はてなキーワード: だんだんとは
最近はあの顔を見るだけで胃がキリキリする。あの自己満足な説教。
まるで自分が完璧な人間かのように振る舞っているのが腹立たしい。彼の顔が赤く火照り始め声がだんだん大きくなる様子を目の前で見ているときには不思議と冷静な自分がいる。
そして心の中でふっと思う。あのクソコラおじさんを思い出してみろと。そうすれば少しは冷静になれるだろうに。
ネットで有名なあのクソコラだ。船の上に三人目のおっさんが居るように見えるコラ。それを思い出すと、どうしようもないほど笑いが込み上げてくる。
あの船の上の三人目のおっさん。上半身だけの、浮いているのがはっきりと分かるようなクソ雑コラ。あのコラは何故か俺の心にとても響いた。
初めて目にした時には爆笑し、ずいぶんと見慣れたはずの今でも目にすると思わず笑ってしまう。
だがたまに思う。俺もあのおっさんみたいに、この会社にとっては雑コラのような存在なのかもしれない。
上司の叱責が一段落すると俺は自分の席に戻りデスクトップの壁紙をさりげなく見る。そこにはあのクソコラが設定されている。もちろん誰にも見えないように工夫しており俺だけの秘密だ。
あのクソコラおじさんの笑顔が俺の心を少しだけ軽くしてくれる。
40代のサラリーマンとして、誇れることはあまりない。仕事ではミスばかり。上司からは叱られ、同僚から信頼も得られない。だがあのクソコラおじさんがいるおかげで、俺は何とかやっていける気がする。
中学を卒業するタイミングで高校に通えなくなってなにをどうしたらいいかわからなくて家でずっといた
親もいなくて家でひとりでテレビを見ていた
でも要領が悪いとかですぐクビになった
少しだけ得たお金で米を買った
やることがないので元々親のものだった長いコートを着て毎日外でうろうろしてた
髪が伸び放題だったのでだいぶ怪しげな雰囲気になってたと思う
近所のスーパーに入ってカレーのルーを見たときにどうしても食べたくなった
それでそのルーのパックを盗もうと思った
スーパーを出たところで呼び止められた
スーパーの事務所みたいなとこに連れて行かれて「わかってんだよ出しなさい」と言われた
店員はかなり怒ってる風だったけど
机にカレーのルーとスプーンを置いたら困惑したような顔になってた
「なんでこれ盗ろうと思ったの」
と聞かれて食べようと思いましたと答えた
そこに別の店員もやってきた
「食べるものないのか?」と聞いてきたので米はありますと答えた
しばらく沈黙が続いて気まずかった
こんなにカッコ悪くて近所だしなにもかもが嫌な気持ちになった
しばらく黙ってた店員は「今回はもういいよ、それ持っていっていいよ」と言ってくれた
なんかめちゃくちゃかわいそうな子みたいに思えたらしく同情されてるのが分かった
あとどうしても困ったら店に来なさいとも言われた
一回だけ店に行ったらパンの耳とかをくれた
そのあとなんやかんやでどうにか過ごした
盗みとかはしなかった
このできごとで自分が感動したとか人に優しくしようと思うようになったとか、そんなんは特にないんだけど
誰ともなんにも繋がってない世界でカレーとスプーンが接点になって唯一人と繋がったような感じだった
スーパーから開放された帰り道、ポケットの中のスプーンを握りながら
あの人達は俺をかわいそうに思ったんだ、俺はかわいそうなのかなとぼんやり考えていた
ただでもらえてラッキーとは思えなかった
なんでスプーンにこだわったんだろう
3食ゆでたまご生活してると最初はきついんだけど、身体が3食ゆでたまごで1日乗り切るモードにだんだんなってくる
なんなら水さえ飲めてれば3週間くらいは何も食べなくても死なない
ついでに言うと、タレントとかが言ってる××ダイエットってたいがい言ってることと
本当にやってることは違うから参考にならんよ
だんだんなんか蒸し暑くなってきたわよね。
なんか1回洗濯機の洗濯槽もの凄く取り外して掃除したいような気がするんだけど、
いっぺんちゃんとあれ洗濯槽は定期的に洗浄剤入れてやってるのよ。
だけど長年使っているとやっぱり洗濯機もくたびれてくるので
まあ壊れない限り替えることはないけれどちょっと気になるわね。
洗濯槽を取り外せないので、
取り外せなくても言い洗濯槽の洗浄方法ってなにか動画を漁れば見つかりそうだけど
見付けたら見付けたで大変そうな予感なので
わざわざ自分がそんな大変なことに頭を突っ込まなくて済むように
あれって多めに入れたところで
すごい綺麗になる度合いがアップするわけでもないでしょ?きっと。
だけれど
なにか多めに入れちゃいたい気持ちもあるし、
洗浄力が期待度がアップするような綺麗になるような気がするのよね。
そんな気がしない?
まあいまの洗濯物の仕上がりに不都合がある事実がるってワケじゃないけど、
1回綺麗にしてみたいな!って欲望がありのままにひしひしと沸いてくるのよ。
これから、
ふと思ったけど、
ちゃんと濯げてんのかしら?って
なんか信用できない気がして
私だけ?
たぶん、
すすぎ1回モードと通常すすぎ2回運転とで洗濯物を乾かしてどちらの仕上がりが良し悪しを
鈴木さんに鑑定いや判定してもらっても
どちらが1回か2回かって区別がつかないと思うの。
効率とか時間とかそう言うので計るんじゃなくって結局自分が気持ちよくお洗濯できたかっ!ってことに重点が置かれる重要なポイントである論点なので
そこは論点ずらしは避けてやめて欲しいのよ。
今まだ梅雨入りしていないので、
たぶん薄手のブラウスとかシャツとかは洗ってもそんなに差し支えなさそうだし、
どーも信じられないけれど
信じてみる!
うふふ。
最近帰りが遅くて
ちょっとギリギリまで寝ちゃいがちぎみな日々が続きがちなのよね。
たまにはそれも良いとしましょう。
飲みきってしまってスッキリとした味わいの爽やかな緑のグリーンの香りが口の中に広がるわ。
またなにかこしらえないとね。
だんだん暑くなってきたので
水分補給はまめにこまめにね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
クリエイターと自由と責任、というテーマについて色々考えたことをつらつらと書いてみる。長文。
俺は大学在学中から、もうずっと長いこと個人でゲームを作っている者だ。仕事をしつつ余暇でゲームを作り、すでに何作も公開している。大して売れてはいないので、あまり偉そうなことを言える立場ではない。
これまでしてきた仕事は、ゲームとはまったく関係がない。俺がゲーム業界に入らなかったのは、そこに入っても俺が作りたいものを作れないことを知っていたからだ。会社という組織は、自分の作りたいものを自由に作れる場所ではない。
俺には明確に作りたいものがあって、それは個人でも作れるものだったので、ゲーム業界に入る意味が俺にはなかったのだ。
本業の方では、いくつかの組織を渡り歩き、それなりに人を束ねる立場になってきて、組織の仕組みというものがある程度分かって来たところだ。
日本の企業は……いやもう少し主語を小さくしようか、俺が見てきた組織は、末端の従業員の裁量はとにかく小さく、何をするにも上司の承認を通さなければならない。個人が自由に創造性を発揮できる機会などはほとんどない。
そういう体制をディスりたいわけではなくて、それによるメリットもある。
上司の承認を取ることで、自分の行動で何か問題が起きても、その責任を上司に転嫁することができる。そして上司はさらに上司の承認を取ることで、その責任を転嫁する。
そのように組織の中で責任を広く薄めることで、特定の個人の責任を回避する。これは責任を曖昧にして、組織が社員を保護するための仕組みだ。
しかし普通の会社はそれでよくても、自由な創造性が必要な分野では、そういう体制はすこぶる相性が悪い。
クリエイターが創造性を最大限発揮するには、何よりも自由が必要だ。その点で、うまくやっていると思うのは漫画業界だ。
俺は、日本の漫画が成功している要因の一つは、漫画家が組織に属さず、組織から自由であるおかげだと思っている。もし漫画家がサラリーマンだったなら、漫画の内容をまず企画書にまとめて稟議にかけたり、1コマ修正するにも上司の承認を通したりといった世界になるだろう。
編集者がそれに近いことをしているのかもしれないが、漫画家本人はしていないはずだ。もし漫画家本人がそんなことをさせられたら、稟議を通りやすいテクニック、組織の中での立ち回りばかりが優先されることになり、自由な創造性からかけ離れてしまう。
出版社は漫画家にある程度自由な裁量を与え、漫画家が創造性を最大限発揮できる体制を整えている。しかしそのためには、漫画家を組織の外に置く必要があるのだろう。
漫画家のような存在は、組織にとっては異端者であり、組織の中に組み込むことができない。漫画家がいなければ事業が成り立たないにも関わらず、その主役を組織の中に置くことができない。この辺に、日本の組織運営の難しさがある気がする。
しかし自由の代償として、漫画が売れなかった場合、漫画家は収入の大幅減、連載打ち切りといった形で、その責任をダイレクトに負わされることになる。
サラリーマンであれば、たとえ大きな失敗をしても降格程度が済むことが多く、日本ではいきなりクビになることは少ない。サラリーマンは自由を制限される代わりに、ここでも保護されている。
サラリーマンであってもかなり上の役職であれば大きな裁量が与えられるが、その代わりに大きな責任も取らされる。結局、自由が欲しいなら責任を負う必要があるのだ。
ゲームの話から少し逸れたが、ゲーム業界においても80年代頃のゲーム会社は自由が気風が強かったのではないかと思う。いわばゲーム業界そのものが異端だった頃の方が、ゲーム業界は元気があった。新しいものを作るのは、いつだって異端者だったのだ。
俺はゲーム業界にいたことはないのでこれは想像なのだが、当時から残っている大手には、事業の規模が大きくなるにつれて社会の責任が大きくなり、多様なメンバーが集まり、大企業病に冒され、だんだん普通の会社になっていったところが多いのではないか。
任天堂なんかは今でも元気があるが、他に元気のある日本のゲーム企業は少ない。クリエイターが自由にものを作れない環境から創造性は生まれない。
ともあれ、いまゲームを作るなら昔から存在するゲーム企業ではなくインディーズで作るのが一番だと思う。それがもっとも自由な創造性を発揮できる環境だ。
俺なんかは、別の仕事をやりながら余暇でゲームを作るという、いわば美味しいとこ取りでやっている。しかしそういうやり方では、所詮大したものは作れないとも思っている。本業でゲームを作っている人には、やはり及ばない。
それは創作に掛けられる時間の長さという意味でもそうだが、それ以上に、本業でゲームを作っている人は覚悟が違う。
これが売れなければ倒産する、失業する、借金を背負う、そういうプレッシャーを負うからこそ作れるものがある。自由と責任は表裏一体だが、大きな責任はクリエイターを追い込み、本気にさせる。それで潰れる人も多いが、それを乗り越えて初めて達成できるものがある。
俺にそこまでのことはできないので、それができる人は素直に尊敬するし、感服する。俺は、彼らと同じ土俵には上がらず、慎ましく自分の作りたいものを作っていようと思う。
音痴の同期を10年間飲み会の度にカラオケ連れ出してたら音痴なおってきた
最初は歌いたくないから……という感じだったけど私が歌いたかったので金はだす!歌いたくなかったら歌わなくていい!好きな物頼め!金は全部だす!と連れ出した
カラオケは上手く歌うことよりも楽しく歌うことの方が大事なので、訳分からん踊りを踊りながら歌ったり、三点倒立しながら歌ったりしてたら、だんだん一緒に歌ってみようかな……から1曲歌ってみようかな……で歌い始めてくれた
確かに音痴ではあったけど、楽しく歌う事の方が大事なので特に気にせず自分は相変わらず寝そべったり役になり切って歌ったりしてた。
そんな感じでなんやかんやで10年続ければ慣れたもんで同期も恥ずかしがらずに歌ってくれるようになり、歌う機会が増えたからなのか音痴も改善してきた。最近は一緒にカラオケに行くたびにより良くなっている
昔より楽しそうに歌っててくれて嬉しい
ところで、妻のことをまだ好きで、喜ばせたいとか、心を通わせたいという気持ちはあるの?
まただ。仕事が忙しいと、どうしても体調を崩しがちになる。今回は特にひどい。喉が痛すぎて、声もまともに出ない。こんな状態で職場に行ったら迷惑かけるだけってわかってる。でも、休むっていう選択肢がないんだ。
上司はいつも、休めるなんて思うなって言うし、みんなも無理して出社してる。だから、自分だって休むわけにはいかない。風邪一つで仕事に穴を開けるなんて情けない。そんな気分でいっぱいだ。
薬を飲んでも効かないし、夜も眠れない。何度も起きては咳き込んで、だんだん疲労感が増していく。布団の中で耐えるしかないんだけど、このまま治らなかったらどうしようって不安ばかりが募る。
家族や友人には心配かけたくないから、何も言ってない。でも、本当は誰かに頼りたい気持ちもある。なんで自分はこんなに弱いんだろう。病気一つでこんなに気分が落ち込むなんて、情けない。
風邪が治ったとしても、またすぐにぶり返すんじゃないかって心配もある。この生活がずっと続くのかと思うと、ただただ嫌になる。一体どうしたらいいんだろう。仕事も体調も、どっちも大事ってわかってるけど、今の自分にはその両方を持ちきれない気がする。
そっかー
じゃあまだそういうことがあってそれは間違ってるんだから、こういう文章を読んで、会社とかバーのその上司なりナンパとかレイプしたりした人がそれしちゃダメだったんだなってどこかでだんだん気づけるといいし
こういうの読んでそうなる可能性に気づけた本人や周囲の人が注意できるようになるかもだし
興味深かった。
評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。
というのよく分かる。
テレビの不祥事報道やネットの炎上にグチグチ言ったり、ネガティブな情報に触れすぎてると、それが当然なことみたいになっていって、ネガティブな人間性ができあがると思う。
何かと何かを比較していい悪いを評価していくのが当然みたいになっていくと、「いい」を評価するために「悪い」を探して下げてゆくようになったりする(マナー問題)
比較のいいねをしないように「いい」を探してゆくのって難しいよね
でも
他者への感謝をいっぱいすることで、「感謝されない!イライラ」が湧いてきそうな気持ちを量で追いやろうということ?
家族の口癖が「感謝が足りない!」なので、これをどうにかできる方法があるなら知りたい。
私の家族への感謝が足りないんだろうけど、いくら言っても言ってもこれなので、無限の感謝を要求されてて正直ウンザリ。
「感謝が足りない!」思う気持ちは、そう思う人が自発的にあなたみたいに「感謝が足りないとイライラし始めてはならない」と自分を律していくしかないんじゃ?と思うんだけど、それができない人は無限の感謝要求マンになり、家族は感謝ロボになるしかないのかなやっぱり。
(2024/06/09 追記)
旦那さんは躁鬱かも。自分も5~6年前までは旦那さんと同じく短気だった。電車から降りる人より先に乗ろうとする人、傘の先端を後ろに振って歩く人、横断歩道を無視する車、政治家の汚職や不倫のニュースなどを見るたびにイライラして、文句を口にしていた。今思うと、これは躁鬱の症状だったと思う。自分が躁鬱だと自覚・改善するきっかけになったものを書いていく。今はイライラと上手く付き合えるようになり、人生が楽しくなった。それから、付き添ってくれた妻には本当に感謝している。あなたの旦那さんが自分と重なってしまい、自分もあの時気づけてなかったらと思うと、いてもたってもいられずに書いた。少しでも力になれれば。
※以下で紹介する情報は数年前に触れたので、うろ覚えでテキトーな部分があるかも。あくまで今の自分の解釈なので、鵜呑みにせず、旦那さんの心の準備ができたら精神科の受診をオススメする。
この映画がきっかけで鬱だと気づけた。鬱のイメージが変わった。「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だと知った。まさに主人公も自分もそういう人間で、共感しすぎて見終わったら泣いてた。特に、妻に辛く当たった後に自己嫌悪に陥るシーンは、自分にとってはあるあるだった。見終わった後、妻に改めて感謝し、改善していきいたいと思えた。ちなみに鬱は 「完治させる」のではなく「改善していく。上手く付き合っていく」 と考えた方がいいみたい。焦って治そうとすると、治らないことにイライラして再び自己嫌悪。
この本が改善のきっかけ。特に学びになったのが 「評価は人の居場所を奪い、感謝は人の居場所を作る」 こと。
評価とは、人間に良し悪しをつける行為。愚痴やネットでの誹謗中傷がそうだし、あなたの旦那さんや私が、待ちゆく人やテレビに対して言う文句もそう。他人を評価することは、相対的に自分を評価することになる。例えば、電車でマナーの悪い人にイライラするのは、その人を悪く評価してる反面、マナーを守ってる自分を良く評価してることになる。評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。「あの人は優秀」とか。優秀な人を見ると自分がダメに思えて悲しくなるのは、勝手に自分も評価して居場所を無くしてるから。また「お前に褒められても嬉しくねーよ」って感じるのは、自分より下だと思ってる人間に居場所を奪われる不快感だと思う。
感謝は逆に人の居場所を作る。だから、居場所を得たければ、他人に感謝をされること(他者貢献)をするといいらしい。本にはここまでしか書いてなかった。それを知ってからは、いろんな場面で親切を心がけるようにした。ただ、だんだん感謝されないとイライラするようになった。そこで気づいたが、自分は「感謝されたい」という気持ちでいっぱいになっていた。逆に、世の中には自分と同じように「感謝されたい」人がたくさんいるんじゃないかとも思った。そして、感謝を伝えることは誰かの居場所を作れるということであり、それ自体が他者貢献 になるのでは?と考えた。それ以来、一切の評価を辞め、些細なことにも感謝するよう心がけた。例えば、今日も飯が食えることとか。生きてることとか。他人を褒めそうになったときは、感謝に置き換えた。例えば、活躍するスポーツ選手のニュースを見たら「すごい」じゃなく「頑張ってる姿を見ると、自分も頑張ろうと思えるな。ありがたい」とか。次第に、悪いことより、ありがたいことに目が向くようになり、「自分の人生、恵まれてんじゃん」と幸福度が増した。イライラも減った。
また、人間は良いことよりも悪いことに敏感らしいので、気づくと感謝を忘れてイライラが再発した。なので、感謝を習慣付けるため、以下の2つに取り組んだ。
自分は3つ言うようにしてる。少なくとも1つは言う。些細なことでいい、「洗い物ありがとう」とか。ただ、厳格にルール化するとしんどいので、もちろん忘れちゃう日があってもいい。次第に、寝る前以外も自然と感謝が言えるようになる。小っ恥ずかしいけど、互いに居場所を作ることができ、それが夫婦円満に繋がる。
日記といっても毎日はしんどいので、誰かに何かしてもらったときだけスマホにメモるくらいでいい。メンタルがしんどくなったときに見返すと「そーいや、こんな嬉しいことあったっけ」とマシになる。家族や同僚のミスも「こんだけありがたいことしてもらえてたんだよな」と許せるようになる。あと、この日記は意外な場面でも役立つ。記念日や友人の結婚式、同僚の退職時など、メッセージを考えるのに困らない。
を言ってほしいかも。そうしないと、何度も「二度としません」を繰り返すことになる。自分と妻がそうだった。旦那さんは、きっと 安心や信頼が欲しい んだと思う。旦那さんに一緒に考えてもらうのもいいと思う。自分も妻と一緒に具体的な再発防止策を考えるようになってから、感情的な口論が減った。
アンガーマネジメント超入門 「怒り」が消える心のトレーニング [図解 (特装版)]
自分も読み途中だが、怒りを抑えるだけではなく、そもそも怒りづらくなる方法や、怒りを上手く伝える方法なども書いてある。ちなみに、自分は今まで以下の考え方で怒りを鎮めてきた。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
旦那さんは、ひょっとしたらHSPかも(病気じゃなく性質)。HSPだと細かいことに気づきやすい。いい意味でも悪い意味でも。もし、飲み会など大人数の集まり後にグッタリしたり、光や音に敏感だったり、お腹すくとすごいイライラしたりする場合は、その可能性あるかも。ちなみに自分もHSPで、この本を読んだら楽になった。自分の妻は非・繊細さんなのだが、繊細さんと非・繊細さんの上手い付き合い方が載っていて、互いに勉強になった。
わかってらっしゃるとは思うが、上記を本人に無理矢理、読ませるのは逆効果。自分も会社にアンガーマネージメント講座を強制されたときはキレた。本人が知りたいと思ったときに、そっと差し伸べる程度で。ただ、本人に任せてたら状況は変わらないので「評価は居場所を奪い、感謝は居場所を作って、イライラを抑えられるんだって〜」くらいのノリで、 奥さんから日頃の感謝を伝えてみる のがいいのかも。相手は変えられないので。結婚はしたのだから、きっと旦那さんにも素敵なところがたくさんあるはず。楽しかった思い出を振り返ってみて。人生をつまらない文句やイライラではなく、楽しいことで満たしたいよね。
しばらくはしんどいと思うけど、峠を超えて、旦那さんがあなたが付き添ってくれたことに感謝してくれる日が来ることを願う。ただ、他人を変えるのは相当大変なことなので、ヤバくなったらあなた自身の人生を最優先してくださいね。長文失礼。
ママが学生の頃って、アッシーとかメッシーとかいって、彼氏でもないのにおごってもらったりしたんだって?
あー、懐かしい言葉ね。そういう女の子はママの身のまわりにはいなかったよ、学部の女子100人いるうち2,3人が噂されてたけど、本当かどうか知らない。
本当に?おばあちゃんが言ってたよ、ママの卒業式の日、BMWで迎えにきた男の子がいたって。
あーあー!あったねそんなこと。あれは当時の彼氏だよ、なんか無理して借りてきたらしいの。ふふ、優しい彼氏だねえ。
ふーん。その人とは別れちゃったんだ?
うーん。別れたのはそのBMWも原因かもね。今でこそ彼の背伸びが微笑ましく思えるけど、当時の私は全然嬉しくなかった。部活の軽トラで、エンジンかからない!とか言いながら送ってくれた事の方が大事だった。見栄が苦手だったの。だんだん価値観が合わないな、ってなって。
ふぅん?見栄って向上心みたいなもんじゃないの?何でダメだったの?
そうね、その向上心を私にまで求めはじめたからかな。「もっと女らしいオトナっぽい服を着て欲しい」とかさ。
私は35年間守り続けた童貞を卒業しようと決意し、前日の夜にソープランドに電話して予約をしました。ホームページを見て、攻め好きそうな女性を指名しました。
その夜は緊張してほとんど眠れませんでした。翌日はソープが開く昼の12時まで朝からずっとそわそわしていました。電車に乗ってソープに向かう間も心臓はバクバク。マスク越しで息苦しく、変態に見えたかもしれません。
開店の1時間前に最寄駅に到着し、ソープランドの場所も確認しました。後は開店を待つだけでした。コンビニで缶チューハイを買い、珍しく昼間からお酒を飲んでテンションを上げました。
そしてネット上でこんな記事を読んで自分を奮い立たせます→https://chinpou-deai.jp/doutei-soap/
いざソープランドに入場し、代金を支払いました。安価なお店ではありましたが、住民税の支払いも滞っている年末の貧乏人には痛い出費でした。
待合室で呼ばれるのを待っていると、ついに「◯◯さんをご指名のお客様」と呼ばれました。店員が指し示す暖簾の奥に行くと、指名した女性がいました。正直、ホームページの写真とは違う印象でしたが、まあ許容範囲でした。この人が私の初体験の相手かと思うと感慨深かったです。
彼女に案内されて部屋に入りました。これがソープランドの部屋かと、簡易的な風呂とベッド、そして噂に聞いていたスケベ椅子を初めて見て興奮しました。
私はソープどころかセックスも初めてだと彼女に話しました。「初めてが私でいいんですか?」と彼女は聞き、「もちろんです。よろしくお願いします」と答えました。
全裸になるよう促され、彼女が私の陰茎を見て「剥けますか?剥けないとゴムフェラになりますけど」と言いました。私は完全な真性包茎のため、ゴムフェラになるとのことでした。
スケベ椅子に座り、陰茎を洗ってもらい、勃起はマックス。軽く湯船に浸かった後、いよいよ全裸のままベッドへ移動しました。彼女がコンドームを付けてくれました。
「チンポ大きいですね〜!太い!Lサイズのゴムでよかった〜」と言われ、彼女のサービスが始まりました。ネットリとした口淫、そして手淫。陰茎はマックスをキープしていましたが、なかなか次のステップに進みませんでした。
ついに自分から「そろそろお願いしてもいいですか?」と言うと、「じゃあ騎乗位で挿入れますね」と彼女は応じました。
「挿入する時に、童貞くんバイバ〜イ、って言ってください」とお願いすると、彼女は笑いながら「それじゃあ、童貞くんバイバ〜イ」と言い、ついに挿入が完了しました。
彼女がグラインドし、私は皮とゴム越しの膣を感じました。だんだんとノってきて、「初めて挿入できて嬉しい?」と聞かれました。嬉しくないわけがなく、私も少し本性が出てきて「僕のこと……変態って罵ってください!」とお願いしました。
彼女はまた笑い、「変態だね〜」と言葉責めをしてくれました。しかし、少しすると「そろそろ君の方も動いてくれる?」と言われ、自分も動き始めましたが、射精感が全く込み上げませんでした。
彼女も疲れてきたようで、「次は正常位でやってみようか?」と言われましたが、陰茎が短すぎてピストンしても直ぐに抜けてしまいました。結局、騎乗位に戻りました。自分の情けなさが辛かったです。
そんな私に彼女からの驚きの一言。「挿入しただけじゃなくて、セックス中に射精しないと童貞卒業にならないんだよ?」と。知らなかった私は、必死に腰を動かし続けました。
「変態の僕を、◯◯さんで童貞卒業させてください!」と叫んだ私に、彼女は「そんなに大きい声で叫んだら、控え室で笑われちゃうよ〜」と爆笑しました。
最終的に、彼女に顔面にツバを吐きかけてもらいながら言葉責めを受けることで、ようやく少しの満足感を得ました。しかし、結局射精できず、彼女から「時間だね〜童貞卒業できなくて残念でした〜」と言われました。
私は敗北感とともに、コンプレックスが自分の弱点であることを再認識しました。プレイ後、彼女は優しく、「また童貞卒業リベンジしにくる?」と聞きました。小さく頷いたものの、もうセックスは無理だと悟りました。
ただ、金額以上の満足感はありました。AVやエロマンガの言葉責めを体感できたことは大きな経験でした。「また来てね〜」という彼女の声を聞いて、そっとソープランドを出ました。まだ真っ昼間。太陽が眩しい帰り道、帰宅したらどのAVを見て抜こうかと考えていました。
もう20年以上前の中3だった頃のはなし。日曜日の夜に塾から帰る満員に近かった電車のなかでドアの前に立ってた
すると後ろに立った人からドアに体ごと押し当てられた。満員だったから別に不思議じゃなかったんだけど
しばらくして、いきなりスウェット生地のパンツに手を入れられた。驚いたけど声は出なかった。というより出せなかったというのが正しい
耳元で荒い鼻息が聞こえると同時に手が下着のなかに入ってきた震えるくらい怖かったけど、うつむくことしかできなかった
手が股間をまさぐり始めた。実をいうと私は男だ。今で言う男の娘というやつで、自分でいうのも何だけど見た目は女そのものだった
女子の格好をしなくても女に間違われてすごく嫌だったのを覚えてる。今までも痴漢されたことは数え切れないほどあったので
「またか」程度にしか思ってなかったが、男だとわかればすぐに止めてくれるだろうと考えていた。けど違った
この人は私が男だとわかっていて痴漢しているんだと悟ったのは、アレの皮を剥いたり戻したりを何度も繰り返して鼻息が強くなっていたときだった
私は当然、興奮することはなく恐怖心しかなかったので大きくなることはなかったが、その手はどんどんと荒く激しくなっていった
少しずつ平常心を取り戻し、恐る恐る首を回して後ろに視線を送ると目がキマったおじさんがこっちを凝視していた
下着のなかに入った手を握り力を入れて追い返そうとすると、反抗して更に荒く手を動かしてくる
だんだんと恐怖心より怒りが勝り始めた私は、おじさんの手を両手でつかみ下着から追い返すことに成功した
振り返ると、おじさんはやり場のない興奮と従わなかった私に対する怒りのような視線を送ってきた
さすがに私にはにらみ合い続けられるほどの度胸はなく視線を外したが、おじさんがずっとこちらをにらみ続けてるのはわかった
次の駅に到着するやいなや、おじさんは逃げるように電車を降りた
それからは必ず友達と一緒に電車に乗るようになったのと、駅を降りたら後ろを振り返り警戒を怠らないようになった
月日は流れて私は結婚し子供も生まれた。中学生3年生になった娘は当時の私そっくりで親戚は合うたびに毎回驚いている
なぜ、この日記を書こうと思ったのかというと、この子が先日痴漢にあったからだ。その当時のおじさんというオチではない
痴漢の具体的な内容までは掘り下げなかったが、ふと当時の記憶を思い出したので書いてみた
実際に痴漢にあうとAVのように都合の良い流れにはならない。被害者には恐怖心しか残らない
お父さん、お母さんが楽器を弾けるなら、以下の文は、釈迦に説法、孔子に論語、ラフマニノフにソナチネ、パガニーニにクロイツェル。(後ろの2つは聞けるものなら聞いてみたい。)
ガチで音大目指すとかそういうのじゃなく。子供に楽器を習わせている一人の親として。自分は趣味で楽器が弾けるだけ。業界の人でもプロでもない。
子供がピアノとか弾けたらいいなとか、バイオリンっひけたらかっこいいなとか。そんな感じで子供(4歳くらいから小学生低学年まで)に楽器を習わせたいなと思っている親御さんへ。
習わせる覚悟は犬を飼うのと同じと思ってね。親が思う、「趣味程度で楽器が弾けるといいな」になるには、最低10年、だいたい15年くらいは習わないと、そうならないと思う。
犬と違って、途中で辞めることはできるけど。
子供が「ピアノやだー」っていってても、レッスンには毎週連れて行って、うちで弾き始めたら「うまくなったね」って言って、だらだら続けていれば、いずれ楽しく弾けるようにはなると思う。
自分の子供にはピアノを習わせてる。5年生(女)と2年生(男)だけど、一緒に習っているお友達がだんだん辞めるようになってきた。
特に小学校低学年でかなりの割合の子が辞めちゃう。3~5年くらい習ってたことになるんだけど、それだとたぶん、この先は趣味でもピアノは弾けないと思う。楽譜も読めないと思う。
すごく勿体ない。その時間、別の習い事をしていればとさえ思う。辞める理由は、練習しなくなったとか、お金がかかるからとか。
発表会でもうちの子より上手に弾いてたのに、と思うと、本当に勿体ない。
楽しく自分のペースで弾けるようになるには、中学終わるくらいや高校生までかかると思う。そこまで続けば、しばらく休んでも再開できるし(手は動かなくなってるが)、楽譜もそこそこ読める。
いわゆる才能があって、小学生の間に、上手に弾けて楽譜も読める子は、たぶん辞めたくないっていうし、先生も引き留めるから、大丈夫。この話の対象ではない。
子供に楽器を練習させるには親の協力も必要だ。鈍感力(できなくてあたりまえ。家ではほぼ騒音)と、共感力(できたときに褒めるだけ)、忍耐力(練習していないままでもレッスンには連れて行く。)が必要だ。
それに加えて、やっぱりお金。毎月最低1万円くらい×12ヶ月×12年。だいたい150万円くらい。楽器代や楽譜などの教材費は除いてそれくらいはかかる。
よく、ピアノは中古でも高いとか、バイオリンは買い換えが・・・、とかいうけど、長期にかかる月謝も高い。
塾や習い事が増えてきて、お金もかかるし取捨選択を迫られたときに、どうしても楽器は辞める方向になりがちだ。お金を出しているのが、楽器を弾かないお父さんだった場合は特に。
でもちょっとまってやって。ここで辞めたら無になる。ここは、投資で言う「コンコルド効果」をいい意味で考えよう。「ここまで払った投資が無駄になる。きっと上向くはずだ。」
自分は4歳から高2までバイオリンを習ってた。親は楽器は弾けない。
中学生、高校生の時はほとんど練習せずに週Ⅰレッスンだけ行ってた。だから、同じ先生に習ってた同じくらいの年の子より数段下手。ソロで人に聞かせるレベルではない。
でもね、楽譜みながら、一応音は拾えるし(拾えたからといって弾けるとは限らないが)、楽器は楽しい。
妻は中学か高校までピアノを習ってた。大学の軽音楽部で知り合って結婚した。そのとき僕はバイオリンではなくウッドベース弾いてたけど。
子供に楽器を習わせてるのは、ただ1つ、大人になって楽しみが増えるから。一人でも楽しいし、数人集まっても楽しい。
スポーツと違って、対戦相手もいらない上に、仲間がいればもっと楽しい。ケガもしないし、遭難もしない。超平和。
先日、市民イベントや街中ポスターでガルクラ知った川崎民の話の続き。長くなったんで、その1
ブルーレイ付きってなってるやつを上から順に買ってしまったのでMVやアニメ見つつ「川崎とは」問題にふれてみたい。
いやびっくり。言われてみると1年前に出した1曲目は歌がだんだん聞こえなくなってて何を言ってるのかもわからなくなってるが、最近の歌はめっちゃ声量が出てるしパンチあるし、すごい。8話の迫力も凄いし、こんなゴリゴリっとした16歳を見たの坂本真綾以来じゃないか。オッサンのファンが一気に増えそう。
ガールズバンドクライ主題歌歌詞だが、固有名詞は一切出してないので「別に川崎を謳ったわけじゃないっすよ」と逃げる気まんまんという気はする。その腰砕けな態度の時点で劇中の仁菜ちゃんの体当たり性格とミスマッチではなかろうか。プロデューサーお前だぞお前。で、このガルクラを川崎とタイアップで作ってく企画については、音楽系の人たちの川崎いじりの流れを汲んでる気がする。
ちょっと前からフィクションで時々あったが、こっちの受け止め方としては「魔界都市新宿」とか馳星周の新宿とかと同じジャンルという受け止め方だった。新宿や渋谷がこすられ過ぎたんで川崎で新味を出してきたんだろうな、ぐらい。親戚のおばさんが町内を毎日掃除してゴミ出しの整理をしてるような町で陰鬱な国際犯罪が行われてたりするのはギャグですらあった。
ラッパーの人らが川崎をアイデンティティに押し出してったあたりで流れが変なほうに行ったなあ、という感じ。嘘はついてないけどフカシは相当してるよね、ぐらいの大げさアピールで、売り込むためなんだろうけど。最初は面白かったんだけど、ネタいじりが繰り返され、うざったくなってきた。
川崎が舞台でタイトルにクライがついてるので、たぶんガルクラと合わせて川崎クライシリーズとか言われるはず(言われない)。さておき上記のラッパーの人らの延長上みたいな川崎描写(原作デビルマンの最初のサバトシーンが川崎のそういう場所になってる)で、途中で行政区分川崎区の中でやたら悪魔が出現するというトンチキな描写が挿入される。周囲を山と海に囲まれた地方都市が舞台じゃねーんだぞ。まっ平で交通量も頻繁で交通手段も豊富な首都圏のど真ん中エリアで川崎区だけ悪魔が溢れてるってどういう描写だよ。湯浅政明の才能って実はイマイチではと疑った最初であった。
新宿、渋谷、池袋、上野といった都心部の繁華街のほうがよほどアレ。あるいは周囲の監視の目が光ってる閉塞した熊本よりはそりゃ川崎は住みやすいだろう。
一方で「関東周辺と比較した場合、社会人には住みやすいけど、子育てにはお勧めできない街」と思う。
熊本出身者が川崎の民度を下げてるなどと言われがちだが、川崎はそもそも上京してきた人たちの溜り場である。京浜工業地帯で働くために、あるいは都心に出勤するために、東北や甲信越、九州や沖縄、朝鮮半島やブラジル、ネパールやベトナムetc...から出てきた人たちが10年単位で住んでいる。ルパさんは南アジア系らしいが、20年前の話、京急駅前の立食そばで働いてたおばさんお姉さん曰くお父さんがグルカ兵だったそうだ。実家でも駅前で寝てたイラン難民を連れてきて住み込みで働いてもらっていた。
ヘイトスピーチビジネスの連中が川崎で活動してたが逮捕者を出すなどして現状では川崎での活動を縮小してる。最近になって埼玉で活動してるのはこっちを追い出された連中が居場所を探してあっちに食いついたのでは。
大田区蒲田と川崎区、多摩川河川敷の工業地帯の下町で条件は同じでも家賃が違う。羽田空港へのアクセスのせいもあるだろうが、似たような所得層の似たような街並みでも川崎のが安い。結果、都心で働く人、都心の学校に通う人が選びがちなのが川崎で、京浜工業地帯で働くために通勤で通ってくる人と人数的にも拮抗しており、両者はあんまり交わらない。東京の予備校に通う仁菜ちゃんに川崎市民意識があろうはずがないのだ。
これは異論あんまないかと。自称保守という名の全く保守する気がない利権屋集団がいまだ蛇蝎のごとく嫌う美濃部都政ってやつの遺産がデカいと思う。
川崎(川崎区、幸区など京浜工業地帯近辺)は伝統的に低所得層の町だったため進学率が低く、児童も、児童の親も、教師も、残念ながら外れを引く可能性がある。
具体例。80年代前半の川崎区内小学校、小6の頃だが、担任は児童をどなりつけ椅子を蹴り、男子児童は移動教室というとサボって校庭で遊びまわって、音楽の先生は毎週泣いていた。その騒いでる児童間でも権力闘争やってて先週までボス格だった子が学級会で子分格の子らから名指し批判され追い落とされたりと10年早い世紀末を演出していた。学級崩壊という言葉がメディアに出回るよりだいぶ早い時期の話である。昔の話だろと思うかもしれないが、それからおよそ十数年後に同じ学校の授業参観に参加させられる羽目になったところ、やはり教師は生徒をまともに見る気がなく野放しの児童がフリーダム。自分の時ほどではないが、たぶんあまり変わってない。
中学校事情は私立受験で都内に進学したので実情は知らないが、行くはずだった学区公立中で新任若手教師が生徒らに虐められ失踪、行方不明になったという新聞記事が地元欄に出たのが中3の頃。
自分もそうだが、結局のとこ横浜にも東京にも近く進学先を選びやすいので、そこそこの所得層は地元川崎での中高進学をあえて選ぶ必要がなく、余計にそうなりがちだったのかもしれない。