はてなキーワード: 新興宗教とは
藤井風の「死ぬのがいいわ」という曲が結構なバズをしているらしい。
NHKでは報じた(し藤井風のドキュメンタリーもやった)けど民放各社では報じられないの、統一教会問題を取り上げる以上、もろ宗教二世でサイババの教えを歌詞やグッズやツアー名に入れている藤井風を取り上げるのはおかしいしリスクがあるって思っているからなんじゃないかなと思っている。
統一教会問題が出る前はやたら民放でも藤井風を持ち上げる風潮があったけど最近はNHKだけだし、実はそういう事情があるんじゃないかなと思う。
いくら本人に布教する意図がないにしろ、ステルス布教の可能性があるというのは受け手側も決めていいものであるはずなのでそのリスク。
クリスマス特集やってるだろう、仏教の番組やってるだろう、パワースポットとして神社紹介しているだろうと藤井風信者は返すけど、統一教会の教えはテレビではやらないし、オウムの考えもテレビではやらない。
その流れの一つなんじゃないか「サイババの教えは伝えない」は。
また「サイババの言葉は悪い言葉ではない」みたいな擁護する藤井風信者、新興宗教というのはそういう顔をして近づいてくるし、「サイババ信仰しない」という信念って結構簡単に崩れるんだよと言いたい。
「ホストは表面上甘くて優しくて良い気持ちにさせてくれるから」
これなんだよね
そんなことかよ、と言わないでほしい
虐げられ自己否定され続けてきた人間にとって、ホストの巧妙な甘いマスクや優しさ、時に見せる弱さなどは麻薬のようなもので、彼女らにとっては「唯一の味方」なのだから
まとめサイトで「毒親に姉と比べられて搾取されブスだブスだと暴言を吐かれ続けてきた女性が死のうとしたところで、思い付きでホストクラブに向かい、沢山『可愛い』と言ってもらったことで毒親の呪いが解け、毒親から逃げることができた」という話を読んだことがある。
その人はそれっきりホストには通ってないらしいが、もしどん底にいた時にホストだけが肯定してくれ、自己肯定感を上げてくれたのだとしたら、そんな女の子が沢山いるのだとしたら、中々悪く言えないんじゃないかと思う
そういえば、パワハラ上司がプペルにハマった事で職場が平和になった話を読んだな
新興宗教がないと生きていけなかった、という人もきっといるのだろう
藤井風氏が明言せずに某宗教の教えを引用し、それをそのままグッズとして販売、アルバムタイトルにもしている行為に対して、問題があるのではと指摘する記事を読んだ
https://note.com/ii_yy/n/n5ac17492a446
自分は音楽にも宗教にも全然詳しくないけれど、元々音楽と宗教は切り離せない関係なはずだ。自分の思想や信条を発信する手段として、もしくは布教活動や信心を深めるための手段として音楽が用いられた事例は沢山知っている。
いつの頃からか邦楽は、くだらない色恋ばかりを歌うのがメジャーになってしまったが……
それで考えたら藤井風氏の活動だって何もおかしいものではない。これを否定するのは信教の自由、表現の自由の侵害以外の何物でもない。
と、自分は思う
それとは別に、気軽な気持ちで買ったファングッズに記載された言葉が、新興宗教(様々な良くない疑惑あり)の教義をそのまま引用しているものだとは正直予想もできないし、事前に教えてよ〜教えてくれたら買わなかったよ〜会社に持ってっちゃったよ〜と思ってしまうファンの気持ちも分かる。事前に意味くらい調べろ、そもそもこれくらい一般教養の範囲内だろうと言われてしまえばそれまでではあるし、「教えないまま売りつけるなんて、ステルス布教だ!」とまでは思わないが。
ただ、なんていうのか。
先程も書いたように真っ直ぐ純度100%の政治的主張や宗教的主張をするアーティストと接する機会がほとんどなかったから面食らっちゃうし、耐性や自分なりの対策法も持ってないよなと……
Twitterでも色々意見を見てたんだけど、「海外ではこんなことで騒がれない。騒ぐのは宗教を嫌う日本だから」という意見と「宗教に関してのリテラシーが低い日本だからこの程度の炎上で済んでいるが、海外進出するならこのまではマズい」という意見の両方を見かけた。
もちろん国によっても違うだろうが、グローバルスタンダードはどちらなんだろう?
Twitterで昔の権威主義的な親の方が心の自由があるからましみたいな話は見た。
権威主義的な親は「週末はおばあちゃんちに行くことになっているだろ!行け!」と言う。
子供は「うるせー、おばあちゃんちなんか行きたくないんだよ!!!」と反抗できる。少なくとも心の中では。
今時のモダンな親は「君はいつもおばあちゃんにお世話になっているよね?おばあちゃんのこと好きだよね?おばあちゃんは君が来てくれたら喜ぶと思うんだ。まあ、来ても来なくても君の自由なんだけれど、週末におばあちゃんちに行くかい?」みたいな聞き方をする。
子供はおばあちゃんちに行かないという選択をすると、おばあちゃんが嫌いだったりおばあちゃんへの恩知らずだったりする感じがして精神的に追い詰められる。
行くとしても、たとえしぶしぶ行っていたとしても「自分が好きで選んで行ったんでしょ?」という見方しかしてもらえない。
だから、モダンな親の方が実は子供の心の自由を奪い、子供を悩ませて、より深刻なんだというお話。
確かに、モダンな親のやり方はブラック企業の社員洗脳教育やら新興宗教の洗脳みたいな感じがする。
物わかりがよいことを演じたい親が子供をコントロールしようとするとこうなるよねって思う。
一歩下がって、これって本当に物分かりがいい親が自分の意思を伝えるにはどうしたらいいだろうと思ったら、
「おばあちゃんにお世話になっている」だの「おばあちゃんのこと好き」だの言わずに、「君に来てほしい」と親の気持ちをストレートに話すことなんだろうな。
それぞれの考え方があるという前提に立つなら、親の希望を正直に話すほうが誠実だよね。
もし、「おばあちゃんにお世話になっている」と話すとしても、
「君はおばあちゃんの家に行ったときに、いつも好物のハンバーグを食べさせてもらっている。僕にはそれが君がおばあちゃんに良くしてもらっているように見える。」と
具体的に話が方が開いても反抗のしようがある気がする。
「いや、ハンバーグそんなに好きじゃないけれど、食べたら大人が喜ぶから食べているだけだよ」みたいな話ができる信頼関係を用意しないといけないが。
数年前に『白いメリーさん』を読んだ
枝葉切って、いらんところがないくらい都市伝説ホラーがぎゅうっと詰まっている短編だった
今年になってネットだったか雑誌だったか忘れたが同じく中島らも著の『ガダラの豚』の推薦文を読んだので、読んでみた
民俗学×アフリカ呪術×新興宗教×マジック×旅行記×バイオレンスアクションみたいな盛り込みすぎだろってくらいの娯楽小説だった
タイトルとちょっと重めのプロローグからして宗教テーマの重めのホラーかと思ったけど、雑学、おいろけ、ギャグ、戦闘、哲学的会話なんでもあれって感じで読み手をめっちゃ楽しませてくれる
なんかテンション的には手塚治虫の漫画みたいな真面目さとドタバタ感のバランスだった
巻末に40冊くらい参考図書が挙げられていて、アフリカ呪術とか密教系の本とかの中に『月刊少林寺拳法』が混ざっているのを見て、めっちゃ少林寺拳法してたもんなとニヤニヤしてしまった
あー、おもろかった
こういう気楽に読めて、アカデミックな会話で勉強になった気になるけど、最終的に血がドバドバ出てたなっていうB級ホラー映画みた後くらいの感想しか出てこない作品も夏の推薦図書にしてくれ、集英社
このまとめ( https://togetter.com/li/2013016 )のブコメを見てたら、ヴィーガンに対して、「よろしいならば戦争だ」、「カルトの教え」、「ただのアタオカ」、「疑似科学風の新興宗教」とか何とか色々放言があって驚いた。
何に驚いたかというとまとめのツイートの論理を全く追えていない点。
このまとめの主となるツイートの内容は「ヴィーガンの主張は規範的なものだから、他人に同調するよう迫るのは当たり前」と言う内容であって、
ヴィーガンの主張が正しいなんてことは全く言っていなくて、ほとんど必然的な論理関係「規範的な主張を認めるならば、それを他人にも認めるよう求める」を確認しているに過ぎない。
割合多くの人がツイート内の「正義の原理」と言う言葉を見て、「ツイート主はヴィーガンが正しいと主張している」と言う解釈をしたようだが、
普通に読めば、もしくは少しでも倫理学を学んでいれば、この「正義の原理」の意味は「規範的主張の根拠となる原理的な規範」と言うぐらいの意味であることがわかる。
誤った解釈をしていた人は改めてまとめのツイートを見てみてほしい。明らかにそう書いてある。
読んでもわからなければ、おそらく非常に基礎的な学問のトレーニングが足りていないから、適当にいっちょ噛みするのはやめた方がいい。
で、この論理が追えていない時点で、もうほとんどまともに話が通じる相手ではないので、文章を続けても仕方ないのだけれど、
このまとめのツイートが言っているようにヴィーガンの少なくとも一部は規範的な立場で肉食を否定している。
いわゆる「最大多数の最大幸福」、つまり、幸福の総量の最大化、そして苦痛の総量の最小化が善であることを前提として、
「動物も人間も苦痛を感じる」、「人間の苦痛には配慮して、動物の苦痛には配慮しない合理的根拠がない」と言う点から、
動物に多大なる苦痛を与える畜産をやめるよう求めるものだ(これは非常にラフなまとめ)。
この主張の根拠等についてはこれ以上詳しく述べないが、動物倫理の本を見れば書いてある。
つまり、少なくとも一部のヴィーガンの主張は明確な原理的主張を持っている。だから、否定したかったらこの原理を否定したらいい。
「カルト」、「宗教」と適当にレッテル貼りしたり(そもそもこれらの言葉をかなり独自の定義で用いているようだが)、
いつでも逃げられる場所から「よろしいならば戦争だ」とか「アタオカ」とか言っても、意味はない(ことはない。ただかなり合理性を捨てていると思うのだが、それでいいのだろうか)。
で、ヴィーガンに攻撃的な人たちは結局どんな武器を持っているのか?
ヴィーガンは少し本を読んでみればわかるように、実のところ、非ヴィーガンでも認めざるを得ないほど、単純ながらも強力なロジックを持っている。
それに対して、肉食側は今のところ、相手の主張を理解しないことによって敗北しないという「無敵戦略」や