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はてなキーワード: 嫌がらせとは

2023-01-08

anond:20230108193314

ソース要求するけど自分の言い分にソースを出さない男『「はてなは総じて、colaboへの名誉毀損嫌がらせは許されない/公金の使途は明確にすべき、という意見が多い」

はまあ、はてなという狭い界隈の話にどれほど意味があるか分からんので30点くらいではあろうが、

ブクマカの内心は『活動家叩き』に違いない!」

100%お前の主観妄想から0点だって言ってんの。

うそのアホみたいなオウム返ししか出来なくなってんのな笑』

anond:20230108192508

はてなは総じて、colaboへの名誉毀損嫌がらせは許されない/公金の使途は明確にすべき、という意見が多い」

はまあ、はてなという狭い界隈の話にどれほど意味があるか分からんので30点くらいではあろうが、

ブクマカの内心は『活動家叩き』に違いない!」

100%お前の主観妄想から0点だって言ってんの。

うそのアホみたいなオウム返ししか出来なくなってんのな笑

仁藤さんってこんなのまでRTするんだ。。。

仁藤夢乃 Yumeno Nitoさんがリツイートしました

https://twitter.com/Tsurigane_mushi/status/1611581649657147392

つりがねむし💙💛

@Tsurigane_mushi

1月7日

温泉むすめへの批判が気に食わなかったのなら、堂々とそれに反論すればいい このような都の制度を利用した嫌がらせを行うのは筋が通らないし、都に対しても迷惑だ まるで肩がぶつかったから殴りつけるチンピラのような態度だ しか殺害予告や送り付けも多発している オタクはどこまで傲慢なのか

引用ツイート

猟犬P

@ryoukenP

1月6日

olaboは主催者オタク喧嘩売ったから反撃された。

モリカケサクラオタク喧嘩売ってないから手を出さない。

権力者民衆なんて構造初めから全く関係なくて、個対個で殴られたから殴り返しただけなのに、弱いものいじめとか言い出すのが滑稽だね twitter.com/nagayasu_shibu…

温泉むすめへの批判が気に食わなかったので叩き潰すしかないと判断しただけですわ。自分不正をやっていることがバレたら徹底してつぶされるに決まっているでしょ。どこまで甘えているんだこの連中は。。。

anond:20230108155215

人の内心なんて、分かるわけないでしょ。

内心が手に取るように分かったような気になっている、あなた妄想があるだけですよ。

総じて、

・colaboへの名誉毀損嫌がらせは許されない

・公金の使途は明確にすべき

という意見が大半を占めているのだから文句の付けようがないと思うんだけど…

anond:20230107201046

ここにも「公金の使途に関する疑惑の追及」を、「嫌がらせ」とすり替えて恥じない輩がおるよー

都とcolaboに求められてるのって、「領収書レシート揃えて数字と合わせてね」って事だけでしょ?

anond:20230108111120

こういうやつってほんの10年か少し前まで

企業勤めの女性セクハラを訴えたら

捜査すらされず「セクハラされる隙がある女が悪い」「この女はトラブルメーカー」として職場嫌がらせを受け

性犯罪被害者退職に追い込まれるのが当たり前だったのを知らなそう

 

なんなら昭和風の会社は今でもそんなとこあるぞ。

男だけどリベンジポルノ被害者になって未だに人生が立ち直せない

後に加害者になる女とは結婚を前提に交際、同居していたが、

度重なる浮気浮気疑惑と、共同で出す筈だった生活費の支払い拒否

(「今月は色々ピンチお金無くて~が続き、いつの間にか全部自分が出す状態)が続き

遂には自分の口座から勝手に数十万引き落として

(暗証番号教えた記憶無く、恐らく自分操作するのを盗み見てた)

相手実家に送金していた事が発覚し、我慢限界となって同棲交際の解消を申し出た。


元彼女は全力で拒否していたが、実家に帰れ荷物は後でまとめて送るからって言って

最後相手の両親巻き込んでかなり強引に引き取らせた。


その事を恨まれたのか、分かれてから数ヶ月経ったある日、上司に呼び出され会議室に行くと

上司部長、と知らない人(会社顧問弁護士)がいた。

皆一様に重い雰囲気で、部長に至っては静かに激怒しているといった雰囲気

何かミスをしでかしたのか、いやそんな覚えは全く無く寧ろ仕事は順調な方だったのに何故?

と思ったが、とりあえず席に座ると、上司が口を開き「君に関する悪い噂を聞いた」と言ってきた。

身に覚えがまるで無いと言うと、上司が再び口を開いて

「君が元交際相手女性に無理矢理関係を迫り、強制的わいせつ行為を働いていた、という通報があった」と言った。


正直言葉が出なかった。

なんで、そんな事に、なっているのか?分からない、マジでからなかった。

困惑してすごい冷や汗をかいて、客観的に見れば俺は完全に「やらかし人間」に見えたと思う。

それでも何とか「元交際相手が、上司の言っている方かわかりませんが、

その方とは昨年の○月に別れています

関係が上手くいかなくなり、破局しましたが、交際間中彼女に対し誠意をもって接しており(これは本当にそうだった)

もちろん、(上司さん)が言う様な事をした覚えはありません」と言った。自分なりに必死だった。


すると部長が、「じゃあこれは何だね?」と切れた口調で俺を睨みながら、ノートPCを開いてある動画再生した。

動画では、遠方の角度から、男女がそういう行為をしている所が映っていた。

画質は良くなくて音声も聞こえなかったが、自宅で俺と元交際相手がそういう事をしている光景だった。盗撮だった。


すぐに動画は閉じられ「この動画が送られてきた。この会社人間である君に、強引に何度も性暴力をされたと。

場合によっては訴える覚悟もあるとも言っていた。どういう事だ!?」って

部長に怒鳴られてそこでようやく、自分が最悪の形でハメられたと分かった。

顧問弁護士は、とりあえず俺の処分(退職)は確定で、懲戒退職金が一部でも出る形か、それとは別に会社の評判を落としたとして

会社から俺に損害賠償請求するとか、そういう事を言ってきた。

俺は必死反論した。元交際相手とは確かに別れたが、関係を解消する際に揉めたのは事実

しか交際中にDVの様な真似をした事は一度も無く、寧ろこちらが色々迷惑をかけられた。

これは元彼女復讐嫌がらせである、お願いだから信じて欲しい、という弁明はした。


しかし今回の件は既に上層部の間でも既知の事実で、

男女間のトラブル「には厳しい会社だったからもうこの会社に君の居場所は無いとまで言われた。

疑惑が出ただけでも厳しく、動画まであり、弁解の余地は無かった。

そして俺はクビになった。退職金も無い、懲戒解雇だった。


更にそれだけでは無く、実家にも動画を送られ無い事無い事を告げられ、

堅い職業且つ古風な家柄だったので両親や親戚にも激怒され、一方的に絶縁された。

共通の友人知人にも、DVだの何だのされたと嘘を言って回られ、人間関係メチャクチャにされた。

俺はリベンジポノレノで全てを失った。


その後、元彼女名誉毀損で訴えた。

生活費弁護士費用などの裁判費用で、今まで必死に貯めてきた貯金の大半は消えた。

何でこんな事の為にと、こんな事の為に頑張ったんじゃないと何度も夜中に泣いた。


裁判では結局数百万円も使い、何とか勝訴したが、取れた損害賠償は僅かなもの

しかもそれも「お金なんて無い!」って支払いをされていない状態

俺に残ったものは何も無かった。

今までのストレスで心身を悪くして心療内科に通院する日々だし、転職給料も下がり、元交際相手とのトラウマで対人関係にも支障をきたしている。


自分家族は絶縁されるまでは仲良い方だったから、そんな家庭を夢見ていた。

それを全て、元交際相手リベンジポノレノによって奪われた。

リベンジポノレノ被害を受けても、加害者女性被害者が男性なら、司法なんてロクに味方してくれなかった。


俺の人生はもう立ち直れないレベルメチャクチャになってしまった。

年末、とうに縁は切れてた筈の元彼女から共通の知人を介して連絡があった。

元彼女来年、『私は素敵な人と結婚する事になりました。私を傷つけた俺君に対し、幸せになる事で復讐してあげるつもりで頑張った。あなた反省して欲しい』

という、まるで異常者みたいに胸糞が悪いメッセージを送られた。


交際相手の様な女性がのうのうと生きられる世の中が、本当に生きてて苦痛だ。

議員活動に対する妨害攻撃危惧しているのでは?

暇空茜 on Twitter: "過日の議員会館提訴記者会見やられた僕が、それをやった議員を知りたいっていったら、「議員活動に支障を及ぼすから非開示」ってなめてんのかっておもいますね 僕に支障を及ぼすために組まれた”非難攻撃”なんだが? https://t.co/N1Hux9TlBe"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/himasoraakane/status/1611267905383170048

暇空氏自身に敵意がなくとも、インターネット上の騒ぎに便乗して議員攻撃したり、活動妨害しようとする輩が現れる可能性は否定できない。

既にColaboの支援業務への攻撃も起きてしまっているので、議員会館を予約した議員にも矛先が向くことを当事者危惧するのは当然のことだろう。

olabo「バスカフェルポ 女性追う男性たち 嫌がらせ支援への攻撃

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-07/2023010701_04_0.html

嫌がらせとも思える行為も。開設準備中から、数人の男性が無言でバスの前に立っていました。活動中もバス脇に立ち様子をうかがう別の男性が。女性スタッフが「怖い。声掛けに出られない」とつぶやきます


また、Colaboだけでなく、安倍元首相ターゲットとなり暴漢に襲撃された事件記憶に新しい。

国会議員の相当数に危害経験があり、不安も高まっている。

危害経験ある」国会議員75人 4割弱不安元首相銃撃から半年

https://www.tokyo-np.co.jp/article/224112

経験が「ある」中で多かったのが「殴られた」「蹴られた」「つばを吐かれた」で「傘で突かれた」「石を投げられた」という記載も。

危害への不安が「ある」「どちらかといえば、ある」としたのは計39%。理由として「殺してやる」などの暴言を吐かれたとする意見が多く「銃撃事件翌日にピストルを撃つしぐさをされた」と訴える人もいた。

olaboや安倍元首相、その他の国会議員など、各所で被害が相次ぐ緊迫した状況下であるから活動に対する攻撃を防ぐために議員名を不開示とした措置にも一定合理性はあるといえる。

2023-01-07

アンフェ「暇空さんが青織亜論をColaboと同じ熱量批判しないと説得力ないって?別にいいだろ!whataboutismおつ!」

olabo「バスカフェルポ/女性追う男性たち/嫌がらせ支援への攻撃

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-07/2023010701_04_0.html

アンフェ「いやぁぁぁぁぁ赤旗コラボの話してるのに監査請求についてはスルーするなんて説得力ないぃぃぃぃぃ」

新聞赤旗コラボ虚偽報道確定

2023年1月7日(土)

olabo「バスカフェルポ

女性追う男性たち
嫌がらせ支援への攻撃

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-07/2023010701_04_0.html

 虐待性搾取に遭う若年女性に寄り添い活動する一般社団法人olabo。昨年、インターネット上の事実に基づかない投稿名誉毀損(きそん)されたとして、投稿者を相手取り東京地裁への提訴に踏み切りました。歓楽街路上活動を続けますが、続く嫌がらせ攻撃危機感が募ります現場を見ました。(取材班

 昨年12月下旬の夜、東京新宿駅近く。居酒屋風俗店が集まる歌舞伎町一角ピンク色のバスが止まりました。十数人のスタッフが約20席の机と椅子を運び出し、パック米飯カップ麺、温かい茶などを並べます暖房ネット接続も用意。テント道路側はピンクのシートで外から視線を遮ります

女性の列が

 午後10時の開始時間前には10人ほどの女性の列。始まると、思い思いにカップ麺を食べたり、両手の紙袋に食料を詰めたり。スタッフに「これは何?ユズですか?」と声をかける姿もありました。

 バス内には防寒着や日用品生理用品、避妊具なども用意。無償で利用できます

 「バスに来れない女性もいる」。女性スタッフが2~3人ずつ、バスを離れて街を歩き、若年女性に直接声掛けをします。

 取材班代表の仁藤夢乃さんと街を歩きました。中心部映画館前の広場に数十人の男性が間隔を空けて立ちます。「風俗業者関係者です。毎晩100人くらいいる」と仁藤さん。若年女性を追いかけ、声を掛ける姿があちこちに。10代とみられる女性2人、3人のグループ座り込み男性と話し込む様子もみられます

 少し離れた公園が、買春者が若年女性を探すポイントだといいますスマホを片手に手持ち無沙汰そうに立つ若い女性や、公園の周囲を歩き回る成人男性の姿がありました。仁藤さんは「警察は若年女性をよく補導するが、女性を買い、性搾取する男性こそ問題にするべきだ」と語ります

 Colaboが2018年から展開する「バスカフェ」です。虐待家出するなどし、寝場所がない若年女性買春者や風俗業者被害に遭う街で、「居場所」「気兼ねなく過ごせる場所」を準備し、支援必要とする女性とつながる場です。

 ホテルの手配もするほか、女性滞在するシェルター運営就労支援なども担います

でたらめな配り方をしているんですが、どうやってカウントしているんですかこれ。あと就労支援って日本共産党党員になることですか?そしてここで外に出てますよね?

ネット攻撃

 こうしたColaboの活動に、ネット上などで攻撃が強まりました。訴状によると、都内男性は今年、ツイッターなどに「10代女性タコ部屋に住まわせて生活保護受給させ、毎月現金徴収している」などの虚偽の投稿を少なくとも数百回しました。

 「現場での活動にも悪影響が出た」とスタッフが語ります誹謗(ひぼう)中傷が増えるにつれ、相談が減りました。この日、午前0時前ごろまでのバス訪問者は20人弱。「従来の半分以下」といいます

 嫌がらせとも思える行為も。開設準備中から、数人の男性が無言でバスの前に立っていました。活動中もバス脇に立ち様子をうかがう別の男性が。女性スタッフが「怖い。声掛けに出られない」とつぶやきます

 訴状によると、運営を支える寄付なども減ったといいます

 日本共産党ジェンダー平等委員会坂井事務局長は「Colaboへの嫌がらせは、女性支援のものへの攻撃。決して見過ごせない」と語ります

まず坂井希、この前もコラボの提灯を持っていたけど、何者なのかな。いずれにしろ嘘つき。

そもそも前半は外に出ているのに、なぜ後半は怖くて外に出られないんだ。ボランティアビビッてどうする。勝手に怖がっているけど、根拠がない。だったら最初からバスカフェやるなよ。怖がってでなければ差別かよ。差別って理解していないんじゃないか坂井池内さおりは。お前ら本当に嘘しか言わないんだな。反吐が出るわ。

ついでに写真がないでしょ。写真も撮れないよね。今だったら動画も撮ってあるよね。本当にルポルタージュならね。

どこがルポだ。こういうのはルポじゃない。ちゃん写真は撮るし、買春男性に話くらい聞くわ。

昔の赤旗って爆弾だったからそれこそ動かぬ証拠を載せてましたよ。そういう意味でもビビってました。

ところがいあでは朝鮮人井戸に毒を入れたレベル勝手買春者をでっちあげる。オタクらがいた時間にはそんな連中はいない。これは虚偽だ。SNSは虚偽だとかいうのはバカ。お前らが嘘ばかり書くからSNSが本当に満ち溢れているんじゃないか。いい加減にしろ

こういう明らかに日本人男性ヘイトスピーチをやって、どうして投票しろかいうのだろうか。無理だろ。立憲民主党もそう。

https://twitter.com/ShinjukuSokai/status/1611641470779523074

Z李 🇺🇦 NO WAR 🕊

@ShinjukuSokai

2時間

返信先: @ShinjukuSokaiさん

その日はコロアキがバスカフェに近づいて写真撮ってたから注意した日だからよく覚えてる。

「少し離れた公園スマホを片手に手持ち無沙汰そうに立つ若い女性や公園の周囲を歩き回る成人男性の姿がありました」ってあるけど仁藤さん公園来てないよね?

コロボが全開パトロールしてた日だぞ。

Z李 🇺🇦 NO WAR 🕊

@ShinjukuSokai

仁藤さん、そういえば1月8日のしんぶん赤旗でまた壊滅的な盛りをやっちゃったんだよな。

先月の歌舞伎町バスカフェの時に広場風俗キャッチ100人公園買春者多数って、その日年末警戒で警視総監が視察に来た直後よ。トー横一斉補導からの封鎖もあったし。正直が一番いいよ。

【みっちゃん】夜の街大好きです!

@3693000World

2時間

返信先: @ShinjukuSokaiさん

毎年視察の日は私服警官が数時間からつゆ払いで不審車輌排除キャッチ含め不審者への声掛けで胡散臭いの皆んな追い払うので歌舞伎町は瞬間綺麗になります

よこよこまんなかちゅうくらい

結論

よって、この赤旗ルポは全くの嘘。

書いたのは坂井希だろう。さら池内さおりが関与している。あとはにひそうへいか

この連中は東京をしらない。だから嘘を平気で書いている。

これはコラボの記録をもとにでっちあげただけ。事実関係を確認していない。

ここでいう12月下旬とはコラボバスが出ている時期が限定されるのでずれることがない。

デューク東郷

@miu_widearea43

2022.12/16(FRI)

年末年始特別警戒】

警視庁一斉警戒発令に伴い、警視総監新宿区歌舞伎町地区を視察

今年も、年に一度の歌舞伎町治安回復する日に立ち会えました。

トー横もホテル街も今日だけは平和です。

https://twitter.com/miu_widearea43/status/1603742832589619201

https://twitter.com/rengoku56771/status/1611654346286198787

煉獄コロアキ

@rengoku56771

しんぶん赤旗を読んだけど嘘はよくない!

12月21日は映画館前に数十人の男性は立っていなかったし風俗業者関係者100人もいなかった!公園にもコラボの人来なかったと思う。俺がバスカフェ行った間に来てた可能性はあるけど!

コロボと一緒に活動しましょう!

カウントは俺たちに任せてください!

このように複数の指摘、目撃証言もある。

よって新聞赤旗コラボは嘘をついている。坂井希は首にした方がいいよ。日本共産党

それにしてもジェンダーかいう連中は無能な嘘つきであることがまた証明されてしまった。どいつもこいつもみんな平気でうそをつく。誰か本当のことを書く女性はいないのだろうか。完全に党員をだましており、そういう意味でも恥というものはないのか?

国民から税金搾取するコラボ日本共産党

これでどうやって選挙に勝つつもりなのだろうか?

信頼してたブクマカネトウヨ化してしまった

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-07/2023010701_04_0.html

共産被害者意識が爆裂すると、突然カルトっぽくなるんだよな…。普段関係隠す割結束固いし。聖教新聞か何かみたいだ。日共関連団体の数々の支援活動尊重するし、colaboが攻撃されてるのも事実しかないが何とも…

共産党は私とは思想的には相容れないのだが、筋を通すという点では信頼していた。こんなもんだったのかと今回の件で感じた

個人で言えばこの件含め表現規制などに舵を切った共産党に対して起きた段階的な失望は痛いほど深刻で、かつて新聞複数取っていた時に赤旗が含まれていた時期すらあった事を考えると……でももう支持できないな。

なんでそうなるの…ショックや…。

からのどうしようもないネトウヨ連中はともかく、話が分かるはずの層が…はてブネトウヨ化進んでない?

暴力搾取被害を受けた女性への意見、信頼していたのに。

SNS陰謀論問題誹謗中傷問題でも信頼できる意見を表明していたブクマカが、なぜ今回は対岸のネトウヨの方へ渡ってしまったのか。

自重も出来ない連中に公金がどうこう言う資格などないわ。どうせ暇アノンはごたく並べて嫌がらせ正当化するんだろうが。

げに、げに、げに!げに、げに、げに!

見事に釣られてますなあ。壮観。この記事に対して内容と外れた批判を浴びせるほど、記事が主張する「嫌がらせ」そのものに見えるようになってるんだけど。まあまあの手練の作と思われる。

このように、一連の騒動ミソジニスト側の腐った性根の問題。colabo側に落ち度はない。「不正」とやらはすべて事実無根ということで確定済みなので。#暇アノン

金銭問題と、支援活動自体否定すべき活動だったかどうかは別にするべきなんだが、それができない幼稚な人が多い。というか、ここのブコメほとんどそうにしか見えない。なんだかなぁ

女性を買い、性搾取する男性こそ問題にするべき」同意痴漢問題女性の格好などを問題にするのと同種の倒錯を感じる。

最初は「仁藤夢乃の弱点」として攻撃しているだけで活動内容はどうでも良かったのだろうが、周辺団体支援者まで見境なく攻撃し始めた所で「支援への攻撃」に変化し、取り巻きも今じゃネトウヨ連合状態

女の体を求め、女を笑い、女を軽視し、女を罵倒しないと生きていけないミソジども。完全に女に依存した人生

公金チューチュースキームとやらが一切幻に終わったに関わらず「不正と言わないかコラボ被害報道するな」とか完全にダメだろ。"ネット雰囲気"て自TLだけで言ってるよね、維新政党新風から一歩も変わってない。

自分は暇空茜の動機には興味ない、不正追及に興味あるだけ」と言ってた人達、暇空茜の主張は殆ど否定されたのにColaboに謝罪しないのか。謝らないのなら自分達も単に粗探ししてただけと自白してるようなものだろ。

今のところコメントしてくれているメンツで信頼に足るのは、もはやこのあたりの方ぐらいだ(ほかにコメントまだの人で8人ほどいる)。

https://anond.hatelabo.jp/20230107122435

よくわからないけど、

よくわからねえなら口閉じろカス

言葉っていうのは常に「文脈」を持っていることは理解すべき。文脈ちゃん理解するのは、聴く側、読む側の義務

お前は「よくわからないけど、」とか抜かすのに

他人には「ちゃん理解するのは、聴く側、読む側の義務。」とほざくのすげーな。

頭蓋に何が詰まってるんだ?

俺の予想ではオッズ1.1ぐらいで「排泄物」なんだが

 

    

文脈抜きでも意味が一貫している言葉文章は、法律官僚答弁にすぎない。

そういう言葉遣いしかしてはいけない、となったら言論の自由死ぬ社会科学査読論文でも、そこまでガチガチじゃない。

ゴチャゴチャゴチャゴチャ

内容の薄い冗長駄文文脈を読んでやると要するに

自分達の差別性のある言動だけは差別発言として読まれるべきではない」

って言いたいのね。

 

ああはいはい

寝言ね要するに

 

 

個人的には「キモいおじさん」は、差別非難すべきほどの言葉じゃないと思う。

ここで言う「おじさん」が、風俗日常的に金を払える程度の強者男性を指していることは明らかだから

ミリも明らかじゃねえw

風俗に行く男を批判するならそう書けばいい所を

キモいおじさん」と書いて無関係な同属性人達攻撃レンジに入れる理由is何?

  

ここを答えられないか

文脈が―とかモニャモニャモニャモニャ逃げ惑うしかねえんだろ?

  

そんなことより差別やめた方が早くねーか?

過不足なく「女を買う男」とは言いたくなくて

どうしても「おじさん」って言いたいのは

より広範囲嫌がらせをしたいミサンドリー差別心じゃないなら何なんだ?

  

もちろん差別だと言う批判はあってしかるべきだけど、なんで差別なのかはちゃん説明しなければならない。

とっくに説明されてるだろ

説明されたら「よくわからないけど、」って逃げるだけだろ?

  

 

たとえばある特定在日コリアン犯罪集団があったとして

俺がその集団批判するていで「キモい在日」って書いたら許されるか?

 

どう考えても関係ない、真面目に暮らしてるコリアンを巻き込んでるじゃねえか

これが差別じゃないなら何なんだ?

わざわざそういう書き方をして注意されてもやめたくねえっていうなら

「ああこいつは在日コリアン全体に悪意を持ってて、口実作りながら差別して攻撃したいんだな」って解されるよな

 

解されるって言うか見抜かれるよな

お前等見抜かれてるんだよとっくに

自覚がねえのはお前等だけ

体裁繕えてるつもりでケツ丸出し

 

 

こうやってズバリ指摘されれば

キモい連呼か「よくわからない」んだろ?w

   

バカ丸出し差別丸出しなの当人達だけまだバレてないと信じてる

ほんとに間抜け差別主義集団だわ 

  

 

キモイと言われただけで何やってても被害者面できるんだから、男って相当イージーモードだよな

未成年児童内臓の中に自らの性器を擦り付け快楽を得る行為(なお、児童側ではがんやHIVの発生リスク高まる)」を金で買う犯罪者のクソ野郎がただ「キモイ」と言われただけで

キモイ言葉暴力差別攻撃!酷い!」と大げさに痛がって被害者面してる男様を見てると、本当男ってイージーモードなんだなと思う

ガキの頃、誰かに嫌がらせちょっかいをかけ続けて怒らせた結果、「バカ」とか言われて反撃されたら泣き出して「ウェーン!!!先生あいつが俺にバカって言ったー!!!」って被害者面して何故か嫌がらせされてた子に謝らせるクソガキいたじゃん。「キモイ」だけで被害者面する男ってその成功体験で今まで来たんだろうな

人を100回殴っても、1回殴り返されたら被害者面できるっていう

それが通用すると思ってる時点で男って相当イージーゲームだよな

「金で他人内臓の中に自らの性器を擦り付け快楽を得る行為を買う行為(なお、労働者側ではがんやHIVの発生リスク高まる)」とか、「女性には何をしても問題ないと思い、性的暴行を加える行為」とか、「女性であることを理由嫌がらせを行う行為」を行うクソ野郎が、「キモイ」と言われただけで被差別人種になるはずがないのにね

こう言うと「でもキモイおじさんはおじさん全員をキモイ扱いしてるから差別用語!」とお気持ちを述べてくる男さんもいるけど、

「『形容詞名詞』の文は、『名詞』が全て『形容詞』的であることを主張する意味を持つ」と考えてる時点で日本語能力が著しく欠如しているので日本語能力試験の勉強をすべきでは?

「いや俺の日本語能力には問題ないんだ!」と思うんなら、勝手にそう思ってこの世に存在する『形容詞名詞』の文を書いた全ての人に対して抗議をしてれば良いのでは?

anond:20230107085814

そもそもキモいおじさん」

って若い女性が職場セクハラを訴えたら職場から嫌がらせされてクビになるのが

10-20年前ぐらいは当たり前で(それより前は訴えることも不可能

女性がおじさんのセクハラを嫌う時点で社会的地位を失うのが同等だった時代

女性性犯罪おじさんを拒絶する力を与えるための言葉だろ

さらにいえば、この時代の男は女が声を上げないのが悪い(言ったら言ったで全力で叩き潰すけどな)とか言ってた。

 

昔は平気でセクハラできた時代

セクハラを嫌がる女をクビにして貧困に陥れて風俗に行かせる、みたいな男が天国だった時代から

キレるのはわかるけどさあ

 

昔に戻したいんだろうな。

そういう男は天国みたいな時代にさあ。

 

昔はうまく行っていた、女も幸せだったっていうけど、これがある時点で嘘だからな。

 

文脈的には性犯罪被害者加害者批判してる内容。

から犯罪者とか犯罪者予備軍が吹き上がってる。

anond:20230107023219

小学生の頃、近所の友達(男)にキモって言ったけど、相手は傷つかなかったよ。

かにキモイコール嫌がらせしないで的なニュアンスで言ったけど、別にそれ自体はそれでいいでしょ?

相手キモい経験者に質問

一度でも、誰か相手に向けて

キモい、って言った経験がある人へ

質問

キモい人を、包摂できますか?

キモくてもいいんだよ」「そのままでいいんだよ」「キモくても何も悪くなんてないんだよ」

そんな風に、言えます

無理だろ

生理的に無理、って表明したのに、それでもキモいと言われた人が動かなかったら

わたしが嫌だと感じてることを進んでしている” ってみなすんだろ

嫌がらせ、ってみなすんだろ

キモい」=「嫌がらせをしないで」

そういう意図だろ

違うか?

もし違うなら言えるはず

キモくていいんだよ」「そのままでいいんだよ」「キモくても何も悪くなんてないんだよ」

さあ

言ってみろよ

無理ならせめて、認めろ

キモい」=「嫌がらせをしないで」

だと認めろ

室井佑月さん「キモいはやめろ」「あなたたちは矛盾している。もう嫌がらせはやめろ」週刊朝日コラムで仁藤夢乃さんや北原みのりさんに苦言か | ガジェット通信 GetNew

https://getnews.jp/archives/3372195

ほうほう、これが伝説の「内ゲバ」というヤツか…

2023-01-06

anond:20230106212358

仁藤さんってどう考えても被害者だよね???

普通会計の事なんてわからなくて当然だよ。

なんで帳簿がしっかりしてないんだ!って叩いてる人はそれこそ会計の事を何もわかってない。

なんのために税理士を雇ってるとおもってんだ。

colaboも年間56万も税理士に払って経理を依頼してるわけ。

それは東京都への報告からも明らか。

まり税理士仕事してないんだよ。

許せない!!!!女がやってる団体からって手を抜いてんだよ。

普段毎月の経理見てる税理士と同じか分からないけど、今回の監査でColaboの貸借対照表作成したのは「公認会計士税理士の矢崎芽生さんという方です。この方は、いわゆるNPO会計基準の会計スペシャリストでもあり、NPO法人会計基準専門委員として会計基準の策定にも関わっているとされる有識者の一人」

となっている。

これほどの人が出した貸借対照報に「疑義がある」なんて嫌がらせかナニカの陰謀以外ありえないでしょ!?

ともかく、ナニカcolaboに問題があるとしてもそれは仁藤さんの責任じゃない。

金をもらっておいてマトモな仕事してない税理士が悪い。

今すぐ記者会見を開いて税理士を訴えるべきだと思う。

anond:20230106212358

仁藤さんのお金の使い方が正しいか正しくないかおいておいても

行動は間違ってると思う。

https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1611314565375201281

ちょうどはてぶにこのツイートが上がってきてたけど

「高額の食事代と言われて2万円以上の領収書を探して何人で食べたか確認、単価計算ということ等を数ヶ月繰り返す日々で、単価見るとこんなもんかと悲しくなった。」

と思うなら、その金額を言えばいい。

もちろん安くても批判は来るだろう。例えば…

「何!? サイゼリア20人で飯食って2万円だと!?1人千円も食ってるじゃねーか!!贅沢しやがって!!!

と暇アノンが言ってきたら反撃のチャンスだ!

監査人のひどい嫌がらせです!

なぜ、これが問題なのですが?弱者女性は1食千円の贅沢も許されないのですか!?と言ってやればいい。

そりゃ、官僚とか多くの地方公務員ワンコインランチだよ。

一部上場企業に努めてるエリートサラリーマンだって、380円の牛丼食って頑張ってたり弁当持参で1食200円で頑張ってるから

それを盾に卑劣批判をしてくるかもしれない。

「われわれは1食500円で我慢してるのに税金で1000円のランチだと!?許せん!!!

とか言われるだろう。

でも、そんな批判無視すればい。

きっと味方も湧いてくる。

いいじゃん。千円くらい。贅沢も必要だよ。

金額を明かさないから変な憶測が生まれるんだ。

さっさと、監査人に問題視された食事について語ったらいいんだよ。今更気にすることはない。

Colabo暇空大戦勝利条件と着地点

何がどう転ぼうが、両陣営とも勝利宣言して吹聴するであろうことは間違いないので、

第三者が見てどう思うかという観点から


①Colaboが起こした名誉毀損裁判

これは普通にColaboが全面勝訴するだろう。

実際、タコ部屋デマとかで攻撃していたのは言い訳のしようがない。

(Colabo側も脳のない家畜がどうとか酷い言葉を発信しまくっているので裁判官は「なんやこいつら……」とドン引きするかもしれないが)


こんな裁判絶対勝ちめないって暇空氏も、暇空氏の弁護士もわかってるはず。

賠償金がフルで認められたら1100万円だっけ、これは暇空氏なら普通に払えてしまうんだろうが、しか

「例の件、団体側が勝ったんだって

あんな自信満々だったのに暇空氏全面敗訴したのか」

という世評は必ず発生する。Colabo側も当然、勝ち誇りまくるだろう。

ネットバトル由来の裁判において「敗訴」のインパクトは極めて大きい。

野次馬は「暇空負けたんだ」とだけ理解して興味を失うだろう。

が、ここまでは暇空氏も、その支持者も、さすがにわかってやってんだよね?

その上で、なんかわからんが別のところでの勝利を目指してるんだよね?

「敗訴」のインパクトを押し返せる勝ち筋があるんなら、教えてほしい。

暇空氏が弁護団と共に起こすと予告している裁判がいくつかあるようだが、

何をどうやったら暇空氏が勝訴する裁判に持ち込めるのだろう?

監査請求に対する2月28日締め切りの報告

暇空氏の支持者はこれを楽しみにしているようだけど、これそんな大した話なの?

暇空氏はさんざんタコ部屋だの共産党だの不正受給だのナニカだの大陰謀論を展開してきたわけだろ?

それはほとんどが「デタラメ」だったわけじゃん?本人も支持者もそれはわかっとるよね?

その上で、仮に書類や申告にちょっと不備があったぐらいで、何をどのように大勝利宣言できるのだ?

しかも、不正受給どころか、間違って過少申告してた額がけっこうあって、

返還金なんて相殺されそうだし、少なくとも暇空氏の言うような「悪意で不正受給」は否定されるじゃん。

だいたいColaboが悪いってより東京都が悪いんじゃない?

しかもこれは2月28日の報告が不足だった場合の話であって、ちゃんと報告できる可能性もある。

しか監査請求(よくわからん)が受理されるのは異例のことなのかもしれんし、

補助事業ではなく委託事業であること、公金を使っていることを改めて指導徹底せよ」

みたいな怒られはちょっとあったけど、仮に、仮にそれらを全部認めたとしても、

暇空氏の大陰謀論とはかけ離れているのは誰でもわかるじゃん。

仮に、仮にColaboが2月28日ちゃんと報告できなかったとしても、

世間の、第三者の印象は、「やっぱり暇空の陰謀論デタラメだったのか」ってなるよ。

だってそれまでの主張とかけ離れすぎてるもの。「敗訴」とはインパクト全然違う。

「もうColaboは負けている」と主張する人たちは、勝ち負けのポイントをどこに置いてるの?

まさか

「金と時間だけはある暇空氏が、負けようとなんだろうとColaboへの嫌がらせ訴訟を起こしまくる」

みたいな泥仕合になればいいと思ってるのか?

そうなったら、ネット野次馬も、政治家も、メディアもみんなColaboをかばうよ。

本当に何をもって勝利しようとしているのか?

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

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