はてなキーワード: 視覚とは
小学校入る前から、度々、目の前に写ってる景色とは別に、記憶を思い出す時のように、いきなり映像が出てくる事があった。後々同じ光景が目前に現れるので、仮称デジャヴとする。
目の前の事よりも、デジャヴの方が面白いので、デジャヴばかりに気を取られるようになっていったら、親が自閉症検査を何度も受けさせるようになり、デジャヴは異常なんだと知る。
それ以降、ほぼデジャヴを見るのが少なくなったが、後々の試験問題予想や馬券を当てるのに使えて、数回は得した。
大人になってから、この話を親しい人に言ってみるのだが、だいたいが、なんとなく通った事のある道とか、なんとなく会った事のある人とか、ぼんやりした記憶らしい。自分のは、もっとクリアな、過去を見るような鮮明な未来の記憶。同じ体験を持つ人に会った事が無い。
そうこうしてるうちに、霊が見えるという人と知り合いになった。
その人でも、やっぱり不鮮明な未来記憶らしいのだが、あれこれ話しているうちに、徐々に能力が感染したのか、居ない筈のものの気配を感じたり、聞こえる筈の無い声が聞こえてきたり、何も匂わない筈の臭いがしたり、妙なものに五感が反応するようになった。
五感の中でも視覚がいまいちなのだが、親の死期には黒い影が見えるようになり、とある人物に黒い霧のようなものが渦を巻いていたのを見かけ(もやしもんの大学教授が黒い霧をまとっていたあんな映像)、その数ヵ月後、全身転移の癌で死んだのを知った。
黒い霧とは別に、神社の奉られてる神や古墳の埋葬者や土偶の持ち主ともコミュニケーション取れるようになってきた。博物館の展示品は、五分五分で、たまにイライラしてるのも居る。
でも、いずれにしても、結局、これらで得する事が無い。使い道のない能力。こういう能力あっても使い道が分からない。おみくじで大吉出しても、それだけじゃ幸せにはならないのと同じ。未来記憶なら使い道あったかもしれないけれど、出し方わからなくなったから、今ほとんど使えない。
同じような人いないでしょうか?
または、これって脳がどうなってる状態なのでしょうか?
SNSやブログに書いたらめちゃくちゃ叩かれるのが目に見えてるので増田に書く。増田でもブコメやトラバでさんざんに言われるだろうけど。
ウイルスによって世界がどこまで崩壊してゆくのか見てみたい。そんな好奇心に駆られている。
ペストとかコレラとか天然痘とか、日本史や世界史でそうした疫病の話が出るたびに「人口の何割も減るような流行病とは無縁の時代なんだな」と、ホッとする反面、少し退屈に感じていたように思う。
だから今は、日に日に世界中で感染の拡大するさまを不安に感じる一方で、「世界史の教科書に載るような大きな事件のまっただ中に自分がいるのだ」と内心ワクワクしてもいる。
前回のアメリカ大統領選挙では「こんな世の中どうにでもなっちまえ」と、閉塞感に対するヤケクソのような気持ちでトランプへ投票した人たちがいたという。
でも、自分はそうしたヤケクソともちょっと違う気がする。おそらくは、単純な好奇心だ。
もっとも、自分の生活にも少しずつ支障がでているから、まるっきりの他人事ではない。
仕事の予定が何件も立ち消えになった。
楽しみにしていたイベントも延期になった。
ただ、目に見える形でたしかに影響はでているものの、深刻さは無いのだ。
こんな呑気にいられるのは、仮に自分自身が感染しても(年齢・体力的に)死ぬ可能性が低いのが大きな理由だろう。
普段の通勤は自家用車だし、子どももいないから休校の影響もない。家にマスクの在庫もまだまだある。
閑散とまではいかないが、普段よりも目に見えて往来が減っていた。
これがもっと極端に減っていったら、どうなるんだろうか。
東日本大震災のときは、もっと絶望感を抱いていたように思う。変わり果てた地形や建物、津波などの視覚的なショックが一斉にやってきたこともあるだろうか。このままもっと悪化していったら――と想像する余裕さえなかった気がする。
だが今回はもっと緩慢だ。イベントの中止や休校など、これまでの日常や常識が少しずつ歪んでいくさまから目が離せない。
違和感は感じていた。気付いたのは懐かしくも忌まわしい、あのにおいがしたときだ。
寝ている間だったのか、歩いているときだったのかは分からない。
足先が凍えそうな夜に、冷えきった食事を詰め込んだ朝。
振り返れば、自分がとおってきた道が確実にここに続いていたのだと教えてくれる。
尻にやったその紙は、覚えのない色に染まっていた。
同じ職場の人に勧められて、観てみた。
ほんまかいな、
それが解ったりするのかも、
とか思ったので、
ミッキーロークが主演。
懐かしい。
うっすらとある。
あれ、これがミッキーローク?
あの頃の美しいお顔とはかけ離れた
観終わって思ったのだが、
このファーストシーンで
音だけで伝えるのではなく
視覚的に見せておいてくれたら、
同情であったり感動であったりという感情が
もっと大きくなったのかもなあ、
とか思ったりした。
なので、観ていてすごく時間が短く感じられた。
回想により挿入してくれたら、
この監督は回想を使うことが嫌いで
すべてを観客の想像力に委ねる、
ゴメンナサイです。
例えば、お金。
誰もが知っているスーパーヒーローであったならば、
それを全部なくしてしまうほどの浪費、
例えば娘との関係、
初めて娘と会うが拒絶された後、
例えばリング上。
超満員のマジソンスクエアガーデンで、
ここはカットバックを使って、
退屈させないでストーリーを引っ張れたのは、
ダンサーのおかげでもあるだろう。
エロスには力がある。
この女優さんは、すごく美しくも見えるし、
とっても人間的な親しみを持てる人だなあと思った。
いくつもの顔。
それは、
ストリッパーの顔。
母親の顔。
ラムを一人の男として見ようとする、
このシーンは、素晴らしい。
そして彼女の演技も素晴らしい。
『お客さんとは一線を引かなくちゃ』
何が彼女にそう言わせるのか、
前にお客さんに騙されたのだろうか、
あっさりと捨てられたのか、
それとも、ストリッパーだと軽く見られて、
遊ばれてしまったのか……。
僕はかつてストリップ劇場で働いていた。
つづく。
おそらくあると思われる
https://www.google.co.jp/amp/s/news.mynavi.jp/article/sugaku_recipe-35:amp/
https://wired.jp/2019/10/27/slime-mould-the-blob-paris-zoo/
神経細胞も脳もないが記憶をもつと思われ、新しいことも学習できるのだ。
フランス国立科学研究センターの研究者は、毒物があってモジホコリが通常なら避けるような場所に入る方法を教え込んだ。その行動様式は1年後も維持され、知識は異なる細胞でも伝達されていた。
奇妙なのは、記憶の形成に通常なら欠かせない生物学的な要素をもたないにもかかわらず、モジホコリが記憶を獲得しているように思えることだ。進化の過程での学習能力の発展に関する疑問や、「認識」の定義を拡大して人類以外も含めるべきなのかという疑問がもち上がる。
4)何か人類の役に立つ?
数学ができる。モジホコリは、アルゴリズムのテストにしばしば利用されるような複雑な問題を解くために使われてきた。そのタスクは「巡回セールスマン問題」と呼ばれる。都市のリストを見て、各都市を一度だけ訪問するような最短経路を見つけることをコンピューターに求める、古典的な経路最適化の問題だ。
慶應義塾大学の研究チームがモジホコリにその問題を出したところ、都市の数を4から8に増やしても、モジホコリが問題を解く時間は予想よりかなり短かった。新たな解法を試し、視覚的なフィードバックに非常に素早く反応するモジホコリの能力が、さらに高速のコンピューターを開発する助けになると科学界では考えられている。
適当に感想を述べる。ただの主観なので履修に悩んでいる人はシラバスと逆評定を読め。L系列については書かない。
「¬A ∧ (A ∨ B) ⇒ B」みたいな命題の証明を、ある規則に従って行ったりする。理科生的には数学の根源を掘っているみたいで楽しい。
全13回の授業で毎回違う教員がいろいろ話をしてくれる。各回ごとにレポート課題が出るが、最終的に提出するのは1つだった。単位に関係あるのは実質1回だけなので、結構気楽に聞くことができて癒しになる。普通の講義は毎回理解を求められるが、この授業は理解できなければその回のレポート課題を選ばなければよいだけなので。
人間の認知機能と脳機能の関係をやる。説明の都合なのか話題の9割が視覚(特に錯視)についてだった。脱線が激しすぎて全体的に何を言いたいのかいまいちわからない。ノートとスライドと教科書を見比べまくってなんとかしたが面倒すぎた。良い勉強方法が最後までわからない。
学際の香りがする。主に扱うのは二酸化炭素とオゾンホールとプラスチックとダイオキシン。「地球に温室効果がなかったら気温は-15℃」というのはよく聞くと思うが、その根拠をエネルギー収支の計算から示したりする。意外と覚えることは多い(フロン番号の命名規則とか)。
印象がない。新しいことを学んだ気がしない。とにかく簡単だった。
天下り的にいろんな化学が降ってくるが、具体的な理論づけは全くやらないので結局暗記ゲーと化した。基礎化学で扱う内容は、後々その他の化学系の科目で詳しく扱うので正直取る意味がなかったと思う。
熱力学の更なる応用みたいな感じ。ルシャトリエの原理とかの証明をしたり、酵素の阻害剤がどう働くのかをやる。学ぶところが多くて楽しいが結構難易度は高い。
なにもわからん。
Pythonやってれば楽勝。Pythonの実用みたいな感じ。アルゴリズム力よりコーディング力が付く。
アルゴリズム入門よりアルゴリズム寄り。ダイクストラ法とかやる。毎回課題が出るので面倒さは結構ある。アルゴリズム好きな人は楽しいと思う。
Webサイトを見ただけで仮装通貨マイニングの手伝いをさせられるのはごめんだよ。
記事配信に金がかかる(サーバ運営費とか)というなら、エロ広告のほうがまだマシだ。
広告なら視覚的に「サイト運営者に金が渡っている」ことを知覚できるが、こっそり告知なくマイニング用JavaScriptが走っても知覚できない。
大してリソースを食わないんだから問題ない、とかそういう話じゃない。閲覧者のほうだって認識できなきゃ気持ち悪いでしょ…
(マイニングするにしても必ず告知してくれるならいいが、その性質上こっそりのほうが多いだろうし)
「サイト運営者に金が渡っている」ことを閲覧者が知覚する必要がない?閲覧者はサイトを見ることで目的を達成し利益を得られている?
これはどこにでもいる普通のオタクが「金を払って観る悪夢」「SAN値チェッカー」と名高いカルト映画、CATSを観てきた感想文です。
ネタバレが盛大に含まれていますので、その辺りお気を付けて頂けると幸いです。
昨年12月の暮れに海外で一足早く上映が始まり、その評価を読み「絶対に見る」と心に決めて1ヶ月、私はようやく映画館へと足を踏み入れた。
やれポルノだの玉ねぎだのと聞いているので期待は最高潮、何しろ私はホラー映画が大好きで、そしてクソ映画が大好きです。
今日は一人で悪夢を観に来たことを忘れて売店で巨大なポップコーンとジュースを買い、はやる心を抑えながら入場開始を待つ。
上映前に最後に流れた「それでは、夢のある映画の旅をお楽しみください」のアナウンスは、この後の展開が「悪夢」であることを啓示しているかのようでした。
私はオタクの中でも日陰に生きる人間でありますゆえ、正直CATS本編と同じくらい実写オタ恋のCMも滅茶苦茶キツかったんですが、この辺りについては口を閉ざし静かにスクリーンへと目を向けます。
劇場の照明が落ち、暗闇の中映るのは夜空。
猫の映画ですよ〜!という事を示唆するかのごとき可愛らしい雲、ここからどうなるのか期待が高まります。ちなみにここが唯一ここからの110分の中で「これは猫だな」と理解できた部分になります。
さて、開始して1分ほどですがここで早くも私の脳は処理の限界に達してしまいました。
ドラクエIIIの夜のピラミッドのBGMを不協和音にしたようなBGMが流れる中、夜の街を闊歩するのは人間によく似た体躯にうっすらと全身毛のテクスチャを重ねた「何か」。
一瞬、誤ってメイドインアビスのシアターに来てしまったのかなと思いました。人間性の喪失の結果と言われれば納得も出来るのですが、そもそもこれは「人間」では無く「猫」らしいんですね。
BGMの中、四つん這いの合成獣(キメラ)の集団が道路をぐるぐる回る姿はムカデ人間の続編かと錯覚を覚える絵面ですが、その中心で蠢く頭陀袋も嫌な予感しかしないし、案の定悪夢が飛び出すし、今の所パンドラの箱なのですが果たして最後に希望は飛び出してくるのでしょうかね。
そう言えば海外の評判ではやたらと性的な印象がありましたが、ただでさえ限りなく全裸に近い全裸なのに動きがこう猫々しいしやたらと柔軟性をアピールするし妙に動物的な飲食シーンを盛り込んでくるし、観客の無意識の奥底にあるなんらかの性的衝動を呼び起こそうとしてるのかなって感じは分かるんですけど。ですが、残念ながら扉のノックの仕方がシャイニングのジャック・ニコルソンなんですよね。へただなぁ…欲望の解放のさせ方がへた…こんなんじゃ歴戦のケモナーだって裸足で逃げて行きますよ。
さてなんの説明もないままに話は進み、ジャ…ジェ…?なんか分からないけど固有名詞がいっぱい出てくる、完全にルシがファルシでパージ状態。私は原作のCATSを知らないので、知ってたら話の流れが分かるんですかね?知ってたら開幕1分で席を立ちそうですけども。
さて墓場で歌って踊るシーンではふとBloodborneを思い出しましたが、ひょっとしたらこの夜は獣狩りの夜だったのかもしれません。私の啓蒙も爆上がりしていきます。
トイレで歌うシーンは真っ先にトレインスポッティングを思い出しましたし、ひょっとしたらこの映画も薬でぶっトんでる狂人の見た夢かもしれないし、狂ってるのは私だったのかもしれないと思い始めました。
まだ始まって30分も経ってないんですけど。あんな猫やこんな猫の説明を歌っているけど私にとっては全てが邪悪なモンスターにしか見えない。
さて、かく言う私もだんだんと目と心が慣れてきました。
感覚的に言うと「有色はマシ」「服あると相当マシ」「全裸はほんとキツい」「白系マジで無理」、要するにヒロイン枠の生物が一番キツい。黒人の敵とマジシャンが比較的視覚へのダメージが少ない。それだけで若干好きになる、だから頼むから帽子を脱ぐなコートを脱ぐな。あと手先と足先が人間なのがマジで拒否反応を起こす、黒人の手の平が肌色なのでも認知が「?」ってなるのにこの生き物の手足見てると「??????????????????」ってなる。かといって靴だけ履いてるのも異常なんですけど、タップダンスだけ見たら凄い出来なのに他の全てが恐怖。
あと衣類については黒人っぽいキメラが首からbling-blingなおさかなネックレス下げてるのは良いなと思いました(数少ないポジティブな感想)。
この作品、猫だけでなくGの者等も等しくキメラになっているとの話はうっすら聞いていたのですが、正直全裸じゃないし着ぐるみっぽさあるからこっちの方がだいぶマシではあったんですけど、喰い始めた時は流石に驚愕のあまりポップコーン食う手が止まりました。
ネズミとか、子役?っぽく見えたんですけどこれを見たご両親は「可愛い〜💕」「◯◯ちゃんの演技最高〜!」って思うのでしょうか、人生開始してまだ間もないのにこのような罰を受けるのはあまりに酷ではないでしょうか。
あと犬の存在が示唆されているのに画面に映らなかったの、犬はキメラじゃなく犬ですよってことなんですかね?製作陣や太いスポンサーの中に敬虔な犬好きでも居たんでしょうか。なんにせよ、助かった動物が居るのは良いことですね。
個人的に認知的不協和を感じるポイント、デザインや動き以上に「大きさ」があるんですけども。人間の体躯に猫の動き、街並みは人間の大きさの中で人間らしき体躯の生き物が「猫のサイズと言うには高さは合っていても細身すぎて違和感」で「人間とは思えない位小さい」姿で街を這い回り走り回る。人間の脳には大きさや距離感を自動的に調節してピントを合わせる機能があるはずなんですけどそれが全部ぶっ壊れる。
脳の機能に直接影響する映画、感覚にダイレクトに伝えてくるこの作品はいっそ4dxでも上映してほしい。余談ですが私はこれを観ながら「TOHOシネマズ限定のかっぱえびせんポップコーン」を食べていたので、こいつらがゴミ箱から拾ったエビ食うシーンでセルフで臭覚で新感覚の映画体験をしてしまい大変不愉快な思いを致しました。
定期的にあったのですが、このキメラ達が猫の鳴き声で「ミャー」とか「ニャーン」とか鳴くのがかなりキツい。というか主役級は顔がアップになったりすることが多くて「あー、人間の顔と身体した獣のキメラだなぁ」って思えるんだけど、ヒキで後ろに映ってるその他大勢がヤバい。意味不明な物体が四つ足で這い回ってる、フォーカスが手前に当たってるせいでぼんやりとボケた画面の奥で蠢いている人間ではない何か。私が観てたのってひょっとしてサイレントヒルだった?と誤認してしまいそうだし、私は悩める私に胸を張って「違うよ、CATSだよ」って言ってあげられない。
そこそこ話が進んでもストーリーか理解できない。一番歌と踊りが上手い奴が選ばれるオーディションなのは分かるけど、選ばれたら転生って死ぬやつじゃん?あと黒人男性なんでよく分からない魔法使ってるの?確かに猫よりは魔獣って感じだけど、それやるとますます猫の概念から遠ざかるよ。観ていてふと私が思い出したのは「悪魔ネコ」でした、懐かしいですね。
ところでこいつら猫?ってことは乳首6つあるんですよねってふと思って心底ゾッとしたし、この時点で完全に食欲を失っているのでポップコーンは封を閉じられている。
この時点で唯一覚えてる名前がヴィクトリアだけだし、ヴィクトリアったら捨てられた飼い猫割には異様に順応高いな…こうやってこの映画に慣れてきてる自分もひょっとしたら既にヴィクトリアなのかもしれない…と正気を失っていたら家無き捨て猫で「子猫」であることが発覚したのですが、私の中の子猫の概念がグチャグチャのベコベコに狂うのでこの件については早めに酒飲んで忘れようと思いました。
さて、物語の結末、私の刑期の終わり近付いて来ました。
ゲイビの男優かインナー無くしたマリオみたいな格好のキメラが踊ったり、黒人キメラがコートも帽子も脱いだせいで一瞬マジで全裸かと目を疑いましたがそんなことは無く。あとヤク中の流れあったんでやっぱりヤク中の見る夢だったオチも考えたのですが残念ながら物語は大団円へと向かいます。
マジシャンが無茶振りされる流れ観てると「いじめか?」と思いますが天下のハリウッドがそんなことをするわけが無いのです、ちゃんとなんとかなりハッピー的なエンドです。
ここまで観ていて、ストーリーの中の時間が夜から夜明けまでで12時間も経っていないことに恐怖を感じる。映画も2時間足らずだし、体感的には6時間くらい苦しんでるんだけど。
最後の最後に、老いた猫は画面のこちら側ん見据えてこう言います。
これは、ここまでこの映画を観続けた私にとって実質「死刑判決」でした。啓蒙が上がり過ぎて狂ってしまいました、私は人間のつもりだったけれど、実は限りなく画面の中の生き物によく似た「なにか」であると告知されました。
ホラーにある「次はお前だ」的なアレであり、告発やシリアスな社会派にある「他人事ではないぞ」みたいなアレを感じます。あと夜闇に紛れた姿も怖かったけど朝日の下よりは大分マシだったみたいです。朝日の下のキメラ達は、エグいアダルト作品を観た時のような性的興奮よりも先にショックに殴られる感覚がありました。もうこの辺りは感想をメモすることも忘れました。
しかしまぁ終わってみて改めて考えると、歌のクオリティは当然の如く相当高かったです。私はあのビジュアルで日本語でミュージカルやられると「理解できないおぞましいものを無理やり理解させられる」感覚に負けて脳が爆発四散してしまいそうだったので字幕で観ましたが、吹き替えの役者さんが好きな方は吹き替えで観ても良いのではないでしょうか。あの生き物達が好きな人間の声帯で歌い喋っている姿を観て立っていられるのならばですけども。
一言で感想をまとめるなら、「目を瞑って観たらそこそこ満足度の高いミュージカル」だと思います。ただ残念ながら、目を開けると死んでしまうので気を付けてください。神話にありがちな奴ですね。
見るなのタブーだと思えば納得できる作品です、いや無理だできねぇな。
ここまで色々書きましたが、最期まで走った身としては「マジシャンの猫ならギリ抱ける」と思いました。
どうやら私も完全に狂ってしまったみたいです、その内全身の皮膚に薄ら毛が生えてきて服を脱ぎ捨て夜の裏路地に四つ足で走って行くでしょう。まだ日本語を語れる今の内に、これにて文面を終えようと思います。
おそらく表現規制の最前線にいる人しか分かってないと思うので&『窮鼠はチーズの夢を見る』の修正が話題になっているので。
(太字強調は筆者による)
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]
児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
つまり、わいせつな文書・図画や、児童ポルノに関する罪を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、数年に1度程度の割合で『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があるが、そのAVを置いていたツタヤの店員が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
ちなみに刑法175条が保護しているものはわいせつな図画を見たくない人の見たくない権利……ではなく、『最低限の性道徳』ということなっている。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
上で書いたような『わいせつな文書・図画』や『児童ポルノ』は世間で広義で用いられるような意味ではなく、たとえ18歳以上にしか売っていないとしても、売った人は逮捕されるような物の話である。
では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で売っているか。それが条例上の理由だ。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの前後の条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁などの作品は自主規制団体や出版元が自らマークを付け、また販売店がそれらを売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
2で書いたように、自主規制団体または出版社が自ら成年マークをつけたものは『表示図書類』として扱われる。それとは別に、『指定図書類』というものが条例には存在する。
第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。(以下略)
第九条 図書類の販売又は貸付けを業とする者及びその代理人、使用人その他の従業者並びに営業に関して図書類を頒布する者及びその代理人、使用人その他の従業者(以下「図書類販売業者等」という。)は、前条第一項第一号又は第二号の規定により知事が指定した図書類(以下「指定図書類」という。)を青少年に販売し、頒布し、又は貸し付けてはならない。
いわゆる『有害指定』である。“成年マーク付きのものは有害指定されない”と明記されているわけではないが、条文上『表示図書類』と併記して扱われているので事実上棲み分けている。
そして、『有害指定』の対照となるのは、「成年マークをつけなくても大丈夫だろう」と自主規制団体や出版社が考えた本の中で、青少年健全育成会議で指定された本である。(ちなみにエロ以外でも、犯罪や自殺を推奨しているとして指定される場合はある)
さらに言うならば、『表示図書類』は書店やアマゾンでも売っている。だが、『指定図書類』は流通が扱わなくなるため、事実上販売できなくなる。公式サイトからの通販などは可能なのかもしれないが…。
そもそもこのような自主規制団体が生まれたのは1950~60年代に『低俗な本・雑誌が溢れた』ことに対する世論の批判とそれを受けての条例(2や3で書いたのは東京都の条例だが、同様の条例は全ての都道府県に存在する)制定の動きに対してであり、
ビデオやゲームが出た後も法規制の動き(もしくは実際の逮捕事件)を受けてから出版の団体を参考にして自主規制団体が生まれている。
もっとも、出版と映像では少なからず差がある。最大の違いは、出版は成年マークのついていない書籍については一切の表示がないのに対し映像やゲームでは(ほぼ)全ての作品について「審査の結果、年齢区分はこうなりました」という表示があるということだ。
世の中において『私の考えるこれこれの思想・道徳に反する本は全て排除せよ』という日本国憲法ガン無視の全体主義者は少数だが、
「たとえ低俗な出版物であっても、他者の権利を侵害していないならば全て認められるべきだ」というガチの一元的内在制約説原理主義者もまた少数であり、
「低俗な本に対する一定の倫理的歯止めをする制度は必要だよね」という中庸な人がおそらく最大多数だ。
(酒鬼薔薇の本など典型例だ。私の倫理観はあの本が出ることを嫌悪するが、あのような本の出版をどうやって規制するのか、というと非常に難しいよなと思う部分はある)
そういう人たちに対して「いや、一定の倫理的歯止めはかけていますよ」というアピールをして、ひいては条例・法律上の規制をするような世論に持っていかせないという存在としても自主規制団体は役立っており、
民主主義の世の中においてそのような団体の存在意義は一概に否定するものでもない。
今の日本で、『わいせつな図画』(=刑法175条的なアウト)と『18禁コンテンツ』を区分ける基準は”性器をはっきりと描写しているか”である。
法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。
これに関しても過去には(主に写真集絡みで)争いがあった。具体的には以下のような流れだ。
警察「アンダーヘアが見えたらアウト」→写真家「じゃあパイパンならOKですね」
→警察「性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」
→警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器そのものが見えたらアウト」 →写真家「ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」
ということで、現在では成人を撮影した物については性器そのものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。(児童ポルノは別である)
だからAVやエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、
逆に性器が写っていないヘアヌード写真集はわいせつな図画には該当しない(から、書店で普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)
ちなみにこの点において男性器と女性器は平等であるから、AVなどでは女性器だけでなく男性器もモザイクがかけられている。(ちなみに2020年1月末現在、肛門はセーフのはずである。)
また、保護するものはあくまで『最低限の性道徳』であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガやエロゲでもモザイクは必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである。
初期のドラゴンボールは悟空のチンコを一応描いているが、それが理由でわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。
一方、『18禁』と『18禁ではないけどエロいコンテンツ』の区切りがどこにあるかはよくわからない。
上述したように最終的には東京都の指定を免れることができればそれでいいものでしかないので結局は東京都と版元の空気読み合いだが、
性器をモザイク付きで描写しているか、肛門が描かれているか、それを含めて性行為が描かれているかなどが一つの目安だとは思う。
ちなみに上で例に挙げたドラゴンボールではブルマ(キャラ名)が何度か脱がされているが、股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである。
”女性の股間部に何も描かない”というのはドラゴンボールに限らず、Toloveるや青年誌(ヤング〇〇掲載作品)などR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である。
BLやレディコミではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。
これは無論、”性器をリアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反だから作成・販売自体が違法”ということを意味しない。
当たり前の話だが、医学書は実写で性器を掲載してもわいせつ図画にはならない。
とまあ、医学書ならば流石に目的ははっきりしているが、”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難だ。
悪徳の栄え事件の最高裁判決でも「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)が同時にわいせつ性を持つことはあり得る(意訳)」としている。
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正・修正が甘いと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
Q4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:『でこまん』はセーフで3Dプリンターのデータはアウトなんでしたっけ? 増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、流石にでこまんは最低限の性道徳には触れないという判断だったんでしょうねえ。
A6:流石にアレは性欲を刺激しないという扱いなんでしょう。
作者のブログに今回の決定について書いてある。
増田はコミックの方の中身は見たことがないが、現在販売されているものも含めてどうも元々年齢指定は無かったようである。
それがR-15で実写映画になり、それに伴って若い読者が増えることを想定してコミックの方も性描写の修正を強め、旧バージョンは今後は販売しないという扱いらしい。
男性向けで例えるなら、『ふたりエッチ』がR-15で実写化され、それに伴い今以上に修正を強化し、旧修正バージョンは今後は販売しないようなものである。
正直、そこまでする必要があるのかと言うならば疑問ではある。
ヤングジャンプやヤングマガジン掲載の性描写ありラブコメ、たとえば『源君物語』や『なんでここに先生が!』がR-15で実写になったとして、集英社や講談社はそこまでしないだろう。
青年男性向けで小学館が出しているマンガならば、というと増田は現時点でビッグコミック系雑誌を定期購読していないのでそのような『性描写あり恋愛もの』が掲載されているのか自体を知らない。
どのみち、タイトルの後ろに『for Ladies』のように付けて旧修正版も併売すれば良いのではないか、と思うが、出版社がどのような理由で今回のような判断をしたのかはわからない。
『BLを実写化するならもうちょっと原作も修正を考えろ』という東京都青少年健全育成審議会からの無言の圧力があり、出版社が忖度したのだろうか?
おれが幽霊を見た時は、焦りや圧迫感を強く感じてストレス過多の心理状況だった。
夜中にふと目が覚めたが、体が動かないいわゆる金縛り状態で、枕元に影があるように見えた。敵性や悪意は感じず、濃縮された恐怖感が実体化したように感じて、とても怖かった。
先に恐怖感が自分の中にあって、影のように見えた視覚信号を幽霊と処理した感覚だった。
見えてから恐怖を感じた、もしくは恐怖感がなかったのであれば脳の処理系統がおれの時とは違うかもしれないけど、同じように臓器の誤作動である可能性は十分にあると思う。
急性的なものであればお祓いのような対症療法でも予後がいいかもしれないけど、少しずつ深刻化する慢性的なものであれば脳の外科的な検査やカウンセリング、服薬でないと改善できないと思う。
実害がなければ飼ってもいいとは思う。