はてなキーワード: 食器とは
[追記あり]
当方、歯科医師夫婦。長女が5歳の時に乳歯に虫歯を作ってしまいました。見つけたときはショックでした。
夫婦ともにそれなりに専門知識もありますから、元増田さんとおなじかそれ以上に気をつけていました。食器の共用はもちろん、ジュースなども他のお子さんより少ないか、ほぼ与えなかったと思います。歯磨きも毎日していました。
それでも虫歯はできていました。虫歯は臼歯隣接面と呼ばれる、奥歯と奥歯の間です。長女はその部分がくっついており、歯ブラシだけでなく、本来はフロスをつかって清掃すべきでした。この部分の虫歯はある程度大きくなって一部が欠けてこないと、普段の歯磨きでは気がつきません。
おきてしまったことはしょうが無いので、父親である私が治療をしました。長女は涙を流しながら、痛いのを我慢して治療させてくれました。
それから、子供の虫歯については永久歯に虫歯を作らないことを中心に治療、指導するようにしました。虫歯を作りたくて作る親はいません。ちなみに、3歳まで菌が入らなければ、、、と言いますが、現実はなかなか難しいですよ。
元増田さんも、歯科医院に連れて行ったのであれば、責任は果たしていいると思います。痛い治療はかわいそうですが、なんとか連れて行ってあげて下さい。
何歳のお子さんかはわかりませんが、「痛いけどがんばれ」と言って応援してあげてください。「すぐおわる」とか「痛くない」とかウソはだめです。痛い治療をがんばったということを褒めてあげないと続きません。
・両親で交代して行うこと。(磨き残しのクセがだれでもある)
・仰向けで明るいところでしあげ磨きをすること
・最低でも小学校6年生までしあげ磨きをすること
・フロスをつかって、引っかかったり、繊維がばらけるようなところがないか(あれば受診)を確認すること
を注意してください。
そして、定期的に歯科医院に連れて行ってください。(「虫歯がありそう」で構わない)
初期の虫歯は、明るいライトの下で、乾燥させないと判別できません。
こういうことを書くと「宣伝だ」と言われるかも知れませんが、虫歯になった時点で歯医者も親も本人も負け戦です。
[追記]
たくさんコメントを頂いたので、追記します。(10/5 0時頃)
多くの人にいっぺんに伝える機会も普段はありませんし、コメントもたくさんあったのでこの際ですから長くなりますが書きます。コメントに賛否があり、特に否定的な意見は普段の歯科医師対患者の会話ではほとんどありませんから、とても参考になります。
これはラットの実験で証明されています。ただ、人間を無菌で育てることは現実不可能です。どの段階で感染するかはいろいろな意見がありますが、教科書的な結論はないかと思います。
ただ、細菌を増やさない、細菌の餌になるショ糖をとらない、細菌のすみかであるプラークをなるべく早く落とすというのは虫歯予防の原則になります。
歯は生えた直後は柔らかく、虫歯になりやすい状態です。実際歯を削ってみても、80歳の歯と6歳の歯ではかたさが違います。食事の度に脱灰と再石灰化を繰り返して、硬くなるのです。このときフッ素は再石灰化を進めるため、乳歯や幼若永久歯に塗布することが推奨されています。
ただし、進行したう蝕には効果はありません。
歯を磨け、甘い物を避けろ、食器の共用はやめろとうるさく言うかというと、過去のこれらの啓蒙で子供のう蝕は明らかに減っているからです。1975年頃をピークに一人あたりの虫歯の数は右肩下がりです。これは歯科医師(業界)にとっては大きな成功体験なのです。虫歯が減って仕事がなくなったと憤る歯医者はいません。
虫歯になる子供を減らし、重症化させないためには、歯科医院にう蝕を主訴にきた子供と親に対しては、耳が痛いだろうなとは思っても言わないわけにはいかないのです。
例えば、4歳で右上の乳臼歯に虫歯がある子供がいます。いままでと同じ生活をしていれば、左上も左下も右下も虫歯になるのは時間の問題です。数回の治療で1本の虫歯を治しても、他の歯の虫歯が進みます。そうこうしているうちに6歳臼歯が生えてきて、使いもしないうちから虫歯になってしまうことがあります。治療ができるようになる3~4歳から、永久歯の生える5~6歳まで、思っているほど時間が無いのです。しかも、6歳臼歯は永久歯の中でも最も大きく、咀嚼に重要な歯なのです。
少しずつ治さないで一度にたくさんやればいいと思う方もあるかも知れませんが、そんなに長く子供は頑張れません。抜けばいいという方もあるかも知れませんが、麻酔をして抜歯をするのも小学生まではなかなか難しいのです。あまりに早く抜くと、歯並びが悪くなります。磨きにくくなって虫歯のリスクが上がります。
何度も何度も歯磨きを指導して、時には乳歯の虫歯の治療を一回休みにしてでも、永久歯を守らなければいけません。
「負け戦」という言葉に思いのほか反応があったので、言葉の選択を気をつけなければとも思いましたが、上記の様な例がまさに「負け戦」なのです。乳歯を犠牲にした撤退戦です。乳歯が犠牲ならいいのではと思うかも知れませんが、その間、子供はいつもどこか痛いのです。食べるたびに痛いのです。親は仕事の合間をぬって毎週のように歯科に通うのです。夜は歯が痛いと泣かれるのです。歯科医も顔を見るだけで泣かれる子供をなだめすかして、治療をするのです(これは仕事なのでたいした問題ではない)。新しく虫歯ができたり、進行するので、計画がなかなか立たない治療です。
小さい虫歯が1個2個なら負け戦ではありませんね。これは訂正します。
磨かないのに虫歯にならないという人は確かにいます。唾液の性状、歯の形、性質、食生活に個人差があるからです。(歯周病のリスクは別ですので、綺麗な歯が中年以降にぐらぐらになって抜けていく人は結構います。)だからといって、予防をしなくても一緒とはなりません。
しあげの歯磨きについて
6年生までやるの?→高学年になれば毎日出なくても良いと思います。適当に毎日やるくらいなら、しっかりを週1回です。
身長が170cmの6年生でも寝かせるの?→寝る場所でやればいいだけです。布団やベッドでやってください。立った状態で上の歯はみれません。
2歳の子供に咬まれます。→たぶんブラッシングの力が強すぎです。歯肉に歯ブラシが強くあたると痛いので咬みます。歯肉と歯の境目も磨くべきですが、優しく細かく動かしてください。。
口を開けてくれません。→まずは親が歯磨きするのをみせましょう。子供の前に座って歯磨きをしながらテレビでも見ててください。まねするようになります。立って磨くのは余りみせないほうが良いと思います。子供がまねをして、歯ブラシ咥えて歩き回り、転んで突き刺さることがあります。
歯磨き粉は?→子供用のフッ素入り低発泡のタイプが良いかと。いつも使う必要はありません。スッキリするので、磨けた気がしてしまいます。使いたければ、子供が自分で磨くときに少しだけつけて、しあげ磨きの時は歯磨き粉無しでよいかと思います。
歯ブラシは?→ギザギザなどがない普通の形のものを。開いたらすぐ交換しましょう。
「子供は自ら虫歯を予防することはできない」という点は明確な事実だと感じています。「虫歯にならないように努力をする」、「初期の虫歯で治療に連れて行く」というのは「交差点で飛び出さないように周囲に気を配る」程度の親もしくは周囲の大人の責任だと思います。「虫歯の1個や2個で大げさな」という意見もありますが、1個や2個ですまない事例を見ているからこそ、そうならないように指導されていると思ってください。取り返しがつく失敗だからこそ注意されると思ってください。
ちなみに、私の母とその父(私の祖父)も歯科医師でした。私の乳歯には1本虫歯がありました。母は「おじいちゃんが「じぃじあそんで」とうるさい孫を黙らせるために、しょっちゅうあめ玉をあげていたから、それで虫歯になった」と言っていました。時代としてはそんなものでした。
母親がしっかりしてさえいれば虫歯はなくせる(減らせる)というのはそろそろ限界に来ています。実際、減り続けていた子供の虫歯は近年横ばいです。ゼロにはなっていません。周囲の大人の責任ですという啓蒙をつづけることで、もう一段階減らせるのではと思っています。母親が自分の「息子」に「虫歯はお父さんが防ぐのよ」と伝えることで、次の世代につながると思います。
長くなりましたが、元増田さんのエントリを通じて、たくさんの人に自分のエントリが読まれたことを感謝します。元増田さんは子供を歯科に連れて行っただけでも責任は果たしています。あとは完治まで根気よく通ってください。
それ難しくて「食器を使用」とはなんなのかがわからなくなってくる
個人的にはレンジ内に置いて扉を閉め手を離れた状態を「使用」というのにはちょっと違和感があるけどあくまで個人の感情なのでなにもわからない
「ここの食器は防熱じゃないので電子レンジで使用しないで下さい」って貼り紙みてからずっと「食器を電子レンジで使用」が文として正しいか考えてる
子供の虫歯を防ぐには、3歳過ぎまで食器の共用や回し飲みなどを避けて虫歯菌の感染を防ぐこと、フッ素で歯を強化すること、砂糖を控えることなどの対策を複合的に続ける必要がある。
やれるだけやったつもりだった。
誰に何を言われたでもないが、ものすごく、責められている気がしている。
同時に、どうして私だけ責められなくてはならないんだという気もしている。
私の目を盗み反対を押し切って、子供にチョコやジュースやアイスを教え、2歳頃から回し飲み回し食べ子供のおやつを一口パクリとやってきた夫。
「いつも会えるわけじゃないから」と、次々に甘いおやつを与えるジジババ。
みんな子供が可愛いのはわかる。泣かれたくないし喜ばせたい。楽しい、美味しいと思ってほしい。それは私も同じだ。
周りが子供に与えすぎるから、私からは子供に甘いものを与えない。
毎日毎日繰り返し、子供に嫌な顔をされ逃亡されながら「野菜食べろ」「歯磨きしろ」「歯磨きできたか見せて」「仕上げまだ終わってないよ」「歯間ブラシやるよ」などとやるのは私。歯医者の予約取って連れて行って子供に泣かれて苦笑いしてる先生の話を聞くのも私。
子供が虫歯になったと伝えたら、甘いものを与え続けた人たちは「あらー」といった反応だ。謝るでも甘いものを与えるのを控えるでもないし、平日休みがある仕事の夫は子供を歯医者に連れて行こうとする素振りは無い。(私は平日はフルタイムで働いている)
私一人が、子供の虫歯を防げなくて悲しくて責任を感じている、という状況なんだろうか。
なんだかもう戦い疲れた。
ただただ絶望感がある。
誰かに直接責められたわけではない。世間の声的なものを内面化してしまっており、自分で自分を責めている状態なのだろう。
それで思った。
複合的な要因に長期間対処し続けなくてはならないタイプの問題について、誰か一人に責を負わせる言説は辛い。
一人で頑張る羽目になり、他の人間から責任感を奪う。頑張ってもダメだった時には、一人を責めることになるし、誰も責めなくても自分で自分を責めてしまう。
とりあえず子供に罪はない。
歯医者に行ってくる。
公務員の夫は、モラハラと嘘を繰り返した。そんな折、SNS上で交流のあった男性に一緒に飲もうと誘われた。彼はコスプレイヤーのカメラマン、所謂カメコをしているそうだ。
何度も逢瀬を重ねる内に、頼れるのはこの人だけだという気分になった。
福祉に興味があり、努力の結果資格を得た事。私は元々福祉に携わる友人を見て好ましく思っていた。彼は滔々と将来の展望を述べた。行く行くは、養護施設の子供の教育に携わりたい。熱心な態度は公務員の普段のそれと大きくかけ離れていて、二人の軌道はまるで同一のように思えた。
試しに、婚姻届に名前を記入して貰うとスラスラと名前を書いてくれた。これが本当なら良いのにねとずっと言っているうちに、形になったらどれ程幸せだろうと夢想していた。
愛された事のない人生で、あの人だけが私をまともに見てくれた。彼は劣等感を抱えていたようだけど、それも含めて愛していた。彼を変えてあげたい、支えてあげたいという姉気質が何となく、芽生え始めていた。
息子は、終始良い子にしていた。これから宜しくねと可愛く笑っていた。ここに二人だけの居場所がある。希望しかなかった。息子は兄弟離れ離れになってしまったが、月一で遊びに行かせると満足している様子だった。
そうして、血の繋がりのない家族を続けて数ヶ月。
正直言って9歳の息子の方がしっかりしていて、3人分の食器を洗っている。
演技は苦しくはなかった。けれど、どうしたらこのゴミのような亭主を棄てられるのか、それだけを考えるようになった。
いつか絞殺してやりたい、そう思いながら隣の家のメーターボックスに紐を忍ばせた。幼い息子に殺しは依頼出来ないが、きっと一人でやり遂げてみせる。
元夫に話すとどうやら協力を得られそうだった。不要な人物を追い出し、元の生活を送るのが子供の為にも良いだろうという約束で。決行日は、来週の日曜。
今日こそ21時には布団入れようって思ったのにもうこんな時間だよ。遡れば夕飯18時にしようと思ってたのに、まあこれはご飯炊けたのが18時で、それ小分けにして冷凍庫入れる作業あったからせめて18時半にご飯かなって思ったら何故か19時過ぎだし、食べてすぐお風呂はしんどいから1時間くらいしてからかな〜じゃあ20時半にお風呂入れようって思ってたのにお風呂入れたの21時半になんだけど。20時半に何してたか既に記憶にない。そしてまだ夕飯の片付け終わってないし、マグと食器の消毒終わってない。早く動かなきゃいけないんだけどしんどくて寝かしつけた横で暗闇の中増田してる。子供ほんとごめんね。明日は今日より30分早く寝かしつけたい。
※追記
不安をぶちまけた箇条書きに、トラバやブコメで沢山のアドバイスや励ましの言葉を頂戴し、感激しました。(全て読んでます)
取り急ぎ、今後は不安に思ったことはネット検索ではなく主治医に確認します。
本当に勇気付けられました、ありがとうございます。
★★★★★
毎日、これまでの人生で経験したことがない程、やる気が出なくて苦しい。
なんか無人島の波打ち際の小さい石みたいな1日の過ごし方をしている。
引かれそうだし、心配されそうだし、もしかしたら怒られるかもしれないから誰にも相談できない。
でも吐き出したいから書く。
・欲しくて欲しくて堪らなかった赤ちゃんがやっと来てくれたのに、思っていたほど幸せな気分になれていない
・まだ妊娠初期だから今後どうなるかわからないのが不安なのはある
・でもここへきて本当に子供を産みたいと思っているのかわからなくなった
・旦那と2人の生活は本当に楽で幸せで楽しかったのに、赤ちゃんが生まれて3人の生活になったら何かが変わってしまいそう
・ママ友が怖い
ネットを漁りまくった結果、髪を染めることは胎児に影響はないと言っている医師が大半だったが、胎児に影響があると不安を煽る記事もたくさんあった。
影響があるとは考えづらいが、全く影響がないと証明する実験や論文もないので、やめておいた方が無難という感じらしい。
そういうことを踏まえて、自分のおしゃれよりもお腹の赤ちゃんの健康を優先して、あえて妊娠初期にブリーチなんてしないという判断のお母さんが多いらしい。
にも関わらず私はやってしまった。
世のお母さんたちが当然選べる安全なルートを私は選べなかった。
・赤ちゃんの心拍が確認できた日、嬉しくて好物のステーキを食べてしまった。
生肉は食べない方がいいとは知っていたけど、焼いてあるから大丈夫だろうと食べた。
でも切ってみると真ん中の方は赤かった。
よくよく火を通してくださいと言えばよかった。
もしくは食べるのをすぐ止めればよかった。
でもお腹がすいていたし、すごく美味しかったので全部食べてしまった。
生肉でトキソプラズマに感染した場合治療する術があるらしい、よかった
レモングラスは妊娠中良くないと書いてある記事があったので、飲むのを止めてカフェインレスのコーヒーを頼んだ。
・つわりで一日中気持ちが悪いので、カモミール の香りのリップクリームを買った。
・私が怠け者大王になってしまって、家事もろくにせずに寝てばかりいるので、旦那が出張から帰ってきて疲れているのに、洗濯をして溜まっていた食器も洗ってくれた。
・旦那の両親は神の子を授かったと大喜びで安産のお守りを送ってくれた
・旦那もそれぞれの両親も前向きに陽気に励ましてくれるのに、私は何が不満でこんなに自堕落な生活を送ってるんだろう
・周りの人に恵まれても、今赤ちゃんは私のお腹にいて、赤ちゃんの命運は私にかかっているというプレッシャーだろうか
・お母さんがあんぽんたんなばっかりに、やっと歩き出した子供を自分の車で轢いてしまうかもしれない。
地元の人でも泳がない川で泳がせて溺れさせてしまうかもしれない。
公園で自分の子供が他の子供を傷つけるのを止められないかもしれない。
色々書いてすっきりしてきた。
多分考えすぎだ。
もうやめよう、家帰ってカレー作って食べよう。
いま夏期休暇をとって、実家に帰ってるが、いつも父親がぶちギレて大喧嘩になる。
理由は、ホントに些細で犬の散歩に行ったかを聞いた際に、まだ行ってない、それに暑いから行きたくないと言ったことにたいして、姉が、父が介護になった時に暑いからやだって断ろうねと嫌みを言ったら勘にさわったようで、父は大激怒。出てけだの、ぶったたくぞだの罵詈雑言である。
姉は父に嫌気がさして、同じ県にすんでいて、母のために週末だけ帰ったりしているが、父と反りが合わず仲が悪い。
とにかく父の性格が九州男児で、家ではテレビを1日中見て、夜は焼酎を飲んでいる。家の家事は洗濯と犬の散歩とたまに食器を洗ったりである。これも私と姉が家のことをしてと頼んでやっとやるようになった。基本はごはんが出るまで酒をのみテレビを見て、必要なものがあれば母に頼んでもってきてもらうのであった。母はせっせとごはんを作るが性格が大雑把なので、量が多すぎることを父に作りすぎやら、味付けが濃すぎるだのいつも文句を言われる。
買い物も父は一人では行けるが行きたくないようで、母を連れて二人で行く。還暦を越えても一人で何かをするのは不得意のようで、大きな幼稚園児のようだ。
とにかく人のことを誉めたりすることが下手で、間違えると怒鳴り散らして、小さいことはよく叩かれた。そのくせ、自慢癖があって持ってる株があがっただの、給料がこれくらいもらえてるだの聞いてもない話をされる。貧しい家庭で育った過去もあるのか家族に対しては節約をおしつける。私が、行きたい大学はお金がないことで反対され地元の家から通えるところに通った。無駄遣いを嫌い、いまも昔もどこかに旅行にいこうかだったり、何かを見に行こうと提案したりすることは皆無なので家の回りを買い物する位で週末を終えている。上場企業に勤め、お金がないわけではないが、家族旅行は実家に帰るのみしか記憶がない。
母は専業主婦なので、経済力がなく離婚もできない。そして、精神を病んで精神科に入退院をずっと繰り返している。母の病気がよくなるためにも父の接し方の改善を伝えたが一向に変わらない。このまま死ぬまで変わらないと思う。
母のためと実家に帰ってるが毎度父がぶちギレて、家族団らんが台無しになる。明らかに父が元凶であるが、母の経済的な理由や、病気もあり、離婚もすることができない。
とりあえず、今朝父からぶちギレられて、姉が出ていった。家族バラバラになるのが悲しくて涙が止まらなくて、母がかわいそうで、家で何時間もひたすら泣いていた。
せっかくの休暇が台無しなのと、父と同じ空間にいるのが耐えられず、気晴らしに繁華街まで来たが、私と年に数回だけ会えることを楽しみしていた母を置いてきたことに涙が止まらなくなる。
父との関係の修復は死ぬまで無理な気がするけど、このままこの状況が続くのが辛い。
自分が生まれた町と隣町との北東の境界付近にあって、古い家が迷路のように密集した無人の地区。
もちろん夢の話で、現実にはそんなところはない。
ただ、割と若い頃から同じ建物や部屋、部屋の中の食器や家具などのイメージが夢に出てくる。
食器を使わず鍋から食べる、野菜が減る、ミックスベジタブルすら使わなくなる。
生活の一部であるはずが、自炊に生活を脅かされるのではないかという不安にかられる。
ある程度の効率、ある程度の楽しみを両立したいけど、なかなかうまくできない。
食洗機を使うのは初めてだったが、かなり便利で助かってる。
まず、当然だが、食器洗いの手間が大幅に減る。
あと、仕上がりも手洗いするのとほとんど変わらない、むしろそれ以上に綺麗になる上に、手洗いするよりも水道代が大幅に節約できる。
メンテナンスも、排水口付近を綺麗にするだけでよく、手間もかからない。
最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。
昨日何度目かの視聴をした。
かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。
なんというか、人間の記憶は主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。
ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体もあやふやになる。
少しぼかして書いていることもある。
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クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。
何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。
喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我もしょっちゅうしていた。
私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。
そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。
男の子、女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲームが好きな人、ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。
カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。
小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。
5年生のクラスのメンバーには1年生の時からの友達も3年生からの友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。
登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。
いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)
私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか、消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。
初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。
とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動そのものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。
当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずでわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。
また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプの女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。
クラス替えをして、全然知らない、普段静かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。
多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人の対応をできるわけがない。
もしかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。
幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。
後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくまで個人間の諍いであった。
私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。
給食の時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食室から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分で牛乳を配膳した。
大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。
当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。
1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。
周囲が異変に気付き始める。
「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初のきっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているからこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名を命名した。キャッチーなあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。
しばらくしてクラスの人間が真似をし始めた。地獄の始まりである。
子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪の判断がつかないまま真似をする。
「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。
「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。
当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティは破滅に向かう。場面場面でお調子者キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団でいじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。
「〇〇菌」
誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめの様相と化した。
ランダムにペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子も露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。
愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。
今日の今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者に一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。
しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやかな小学校時代をぶち壊した。
わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキルで相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。
私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。
これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気はムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。
6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。
高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。
他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪な問題が顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラスが学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である。自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。
Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンでご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。
ある時、昼休みだったか「総合」の時間割だったかの時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。
私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。
私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。
まずは「このクラスにいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。
なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。
全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。
「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。
いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。
「手から離れた問題が雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。
私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやすい戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。
誰かに「無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。
「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいつはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。
「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。
醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生のカーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。
本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやかな生活を台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足も修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。
学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラスの黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにかけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。
その後、地元の公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。
自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。
私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。
大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりにおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。
私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。
それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名や過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。
中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。
それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。
私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。
入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力や金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。
どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間は勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。
兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分に資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。
私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校の出身者は次々とA小学校の出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。
A小学校の時に明るかった人間やクラスのカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。
私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめの被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分の黒歴史を見るようだった。
小学校時代を猿山の大将として過ごし、学級裁判でだんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。
高校に入ってからはしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。
自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。
大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。
アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。
過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。
私は27歳になった。
人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。
職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。
でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。
これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)
二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間は自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔にしかならないからだ。
いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。
私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまりに勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。
Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか。大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊だけが目的の人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。
でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。
精神が成熟していないコミュ二ティは悲劇だ。教員のせいにすることもできない。
とんでもないくだらない理由でいじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。
イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。
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今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41
→制服による。営業マンならクリーニング必須だし自宅洗いならノーアイロンウォッシャブルワイシャツ買い揃えたらアイロンいらなくね。
・冷蔵庫
→野菜室要らないのは男性らしい。冷凍庫おおきめかむしろ冷凍庫+ペルチェで寝室ビールという手も。 耐熱天板って普通そうだろ
→男性は揚げ物が好きだろうから最初からヘルシオにしたら電子レンジもトースターも揚げ物マシンも1台ですむけど
・カーペット(2階なので防音)
→掃除機しっかりかけようね たまに連れ込んだ女の長い髪の毛はすぐ繊維にからみつくぞw あと夏は暑いぞ
遮光しすぎると日周期リズム崩れるからあけしめ楽なやつね、雨戸きちんとあけしめするならレースの目隠ししか要らないという話もある
・机・ハンガー・タンス・本棚は生活が落ち着いてから買う(大きすぎて邪魔・小さすぎて買い足すような羽目にならないようにする)
→インスタントカップ麺のためのティファールポットも余ってたらもらってこい
以上が必需品?
それとは別に疑問点として、
・2LDKだが、1ルームは和室なのでどう使う?(和室は完全に生活空間として使い、洋室は書斎(?)として使うか?)
→倉庫になる
→10センチ角の板をどこからかもらって足に敷く なければ100円ショップで探す
・引っ越しの挨拶はした方が良いか?また、どういったものを持っていけばよいか?(「洗剤・食品はNG。商品券とゴミ袋のような消えものが定石だ」と聞いたことがある)
アラサー男が初めて一人暮らしするにあたり、必要なものってなんだろう?
・洗濯機(安物で十分・それよりきちんと畳んだりアイロンを忘れないことを重視すること)
・2ドア冷蔵庫(霜取り芙蓉・容量160L±20L・耐熱天板)
・電子レンジは割とよく使う。オーブンは使いそうで使わない。というわけで電子レンジ(フラットテーブルの単機能の安物で十分)
・衣類乾燥機・物干し竿(仕事上汗と油で服が1日でだめになるので)
・机・ハンガー・タンス・本棚は生活が落ち着いてから買う(大きすぎて邪魔・小さすぎて買い足すような羽目にならないようにする)
以上が必需品?
それとは別に疑問点として、
・2LDKだが、1ルームは和室なのでどう使う?(和室は完全に生活空間として使い、洋室は書斎(?)として使うか?)
・引っ越しの挨拶はした方が良いか?また、どういったものを持っていけばよいか?(「洗剤・食品はNG。商品券とゴミ袋のような消えものが定石だ」と聞いたことがある)
もう5年も前の話だけど、フェイクも混ぜながら書く
長くなってしまった。
端的に言うと、同僚の婚約者が同僚のエロ写真をネットに載せて遊んでるのを知ってしまった話です。
Twitterを眺めていたある日、とある男性アカウントのバズったツイートがRTで流れてきた
バズったツイート元のプロフィールに飛ぶのが癖になっていた自分は、いつも通りその人のプロフィールに飛んだ
フォロワー3000人くらいの、いわゆるネタ系?アカウントらしい。
絵を描かないやしろあずき的な感じだった。
いくつか写真がツイートされていたのを見ても、完全に同僚のあの子だった。
こんな偶然あるんだな〜この人があの子の婚約者なんだ〜と思って眺めていると
婚約者が同僚の下着を被った自撮りや、生々しいセックス内容、ラブホテルでの2ショット写真のツイートが出てきた。
シルエットではあるが彼女の下着姿、ガラス越しシャワー動画までツイートしている。
これ同僚本人の同意の元なのか気になったが、確認できるほど同僚と仲がいいわけではなく困った。
部署の違う同僚同士の話題は、仕事から私生活、恋愛に変わるまで早かった。
どうやら彼女はマリッジブルーで、婚約者が低収入であるにも関わらずソシャゲ課金をやめてくれないとか、
婚約者は話がつまらないのに自分を面白いと思っていることが嫌なんだとか。
なんとなしに同僚本人のネットリテラシーやSNS利用について聞くと、どうも疎い。
Facebookはやってるけど放置、Twitterもやっていない、インスタもたまに見る程度レベル。
これ絶対、婚約者がTwitterであんなことしてるって知らないなと思った。
かなり罪悪感があったがその場ではなにも言わなかった。
知らない方がいいこともある、でも彼女の婚約者がやってることって軽く犯罪じゃないのか
下着姿や、下着、セックス内容を匿名アカウントで載せてるならまだしも、
無自覚のうちに婚約者からデジタルタトゥーゴリゴリ彫られるのは不憫すぎる
そう思ってランチをした日の勤務後に話があると、近くのカフェに呼び出した
全てを話しした。
バズったツイートを辿ったらあなたの写真があったこと、アウトなツイートが大量にあったこと。
もちろん彼女は大号泣。マリッジブルーにとどめを刺してしまったようなものだった。
泣きすぎてふらふらだったので近くの駅まで送った。
これで別れるのかな〜なんて思っていたが、なぜか二人は別れていないようだ。
あれから大喧嘩をしたらしいが婚約者の方にうまく丸め込まれたらしい。
もともと共依存的な関係で、婚約も両親への挨拶もしたから今更別れても、という感じで。
なぜか同僚から避けられるようになった自分は、以降関わらないようにしている。
自分は転職をし、同僚と会わないでしばらく経つが彼女たちは今も幸せそうにやっている。
慎ましいが温かい結婚式を挙げ、おそろいの食器を揃え、1DKの狭い部屋にある1つのベッドで一緒に寝ている。