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2014-02-18

710年平城京遷都たか不明なのも定説になりつつある件

710大きな平城京、1192作ろう鎌倉幕府は、携帯電話の普及率並に日本人口に膾炙されていると思うのだけど、

1192作ろうだけじゃなく、710大きなの方も実は710年遷都してなくね?が定説になりつつあることを知ってもらいたい。


まず、遷都定義は、遷都の詔を発表して、さらに都に天皇が行くこと。

なので、遷都の詔を発表していない明治天皇以降の東京移転・在住は、果たして日本の都は京都から東京遷都したのか

からないことがよく語られるわけだけど、平城京のケースは後者の方で問題がある。


というのも、元明天皇708年遷都の詔を出して、710年に行くよ!とまでは『続日本紀』にかかれてるのだけど、

実際に710年に移ったのかはどこにも書いてない(694年の藤原京は書かれているのに)。

ま、それでも『続日本紀』ぐらいしか明記しているソースがないので20年前まではこれを信じることにしていたんだけど、

最近の発掘調査でどうも平城京建設が間に合っておらず、それに加えて元明天皇藤原京に残っていたのではと裏付ける史料がそこそこではじめちゃっている。


詳細を書くのはなかなか面倒なのだけど、1996年3月に『平城宮木簡五』が刊行される辺りが一つの潮目で、ここら辺で、

平城京の初期には、内裏、大極殿ちょっと施設が整備されていた程度だってことが明らかになって、それが本当に遷都できる体制だったのか?

という強い疑問が芽生え、共有されるようになっていった。この疑問のおかげで、ある発想の転換みたいなものが起こったのが決め手で、

なら、逆に施設、寺等が出来あがっていく順番を整理し、そこにどのように天皇家が関わっていったのか調べればいいんじゃね?

という主に寺側の史料と今までの発掘調査を横断的に使って研究を行った論文がそこそこの数出てきて、結局、下記のことが未来の主流になりつつある。


元明天皇710年遷都するって言ったけど、平城京に定住していることを示す資料は少なくとも714年以降であり、遷都したと言えるのは714年。



ところで、なんでこのエントリ研究者名前だったりを書かないのか疑問に思うかもしれない。しかし、そこはググってくれとお願いしたい。

実は、714年説は二つの問題があり、とてもじゃないが個人名書いて迷惑かけるわけにはいかないのです。

大問題一、は、714年説は、東京遷都したことを認め得てしまうこと(詔の効力を疑い、しかし、定住したか遷都したというのは東京説の正当化につながるため)。

大問題二、は、平城京一三〇〇年祭に研究者総出で参加しちゃったこと(偉い人ほどいろいろな形で参加)

ってことで、未来定説を知っては頂きたいものの、そんなの714平城京というゴロの使用は、もうしばらくお待ちいただければと思います

 
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