SNSやブログに書いたらめちゃくちゃ叩かれるのが目に見えてるので増田に書く。増田でもブコメやトラバでさんざんに言われるだろうけど。
ウイルスによって世界がどこまで崩壊してゆくのか見てみたい。そんな好奇心に駆られている。
ペストとかコレラとか天然痘とか、日本史や世界史でそうした疫病の話が出るたびに「人口の何割も減るような流行病とは無縁の時代なんだな」と、ホッとする反面、少し退屈に感じていたように思う。
だから今は、日に日に世界中で感染の拡大するさまを不安に感じる一方で、「世界史の教科書に載るような大きな事件のまっただ中に自分がいるのだ」と内心ワクワクしてもいる。
前回のアメリカ大統領選挙では「こんな世の中どうにでもなっちまえ」と、閉塞感に対するヤケクソのような気持ちでトランプへ投票した人たちがいたという。
でも、自分はそうしたヤケクソともちょっと違う気がする。おそらくは、単純な好奇心だ。
もっとも、自分の生活にも少しずつ支障がでているから、まるっきりの他人事ではない。
仕事の予定が何件も立ち消えになった。
楽しみにしていたイベントも延期になった。
ただ、目に見える形でたしかに影響はでているものの、深刻さは無いのだ。
こんな呑気にいられるのは、仮に自分自身が感染しても(年齢・体力的に)死ぬ可能性が低いのが大きな理由だろう。
普段の通勤は自家用車だし、子どももいないから休校の影響もない。家にマスクの在庫もまだまだある。
閑散とまではいかないが、普段よりも目に見えて往来が減っていた。
これがもっと極端に減っていったら、どうなるんだろうか。
東日本大震災のときは、もっと絶望感を抱いていたように思う。変わり果てた地形や建物、津波などの視覚的なショックが一斉にやってきたこともあるだろうか。このままもっと悪化していったら――と想像する余裕さえなかった気がする。
だが今回はもっと緩慢だ。イベントの中止や休校など、これまでの日常や常識が少しずつ歪んでいくさまから目が離せない。
これ、すごいわかる。 でも太平洋戦争でも死者は人口の5%ぐらいだったんだぜ、ウイルスなんて大した事ないんだよきっと。
俺も中学の頃授業中窓の外を眺めながらそんなことばかり考えていた
プリスキンって呼びなぁ!
ちょっとわかる 個人的には中国がどれだけひどいことになるのか見たい なんかもう終息気味らしいけどまだもう1~2発くらい爆発が来るだろ 日本にもダメージが~とかはひとまずお...
ちきりん は、割とブログに平気で 災害がくると楽しいって書くタイプなので、 そのうちアップされるんじゃないかな。