他の教科だとなかなかこうはならない。
小学校1年生の漢字を覚えていなければ小学校2年生の漢字を覚えられないということにはならない。
奈良時代の学習を完璧に理解していないと平安時代の学習がうまくいかないということもない。
同じ理系科目である理科(物理化学生物地学)も、たとえば小学校の学習ができなくても中学校で、中学校の学習ができなくても高校で、得意になれるくらいには、カリキュラムは独立している。
小学校1年生の学習を理解しないまま、小学校2年生の学習に進むことはできない。
学習したつもりでも、実は理解しきれていない箇所があれば、必ず後に響く。
もちろん他の教科も初めから順番に学んだ方が当然わかりやすいし、それに越したことはない。
ただ数学のそれとは取り返しのつかなさが違う。
一方、他の教科は、推奨レベルやお勧め解放順、必要ポイントの差はあるけれども、基本的にはどこからでも取っていけるスキル表だ。
この数学の積み重ね性を表す顕著な例として、たとえば、高校3年(2年かも?)で習う微分(導関数)の定義を考えてみる。
f'という記号が導入されて、limなんちゃらかんちゃらで、f'(x)は定義される。
そうしたら教師が、例えばf(x)に具体的な関数x^3を当てはめると、ここがこうなって、3x^2になるんですと。
この「具体的な関数」って言葉、面白いよなあとつくづく思ってしまう。
中学の頃には、関数を理解するため、xに「具体的な数」たとえば10を入れて考えてみましょうとか言っていたはずなのに。
具体的ってなんだ?
コトバンクで調べると、「はっきりとした実体を備えているさま。個々の事物に即しているさま。」だという。
小学校で初めに数を習う時、我々は指を折ったり、タイルを数えたり、林檎を想像したりした。
そうだ、それこそが真に具体物だ。
したがって我々は、導関数の定義を「具体的に」理解しようとする際、まずf(x)に具体的な関数x^3を当てはめ、そのx^3を理解するためにxに具体的な数10を当てはめ、さらにその10を理解するために林檎10個を思い浮かべ……
とはならない。
関数のことを理解する時、我々は数のことはもう既に具体的だと思って接している。
同じように、導関数の理解に臨もうという段階では、個々の関数のことはもう具体的だと思えるようになっている。
そう思えるようになるほど、個々の数や関数に対する様々な操作を、手癖レベルで熟達し、理解している。
そうして、その新たに手に入れた具体物を土台にして次の抽象が受け入れられるようになる。
フェルマーさん頂点でいいのん
積み重ねの土台に問題があったらやり直せばいいだけ 土木工事と違って取り返しがつかないなんてことはない