はてなキーワード: アニメ映画とは
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>悪い事してるやつが許されがちなのはメイン視聴者層が元ヤンとかそういう奴らだからだよ~
非常に腑に落ちる解説ありがとうございます。
書いてあるとおりなら、私がワンピにハマれなかった理由が見えてくる…
私は元ヤンではないし、なんなら全く真逆の位置にいるタイプなので、そりゃあ合わないなと。
元々ワンピは一般人というか陽キャ向けの作品なのは分かっていましたし、世代性別を選ばない人気がある作品でもありますからね…。
流石に人間正しくなきゃ生きる価値無しとまでは思いませんし、任侠的な要素も割と好きな方ではありますが、やっぱりウタは受け入れられないなー
>こうであったら良いけどこうじゃない方が儲かる、みたいなモデルケースになっちまった感は確かに。~
同意して頂いてありがたいです。
私が述べた原作付きアニメ映画のあり方は悲しい事に理想論であって売れる映画のモデルでは無いんですよね。
オリキャラにイラついても原作ファンは見に行くはその通りで、私も恐らくというか絶対ああいったオリキャラがDB映画に出てきても1回は見に行くでしょうね。
考えたくないことですが…
ていうかウタほどの悪人があの世界普通にのさばってるってマジですか…?
ただし、それについては原作をしっかり知らないのでなんとも言えませんね…
>DBは作者が一番設定をわすれているので誰も怒らん
作者が一番設定忘れているは否定しませんが、誰も怒らんは100%違います
神と神や復活のF、ドラゴンボール超(TVシリーズ&映画&漫画)には作者が原作設定を忘れて後付け設定による上書き批判が大量に飛び交っていますので。
この映画は金曜ロードショーで上映されたらしいのだが、子供の世話で見る機会がなかった。でもアマプラで配信しているのは知っていたから昨日の夜にそちらで視聴した。
結論を言えば全然面白くない。たしかに感想を探しても似たりよったりな低評価が散見されるが、そもそもこの監督は叩かれやすいからバイアスがかかっていると推測してある程度は無視していた。だからあらすじやビジュアル、そして個人的に名曲だと思っているOPだけしか知識を入れずに素の状態で鑑賞した。
もちろん良かった点はある。とくに主題歌はアニメ映画としてはきちんと作り込んでいると思われるし、なにより曲単体がとても好きだ。昨今の流行を外してイントロが長いのもいい。
それと、冒頭10分程度に収まっている、主人公が仮想世界にログインするシーンとかは中々わかっているなーと思う。
逆にそれ以外は全く面白くない。
この映画を見る前に曲だけはラジオなどを通して頻繁に聞いていたため、YoutubeMusicなどではかなりリピートしていた。なので本編より曲の方にずっと思い入れがある。
だからこそ、本編があの出来であるのが辛い。自分の好きな曲が主題歌となっている映画がああいうものだったなんて。
似たような例としては、打ち上げ花火がある。ただあれはもはや笑い話にもならないくらい酷くて、曲以外の良い要素がゼロという点で突き抜けているのでまだよい。そばかすの姫は一応は見どころがあるから困る。
とりあえず思ったことを箇条書きにしておこう
端的に言って脚本がひどすぎる。サマーウォーズがOZというシステムをうまく利用しているのに対して、竜そばのそれはTwitterで十分だと思う。Twitterやニコニコで歌ってみた人が思いがけずバズるということを発端にして現実の問題に向き合う、という内容ならばヒットはしないまでもそこそこの良作品になっていたかもしれない。
この映画ではアバターを通すことでその人の本質や才能を引き出す、という設定がある。だけど現実のSNSにおいて自分を偽ることで才能を発揮できる人は数多くいる。主人公が人前で歌うことができてそれが非常に上手かった、という描写は現実のTwitter等でも見る現象であり物珍しくない。そのくせアバターの介在なしにはっきりと歌えるという部分にはリアリティがなさすぎる。
そして竜の存在も酷い。竜はあの世界において自治組織から目をつけられる存在だけど、50億もの人がいる場のおいて単なるPK行為が衆人のもとで白日にさらされることなんて殆どない。例えば遊戯王の世界大会において優勝するほどの実力者だけど顔や素性が一切不明で暴力行為や不正行為の疑いがある、というレベルならまだ理解できる。だけどTwitter規模で暴力や不正をしたところでお尋ね者になったりはしないだろう。
逆にあの程度の暴力行為だけで盛り上がれるというのは、それだけUという仮想現実では娯楽がないということかもしれない。
サマーウォーズほど舞台装置として機能していないし、そこにいることで自己実現をできるほどのものがあるとは思えない。派手な演出でごまかされているけど、あの世界が存在する意義が最後までなかった。
監督は美女と野獣を現代的にアレンジしたいだろうけど、舞台装置が酷すぎるし主人公があまりに搾取され過ぎなので整合性も面白さも何もない、虚無な映画となっている。
これ、多分「順番が逆」なんじゃないかなって思う。
誰かの事を好きになってからデートするのか、そうじゃないか、みたいな。
同じ趣味とか「これを一緒にやってればずっと楽しい」相手と一緒に行動するのは楽しいよね。
アニメという共通項があるなら新作のアニメ映画見に行くとか、同じアニメが好きならDアニメとかでそれ見ながら語り合うとか楽しいじゃん
鉄分が強めなら列車の旅したり列車を撮影したりするの楽しいだろうし、登山という趣味が共通項ならどこかの山に一緒に登る、みたいなね。
『デートにサイゼリア』が炎上するのにも似てるんだけど「価値観」がどれだけ近いかは大事だと思う。
もちろん「私」という人間は、この世にひとりしかいなくて「通じ合う、分かり会える」みたいな幻想を追いかけるのはイクナイんだけどさ。
『恋愛したい』『性的交渉は気持ち良い』みたいのも幻想とまでは言わないけれど「そこを目的」にしちゃうからデートが苦痛になっちゃう。
アニメや漫画が好きなら自分が好きなジャンルや作品を描いてる性的対象(※LGBTに配慮しますた)の作家さんと交流するとこからだろ。
『弱者男性』という言葉が嫌いというか、何を持って弱者と言っているのかしらんけれど、弱者と誰かを定義して蔑んだり、みずから弱者という場所に置いても何も変わらない。
変わりたくない、自分はそれで構わない、ひとりでも良いという人はおそらく「デートの苦痛」を考えることもないだろう。
恋愛や性的交渉を目的にしているうちは『デートは苦痛』だ。当たり前だ。
ゼリアでデートしたいならゼリアがオッケーな人を探すところからだし、4Cのアクセがオッケーな相手と付き合ってればSNSに「4Cのアクセをプレゼントされて私は、この程度の価値しかないんだ」みたいなことを投稿されたりもしない。
完全に一緒を望むことは出来ない。
だけれども、だからこそ
趣味や嗜好、着る服の好み、食べ物の好み、旅行での振る舞い方、時間に対する価値観(遅刻オッケーとか時間厳守とか)
そうしたことで「同じだ」と思える人を探そう。
一昨日の夜、タイトルに書いた映画を見てきて、色々と気持ちが整理出来たので、備忘録としてこれを残す事にした。
先に結論から書いておくと、私はこの映画をシナリオ以外の部分は文句なしで好きであるものの、シナリオもとい映画のメインヒロインであるウタの存在に大いに疑問を抱いた。
そしてこのウタの存在と映画の売れ方、更に自分の本命作品であるドラゴンボールとの関連性を見てタイトルの結論に達した。また、ワンピファン(ライトもヘビーも、特にfilm:REDが好きな方)にとってあまり良い印象を持たれないであろう内容を書いている事を明記しておく。それを念頭に置いて読むか読まないかの判断をお願いしたい。
以下詳細に書き記す。
といっても実は私は原作をしっかり読んだことが無く、昔にゾロが仲間になった付近までを読んで自分には合わないなと思い、読むのを辞めている。内容もほとんど覚えていない。それ以外では2chのまとめなどのネット記事、ネタ動画やコラ画像などの賛否別れるであろう二次創作でうっすら知っているぐらい。簡単に言えばにわかである。
そんなワンピにわかの私がfilm:REDを見ようと思ったきっかけは単に周りで流行っていたからだ。ネットでもリアルの人間関係でも耳にしていて好評を聞いていた。そして、それに加えて実は試写会から公開当初にかけて、原作のワンピースファンから著しく評判が悪かったのも風の噂で聞いていた。そんな評判で何故こんなに売れたのか?と不思議に思ったのだ。原作ありきのアニメ映画というのは、第一に原作やアニメのファンの為に作り、それに加えて新規層の確保が主な目的だと思っているので、原作ファンに不評なのによくヒットしたもんだと純粋な疑問と好奇心が沸いたからである。
また、話は変わるが私はドラゴンボールという作品の大ファンだ。ワンピ同様有名タイトルなので、知っている方も多いだろうから詳細は割愛するが、このDBとワンピは実は関連性が非常に高い。
・連載期間は違うものの同じ雑誌に掲載されているバトル漫画で大人気作品
・原作者同士で仲が良く漫画で大々的にコラボや対談なども複数回行っている。
・アニメ制作会社(東映)、アニメを放映している放送局(フジテレビ)、グッズやゲームなどの販売会社(バンダイナムコ)がモロに被っており、アニメ製作陣や販促に似通った節がある。アニメやゲームでもパロ含めてコラボを行っているほど深い縁がある。
このようにかなり深い関係にあり、DB界隈にそれなりに深く長くいれば、確実にワンピの話題は耳に入り、恐らく逆も然りだと思われる。良くも悪くも比較されて並べて語られることも多いので、ファンが一部対立していたり、どっちも好きな人、片方嫌い片方好きな人がいるなど、色々とカオスである。かく言う私は良くも悪くもワンピは興味が無く、嫌いでも好きでもないと言った感じだ。しかし、ドラゴンボールはめちゃくちゃ大好きな為に近年のDB映画の高クオリティ作画に圧倒されていたこともあって、同じ東映作品で作画陣が本気を出して作ったfilm:REDの作画や構成に興味を持った。恥ずかしながら、あわよくばワンピで使った最新技術を今後のDB作品でも使ってくれないかなーなんていう下心があったのも付け加えておく。とにかく東映の映像技術の視察名目があった。
で、映画を見た感想に移ると映像面、音響面ではかなり満足する結果を得られた。CGや高クオリティの作画を駆使したライブシーンと戦闘シーン、ベテランの声優やDBZの効果音をふんだんに使っており、迫力も満載だった。DBで一軍の作画陣である高橋優也さんの名前をEDクレジットで見た時は本当に興奮した。
ウタ役の名塚佳織さんもadoさんも賛否両論あるものの自分はそこは受け入れられた。これは恐らく原作のファンではないからというのが大きい。鑑賞目的の一つである技術視察という面で言えば大収穫だったので、これだけで1800円払う価値があったと言える。あと、分かっていたとはいえ声優陣がDBともろ被りなのが、中々に笑いを誘った。
さて、本題である批判部分だが、第一にも第二にもシナリオ構成とウタにある。これが非常に疑問というか一部(多くの?)原作ファンから不評なのが納得する内容だった。1番言いたいのはウタはかなり悪どい事をしているにも関わらず他キャラ、特に観客及びルフィ一派から許されすぎだと感じた。過去に悲しい出来事があったのも引き返せないのも分かるし、逃げたくなる気持ちも分かる。キノコの副作用で暴走したのもわかるが、それでも世界の7割を巻き込んだ集団心中未遂はやりすぎだし、簡単に許されるものでは無いと思う。一番辛いのはウタじゃなく、ウタの歌を純粋に楽しんでいたのに不幸な事故に巻き込まれた罪なき観客達及びルフィ一派だと感じる。せめて、もう少し観客に叩かれる描写を強化するかルフィ、シャンクス、ゴードンなどがキノコで暴走する前のウタ(具体的に真実を知った1年前)を多少なりとも咎める描写を入れてくれれば溜飲が下がったのだが、自分が見た記憶ではそれは無かった。擁護派の方が特典冊子を読めばウタの事を理解出来るというので、2回ぐらいちゃんと読んだが残念ながら上記の感想になった。とにかく自分の倫理観的には受け入れ難い人物だった。全部トットムジカが悪くて、ウタは全く悪くないは流石に無理があったと思う。ただし、最後亡くなった事を考えると本当に全く悪くないとは思ってないだろう。多分
そして、どうやらこういう風に思ったのは私だけでは無いらしい。同じく受け入れられなかった人々が試写会から現在に至るまで苦言を呈している。それらの評価を読んでみると大いに同調出来るものが多い。ワンピにわかの私ですら、このような評価を下してしまうぐらいなので、原作ファンでこの映画が好きじゃない方にとっては耐え難い苦痛だろう。「原作者が関わっているとはいえ、後付けぽっと出の映画オリキャラがチート能力を使って無双しまくり」「オリキャラを立てる為に既存キャラの設定が壊されて時系列等に矛盾が生じる」などが行われた(らしい)ので、たまったもんじゃないのは大いに賛同出来る。同じような事をDBでやられたらめちゃくちゃブチギレる自信があるぐらいには理解出来ているつもりだ。一応本編とはパラレルという補足はされてるらしいが、それでも嫌な物を見てしまった事実からは逃れられないのも理解出来る。せめてこれが映画という大々的な作品での発表ではなく、ゲームのオリジナルストーリーなど明確に本編と違うおまけの物として扱われていれば、まだ受け入れられたのかなと感じた。それじゃあ、adoの宣伝にならないから絶対やらないだろうけど。
しかし、残念ながら映画は大ヒットしてしまい、これがワンピースの代表作であり、この作品を絶賛する層と受け入れられない層とで決定的な溝が出来てしまった。どこもかしこも新規層によるRED及びウタの話題で持ち切りになっていたら、反REDの古参勢からの悲鳴という名の批判はREDファンに突き刺さり、盛大な論争へと発展していることだろう。というかしている。最初の方でも書いたが、私は原作ありきのアニメ映画の正しいあり方というのは第一に原作やアニメファンに向けて作り、第二に新規層の開拓にあると思う。今回の映画は前者をやや蔑ろにし、後者に重きに置きつつ、adoの宣伝に使ったという印象が強い。なので、興行成績的に言えば大成功だが、反REDの原作ファンからすれば全く嬉しくない成功であろう。なんせ、これで売れるってのがわかってしまったので、またやらかす可能性が出てきてしまう。
私もDBに関してはガッツリ原作推しなので、もし万が一このような事態になったらと考えたら身震いがした。そして同じアニメ製作会社故にこのような方式でDBも映画が作られた可能性がある。よって某ネットミーム風に言えば「逆だったかもしれねェ…」ってやつになってた可能性さえある。もし仮に作られたとして流石にREDほどヒットするとまでは全く思わないが、成功しようが失敗しようがそんな映画が自分の好きな作品に残るのは絶対に嫌なので、嫌な言い方になるが作られた時点で負けである。少なくとも私はめっちゃ嫌だ。
こうして、タイトルの結論へと帰結していく。ぶっちゃけ、この記事は対岸の火事に飛び込んで火達磨になった事のレポでしか無い。しかし、これを読んでRED及びウタ推しもアンチもワンピが好きな人DBが好きな人、どっちも好きor興味無しetc…どんな層であっても何かしら感じ取れる部分があったなら、それで良い。是非コメントを残していただけたら有難い。なるべく削ったつもりだが、とんでもない長文になってしまった事をお詫び申し上げる。
また、記事を書いたあと時間が経って書いたものを読み直したり、色々と考えを深めていたら他にもウタに関して追記したい事があったので、補足
ウタが現実の世界で海軍に民間人が攻撃された際にやめてー!と言って必死で手当していたけど、あれを見て恐らく大部分の方はウタは優しい子なんだなーとか好印象を抱いたと思う。
しかし、私はいやいや、なんか必死こいてるけど元はと言えばそっちが勝手に巻き込んだせいだからな。海軍だってそういう選択を取るつもりは無かったのに、あんたのせいだからな。とシラケた感情になった思い出。
とにかくこの子は良い子で悪くないんですよ感を強調されてうんざり…
あと最終的に死んでしまったのが気に食わない。
死んだ事が禊のつもりで逃げるいうテーマに沿ったものなんだろうが、寧ろ生きて自分が犯した罪を償って欲しかった。
まあそれじゃあラストに繋がらないからそうする理由はなかったんだろうな。はぁ…
最後にウタの心情補完をもっとみっちりやってくれたら、まだ私でも同情出来たかもしれない。
ウタと似たような動機や境遇で心中を測ったキャラを複数名知っており、普通に好きなキャラもいるぐらいだが、どれも原作者の心情描写が光る作品だったので、小説や漫画などでそこら辺を補完してくれたら話が変わったかもしれない。
そしてそれらの作品は基本的に映画のような短編ではなく漫画やゲームなどのそれなりシナリオがみっちり描ける媒体だからこそ、深堀出来たのだ。
批判レビューの中で映画でやるべきじゃなかった、ワンピでやるべきじゃなかったとあるが、正しくその通り。
他になんかある?
まあ対立構図に直面してるわけではないのだけど。
俺は職業プログラマーとして彼女にアドバイスすべきではないか、という気になってる。
いや実際は、あの子は何を言っても聞かないっつーか、自分で決めたことは曲げないから無駄なのだが。
しかしそれでも、人生の先輩としての、大人の責任感なるものが独身ミグタウの俺にもあるみたいで、うずく。
イラストレーターが閑職になる未来が、俺らプログラマーには(もはや)解っているのだから。
夢みる子どもが食えない職業に突き進むのを、応援だけして後は知ったことかってのはマトモな大人のやる事ではない。
せめて選択肢を示すくらいはすべきではないか。プログラミングは楽しいよ、と。
だけど、この先の未来に彼女を待ち受けるのは、わずかなポストを奪い合う凄惨な争いだ。
生き残るのは、高度なオリジナリティーを生み出し続けるホンモノの才能だけ。
純粋な確率の問題として、彼女が運命を引き当てる可能性はごくごく微かな数字しかない。
機械学習は楽観的な人たちが言うような「便利な筆」じゃない。
それは言うなれば——正確なたとえではないが——機械のドレイを雇うのに似てる。
クリエイティビティーはAIが発揮して、イラストレーターはそれを監督するだけ。
そしてその仕事は、発注する側の人間が代行できる。アニメ映画なら監督が、漫画なら編集が、よりハイレベルな指示を行い実作業は担当しない立場の人間が、直接使役した方がコストカットできる。
絵画のコンテストならともかく、商業の場、企業コンペで「AI を使わない部門」というのはたぶん開かれないだろう。顧客が求めるのは役に立つ美、そのものだ。レギュレーションを揃えた競争にはならないし、創作の上で人間がどれだけ苦労したかなどどうでもいい。
それゆえに明日のクリエイティブシーンでは AI を駆使するのは前提になってくるだろう。イラストレーターが実際には創作などしてなくて、ただ上がってきた絵をチョイスしてるだけだとしても、彼女は著作権を主張すると思う。
——どこまで自分が創作に貢献したかは、外部からは観測不能だから。
そんな訳で、これからは多種多様な人々が「イラストレーター」になれる時代になるのさ。あらゆる職業の人たちがイラストレーションを駆使する事になる。
…そして皮肉なことに、職業としてのイラストレーターは縮退する。俺たちが殺したのだ。でもプログラマーなら同意してくれると思うけど、そんなことを気に病む同業者はいない。だよな? プログラマーなら誰だって、明日の自分の仕事を奪うために今日コードを書いている。プログラムが自分に、誰かに、成り代わって働くように設計する。プログラマーって本質的に「誰かの仕事を奪う仕事」なんだ。
なんかシナリオが夢小説だってのばっかり言われてるけど、そもそもシナリオ自体の作りもかなりまずくないか?
いきなりウタのライブを見にきてバーベキューしてる、いかにも日本のフェス()満喫してますみたいな麦わら海賊団のシーンから始まるんだけど、なんでグランドライン進んでたはずのルフィがあの場所にいるのかも説明がないし、いきなり全員が知っていてファンだってことにされるのが意味不明。
いや、なんでああいう場所にいるかってのがそもそもの伏線になってるでしょ?って言いたい人がいるのもわかるよ。でも表現が稚拙すぎてそう機能してないんだわ。
あと、あのバーベキューシーンを書きたかったんだろうね。「こんな特等席で見れるなんて」みたいなセリフが出てくるんだけど、ルフィたちがいるのはステージ前に謎にある離れ小島だよ?ほかの観客はみんなその小島とステージを取り囲むように配置されてるの。なにその晒し台。しかも一応指名手配犯だろ。マジでどうなってるんだ。ファンみんな海賊嫌いって設定なんだから、秒で気づかれるだろこんなの。
あと、ビッグマム生きてるのなんで?時系列が意味不明すぎるんだけど。
まあ、原作準拠してないって話はパラレルワールドだからいいよってことにしよう。そういうアニメ映画結構あるしね。
あと、ライブシーンな。
まず、最初の「新時代」を歌うライブシーンと思われるシーンなんだけど、マジで最悪。
ライブというからには演者は観客の方に向かってないといけないけど、この映画では四六時中カメラに向かって歌う。それはライブじゃなくてPVなんだわ。舞台で歌ってるシーン自体もかなり少ないし、ウタの能力のせいもあって、本当にワンピースのキャラソンのPVって感じなんだけど、ライブシーンって銘打っていて、キャラクターのライブアクトを見せますよ!みたいな映画なのに肝心の歌唱シーンがこれって酷くない?とりあえず監督はアイカツとプリパラを1億回ぐらいみて、タツノコプロのトイレでウンコでも食ってろって感じ。
そのあとに「私は最高」って歌で「あーここはディズニーヒロインっぽいのやりたいのね」ってのもわかるんだけど、ああいうのはストーリー上でのキャラクターの描写とそれに沿った作詞あってこそであって、Adoから上がってきた楽曲に宛書でコンテ書いてるようなメインストーリーと全然整合性の取れてない歌唱シーンぶち込まれても、一切感情移入できないのね。
それ以降の歌唱シーンも全部本編の間にある異物て感じ。なんか、ワンピースのアニメをYoutubeで見てたら、合間合間にAdoの曲の広告挟まれる感じみたいな映画なんよ。
もう見てる間中ずっとクソクソクソって心の中で思ってたし、人生で初めて映画途中退席しようと思ったわ。
後半歌のシーンが減ってきたら嫌悪感も薄れてきて反笑いで夢小説的なシナリオを眺めてたんだけど、シナリオ抜きでも相当ひどい映画だったと思うよ。
追記:コメントで「逆張り」って言うけどさ、根拠なく批判してるわけじゃない分からないの?売れてても売れてなくても知らねーよ。見に行った映画がクソだったから書いただけだろ。
「何に対しても反論してそう」って言うけど、批判意見に根拠のないレッテル貼ってること自体が「何に対しても反論してそう」って感じなんだけど。ブーメランじゃないの?
幸福の科学がアニメ映画をやってるらしく近年も作られているようだ
となるとはてなで言われてる世論を反映させるとこれらのアニメに関わった声優も加害者でもあり業界から消えるべきというのがはてな民は望んでるということになるがどうだろう?
ちなみに近作に出てた声優を記しておくのでするのでカルト宗教の関連性を断つべきと考えるはてな民はこの加害者の名前をちゃんと覚えておこう
出演者:大原さやか、新井里美、置鮎龍太郎、高橋広樹、笠間淳、八代拓、村瀬歩、掛川裕彦、伊藤美紀、銀河万丈、 鶴岡聡
出演者:逢坂良太、瀬戸麻沙美、柿原徹也、金元寿子、羽多野渉、梅原裕一郎、浪川大輔、安元洋貴
どこだろう?
個人的には
・大き目の本屋
・オタ系ショップ
・大き目の家電量販店
があり
・飯がうまい
・家賃がそれほど高くない
オリオン通りのフェスタビルに各種オタショップが揃っているし、
メガドンキがあるし、駿河屋あるし、ヨドバシあるし、おっきなシネコンも2つある(多少距離はあるが、LRTが出来るので交通の便はよくなりそう)
アニメだと東京のキー局は全部映るし、独立系のとちぎテレビにアニプレ枠があり、まろに☆えーるみたいな独自路線もあるし、GWにはアニメ系のイベントもある。
東京に有料特急使わず乗り換えなしで行けるのもプラス。しかも始発(2時間かかるが)
そもそも声優というのはどういった技術を持って声優をやっているのだろうか
・演じるキャラを憑依させ
といった様な技術を持っていると考えている
役に乗せるためにある程度の身振り手振りをすることはあるが
激しい体の動きがない故にその難易度は1段下がると言っていい
俳優でも女優でも芸人でも人前に出てキャラを演じる職種に属してまともな国語力があればできるだろう
…というか、最近じゃ実際に女優や芸人を声優として迎えて特に荒れずに終わるアニメ映画だらけだ
「声優」が「声優」として何か特別な…突出した技術が必要なようにはどうしても見えない
元増田が言っていた『テクニックの天井もある程度見えている』という論も至極当然と言える
通常の役者であれば変わった声というのはリアリティを阻害しマイナスポイントになるが
世界観がデフォルメ化されたアニメという媒体なら強みへ逆転する
もしくは声色を意図して変えられる声優というのも生き残りやすい
(山寺宏一とか 声質を技術的に変化できる声優がいるが、そういうのは例外的に『優れた技術を持っている』と言っていいだろう)
まぁ結局何が言いたいかといえば
陰核機動隊(いんかくきどうたい、英語タイトル:CLITS IN THE SHELL)は、秘豆正宗による漫画作品。
ジャンルは「ハードクリトリスSF」。同作を原作としたアニメ映画、TVアニメも公開されている。
本作は近未来を舞台とし、機械化されたクリトリスによって特殊能力者となった女性のみが所属する、内務省直属の警察組織「陰核機動隊」の活躍を描く。
主人公の栗薙豆子(くりなぎまめこ)は任務中の事故が原因でクリトリスを失ってしまうが、クリトリス義体化手術を受けて「陰核機動隊」に入隊する。しかし、義体化したクリトリスはあまりにも感度が高く、少し擦れただけで連続絶頂してしまうほどの敏感さだった。
イキまくるドスケベなクリトリスと、日々敏感になっていくカラダに翻弄される一方、豆子もまた、特殊な能力に目覚め始めていた。
本作、および本作を原作としたアニメ作品は『キンタマトリックス』などのハリウッドSF映画に多大な影響を与えたことで知られている。