はてなキーワード: 独占禁止法とは
私個人としてはさ、反対でも賛成でもないんだけどさ。
困った時の対応とか壊れた時の修理とかみんなでしてるのを恩恵ないものを現金で戻す仕組みだと、必要時に全額実費になるよ。
公共事業やら公共サービスやらを減らして、必要ならば支給されたお金ためて使うときに使うか、使わずに済んだ人は現金として使ってOKって話なんだよ。
人が多い所だとゴミ処理やトイレ、道路の整備や治安や電灯、ベンチ、公園なんかの整備にお金がかかるだろうね。それか無法地帯。
ゴミ箱がないから商売やめるかみんなで支給されたお金から共益費捻出するかになるよね。
田舎で人がぜんぜんいないところとか使わずに済むとか私有地がやたらひろいとかだと公共事業や税金で投資する分が全部返ってきて自由につかえるかも。
問題があるとすれば、全部貯金にしないと公的なサービスでまかなってたものが無くなる不便になる、だろうけど失ってみないとわからんよね。やってもいいのでは。
公共事業が小さくなるから入札とか公共事業で仕事とってたところがなくなるね。小さい所とか起業したてのところとか。
大手で老舗にだけ仕事がいって、お金もちだけ公共投資して、都市部の周辺はスラムになって、田舎に金持ちが済む構図になるかも。
それだけだとそんな今とかわんないかな。今お金が少ない人は我慢さえすればお金がもらえる、我慢の分が現金化できる体系になるね。
税金で仕事するのが減るから、今現在ではなにが減るかわからないけど減った分の仕事や消耗品は民間企業から各個人が現金で買うことになるね。
いまでもNPO活動と称してホームレスなどの支援の活動をしてる団体の闇ってあるけど、知らないよね。あんまり話題にのぼってないしマジで闇なので。
ホームレスしてた人がなぜかアパートに住んでるのとか見かけたら話きいてみたらいいよ。支援のお金かすめとるサービスとか人間を家畜以下に扱ってるの今でも実際あるからね。
それ系も一番手っ取り早くまとまったお金が入る商売として成長するよね。それを取り締まったりするための組織とか費用とかは、そうすべきと思った人からの現金になるから本当に必要なものは淘汰されそう。
そのうえで悪とか闇があったとしたら、必要なものなんだとおもうし気になるね。見てみたい。
かつての日本は公共事業を大きな規模でやって全国に仕事ができて全国で平均的な都市整備ができてたけど、これ各自が必要だとおもったら各自の現金でやってねってことになる。
そんな集団行動とか都市単位での計画とか、周辺地域とか国全体としての計画とか行動とか、出来るものなのかなっていまの日本の緊急事態対応とかみてると疑問だよね。
資本主義にのっとってほんものの資本主義ってものが現実になったところもみてみたいからどっちでもいいと思うよ。実現してもしなくても。
ただ、これからの社会を担っていく人にはどっちにしても高負荷でもうしわけない。こちらはもうどっちになっても延長戦みたいなものだから政治とか制度とかも物見遊山なのでもうしわけない。
実現すると全体的には空きスペースも整備していた余力を、稼働スペースに移すことで稼働率あげることになるかとおもうから、稼働中で率のいいものはさらによくなると思う。
低いものは淘汰されるし新規に行動するのには莫大な資金が必要になるとおもう、つまり発展は大規模資本のある人にかぎられる、大規模資本がないとなにも始まらないので平民と富豪は血族的に交わらなくなるかも。
お金持ちだけがお金をあつめて、お金持ちの下につく人だけがその恩恵をうける構図にはなると思うけど、もちろん逆転もできるし永劫に貧民だという絶望も絶対ではないので。
たとえばの話みんながどれだけ努力をしてもロスチャイルド家に名を連ねることはないよね。
でもロスチャイルド家に入るのは絶対に可能性がゼロなのか無理なのかと言われたら、以外とそうでもない可能性があるよね。
超絶美人になって嫁として入るか、希代の天才として事業を成したら婿として入れるとか。
これ経済の基本である人間の数で簡単に出るよね数字的には。100万人のファンがいる美人だと100万分の1の確率でもあるし100万の倍率がある価値ともいえる。
ビジネスで100万人の顧客があれば一人の個人からみて100万倍の収益があげれる。ユーチューバーとかいるよね。
素質があるなら伸ばせるところまで伸ばしたら、その性能の限界まではトップに近づけると思うよ。
ただ貧困にあってはそんな偶然ほんとに奇跡だよね。じゃあ望みはないかといわれたらあるから大丈夫。
一人ずつの持ち分がすくないから、じゃあどうするかって、上のそれ、100倍にするなら100人あつまればいいんだよね。
組織化したり大家族化したり、独占禁止法に抵触しない程度に談合したり、そう、人数あつまればできないことはないんだよ。
お金って人間の時間を数値化したものだと単純に考えたら、人数が増えたらそれだけ増える、闇のところでも書いたけど人間飼ってたらそれだけでもその分お金もらえちゃうんだよね。
反社会的な組織とか、どうみてもまともに仕事とかできない人を集めて、まともに仕事してる人より利益をえているか不思議だよね。
ただ人間の数があるだけでも強みになるってとこかも。
具体的にいうと一人の時間も二人になれば倍になるよね。二人で仕事をすれば一人の倍できる。その上で仕事って何って話だけど、サラリーマンだって一日ずっと仕事してるわけじゃない。
一日9時間なり10時間なり仕事してるとしたら、それ以外時間や仕事中でも仕事と関係ない時間を割いてしまってる。
書類を渡すのに待ってる時間とか、移動のちょっとした空き時間とか、先方の連絡待ちの時間とか、食事やごみ捨てや清掃なんかも。
その仕事にもならないから無料の時間で自分でやってる事を、それだけをするので一人につき10分や20分といった時間を仕事に割り当てる人がいたらどうなるか。
そんなもので生活はしていけないかもしれないけど、それを統合してひとまとまりにするとまとまったお金になる。そういうことだね。
でも他人とのコミュニケーションとか面倒だし、パーソナルスペースで自由になれる時間も欲しいし、なにより集団って悪いイメージって文化がしっかり醸成されてるから難しいとは思うけどね。
地域や仕事でよりしっかり集まっていかないと、個々に分散すると一人になったところからやられていく、そんな感じ。
大企業が大儲けしてさらに豊かになって、土壌も整えてさらに豊かになる、って憎いひどいって思うかもしれないけど、同じことだよね。集まってるだけ。
最初にだれかに声をかけて、二人になり、四人になり、八人になり、と大きくなってシェアを競り勝ち大きくなっただけ。みんなも最初からこれをやれば同じく大きくなるって話。
いまどきの風潮をすてて昭和初期から中期のむかしながらの生活みたいなコミュニティやコミュニケーションがその効率はよかった代表格の成功例みたいなものだから、できないことはないと思うよ。今なら。
でも一人がいい、指図されたくない、自分のアタマで考えたい、自由に好きなものを選びたい、そんな事が人としての幸福って感じにすっかり染まってるよね。
その幸福を得るために垂れ流してるコストは、二人になれば2倍になるのだから一人でいることはすでに等倍のコスト、10人で組織されたチームで生きる10分の一しか得られていない、30なら、ってとこ。
自分の公共福祉で使わなかった分が現金として支給されたとして、それを使ったら万が一の時の備蓄がないままだよね。使わないなら得してたけど使うとなったら大損。
そのリスクも使わないパートナーと使う自分で組み合わせればコストは半分に、組織化していけばもっと小さくできるし、使わないときの得はもっと大きくできる。
一人で100万人の従業員の100万倍の資本の会社に勝つには、いまの100万倍の成果をあげる努力をしないといけないけど、だから無理だって思っちゃうかもしれないけど。
そこであきらめるから貧困から脱せないのかもしれないけど、100万倍の能力を身に着ける方法をどうやったらいいかなんて考えなくても、できれば100万人の、そこまでいかなくても自分の一人から数えて何倍かの人数を集め、集まり集団で団体で行動をしたり計画をしたり、持ち寄ったりするといいんだよ。
ユーチューバーのフォロワーの数も、人数としていえば1フォロワーが人間でいうところの0.3人くらいかもしれないけど、やっぱり万とかいくとそれなりに大きいでしょ。
資本主義で民主主義な長所はそういうところだから、活かしていきたい人はがんばってほしい。
まあそういうのをするために自治体って集まりができて、政府ってのができて、国だったんだけどね。ここにきてあらためて解体っていうかたちの現金支給で還元ってのも、ありといえばありなのかも。
お金がないなら、減らしていくんじゃなくて、あつまってこ。そういうとこ気が付いていきたいよね。
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも不正義や不公正と一緒に闘ってもらうために、引き続き頑張ります。出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p108]
【※】シャーリーズ・セロン主演『モンスター』の話題から。
町山:林真須美を特殊メイクで藤原紀香にやらせるようなムダ。ていうか、美人がブスまで演じるのって独占禁止法違反じゃん!
[p111]
町山:これでわかるように、アカデミー賞なんて根回しと調整の副産物であって、公正で厳密なコンテストでもなんでもないんだ。くだらねえ。
柳下:ミラマックス社長のハーヴェイ・ワインスタインが必死だから。98年に『恋に落ちたシェイクスピア』で大金投じて接待やら何やら大々的な票稼ぎして強引に作品賞奪取してさ、あれから恥も外聞もないオスカー戦略が始まった。
町山:『恋に落ちた〜』こそブッシュ大統領当選に匹敵するインチキな作品賞だった。その後の映画史に何の影響も与えていない。
【※】その「くだらない」イベントの解説で小銭を稼いでいるのが町山智浩です。
【※】そのハーヴェイ・ワインスタインと昵懇の仲だったのがクェンティン・タランティーノで、そのタランティーノを「オレらの仲間」扱いしていたのが『映画秘宝』です。
【※】そして、タランティーノが「演技指導」の名目でダリル・ハンナにハードコアポルノを見せると云うセクハラ行為をした話を、タランティーノから聞かされて一緒に笑っていたのが町山智浩です。
【※】「ワインスタイン-タランティーノ-町山智浩ら映画秘宝関係者」と云うセクハラ人脈の系譜。
(初出『映画秘宝』03年vol.41)
【感想】ここで『恋に落ちた〜』の評価に関して町山・柳下が話していることは、高橋ヨシキ・てらさわホークの共著で模倣されていて、本当に「センパイの真似」が好きなんだなと改めて思いましたね。
中小企業支援が手厚すぎるからって話をどっかで見たのを思い出した。
中小企業支援が皆無だと、大きいところに買われたり、合併して大きくなって数の力で何とかするという動機づけが生まれるけれど、中小企業支援が手厚いので一定以上大きくしない方向に動機づけがなされる。結果、従業員数50名以下の企業が国内で大量にひしめき合うことになる。
サイズが小さいと一人休んだ場合の影響が大きいので、自由に休めないという空気が生まれ、いくら国が旗を振ったところで有休消化率が今一つになったり、育休取得率が今一つになったりする。
企業のできることも人数と予算で制限されてしまって、余裕がないとできないような研究開発や実験的な試みが難しく、イノベーションも生まれにくくなる。
また、余裕があれば多少の失敗は目をつぶってどんどんチャレンジさせるという方針も取れるが、余裕がないのでどうしても減点主義になり、さらにイノベーションから遠のく。
...と書きながら思ったのだが、独占禁止法の各国での運用はどうなんだろう?
アメリカやEUは大きくなるまで放置したうえで、市民の巨大企業に対する怨嗟の声が抑えられなくなったところで、独占禁止法で鉄槌を下してぶっ壊すってイメージがある。
日本は寡占状態を避けるようにそもそも運用されているのか、巨大寡占企業に独占禁止法で鉄槌を下すというイメージがあまりない。
戦前の日本史を見ると同業小企業と競争し、強い方が弱い方を買うというのをまあまあ見るんだけれど、ここ30年くらいそんなことが起きているイメージがない。
...いや、メルペイがオリガミ買収したくらいはあったけれど、それを手掛ける企業の資本に守られているのか、なんとかpayはそれ以上は統廃合が進まなかったな。
それを言えば、なんでそれら企業はその辺で蓄積した技術もないのに自分でやっちゃうんだろう?例えば、7&iと郵政グループがオリガミの買収を巡って争ってもよかったと思うんだけど...アメリカだったらSoftbankや楽天がメルカリ買収みたいなルートも普通にあるだろうと思うのだが、なぜかそういうことって起きないよね。
僕はPS5を買えませんでした。転売屋のせいです。もう、とにかくムカついて2~3日くらい眠れませんでした。そして転売屋を憎みながら考え続けました。転売とはなんなのか! そしたら、ようやく答えらしきものにたどり着きました。
モデルを作ってシミュレーションしてみます。ただし、人数とか価格は実情がわからない部分があるので、完全に仮のものにします。
まずは、転売屋のいない世界について考えます。100人の人が居て、PS5が発売されたらそれぞれが1万円~100万円未満の値段なら買いたいと思っているとします。1万円未満なら買いたいと思っている人が1人、2万円未満なら買いたいと思っている人が1人、・・・、99万円未満なら買いたいと思っている人が1人、100万円未満なら買いたいと思っている人が1人、といったような100人です。PS5が無料だったらすべての人が買います。PS5が1万円なら、99人の人が買います(1万円未満なら買いたいという人は買いません)。99万円だと1人だけ買います。100万円だと誰にも見向きもされません。100万円未満ならPS5を買いたい人は、富裕層でお金が余っているのか、お金に余裕はないが熱狂的なPS5のファンのどちらかでしょう。とにかくどちらの理由でもいいので、100万円未満ならPS5を買いたいと考えています。
そのような状況で、PS5の在庫が45個で、ソニーが10万円で販売したとします。このとき、 PS5を買いたい人は90人に対して、PS5は45個しかありません。2倍の倍率で争奪戦となります。
100人のPS5を獲得する能力が等価なら、90人のうちの45人に均等にPS5が行き渡ります。11万円未満なら買いたいと思ってる人は妥当な価格だと思って購入し、50万円未満なら買いたいと思っている人はPS5安くてソニー神!と思うことでしょう。
平和な世界でしたが、100人のうちPS5に興味がなかった10人(つまり、10万円未満じゃないとPS5を買いたくない人々)が転売屋になったとします。さらに、彼らはPS5の獲得能力が極めて高く、1人につき3台ずつPS5を購入するとします。10人の転売屋と90人のPS5を買いたい人々の間で、一体何が起こるでしょうか。
転売屋によって、45個あったはずのPS5は15個に減ってしまいます。買いたい人は90人のままなので、競争の倍率は6倍まで跳ね上がります。本来2倍の倍率で買えたものなので、転売屋のせいで本当に買いたかった人が大きな害を被っていることになります。
さて、PS5を3台ずつ買った10人の転売屋はこの後どうするでしょうか。彼らはPS5に興味がないので、これを誰かに売る必要があります。問題はいくらで売れるのかです。もっともPS5に高値をつけている人は99万円でPS5を買ってくれるので、99万円で売りたいと考えます。しかし、10人が30台のPS5を99万円で売りに出しても、買ってくれるのは1人だけで29個のPS5が余ってしまいます。PS5を買う人がちょうど30人になる価格は、70万円です(実際は市場に出回った15台のPS5を買えている人もいるので、もう少し安くなります)。よって転売屋は、最初は95万円程度の高値でPS5を売ろうとし、最終的には70万円ですべてのPS5を売り切ります。PS5の本来の価格10万円の7~9.5倍の値段で取引されていることになります。近年メルカリでよく見かけている光景ですね!
転売屋は徐々にPS5を安くしていくので、売り切るには時間がかかります。少なくとも発売日当日には、45台販売されたPS5のうち30台は箱に入ったまま眠ることになります。転売屋は早くPS5を売ろうとしますが、それでもすべてのPS5を売り切るまでに数ヶ月かかる可能性は十分にあるでしょう。ソニーは使ってもらうため(ソフト等の販売で収益を得るため)にPS5を安く販売しているので、ソニーにとっても転売屋は害悪だと言えるでしょう。
ここまでの転売屋の影響のまとめです。
最後に、転売屋から70万円以上でPS5を買った人は損をしているのか、について軽く考えておきます。シンプルに考えると、10万円で買えるPS5を70万円で買ったので、60万円損をしているように見えます。しかし、「10万円で買える」には落とし穴があります。転売屋が居ない世界でも、PS5の購入倍率は2倍でした。つまり、もともと10万円で確実に買えるわけではないのです。それを、「70万円出せば確実に買える」という事実から「10万円出せば確実に買えていた」という誤った推論に陥いらないように、注意が必要です。
PS5、安過ぎると思いませんか? どうしてこんなに安いのでしょう。「ハードウェアを赤字で販売し、ソフトウェアで利益を得るというソニーの戦略である」という答えが一つあります(任天堂も同じ戦略でファミコンを売っていたはずです)。しかし、僕らは中学校の社会の時間に「需要と供給の法則」というものを習いました。供給より需要が高ければ値段が自然と上がり、需要と供給が成り立ったところで価格が決まる、と。PS5は需要が供給の2倍という需要過多の状態なのに、なぜ価格が上がらないのでしょうか。
そこには、「希望小売価格」という暗黙の了解があります。ソニーがヨドバシカメラなどの小売店や消費者へ、PS5の価格の目安は10万円ですよと伝えているのです。法的には希望小売価格以上の値段で販売をしても構いません。むしろ、ソニーが定価以上の販売にペナルティを与えたりすると、独占禁止法違反です。
このリンクにも、『日本では、商品を製造したメーカーは、一度、その商品を卸業者や小売業者に販売するときに「この商品は、希望小売価格で売ってください」とか「値引きはしないでくださいね」といったお願いをしてはいけないことになっています。』と書いてますね。
じゃあ、なぜヨドバシなどがPS5を希望小売価格で売るのかというと、それが暗黙の了解だからです。消費者の多くは、PS5の希望小売価格10万円を定価だと思っており、それ以上の価格で売られていると悪徳業者だと考える人がほとんどでしょう。それが社会の暗黙の了解となってしまっているのです。
それでは、希望小売価格のない世界でPS5を販売するとどうなるかを考えてみましょう。転売屋はまだ居ないものとします。
この場合、小売店はなるべく利益を出すために、PS5を高値で販売します。45台のPS5をすべて売り切れる金額の上限は55万円です。よって、小売店は55万円でPS5を販売します。ここで小売店は転売屋より良心的で、経験も十分にあり、市場の適正価格で最初から販売できると仮定しています。
希望小売価格10万円が設定されていたときと違い、お金のある45人だけがPS5を手にすることができます。お金がない人はとても困ってしまう世界です。PS5の値段が高くて手が届きません。
希望小売価格のない世界で、また10人が転売屋に転向したとします。しかし、この世界では転売は簡単ではありません。
転売屋はPS5を調達することに秀でていて、各自3台のPS5を10万円で調達していましたが、この世界ではPS5は55万円で売っているため、「10万円で」という部分を実現することができません。そこで、「じゃあどのくらいの金額でPS5を買うのか」という姿勢を明確にする必要があります。一体いくらでPS5を購入すると転売して儲けることができるでしょうか?
例えば、転売屋が「40万円で買う」と言う意思決定をするとどうなるでしょうか。当たり前ですが、この場合PS5の販売価格は55万円なので、転売屋は1台もPS5を買うことができません。よってこの戦略で儲けることはできません。
では次に、「85万円で買う」と言う意思決定をするとどうなるでしょうか。直感的には、100万円未満なら出してもいいと思うほどの商品なので、これでも15万円の利益が出て十分転売が成立するように見えます。しかし、実際はそうはいきません。転売屋10人が各3台ずつ、合計30台を1台85万円で買おうとしているとします。このとき、小売店がPS5を45台売り切るための適正な価格は、85万円となります(86万円未満なら買おうと思っている15人のゲーマーと、85万円で買おうとしている10人の転売屋×3台でちょうど45台です)。という事で、マンマと転売屋は30台のPS5をせしめることができたのですが、問題はこの後です。PS5を持っていない残っている人は、85万円未満ならPS5を買いたいと思っている人々です。よって、85万円より大きい金額でメルカリへPS5を出品しても、在庫をさばくことはできません。85万円未満であれば売れますが、完全に赤字です。
結局この世界では、転売屋はどのような値段でPS5を購入しても儲けを出せないことになります。儲けを出すには、市場の適正価格より安い金額で流通しているPS5(例えば、店の広告代わりに安売りするなど)をどこからか見つけてくる必要があります。ただ、そこまで行くと転売と違って苦労や経験を伴う商品の「仕入れ」であり、転売ではなくて商いと言えるのではないでしょうか。
ここまでのまとめです。
希望小売価格の撤廃で転売屋がいなくなるのはわかりましたが、我々庶民も道連れでPS5が買えなくなります。これは本当に正しいことなのでしょうか?
今、メルカリのPS5の販売金額の実情を見てください。金持ちじゃないととてもじゃないけど買えない価格になっています。つまり、「庶民にPS5が買えない」ということは、すでに起きていることなのです。「転売屋が居なければ庶民でも買えるじゃないか」という主張は半分しかあっていません。転売屋が居なくても、庶民の全員がPS5を買えるわけではなく、買える人と買えない人が出てきます。これは運や調達能力に依存して決まります。
逆に、PS5が庶民でも買えるように安値を保つべきものだと仮定しましょう。その場合、日本には「再販売価格維持制度」というものがあります。この制度が適用されている代表的なものは書籍ですね。書籍は出版社が決めた定価で売り買いしなければなりません。理由は先に述べたとおり、書籍は文化的なもので、庶民でも誰でも平等なチャンスで購入できるべきだからです。また、電気水道などの公共料金も、同様の理由で国が介入して価格を決めています。
もし、PS5が再販売価格維持制度の対象となれば、定価で取引することが義務付けられますから、転売を撲滅することが可能です。ただ、PS5は書籍や水道、ガスと同様に国に価格を決めてもらうべきものなのでしょうか? 僕はそうは思いませんでした。
ちなみに、希望小売価格がない世界で庶民がPS5を買えないかと言うと、そうではありません。PS5は毎月供給されて着実に増えていき、それと比較して需要は必ずしも増加傾向にないため、販売価格はどんどん下がっていきます。発売日には買えなくとも、自分の手が届くようになったタイミングでいつか買うことはできます。
僕は、前者のほうが適切だと思います。ただ、大昔には化粧品などが再販売価格維持制度の対象となっていたようです。なので、もしかするとPS5やニンテンドースイッチ、希少なグッズなども再販制度の適用となる未来もあるのかもしれません。コロナ禍で転売されたマスクなどは、再販制度の適用に最も近いポジションにあったと言えるかもしれません。
ところで、転売屋から物を買っていいかですが、転売屋には腹が立ちますが(PS5欲しい)、以下の理由で買っていいんじゃないかと思います。
最後に、僕が転売屋をどう思っているかですが、適正価格より安くPS5が売られているのでバカでもできる行為で、何も知性を感じないし生産性もない行為だなあと思ってます。つまり、転売屋は嫌いです。
僕と同じ主張をしている人はこの人くらいかなーと思いました。まる。
欧州サッカーなどは各チームがそれぞれに選手と契約するかたちをとっている。
それは「チームの戦力均衡」を目指しているからだ。
日本のプロ野球や、アメリカのMLB・NBA・NFL・NHLなどは、
メンツが変わらないなら同じくらいの強さで鎬を削っているのが最も面白いわけで、
資金力のあるチームが有望な新人を独占するようなことは望ましくない。
そのためドラフトによって新人を均等に割り振る必要があるのである。
リーグでの成績が悪いチームから選手を指名していく「ウェーバー制」も戦力均衡を企図したものである。
一方、ヨーロッパなどではピラミッド型のリーグ構成が採用されている。
たとえばイングランドのサッカーだと最上位のプレミアリーグから、
プレミアリーグ→EFLチャンピオンシップ→EFLリーグ1→EFLリーグ2→ナショナルリーグ…
以下、「22部」までのヒエラルキーが出来上がっている。
強いチームは常に上位を独占し、弱いチームはどこまでも下のリーグへと落ちていく。
そうして下位チームにも競争を課すことで消化試合を減らしているのである。
またチャンピオンズリーグのような各国王者が参加する大会において、
自国のチームを優勝させるために戦力を一部のチームに集中させるというインセンティブもある。
プロ野球の場合、ドラフト制導入はマネーゲームに対する反省が主な理由だった。
金満球団であった巨人や阪神はドラフト制に猛反発したし、実際に巨人のV9が終わったのは、
戦力均衡とは逆行するような部分もあった。
結果としてどちらを目指すにしても中途半端になってしまっている。
ドラフト制の廃止をするなら2部リーグを導入する必要があるが、
国際的な人気も得られない状況で、一部のチームに戦力を集中させて、
逆にさらなる戦力均衡を図るなら
・完全ウェーバー制の導入
・サラリーキャップの導入
・トレードの拡充
などを考えねばならないだろう。
資本主義というか経済とか、それ以前に生物とかもう全部の常識がないのかおかしいので小言をいうね
国民と結果的に称される個人が寄り集まって自分たちの生活の共有部分を共同管理するための組織が国家なのね
国がなにかしてくれるとかお国というなにか生き物が人間を飼ってるわけじゃないのね
自治体や議員や国家というのは国民の寄り集まりであって国家が国民を生んでるわけではないのね
みんながちゃんと政治に参加すればそんな雲の上でクラウド接続しているらしいみたいな国家幻想は抱かないと思うよ
それで、生物として怠惰に生をむさぼることが夢とか究極の目標とか楽園ではないのね
それがそうだというなら脳に電極さして水槽で寝てるのとか人類の最終目的でしょ
生きるというだけについていえばストレスがあって達成感があって不足や不満を感じてそれを解消する快楽が必要なわけじゃん
まあそういうの全部今回はなしってことにしたとして 繋がれて夢をみるだけの生き物になるのが夢なの?
どう考えても人間が生物的な活動をしていくと消耗消費と老化劣化からストレスと競争が発生してかつ自然環境や資源も枯渇して苦しくなるだけじゃん
経済とかBIとは全然関係ないけど生物とかからいうと目標としては「苦しいかもしれないけど生を満喫すること、だってそれは生まれてきちゃったから」が究極な答えだと思うよ
それで資本主義の話なんだけど「金儲けのうまいやつが大儲けするのが資本主義」とかいうけどお金はお金だけでは増えないのね
そりゃ銀行が刷ればいくらでも増えますとかいうなんか宣伝文句があったけどそれ物理的に増えるだけでお金って物理じゃないのね
物理的なお金の代替品に理論的に意味づけたものがお金であってそれがもし大量にあったとしても「全部で1円」とか言えば数億円の束でも「1円」なのね
お金はお金で増えないの お金もうけのうまいやつがいいふうにやって倍にしていって 何億という資産を築いたとしても パン屋に腹が減ったから数千万でパンを売れっていっても売らないっていったら交渉決裂なのね
実際にそれができないのは国っていう先述の寄り集まりがお互いに問題を起こさないようにとか問題がおきたら解消できるように組織したものが違反を咎めて全部没収とか暴力的に解決できるからなのね
ルールに従っていればいくらひどい事でもしていいけどルールから外れるとちょっとのミスでも絶対許さんとかになる取り決めが法律なわけね
話はそれちゃったけど とりま何が言いたいかって お金は「お金儲け」では増えないのね
じゃあお金を増やすのってどうするかって、生産するしかないのね 一次産業から二次産業くらいまでが必要でもちろんそれが好きだしその知識が多くあって秀でていて 売り物にしたらより大きなものと交換できる可能性がある人がそれをするのね
権利だとか技術だとかを駆使して人がほしくなるようなものをつくるの そしたらほしい人は物々交換を申し出るわけ そりゃ生ものとかそのままじゃ使えないものをもってる人もいるわけなので平等にいつでも交換できる権利と交換するわけ
それがお金なの お金でお金は増えないのね お金もうけがうまいやつがお金を増やすわけじゃないの
じゃあ何でお金がふえるかって 約束で増えるのね 高い絵画は「高く転売できる」って保証によってその価値があったり いつのタイミングでその料理がたべられるか いつのタイミングでその施設が使えるか どんな時にそれを利用することができるか
そういう約束でお金って増えるの いまじゃないけどそれほしいって人が倍はくるよ 競争になるよ そしたら取り合いをさせずに倍の値段をもってくるやつと交換したらいいよ っていうのが価値なのね
その価値を作った人が潮目を見切って販売管理したり それをしながら生産をしたり そしてサービスをしたりするのはしんどいので その価値からいくらかおすそ分けしてその作業を人にお願いするのね
それがみんなが嫌ってる不労所得とか既得権益とか楽してもうけてるお金儲けがうまいやつとかの一部なわけ
欲しくなる時期までお預かりしておきます お持ちであるという証明を券で発行します いつまでなら使う側でいていいので使い終わったら払う側になってくださいねとか そういう金融商品って取引を代行する人がでてくるの
一次産業がそういうのに都合よくつかわれないように農協とか漁協とかいろんな協同組合とか団体とかがあるの 実際にこまったときに相互に助け合う仕組みとして小さな国家の単位みたいな組織ね
これを無視して利益重視にすればいま大手スーパーがやってるみたいな組合とかをとばして直販してもらって安く仕入れるとかできるし中間マージンがない分生産者も実入りは大きくなる
でも積み立てとか交渉とか共済とかいうのがないから不作とか被害とかでたときにだれもなにも補償してくれないの 運が悪けりゃつぶれるだけ できるだけ原始的で原理的な組織化で産業を保護してくれてたのがみんなが不都合で嫌いだった組合とか土着の組織だったわけ
スーパーや大手が効率的に安く商品を提供するために重厚な安定化組織を解体してたわけ 運よくずっと良作に恵まれてたらいいけど一旦不景気とかに落ちるともどってこれないよ 鬼怒川温泉みたいに
つまりねお金って結局人間が生きていくのに必要なものを他人に作らせるからできてるわけで 他人にたくさん任せれば任せるほどお金ができるの
そしたら任せっきりのなんにもしない人が出てくるわけね そこでブルシットジョブでもつくらないといけないわけ それが公共事業だったりしたんだけどね
どっかのド田舎まで高速道路ひいた首相とかいたりして意味ないことだったけど経済的には一部を活性化させたりしたね
お金は仕事っていう「その仕事をしてくれたおかげで生産がより便利になりました利益があがったのでお返しします」から利息分をすこしわけてもらうための権利を先取りしたものが労働の対価であるお金なのね
物々交換に時間をかけあわせたものがお金なの いまという時間から切り離した分だけリスクを含んだ価値を増大させるわけ
プロダクトローンチとかいう言葉が昔はやったけど、簡単にいうと完全予約制みたいなものね 生産に対して顧客を先に固定させておいて販売価格を商品より先に預かることね
土用の丑の日のウナギ弁当を予約で食品の廃棄を減らすみたいなもの 売れもしないグッドアイデアをこれは品質がいいから必ず売れると決め込んで投資していざ売ったら失敗みたいなことを回避する手ね
先に原資をあずかれることで生産にかかれるのね 基本会社はみんな借金してる 借金してそのお金でそれより大きなお値段をつけて生産したものを売る 借金を返してお給料もだして また借金して生産する
これでいつしか自己資本だけで会社やれたらいいなーっていうのが資本主義にある会社なのね
その借金という仲介をしたり証券化して権利を分散して関係ない人からも結局その生産の原資として使いまわしがきくみんながもってる時間とわずかな交換条件をかき集めてくるのが銀行なのね
銀行は人のチャンスとみんなの余裕を貯金として預かって、貸したり返してもらったりしてお金をふやしてるのね
これにはとても正確なやりとりが必要なので大変なのね こんなのみんな自分でできるなら会社はみんな自分で取引してるわね
つまり大きく仕事を三つに分けると、ものをうみだす人と、ものをつかう人と、消費する人と作る人の間を取り持つ人なのね
とりもつ人っていういわゆる「お金儲けが得意な人」がどれだけすごくても何人いても生産して運用しないと1円も増えないわけ
お金って生産して運用するその価値そのものなのね お金儲けがうまい人っていうのがもしいるのだというならそれは生産ができて加工もできてそれをほかの人にわたせる人のことなのね
生産工場が直売してなくて卸業者や代理店経由とかで商品を売る意味とかわかんないとおもうけど 全部できるならみんなしてる 自動車くらいに利益率が高くて組織が膨大ならできると思うけどね
農業を経営してるところの飲食店とか 規模的に小さくても完結してるところはあるよね
ところで都市生活してるみんなは農業してたり一次生産してたりする? してないよね だったら飢えて死ぬべきかな? みんなが死なないように無駄な仕事を増やしてくれてるよね
独占禁止法なんてなければ生産者一族が自分たちの分だけ生産して供給して ほかの人がほしいっていってもはい100万円っていえばいいだけなんだもんね
それをみんなが生きたい生きるべきってきめて あなたたちを襲って殺さないからぼくたちも殺さないでって取り決めて国家を形成して法律をきめてるよね
みんなが分散して生産して消費の機会や場所を分散させて無駄に仕事と手間を増やさせてそれぞれに従事させてその対価として消費するその価値にちょっと上乗せしたものを配分してるのが資本主義だよね
これが成長していかないと「上乗せした価値」が得られなくなるからどこかを削るべきとかになるのはわかるよね だからGDPとか大事だよね
そういう無駄なことやめない? いる分だけ調整して上へ上へ上げていくのもうしんどいからコントロールして一休みしたり無駄な仕事ふやしたりするのやめない?っていうのが共産主義って主義ね
国がその配分を一旦全部国有で国のものとして徴収して再配分するってきめると効率的で無駄のない生産と配分ができるよね
上手だろうと下手だろうと誰彼かんけいなくそこにいる人にそれしなさいって国営のなにかをしてもらってその価値を国の配分で分けたりすればここまでややこしかった資本主義の問題とか軋轢なんて一発解決ね
災害対策とか低迷する機能への投資とかいいなっておもったら即機能させれちゃうよね ただ国民の幸福度としては国がやれっていったからってことを押し付けられるのに報酬が自分で決めたものではないのは不満だよね
資本主義は重責を負わないなら受け取る価値を下げるって選択肢があるよね
ここで重責を負うって名前だけなのに給料高いのは納得できない資本主義でうまいことやったやつだけが給料たかくて真面目に働いてるみんなへの配分が少ないってことになると思うけど
重責っていう人が判断したり取り次いだり企画したり対応したり組織をつくったり運用したりしないと作業員がいっぱいいても価値を生産したり運用したりできないのね
みんな下積みなん手必要ないやれっていわれたらできるしみんな同じことしてる作業員なんだから給料がいっぱいの人と同じことできるからお金欲しいっておもうよね
じゃあどういう経路で、どこに問い合わせたら、どうなっているかという予想ができて、それならばこちらに切り替えたり、無理をお願いしたり、時期をずらそうってしたりみんなできる?
現場作業をしていれば現場でいるものはなんでもわかると思うけど、じゃあそこに来る材料がいつどこからどう来てどんな品質だからどうすべきかとか、判断できる?
また納品する先にどういう取次をして、支払いの約束をどうとりつけて、関係者のみんなにそこからいくらわけるとか計算できる?現場で10人優秀な人がいて生産が完璧にできたとしても材料とか取引ができないと10人の価値はゼロよ
10人に10人分以上の価値がでるように準備をしたり取引をしたりするのが重責の役目ね これが等価とかそれ以下ならだれでもできるの ほんとだれでもできる
だから人のいい社長さんとかがその価値を切り崩して会社だめにしたりする がめつく粘って値切って節約していかないと維持できる程度の利益もでない これが重責なのね いってみればみんなのお給料のためにどれだけ意地悪な悪人になれるかみたいなとこね
みんなの1+1の生産の結果をどれだけえげつなく汚い手をつかってぼったくったかが、お給料になるわけ 10人分なら10倍程度にね それが楽なので再分配しろっていうならみんな自営業したらいいだけ クラウドの仕事募集サイトで仕事すればいいだけじゃん なんでしないの?ってことよ
10人分の家庭の生活を自分の一言でつぶしてしまうかもしれない その責任がおまえとれるの?っていう重責が役職であったりするわけね 構造上の問題だけど
まあそういう仕組みがあって そのうえでそれらを超越してただ楽でなにもしてなくて暇つぶしだけしてるけどお金がはいってくる人ってのも構造上でてきてしまうよね それはしょうがない
そんな人をピンポイントに特別措置がとれる法律をつくろうなんていったら「人ひとり個人を特定の方法でしめることができるルール」ってそれルールっていう広義である必要はないよね
事故として処理するのとなんらかわらんし そういうのが陰謀論としてあるとわくわくするのはわかるけど 一応とつぜんみんなの家族がきえたりしないのはちゃんと国家ってルールが運用されているからだね
いちおういまもうまく国とか資本主義って機能してはいるし公共事業と基本給がいまのところベーシックインカムってものの変わりみたいなものだよ
これを現金化したり証券化することは国の機能そのものが現金化したり証券化したり いってみれば民営化するみたいなものなんだよ
まあどっちでもいいんだけど 政治は批判しかしないし政党に加わるわけでもなし支持する政党も組織として共同体運用を目的とした宗教にも加担せず個でいることにこだわる人がベーシックインカムなんて形で団体組織運営を民営化してより独善的な偏りに現金をもっていこうとするのは目先の快楽にそそのかされてんじゃない?
独占禁止法があるのに政府は郵便局の独占を許してるよなと思って調べたんだけど
全国にポストを置かないと信書を送ってはいけないとかルールがあるみたい?
郵便局みたいに日本全国にどこでも信書を受け付ける施設がないと信書の送付を取り扱ってはダメなんだよみたいなルールがあるっぽい?
では、もし佐川やヤマトが現状で信書を送れるようになったとすると郵便局は封書の郵送料の売り上げが減るから郵送料をさらに値上げしなければならなくなる。
郵便局が信書の郵送を独占しているのは誰でも安く郵便物を送れるようにするためらしい。なるほど。
独占禁止法のことを考えたらヤマトや佐川や福山通運でも手紙の配送をやらせてあげてよって思うけど
貧乏な人でも郵便物を安く送れるようにするためのシステムが今の郵便局の独占状態なんだね。
考えてみれば
どちらも63円なの
これって当たり前だけどすごいことだったんだなぁ。
郵便局の郵送料高いなーって思うときもあるけれど、それでも庶民に向けてギリギリのお値段でやってるのかな?
昔は封書が62円で送れたのに今84円ってずいぶん値上げしたなぁと思うけどしょうがないのか。ゆうパックとかは荷物の重さや送り先で値段変わるけど
信書とか手紙とかの郵送は大きさと重さだけで送り先は関係なく一律の料金で届けてくれる。
これってすごいことだったんだなぁ