「帯方郡」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 帯方郡とは

2024-10-29

anond:20241029093349

200年の三韓征伐のあと、後漢朝鮮半島帯方郡を作ったとき日本には邪馬台国が作られました

ところが職を失った征伐軍のモンゴル鮮卑らが蜂起して後漢を分裂させ、海を渡って邪馬台国制圧しました。これが古墳人と呼ばれており当初の古墳は彩色古墳でした

卑弥呼が没すると軍を挙げて近畿制圧しますが、このあたりが記録が殆ど無い空白の4世紀です

 

鮮卑中国で晋や北魏を建て、近畿では朝鮮族を起用して飛鳥京を建てます蘇我馬子です)

北魏が分裂すると、漢人を起用して随に統一しま

唐の時代になると日本朝鮮族平城京建設しましたが、鮮卑中国の晋書、日本記紀などの半偽書を書かせました

記紀では中国元号が始まる紀元前140年ぐらいに日本元号も始めて、古墳時代天皇いたことにしました

実際は初代神武から仲哀または15代応神までは、邪馬台国制圧した鮮卑軍団であり、鉱業技術がありました(木材防腐剤の朱砂を扱うためスサノオと呼ばれます

卑弥呼神功皇后天照大神)を妻にし、死後は新羅人と思われる大神比義を使って応神を祖とする八幡神宇佐神社)を創始したと見られています

 

のち、飛鳥奈良朝鮮族仏教化することで八幡神の侵攻を防ごうとしましたが、八幡神壬申の乱のころ近畿に入り込み、法隆寺に火を掛けたりしたので、おそrかう朝鮮族漢族古事記及び日本書紀は、邪馬台国戦争は伏せた状態で書かせられたと見られます

鮮卑族は軍人司法機関として睨みを効かせています

しか鮮卑族の争いや偽書はしばしば発見されています

漢字で言えば、卑弥呼の卑は鮮卑の卑、ナと読む字(那や奈、福岡の奴の国)はその徴税機構になります

2022-05-24

喜多村、音的には北の村

伊都国から見て北は帯方郡

漢人系ありうる

2022-02-21

神功皇后卑弥呼で、福岡の橿日宮から三韓征伐に出立し、公孫康帯方郡を創設するのを支援した

それで帯方郡交易できるようになり、さら勢力をつけた

娘に壱与がおり、息子に応神がいたが神武ともよばれており、234甲寅年に東征

卑弥呼は248年に没し、壱与が筑紫島を治め、応神は近畿を治め、死後に古墳が築造された

 

日本書紀神武東征を先に書いており、神功の三韓征伐が後なのだが、

先に三韓征伐の話が出ると、神武東征に帯方郡の援助が匂うので神話化しにくいし

女性が初代天皇なのはマズかったのかもしれない

 

気になるのは、天照の命で神武より先に東征していた饒速日が、奈良神武に打ち取られたこ

いわゆる同族の争いだったかもしれず、天照=卑弥呼神功皇后豊玉姫ということになるのかも

2021-10-22

邪馬台国場所論争がしばしばあるが、そもそも魏志倭人伝の「陸行○日水行○日」は、とんでもない数字を書いてる

まり邪馬台国帯方郡以外と貿易しはじめるのは脅威だったか、あるいは他国に奪われたくなかったということ

邪馬台国需要はそのくらい高かった、文字商船武力があればもっと可能性があった

と思えば、帯方郡とともに滅びた国とはいえ、少しは元気にならんかね(無責任

2021-09-19

1世紀、前漢後漢あいだの20年ほど、新という国があり、亀貨が使われていた。そのころ淡路島日本初の鉄器工場ができた。赤色塗料あり、赤眉軍あり、薩摩隼人は顔を赤塗りしていた。そして2世紀、魏から卑弥呼と呼ばれた天照大神は亀の甲羅政策を占ったといわれている。

 

ただそんな原始的な国が諸国進出するだろうか。そこで推測してみる。

天照大神は、亀貨が戦火焼失に耐えるか試していた。天岩戸に籠ったのは鉱物を探すためだった。魏の帯方郡赤色塗料(丹)貿易をし、帯方郡が滅びれば百済人や新羅人鉱山開発をさせた。出雲にも銅や銀があるのを知り、大国主命を送り込んだ。

 

神という字は、示し申すと書くが、舞台のような四隅突出型古墳は、貿易港の伊都国、出雲のいずれにもある。

赤色鉱物産地の丹生神社は北は群馬まで、天照を祭る神社は、秋田にまであるお金が入ってくるから祭るんだろう?

2021-09-18

イザナミイザナギが作った最初の島は、淡路島とされている

404年の文献に淡路島にはイザナギ神宮があると書かれている

他に何があるかググってみた

すると淡路島には 五斗長垣内 舟木 など、鉄器生産所の遺跡があるという

工場建物は、神宮式ではなく竪穴式らしいので、弥生人が作ったはず

でもなぜ大阪でなく淡路島で、竪穴式でない神宮があるのか

おそらく工場主は渡来人だったということ

ゴッサ(五斗長)、カイト(垣内・開拓)、フナ(舟)、ギ(木)からすれば、5隻の船で来た

イザナミイザナギ、その子アマテラススサノオツクヨミで、ちょうど5人だ

 

ところで淡路島に行くなら、九州は当然に通るが、

九州の オトクマテンドウマチ遺跡青銅器遺跡から、おそらく弥生人のものだったろう

その卑弥呼時代の国や、朝鮮半島帯方郡は、鉄器製造技術の伝来のころ滅びているようにみえ

 

ここで気になるのは、イザナミから世代あとの神武天皇は、

古墳時代九州のウサツヒコ・ウサツヒメが建てた建物にしばらく滞在して、

そこから東征して大阪に行ったということ

まりイザナミイザナミ一族は、本部九州日向だったが、大阪上陸する前に、淡路島にゴッサ基地をたてた

ただ8世代越しの上陸計画ちょっと考え難いので、系図人物は増やされているかもしれない

ということで、ヤマト王権そもそも渡来人

2021-08-21

古代経済史を考えてみた

飛鳥に29、40、41代天皇の墓があって大阪奈良に16代天皇家族の墓があるのは変だなと思って経済史的に考えてみた。

4世紀帯方郡卑弥呼が滅び、渡来人が辰砂利用技術を持ってきて、初代天皇が立つ。天照・卑弥呼から曾孫の代は出雲にも進出

5世紀貿易成功した15〜16代天皇大阪奈良盆地に進出して栄える。巨大古墳を作る。

6世紀、29代のとき任那が滅びて百済貿易が中心になる。渡来人が増えたので32代までに飛鳥京が開発される。それで銀山も開発されたが、場所秘密

7世紀33代は遣隋使を送り、34代は遣唐使を送ってまた大陸貿易栄える。36代のとき百済が滅びて渡来人が増えたので38〜41代が奈良再開発飛鳥京は国内統一のための機関になり、統一後は廃止

8世紀渡来人がいるので43代に古事記(たぶん百済系)、44代に日本書紀(たぶん漢人系)ができる。45代が奈良大仏。47〜49代あたりに続日本紀ができる。50代(平家祖のひとり)が長岡京平安京を開発。しばらくすると、インフレが酷くなりしばしばデノミをする。

平安時代は長いので飛ばし11世紀、唐と平家が滅びて道教公家が衰退、仏教武家が台頭。大陸日本諸国分立時代

古墳年代が正しいなら、天皇4世紀からで、5世紀大阪奈良時代が始まり任那滅亡のあとしばらく飛鳥京がある。飛鳥京の謎の石造物は任那渡来人が来る前のものだろう。そもそも2世紀福岡伊都国に千如寺が建ったとき天皇がいないだろうし、新羅渡来人鉱山開発をしてる。

天皇陵のある奈良飛鳥古墳作りがが廃れたのは、国内統一し終わって割の良い古墳作りを村人にさせる必要がなくなったとか、そのあたりの銀山が閉山したとか、任那百済が滅びて古墳流行らなくなったとか、産廃の利用方法古墳作りの他に見つけたとか、唐辛子香辛料が入ってきて、料理に忙しくなったとか。

追記

初代天皇父親の墓が鹿児島にあるとされているが、だったら隼人の反乱が起きるはずがないと思う。

だいたい古墳の主は仮託もできるし、もしかすれば戦争の死者が埋められてるかもしれないわけだ。律令制のあとは古墳がないんだろ。

2021-07-14

anond:20210713155728

中国帯方郡が滅びたとたんに、日本史の空白の4世紀が始まった

倭の五王大和国がやりたい放題やりはじめ、邪馬台国や伊都国が滅びた

 

記録を残すことができなければ身が守れない

しか邪馬台国に紙がなかったわけではなく、ただ記録を残す気がなかっただけだろう

 

まりたとえ大陸技術を手に入れたとしても、使いこなす気がない国なのだ

河があって船を作れたとしても、水上運送なんてことは考えもしないのだ

 

そういうことだから時代遅れの旧プロイセン憲法やらローマ帝国奴隷法を

憲法ハッピだ、民法整備だなどと言い立てる法曹詐欺師どもに騙され、

奴隷として特攻機に押し込まれたわけだ

2021-07-13

昔、伊都国や女王国が、魏や帯方郡貿易していたという

まあ大和国以前に国がなかったわけがないし

記録はきっと大和国以外のもののほうが信頼性が高い

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん