はてなキーワード: 奈良時代とは
://note.com/d_v_osorezan/n/n5647b3a2c2be
1 優しい人は優しいんじゃなくて他人に関心がないだけ
2 漫画を描いてるとき、キャラクターと同じ表情になってしまう
3 失礼な人から「イラストをタダで描いてくれませんか? どうせすぐ描けますよね」というDMが来た
4 テレビの取材を受けた一般人がフォロワー500人くらいでめっちゃ多いみたいな扱いをされている
5 北海道を隅から隅まで1日で旅行しようとする人への注意喚起と、北海道の大きさを本州に当てはめたマップ
6 ネットに出しているコンテンツは氷山の一角であり、その下に地味な苦労という名の氷塊があるのだという図解
8 一見すると画用紙に実物が乗っているようにしか見えない、端がはみ出している絵
9 一見すると画用紙に実物が乗っているようにしか見えない絵に見せかけた、実物
14 現実の地形をゲームに例えて「終盤に行ける場所」「爆弾で壊せる壁」と表現する
15 電光掲示板がエラーでWindowsの青画面になっている
16 野原ひろしはすごい
17 「学校ではメイクを禁止するくせに、社会に出た途端に当然の身だしなみと言われる」という話
20 水曜日も休みにしたら平日が必ず「昨日休みだった」「明日は休み」になるから嬉しいという提案
21 8時間労働は人間が働くことのできる最大の目安時間だったのに最低限になっている日本はヤバい
25 俺たちオタクは未来の老人ホームでこういうことをしている
26 発達障害かもしれないけど病院で診断されなかったらただのクズになってしまうので怖い
27 今年の出来事を箇条書きにすると奈良時代と一致するみたいな話
28 懐かしアニメのリバイバルが多すぎて昭和の人に教えても信じられないだろうみたいな話
31 マンガの書籍化を持ちかけてきた編集者がフォロワー数の話しかしないので不信感を示す
34 マスコミに取材を受けた人による横柄な態度や不本意な切り取りの告発
35 高額なクレカ支払いの明細を見たら全てに心当たりがあった
37 Twitterのサーバーが落ちたことを書こうとしたらTwitterが開けない
38 お菓子が年々小さくなってるので数年後には0を下回ってマイナスになる
40 国語の教科書ネタで笑っているオタクを実例にして「これが教養の必要性」と言う
41 帰ってきたらめちゃくちゃになってる部屋と反省してなさそうなペット
43 チョコレートを食べたい時はこの栄養素が足りない、といった食い違いのリスト
45 古代の奴隷は意外と福利厚生がしっかりしていて現代人の労働者はそれ以下
47 飲むと寝れる何か
48 男の言う「ぽっちゃり体型」は充分痩せている
49 ベッドに入って数分で寝てる人は気絶してるだけ
52 日本人には宗教的タブーはないが飯を粗末にすることがそれにあたるという話
53 CHANELのコットンはもらうとがっかりするからやめろという話
54 インスタ民は映え、フェイスブック民は成功アピール、ツイッターは失敗談がウケるという話
56 フォロワーがみんな絵を描けて博識で……みたいに万能かのような錯覚に陥る
58 恋人と一緒にいるように見せかけて一人で無理な体勢で自撮りしている
60 老夫婦の微笑ましいやりとりを盗み聞きする
62 マツケンサンバⅡは叩けボンゴと言っているがサンバに使わない、といった指摘
64 初めての同人誌で何冊刷るかの見通しは、時間を冊数で割ると「○秒に1冊売れなければならない」という結論になる
65 餅が毎年老人を殺しているのに規制されないのはなぜか
66 部屋の奥から賞味期限がものすごく昔のボトルや缶詰が出てくる
68 子どものマンガ・アニメ・ゲームを禁止すると逆にオタクになる
69 YoutubeやTiktokがあった頃に10代じゃなくてよかった、あったら絶対馬鹿なことしてたという話
70 「とりあえず○巻まで読めばいいから」と言ってわざと急展開のど真ん中や終盤まで読ませようとする
72 人と関わっているとMPが減っていって誰とも話したくなくなるが、人間嫌いなわけではないという主張
73 栄養剤の「絶対に休めないときに」みたいなキャッチコピーへの反発
74 旦那の友達がいる場で旦那が家事に協力的じゃないことを告発し、空気を凍りつかせてしまったという話
75 5日の平日の疲れを2日の休日で癒やしているうちに終わってしまうのはおかしい
76 アニメやマンガの規制が厳しい国のほうが犯罪率が高いというデータ
78 ツイッターのオタクは適職診断で芸術家タイプと出てるがそれは社会不適合者ということという話
79 うつ病になるのは心が弱い人ではないという話
81 文字の羅列から最初に見つけた単語が「あなたに必要なもの」だが、特定の文字だけでかい
83 「逃げてもいいんだよ」っていうけどネットの人は逃げた後の責任なんかとってくれない
86 暗い作品を「ほのぼのした作品です」と偽ってオススメする
87 雪にお湯をかける東京都民
88 1mの津波は1mの高さの波が延々と続いているのでやばい
89 イクメンという言葉があるけど親が育児するのは当たり前だろう?という指摘
93 道徳の授業では先生が気に入る回答をしないと先生や生徒から袋叩きにされるという話
94 老人が「最近の若者は酒も飲まないし車も買わない」と言うが、不況で金がないんだよという話
95 ペットや子どもが変な動きをするので病院に連れていったら「ただそういう奴」というだけで健康だった
96 新卒が「○○ってなんですか?」と訊いてきて世代の差を思い知る
98 若いうちに厨二病になっていると陰謀論にハマらないという説
99 絵師は「○○に似ている」と言われると傷つく
品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)さんのNoteが復活したら消します、以下内容
ツイッターをやっていると「これまたバズってるなあ」と思うことがよくあります。
私がやっているdiscordによくバズっているツイートの形式をまとめる部屋があったので、それを参考にしながら100コ選んでみました。
1
優しい人は優しいんじゃなくて他人に関心がないだけ
2
3
失礼な人から「イラストをタダで描いてくれませんか? どうせすぐ描けますよね」というDMが来た
4
テレビの取材を受けた一般人がフォロワー500人くらいでめっちゃ多いみたいな扱いをされている
5
北海道を隅から隅まで1日で旅行しようとする人への注意喚起と、北海道の大きさを本州に当てはめたマップ
6
ネットに出しているコンテンツは氷山の一角であり、その下に地味な苦労という名の氷塊があるのだという図解
7
8
一見すると画用紙に実物が乗っているようにしか見えない、端がはみ出している絵
9
一見すると画用紙に実物が乗っているようにしか見えない絵に見せかけた、実物
13
14
現実の地形をゲームに例えて「終盤に行ける場所」「爆弾で壊せる壁」と表現する
15
16
野原ひろしはすごい
「学校ではメイクを禁止するくせに、社会に出た途端に当然の身だしなみと言われる」という話
18
19
水曜日も休みにしたら平日が必ず「昨日休みだった」「明日は休み」になるから嬉しいという提案
21
8時間労働は人間が働くことのできる最大の目安時間だったのに最低限になっている日本はヤバい
22
むりやりな黄金比
25
26
発達障害かもしれないけど病院で診断されなかったらただのクズになってしまうので怖い
27
懐かしアニメのリバイバルが多すぎて昭和の人に教えても信じられないだろうみたいな話
29
30
マンガの書籍化を持ちかけてきた編集者がフォロワー数の話しかしないので不信感を示す
32
34
マスコミに取材を受けた人による横柄な態度や不本意な切り取りの告発
35
高額なクレカ支払いの明細を見たら全てに心当たりがあった
36
37
Twitterのサーバーが落ちたことを書こうとしたらTwitterが開けない
38
お菓子が年々小さくなってるので数年後には0を下回ってマイナスになる
39
40
国語の教科書ネタで笑っているオタクを実例にして「これが教養の必要性」と言う
41
帰ってきたらめちゃくちゃになってる部屋と反省してなさそうなペット
42
43
チョコレートを食べたい時はこの栄養素が足りない、といった食い違いのリスト
44
45
古代の奴隷は意外と福利厚生がしっかりしていて現代人の労働者はそれ以下
46
47
飲むと寝れる何か
48
男の言う「ぽっちゃり体型」は充分痩せている
49
ベッドに入って数分で寝てる人は気絶してるだけ
50
51
52
日本人には宗教的タブーはないが飯を粗末にすることがそれにあたるという話
53
CHANELのコットンはもらうとがっかりするからやめろという話
54
インスタ民は映え、フェイスブック民は成功アピール、ツイッターは失敗談がウケるという話
55
56
フォロワーがみんな絵を描けて博識で……みたいに万能かのような錯覚に陥る
57
58
恋人と一緒にいるように見せかけて一人で無理な体勢で自撮りしている
59
60
老夫婦の微笑ましいやりとりを盗み聞きする
61
62
マツケンサンバⅡは叩けボンゴと言っているがサンバに使わない、といった指摘
63
64
初めての同人誌で何冊刷るかの見通しは、時間を冊数で割ると「○秒に1冊売れなければならない」という結論になる
65
餅が毎年老人を殺しているのに規制されないのはなぜか
66
67
68
69
YoutubeやTiktokがあった頃に10代じゃなくてよかった、あったら絶対馬鹿なことしてたという話
70
「とりあえず○巻まで読めばいいから」と言ってわざと急展開のど真ん中や終盤まで読ませようとする
71
72
人と関わっているとMPが減っていって誰とも話したくなくなるが、人間嫌いなわけではないという主張
73
栄養剤の「絶対に休めないときに」みたいなキャッチコピーへの反発
74
旦那の友達がいる場で旦那が家事に協力的じゃないことを告発し、空気を凍りつかせてしまったという話
75
5日の平日の疲れを2日の休日で癒やしているうちに終わってしまうのはおかしい
76
アニメやマンガの規制が厳しい国のほうが犯罪率が高いというデータ
77
78
ツイッターのオタクは適職診断で芸術家タイプと出てるがそれは社会不適合者ということという話
79
うつ病になるのは心が弱い人ではないという話
80
81
文字の羅列から最初に見つけた単語が「あなたに必要なもの」だが、特定の文字だけでかい
82
83
「逃げてもいいんだよ」っていうけどネットの人は逃げた後の責任なんかとってくれない
84
85
87
雪にお湯をかける東京都民
88
89
イクメンという言葉があるけど親が育児するのは当たり前だろう?という指摘
90
91
93
道徳の授業では先生が気に入る回答をしないと先生や生徒から袋叩きにされるという話
94
老人が「最近の若者は酒も飲まないし車も買わない」と言うが、不況で金がないんだよという話
95
ペットや子どもが変な動きをするので病院に連れていったら「ただそういう奴」というだけで健康だった
96
新卒が「○○ってなんですか?」と訊いてきて世代の差を思い知る
97
98
99
絵師は「○○に似ている」と言われると傷つく
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ツイッターはオタクしか使ってないんだからインスタやフェイスブックみたいになろうとしないでほしいという話
ありがとうございました。
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
飛鳥に29、40、41代天皇の墓があって大阪、奈良に16代天皇家族の墓があるのは変だなと思って経済史的に考えてみた。
4世紀、帯方郡と卑弥呼が滅び、渡来人が辰砂利用技術を持ってきて、初代天皇が立つ。天照・卑弥呼から曾孫の代は出雲にも進出。
5世紀、貿易で成功した15〜16代天皇は大阪と奈良盆地に進出して栄える。巨大古墳を作る。
6世紀、29代のとき任那が滅びて百済貿易が中心になる。渡来人が増えたので32代までに飛鳥京が開発される。それで銀山も開発されたが、場所は秘密。
7世紀、33代は遣隋使を送り、34代は遣唐使を送ってまた大陸貿易栄える。36代のとき百済が滅びて渡来人が増えたので38〜41代が奈良を再開発。飛鳥京は国内統一のための機関になり、統一後は廃止。
8世紀、渡来人がいるので43代に古事記(たぶん百済系)、44代に日本書紀(たぶん漢人系)ができる。45代が奈良大仏。47〜49代あたりに続日本紀ができる。50代(平家祖のひとり)が長岡京、平安京を開発。しばらくすると、インフレが酷くなりしばしばデノミをする。
平安時代は長いので飛ばして11世紀、唐と平家が滅びて道教の公家が衰退、仏教の武家が台頭。大陸も日本も諸国分立時代。
古墳の年代が正しいなら、天皇は4世紀からで、5世紀に大阪・奈良時代が始まり、任那滅亡のあとしばらく飛鳥京がある。飛鳥京の謎の石造物は任那系渡来人が来る前のものだろう。そもそも2世紀に福岡伊都国に千如寺が建ったときは天皇がいないだろうし、新羅系渡来人も鉱山開発をしてる。
天皇陵のある奈良や飛鳥や古墳作りがが廃れたのは、国内統一し終わって割の良い古墳作りを村人にさせる必要がなくなったとか、そのあたりの銀山が閉山したとか、任那や百済が滅びて古墳が流行らなくなったとか、産廃の利用方法を古墳作りの他に見つけたとか、唐辛子や香辛料が入ってきて、料理に忙しくなったとか。
初代天皇の父親の墓が鹿児島にあるとされているが、だったら隼人の反乱が起きるはずがないと思う。
だいたい古墳の主は仮託もできるし、もしかすれば戦争の死者が埋められてるかもしれないわけだ。律令制のあとは古墳がないんだろ。
他の教科だとなかなかこうはならない。
小学校1年生の漢字を覚えていなければ小学校2年生の漢字を覚えられないということにはならない。
奈良時代の学習を完璧に理解していないと平安時代の学習がうまくいかないということもない。
同じ理系科目である理科(物理化学生物地学)も、たとえば小学校の学習ができなくても中学校で、中学校の学習ができなくても高校で、得意になれるくらいには、カリキュラムは独立している。
小学校1年生の学習を理解しないまま、小学校2年生の学習に進むことはできない。
学習したつもりでも、実は理解しきれていない箇所があれば、必ず後に響く。
もちろん他の教科も初めから順番に学んだ方が当然わかりやすいし、それに越したことはない。
ただ数学のそれとは取り返しのつかなさが違う。
一方、他の教科は、推奨レベルやお勧め解放順、必要ポイントの差はあるけれども、基本的にはどこからでも取っていけるスキル表だ。
この数学の積み重ね性を表す顕著な例として、たとえば、高校3年(2年かも?)で習う微分(導関数)の定義を考えてみる。
f'という記号が導入されて、limなんちゃらかんちゃらで、f'(x)は定義される。
そうしたら教師が、例えばf(x)に具体的な関数x^3を当てはめると、ここがこうなって、3x^2になるんですと。
この「具体的な関数」って言葉、面白いよなあとつくづく思ってしまう。
中学の頃には、関数を理解するため、xに「具体的な数」たとえば10を入れて考えてみましょうとか言っていたはずなのに。
具体的ってなんだ?
コトバンクで調べると、「はっきりとした実体を備えているさま。個々の事物に即しているさま。」だという。
小学校で初めに数を習う時、我々は指を折ったり、タイルを数えたり、林檎を想像したりした。
そうだ、それこそが真に具体物だ。
したがって我々は、導関数の定義を「具体的に」理解しようとする際、まずf(x)に具体的な関数x^3を当てはめ、そのx^3を理解するためにxに具体的な数10を当てはめ、さらにその10を理解するために林檎10個を思い浮かべ……
とはならない。
関数のことを理解する時、我々は数のことはもう既に具体的だと思って接している。
同じように、導関数の理解に臨もうという段階では、個々の関数のことはもう具体的だと思えるようになっている。
そう思えるようになるほど、個々の数や関数に対する様々な操作を、手癖レベルで熟達し、理解している。
そうして、その新たに手に入れた具体物を土台にして次の抽象が受け入れられるようになる。
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
トランスジェンダー差別と言われるもののよくわからないところは、「その人の自称する性別で扱ってあげないと差別」というところだ。
人には相手の年齢や性別を識別する機能が備わっている。目の前の相手の顔や声や背格好、視覚情報と聴覚情報を脳で統合した結果から相手の性別を認識できる。それに従って目の前の相手を「何歳ぐらいの男性/女性」として扱っている。
おっさんがおばさん扱いされたいと思うのは自由だ。しかし、そう願うおっさんをおばさん扱いしないのは差別なのだろうか?
もしおっさんが、「女性として生きたい」ではなく、「イケメンとして生きたい」と思っていた場合、おっさんをイケメンとして扱わねばならないのだろうか?そうしなくては差別なのだろうか?
なぜ「性別」の場合に限っては、「自認」に基づいて判断しなければ差別なのだろう?
性別や人種や家柄は自分で選べるものではない。私はアメリカ人だと自認しています。私は奈良時代に生まれたと自認しています。などといくら言っても、変わることはない。性別も同じだろう。
「心の性別」という言葉があるが、それはトランスジェンダー当事者にしか認識されないものだ。普通の人は心の性別の存在など気づかない。あってもなくてもいいものだ。だから近年になるまで周知されていなかったし、普通の人は口にもしない。その目に見えない「心の性別」では「私は男だ/女だ」という自認をしているから男として/女として扱って欲しいと言われても、「あっはい」としか思えない。「身体の国籍は日本人ですが、心の国籍ではフランス人なんです」と言われるのと同じだ。こちらからすれば「心による自認」など荒唐無稽な戯言である。
しかし心の性別と心の国籍には大きな違いがある。心の性別に関しては「性同一性障害」という障害が医学的に認識されていて、同じような問題を抱える人がたくさんいることだ。
そう、それは病気だ。病気には理解を示すべきではないか。科学が証明しているのだ。トランスジェンダーは存在する。思い込みではない。性同一性障害者は性同一性障害者であるから、その人の自認に従って扱ってあげなくてはならない。
自認している、相手がそう思っているから、そうしてあげなくてはいけないのではない。イケメンだと思い込んでいても不細工なら不細工として生きねばならない。が、性別に限っては体の性別と自称する性別が異なる場合は病気だから、認めてあげなくてはならないのだ。
ーーーというような説明でトランスジェンダーを認めるべきだと言われているように思う。
病気の人を医学的に望ましいとされる病気の人のための扱い方で扱わないことは差別なのだろうか?
統合失調症の妄想には肯定も否定もしてはいけない、というが、統合失調症患者の妄想を否定することは差別なのだろうか?その場合でも、健常者の妄想を否定することは差別ではないはずだ。
何が違うのだろうか。
ただ、「医学」の言葉に従わずにいるだけの話ではないか。医学の言うことを認めろ。医学に従え。そのような要請を聞き入れていないだけではないか。
病気を病気だと認めないことは果たして差別なのだろうか?『統合失調症なんて存在しない。こいつは気が狂ったふりをしているだけだ』と主張することは差別なのだろうか?科学的にはーー確実に統合失調症は存在する。しかし科学的な、論文の蓄積こそが真実だとするのは、価値観の押し付けではないか?
科学や医学や現代的な価値観で、性同一性障害の存在を認めないことを糾弾して良いのだろうか。性同一性障害への接し方を押し付けるのは全体主義ではないか?
「病気の人への接し方」が正しくないことを差別だというのはおかしいのではないか。単なるわからずやでしかないのではないか。「正しさ」に従わないことを差別と呼ぶのはおかしい。善悪はともかく「差別」の用法として間違っているだろう。
もし個人の尊重というところに立ち返るのならば、医学の話をする必要はない。しかし、心の性別は心の国籍とおなじ思い込みに過ぎないということになるし、男扱いされたい女も、イケメン扱いされたいおじさんも、若い娘として扱われたい婆さんも同じものということになる。
結局「性同一性障害者の性自認を認めろ。それが正しさだ」という規範の話でしかなく、それを差別どうこういうのは間違いなのではないか。
このような考えも「黒人も白人と同じ人間だと認めろ。それが正しさだ」という規範の話として黒人を人間扱いしないのと同じ行動なのだろうか。
全国各地にある。いろんな人がいろんな気持ちで倒しそう。
伊東博文像打倒の歴史は古い。銅像はなんと生前から造られ、そして生前から銅像は暴徒によりボコボコにされていた。
そのうち急進派の奈良県民により打倒されるだろうと思っている。
俺は奈良の大仏を日本史の奈良時代で習うのはおかしいと思っている。
奈良の大仏は源平合戦の頃平重衡により、戦国時代ではおなじみ松永久秀によりぶっ壊された。
奈良の大仏は日本史のぶっ壊しの伝統を今に伝え、そして再建の歴史を今に伝える。ありがとう重源! ありがとう公慶!
これをまたぶっ壊す!! なんと爽快だろうか。