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はてなキーワード: 初等教育とは

2014-11-16

エロ計算

音ゲーしてる時に身体のリズムを取ることに意識しすぎるとうまくいかないことが多々ある。

音をちゃんと聴かずに身体のリズムだけを基準にするとズレてくるのは当たり前なんだけどね。

この意識の仕方は大袈裟に言えば周りをちゃんと見て行動する意識形成に役立つから初等教育に取り入れるべき。

という話を音楽先生にしたら音楽教育音ゲーを取り入れるという発想自体が全く無かったと驚いていた。

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エロに関しても全く同じことが言える。某イオンド大学という凄い大学の某アダム徳永という人物はニコ生デビューしたはいいが

卑猥発言をしすぎたために数ヶ月で撤退を余儀なくされた黒歴史を持つが、彼のセックス観は常に俯瞰的視野を持つというものだった。

よくムードを大切になどと言われるが、ムードに飲まれてはミイラ取りがミイラになるので、ムード俯瞰することが大切だ、

という発想がカウンセリング理論における脱中心化の発想に相似している。児童教育においても見守る大切さが言われるが、

見守ることは決して放置ネグレクトではなくむしろ対極にある、愛そのものとも言える行為なのである

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ここ10年、いやここ5年に人工知能ができることは随分と増えた。電王戦で厳選されたプロ棋士達に勝ち越したのは記憶に新しいが、

少し昔ならありえないと思われていた相貌認識も人のそれを超える性能を身につけるに至った。さすがのミンスキー博士もこれにはびっくりである

それくらいIT技術進歩にも匹敵するくらい昨今の人工知能技術日進月歩の感がある。ともすると笑いのタネであったニューラルネットなども随分現実的な話になってきた。

これで人間感性までを扱えるようになる準備が整ったといっても過言ではない。電王戦で今回も出る予定のやねさんもボカロ作曲に携わるとかなんとかかんとか。ニャンともピンとも。

新地平が見えて音楽情報処理学会捗るというものである

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そうなってくると当然のことながらエロだって計算できる。やっとタイトル回収。当然コンピュータが描いたエロ絵で当然のようにカく時代だって当然目の前に当然迫ってきている。

いまエロ情報評価にはDMMAmazonpixivの星の数のような人間レビュー頼りにしすぎている所があるじゃーん?しか個別作品ごとに評価しないといけない。

「この商品も見ています/買っています」だけは優秀だけどねそれ以外はてんで駄目。これからはそういうのも人工知能予測計算してプッシュ型のレコメンデーションが可能になるのだよ。

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人間って比べると価値判断が歪むことが多いんだよね。一面しか見ずに比較したりするし、さらに言うならば比較できない部分も多々あるからね。

スペック上は優れているはずなのに糞なパソコンっていくらでもあるでしょう。電気店員は売りたいものを客に比較させて売る。

でも比べたい、比べて一番いいのを選びたいというのが人情。そこで人工知能が出てくるわけです。

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で、最初の話に戻るけど漫才なんかにも話の間合いやテンポなどのリズムがあるでしょう?けど比較しようという心、

私どものほうではヨガ言葉を借用して分別心と言っておりますが、比較しようという心が前に出すぎるとうまくいかない。

こっちの言い方よりこっちの言い方のほうが笑いがとれるかなとか。笑わせようとすると笑われるの法則

常日頃から選びに選んで引き出しに入れておいたネタドン滑りにでもなってごらんなさい。三日三晩うなされて布団から出れません。

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エロだって同じで選ぶんじゃない。すでにそれはもう選ばれている。流れというものが既に存在しているわけだからね。

それをまず感じ取る必要があってこれは大変なことなんだ。だからそれが出来る人は我が国の貴重なエロ人材とも言える絵師なわけ。

けどこれから起きる大惨事産業革命職人の手仕事をことごとく奪っていくだろうね。

2014-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20141029183532

疑問があるのが「外国語教育」なのか「それが英語であること」なのか分からないのだが

対象言語が変わっても基本的字体単語や文法を覚えるという過程は共通しているからな

語学初等教育たまたま利用者数の多い存在が選ばれたということ

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

2014-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20140906162128

創造性があってもそれをアウトプットできて

かつそれを利益公益転嫁出来る形に仕上げることが出来ないと

そんな創造性は全く無意味存在価値皆無。ゴミ

故に、5教科ゲーム如きがそれなりにこなせない人間創造性なんて

誤差の範囲ゴミクズだということが何故理解出来ないかな…。

たかが5教科ゲーム創造的な訓練を両立できない人間なんて

どうせクソの役にも立たないんだから、さっさと単純労働に放り込むべき。

教育コストだってタダじゃねえってのに。

こんだけ他人税金無駄食いして五教科ゲーム程度のこともマトモにこなせないって

どういうことだよそれは。

初等教育終了時に下位5割ぶった切るくらいのことはするべきだろ、どう考えても。

本当に創造性のある人間なら教育を与えなくても問題ないはずだしな

少なくとも、元増田ちゃんに異論があるはずもないよな。自分で「五教科ゲーム無意味」って

主張してんだから

2014-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20140826201105

子供らしいノビノビとした感性」とかい漠然としすぎな謎概念を全ての言い訳にして基本技術教育を全くしない初等教育のクソ教員は全員死ねよってマジで思う。

ほんとうに今すぐ猛省した上で死んで欲しい。

2014-04-24

学力テストの成績を公開すれば貧困地区がわかってしま

学力テスト学校ごとの成績を公開すればそこの地区貧困具合がわかってしまう。

教えているほうの問題もあるけれど、初等教育においては親の学力が何より影響する。

なので公開されて、最下位層にいる学校がある周辺はほとんどスラムに近いと思ってよい。

2014-03-29

ゆとり教育の何が問題かというと

ゆとり最大の罪は、教える内容の難易度を落としたことではなく、

若いうちに身につけないと手遅れになるような基礎をきちんと身につけさせる

時間を軽視したことだと思う。

学力の面で言うと実は今の教育実践の問題って教師が"いい授業"をしようとする部分にばかり意識を注ぐことなんよ

物量を減らそうというゆとり教育の背後にも"わかりやすい授業をしたい"という教師の意識が大きくあって、

ここ20年で失ったものは実は知識を定着するのに必要な"単純な反復作業"だったりする

これから必要なのはこの見失っていた部分の重要性をもう一度見直すことだと思う。

そもそも教育目的特に初等教育目的は世の中を知ることではなく、世の中を知るための読み書き計算基礎基本を徹底的に反復強制で身につけさせること

実はまさにその知識ではなく"社会を知るため"の授業をしようというような崇高な教育観が、ゆとり教育代表されるここ十数年の教育界にはあった。

しか現実に考えればわかることだけど、世の中を知るなんて壮大なことは実際に社会人になり様々な成功や失敗を繰り返しながら50代、いや60代になってか、やっと社会の一端を知れる程度のもの

学校目的無限にあるそれぞれの進路の中で、社会人として生きていくための基本的な"自立の素地"を作ることであって、

崇高な理念の元、この基礎基本が疎かになり、自立の素地が危うくなってしまった。

すなわち自立する、そのために色々考える頭を養う、それが基礎教育だと思う。

2014-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20140227143026

男子女子学力差は、早くて中学、遅くて高校の頃には逆転すると思うんだ

難関高校難関大学の生徒・学生の男女比や、大学受験向け模擬試験の成績の男女の差とか、逆転を裏付けデータは山ほどあると思う。

から女性について、初等教育を前倒しすることは賛成だけど、中等教育にはもっと時間をかけるべきだと思う

2014-01-26

私もどちらかというといじめられる側人間だったけれど、今になってみるといじめられる側が逆に訴追される状況はむしろよく理解できる。

無料初等教育なんて所詮集団行動をするかしないか程度しか教えられないんだから指導要領だの読み書きだのなんてのは建前)

いじめなんてのはその指示に従わず学校の意義を認めない人間に然るべき制裁を加えているだけ。

それなのに後からあれはいじめだとか人権がだの言ってイチャモンつけてくるんだからむしろ「いじめっ子」と教師のほうが被害者だと今になってみると割と本気で思う。

そもそも崩壊家庭の児童がザラにいる30人学級の教師なんていうのは絶望的な激務でまともな人間はならないってのはすぐに調べれば分かるのだし

(本来なら学習指導教員と心理面や家庭環境面での指導教員を分けるべきだろう)

いじめっ子ヤンキーや教師が「やつら」だから糾弾してもいいディープ・ポケットだ、みたいなことをすぐ言う言論は信用できない。

「やつら」だって半分ぐらいはどうせ成人してから所得格差地方格差にやられるのだ。

繰り返すけど無料小学校如きに集団行動以上の自閉傾向児への対処なんてのは仕様最初から入ってない。ましてや学力文章力なんてねえ。無理だよ。

先進国だって碌に文章が書けず四則演算が出来ない成人がざらにいる、ってのも今は調べればすぐにわかることだ。

現実的な対策としては反撃して肉体性を示すことで「やつら」に入れるならそうすればいいけど、多分そうはならないだろうというのが今回の事件なので

親に金があるならきちんと金を払って追加の教育サービスを購入する(私立に行かせる)べきだし、

まあ多くの自閉傾向児とその家庭にはそんなことは無理なんだろうけど、だったら素直に家に引きこもっていればいいと思う。

別に運動ヤンキー活動やセックスをしないで生きる方法は幾らでもあるのだし学力なんて自分で後から調べればいい。

2013-11-19

掛け算順序問題の何がアホかってさ、

「答えは合ってるのにバツをつけると子供が萎縮する」とか「数学嫌いが増える」とか「利発な子の成長を止める」とかなんとか言っちゃってるけど、

たかだか掛け算のテストの文章問題ひとつ間違えて萎縮しちゃうような子は当然他のカリキュラムでも間違えて同じように萎縮してるし、

たかだか掛け算のテストの文章問題ひとつ間違えて数学嫌いになっちゃうような子は当然他のところでも間違えて嫌いになるし、

たかだか掛け算のテストの文章問題ひとつくらい、利発な子は適応して教師の要求を汲み取って合わせちゃうんだよね(だからそういう子を伸ばしたいんだったら私立に行かせるのが本人のためなんだけど)

あと、日本初等教育の水準の高さは当然評価されてるし、テストでも好成績。

子供理系離れが叫ばれる以前から同様の問題はあったわけで、上に挙げたようなのを救ったところで誤差程度の向上でしかない。

しろ教師側のコストが今以上に膨れ上がってしまうのは見え見えだし、これを変えたからってもっと教育水準が高くなるとも思えないんだけど。

http://togetter.com/li/591545

http://www.anlyznews.com/2013/11/blog-post_19.html

2013-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20131026001736

横だけど、なに?教育では「正三角形二等辺三角形ではない」って教えるの?マジで???

ほんと日本初等教育数学センスの対極にいるな…。酷すぎる。

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919142831

・そもそも、教育意味を理解していないか大学に来ない! それ自身がすでに教育がないということで違憲状態・勝訴

 ↓ 

ハーバード大学 授業放送へ みんなー ハーバード大学に興味を持ってくれー << いまここ

おかしな話だね。教育への興味、理解を持たせたいなら初等教育でしなきゃ意味ないでしょ。

ハーバード大学の授業を流したところで、興味があって理解力のある人間しか見ないっしょ。

学費無料とは全然別の流れの話だと思うんだけどなあ。

2013-08-10

日本鉄道ファン多いのは、富国強兵政策の遺産

日本明治以降、鉄道を「国力の象徴」として、初等教育現場で積極プロパガンダした。

鉄道唱歌はまさに初等教育でのプロパガンダの典型だろう。

当時の日本人は「軍艦戦車に憧れるように、鉄道に憧れた」。

その象徴が「満鉄」への憧れだろう。

戦後、「軍艦戦車への憧れ」は「タブー」となった(一部のミリタリーオタクを除く)が、

鉄道への憧れはタブー視されることなく継続し、新幹線戦後復興の「象徴」になった。

日本人鉄道ファンが多い源流は、富国強兵への憧れがあったのでは?と思う。

一方、中国朝鮮インド民衆にとっては、鉄道は「列強侵略の象徴」であり、

完全にネガティブアイコンになっている。

日本人にとっては「満鉄」は憧れでも、中国国民にとっては「打倒すべき存在」となる。

これらの国に今でも鉄道マニアが少ないのは、

鉄道に対するイメージ政治的にネガティブ」だった点も影響してるのでは?

中国などでは、民衆の間では未だに鉄道ネガティブイメージで、

中国鉄道省は「中共利権腐敗体質の総本山」みたいに思われてる

2013-07-22

参院選投票率が52%と聞いて

有権者の1/2が投票に行かなかったということになりますね。100人組織だったら、48人は投票に行っていない。それってどうなんでしょう。

当然投票率世代差、地域差というのはあるものと思う。特段の事情があり、投票所に行けないというケースもあるかもしれない。上京した学生住民票実家に残したままで投票できないことがあるかもしれない。

しかしながら、二人に一人が投票しない状況というのはいかがなものでしょう。いくらなんでも変じゃないですか?道行く人10人とすれ違ったらそのうち5人は投票していない。

世の中に対する関心が極端に欠如しているのか。特定の候補者擁立しているような組織所属していないので投票先が決められないのか。それとも選挙という制度を理解していないのか。

いずれにしても初等教育の段階で、現代普通選挙権利であると散々刷り込まれてきたことだろうに、どうして投票しないのでしょう。

共感できる政策がないのだったら一番ましなところに投票すればいいじゃない。共感できない人が当選しないように違う人に投票して抗うのもいいじゃない。

今回の選挙特に気になる候補者がいて、動向を見ていたのですが、結局知名度が勝る候補者に敗れてしまった。

結局のところ全体の利益というものを理解できない人が多い(利益は人それぞれでしょうけど)。投票しないのは論外として泡沫候補面白半分で入れたり、知名度で選んでどうするの?そういう無思考状態の輩が跋扈する状況ってどうなんでしょう。

想像以上に何も考えずに生きている層がいるんだなと感じた。もう制限選挙にしてもいいよ。

職業、居住地、学歴などのセグメント情報投票状況を紐づけたらおもしろい結果が出そうで気になる。結局政治しろ経済しろ大部分はフリーライダーなんでしょうね。

ともあれネット選挙が解禁されたりと少しだけ情報オープン化されておもしろかった。

2013-02-17

会社説明会にて高学歴理系院生就活に危うさを感じた

[20130218追記]

タイトルがよくなかった。大学名をボカすために「高学歴理系院生」とした次第で、そのすべてには当てはまりません。自分が話した工学系・理学系の修士学生10数人のうち8,9割に危うさを感じただけで、一般性もなにもない。

同じような人が多いかなと言う憶測に基づいています

ブコメを読むと、理系は推薦使うから別にいいじゃん、と書いている方がいますが、最近は推薦でもコミュニケーション力重視を会社側が明言してるところ多いですよ。平気でたくさん落ちます

自分のとこの会社は推薦でも自由でも受けることはできるけれど、推薦でも最終面接合格合格率は3倍くらい。

あと自分スタンスについて説明しておく。OBの若手社員としてエントリーする学生を増やすことが目的。せいぜい今後の人事との面接で話すことになる志望動機をつくってもらう練習相手。なので自分会社にいい後輩が入って欲しいというのもなくはないけれど、後輩にいい就活をして欲しいというののほうが強いかも。よく面倒をみてた後輩たちも就活しているのでかぶっている、かも。

思い込みの見当外れブコメも多いけれど、けっこう手厳しいブコメが多くて反省

わかりやすい文章を書けるよう精進します。

概要

会社説明会で某地方国立大学生何人かと話して危うさを感じた。たぶん無い内定がまたたくさん現れる。なんとかできるのはいまのうちだけ、かも。

前提

先日、某地方国立大で催された会社の説明会に社員側として参加して学生たちと話をする機会があった。みんな理系で9割くらい修士で9割くらい男。

うちは業界では規模・売上・知名度とも国内トップ会社。もちろん、トップからいい会社というわけではないけれど、エンジニア採用も多い会社、とだけ説明しておく。

会社説明会をしてきたといっても自分は人事ではない。うちの会社の方針でエンジニア系の採用大学OB/OGが説明会をすることになっている。エントリー後はwebテストがあって、そのあとに人事や事業部の偉い人が面接していくという流れになる。今回は評価や面接はしなくて、あまり知られていない会社のことを説明して、多くの学生エントリーしてもらうことが目的

説明会のほかに、お昼を一緒に食べてざっくばらんに話をしたり、個別で相談/面談してきた。自分12,3人くらいの学生と話をすることができた。そこで感じたのだけれど、大学生就活けっこう危ない。

趣旨

このままじゃ内定とれない学生がたくさん出そうと思うので、後輩のためにアドバイスという意味も込めて書いてみる。直接言うのもあれだしブログで書くと名前会社がばれると面倒だし、学生ネット民多そうだったので匿名ダイアリーで失礼。

とは言っても、きちんとした採用活動の訓練を受けているわけではないので主観的な要素も多分にあると思う。補足や批判などあればお願いしたいし、共感できれば就活している学生に共有していただければ、と思う。

もし内容に、これおれのことじゃん、と思った方、勝手に使ってすみません就活がんばってください。よければ弊社にエントリーしてください。


今回あった学生のよくないところ
1.会話が下手。かといってなにか取り柄があるようには見えない。

この日に話した10数人のうち、8割くらいは人と話すのが不得手そうであった。会話に割り込む。ぼそぼそしゃべる。一方的に話し続ける。下を向いてしゃべる人すらいた。

別に勧誘したり説得したり説法したり商談したり((あとダーラボンのまねをしたり))と高度な話術を求めているわけではない。面接みたいに緊張する場所雰囲気でもなかったし、噛んだり整理されていなくてもいい。ただ自分のやっていることを話して欲しい。

エンジニア研究者志望ということなら、多少のコミュ障ぶりは目をつぶれる。話し方よりも内容だよ。ということで、どういう研究しているかであったり、なにか勉強していることがあるかと聞いてみた。けれど、まともな返事が少ない。せいぜいありきたりなサークル活動がんばっていましたレベル

内容がないし伝える技術もないと就活は苦戦しそう。

これだけ会話が下手な人が多いと、日本企業コミュニケーション力を重視するのもうなづける。

これまでは、技術力よりもコミュニケーション力を重視していて世界の競合と戦えるのかと苦々しく思っていたけれど、もしかしたらこれは正しい戦略なのかもしれない。日本学生には、人になにかを説明したり相手の質問を理解する力、いわゆるコミュニケーション力が足りない人が多く、たとえ技術力があったとしても発揮できない。((使う側の能力の問題では?という指摘もあるかもしれない。それはその通りで、使う側にそういう能力を持った人が少ないので採用しないと思われる))

一方で、自分主観的で狭い交友ではあるけれど、欧米の人は議論する能力がある人が多い。初等教育から高等教育までディベートや議論、質疑応答を訓練する機会が多いからかもしれない。その前提があるから欧米企業ではあえてコミュニケーション力を評価対象として大きく扱わないのではないか。とも考えられる。

2.理系高学歴なのに意外と論理的でない

社員学生が1対1か1対2くらいの個別面談では、会社の気になるところがあれば疑問を解消してもらうことと、実際の面接での話のネタにしてもらうくらいのスタンスだったのだけれど、学生からはあまり聞きたいことがないようだったのでこちらから質問していくことが多かった。

「どういう業界を志望しているのか。そのなかでこの業界、この会社を志望している理由は?」といったものと「大学でなにか打ち込んだことは?」((模範解答は「くさび」))というド定番

商社も志望してるんだね。もしよかったらその中でもどう考えているか聞かせてもらってもいい?」

「〜商事がいいかな、と思ってます。前に会った社員さんにフィーリング会う人がいて。〜物産ちょっと違うかな、と」

・・・(それって君の大学マジキチひとりとあったら君の大学ひとみんマジキチだと思うようなものだけど、サンプル数大丈夫か)」

社会インフラに携わりたくて、電力以外のインフラ志望です」

「なんで電力以外なの?」

「某原発見学に行ったとき現場のひとの態度が悪くてこれはないと思って」

「ほかのインフラはそういうことはないの?(なんでわざわざ電力以外とネガティブな言い方をするんだ・・))」

SIerを志望しているのはどうして?」

社会貢献したいから」

「ほかの業界でも社会貢献はしているよね。SIerならではの社会貢献ってなにか考えてる?」

・・・

「A社を考えています大企業はあんまり

「A社はい会社だとは思うけれど、ほかの大企業とはなにが違うの?(そもそもA社も東証一部上場大企業・・・)」

ものづくりがしたいと思っていて、企画から完成まで携われそうだから。」

「ほかの会社ではそういうことはできないの?」

「こまかい部分しか担当できなさそうで」

「A社にはその部分ごとの担当専門家はいないの??部分を担当する人がいないならよほど小さい製品か、相当の少数精鋭かだけれど」

「」

2月という就活の序盤で、業界が定まっていないのは当然だしかまわないのだけれど、先入観だけで判断していて、それを先入観と気付いていないのはけっこう危うい。

のものずばりな動機なんてなかなかないけれど、論文などで必要になる研究の背景とか目的と同じで、多少の味付けと詭弁はあってもそれなりに筋は通っているものを用意して欲しい。

しかすると、こういう志望動機を言うのは茶番だ、という指摘もあるかもしれない。それは自分も思う。

けれど、海外と違って経験無し能力不明でも採用され得る日本新卒採用ではそういうとこでしか差別化できない。((その是非は別問題。解雇規制もあるし会社にとっては良くないと思う))

海外に比べて、日本新卒市場は圧倒的に学生有利なのでもうちょっとチャンスを生かして欲しい。

会社の説明会で行ったのに、就活相談と言うよりもアドバイスと練習になってしまたかもしれない

3.危機感に欠けているひと多し

上記でだいたいわかると思うけれど、みんなあまり準備していない。楽天的というか自信過剰。無邪気に内定とれるものと思っているフシがある。先輩の惨状とか知らないのかもしれない。自分は違うとでも思っている?毎年々々、M2M1に「就活結構大変だから早いうちに準備して手広く受けた方がいいよ」と言ってM1は「自分はだいじょうぶ」と思って失敗するのを見聞きする気がする。

戸愚呂(弟)がひとにらみしたら消えるレベル

参考:セルゲームに学ぶ「再チャレンジ支援税制」:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

こういうのもあった。

「ほかにどういうとこ見てるの?」

メーカーみていますパナソニックとか」

「え、経営状況悪いけどいいの・・?」

関西で働きたくて」

「え、けっこう東南アジア工場で勤務する人多いけれどいいの・・?」

ここで「いまは業績は悪いけれど、パナソニックのやっているスマートホームの事業はまだまだ可能性があって、自分研究のこういうところで貢献できる、おれならこうする」とか考えているなら別だけれど、そういうわけでもない。(自分就活していた数年前はすごい人気だったのを棚に上げています・・)


じゃあ学生はどうしたらいいか

とりあえず、どういう動機でもいいのでいきたい会社があれば、そこの面接官にこいつを欲しいと思わせるためにはどうしたらいいか考える必要があると思う。会社選びは難しいしどうしたって先入観まみれになるので動機が恣意的になるのはやむを得ない。

ここあたりのことについてはいろんなひとが書いているので省略。

むすび

もちろんちゃんと考えていて行動している学生もたくさんいる。すでにヨコモジのコンサルとか金融内定もらっていたり、エンジニアだとweb系のベンチャーインターンしていたりしている学生も少なくないようだ。

イケてる業界でもイケてる会社でもないからそういうイケてる学生が集まっていないだけじゃないか,大企業志向・安定志向学生ばかりじゃん、と言われればそれまでだけれど、会社説明会にわざわざ足を運んでくれた10数人の学生のうちの多くがこういう状態だったというのは暗澹たる気持ちにさせる。

能力はあって、ちゃんと考えているけれど、それを面接なりで伝えられなくて落ちる学生が多いのはもったいない

小手先テクニックと言われれば否定はできないけれど、消えない幻は現実リア充のように振る舞って、リア充のようにみえるならばそれはリア充時間は短いけれど新卒就活をうまく利用して欲しい、な。

以上、散漫とした、主観的な文章で恐縮ですが、感じたことをぼかして書いてみました。

この記事は見る人が見たら誰が書いたか分かると思いますが、わかった方はこっそりしておいて欲しいです。

(ここまで書いてきた批判は、たぶん学生だった頃の自分にも当てはまっていた。無能なわりに自信があった自分の鼻っ柱を折ってくれた先輩に感謝たまたま内定とれたけれど、もうちょっとちゃんと就活しておけば良かったかなとは思う。)

2012-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20120719202252

初等教育で役にたつものだけ教えるっておかしいでしょ。

最初は役に立つものも立たないものも教えて、高校~大学くらいで、自分理学的思考をするか工学的思考をするか気付けばいいだけでしょ。

小学生理学思考させるな! って意見はどうもね。

そうでなくても、初等教育理科社会は実生活に即し過ぎて基礎的な要素が乏しいのに。

2012-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20120617231840

小平邦彦さんの受け売り初等教育から国語と算数/数学(線引きはどこにあるのでしょうね)を重視するとよいと思っています計算機についての技術水準が十分発達すれば,地球生態系において,人間の地位をもう少し適正化してよいものを食えるようになったりあるいは人類機械に置換され陳腐化したりするのではないかと思っています.いわゆる理科系数学科学工学というのはある種の特権的な実効性を持っているのです.もちろん倫理政治芸術経済産業実業的な技術や,もろもろの人材多様性と卓越性を損なうのも得策ではありませんので,数学科学技術教育への偏執を主張するものでなく,日本国の現状の海外への投資が盛んで国内比較的大きな市場とやや老朽化しつつあるしかしながら全般的に高度なインフラストラクチャが維持されているような様子を鑑みても,ある種の高度な専門家人工知能政治行政における問題解決能力の向上のために必要と思っています

2012-03-25

国歌不起立教員の再任用認めず 大阪府教委「勤務実績悪い」

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201203240177.html

俺はね、公教育というのはオワコンだと思ってるの。

教育大事さ。

国の未来は人が創るんだもの

でもね、公教育がそれを牽引するとはぜんぜん思わないんだ。

国が先端教育先端研究の担い手になる必要なんか無い。

むしろ有害

スパコン予算とかね、切られて当然だと思うよ。

江戸幕府が自前で世界一の蒸気船を造るとか言いだしたら、おいおいって思うでしょ。

操縦からシステム運用まで自前技術でやるとかいいだしたらさ。

あんまりいい例えじゃないのはわかってるけど、そんな感じだよ。

文一主席と理三主席10年分集めて純国産iPhoneとか純国産Googleを作ろうとか言い出したら、どういうものが出来るかなんとなく想像がつくでしょ。

偏ったっていいから、なにかしら思想がないと何も成せない。なにも作れない。

先端教育に限ったことじゃないよ。

草の根に至るまでの初等教育だって公教育である必要なんか無いわな。

それぞれの藩校私塾、多様な教育があったからこそ、いい人材が育ったんだろう?

幕府直轄で学制とか敷いちゃってたらさ、どんなに才能が溢れてても陽明学朱子学が駄目だと進級できなかったりしたんじゃね?

教育なんか偏ってていいんだよ。

それが正しかたか間違ってたか、偏ってたか公平だったかなんて、後の世になってみなくちゃわからない。

進化論を否定する学校とか、君が代を歌わない学校とか、いろいろあっていい。

カリキュラムだってバラバラでいい。

数学に力をいれようが、英語に力をいれようが、授業と称して池田大作を褒めちぎっていようが、構わないんだよ。

全体として多様性が保たれていれば。

もちろん、私立の学校なんて田舎にはないだろうから、公立をなくすわけにゃいかないよ。

公立しか選択肢がないそんな子供たちには気の毒かもしれないけど、悪いけどそこじゃ日の丸は掲げるべきだし、君が代は歌うよ。

子供に強制はしないとしても(したっていいと思うけど)、教職員はそれをするべきだよ。

なにかしら、ルール規範がないと成り立たないから。

キリスト教式結婚式をあげて、「神の前で愛を誓う誓わないは自由です!」ってわけにゃいかいから。

国歌斉唱が式目にあるなら、斉唱するのは参加者の義務にせざるを得ない。

ないなら、歌いたい人がいようが、勝手に歌いだされちゃ困る。

君が代を歌うのが正しいか、間違ってるか、そういう問題じゃなくてさ、式ってものがあるなら式目が必要で、だれかの判断で式目をつくらないとならない。

式目を作ったら、それの通りに式は進行させないとならない。

そういうことだろ?校長の判断でどうこうってのは。

でさ、この人の言い分ってのはおそらく、

「勤務日じゃないか私人として式に参加してるだけだから君が代を歌う義務なんかない!ビラを撒こうが、プライベートな活動だからとやかく言われる筋合いはない」

ってことでしょ?

そりゃあ通らんよ。

退学になった生徒がバイク乱入したって同じ理屈が成り立ってしまうじゃん。

「俺達生徒じゃねーもん!特攻服できたけど、卒業生を祝うために一般参加しただけだもん!」

でもありになっちゃうでしょ。

君が代を歌うのがおかしいと思うなら、選挙で一票を投じろ。

それ以上はするな。

2011-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20111223214321

言われたことしかできない大人が出来る理由がこの辺か・・・

社会ではリスクを取って、外へ出ようとか言っておいて コレか。

この教育では、自由な発想ではなく、言われたことを厳密に、言われてないことは1mgもやってはいけない。みたいなネジみたいな人間が生まれてもそら、仕方ないわ。

初等教育では、生きていくのに必要なことを優先して教えてやれよ。

代数学云々より、発想の自由のほうがよほどじゅうようだろ。 代数学ウンなんたら言うなら、大学行って必要なやつだけで十分だろ。

逆にコレを重要だというなら、企業とか、リスクを取って海外へとか事業起こそうとかいうな。

官僚になって、言われたことを言われた通りやることが至上だと社会全体で主張すべき。

2011-10-05

初等教育はどうあるべきか?

乱暴な理論であることを承知の上お読みいただきたい。

教育問題が取りざたされて久しい。

私はとある私塾講師として授業を受け持っていて、担当は高校3年生が中心である

高校生ともなれば、ある程度の学力のばらつきが出るのは当然であり、

高校の授業内容を全員が等しく身につけることは必須ではない。

有り体な言い方をすれば、良い大学受験したい人はしっかり勉強すればいいし、

そうではない人は適当にやっていればいい。

実質的教育問題とは、とくに初等教育の問題であると考えてよいだろう。

特に、生活のリズム社会マナーを身につける小学校という場について考えてみたい。

そもそも、小学校教員はどのようにしてなるのだろうか?

一般的なのは教育大学あるいは教員養成教育学部をもつ大学に進学することである

河合塾大学入試ランキング

http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k205.pdf

を見てみると、教員養成系の大学偏差値は50~55程度が多いように見受けられる。

これらのレベル大学卒業した学生教員となり、現場児童教育することになる。

一方、教育の政策決定レベルではどうだろうか?

文部科学省官僚は、そのほとんどが東大閥であろう。

http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k203.pdf

によると、東京大学文科一類偏差値は70である

自分の高校時代を思い浮かべてもらいたい。

偏差値70のトップレベル集団と、平均点そこそこの集団は違う。

具体的な人間を思い浮かべてみてほしい。

さて、教育特に初等教育は、親からの目が特に厳しい職業である

小学校教員のもとには毎日まさに鬼のようクレームが寄せられるらしい。

そんな業種として、他に医療が挙げられる。

止む終えない理由で患者が亡くなってもすぐに訴訟される。

そしてその医療の担い手として大きな役割を果たすのが医師である

医師になるためには医学部医学科に入学する必要があり、その偏差値理系の中でもトップクラスである

http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k210.pdf

によると、国公立の医学部医学科の偏差値は65~70程度が多い。

教育医療も、周りの期待が大きい。耐え切れないほどの重圧がのしかかる。

教育現場では、現場教員裁量がかなり大きい。

教員の立ち振る舞い方で、児童はいかようにも変わっていく。それが初等教育であると考える。

かつて、私立医学部入学するのに必要な偏差値は50を切っていた時代があった。

今では軒並み65程度まで上がっている。

医療教育、私には共通する部分が多いように感じられる。

医療現場では、患者やその家族との信頼関係を作るように現場レベルでの指導が行われ、徐々に大学医学部での教育も変容しつつあるようだ。

教育も同じであるべきである。その時に求められるのは教員いか児童保護者との信頼関係を気づいていくか。

それを念頭に置いた教員養成のための教育が、今の限られた教職課程の授業の中で行われているのか。

そしてそれを実現できうるレベル学生が今の教員養成系の大学に集まっているのだろうか?

教育を本当に志す者のための教員養成機関になっているだろうか?

決して、就職先がない人の掃き溜めであってはならない。

しかし、教育には夢がある。未来があるはずである

強い信念を持った素敵な教員が増えることを願ってやまない。

2011-08-16

ご質問への回答

文部科学省としてご質問に回答致しますと、全くその通りのご意見でありまして、従来の私どもの教育は場当たり的なパターン問題の処理能力の育成に偏重しており、これは高度経済成長期の工業数学重点主義が現在まで尾を引いているという背景がありますしかし時代が変わり、真の数学者を育成すべきという社会的要求も高まり、私どももそろそろ数学の英才教育および大学レベル数学考慮した根本的な数学カリキュラムを思案しているところであります。また、ご指摘のとおり、我が国の数学教育北朝鮮中国に後れをとっているのも事実であり、今後は中国の英才教育や特殊訓練などを参考にし、我が国の初等教育におきましても、従来のような欺瞞的な英才教育を廃止し、中国北朝鮮匹敵する英才教育を忌憚なく取り入れていく所存であります。貴重なご意見有難うございました。

2011-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20110603075650

フィクションにおける古代文明はわりと人類共通の「黄金時代神話(昔はよかった神話)」によるもので、

黄金時代」の言葉ルーツギリシャ神話であるヘシオドスの『仕事と日々』によると、かつてクロノスが神々を支配していた時代が、黄金時代である

黄金時代には、人間は神々と共に住んでいた。世の中は調和平和に満ち溢れて、争いも犯罪もなかった。あらゆる産物が自動的に生成され、労働の必要はなかった。人間は、不死ではないものの不老長寿で、安らかに死んでいった。

その後、ゼウスクロノスに取って代わると、黄金時代は終わりを告げ、白銀時代が始まった。白銀時代の人間ゼウスに滅ぼされ、青銅時代が始まった。以後、神話英雄活躍する英雄の時代、歴史時代である鉄の時代と続くにつれ、人々は堕落し、世の中には争いが絶えなくなった。

そうした理想郷崩壊した理由を行き過ぎた科学に求めるのはSFの手法で、人口に膾炙したのは Final Fantasy のようなRPGゲームの影響が大きい。また、日本社会アニミズム親和性のある社会だったし、RPGゲームが出た頃には初等教育公害問題を学ぶのが普通になっていたので、「理想郷崩壊した理由を行き過ぎた科学に求める」ことの下地はあった。

Final Fantasy は、「奇跡の力を独占・横領する、あるいはそれを使うことで暴走する」存在が倒すべき悪として描かれているが、これはニューエイジ思想がファッション化され、エンタテインメントに組み込まれたもの。根底にあるのは科学に対する不信感。正確には科学に対する期待外れ感。これは、マルサス的な人口容量の限界を感じる精神と表裏一体。

科学に対する期待外れ感がフィクション作品にどのように反映されているか岡田斗司夫「失われた未来」あたりで。

今、生き残っている文明は、環境負荷の増大による文明崩壊リスク人口制限や科学技術進歩で乗り越えてきているので、TYPE-MOON作品の「抑止力」と呼べるような精神性を持っているように思う(オカルト的発想だけども)。それがフィクション作品に「古代文明崩壊」という形で表象している。

2011-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20110509004122

そんな初等教育も理解出来ない欠陥品が働ける職場なんてありませんが?www

まあ、「探せばいくらでもある。ないと断言するのは甘え」でもいいけどwwwww

あと、人間は「ムダにする」んじゃなくて「ムダになる」ものですから

ムダになってしまったものを、ムダにするんじゃないということほど滑稽なものはないwww

2011-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20110201142528

元増田ですおっぱいなんて飾りですよ,えらい(ry

まぁさておき…誤読の余地がある記述ですみませんでした.こちらの主張としては「文化人になれ」というのは極めて付随的な要素です

原文の「他の分野」「社会のあちこち」はかなり実務寄りの分野を想定しています.起業家サラリーマン教員(初等教育含む),ジャーナリストサイエンスコミュニケータ,などなど.ざっくり言うと金を稼げる仕事ならなお良いですよね.

国家戦略としては狭い門に殺到して死屍累々,より他で稼げるとこで稼いでもらったほうがよくありません?

ということで,

元増田が言うような、「屍を作らず文化人を作ろう政策賛成」案

は私の主張では全くないことを明言しておきます

ちなみに,「我々研究者は失職しない」と仰っていますが,その前に競争による選別に触れていますよね.「私は優秀だから問題ない」という自負からの発言なら非常に尊敬しますが,このまま博士研究職のみに集めると,原則として失職する研究者はかならず出るでしょう,と思われるので一般論としてはその命題は偽だろうと思います.

もう少し追記しますのでまた見てくださると嬉しいです,では.

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