はてなキーワード: 不文律とは
C94で仮面ライダーのコスプレをしていた人物同士がコスチュームの一部を交換してはしゃいでいたところ、それが石森プロのスタッフの目に留まりTwitterで強い批判を浴びていた。TBSがその様子を番組で放送していたのを見たようだ。
詳しくはここにまとめられている。
「子供には本物なんだぞ」仮面ライダーはじめ実写ヒーローのコスプレ問題について - Togetter
スタッフによると『愛が無い』『仮面の交換はルール無視だ』という事のようだ。石森プロが仮面ライダーに関する権利のうち何割ぐらいを掌握しているのかは不明だが、いずれにせよ権利者として強い立場にあることは間違いない。
コミケってのは二次創作物が数多くを占めており、権利者のお目こぼしによって成り立っている。そんな人から苦言を呈されれば、すぐに行為を改めるのがコミケに参加する者としての当然の態度だ。もう何年も前から言われ続けてきた当たり前の不文律だ。
(https://togetter.com/li/1256561#c5304930 抜粋)
もういい加減に巨大なIPホルダーですらが堂々とヤミ市の側面が極めて強かったイベントを構成している現状があるのに未だに「黙認してる」と見るのは正しい分析ではないと思っています。
げ、確かにそうだ。
俺は西館の企業ブースにはいつも興味は無くて長年気が付かなかったのだが、ここ数年は完全にコンテンツホルダーの王様みたいな会社が名を連ねているようなのだ。
民間の営利企業がコミケに参加している時点でその参加法人はコミケのやってることに共感している立場である事は間違いなく、出版事業を営む法人も例外じゃない。企業ブースが始まったのは1996年ごろみたいなので、当時既にコミケの歴史は十分にあったので企業がそこで何が行われてきたのかを知らないわけがない。
となると、コミケにおいて原作の世界観から逸脱したコスプレは、「コミケにおいて」許される範囲だったのかどうかという点で良し悪しを判断するのが、同じコミケに参加する者としての誠実な態度だと俺は思う。
コミケでは長い刀剣状のものを振り回したり局部を露出したりというのは明白にアウトだから、それを『内輪』で批判するのは当然の流れだろうね。じゃあ集英社の関係者が原作に無いセリフを吐いていたコスプレイヤーさんに対して『飛影はそんな事言わない』とお説教した場合は、やめなきゃならないか?
やめなきゃならないだろうし、下手すりゃ責任を取らなきゃいけないかもしれない。
だけどこの場合、俺は集英社は(コミケに参加する者としては)適性を欠く態度だと批判すると思う。「おめー、なんでコミケの一員になったの?」の一言ぐらいは言うだろうね。
コスプレ参加者にとってみれば、慣例から大きく逸脱したコスプレをしているわけでもなくコミケスタッフから注意を受けているわけでもないのに、コミケの一員から別の経路で怒られたら「なんで?」ってなると思う。この場合、集英社はコミックマーケット準備会に苦言を呈するのが順当だと思うんだよね。
60万人も集まるビッグイベントを彼らコンテンツホルダーだって存分に利用しているわけで、うまみを得ているわけである。著作権は大事だよ。だけど上述のような性格を持つコミケの一員になる以上は、もはやこれってバーターでしょ。もう黙認って時代じゃないよ。
そういう転換期に来ている事を一度考えてみるべきだ。
いずれにせよ株式会社石森プロについてはどの程度の権限を持っているのかが不明だし、今回の件についてはこの俺の見解は当てはまらないかもしれないが、今後同様の事例はあるかもしれないので興味深く観察したい。
あと別の人も指摘してるけど、あれだけのことを言っておいてプロフィールには「個人的な意見であり、決して石森プロを代表する見解ではない」みたいなことが書かれてるの、端的に言ってアンフェアだと思うぞ。どっちやねん。
奢ってもらったけどやられなかった。
何度も高級レストランに連れて行ってもらって仕事の相談をしたり、ライフプランとか、趣味とか、ペットの話とか、とにかく色々話した。
もちろん、少し好きだったかもしれないし、だからこそ奢られるアポイントの度に下着をチェックし身体中のムダ毛を処理し化粧もおちにくいように整えて、おごられにいった。
やられなかった。
それどころか、「増田さんは綺麗で魅力的だけど、○○なところが結婚とか恋愛から君を遠ざけているのかもね」なんて、アドバイスを貰った。
はぁぁー。
ねやられる方も大変なんだよ。
色々必要なんだよ。そもそもやられるかもなって思ったら生理中を避けてアポを切って自分の裸や下着がおかしくないかちゃんと準備していかなきゃいけないんだよ。
二人きりの食事を奢られたらやるのが普通って言うなら、はじめからアナウンスしといてくれよ。それから、自分たちで決めた不文律には従ってくれよ。
二人で食事にいく、奢られることが合意基準だと言い切るならまずはそちらがわが100%それを守って、奢った女にはそっちのテンション如何でなくお誘いをするべきでしょ。
オナホじゃねーから手入れにもコストかかるし、面倒なんだわ。ちんこつけて生まれてきたかったな、そしたらこいつとセックスしたいという相手に食事を奢るだけで、やらしてくれたら万々歳だし、やらせてくれなかったらこうやってその女を悪者扱いして愚痴ることが正当化されるんだもん。
まるでリアリティがない。
周りの子(の母親)がそういう事を一切してない幼稚園ってあるんだろうか?
余程の貧困地区なのか?共働きとは言え、子の面倒を上の子に押し付けている両親って時点でネグレクト気味だし
(でもそういう所だと新しい袋を使え=新しくもう一つ買え、と言えないと思うんだけど。当然親の負担増えるし)
そうでないのなら、元々「華美な服装は慎むべき」と言う(例え明確な規則としてはなくても不文律として)文化がある幼稚園で
「友達が羨ましがったから禁止」ってのも増田妹の勘違いであり、実際はそういった理由である、のかも。
キャラ弁も明確に禁止ではなかったとしても「食べ物で遊ぶような事は慎むべき」って教育方針の場合もあるので、やはり空気を読んで誰もやらないだけとか?
大学の体育会に入ったことの無い人たちが大半だろうからこの文章を書こうと思った。
少なくとも私の部は異常だと思った。ここでの話は地方の田舎大学での数年前の出来事だ。どうやらそれは今でも続いているようだ。
ちょうど今頃は、ある程度の新入部員が入部し終えていることだろう。もう少ししたら、その部のご作法を叩き込まれるはずだ。ここで言うご作法とは部の本質的な活動とは全く関係がない。
新入部員たちは基礎練習をしているだろう。上級生たちも今はやさしく指導しているはずだ。あと1ヶ月もすれば部の大きな行事として新歓コンパがやってくる。これが厄介だ。
新歓コンパとは歴代のOB・OGたちも集めて今年度はこんな部員が入部しました、と報告する会のことである。決して新入部員が歓迎されているとは限らない。彼らはOB・OGたちに粗相がないような行動を求められる。その代表例として、自己紹介と酒のマナーについてである。それを紹介しよう。
新歓コンパでの新入部員の役割はOB・OGたちに個別に挨拶回りに行くことだ。まず、挨拶回りに行くときの姿勢は中腰だ。OB・OGの前に着いたら、「〇〇さん、お隣よろしいでしょうか」と一言挨拶して座る。まあこれはふつうのことだ。自己紹介が終われば、OB・OGにビールを注ぐ。ちなみに、新歓コンパでの飲み物はビールかウーロン茶だけだ。ビールを注ぐときは必ずラベルが上にあって見えるようにしなければならない(もちろん、手でラベルを覆ってはならない。ラベルは神聖な何かか?)。注ぎ口は相手のコップにできるだけ近づける(コップに当たってはいけない。注いだときにビールがはねないようにする。まるで化学実験のようだ)。OB・OGに注ぎ終わったら、次は自分のコップに飲み物を注いでもらう(未成年ならウーロン茶、成人ならだいたいお酒)。注がれた飲み物は「ありがとうございます」と言って一口でもいいから飲まなければならない。その後、談笑をする(そんな状況でできるはずがない)。その最中にビールが無くなったと気づいたらビールを注ぐ。区切りがいいと思ったら、ひと声かけて別のOB・OGに挨拶にいく。これを時間の限り続ける。目の前に料理はあるがほとんど食べれないと覚悟することだ。そんな時間はない。
入ったばかりの新入生にこんな芸当すぐにできるわけがない。だから、新歓コンパの1ヶ月ぐらい前から講義がない空いた時間にみっちり練習することになる。部の基礎練習は二の次だ。まずは酒のルールを身に着けなければならない。何時間もかけて。部の練習ではやさしい上級生もこのときになると態度を豹変する(講義のときはやさしい教授も研究室では……みたいな)。恐怖政治の始まりだ。これが1年に4回行われるから、新入部員たちもすっかりその部活動の思想に染まる。これで晴れて部員の仲間入りだ。
新歓コンパで完璧にこなせる新入部員はほとんどいない。「もっとしっかりしろ」とコンパが終われば影で上級生たちはOB・OGに注意されていたところを見たことがある。そのときの上級生たちの背中は小さく見えた。下級生は上級生に逆らえないし、上級生はOB・OGには逆らえない。結局、その部活動の思想を作っているのはOB・OGの年寄株となる。変えようと思っても変えられない構造になっている。
今話題となっている大学もこんな構造なのだろうと推察している。上には逆らえないし、上もその上には逆らえない。ただし、一番上はやれとは言ってない。みんな"伝統だから"という不文律のなかで動いている。しかし、実質その伝統を変えられるのは一番上の人物だけなのだ。当分この構造は変わらないのだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20180503192028
出遅れてしまったが、野球の話題がはてなで伸びることはあまりないので真面目に答えてみる。
ブコメでも大量に指摘されているが、広大なフィールドを必要とする競技は中心となる競技エリア以外の規定はアバウトに設定されていることが多い。サッカー・競馬・クリケット、ウインタースポーツ等の自然環境を利用した競技など。これらのスポーツが厳密に設定されたフィールドでしか行えないのであれば、プレイする場所が限られすぎてしまうために現実的でない。
言うまでもないことだが、敵も味方も同じ環境で行っているのであれば場所の違いによる標準化の問題は多少は許容されるのが大抵のスポーツで普通である。環境の標準化の問題でいえば、標高差・湿度・風速・道具の問題など枚挙に暇がなく、野球に限った問題ではない。
プレイが洗練されているかどうかは個人の主観に拠るところが大きいが、サッカーのシミュレーションや柔道のレスリング化等、野球に限った問題ではない。
某マンガであまりにも有名になってしまったが、個人的にはあまり問題に思ったことはない。現実に殆ど起こらないので。というか、分かりづらいこととはいえルールブックに明白に書いてあり、適用事例も示されていることを「曖昧」というのはどうか。問題にするとすれば厳密に適用されていないルール(例:バント時のバッターボックスからの足のはみだし)やチェックスイングの判定じゃないのか?
これもブコメで指摘されているが、サイン盗みが横行するとサインが複雑になり、試合時間の無駄な延長に繋がるため。
これはブコメになかったので解説する。通常バッターは打った直後、打つ方向に向けて頭(目線)が自然と向く。右打者なら打球を引っ張れば目線はレフト方向に行くし、流せばライト方向に向く。(たまに打球方向と目線の向きが異なってしまった場合が"あっち向いてホイ"状態である。)
打球をフェアゾーンに飛ばそうとしている打者はフェアゾーン方向に自然と目線が向いているのが普通なので、打球を放った直後にフェアゾーンに目線が向いておらず、打ったファール方向に目線が向いている場合、故意にファールを打っていると見なすことが出来る。日本ハムにファール打ちを故意に行っているとされる中島卓也という選手がいるが、是非動画サイト等で彼がファールを打っている時の頭(目線)の向きに着目して欲しい。センターカメラから見て三塁ベンチ方向(つまり打球がファールしていく方向)に目線が向いていることが殆どである。
しかし、故意にファールを打つ行為は打球をフェアゾーンに飛ばすことが目的であるはずのバッティングと相反する行為であるので、ルール上反則ではないものの、それに反感を覚える人が多いのは理解できなくはない。個人的には、故意のファールそのものを認定するのは線引きが難しいので、12球連続でファールを打ったらアウトぐらいのルールを設けてもいいようには思う。
なお、ファールの方向に頭が向かずにファールで粘れる選手はかなりミート技術が高いと評価でき、プロの一流打者のなかにはしっかりとしたスイングをかけながらファールで粘れる変態的打撃技術を持つ選手もいる(元日ハム阪神の片岡篤史など)。
サッカーの終了間際のボール回し、競馬で勝利が確実なときに鞭を使わない、陸上短距離で決勝進出が確実な選手は準決勝まで流す、カーリングのコンシード等、その試合のみで全てが終わるわけではない大会においては体力温存などのために最後までプレーしない行為は広く行われている。
130km/hのボールが投手から打者まで到達するのにおよそ0.45秒、115km/hではおよそ0.51秒である(リリースポイントが投球板から2m打者方向、球速が一定と仮定した場合。計算が間違っていたらスマン)。その差はわずか0.06秒だが、距離にして約1mの差。バットとボールの大きさは10cmもないので、130キロのボールと115キロのボールを同じタイミングで振っていたら全くかすりもしない。
プロの打者は数種ある投手の球種に0コンマ0何秒のタイミングでバットを数cmレベルで、さらにコースによってバットの出る角度を調整し、ただ当てるだけではなくそれなりの強度を持ったスイングで、前方45度の野手の居ない方向にボールを飛ばさなければならない。しかもこの作業は、職人が静謐でクリーンな集中できる作業場で行えるのではなく、砂埃舞うグラウンドで数万人の歓声と衆目の中で行わなくてはならないのである。誰にでも出来るようなことではなく、プレッシャーで潰れていく選手が出るのも不思議なことではない。
現在MLBでは広く行われるようになっている「極端な守備シフト」の出現は、伝統的な野手の守備位置を崩す大きな野球の変革といえる。かつての王シフトのような極端な守備シフトは、一部の選手に対して行われるいわば"奇策"に近いような戦術であったが、近年は非常に多くの打者に対して行われるようになった、という点で大きな変革が起こったといえる。一方で極端な守備シフトによって野球の醍醐味の一つである野手のファインプレーが減ってきているという指摘もあり、極端な守備シフトを制限するための措置が行われるのでは?という噂もある。
喫煙や肥満を推奨するわけではないが、一見アスリートとは思えないような見てくれの悪い人間が活躍するのも、ある種野球の面白さだと思う。松坂大輔や攝津正のように若い頃の面影がなくなってくるとそれはそれで悲しいのだが、バートロ・コロンのように体型を維持しながらピッチングスタイルを変えて生き残っていく選手を見るのも楽しい。
野球の不文律については、特に野球ファンでないと思われる人々から「野球の嫌なところ」として指摘されることが多いように思う。しかし、実際のところ暗黙の了解によって行われるプレーはそれほど多くはなく、それを破ることによって問題になる場面も多くはない(というか、頻繁に問題になるのであれば確実に成文化される)。"不文律"という仰々しい表現が使われているが、いくつかは慣習的に行われているマナーのようなもので、電車で騒いではいけませんとか他人の顔をジロジロ見てはいけないとかそういった類のものである。例えばwikipediaの「野球の不文律」の項で取り上げられている"投手の集中を妨害するために相手に話しかけたりしてはいけない"とか、"投手は野手に文句を言ってはいけない"などは、野球独特の暗黙のルールとして特筆するようなことでもないだろう。将棋で対局中に相手に話しかける棋士はいないだろうし(いたらスミマセン)、仕事で別部署の人がやってしまったミスをわざわざ咎めに行く人はいないだろうが、成文化されていないとしてももしそれらをやれば確実に顰蹙を買うはずだ。
wikipediaの「野球の不文律」で書かれている項目は特筆するべきことでもないことかなにかしらの説明が必要な項目ばかりで、野球を全く知らない人が参考にして見てもらいたくないことばかりである(もちろん全ての項目が気にするなというわけではなく、引退試合の忖度などは無くすべき慣習のように思う)。
つまるところ、これらの問題はささいなことであって、外の人が「これが野球の嫌なところである」と声高に主張することがある種偏狂で、野球ファンからすれば不快だと言わざるを得ない。
あまり知られていないことだが、実は野球のルールは毎年細かい変更が行われている。「野球規則改正」で検索してほしい。
MLBでは機械的な投球の測定システムの導入によって審判のストライクゾーンの精度がかなり向上したらしい。将来的にゾーンの判定が機械的に行われるようになることも非現実的ではないと思われる。
少し理屈をこねた回答をする。団体スポーツで一人の選手のスタンドプレーによってゲームが決まってしまうことは、特にアマチュアレベルにおいては決して野球に限ったことではないように思う。子供の遊びレベルのサッカーやバスケットボールで、一人の運動神経のいい子供がボールを多く扱って何得点も決めてしまう場面を見たことがないだろうか。
野球においては投手が多くボールを扱っているから投手が全てを支配しているように見えてしまうが、ただボールを投げただけでは得点は入らないのが野球の面白いところで、投手の負担だけで野球というゲームの全てが決まってしまうわけではない。もちろん1試合のみでは絶対的な投手によって試合の体勢が決まってしまうこともあるが、プロ野球においてはその点他のプロスポーツに比べて非常に多くの試合が組まれることによって、一人の投手のみによってシーズンが決まらないような体勢が整えられているのである。また投手の分業制は最早当然の戦略となっており、多くのイニングを投げる先発投手のイニング数も年々減少傾向にある。プロのみならず、最近は高校野球でも複数の投手を擁するチームが非常に多くなってきた。これは単に投手の負担を減らす意味合いだけではなく、一人の投手の能力だけではゲームをdominate出来ないことが多くなっているといえるからだと思う。逆説的にいえば、一人の選手でゲームを支配することもあるし、戦略的には複数投手制をとるチームが増えている点で、独特の興味深いゲームバランスになっているといえないだろうか。
ちなみにアメリカのbaseball_referenceとfangraphsというサイトがそれぞれに公表している「WAR」というMLB選手の貢献度を測る投手野手共通の指標が存在するが、2008年から2017年までのMLB両リーグのトップWAR20人中、reference版でトップになった投手は6人、fangraphs版ではわずか1人である。少なくとも長いシーズン戦うプロ野球においては、図抜けた投手一人より図抜けた野手一人のほうが貢献度が高いと見なされているのである。
・球場によって広さが違う。ある球場ではホームランのものが、別の球場では3ベースヒットになる。ある球場では3ベースヒットのものが、他の球場では2ベースヒットになる。は? こんな標準化されてないふざけたスポーツ他にあるか? 敢えて挙げればゴルフくらいだろ。
・タッチアウト。単純化して言うと、一塁以外はタッチしなければアウトにならない(ランナーが詰まっている場合の他の塁もタッチは不要)。競技の性質上、改善のしようがないのだろうけれど、ランナーと野手の間で鬼ごっこが始まるのが非常に見苦しい。ランナーはランナーでタッチをかわすために忍者みたいになる。それはそれでおもしろいしイチローはエンターテイナーだと思うけれど、いかんせん見苦しく、洗練されてない感がある。ホームベース上でキャッチャーに体当たりするランナーもそりゃ出てくるわ(今は反則になった)。
・忘れた頃に話題になるフォースアウト。審判に申告すればホームベースを踏んだランナーをアウトにすることができ、そのままベンチに下がってしまえば攻撃側に得点が入る。は? 曖昧すぎだろ。サッカーで申告すればオフサイドになるケースがあるか? バレーボールで申告すればタッチネットになるケースがあるか?
・キャッチャーのサインを盗み見るのはマナー違反。は? この情報化社会、情報戦時代で何言ってんの?
・故意の連続ファールは反則。何年か前の甲子園で話題になったが、バッターが意図的に連続して投球をファールにするのは反則なのだそうだ。は? 意図的だって何でわかるの? ファールにしつつ選球するのも技術であり戦略のひとつだし、ピッチャーはアウトを取りにいくのが仕事だろ。ルールで縛るなよ。
・大量リードしている中で盗塁するのはマナー違反だとか。お互いゲームセットまで本気で戦うのがプロでありスポーツマンシップなんじゃないの? 記録がかかっている選手だっているだろ。何なのその不文律。まーこういうのは他のスポーツでも存在するかもしれない。
・ということで野球っていうスポーツはあまりにも欠陥だらけで、もやっとすることが非常に多い。試合時間が決まっておらず、次の番組の放送時間がずれ込むのもいけすかない。ま、これも他のスポーツでもあるから何とも言えないけれど。私は楽天を応援しています。
初投稿、下書き無しなので文に乱れがあったり読みにくかったりすると思うけど許して欲しい。
友達と「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメか?」と言うことを話していて考えたこと。
個人的な性と半生の話が出てきてあまり公には話せないのでここに書くことに。もしかしたら似たようなこと考えている人がいるのかなって希望も少し。
性の目覚め
最近、どうもエロいので自分の中にあるエロのかたちを一つ一つ考えている。
その体験っていうのが幼い頃見た夢なんだけど、その説明のために一応当時のことを書いておく。
当時保育園の年長組だった僕は、おゆうぎかいで確かダンスを踊ることになっていた。男女別で、女子はモーニング娘。の「ラブマシーン」だった。衣装は黄色いフリフリの服だった。
夢の内容は、その「ラブマシーン」を自分が女の子に交ざって踊っている夢だった。
そしてそれを見る両親を僕が見ている夢だった。
「あれ、○○(僕)じゃない?」と母が言い「そんなわけ無いだろ。○○は男の子だよ。」と父が言う。それを僕が見ている。
そんな夢。
あまりに強烈だったので起きてからも夢の内容を覚えていて、そしてその事を考えているとなにかドキドキすることに気がついた。
何となく床に下腹部を擦り付けると言い様の無い快感があって、そこからは特に話すこともない。
ともかく、学校で性教育を受けるまで、僕のエロのすべてがその夢だった。というわけでもない。『ぷよぷよ』の「アルル」も、『ワンピース』の「ナミ」もエロい!と(感覚的に)思えたし、事実それらの女性キャラクターでオナニーもした。なんなら同人誌を調べるために新しいマンガに手を出した。乱暴だがその辺から性教育を受けたと言えるだろう。行為や言葉の意味はわからないけど何となくおっぱいはエロかった。
小学生のころ「オナニー」とか「セックス」の意味を辞書で調べるノリがあった。自分の「オナニー」とは違ったのでピンと来るのに時間がかかった。自分のしている(た)「オナニー」がおかしいと感じ、“あの夢”は悪夢になった。
時は流れて大学生の頃の話。
親元を離れて独り暮らしを始めた僕は、おそらく多くの童貞がそういう道を通っているように、ただれた性生活を始めた。片端からエロサイトを見て、pixivと2ちゃんねるとTwitterを行き来した。エロ本やオナホールを買ってきては友人たちにレビューを聞かせた。よくいるエロいやつだ。多分普通と少しだけ違ったことは、いくつかの特殊性癖にも精通したことだと思う。
ケモノ、男の娘、ペドフィリア、みたいなある程度メジャーな特殊性癖でヌけるようになったところで、大学の先輩から「なんでそんなもんでヌいてんの?」と聞かれた。
しばらく先輩の「なんで?」が引っ掛かっていた。先輩には悪いが、遅効性の毒みたいだった。最初はただの好奇心とちょっとした虚栄心だったと思う。自分の知らないエロの世界に触れて、粋がりたかったのだろう。男の子の世界には「面白いやつとエロいやつが強い」という不文律がある。特殊性癖は「エロくて面白くなる」上で大きな武器だった。
「なんで?」の毒が回りきった頃、自分の性癖の分析を始めた。その性癖を初めてエロい!と感じた画像や動画を覚えている限りもう一度インターネットから探してきた。そしてそれらの要素を抽出して、どこがエロいのか?を考察していった。
すると大学に入ってから意図的に開発した性癖に関して興奮のポイントに二つの共通点を見つけた。
・犯される側に感情移入している
・弱さ、危うさを無意識に感じている
心理学とかはやってないので精神分析とかではないけれど、当時はただドMなだけだと思っていた。
ふと思い出すと“あの夢”は女装と両親との関係の崩壊を“エロく”感じる夢だった。
「女体化」にであったときに強い憧れに似た興奮を覚えたのも、露出・赤面した少女の画像ばかり集めていたのも、当然の成り行きみたいにMに目覚めたのも多分深いところであの夢に繋がっているような気がした。
今思えばエロくなろうとしたのは仲間内の地位をあげるためじゃなくて、あの夢から逃げていたんだと思う。でも結局お釈迦様の手のひらの上で飛び回る孫悟空みたいに、僕は“あの夢”に囚われていた。良くも、悪くも。
まとめ
性癖に故郷があるなら僕は女装とか羞恥とかの村に生まれたんだと思う。少し一般から外れてはいるが“なんとかなる”部類だ。
これが食人とかスカトロの村だったら、多分とっても大変だったんじゃないかなって感じる。
最近は同性愛が認められててうれしいけど、性的指向と比べ性的趣向は未だに犯罪者枠だ。
性被害を受けた人や性癖を持たない人が訳のわからない性癖を気持ち悪く思うのも理解できるし、特殊性癖をもろ手をあげて歓迎しろ!なんて言うつもりはない。だって気持ち悪いし。
でも痴漢の村に生まれたおじさんはお金を払ってイメクラに行くべきだし、ネトラレの村に生まれた兄ちゃんはエロ本を買うべきだと思う。それだけじゃなくて彼らが村から出ようとするなら恋人がそれを助けてあげてもいい。でもその努力って絶対隠れてするし、なんなら持ってることすら気づかれたくないから「エロ本を買った」「風俗に行った」だけが表面に出て崩壊しちゃうんじゃないかな。
普通にグラビアのおっぱいで目覚めて、部活のマネージャーと付き合って、大学の後輩と結婚するタイプの友達には理解されない話だけど、僕みたい(いわゆる「普通」の)異性愛者の村に上京することができた、そこ以外の村の人ってけっこういると思うし、「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメだ」という人は一夫一妻の異性愛者村に生まれた人の価値観なんじゃないかなぁ。
道で会った民主党議員を「国民の敵」って罵った自衛隊員の話と一緒で「(つい罵った)気持ちが解る」レベルの話と、彼らの担っている役職とそれに伴う責任や法律に則ってないって事とは別なんだと。
結婚相手が欲しいなら、O-netみたいな所で募集すれば良かったんで。それを出会い系みたいなサイト利用してたら、明確な法令違反というより不文律かも知れないが「知事に相応しくない」と思われる事もあるのでは?未成年買春みたいな行為があったのかは知らないけど。少なくとも「辞めよう」と思うくらいの事はしてたんだろうし。
余談だけど、結婚紹介所なら引く手数多だったんじゃないのかなぁ?経歴凄いじゃん。権力者好きな女性っているし。政治家の奥さんはイヤか…
転勤の事情である田舎の地方の支社に勤めていた時期があったんだけど。
その時に知り合った先輩の女に「一人で大変でしょう。うちの野菜があるからわけてあげるね」と言われて翌日大量の野菜を受け取った。
正直一人でこんなに食えないと思ったが「どうもありがとうございました」と言ってとりあえず受け取ってロッカーに入れに行った。
そしたら野菜をくれた女よりもちょっと年齢の低い女が近寄ってきて「まさか一人でもって帰るつもり?」と言われて「はあ」と曖昧な返事をしていたら
うちは野菜をくれた女のうちと嫁だか母方の祖母だかが知り合いだかなんだかよくわからない親類関係を説明されて、いつもは自分たちが受け取っているというようなことを言われた。
面倒なのでどうぞ、と野菜を差し出したら「そんなつもりじゃなかったのに」とか言われて野菜の2/3くらいを持っていかれた。
そんでそのままにしていたら翌々日くらいに野菜をくれた女が話しかけてきて、うちの実家の番号を知らないのかと言われた。
話の意図がわからないので知りませんと答えたら微妙に不機嫌になってそのまま立ち去った。
そんですごく嫌だったけど野菜を取られた女に聞いたら、そういうときは実家(本家?)に電話をしてお礼と事情説明をするものだと言われた。
うぜえ。
「アンがサリーの持ちものを別の箱に入れた事に関して、『特別な注釈』が問題文に存在しない。
つまりは、それらの行為はサリーとアンの間においては『特筆する必要もないような行為」だったと言える。
ゆえに、サリーは『いつも通りに』アンが移動させた方の箱からモノを取り出すだろう。」
この国で社会人をしていくにはこう考えられるようにならねばならない。
日本の会社(または役所、というか役所こそまさにそういう場所である)においては『常識』というものが謎の力を持っており、その『常識』の中には「先人がやっている事が新入りの目には奇妙なものに移ったのなら、それは十中八九新入りが間違っているのだ。少なくともその組織の中では」という不文律が組み込まれている。
そして、その『常識』には上も下もがんじがらめにされてもう誰も激痛を伴う覚悟なしには逆らえなくなっている。
この日本において、『真人間』というレッテルを手にするには、アスペになるしかないのだ。
この国では。
が、配属された部署は、全9人のうち7人が60代、1人が50代、そして20代が自分1人という高齢化社会を象徴するようなところだった。ちなみに両親はまだ50代。
転職して3ヶ月が経ち、仕事にも慣れてきた。はじめは仕事を覚えるのに必死だったが、最近は周りを見回す余裕ができてきた。と、同時に高齢化部署に対する不満も次々と出てきた。
愚痴を言いあえるような同年代な人が、全くいないので、ちょっと愚痴らせて欲しい(一緒に仕事をする別の部署の先輩方も、なんだかんだで30代40代ばかりだ…)。以下、周りの人生経験豊富な社員に対する不満点。もちろん下記の不満点は、彼ら年齢のせいではなく、彼ら個人の資質や経験のせいなのだろうけど。
・プライベートに口を突っ込む(昼休みは外で空気を吸ってくるべき、とか。本読みたいんですけど)
・伝家の宝刀「昔はこうだった」
・生産性の意識が皆無(口では「生産性大事」という割には具体的な行動に落とし込まない。むしろ余計な仕事を増やして生産性を下げたり)
・コスト意識が低い。特に自分自身に対する人件費についての意識が(若手の何倍のコストで自分が雇用されているのか、一度よく考えて欲しい)
・9人しかいない部署なのに、上下関係がいっぱい(不文律含む)
・目的意識が共有されていない。よって協調して効率的に仕事ができない(優先順位がバラバラで、声が大きい人の思いつきが優先されることがよくある)
・建設的で対等な議論ができない(改善のための議論がいつのまにか年長者による説教に)
・責任感がある人がいない(そりゃあ、定年後の再就職で責任感も何もないのかもしれないけれどさ…)
・唯一の若手である自分が、毎日めちゃくちゃ気を使ってやってるのに(つまらない話を朗らかに聞いたり、分かりきったことをあえてご指導していただいて指導欲を満たしてあげたり)、気を遣われていることに一切気づいていない(「すごいですね!」「さすがですね!」「昔はどうされていたのですか?」「教えてください!」)
書いているとイライラしてきた。