はてなキーワード: ビキニとは
北欧諸国にもブルマーらしい写真を見つけることもできた、また、学校の体育で使われたと確認できるものもあった。
〇デンマークの学校教育では、1960年代から1980年代後半にブルマーが採用されている学校があった。また、レオタードを着用する例もあった。
〇スウェーデンの学校教育でも時期ははっきりしないが、ブルマーやレオタードが使われていた。
〇ノルウェーでは学校教育でブルマーの写真が確認できた。また、学校教育外ではへそ出しブルマー、ブラトップにブルマーが確認できた。
〇これは英国での影響かもしれない。英国では、学校教育で導入される以前の1930年代、1940年代から、Women's League of Health and Beautyなどで提灯ブルマーやショーツ型ブルマーが導入されていた。
https://www.youtube.com/watch?v=YmWYxulYQI4&ab_channel=BritishPath%C3%A9
https://www.youtube.com/watch?v=UbO9RAXHdHU&ab_channel=BritishPath%C3%A9
https://www.youtube.com/watch?v=HUrx29uQpwg&ab_channel=BritishPath%C3%A9
そして、これは知らなかったのだが、女性だけの場所では、へそ出しファッションもあったようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=2k5uTySJO4w&t=28s&ab_channel=BritishPath%C3%A9
ちょうどビキニの水着が生まれた頃で、少しずつへそ出しの時代が始まっていたようだ。陸上ブルマ以前のへそ出しの存在には驚いた。ヨガと書いてあるが、す1956年代ににヨガが欧州に伝わっていたのが驚きだ。ヒッピーとかの時代だと思っていた。対し蟹欧州のインド研究の歴史は長いが、大衆にまで広がるのにはタイムラグがあったはずだ。いや、ここでヨガが伝わってヒッピーが育っていった?
〇フィンランドでは、女性のみの環境では1940年代から1950年代でブルマー姿になっている女性が見られた。また1970年代のブルマー着用者ではなく、ブルマーそのものの写真も見つかった。現代の学校では、スパッツやレオタードが選べるらしい。
〇アイスランドについては資料が少ないが、現代の生徒でジャージ以外にバレエみたいな恰好をしている例を見つけた。
さて、以前、調査は国ごとにまとめて行うべきで、地域を横断するのは雑になるのではないかと思っていたのだが、こうやってブックマークしておいた画像をもとに1つの記事にまとめると、北欧にはへそ出しがあるという意外な関係性がわかるメリットがあった。
女性だけの環境では、多少大胆な格好をしてもいいのだろうか。あるいは、屋内というか体育館限定なのかもしれない。
かつての記事では、女子は人前ではスカートだが、女子だけの場所ではパンツスタイルで運動したことを書いた。
それと関係しているのだろう。
もっとも、上のWomen's League of Health and Beautyでは、うら若き女性が人前で大胆なブルマーで開脚している。
これは女性の解放・自由・権利が、家父長制に逆らって好きな格好をするほうに向かっているケースで、マドンナやテイラー・スウィフトのレオタードにも似ている。
https://genxy-net.com/post_theme04/328116l/
https://pbs.twimg.com/media/F_vqDL8W0AABet_?format=jpg&name=large
では、韓国のブルマー同然の短パンで腰を振りながら歌う女性歌手は?
わからない。だが、女性が堂々と肌を見せる権利と、それが異性愛者の男性の欲望の対象となることで起きる緊張は、今にもつながっている。
だが緊張は常に悪ではない。そこから新しい思想、ファッション、表現が生まれていく。問題なのは無知や無理解、人格攻撃であり、批判は時には深い理解からなされることだってある。純粋理性批判だって、批判は肯定的な意味じゃない。何ができて何ができないか、境目を知っておくのは大切だ。
話を戻そう。
一方で、これが本当にブルマーだったのかは留保が必要な写真もある。というのも、ごく短いスパッツのサイズが合わず、結果的にブルマーのような形になってしまっていると解釈できなくもないからである(さっきの★をつけたデンマークの写真や、☆をつけたノルウェーの写真)。つまり、結果的にブルマーに見えているだけで、最初からショーツ型ブルマーとして裁断されているわけではないのかもしれない。提灯型ブルマーかはっきりしない写真もある。
今後は他のアーカイブサイトを横断し、さらに事実確認を続けていく必要がある。
今回見つけたのは、例えばデンマークでは第二都市オーフスのアーカイブだが、それこそ首都コペンハーゲンのアーカイブを探せばもっと当時のブルマが見つかるのではないか?
ノルウェーではオスロ博物館の情報もあったが、他の諸国ではどうか。
とはいえ、画像による調査に行き詰まりを感じている。幾分、事実確認よりも画像の狩猟に近づいてきているからだ。
なので、今後は各国の言語で「体操服の歴史」と検索して、それを読むことになるだろうか。
実際、英国やオーストラリアでのブルマーの展開については、個人の記憶や体験をもとにしたブログでの証言をもとにした記事もある。ただし、人口の少ない国では苦労するだろう。前にも書いたように、ショーツ型ブルマーそのものに特に名前がなく、短パンやスパッツの一種ととらえられているとしか思えない国もある。
また、リンクの途切れたバルト三国についても、画像を探し直すやもしれない。
そう、過去の記事を見るとすでにいくらかリンク切れができている。だが、魚拓を取るのも面倒だし、どのリンクが死んでいるかを何十もある記事をさかのぼって調べるのもおっくうだ。
いつ上述の作業をしたり、続きを執筆したりするかは全くの気まぐれ、次回はいつになることやら。下手をすれば来年だ。それくらい面倒くさくなっている。というか、調べまくっていたらブルマがゲシュタルト崩壊を起こしてきた。あの頃のブルマーってあんなにハイレグだったっけ?
資料の豊富にある英語で調べた、ブルマー以外の服や手塚ブッダのおっぱいのほうがしっかりと調べ物をした実感もあるし、バズる。
けれども、少しずつはてな匿名ダイアリーでブクマを稼ぐことへの執着が前よりもさらに薄れてきており、調べものをしても増田に書くかどうか、日々怪しくなっているのである。
やるとしたらトップレスやへそ出しの歴史か、しかしそれもウィキペディアの丸写しになりそうなので、何か別の資料がいる。
それではまたどこかで会いましょう。
中川卓という弁護士が「アンバサ」とTwitterで名乗っている
アンバサはカルピスと似たような乳酸飲料で、多分中川が好きな飲み物
中川は日本労働弁護団に入っており、廉価で貧乏人の弁護をすることが多い
左翼的な発言もよくして、右翼的な弁護士が多い法クラとはたまに喧嘩してる
父も祖父も弁護士でブルジョワジーの垣鍔は、中川とは対極である
垣鍔はTwitterをはじめた当初は本名を名乗り、同期にも「垣鍔さん」と呼ばれる当たり障りのない普通のアカウントだったが、
次第に法クラの闇に飲まれて有名弁護士を中傷したりフェミ叩きするようになった
垣鍔は初期の頃のやり取りはそのままで簡単に個人特定できる状態なものの、
本名を名乗らずにその時々で叩かれている人を揶揄する名前をつけるようになり、
「アンバサだよ」という中川をもじって「カルピスだよ」という名前になった
暇空colabo戦がはじまった際に「あいつ(仁藤)嫌いだから無料で請負いまふ」と挙手して垣鍔は暇空の弁護士に
そこから「カルピスだよ」が掘られて、仁藤を朝鮮人認定してビキニを着ろと言うなど複数の女性への容姿品評やセクハラがバレて炎上
カルピスだよは鍵垢になったが、「カルピス垣鍔垣鍔垣鍔」みたいな名前の揶揄したアカウントが発生
カルピスをもじった名前や、他の乳酸飲料の名前を使った人たちが大量発生
なぜ裁判になったかといえば、江藤が仁藤の10代の頃の水着写真を投稿し「消してほしいなら連絡しろ」と仁藤に対し呼びかけたり、
仁藤が高校時代に文化祭でフランクフルトを食べている写真を投稿し「ゆめにゃんのフェラ画像」と発言するなどし、
それに対し仁藤が「江藤は古参のストーカーで10年ぐらいつきまとってくる」と言ったのを江藤が名誉毀損として訴えたのである
仁藤の言動に異議があるなら言動を批判すればよく、何故水着写真や「フェラ画像」を晒してニチャニチャするのだろう
仁藤が沖縄の基地問題デモに参加したことに触れ、垣鍔は「どうせならビキニ姿でやればいい(吐く絵文字)」とコメント
また、金尻カズナの容姿を中傷した上で、彼女の唇部分を拡大し切り取ったアイコンを使用し、今でもそのアイコンのままにしている
なぜ、ビキニ姿になるよう望むのか、唇だけの画像という性的要素を強めた切り取り方にし愛用するのか
ギンギンに勃起しながら女に絡みつく男は珍しくないが、多分性的にはやしてている時に勃起してないと思う
女は性的にジャッジしてはやしたてればダメージを食らうだろうという思惑があるのだろう
これ男特有だな
「お前モテナイだろ」「童貞・処女だろう」という煽りは男女共通だが、「水着姿になれよ」「肌を見せろ」「クンニ顔」なんか女は性的魅力を感じてない男に嫌がらせとして言わんよなあ
イケメンの手腕に対して「手マン筋が発達してる」と気持ち悪いこと抜かす女オタは見かけるが、これは欲情を伴ったものだ
嫌いな異性、性的魅力のない異性をああまで性的に侮辱するというのは女には見られない行為
何故このような男女差が生まれるかといえば、男女の性欲の違いだろうか
だとしたら、前言撤回でやっぱり江藤や垣鍔、本当はギンギンに勃起しながら仁藤を性的に罵っていたのだろうか
キレイなセックスは美女としたいけど、罵って殴りつけてうんことかぶっかけながらレイプする分には「そういうのがお似合いの女」を相手にしたいみたいなのがあったり?
私はそういった下半身の状態には縁遠い人生を送ってきたのだが、つい1週間ほど前に突如としてなってしまったのである、パイパンに。
思えば3ヶ月ほど前、後輩の女の子との飲みの席で、毛の処理について話題が及んだときのこと。パイパンにするべく脱毛サロンに通っているという彼女を、まるで珍しいものを見るような目で見てしまったことを、深く深く反省している。
まさかそんなことが、数カ月後の自分の身に起こるなんて、考えもしなかった。
当方、35歳、未婚女。今年の夏でひとつ歳を重ねる。本厄であるこの年の始めには、きちんと厄払いにも行った。
これまで陰毛の処理といえば、セックスの際に邪魔にならない程度に毛を短く刈るぐらいだった。ビキニラインにしっかり生える毛をコンプレックスに感じているため、毎年夏になると脱毛サロンにいくかどうか迷ったりもするが、もうこの年だしそこまで気にする必要もないか、と半ば諦めるような境地でいた。
ましてやパイパンなど、まるで異世界の風習のように感じられていたのである。
話を元に戻す。
先月アプリで知り合った男が、パイパン好きだと言う。一度会って寝た後、次回までにパイパンにしておくように告げてきた。
趣味のサウナに行きづらくなるので多少の抵抗感はあったものの、好奇心が勝る。何より、数年ぶりに本当に気持ちの良いセックスをもたらしてくれた相手の意向には、何らかのかたちで応えたいと思った。
とはいえ、自らの陰部に剃刀の刃をあてるのには、いかんせん恐怖を感じる。結局、これまでにも女を自らパイパンにしてきたというその男に、私は自分の毛を委ねることにした。
朝の8時、宿泊先のビジネスホテル。前日夜から幾度となく交わったのちのまどろみから「さぁ、パイパンすっぞ」はなかなかパンチの効いた目覚ましである。
朝にヒゲ剃りの習慣がないため、そういうものなのかなぁ…などと寝ぼけた頭で変に感心しているうち、全裸で横たわる私の腰の下にはタオルが敷かれ、男はおもむろに自分の鞄からシェーバーを取り出した。
ヴィィイイン…
窓から柔らかな朝日が差すベッドの上で、男は仰向けになった私の股の間に陣取り、慣れた手つきで毛の長さを均一にしていく。羞恥心からつい脚を閉じそうになるが、抵抗しても無駄だと途中で諦めた。そのシェーバー、普段あんたが自分のヒゲをカットしてるものじゃあないのか…と心のなかでツッコミを入れてみたりするが、口にする余裕などない。「どういう状況?」という言葉がエンドレスで頭の中を駆け巡るのみである。
ボボボーボ・ボーボボで毛狩り隊に襲撃された住民は、果たしてこのような気持ちだったのだろうか。
剃毛するのに丁度いい長さまで陰毛を刈られた私は、風呂場に移動させられた。
ビジネスホテルなので、風呂はユニットバスである。私はその中に全裸のまま立たされ、男は浴槽の外に跪いた。好みどストライクの整った顔が私の股の前にある。またしても脳内は「どういう状況?」の応酬である。
片脚を浴槽の上に上げるよう指示された。ここまできたら、やぶれかぶれである。
男はシェービングクリームを私の局部に丁寧に塗ると、前日に購入したらしいVIO用T字カミソリで、ゾリゾリと毛を剃り始めた。
購入先の店のレジ係の人は、この男がその商品を買ったことについてどう思っただろうか、などとぼんやり考えつつも、真剣な眼差しで一心不乱に剃刀を滑らせる彼に身を任せるほかなかった。集中した赤の他人が自分の陰毛を剃っているという経験は、なかなか得難いものである。ただ下手に動けば出血することは目に見えているので、多少の緊張感と妙な信頼感が同居する、複雑な心境であった。
剃った毛をシャワーで流すと、仕上げをするとのことでまたベッドに戻された。
乾燥を防ぐため時折乳液を塗布するなどされる。これを思いやりというのだろうか。
男は指で何度も何度も剃り残しをチェックしつつ、細かい部分にまで念入りに刃を滑らせる。狂気じみた、執念すら感じられる。
しかし一口に陰毛といえど、毛の生える方向が部位?によって細かく違うことを知り驚いている私に、男が次の指示を出す。
「はい、四つん這いになって、こっちにケツ向けて。頭は下げて。」
このときが羞恥心のピークだった。恥ずかしさで心臓が止まるかもしれないと思ったことがあるだろうか。きっとそういう気持ちにさせるプレイでもあったのだろう。え、男って、寝る女のOラインを剃りたい願望があるんですか…??
脳内「どういう状況?」は限界突破を迎え、ここで私は完全に思考を停止させるに至った。単純に力を入れてたら危ないし。
かくして男の驚異的な集中力により、私のVIOラインは思春期以来のツルツルになった。
その結果として、思いがけず新鮮な気持ちになったため、なんとなく文章に残すべきではないかと考え、公開するに至る。
・感度が上がった
これはよく言われていることだと思うが、その通りであると言える。作業後に早速一戦交えたが、今までで一番感じられた気がした。お互いに。
・シャワーの水の流れが変わった
シャワーを浴びているとき、今まで毛によって弾かれていた水の流れが、割れ目から中に入ってくるようになり、思わずハッとした。
今まで毛に邪魔されていたせいでまったく意識していなかったが、無毛状態の大陰唇は触ってみると感触が非常に柔らかで、なんとも言えない気持ちになる。身体の他のどの部位ともまったく異なる感覚がある。35年生きてきて、自分の身体については誰よりも知っているつもりでいたが、案外知らないこともあるものだなと驚きを隠せない。
以上、私がパイパンになった経緯と感想である。他の人にオススメできるかと言われれば、微妙なところだ。意外にもすぐ毛は生えてくるし、既に維持するのは難しい気もしてきた。
しかしその男とはこれからも会うだろうし、清潔に保つよう言われたので、素直に従おうと思う。関係がいつまで続くかはわからないけれど、自分自身の身に関心をもたせてくれたうえ、新たな発見を授けてくれたその男にはある意味感謝している。
昼飯の買い出しがてらに近所を散歩していたんだけど、すれ違った女の人から「キモい 。近寄らないでください」と言われた。
いきなり酷い暴言でビクッてなりながらも、俺は「すいません」と謝ったんだけど……
俺にぶつかったわけでもないし、好きで近づいたわけじゃない。
それなのになんでそんなこと言われなきゃいけないのか理解できなかったけど、とりあえずは頭を下げた。
するとそこには女ではなく怪訝な顔をしたお爺さんがいたんだよね。
そして「はあ……」と言ってどこか困惑した様子でどこかへ行ってしまった。
女が妄想の中で俺に暴言を吐いたせいで現実にいるお爺さんの方にまで被害が出たし俺も恥かいたわ。
俺が弱者男性だからって勝手に妄想の中に出てきて「キモい 」とか言うんじゃねーよ!
女って本当にカスだな。
マジでムカつくわ。
マジで許せない。
はぁ……
ゴジラ-1.0、アカデミー賞視覚効果賞ノミネートおめでとうございます。
アメリカでの公開当初、最大瞬間風速でジブリが一位、ゴジラが二位をとったんでしたっけ。ロッテントマトの評価も高く、米国で公開された非英語映画としても興行収入で歴代5位となり、世界興行収入1億ドル超え、圧倒的公開映画館の差にもかかわらず興行成績でディズニーのウィッシュに迫りそうな勢いのようです。
海外の反応を読んでいると、人間ドラマパートがよくできているという意見をよく見かけます。トラウマからの克服、家族の再生の物語……。アメリカ人には伝わってないんだな、そして、伝わらなくてもいい、それぞれ受け取り方が違ってもいい、良い映画なんだなと改めて思います。
海外で意識高い系の厄介オタクが解説とかしないんでしょうか。ゴジラ70周年にふさわしく、放射能に始まり放射能に終わる、眼に見えぬ脅威が全面に出てたゴジラ映画だと思いました。
以下は私が受け止めた個人の感想なので、間違ってても笑って流してください。
生きて、あらがって、終幕のあとたぶん二人はすぐに結婚するでしょう、でももう二人は永くはない。井伏鱒二を知る日本人にはそれがよく見えるが、海外の人には見えてない。最後の映像であえて映された典子の首筋の黒い瘢痕、そして黒い雨を浴び、あれほど高濃度の放射線の発生源に降下した敷島。熱戦発射時のゴジラなんてチェルノブイリの象の足みたいなものでしょう。たぶん健康で生きていられる時間はふたりともそう残されてはいない。
たぶんあのあと、二人を亡くしたアキコは澄子さんとともに生きていくことになる。
保護者がいてよかったと思います。そして圧倒的な災害下における我々日本人の『もちつもたれつ』『困ったときはお互い様』のこころを描きたかったのかなとも思います。
ラストで悪しきものの復活を示唆するのは、ジュラシックパークなんかでもよく見たモダンホラーのテンプレですが、あれは気づかない人向けラストでしょうか。わからない文化圏、教育的素地の人にはあのモダンホラーのテンプレがラストとして機能するのかな。でも、病室のシーンで永くはないであろうことが“わかって”しまう我々には、その二人の余韻だけでもうなんかこみあげてくるものがあってたまらない。あえて首筋をじっくり映してたあたり、監督の意図はあきらかにそこにあったのではないかと思います。
全然関係ないけど25才ぐらいのとき、新聞社の仕事で特攻隊員の生き残りの人にインタビューしたことがあります。正確には予科練生。特攻に出る前に終戦になり、広島に帰ったら家も親も何一つ残ってなかったと言っていました。予科練で、次に特攻に行く人はもうだいたい訓練生のなかで決まっていて、誰が行くか!って上官が問うたときに、行かないひとはみな一歩下がる。だから行くと決めた人だけが前に出る(残る)形になる。行くか、と問われて、皆の前で行かないなんて言えるはずもない。だから実際のところ、志願と言いつつ本当の志願ではないのだと。
……このあたりはどの本でも読んだことがないからたぶん現場にいた人のなまの声じゃないでしょうか。私は聞いただけで、実際のところの真偽はわかりません。
それでも本当の志願でなくとも、『米軍が本土にきたら男は殺され女は犯され女も子供もみんな死ぬ。どのみちみんな死ぬなら、自分たちが止めるしかない』という決死の思いは共通でみな持っていたのだと言います。
映画のパラシュートは、脱出ポットに言及された伏線とコックピットを見た橘さんの目線からそうくるだろうなと思ったけれども、実際のところあの時代に実戦配備されて、パラシュートで敵陣の海中に降りても無意味だろうなとも思います。引き上げてくれる味方がいなけりゃ100%溺死するだけだろうし。人間魚雷回天とおなじく(靖国神社の遊就館で見られます)非人道的な武器であり思想であるけれども、『自分たちが止めるしかない』というかつての予科練生の想いは、そのまま劇中の『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』という秋津さんや元海軍の皆さんの言葉につながります。
そういえばyoutubeで見られるんですよね。当時の米軍が記録していたと思われる神風映像。私は見るたびに泣いてしまいます。
https://youtu.be/yN-zEpXwf4s?si=stYhOmHLazLrLV0o
ちなみに『男は殺され女は犯される』という言葉、戦時日本のプロバガンダだと思いきや、20世紀末に旧ユーゴスラビアで実際に起こりました。民族浄化っていいます。その後もコソボなどで起こりました。語源は第ニ次世界大戦中だとも言われています。
インタビューをしたあの方は、まだご存命でいらっしゃるでしょうか。もう亡くなられているのかな。連絡先ももうわかりません。
特攻隊や特攻隊員がゴジラと同じくフィクションの世界に住人になっていく。
でも、『自分たちが止めるしかない』『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』と生き方を決意した方々がいらっしゃったからこそ、今の我々が在る。
大戦後、ビキニ諸島での原爆実験を経て産まれたゴジラが、福島第二原発を経て70周年にこういう形で結実する。素晴らしい映画を映画館で見られてよかったなと思います。世界的な興行成績の成功もおめでとうございます。
質問文は原意をくんで変更してある。
そうおっしゃっていただけると大変ありがたい。
これだけでブルマー増田として記事を書いてきた甲斐があったというものだ。
前述のエロマンガソムリエの友人も実は評論島に足を運ぶらしく、全国のエスカレーターの機器の分析だとか、その土地ならではの文物を記録した優れた同人の存在を教えてくれた。また、先行研究としてはこちらがある。
ブルマーの歴史・改訂版 [オペレーション・ボックス(しづみつるぎ)] オリジナル - 同人誌のとらのあな全年齢向け通販
ウィキペディアに載っていないような、英語圏・共産圏のショーツ型のブルマーの分布について論じているのも、自分だけだという自負はある。
単純にブルマー増田の素顔・正体を見られたくないというのもあるのだが、そもそも売り物にするだけの水準に達していないと考えている。確かに書き溜めてきた量はそれなりになるが、例えば事実確認がいい加減だ。
また、出版するならば引用元のサイトに画像の転載の許可を願わねばならないが、これも膨大な量になる。
もっとも、はてなという企業に万一のことがあれば、この研究というか随筆を誰も読めなくなってしまうのは損失かもしれないという、迷いはゼロではない。
(韓国のブルマーについて扱った記事で)アフリカの文化を紹介すると称して、トップレスで釣っているyoutubeチャンネルを批判しているが、タイトルに「おっぱい」を引用し、そのくせ対して議論を深めていない貴君も同罪ではないか?
雑談のつもりだったのでそういう意図はなかったが、言われてみればその通りだ。
やりかたが不適切だったかもしれない。異国の文化なのでもっと敬意を持って扱うべきだった。謝罪したい。
トップレスについてはいずれ真面目に考えてみたいと考えている。
自分は海外で何度かヌーディストビーチや混浴サウナの経験があり、性的でない裸体を実践してきた。その点でも大変興味がある。隠せば隠すほど性的視線を向けたくなる一方、全裸でも堂々としていれば爽やかだというのが実体験である。
ところで、次項にまとめた表や、過去のブルマー増田まとめを見ていただくと、実はブルマーだけについて議論した記事よりも、ブルマー以外のものについて語っている記事のほうがブクマは伸びている。
露出度が増えれば増えるほど伸びているのだ。
特に100以上のブクマを稼いだのは、デビュー作のインパクトがあったイギリスのブルマーを除けば、手塚ブッダのおっぱい、陸上ブルマー(ビキニタイプ)、それからビーチバレーのビキニの記事である。
投稿日 | 記事名 | ブクマ数 |
---|---|---|
2023/5/23 | ソ連のノーパンブルマー少女 | 3 |
2023/6/29 | 体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより | 14 |
2023/7/10 | エアロビのレオタードとタイツ、60年代から90年代まで | 12 |
2023/8/28 | anond:20230828074847(無題) | 1 |
2023/12/28 | スイスのブルマーと各国のブルマーの呼称、VtuberとパンチラMV | 18 |
2024/1/4 | 韓国のブルマーについての短信、あとアフリカのトップレス | 92 |
2024/1/8 | ブルガリアのブルマー、台湾とルーマニア、手塚漫画と少女漫画 | 39 |
2024/1/11 | チェコのサマーキャンプ、ドイツのブルマ再び、バルト三国のブルマ(男の子のブルマーについて書いた) | 2 |
一旦ここでまとめておこうと思ったのは、たとえば旧ユーゴスラビアのブルマーを調べても、画像があまりヒットしなかったので段々面倒くさくなり、ここで区切ろうかという気持ちになったからだ。
はじめのうちは、旧ユーゴスラビアのブルマーについてまとめて書こうと思っていたのだが、独立した七か国について並行して調べているうちに目移りしてしまい、調査が体系的に進まなかった。
また、前回はバルト三国をまとめて記載してしまったが、本来は各国の体操着の変遷については一か国ごとにまとめて記事を書くべきだろう。以前はポーランドやチェコ、ドイツのブルマーについては記事を独立して記載している。歴史はそれだけの深みがあるはずだ。
しかも、考えてみれば、旧ユーゴスラビアやコーカサス地方の国々については、そもそも地理や歴史をほとんど知らない。バルト三国や東欧諸国は二十世紀の歴史を扱った書物で多少聞きかじっているし、その国ごとのイメージや著名な出身者を思い浮かべることをできるが、前述の国々についてはそうではない。旧ユーゴスラビアと聞いて最初に出てくるのがチトーとミロシェビッチだ。あとはドブロブニクくらい。
その国のブルマー事情について調べる前に、まずは当該地域の基礎知識を身に着けるべきではないか。それが礼儀ではないのか。
あと、コーカサス地方では文字がラテンアルファベットもキリル文字でもない。自動翻訳に書けるので困らないのだが、キリル文字はギリシア文字を知っていると読みが推測できる一方、アルメニアやジョージアの文字は全く推測できないので心理的な壁を感じる。
調べていない国もまだたくさんあると気づいた。
ベネルクス三国やデンマークもまだだ。オーストリアについてもドイツの陰に隠れてしまっている。
これくらいの数で区切ったもう一つの理由が、記事なら見返すときに便利だからだ。
あと、最初のうちはanond:でリンクを貼れば、http:のようにリンク数制限に引っかからないと気づかず、8~9個でまとめていたのだけど、その名残り。
https://www.youtube.com/watch?v=31MQBXy2g3w&ab_channel=MilanDubek
https://www.youtube.com/watch?v=q7ktb56-Y-4&ab_channel=AMASLOU
https://www.redbull.com/hr-hr/stvari-koje-moras-znati-o-odbojci
はっきり言ってわからないことだらけだ。
そもそも各国のブルマーがどんな素材でできているのかはあまりわかってない。
また、色合いについてもあいまいだ。意外と白黒写真が多いため、例えばドイツのブルマーが黒だったことは文章からわかった。画像が荒く、提灯ブルマーかショーツ型ブルマーかはっきりしないことも多々ある。
国によっていつからいつまでブルマーだったのかも、正確な数字はわからない。
日本国内でさえ地域差があったのだからはっきりしないのは当たり前かもしれないが、日本ほど体操服の変遷を記録しているのは英語圏くらいしかない。
ブルマフェチがいるかどうかという問題だけでなく、その国の歴史をどれくらいアーカイブ化しているか、また、その国のネット利用者数や総人口という問題ともかかわっていそうだ。実際、人口が数百万規模の国だと検索してもヒット率が格段に落ちる。数千万規模の国とは格段の違いがある印象だ。
あとは、以前にちらりと新聞や広告、SNSなどで調べたいとも書いたのだけれど、それ以外にアーカイブ資料を使いたいと感じている。
実際、韓国のブルマー写真は「Korea Democracy Foundation」というNPOの画像だし、ポーランドの場合はポーランドのポズナンのデジタルアーカイブだ。
もしかしたら各国のデジタルアーカイブが、ブルマーについて調べる良い資料となるかもしれない。
あとはdeviantartのフェチの人のつぶやき。
各国のブルマー事情を考えると、アメリカだとバスケットボールのときにブルマーだったという証言があるし、バレーボール部もブルマーだったようだ。つまり、同じ体育の授業でも内容によって服装が違っていた可能性がある。
実際、国内でも創作ダンスの授業でレオタードだったという例もあるようだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14254151119
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12227793622
つまり、例えばバレーボールではブルマーが広く使われていたが、それが体育の授業一般ではどうだったかははっきりしない。バレー部がブルマーでも授業は短パンってこともあるだろう。
個人的には、バレーボールだけの画像を積極的に探さなかった理由がそれだ。自分が知りたかったのは、ブルマーが体育の授業の制服として使用されていたかどうかだった。バレーボールで検索すると、プロの選手の画像がヒットし、学校教育での実態がわからなくなる。
最初の調査理由がそれだった。ときどき、何のために調べていたのかがぶれてしまうので、そのあたりは気を付けたい。
一旦ブルマーを休んで、へそ出しやトップレス、ヌーディズムについて調べてもいいだろう。
というか、いい加減にネットだけの調査だけでなく、書籍で調べるべきなのだろうが、積んである本が多すぎる。
それにしても、ブルマーに対する執着の根っこにあるのが、小学生時代に憧れていたお姉さんの、パンツのようなハイカットブルマーだとしたら、初恋? をこじらせ過ぎである。
今気づいた。
ブルガリア語のキーワードについてかなり突っ込んで考察してくださっている。
やはり熱意のある方の増田は読んでいて嬉しくなる。
時間を見つけて精読させていただく。
トップレスの民族はフツーに現存するやんけ anond:20201102080505
以上。
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。