はてなキーワード: 新興宗教とは
さようなら暇空茜。君の役目は終わった
君はColaboをはじめとする左派利権に痛打を浴びせ、公金支出に対するハードルを大いに高めた
今後、これらのスキームを左派が不当に利用することは難しくなるだろう
むろん、全国の真面目に活動している諸組織も巻き込まれて、より厳しい監査を求められることになるが、それは必要な痛みに過ぎない。
(コラテラルダメージとまでは言わないが)
だが君の役目はもう終わりだ。
君は都庁が完全に屈服するような結末を思い描いていたことだろう。
自らの全能感に酔いしれ、世の中を『良い方向』へ変える力が自分にはあるのだと思っていたことだろう。
夢を見る時間は終わった。君はどこにでもいる『ただの人間』その1に過ぎなかったのだ。
君は今回、1つの才能を示した。公開情報から金の流れを解明し、矛盾点を指摘するという才能だ。
これは一見傑出した才能に思えるかもしれない。しかし、プロフェッショナルからすればごくありふれた能力に過ぎない。
君と同じことができる者はこの世に腐るほどありふれているのだ。
そう、君と同じ程度に暇人で、少々の裕福さがあれば、君と同じことが出来る者はいくらでもいるのだ。
君はただ、時代が望むところに目を付け、そしてプロフェッショナルなら誰でもできる程度のことをしたに過ぎない。
目の付け所が良かった。時代に適合していた。
ただそれだけだったのだ。そして、2度目はない。
君は住民訴訟に望みをかけているだろう。君に憧れ、今なお君を応援する人の声が全能感の名残を味わわせていることだろう。
夢を見る時間は終わった。君の役目もすでに終わった。世間はもはや君を必要としない。
今や左派利権は痛打を受け、公金支出に対するハードルは大いに高まる未来が確定した。
現時点での都庁を断罪するか否かは、もはや些事に過ぎない。まして、都という組織は数年程度では屈服しない。
君はその間にどんどん忘れ去られていく。
そして君が持つ剥き出しの熱情が、歯に衣着せぬ言葉が、敵を進んで作る行動が、君をどこまでも追い込んでいくだろう。
それでも君についてくる人々もいるだろう。
だが、それはもはや新興宗教の教徒と同じことだ。そして君は陰謀論にすらすがるようになるだろう。
それを信じているのではない。ただ、特別な自分を演出するための要素として、自分の信者をつなぎとめるための方策として、陰謀論者・暇空茜が生まれていくのだ。
そんな君を見るのはしのびない。
君は『ただの人間』その1に過ぎないが、それでもこれだけのことを為したのだ。
これから君のするべきことは、出来るだけ名を汚さずに表舞台から身を引くことだ。
さようなら暇空茜。君の役目は終わった。
新興宗教の施設とかもゴージャスだったりするし、豪邸をみて「まあ立派な方だわ。信頼して寄付できるわ」みたいに思う層が多いんだろうな。
別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。
https://courrier.jp/news/archives/314969/
目黒で生まれて目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。
親戚の法事の写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。
父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。
長兄である伯祖父は麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。
伯祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。
同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。
正確には、養子ではない。
そのまま実子として役所に届けたらしい。
Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木で音楽教室を開いていた。
一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。
父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校を中退した。
家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校の勉強は好きではなかったようだ。
実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。
孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。
そんな父が、自分が双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から
と言われたことに始まる。
「君そっくりな人を知ってる」
と同僚。
そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。
そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。
それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。
Kさんが真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。
それまでも寝たきりで入院していた高齢の祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。
大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母の入院していた病院に向かった。
さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。
だが、身長が父よりも5cm以上高い。
そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。
これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。
誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。
あまり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。
父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。
書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。
その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教の幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
https://www.asahi.com/articles/ASR1S0BMPR1KDIFI00M.html
俺が知る限りの成功例を書くよ。
特定されないようにフェイクを入れるけど、たぶん分かる人には分かっちゃうと思う。けど、分かっても黙っていてくれると助かる。
心機一転ゆっくりしたいと思い、地域おこし協力隊に応募して採用。正直場所はどこでもよかった系。
任務は、地域団体の常勤職員。地域の有償ボランティアベースで仕事をしてくれる人や会社と一緒になって、草刈りや放置竹林、荒れ地などの整備や、地域の人が出したアイデアを実際にハンドリングするのがお仕事。要するに小間使い。
既に着任している地域おこし協力隊の人と、役場から出向に来ている人の3名の職場。
最終的に、そこで知り合った地元企業の高齢社長に会社を引き継いでくれないかと依頼されて、任期終了後は解体・廃棄物処分業者の事業継承に向けて就職した。
仕事自体は、はっきり言って小間使い。年収も200万円ぐらいになってしまうんだが、忙しさだけで見たら正直それでは割に合わない感じがする。
ただ、周辺がもう都会から若い子が来たと言うだけで神様仏様扱いされるような環境。ガチで拝まれる。リスペクトされてる。
勤務は週5日日給制なのだが、実際には、地域おこし協力隊隊員はケータイに出られる場所で、何をやったかをLINEで報告すれば大抵何をしていても勤務扱いになると言う待遇。
今日は家の整理をしてました、みたいなのでも勤務扱いになる。まぁ若人が住んでいるだけで地域貢献担ってるという解釈だな。
一方で、地域の行事とかやるときには、さらっと事務局や会計など地味だけど重たくて面倒くさい役割にアサインされてやらされることになる。
ただ、日曜日にボランティア集めて何かするとか、夕方の会合に出るとか、そう言う時には漏れないように丁寧に時間外がつくそうな。
そして、そんな仕事だから無茶苦茶地域の人たちに顔が売れる。それもボランティアや地域活動に参加している人たちに顔が売れるので、強固な人脈ができる。
実は、自治体は顔をつなぎ、孤立させない事を目的に、何があっても孤立しないようにこの仕事を与えているような所がある。
最終的にはその人脈で任期終了後の就職先をゲットした訳で、この施策は人を選ぶけど、よいアイデアだと思った。
かなり実績があり、普通に村役場に入った人や、就職した人もいるし、他には、喫茶店を開いた人(イベント出店大杉で店は殆ど閉まっているが)、寺が開いてると聞いて仏門に入ってお寺を継いだ人(本業:塾講師)、お土産屋に就職して配達なのかチョークアート書いてるのかどっちが本職かわからん人、など個性豊かな面々がいる。
アラフォーの家族。当時子どもは中学生だったはず。前職は別の地方都市で商社に勤務していたが、前から自分の会社を持つ事が夢であり、探していたところ、起業型地域おこし協力隊というものがあると知って応募して採用。
自分でためていた金と、地域おこし協力隊の報酬(と言っても200万とか)を使って生計を立てながら、起業の準備をして融資を受けて任期2年目で食品加工工場を作り、その経営者になる。現在もその経営者として商売している。
前職の伝手で大手食品メーカから仕事を持ってきていて、最近は地元建設屋と共同で農業をやり始めた。
この人は明らかに起業をするつもりで、それができる場所を探していた感じ。こう言う人はたぶんあちこちにいて、そう言う人を地元に取り込むために協力隊制度を使ったって感じだね。企業誘致に近い。
本来の地域おこし協力隊の趣旨からは若干外れると言う議論はあるらしいのだが、最近、定着率が高いのはこう言う起業を前提とした移住だぞとも話題に上がる。
まぁ、こう言う目的がはっきりしている人は受け入れ側もありがたいやね。
他にも、パン屋さんをやりたいと応募し、ちょうど住んでた人が亡くなった直後の出物の古民家があり、そこを改造してブランディング、通販をメインにしたパン屋なんてのもいる。週末1日だけ限定のレストランとかもやってる。
その地域は昔、陶芸が有名な地域だったそう。しかし、台規模工業化に後れを取ってかなり衰退していた。そこで、自治体は一念発起して陶芸家を養成する学校というか訓練施設を作った。
そこには地元の若い人なども通うんだが、それだけではやはり難しい。
そこで、知恵者がいて、地域おこし協力隊の制度を使って、事実上2年間はお給料が貰えながら学び、独立語1年は所得が保障される環境を作り上げた。
まず、根性やら寝技やらで有名な芸術大学の名の知れた陶芸家との提携をゲットした。
そして、その先生の弟子、大学院生が地域おこし協力隊の制度を使って、お金をもらって移住してもらう。
その人が非常によい成果を出したために、話題になってあちこちから集まるようになり、毎年2名の枠にかなりの応募がくるのだそうな。
協力隊の任期は3年間あり、最初の2年が訓練所に加代追い、その後1年は身の振り方を考えるという構成。
その間にじっくりと学び、また作った作品は自分で売って自分の収入にできたりもするので、それで感触を確かめたりできる。
自立した陶芸家も多く出て、地域には高密度に陶芸作家がいる町という事でブランディングが行われ、愛好家が多く集まるようになったそう。
正直、制度はほとんど脱法的な使われ方だと思われるが、かなり有名な成功例として総務省も紹介しているからいいんだろと言う感じ。
地域資源と上手く填まった例で大変うらやましい。そもそも最初の提携が最も大変だと思うので早々真似はできないと思う。
だが、もう地域おこしの方向性が決まっていて、それを強化したい場合、伝統芸能の継承などと言う場合には、このメソッドは使えるのではないかと思われる。
地元出身者で、大学を卒業して首都圏で働いていたが、アラフォーになって心配になって、と言う事でUターンを決意。
そうしたら、たまたま農業従事と条件とする地域おこし協力隊の募集が、たまたま出身の村から出て、たまたま村議会議員をやっていた親父からそのことを聞かされてたまたま応募したら、たまたま受かったそうな。
応募後はたまたま開かれていた地元の農協がやっている新規就農者向けの講座を活用して融資をうけ、たまたまあった県の新規就農者助成金を受け取りつつ、たまたま求人を出していた第三セクターの農業の会社に勤めながら、実家の農業を……。
偶然ってすごいなー(棒読み
まぁ、色々と批判があるのは分かる。が、こういった紐付きコネのありが一番定着率が高いのも事実だと思われる。そして、確実に地域進行ができる訳だから、まぁ悪い事じゃない。
かわいそうなのは、もう紐付きで結果が決まっているとも知らずに、形だけ出された公募に応募した他の志望者だよな。
今、新規移住者向けの助成金とかあるんだけど、移住者・Uターン向けの生活保証金としては地域おこし協力隊が最も金は出る。そして、性質上他の補助金と重複申請ができたりするので、まぁいろいろできるのである。
地域おこし協力隊は、このような成功パターンを掴んでいる所と、駄目なのと頃の差が大きい。格差が開いている。
成功している所は
と言う好循環を生んでいる一方で、
駄目なところは殆ど改善されず、また改善する機会もなく、定着が進まない場所も多く、格差が開いているように感じる。
というか、応募者の数という点でかなり差がある。定着しているところは応募殺到して驚くこともあるが、定着率が悪いデータがある所は殆ど応募がないらしい。
移住者目線としては、とにかく地元でウェルカムな姿勢で募集している所や、既に定着している協力隊の先輩がいるところが良いと言うのが王道だ。
付け加えるならば、任務や勤務体系が柔軟で幅広く選べるところを選択するのが良いと思う。普通の就職みたいに仕事ががっちり決まっていてそこで勤めなさい、と言う様なケースだと単に補助金が出る労働力としてしか見られていない可能性がある。
目的がキッチリある場合なら、本当にその目的に適しているかをよくよく考えた方が良い。
そして、その目的にピンポイントに募集をかけているところにマッチングできればいい。考えているうちに違う考えになっていってもよいが、妥協だけはしてはいけない。
大きなミッションを与えられて、それをやりなさいと言うものもある。その時、これは本当に自分がやりたい事なのか、とにかく見極めとマッチングを大事にしてほしい。
受け入れ側目線としては、とにかく移住者を孤立させるな、コミュニケーションを取れという所があると思う。
地方移住の話をするときに、地方の人間関係はめんどくさいという話はよく出るが、ぶっちゃけ、田舎の人間関係が完全に嫌な人はそもそも応募してこないのでノイズである。
そして、何かあったらこの人に相談してね!と言う人を、数人。数人!話をつけておくことが大事だ。それも役人では無くてそれ以外の人。そしてできたら一番最初に、変な人のところに行く前に話をしておくのが良い。
というのは、人間関係にトラブルがあって辞めると言う案件、調べてみると、そもそも変な人に依存してしまっておかしくなると言うケースが結構ある。
外から来た人に最初に近付いていく人は、地域の顔役みたいな人でなければ、だいたいその地域で孤立しがちな人だったりする。
そう言う人は、何か問題を抱えているケースが多々ある。新興宗教に勧誘されてしまうと言うと言う様な分かりやすいケースならまだしも、
発生した問題に「それはきっと○○さんの嫌がらせだよ。あのジジィしつこから」みたいな事を吹き込んだりして、単なる事故が一瞬で陰謀論になり、疑心暗鬼を生んだりする。
(愛媛県の話がこれだと言っているわけではない)
そう言う事を防ぐ為にも、とにかく最初に頼りになるひとをつける事が大事だ。できたら先輩移住者と、地元で何かあったときに仲介ができる人と言う組合せがベスト。
色々書いたが、気楽に構えてやったらいいと思う。任期付きだけど給与は保障されるし、その間役所が面倒見てくれるし、リスクはそんなに無いのだ。
地域おこし協力隊の受入には落差があるけれど、実はさらにその前には「そもそも地域おこし協力隊みたいな制度を使う気すら無い」という場所が存在していて、そういう所に比べると、公募をしている所はそれなりに進んでいるところなのだ。
まずは気楽に話を聞いてみて欲しい。
母親一家がクリスチャン、親戚の独身女性全員がシスターという珍しい家で産まれた。
大学生になって英文学の授業を取った時に英語で聖書を読み、初めてキリスト教に興味を持った。
社会に出て働くようになってから人間の残酷さとあたたかさを同時に味わったり、人も自分も良くも悪くも変わってしまうんだなと悲しくなったりした。
聖書を読み、寝る前にその日の出来事や感じたことを神様に語り祈るようになった。この世で唯一変わらない神様の存在を思うと、自分らしく人を大切に生きられるような気がした。
ある時、私はラジオから流れてくる曲に衝撃を覚えた。初めて聴く曲なのに異常に心地よく懐かしく感じた。その時点で彼のファンになった。
すぐに彼の他の曲を調べ全部聴いた。YouTubeでアップしていた動画を何度も見たりインタビュー記事を読んだりした。
彼の音楽だけでなく、彼の愛に溢れた言葉に感動した。手帳に書いてみたりした。
しかし最近になって、それが彼の言葉ではなく、サティヤ・サイ・ババの言葉だったことが分かった。今までずっと聴いてきて感動していた音楽にも宗教の教えががっつり織り込まれていた。
要するに、私はクリスチャンでありながら、別の宗教の考えにずっと浸っていたということになる。そのことに気付き、私はものすごくショックを受け頭がぐちゃぐちゃになった。
それの何が悪いの?別にいいと思うものが何個あってもいいじゃん?と思う人もたくさんいると思うし、その考えを不思議だとは思わない。私もショックを受けた自分にびっくりした。
正直、自分はかなり信仰心低めのクリスチャンだと思っていた。神様を信じているというより、自分のために神様の存在を利用しているというか。神様を話を聞いてくれるイマジナリーおっちゃんみたいに思っている、という風に自分では思ってた。
でも実は私は心の奥底では辛い時に教えに導かれたことをものすごく感謝しているんだと気付いた。だからこそ、知らないうちに別の宗教のリーダーの言葉をありがたがっていたことが、神様への裏切りのようで言葉にできない気持ちになった。
彼の音楽は今でも大好きなので聴き続けたいという気持ちはもちろんあるけど、今回の出来事があってなんとなく怖くなってしまった。
キリスト教以外のものを受け入れたくないわけではない。当然神社も行くし仏教用語いいなと思うこともあるし新興宗教に傾倒してるアーティストの曲を聴いたりしてる。でもそれは「これは◯◯という宗教に基づいたものだ」という知識が最初からあるから。
元々「これはこの宗教の影響を受けた音楽です」と言われていればそうなんだなあと楽しめたのにと思うけど、日本では彼がそれを公言するのが難しいのと私がものを知らなさすぎた。
無宗教の人からしたら、楽しいお料理教室に通ってフライパンとかも買ったけど実はマルチの巣窟だったことを後から知ったみたいな感覚に近いかもしれない。そのマルチが悪質かどうかは置いといて、マルチはマルチだから、最初からマルチって分かってたらまだショック受けなかったのに…みたいな(マルチ批判ではなくあくまで例え)
新興宗教や三大宗教以外を受け入れられない日本人が多いのってオウムの影響がめちゃくちゃ大きいと思ってるんだけど、藤井風のサイババ問題を擁護するのって地下鉄サリン事件やオウムの諸々をリアルタイムで見ていた40代50代っぽいのが不思議。
宗教も面白いけどな〜、宗教の勉強することで自分に無意識に染み付いてた宗教的な教えが分かるし
宗教比較も面白い、キリスト教は世界が滅びたあとに理想郷が生まれるという教えがあるのでカルト化すると集団自殺を選びがちとか、仏教は原理的に男尊女卑なので頭おかしいこと言ってたりするとか
神道は太陽神を天照大神という女神にしてるけど、女性の太陽神は世界的にも珍しいとか。でも天照大神はそんなに出番がなくて、実際は男神の冒険譚が多いから女神が戦うって珍しいんかなとか。ギリシャ神話だと女神もよく戦ってるなぁとか。ギリシャ神話は宗教ってほどではないか
まあとにかく、宗教の知識があると相手の価値観が薄っすら分かるようになる。世界的なニュースを見てても背景が分かったり
宗教を知識として知ってるからこそ勧誘に引っかかりにくくなったりもする。科学の勉強したから水素水に引っからないのと同じことだね
まあ鬱陶しいのは分かるけど、なんせこの国はもう千年以上仏教をやってるから、文化の根っこに仏教は染み付いてて、自分たちも知らない間に影響を受けてるのは確か
新興宗教の勧誘の悪質さは有名だけど、古くからある宗教も勧誘の手順は磨いてきてるし、宗教はクソって態度でいると逆にコロッと騙されたりもするんだよな