「アンがサリーの持ちものを別の箱に入れた事に関して、『特別な注釈』が問題文に存在しない。
つまりは、それらの行為はサリーとアンの間においては『特筆する必要もないような行為」だったと言える。
ゆえに、サリーは『いつも通りに』アンが移動させた方の箱からモノを取り出すだろう。」
この国で社会人をしていくにはこう考えられるようにならねばならない。
日本の会社(または役所、というか役所こそまさにそういう場所である)においては『常識』というものが謎の力を持っており、その『常識』の中には「先人がやっている事が新入りの目には奇妙なものに移ったのなら、それは十中八九新入りが間違っているのだ。少なくともその組織の中では」という不文律が組み込まれている。
そして、その『常識』には上も下もがんじがらめにされてもう誰も激痛を伴う覚悟なしには逆らえなくなっている。
この日本において、『真人間』というレッテルを手にするには、アスペになるしかないのだ。
この国では。
増田に解けない奴多そう