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はてなキーワード: 不文律とは

2018-03-26

日本花粉症流行するようになったのは国策で同じ木ばっかり山に植

最近しった

歴史の肝心な日本の常識の背景が教科書はいっさい触れてないね

目上に敬語しろと人二階級を作る理由道徳の授業で公式に教えないし

何で極めて重要不文律公教育指導が決められてないの

2018-03-21

anond:20180225064508

躁鬱御用達 個人的感情の整理

前に分類した以下のような感情は「期待」からまれるのでは?という考察

また、他人の期待を多く見、理解する過程で、自分の中で「こう期待されるだろう」という推測データが作り上げられる。

その推測データを素に自分他人からどう期待されているかを推察するようになる。

期待の推察が過剰になると被害妄想に発展する。

「疎外感」「無力感」は、「罪悪感」のうちの一種類としてカウントできる。

「不満」は、相手に「罪悪感」を抱かせる働きを取る。

その罪悪感は誰のどんな期待によって生まれたのか

そこを焦点に絞ると考えがまとまりやすいかも。

期待を叶えなかったことで相手

ガッカリさせ、失望させ、イライラさせ、不快にさせ、不満にさせたとしても

自分自身」とは関係がないと思えるようになる?

そのことに罪の意識を感じる必要自分にあるのか?を考えるのもいい。

基本的にそんな必要はありません。ないんです。

罪の意識を感じさせようとしてくるのは、コントロールしてこようとしてくることと同義です。

なぜ他人の望む自分であらねばならないのですか?

そこに際限はない。他人からかけられる期待に上限はない!

だったらそこをいちいち気にするのは徒労じゃないの?

そもそもそれが自分の望みでないなら、同一視するべきじゃないのでは?

本当に自分必要なのは自分の望みだけなんだから

罪の意識を感じさせれるような自分の姿…「こうあるべき」姿と食い違う自分

それを変えることが本当に自分の望みなの?

それをよく考えることだ。

「なぜ鬱になるか?」

自分存在に罪悪感を感じるから

「なぜ罪悪感を感じるか?」

自分行為や行動の結果に責任を持ちきれないと感じるから

「行動の結果背負う責任とはなに?」

自分引き起こした結果を受けて、それが自分の起こした行動の結果だという自覚を持った上で、次の行動につなげていくこと」

「どうすれば次の行動につなげていける?」

「罪悪感(鬱)に足を取られてそもそも対処できなくなる状態を避ける」

「どうすれば罪悪感とうまく付き合える?」

「罪悪感は"こうあるべき/こうあるべきでない"という期待、定義から生まれる。定義に即しているのが常で、反すれば異常。この期待度には大小がある。例えば、こうあるべきでないという期待のうち、規模の大きいもので言えば無差別殺人を犯すとか、強姦強盗とか。小さいもので言えばTPO無視した服を着るとか、言葉遣いの乱れ、電車内での通話とか。小さいものまで目を皿のようにして"禁止されている"ように感じるから、それが(自分には許容範囲でも)誰かにとっては許されないものなのではないか想像して、なんでもかんでも不安になり、行動をためらう……で、規模の小さい禁止行為(と思い込んでいる行動)の受け止め方が、自分の中で変わっていけば、それが罪悪感とのうまい付き合い方になる。と思う。」

「それはどんな変化?」

「それをすることで、誰かが不快に思うだろう、だからやってはいけない。やるべきではないだろう。でも、自分はやってみたい。だったらやってみよう。こんな変化。」

「実際に誰かに不快に思われて、"やめろ"と言われたらどうする?」

「それは、自分のやりたい行為と、相手のこうあるべきという行為が相反している状態一種戦争状態。強行して自分を貫いて勝ちを得るとか、降伏して相手の意を汲みすっぱり諦めるとか、色々戦略が考えられる。自分のやりたい行為を続けたいのであれば、相手と向き合う必要がある。強引で暴力的な状況ではなく、交渉状態に移行できるといいと思う。」

「どうすれば交渉状態に持ち込める?」

自分の中ではこのように納得しているので、それを実行している、という相手提示できる自己説明提示できればいいと思う。そうしたらそれを受けて相手のそれに納得できない理由を聞き出せる。それに対して自分相手の納得できない部分に交渉を返せる。どうなら納得できるかって視点に切り替えられれば、その繰り返しで妥協点が見つかると思う。」

「対個人より交渉の難しい対集団ときはどうする?」

集団は、個人構成された組織組織は、ある機能をもたせることを目的存在している。機能を大きく損なうのを防ぐためのものが"ルール"。その集団がどんな機能のために存在しているのか?損なうとしたらどう損なわれるのか?どこまでなら損なわれても問題ないのか?とかを考えて動いて、融通がきかないんだったらその組織を離れて別の方法を試すよう方向転換すればいいと思う。」

あくまでも集団の一部ではなく個人として生きているという自覚があれば

集団雰囲気不文律や古いしきたりや多数決の結果や場の空気みたいなアレに振り回されなくてすむんじゃないのか

という期待

交渉とか高度なこと求めるのこそ酷では?

どうせ机上の空論

ああ自分頭でっかちが嫌になってきた

嫌になってきたところで寝てリセット

2018-03-14

ホワイトデー形骸化

ホワイトデーって男性女性バレンタインデーのお返しをする日じゃないの?

私の職場、というか部署は何年も前からバレンタインデー女性チョコを配る日、ホワイトデー=男女関係なくお菓子を配る日になってる

前は女性が配るのは簡単お菓子だったんだけど年を追うごとにインフレして高級志向が強くなってきてる

それにホワイトデー女性が配るのはチョコ以外っていう不文律もあって選ぶのが面倒くさい

本当にこういう文化にはうんざりする

2018-02-25

法律はあってルールも歩けど不文律のほうが重視される

映画プラトーンみたいだ

2018-02-24

anond:20180224093705

ないわー

その先輩の個人ルールなのか、その会社ローカルルールなのか、業界不文律なのかわからんが、変なルールだなー。

休み開けでバタバタしてるなら、そもそも論、13時にアポを取るのがマナー違反になるじゃん。

2018-02-16

嫌悪を表明する権利」を尊重しよう

いわゆるオタクコミュニティ特に女性向け界隈なんかでは「みんなが好きなもの(この場合では何かのコンテンツなど)を尊重してなにかの悪口絶対言わないようにしよう」みたいな風潮あるよな。それ自体は極めて道徳的で素晴らしいと思う。みんながそれを守れたらいいよな。でも実際ヒトは好き嫌いってものがあるわけで、みんながみんな好きになるなんてもの存在し得ないわけだ。そしてつい「これ嫌い!」って言いたくなる瞬間もある。そこでどうするかって言うと単純に「嫌い!」とは言えないから、その何かが倫理的、もしくは道徳的に間違っているのではないか、あるいは「ルール」に反しているのではないか、というふうにあくまで「善意の指摘」という形に変えてそれを否定するようになる。これが一部から「学級会」なんて揶揄される所以とも言える。ここでよく考えて欲しいのは、その指摘の正当性などは置いておいて、それが好きな人がどう思うか、ということだ。ある人は自分倫理的に間違っているモノに良い感情を抱いてしまった、なんて自責の念に駆られるかもしれない。一方でそのような大変に複雑なステップを踏まずに「これ嫌い!」という「個人嫌悪の表明」であれば、「まあ好きな人も嫌いな人もいるだろうな」というように納得することができるだろう。つまり不文律を気にして遠回しに否定しようとするほうがむしろ、誰かをより傷つけているかもしれないのだ。「実際に問題があるのにそんな個人の好みの問題矮小化して語れって言うのか!」なんて思う人もいるだろう。もちろん、この種の指摘を全て否定しているわけではない。しかしこのような風潮がより議論対話を複雑化させているのは明白だ。タイトルではすこし語弊を招きかねなかったかもしれないが、もちろん特定人種宗教信者などへの嫌悪までもを許せと言っているわけでもないし、いちいち好きな人に嫌い嫌いとわめきにいくのを許せとも言っていない。言うなればピーマンが嫌い!」と言う人に、「その発言は全てのピーマン好きな人生産者人格否定しているぞ!」なんて詰らずに、「嫌いな人もいるよね」と、「個人の嗜好の違い」を私たちは受け入れられるんだってのに気付こうという話だ。

2018-02-07

ブラック総本山編集プロダクション

なんだか編プロ編集プロダクション)の話が出ていたので思い出を語りたくなった。

そんじょそこらブラック企業も顔を真っ青にして逃げ出すブラック企業がのさばっているのが編集プロダクション世界だ。

業界が古い、仕事内容が特殊、憧れる人間が多い、縁故仕事が発生する、単価が安価……などなど、ブラックになりやすい背景はゴマとあるのだが、業界論を語れるほど偉くもないのでこの辺の理由は飛ばす。

私が編集プロダクション入社したのは2000年ごろ。社員10名未満の小さい会社で、だいたい3〜4社から仕事をうけており、常時5〜6媒体案件があった。記事単体のものもあれば、雑誌まるまる一冊を請け負うこともザラ。

逮捕歴のある社員が在籍しているほか、アル中仕事中にビールを飲んでいる人もいた。専門学校卒業した私は新卒入社することとなる。

環境は以下のとおり。

anond:20180206221002

2018-01-31

私は結婚しない

 28歳、男性一人暮らし、未婚。世間的に見ればそろそろ危機感の一つでも覚える状況であろう私は、決して強がりではなく、本心からこう宣言する。「一生結婚なんてしない。」

 「『しない』のではなく『できない』の間違いだろう」「強がっているだけじゃないか」「心配しなくてもお前と結婚したがる女性はいない」いくつもの反論が瞬時に浮かんでくるし、その中には面と向かって言われた言葉も含まれている。そして、その反論あながち間違いではない。確かに私は女性モテない。容姿問題も勿論あるだろうが、性格的な要因が最大の問題であることを私自自覚している。大学時代交際した女性はいるが、いずれも半年持たなかった。そして、そのほとんどが私から別れを切り出していた。自慢などではない。それこそが私が結婚しない原因なのである

 私は一人が好きだ。休日は誰とも会わずに家の中に閉じこもっているか、もしくはネカフェなど一人になれるスペースで過ごすことが多い。一人でいる時が最もリラックスできる時間なのである

 逆に他人(肉親も含む)と一緒にいることは、私にとってストレスとなる。ストレスと言っても、耐えがたいレベルのものではない。適度な緊張感を生む程度のものだ。仕事場では、浮いてしまわないように常識的社会人として振舞う。友人といる時は「楽しませなければならない、つまらない奴と思われたくない」と積極的に話をしたり、逆に聞き役に徹して適度に相槌を打ったりする。たまに実家に帰る時は、両親にお土産を持って帰り、共に食卓を囲んで団欒の時を過ごす。周囲からは、多少なりとも「社交的な人」とか「面白い人」という評価を頂いている(と思いたい)。だが、実際には真逆の陰気な小心者だということは、数少ない心を許している友人は知っている。

 一般的な人にとっては、日常仕事や友人と遊ぶ時間は「ケ」であろう。しかし私にとって、他人と一緒にいる時間は、毎日仕事であっても、友人と遊んでいる時であっても、家族食卓を囲んでいる時間でさえも、「ハレ」の時間なのである。そして、一人でいる時だけが「ケ」の時間なのだ

 他の人にとって「ハレ」の日とはどんなものだろうか。仕事プレゼンをする時だろうか。好きな異性とデートをする時だろうか。全校生徒の前で弁論大会の発表をする時だろうか。バンド仲間とライブをする時だろうか。それはきっと、大きなプレッシャーストレスであると同時に、それに勝るとも劣らない充実感や達成感を生み出すものだろう。

 私も同じである。人と一緒にいることが全くの苦痛という訳ではない。仕事にはやりがいを感じているし、友人と遊ぶのは楽しいし、両親と食卓を囲む時間はかけがえのない物であるしかし、それは同時にプレッシャーでもある。「仕事ができない奴と思われたらどうしよう」「つまらない奴だと思われたらどうしよう」「ダメな息子と思われたらどうしよう」そういった観念が常に付きまとう。それはプレゼンライブ程ではないが充実感を生み出してくれるし、デート弁論大会程でもないが相応のストレスを生じるものである

 だからこそ休日はなるべく一人になって鋭気を養っている。たまに友人と遊ぶ約束が入ると、休日出勤と同じくらいの気持ちで臨むことになり、頻繁になると億劫に感じてしまう。休日が無いのと同じである。先述の通り彼女と長続きしなかったのは、私が交際した相手が「いつも一緒にいたい」タイプの人ばかりだったことが大きい。私は一人の時間が欲しかったのだ。

 もちろん、他人と一緒にいることが苦に感じない人も多いと思う。「一人なんて耐えられない。」「誰かと一緒じゃないとファミレスも入りたくない。」「休みの日はいつも連れと遊んでいる」そういう人にとって、きっと誰かと一緒にいる時間は「ケ」なのだと思う。それが日常。いつもの日々。だから(少なくとも精神的には)疲れないし、むしろ一人でいると孤独苦痛を感じる。そういう人には、私の感覚理解し得ないだろう。私も一人で飲食店に入れない人間の気は知れない。

 しかし、程度の差こそあれ、同じような感覚を持つ人は多いのではないだろうか。「たまの休みは一人でのんびりしたい」「家でゴロゴロしながら好きな映画を見ている時が一番幸せ」など、他人と一緒にいることが多少なりともストレスと感じている人は、少なくないのではないだろうか。

 そして、日本社会では、私のような人間は決して歓迎されない。「みんな仲良く」「和を以て貴しとなす」「空気を読む」それは幼少のころからコミュニティーの中で暗黙の了解として強要されており、コミュニティー不文律を破る人間は「イジメ」や「村八分」を受ける。それ自体は間違ったことではないと思う。コミュニティーに参加し、コミュニティーのために働かない者は淘汰される。そうやってコミュニティー全体を維持しているのである。だからこそ私も毎日緊張感のある「ハレ」の舞台に臨むのである

 だが、それが24時間365日続くと言うのであれば、話は別だ。家族というコミュニティーを維持するために、毎日働き、休みの日にはよい夫として、良い父として家族に尽くす…考えただけでストレスで禿げそうである。いや、そんな大層な話ではなくとも、四六時中誰かと顔を合わせて生活する…それだけでもう我慢できない。一人の時間が無くなるのは、私にとっては水や酸素を失うに等しい。

 「ただのわがままだ」「甘えが捨てきれていない」「男は家族を守って初めて一人前だ」「家庭を持つことに勝る幸せはない」叱責の嵐が飛んできそうだが(実際言われたこともある)、そう思う人は、どうぞ立派な男として生きてほしい。ただ、自分の考えを他人強要するのはやめてほしい。「結婚しない奴が出生率を下げて日本を衰退させている」と言う人もいる。そう言うなら独身者を罰する法律でも作ればいい。法的根拠もなしに他人非難してもいいのは、独裁国家権力者くらいなものだ。誰に何と言われようと、私にとって一人の時間は大切なのである。家庭や仕事が一番大事だと言う人がいるのと同じように。

 だから私は結婚できないし、これから先もする気はない。そしてそれに後ろめたさを感じることもないし、他人にとやかく言われる筋合いもない。モテるモテないとか、甲斐性の有る無しとか、そういう話とはベクトルが違う。私はただ、自分を守るために、自分にとって一番大切なものを優先しているだけなのである

2018-01-25

人生完璧にしたい人

私は高校の頃、苦手なクラスメイトがいて彼を避けていた。

彼は空手全国大会に出るような運動神経を持ち、人懐っこい感じの性格で、東京大学を志望していて、容姿もそこそこよかった。背も高かった。

入学式が終わって教室に入った人の中で、初めて口を開いたのも彼だった。学級委員長なども積極的立候補し、10名ほどしかいない進学クラスの中で彼は中心的な存在といえた。

そういう人が私は苦手だった。彼に優しく接される度に、「クラス落ちこぼれにも優しく接して差し上げているかっこいい俺」のアピール自分が使われているようで、それが嫌いだった。

クラスが嫌いになり、私は進学クラスでは当時不文律として誰も加入していなかった部活動に入り、彼には「話しかけないでほしい」と勇気を振り絞って言った。

1年の11月くらいだったと思う。

それから教室では孤立したが、部活でできた普通クラスの仲間がいたのでさして問題とは思わなかった。

受験の時期になり、3年の9月まで部活動を続けた私は国公立への進学をあきらめ、私立大学だけの対策をした。

部活で養った集中力は私の学力を大いに上げた。そのころ彼は本校初の東大受験(予定)者としてスターダムにあった。

センター試験があった。私立専願の私は受験しなかった。進学クラスの誰もは私を蔑んだが、その日は学校に誰もいなかったからよく集中できた。

2月の終わり、私は運よく早稲田大学合格が決まり、彼はセンター試験国語で大失敗をし、足切り東大受験できなかったようだった。

私は掌を返したように学校から称賛され(早稲田でも快挙といわれる高校だった)、彼は当初の思惑とはかけ離れたレベル私大二次募集合格した。

それから4年が経った。

再三にわたるクラス会の連絡をすべて断ってきた私も、就職したら二度と顔を見ないかもしれないという思いはあり、今日初めてクラス会に出席した。

からの誘いのLINEが、いつになく粘り強かったことも、私の罪悪感からの参加を促した。

相変わらず彼は楽しそうに、よく話を回していた。私はせっかくの食べ飲み放題無駄にすまいと、メニューを端から制覇していた。会話は3回した。

19時から2時間が経ち、街へ出た私たちは2次会の相談を私抜きでしていた。もとより行く気はないため、4回目の発言としてさよならと言おうと思っていた矢先、彼が声をかけてきた。

「1杯だけでいいからさ、乾杯しようよ!」

「俺、ずっとお前と仲直りしたかったんだよ!」

「ね?だから2次会行こうよ!」

このとき確信した。

彼は自分人生の汚点であるところの私を清算したかったのだと分かった。

からすれば私は、人生の中で唯一思い通りにいかない目の上のタンコブだったのだろう。

受験勝敗はないが、彼にとっては敗北に見えたはずの大学受験がそれを加速したのだろうことも推察できた。

このまま、私が彼を「認めてあげる」ことで、彼の人生の汚点はすべてなくなり、思いのままに生きているという意識絶対に持たせたくないと思ってしまった。

今日私は、初めてそんな悪意をもって、「僕は君のことが嫌いだから、いやだ」と言って帰ってきた。

何も勝っていない。誰も救われていない。むしろ、人を傷つけて帰ってきた。

でも、なんだか高校の頃の自分が、彼に比べて自分は何もいいところがないといじけていた自分が、報われたような気がした。

随分後味の悪い成仏だけれど、いい心の供養ができたような気がしている。

(だれかに今日のことを伝えたくて書きました)

2018-01-19

ajisu とんスキはいつ見ても凄い、何が凄いってこのまま書籍化してしまたことだ。5chの専用スレはみんな語尾にビュッかスパを着ける不文律がありめちゃ楽しそう。本編よりスレ見てる方が楽しいとの意見もある。

ぐぐってスレみつけてテンプレ見てワロタ

[TSL-js]

http://islet.xxxxxxxx.jp/TSL-js.html

「ビュッ」と「!」だけで記述できるbrainf*ckプログラミング言語ビュッ

「+」⇒「ビュッビュッビュッ」

「-」⇒「!!!

「>」⇒「ビュッ!!」

「<」⇒「!!ビュッ」

「[」⇒「ビュッビュッ!」

「]」⇒「!ビュッビュッ」

「.」⇒「!ビュッ!」

「,」⇒「ビュッ!ビュッ」

あと確かにみんな語尾にビュッつけてたwww

なんかそういう生き物が語り合ってると思うと面白い

2018-01-16

コミュ力至上主義呪詛を吐くのは本当に問題のあるコミュ障くらい

一般的コミュ障とされる人であっても、取り繕えば社会で生きていけるし、寂しいながらも狭い人間関係でちびちび生きていける(そんなのコミュ障じゃないとか言ってネガティブマウンティングをするのはやめようね)

生来のものでは無いにしても、いわゆるコミュ力という処世術を学ぶことでなんとか生きていけることを真人間は知っている

社会適応できなかったコミュ障処世術を学ぼうとしない自分の愚かさではなく社会を呪う

彼らはマジのコミュ障と絡むと本気で疲れることを知らない

コミュ障はただの偏見からではなく、コミュニケーション上の問題があって落とされていることを知らない

能力があるのにまともな受け答えができないだけで落とされるのは偏見ではない

受け答えできないと問題だし、そもそも能力が伝わってこないから落とされている

それを知らないマジコミュ障今日社会不文律マジョリティの暗黙の協定呪詛を吐き続ける

それが自分さら社会から遠ざけるとも知らずに

卑屈になって社会迎合するのをプライドが許さなくなった人間おしまい

2018-01-11

口説き届出せとかロブスターに殺生するなとか、スイスけが尖ってるという可能性。

あそこの国は、超金融人口国家化を遂げつつあるからおかしなことになってんじゃねーのかというか。

アメリカもそうだけど、ある程度ドミナント民族性がある国だと共通不文律を持ちやすいけど、それが無くなっているが故の問題というか。

anond:20180110110053

ツール・ド・フランスとかの)自転車プロロードレースは、不文律っていうか紳士協定みたいなのがいっぱいあるよ。

詳しく書こうと思ったらウィキペに項目が立ってて(笑)あらかた書かれてた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ロードレース_(自転車競技)#%E6%9A%97%E9%BB%99%E3%81%AE%E4%BA%86%E8%A7%A3

こういうのがあるので、初めてロードレースを観る人は「あれ?なんでこの人ゆっくり走ってるの?」とか「なんで今譲ったの?」とか「なんで競り合わないの?」みたいな疑問がときどき湧くよ。

でも観戦に慣れてレースの流れがわかってくると、ひとつひとつ必然性があって勝負面白くするのに役に立っているんだなーってことがわかってくる。そうなった頃には、自転車レース観戦が好きでたまらなくなっているよ。

もちろんこれらを破って勝利することもルール上はできるけど、輪界っていうコミュニティの中では生きづらくなるかもね。

※追記:うまくリンクできてなかった。同じリンクの短縮 → https://goo.gl/ZjGH3s

2018-01-10

スポーツ界の不文律

横綱張り手(とか、いろいろ?)すんな、

メジャーリーグ:点差が開いたら盗塁? とかすんな(送りバントだっけ?


後は?

2018-01-07

やっぱちゃんとしてないとダメなんだよね。

おじさんになって一番思うのは、やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだってこと。

例えばさ、こんな口語体うんこみたいな知識を書くとするじゃん?

でもさ、昔のどっかのお偉いさんが四文字熟語とかでさ、古典とかひっぱってきてさ、

かっこよく賢そうに達筆で額なんかにして飾ってたとかだったらさ、

座右の銘だーとかいってたらさ、なんかすげえ良いこと言ったみたいにかっこいいじゃん?

でもさ、「やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだよー」って

酒金女に溺れたおっちゃんが夕刊フジを読みながらワンカップひっかけつつ増田書いてもさ、

そこまで感動しないじゃん。

あとさ、黒塗りの怖そうな車に乗ってる粗暴そうなオジサマが「この代金おかしいやんけ」っていうのと

よれよれの長袖ポロシャツインしてる松方弘樹メガネのオジサマが「この代金おかしいやんけ」っというのとさ、

求める力が違いすぎるでしょ。

説得力に差がありまくるでしょ。

それって結局のところ偏見なわけよ。先入観っつうかさ。

あるのよねえ。

 

理想を持って希望に満ち溢れて社会を良くしていこうって、変えていこうってさ、”先入観をなくそう”とかね。

夢膨らんでる若者はさ、輝いてるよね。素晴らしい。

でもね、やっぱしいろんな意味でちゃんとしてないと、伝えたいことって聞いてもらえないのよ。

ちゃんとするってね、社会マナーを守るってことね。

マナーってのは、村のオキテってやつ。不文律の。

おじさんたちはね、そのオキテに逆らう恐怖を知ってるの。

みんな守りたいものがあるからね。ちっぽけなものかもしれないけど、それぞれが守る価値があると信じてるものね。

たか必死にオキテを守るし、守らない人から自分たちを守ろうとするんだ。

それって悪いことじゃなくない?みんなそうするのは利益があるからだしね。

自分を守ることの善悪めんどいから置いとくか。ここで大事なことはオキテ、逆らう、良くない。

 

まあ、だから、オキテやぶりをするなら、それなりにちゃんとしてないといけない。

ちゃんとするには、おおざっぱに言って2種類あって、難しい方法と、簡単方法がある。

難しい方から説明すると、みんなの「ちゃんとしたい」とか「守りたい」って気持ち

全部まるっとうまくすくい上げること。あんたらに悪いことしませんよーって納得してもらうこと。

これめっちゃ難しいけど、うまくいくとめっちゃ気持ちいから。いいよ。

簡単な方はね、これズルいんだけどね、脅かすの。嫌なことするぞーって。

もちろん最初から全部この方法を使うわけじゃなくて、こっちの方では嫌なこと我慢するから

あんたらはここで我慢してくれよ、みたいなね、別にこっち嫌なこと我慢するわけじゃないのに

嘘ついたりごまかしたりしてね、いじわるするの。そうするとね、お願い聞いてもらえるのよ。

後味悪いよさすがに。そりゃ酒飲むよね。歌っちゃったりするよね。

でも、話を聞いてもらうにはちゃんとするしかないんだよね。

難しい方法ばっかりしてたら体壊したり無理しちゃったりするんだよ。早死にしたりね。

から簡単方法もした方がいいのよ。

 

でもね、難しい方法をね、少しずつだけど簡単にしていくこともできるんだよ。

それはね、肩書とか、賞状とか、そういうやつをいっぱい持つこと。

そういう「ちゃんとした」ワッペンがついてるとね、いろいろ聞いてもらえるんだよ。

東大卒、とかもそうだし、征夷大将軍、とか、代表取締役共同COO、とか、フォロワー数4.8M、とか、

読モ?とかもだし、いろんな意味のワッペンがたくさんあるんだ。

分かる人にしかからないワッペンもあるしね。バイターモリモリ不死マラソンスプーン余裕でした><とかね。

からワッペンたくさん持ってる方がいいよ。ちゃんとしたやつ。ちゃんとしてる風でもいいよ。

ちゃんとしてる風なワッペン付けてると、ラジオ番組持ったり政権に入り込んだりできるよ。

余談だけど、自分らしく生きたいとか思ってるなら、自分と大切な人にだけ通じるワッペンを付ければいいよ。

生体エロウィキペディアでもいいし、セクシーソムリエでもいいし、

ちゃんとしたやつじゃなくていいよ。てきとーで。

そんで周りの友達がそのワッペン気に入ってくれたら、そのワッペンが好きになってくるんだよ。

まあその話はいいや。長くなってめんどいから

 

結局言いたいのはね、ちゃんとしてないとダメってことよ。

ちゃんとしたワッペン付けてるとか、体力か良心犠牲にするかしないと、

言いたいこと言えないから守りたいものを守れないってことですね。

明後日から仕事やだよー。

2018-01-02

2018年以降、二次ロリコンテンツは大きく減退する

とりあえずライト層向け微エロロリコンテンツはほとんど消え去るのが確定している

発端となったのは言うまでもなく昨年末の某人気漫画家児童ポルノ禁止法違反

あの事件反響が思いのほか大きく、多くの出版社アニメ制作会社ロリ敬遠する方向に梶を切るのが確定してしまった

コミックLOたぬきソフトのようなガチロリコン向けのコンテンツやそのファンは多少怯みはしても変わらず我が道を行こうとするだろう

しかし、そこまでロリコンが極まってないライト層や彼ら向けの微エロロリコンテンツにはそこまでの覚悟はない

 

先の某漫画家の犯した罪、これが地方新聞の片隅によく載るような女子高生相手のありふれた買春事件であったならここまで大きな影響はなかったろう

しか児童ポルノコンテンツ単純所持というのがむしろクリティカルだった

罪としてはこちらのほうが軽いのに

ありきたりな買春事件であれば、これまでそうだったように「一部の悪いロリコン」による犯行と片づけることができたと思う

ロリコン諸兄も「あいつはロリコン紳士としての不文律を破りリアル犯罪を起こした」としてバッシングする側に回ったろう

だが今回問題になったような児童ポルノコンテンツ単純所持はまた事情が違う

誰に直接危害を加えたわけではないため、ライト層もコア層も多数のロリコン和月氏に同情を寄せた

しか世間の反応はそうではなかった

児童ポルノコンテンツ単純所持摘発された著名人第一号という珍しさもあってか、猛烈なバッシングの嵐が吹き荒れたのだ

非難侮蔑嘲笑

SNSは言うに及ばず、社会不適合者の巣窟のような2ch (現5ch)でさえ某漫画家への擁護は少なくバッシングほとんどであった

そしてバッシングする者の中には一般人以上にオタク層が目立っていた

この様相に、根っからロリコンというわけではないプリヤやまいてつを支持していたライト層は完全にビビってしまった

まだ如実に具体化してはいないが、真性ロリコンではない彼らが今後ロリコンテンツから距離を置くことは間違いないと見られている

そんな彼らに「オタク=だいたいロリコン」ぐらいの軽い気持ちで微エロロリコンテンツを提供していた各社も時流に従い方針転換することが決まってしまった

ガチ勢はこれからも進む道を変えようとはしないだろうが、クジラックス氏が警察聴取されたことや、コミケエロ同人の消しの徹底化に見られるように、東京オリンピックを前にしての二次三次わずエロコンテンツ規制強化から逃げるのは容易くないだろう

2017-12-26

東名高速事故は女のせい。暴力戦争の原因は女。常に女が悪い。

強気に注意して成敗して俺が強いんだウエーイの男が女を囲って相手メンツを立てる平和男は腰抜けのゴミ扱いで女が冷笑するから

少年から強く強く強くそれを不文律として刷り込まれから

から被害者はすでに相手がいる既婚者でしかも車が通れたのにわざわざ注意したのはそれが女性評価されるから本能的に注意してしまった

加害者は一度はビビって引いたけれどこのまま引き下がったらメンツがなくなって女から振られると思って「まだ勝負は終わっって無い」と本能的に突撃した

男同士のいざこざの原因は路上喧嘩から戦争に至るまでその全部が女のせい

世の悪と不幸のすべてが女が原因

ぜんっぶ女が悪い

2017-12-25

人に物を教わるのが苦手だ

人格形成する時期に、ひたすらググれカス世界で生きてきたから人に物を教わるのが苦手だ。

学校に通っていた頃は、知らなければいけない情報は全部プリントネット教科書に書いてあったので困らなかった。

卒論だってエンジンソフト適当に入れてプログラム書いてデータ入れてポチーしてまとめれば終わりだった(ただし、設定や内容の理解にはかなりの時間を要した模様)。

思えばネットをやるよりも前から人に何かを聞くのが苦手だった。

他人質問要求をしないといけない選択肢は極限まで選ばず、誰から許可を求めなくていい範囲で、他人の協力を得ずに出来ることばかりやっていた。

だが会社に入って状況が変わった。

理屈なしマニュアル無しの社内ルールが次々襲ってくるのだ。

相手会社の社内ルール忖度したり、特定上司相手取るための忖度ルールが飛び出してきたりもするのでその数は膨大だ。

そんな状況になっても、どうにも人に聞くという行為が躊躇われる。

何故なのかは分からないが、相手に直接面と向かって「あなた時間を分けてください」と頼むのがとてもキツい。

システムとしてそうしなければいけない状況ならまだ大丈夫だ。

悪いのはシステムから

だが、システムになりきっていない状況での質問はそれが必要不可欠であってもとても消耗する。

ほぼ確実に一度は誰かに聞かなければ、他人仕事を見ても盗みようもないほどに煩雑な類の(というよりも理屈というもの通用しない)社内ルールを身につけるために勇気を出して人に聞くのが本当に辛い。

どうしてこんな目に合うんだ。

社内ルールを作る時に全部明確にマニュアル化して、そのバイブルを残しておいてくれ。

何故、曖昧口約束の積み重ねが絶対遵守の不文律と化してしまうんだろうか。

吐き気がする。

理屈によって積み重ねられていないルール吐き気がする。

法則性を導くことが不可能な(正確に言えば法則性がほぼ破綻している)規則自分のすぐ真下で蠢いているという事に目眩がしてくる。

なんだろう。

俺、アスペだったのかな。

そういうの本当に無理なんだ。

おかしいな、最初は人に質問するのが苦手だって話がしたかったんだけど、いつの間にかテーマが変わってきたぞ。

不愉快だ。

消したくなる。

だけど堪えて残す。

この経験が俺を強くするはずだ。

2017-12-15

20世紀フォックスを6兆円で買収ってすごすぎだろ

6兆円ある会社日本出身企業だったら社員以外の国民がやらねばならない目に見える不文律が色々できてそう

2017-12-12

anond:20171212215643

うーん、その「レベルが低い」の解釈間違いだったら申し訳ないんだけど、

余計な不文律があったり保守的な部分があるような会社ではなく、その先輩も相当率直にものを言う人だし、

まじでよっぽどエラそうなんだと思う。

たしなめられると言っても、評価を下げるということではなくて、俺のために言ってくれてる感じね。

2017-12-10

今のはてなを端的に言うと「流行るとは馬鹿に見つかること」

僕らはトップブコメレベルの低さに一日何回頭を悩ませているだろうか。

最近はくだらないブコメほどスターを集めやすくなった。

互助会ブログへの応援コメントを思わせるような極めて低俗で中身のない言葉こそが人に愛されている。

おそらく今はてなをやっている人間の多くは言葉を扱うことが苦手なのだろう。

それは読むにおいても書くにおいてでもだ。

小中学生の3割4割が日本語文章すらまともに読むことが出来ないという新聞記事を読んで眉に唾をつけていたが、現実日本人の4割は日本語文章を正しく理解できないのだ。

かつてニュー速VIPには3行以上のレスを書くなという不文律が合った。

あれと同じだ。

はてなにいる人間が読める文章の長さ、複雑さはそのレベルなのだ

そういう人間たちの手によって決められるトップブコメ読み手に一切のユーモアも読解力も判断力要求しない中身の無さがそのまま中身になっているような純粋罵詈雑言自分たち左翼右翼等に所属していることを知らしめるだけの旗印ばかりになるのは納得だ。

冗談としてもつまらなければ罵倒としても面白みがなくかといって知性は欠片も感じられない。

そこにあるのはレベルの低い人間自分レベルの低さを自覚しないまま肯定するための儀式に使われるある種のポルノ機能しか持ち合わせていない。

プロレタリアの下層にいる者たちがせっかく稼いだ日銭でストロングゼロを何本も購入してはコンビニの前でそれを開封してウェーイウェーイと奇声を発することで自分が今死んではいないという事実だけを必死確認するような浅ましい祈りのようなものだ。

今なら確実に言えるがはてな馬鹿に見つかってしまった。

今まで馬鹿馬鹿だと思っていた連中がまだそれなりの知能を宿していたインターネットを使う権利を有するに足る程度の最低限の思考力とモラルを持った人種であったことを認識させるレベル馬鹿がいよいよはてなを見つけたのだ。

勘違いしてはいけないのは彼らは侵略者ではなくただの新規ユーザーであるということだ。

彼ら馬鹿を追い出してはいけない。

それははてなというサービスを使うユーザー行使可能権限を超えた行いだ。

2017-11-30

疑い方

改ざん偽装ニュースを良く耳にする。それがありそうなニュースも多い。

日本においてそういったことが成り立つ要因のうち、

情報を受け取る側が相手の言っていることをそのまま受け取っているからと言うことが大きいとしたら、

上手な疑い方を身につけておくべきではないかという考えが浮かんでくる。

できれば疑わずに済むほうが考えもコミュニケーションも減らせて効率がいいと思うが。

社会的な解はしらないが、個人的な解のひとつは、不文律発言して聞いてみることだと思っている。(煙たがられるが)

他にはどんなほうほうがあるだろう。

anond:20171130105803

自分手続きはいっぺんにやっちゃえば別に。呼ばれるのだってすぐ慣れるよ。

世間的にはよくある事だからどこも手順は綺麗にマニュアル化されてて話が早いし、

結婚なんてある日突然決まるわけじゃないんだから事前に問い合わせていっぺんに書類揃えて回れば大した手間じゃないよ。

土地関連とか資産が多い人は大変かも。持ったことないか想像つかない。

名字で大雑把にどこの世帯人間なのか区別が付くの地味に便利なんだよ。特に個人での付き合いじゃなくて家とか地域での付き合いだと。

個人間で親密な人だったら名字がなんだろうと付き合いには関係無いし。

手間はかかるけどメリットもあるんだよーーー。

でもそれは『そういうもの』だから有効なんであって不文律が変わったら意味が無いんだよぉーー!

変わるのめんどくさいよぉぉぉぉぉおおお

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