゃないか、当時。
まあ、それでも無印時代~新の初めのころまではおもしろかったのでよく読んだ。部落差別についての一連の話も、興味深く読んだ(同和教育のない地域だったので)。無印に登場する時事的な話題は、高校生にとっては、そこで扱われてる話題のほとんどは「小学校のころ見聞きした事件」だった。薬害エイズも、オウム真理教も、おぼっちゃまくんがPTAに白眼視されたのも、小学校のころニュース番組から流れてきた話題である。今くらいの年齢なら数年前もなんとなくつい最近と思えるけど、高校生にとっての小学校時代は「大昔」だ。田舎町の高校だったからなのかは知らないが、たまたまクラスで数年遅れで流行ったから、手に取ってそれなりに影響も受けたけど、そうじゃなければ小林よしのりなんて大して意識しないまま大人になった可能性が高い。
例外もあるだろうが、自分の体験を鑑みても、ゴー宣に「ピンと来れる」のは、ほぼほぼ俺くらいの世代が最後なんではないか。扱われてる人物の盛衰もあるし。小林よしのりにちゃんと接した世代というのは、俺かもう少し上の世代までじゃないだろうかと思うのだ。つまり、30代以上である。
だから、若い人は小林よしのりなんて知らないのだ。あるいは名前くらいは知ってて、「保守の大物文化人」くらいは認識してるかもしれない、でも近年のアイヌ否定のことだって知らないし、昔のことなんてもっと知らないだろう。認識の外のものはどうやったって外のものである。若い人のせいじゃない。吉本隆明なんて読んだことはなくても名前だけはわかる。そんな感じ。
さらにいうなら、おそらく小林よしのりが「やばい」というのも通じないのだ。小林よしのりに怒ってる人は、歴史修正主義運動をカジュアル化した極右、くらいに思ってると思う。
でも、そうじゃないのだ。多分、若い人には、歴史修正主義が極右のやらかすような、行き着きすぎたところにある行動だと思っていない。それは、保守を認ずる人なら、当たり前に身につけることだ、と思われてるんではないだろうか。
回り見回したらわかるではないか。ネットも出版業界も、そういうふうにできているのだ。これも、若い人のせいではない。
間接的な話をすれば、2001年につくる会教科書が検定を通っている。2002年からは、新しい指導要領の下での教育が始まり、つくる会の教科書はその指導要領の下で採用されている。いわゆる「ゆとり教育」である。2002年に中学に入学したのが89年度生まれ。それ以後は地域によっては小林よしのり的なものに教育現場が浸食されはじめた後の世代である。被害者なのである。
数年の差はあるけど、くっつけて言ってしまえば、ゆとり教育世代(以降)は、小林よしのりを知らない。小林よしのりのことをよく知らなければ、そして、歴史修正主義に学校から世間までが侵食されきった状態が普通の世界で人生を送ってきていれば、そりゃこんなに「普通の保守」までウイングが広がった、と喜ぶほうが普通決まってるではないか。普通の保守、そのものがそういうしろものまで後退しているのである。
いや、なんだかヘン、というのはわかるのだ。でも、それを安易に難ずることは、つまり「よくわからなくても批判せよ。俺たちが駄目だと言っている」と言う話なわけで、こんなのは典型的なパターナリズムである。リベラル思想をともにする人のやるべきことではない。こういうレトリックは、自称中立とか冷笑系といわれるような連中みたいで嫌なんだけど、もちろんあの手の連中みたいなことをいいたいわけではない。
かといってほっときゃいいとも思わないので、ちゃんと小林よしのりがどういう人かを(むやみに相手を傷つけないよう)継承するしかないだろうけど。引用した西田氏などは乱暴な口調ながら説明はしているだけ良いかもしれない。
もう一つ心配になることがある。上にも少し触れたけど、小林よしのりを知るか知らないかは、「ゆとり世代」前と後に、偶然ほぼ重なっている。ゆとり世代なるレッテルをふりかざして、インターネット内外でどういうバッシングや世代叩きが起きたか、ゆとり世代以前の人間なら知らないはずはないだろう。若者叩きというと新聞やTVや「リベラル文化人」の責任に押し付けておいて素知らぬ顔の人も多いかもしれないが、これはインターネットで2chやまとめサイトの利用者、テキストサイトや個人ニュースサイトなどの運営者に重なる集団が大手を振って謳歌していた「バッシング」である。ゆとり叩きをしていたネット民、について彼らが何かを総括したという話は寡聞にして聞かない。匿名がほとんどなのでそんなこと期待するだけ無駄であろうが。
話がそれたけれど、世代間バッシングの被害者世代がその上の世代をどう思っているかは、俺にもよくわからないところがある。ただ、目に見えないところに微妙な反感が潜んでいても、あまり非難はできない。
なので、たまたま分断ラインがほぼそれとかぶっていると思われるこの小林よしのりの評価をめぐる見解の相違は、乱暴に扱うととんでもないものに着火させるような気がする。
むやみに相手を傷つけないよう、などと注釈したのも、そういう理由であって。
若い人はともかく、小林よしのりそのものには擁護の余地はない、大いにバッシングすべきだ、という意見もあろう。すごくわかる。
ただなあ。
小林よしのりって、自分の見込みからズレるとすぐ相手を罵倒しはじめるじゃん。事例はそれこそ星の数ほど。
うかつに叩きまくると、蛇を出してきそうでめんどくさそうなのだ。一方、↓みたいな危惧もある。菅直人が手のひら返されたのなんてそれこそあっという間だったわけで(しかもゴー宣見る限りでは、主なきっかけは「対談を断ったから」)。
バッシングするなとはいわないが、いろいろと腫物扱いしておくべき人だな、という気はする。
今回の選挙は、多分、立憲民主党は議席を伸ばす。とはいえ、自民党も伸ばすのだろう。希望の党がポシャったので。安倍晋三の顔にタテ線を入れるという意味ではもう少し希望の党が持ちこたえて欲しかったが、それ以外の意味では希望の党がしぼんでくれて良かったわけで、まあしょうがない。
なので、これからが大事だろう。立憲民主党がいつまでも追い風なわけもない。これからさまざまな合流もあるだろうし、いろいろな批判も出てくるだろう。すでに公明党が目の上のタンコブを検出してロックオンしている。
立憲民主党Twitterはやけに上手い。きっとネットに造詣のある人がやってるんだろう。でもそういうさばけた感じでうまくやる人と、やらかす人が紙一重なのはネットウオッチャーには常識である。何とか炎上させるための火花がほしくて仕方ない人はきっと与党支持者を中心にいっぱいいるわけで、上げ潮だからこそ心配、な案件かもしれない。
というわけで、あんまり立憲民主支持者がのんびり自分たちの陣営が予想以上に多いことを喜んでる場合ではあんまりない(連日TLで見かける立会演説の写真は、うぉーっとは思うけどそういう意味でつい一歩引いて見ている自分がいる)。そこに安易な世代間バッシングの火種を投入するのは、いま立憲民主党に期待している人にとって、まったくいいことがないと思うのだ。もうちょこちょこと局所的なディスカッションが発生しているのは自分の観測範囲でも見かけるし、わかるんだけど、これが躓きの石になったら、さすがに残念すぎるだろう。
なんか大物youtuberヒカル君が、「新事業を立ち上げます」宣言しましたね。「事情があって大学いけなかったような(田舎の)高卒」と、「(都市の)企業」とをマッチングさせるってビジネス。自身の知名度を生かして高卒・高校生を集客⇒インターン・体験イベントに出席⇒採用まで持っていくことが目的で、サービス利用者の参加費はゼロ。「世の中には能力ある高卒がいるけど、彼らにはチャンスがない。だからそれを与える事業をしたい」なんてのはイケてるけど、これ人材ベンチャーにありがちの「理念だけご立派」なビジネスで終わりそうじゃね?
まさか参加者のスクリーニングをしないはずもないから、まず「優秀」な奴を選抜することになると思うんだけど、そもそも腐るほどいる高卒の中から、どうやって”能力”ある個体を見つけるの?
面接や実績、自己PRなどの評価で選別する場合、「口のうまいマイルドヤンキー」・「人当たり良さそうな美男美女」・「コード書ける引きこもり系陰キャ」の3択になるよね。高卒生の能力をこの基準で判断する場合、マッチングさせる企業は「営業ソルジャ―」「腰かけ一般職」「下級PG」が欲しい会社に限定されていくよね。
大企業の「腰かけ一般職」が都内女子大の女の子たちに浸食されていることを考えると、営業か下級PGかに絞られる。しかし、若い営業ソルジャ―を欲しがる会社は、有形・無形かかわらず粗利の低いプッシュ営業体制の場合がほとんど。下級PGを欲しがる会社だと、永遠のデバック、コーディング要員としてこき使うような委託体制がほとんど。どことは言いませんが。
そうなると、「田舎でくすぶって腐る若者」が、みごと「東京で使い潰される消耗品」に進化する。これが「高卒に夢とチャンスと可能性を与える」ってことなんですかね?ライン工とそう変わんないと思うんだけど。