はてなキーワード: 奈良時代とは
二月一日
間もなく、特別展「人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分は美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館の東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。
特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのものは常設展の最初の部分、すなわち中国や西域の仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもので構成されているというか、あまりにも時代と地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ、普段はなかなか見られないマヤ文明の仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである。
で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国や朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器や勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧の君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分が東アジアの文化が好きな人間だからそう感じるのだろうか。
とはいえ、自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに、黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代の象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。
あとは、天然の石を削ってザクロに見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。
もう一つ興味をひかれたのは、漢代の画像石だ。学生時代の古典の教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形で表現され、遠近法は無視されている。エジプトの絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代のチェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。
そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうである。しかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章の校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生は仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。
自分にはそれこそ古代中国の官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日の気分転換に成功したからなのだろうな、という気がした。
近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ。
二月八日
特別展「出雲と大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院の世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。
おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝や重要文化財がごろごろとある。三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国の神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。
他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪に肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要な技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。
下世話な話だが、自分は動物の彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器を表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。
脱線が続くが、本当に不思議なのは、世界中の文化で男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシア・ローマに由来する彫刻や絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである。
閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれたものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。
ほかにも、神社に奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。
帰りは東京駅の田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そばか天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。
(1)「稲作」が普及した奈良時代まで(100万→500万)
(2)「二毛作」「牛馬の使用」など農業が改革された室町時代終わり(800万→1200万)
(3)「小農の自立」が起きた江戸時代前期(1200万→2500万)
(4)「産業の改革」が起きた明治時代(3000万→6000万)
(5)「経済成長」が起きた戦後(7000万→1億2000万)
となる。
もちろん医療の充実とか社会構造、家族関係などもこの間には変化しているんだけど、こう並べてみると結局「食い扶持」に連動して人口は変化するのだと分かる。社会構造がどう変わろうが、医療がどう進歩しようが、社会全体でその人口を支えられなければ結局人口は増えないし、社会がそれをまかなえる限り、人口は増えていくもののようだよ。
だから、個人的には「●●年後には日本の人口は半減!」とか煽る未来予測は嘘だと思ってる。冨がなければ人は増えない、冨があれば人は増える。多分、長期的にはそれくらい単純に出来てるものみたいだ。
おそらく賛成派の多くは「天皇になった愛子様を見てみたい」という単純な願望なのではないか。
天皇になること自体は、法律改正で可能となるからそれほどハードルは高くはない。
愛子様が適齢期になった場合、民間の男性と結婚して「皇族」になっていただく必要がある。
旧宮家の男性を招くという選択肢もあるが、美智子様や雅子様、紀子様の前例があるので民間から招くのが筋論であろう。
これは、美智子様はじめ民間女性を皇室に迎える以上に、難関ではないだろうか。
皇室に入ってくる男性だから、何かしらの「野心」を持っていないとも言い切れず、それをどうやって判別するのか。
日本の歴史上、民間人でありながら自ら天皇になろうとした、奈良時代の道鏡の例もある。
どうせ土器が二種類ありました卑弥呼がいましたくらいしか習わへんし
「土器が普及してから大和王権が成立するまで」の先史時代的な定義で。
「大和王権が成立してから大宝律令が制定されるまで」と定義して、
で、そのあとは王朝国家体制期という意味での「王朝時代」なんかな、よくわからんけど。
仮に朱雀天皇の即位および藤原忠平の摂政就任を区切りとすると930年か。
ここは短すぎるんよなあ。
明応の政変から安土桃山時代までを「戦国時代」として独立させるほうがええかもしれんね。
またなんか大きな変化があるまでひと括りでええんちゃうの。
昭和・平成・令和から取りつつ憲法にも引っ掛けて「平和時代」とかどうやろ。
土器時代 | 〜3世紀 | |
大和時代 | 3世紀〜701年 | |
律令時代 | 701年〜930年 | |
王朝時代 | 930年〜1185年 | |
鎌倉時代 | 1185年〜1336年 | |
室町時代 | 1336年〜1493年 | |
戦国時代 | 1493年〜1603年 | |
江戸時代 | 1603年〜1868年 | |
帝国時代 | 1868年〜1945年 | |
平和時代 | 1945年〜 |
どやろ?
うーん、まあそういうことを言いたい気持ちが分からんではないんだが、
(1) 和暦において二文字でない年号は「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」の五つしかない。これは奈良時代、聖武天皇の「天平」の後の20年ちょっとの時期に集中していて、それ以前にもそれ以降にも元号は二文字のものしか存在しない。
(2) 昭和54年、元号法が制定された時期の閣議報告である『元号選定手続について』(昭和54年10月23日 閣議報告、昭和59年6月29日 一部改正、同7月1日施行、昭和64年1月7日 一部改正):
https://www.kantei.go.jp/jp/content/20190208choukan_shiryou.pdf
の 2(2)イ に、
内閣官房長官は、候補名の検討及び整理に当たっては、次の事項に留意するものとする。
(中略)
「私は英語が話せます」は…https://togetter.com/li/1234512
講談としては面白いし、英語のうんちくも「ナルホドソウデスカ」って感じだけど、日本語論のところは眉唾で、あまり信用されると困るなあという印象。以下、気づいた点をメモ。
漱石の日本語は別に近代文学の最初のものではないし、その後のスタンダードでもない。明治に近代文学の濫觴となった二葉亭とロシア語の影響、鷗外文学のドイツ語受容その他様々なジャーナリズム、公文書、そして文法学的研究など明治二十年代、三十年代の様々な文学状況を無視して、現代人に聞こえの良い「漱石」と英語との関連だけで近代日本語の成立を語るのは乱暴極まりないし、漱石の影響を一番受けた芥川は文壇の日本語としてはどこまでも異質で、そして大正の終わりには滅びたような古臭い日本語だった。代わりに現代語の基盤を築いたのは、フランス文学に影響された自然主義や新感覚派の文学であって、これらの日本語は、漱石の日本語とは似ても似つかない代物だよ。
そもそも漱石の日本語が翻訳文体だというのもほんとに漱石読んだことあるの?というレベルの話で、デビュー当初のあの奔放な江戸弁と漢文脈のミックス体は、むしろ英語の影響を見て取る方が難しいと思うのだが。
まあ、本当の意味で英文翻訳文体が漢文脈に代わって日本語の基本になるのは、正直戦後じゃないかな。その典型は、日本国憲法かなあと思う。あれ、術語こそ漢文ぽいけど、構文や何かは英語そのものだよね。
それにしても英→日ができて日→英が不便だから「欠陥OS」という言い方はちょっと頂けないね。講談としても口が滑った感じだ。じゃあ英語は何か国語を翻訳できる優秀なOSなんですか?って。機械的な翻訳を馬鹿にするが、奈良時代の昔からそれが海外の文化を一気に取り入れるときの日本語の十八番なんだよ。そうして、中国語、ヨーロッパ諸語と、複数のまったく文法体系の異なる言語を構文レベルで移入しながら独自の言語としてのアイデンティティを維持する…そんなアクロバティックな進化を経てきた言語を、軽々しく扱おうとはちょっと不見識が過ぎるんじゃないかね。
英語をやってると、とかく英語ができるってことでひとかどの知識を持っているかのように思い込む輩がいるが、この人は一応は勉強家のようだから、そういう輩の轍を踏むことの無いよう祈っておくよ。
文字通り、
という話だ。
結論は、
(ただ、5月などの休日祝日がいまだに決まらないので、年間変形労働制のカレンダーが決まらない)
だった。
「明治 M01」
「大正 T02」
「昭和 S03」
「平成 H04」
としており、次は
「●● ○05」
とするだけだ。
まあ、取引先各社の現場で調整しなければいいけないこともあるので担当者は地獄をみそうだが、消費税アップよりは何とかなりそう、と。
あとは、
「アルファベットが重ならないように」
「伝統に返りすぎて奈良時代の『天平神護』みたいに4桁にならないで」
祈るばかりだ。
うちは官公庁とも取引が多いのだが、来年は全国的に大がかりなイベントが多い。
「2月 即位30年」
「4月 統一地方選」
「7月 参院選」
ただ、その反面、元号が決まらないと、実作業に取りかかれない。
年度末の3月末に納品すると逆算すると、
「2月下旬に元号発表」→「3月上旬に校正」→「3月内に完成」
とならざるをえない。例年のように1月や2月から印刷を始めるということもできない。
本当に困った。本当に困っている。追加メンバーをどうするのかが、今回の会議の議題だった。
それより怖いのは、「消費税」だ。
はスケジュールに決まっている。
以前の8%引き上げの時に下準備は終わっているが、