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はてなキーワード: 沖縄本島とは

2018-01-10

anond:20180110205208

沖縄本島ってことならたくさん人住んでるやん

北方領土は既に取られてるから

ロシア人と殺し合って奪い返す価値があるかどうかって話だな

2017-12-15

anond:20171215101443

沖縄地理理解して無いくせに適当なことを語り沖縄県民を貶める卑しい面々

ほとんどの県外人沖縄本島の狭さ(さら居住区域も狭い)にピンとこないか適当なこと言ってると思う。

浜松市の2割の土地米軍基地があるようなもんなんだけど。

2017-08-17

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

※補足※

ブコメで以下のようなご指摘を頂戴しました。

>些細なことだし、現代の人にわかやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代義務教育と照らして分かりやすいように祖母説明してくれたのだと思います

紛らわしくて申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました。

2017-07-13

https://anond.hatelabo.jp/20170713155951

横ですけど、都生まれ都育ちの都民なので、公共交通機関じゃその日のうちにたどり着けないようなところにあえて選んで旅行してる節がある。

飛行機レンタカーライド登山とか、新幹線レンタカーキャンプとか。

北海道方面阿蘇九州温泉めぐり東北温泉めぐり島原半島あたり、沖縄本島奄美大島石垣島京都日本海側~若狭福井までドライブ、パッと思い出しただけで国内こんぐらい。数は分からんよ。

サッカー見るのに車でドイツをぐるりとした。学生時代コッツウォルズに行った、オアフ島も車有った方が楽しい

でも電車とかで旅行するのも好きだよー

2017-05-19

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

2017-01-11

沖縄本島ってどんなところ?



最後

2016-10-20

沖縄県民の一個人沖縄米軍基地負担について思うこと

沖縄県民である自分個人の考えをまとめるために書く

自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民利益に繋がる」と考える、以下理由

沖縄県民意見とは)

・まず『沖縄県民』という主語はでかい

 直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史現在置かれている状況も違う

 那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。

 南西諸島などの離島沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島政権から差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。

 そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力川内原発についての福岡奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。

・そもそも友人・家族・親戚で基地問題について話題にしない

 ケンカになるからほとんどの場合自分在日米軍国防関係自分と違う意見や明らかに間違っている知識沖縄県負担している米軍基地割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。

 しか中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係ワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカ覇権絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客お金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。

・そんなわけで、『沖縄県民意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う

 基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人軍属相手商売生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去事件事故家族被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見統一できない思想自由なので当然だ

・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう

 手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う

米軍基地はどうするべきか)

普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府米軍沖縄県民宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在問題だと考えている

・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地建設が進められているが、要するに日本政府意向失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。

・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。

・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯ジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う

・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県基地負担未来永劫、永遠に続くことになる

 この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済暴力に向かわせる力がある。

 まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。

・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。

・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。

・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民意思無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設同意してしまうと今度は『沖縄県地元住民は新しい基地建設することに同意した』という新しい現状が生まれしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。

政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄

 前世紀に普天間基地代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザ脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。

・それが国に対する借りとなり、将来の沖縄県民利益に繋がる

(余談)

・そもそも海兵隊基地なんて必要なのか

 みんな『次の戦争』に備えるとき記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。

 第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか

 みんな『次の戦争』を考えるとき太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本宣戦布告されたり、するとき

 東京都核ミサイルが落ちてくるときだろう

 第三次世界大戦が起き、全人類が存続の危機に立たされるとき

 だから『次の戦争』は全力で防ぐしかなく、その方法外交努力民間協力、相互理解によるだろうと考える。

2016-07-28

日本沖縄を切り捨ててみたら?

沖縄本島の近くに人工島でも作って基地移設したらどうだろう?

沖縄県日本に属したままであるから、国への直近での損害は軽微であるし、一方で国防範疇安保条約から沖縄を除外すれば良い。

沖縄”近辺”が地政学的にいか重要拠点であるかを考えれば、これが妥当な案だろう。

重要観光資源を失うことへのリスクもあるが、いざ戦争が始まれ観光客など来ない。

すべてが終わった後に復興させれば良いだけの話である

別に沖縄県など全く重要ではないのだ。

沖縄県あたりのどこかに拠点があれば良い。

2016-05-29

植民地は豊かで狭いところに限る

半端な人口がいたら反乱で面倒だ

南洋諸島なんかはすぐに軌道に乗った

から中国日本からもらえるとすれば、

五島列島石垣島宮古島くらいがいいんじゃないか。

沖縄本島は面倒だ。奄美くらいは貰っておこうか。

小笠原諸島あたりも欲しいところ。

佐渡島ももらおうかな。ついでに琵琶湖の真ん中にある島ももらおう。

2016-02-23

65海里

「65カイリ基準」米軍否定 普天間県外移設断念の根拠

 2010年に鳩山由紀夫首相(当時)が米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の県外移設を断念する判断材料となった政府内部文書朝日新聞が入手した。米軍の「基準」としてヘリコプター部隊と訓練場との距離を「65カイリ(約120キロ)」以内と明示しているが、在日米軍司令部朝日新聞取材に「そのような基準はない」とした。

特集沖縄はい

 文書は「普天間移設問題に関する米側から説明」。10年4月19日付で「極秘」と押印されている。「65海里(約120キロ)の問題」として「回転翼航空部隊拠点と同部隊が(陸上部隊と)恒常的に訓練を行うための拠点との間の距離に関する基準であり、米軍マニュアルに明記されている」と説明している。

 普天間飛行場の県外移設模索した鳩山氏は、この時期、鹿児島県徳之島への移設検討。だが、沖縄海兵隊のヘリ部隊の訓練が行われる沖縄本島中北部と徳之島とは約104カイリ(約192キロ)離れ、「65カイリ基準」を満たさない。

じゃあこれ↓何なのよ?

海兵隊の地上とヘリ「120キロ以内」 米が日本に伝達

2010年4月22日3時3分

 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設問題で、政府が、海兵隊の地上部隊ヘリコプター部隊について「65カイリ(約120キロ)」以内の距離に配置する必要があると日本側に伝えていたことがわかった鳩山政権移設先として検討している鹿児島県徳之島は、地上部隊駐留する沖縄本島から200キロ弱離れており、この要件を満たしていないことになる。

 政府高官が21日、明らかにした日本政府はヘリ部隊の大部分を徳之島に移す案を検討しており、岡田克也外相ルース駐日大使が話し合いを続けている。米政府筋によると、米側は沖縄本島移設候補地の距離などをもとに技術的な検討作業に入っていた。同高官は「(65カイリは)徳之島との距離の半分だが、米国がそこをどうするかだ」とし、今後の調整の焦点になるとの見方を示した。

2015-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20150722133353

よりによって沖縄本島に作るこたぁないのにね。与那国島移転でいいじゃん

さもなくば北海道。あっちのほうが土地は余っている

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211101701

就職も厳しくて、賃金も安い沖縄出生率が一番高いんだからねぇ…

マスコミが悲観的な事を言いすぎるってのもあるような気がしたが、沖縄本島マスコミ左派が牛耳っていて、決して能天気情報ばかり流している訳じゃないんだから、これも強い理由にはならないのか…

周囲の環境とか色々あるんだろうね。

2014-12-26

2014年2015年過去

今年もそろそろ終わる。

俺は来年40歳になる。10年前に何してたっけ?どんなことがあったけ?20年前は?

思い出そうとしてみたが、覚えていることはあまりなかった。

そこで大好きなウィキペディアを開いてみたら、おもしろかった。

西暦をたたけばその年に起こった出来事や流行ったものごと、世相がまとめられている。

すげえな。

ありがとうウィキペディア

「おっ」とか「へー」とか「なにそれ」と思った出来事で100年を振り返ってみる。

2014年の10年前と2015年の10年前。

1614年と1615年までさかのぼれば、それぞれ大阪冬の陣と夏の陣までいけるのだが、400年はけっこうしんどい

とりあえず100年。

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2004年平成16年

・自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入る

関西電力美浜原子力発電所(福井県)で蒸気漏れ事故が発生、作業員5人が死亡

アテネ五輪(柔道の野村忠宏選手が五輪3大会連続で金メダル獲得)

・「新潟県中越地震」死者68名

紀宮さま黒田慶樹さんがご婚約

2005年(平成17年

中部国際空港が開港

スマトラ島沖地震

アンゲラ・メルケルがドイツ首相に就任

・1年を通じて1899年以来初めて死亡数が出生数を上回る

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1994年(平成6年

ビートたけしバイク事故で重傷

関西国際空港が開港

オリックスイチローが史上初の1シーズン200本安打を記録

大江健三郎ノーベル文学賞を受賞

1995年(平成7年

阪神淡路大震災

地下鉄サリン事件

・警視庁の国松孝治長官狙撃事件(重傷)

オウム真理教総本部前で村井秀夫幹部が刺殺される

・「Windows'95 日本語版」発売

・『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始

・俺ハタチになる/この年はテレビばかり見ていた気がする。

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1984年昭和59年

・中曽根首相が首相として戦後初の靖国神社参拝

・「かい人21面相」によるグリコへの脅迫が始まる

都はるみがNHK「紅白歌合戦」を最後に引退

1985年(昭和60年

日航ジャンボ機墜落事故

・東京都に新両国国技館が完成、横綱・北の湖が引退

・NTT(電電公社)とJTT(日本たばこ産業)が民営企業として発足

豊田商事の詐欺事件についてマスコミが取材中、報道陣の前で永野一男会長が暴漢2人に刺殺される

松田聖子神田正輝と結婚

フジテレビで夕方のバラエティ番組夕やけニャンニャン』が放送開始

たこ八郎が水死

・「かい人21面相」の似顔絵“キツネ目の男”が公開される

阪神タイガースが21年ぶりのセ・リーグ優勝

阪神タイガース日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一

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1974年(昭和49年

・永谷園が「あさげ」を発売

小野田寛郎陸軍少尉がフィリピンから帰還

日本赤軍オランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)

ウォーターゲート事件ニクソン大統領辞任

テレビアニメ宇宙戦艦ヤマト』第1作が放映開始

フランスで『エマニエル夫人』公開

1975年(昭和50年

まるか食品が「ペヤングソースやきそば」を発売

山陽新幹線博多まで開通

広島東洋カープが初優勝

イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャー選出

沖縄国際海洋博覧会開幕

・俺が生まれた

……俺と同い年の人たち

赤江珠緒アナウンサー

雨宮処凛(作家、エッセイスト

山田花子タレント

アンジェリーナ・ジョリー(女優)

上原浩治(野球選手)

高橋由伸(野球選手)

チュートリアル徳井義実タレント

平野啓一郎小説家

・四代目・市川猿之助歌舞伎役者

さかなクン(魚類学者、タレントイラストレーター

・俺(商店街で鮮魚店を経営)

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1964年昭和39年

カルビーが「かっぱえびせん」を発売

本田技研工業が「S600」を発売

・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き

東海道新幹線開業

東京オリンピック

・坂本九『明日があるさ』がヒット

・映画『モスラゴジラ』公開

1965年(昭和40年

大塚製薬が「オロナミンCドリンク」を発売

アメリカ軍による北ベトナム爆撃が始まる(北爆)

・淀橋浄水場廃止

朝永振一郎ノーベル物理学賞受賞が決定

・中国で文化大革命が始まる

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1954年(昭和29年

武田薬品工業が「アリナミン糖衣錠」を発売

・日本の高度経済成長期が始まったとされる年

アメリカで世界初のカラーテレビの本放送開始

・NHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始

ニッポン放送開局

琉球放送(RBC)開局

・遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びる

・洞爺丸事故

加藤芳郎4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始→2001年終了

・映画『ゴジラ』(シリーズ第1作)公開

1955年(昭和30年

トヨタ自動車が「クラウン」を発売

日産自動車が「ダットサン・110」を発売

武田薬品工業が総合感冒薬「ベンザ」を発売。

ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化

・広辞苑初版発行(岩波書店

後楽園遊園地が完成

自由民主党日本社会党二大政党制55年体制)が始まる→1993年崩壊

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1944年(昭和19年)

・全国の新聞で夕刊が廃止

・日本軍がインパール作戦を開始

・松竹少女歌劇団解散→松竹芸能本部女子挺身隊結成

関西急行鉄道南海鉄道が合併し、近畿日本鉄道設立

アメリカ軍サイパン島に上陸、日本軍が全滅

・連合軍によるパリの解放

ゾルゲ事件

・東海道沖で東南海地震発生/マグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件

1945年(昭和20年

・ 2月 4日 ヤルタ会談ルーズベルトチャーチルスターリン

2月18日 アメリカ軍硫黄島に上陸

2月14日 近衛文麿昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)

3月10日東京大空襲」/死者は約10万人

・ 4月 1日 アメリカ軍沖縄本島に上陸

6月13日 大田実司令官が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後自決

6月23日 沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決/実質的な戦闘終結

7月26日 ポツダム宣言発表/連合国は日本に降伏を要求

・ 8月 6日 広島市へ原子爆弾投下

・ 8月 9日 ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始

・ 8月 9日 長崎市へ原子爆弾投下

8月10日 御前会議(ポツダム宣言の受諾の可否について)

8月15日 正午「玉音放送

8月18日 満州国皇帝愛新覚羅溥儀退位

8月27日 占領軍向け特殊慰安施設の第1号開業(小町園、東京大森)

・ 9月 2日 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印(第二次世界大戦終結)

9月25日 外国人記者2名が昭和天皇インタビューを行う

10月19日 駅名の表記が左書きに統一される

12月31日 NHKラジオ第1で『紅白音楽試合』

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1934年(昭和9年)

・ドイツ・ポーランド不可侵条約締結

日比谷映画劇場開場

忠犬ハチ公銅像除幕式

クライド・バロウとボニー・パーカーが警官隊に射殺される

東郷平八郎元帥国葬(日比谷公園

・満鉄が大連―新京間で「特急あじあ号」の運転を開始

東北地方で冷害が発生、凶作被害甚大

ヨシフ・スターリンの「大粛清」始まる

1935年(昭和10年)

築地市場開場

フランス人民戦線結成

モノポリー発売(パーカーブラザーズ社から)

日本ペンクラブ発足(初代会長島崎藤村

・天理教本部が脱税で捜索

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1924年(大正13年)

・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚

・日本でメートル法が採用

阪神甲子園球場完成

・孫文が神戸市で大アジア主義講演

谷崎潤一郎痴人の愛』連載開始(大阪朝日新聞

宮沢賢治春と修羅』出版

トーマス・マン『魔の山』

1925年(大正14年)

イタリアベニート・ムッソリーニが独裁宣言

・日ソ基本条約締結(日本はソ連を承認)

治安維持法公布

朝鮮総督府庁舎完成

・上海で五・三〇事件

ベトナムホー・チ・ミンベトナム青年同志会を結成

・広東に国民政府が成立

東京放送局(後の日本放送協会)がラジオ放送開始

鈴木商店(後の味の素)設立

・芦ノ湖にブラックバスが放流

・娯楽雑誌『キング』創刊

同人雑誌『青空』創刊、巻頭作は梶井基次郎の『檸檬』

……これ読んだ若い頃、スーパーのおさかなコーナーで働いてた。

まな板の上にレモン置いて帰ろうかと思ったな。

なつかしい。

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1914年(大正3年)

・孫文らが東京で中華革命党を結成

サラエヴォ事件→オーストリア=ハンガリー帝国セルビア最後通牒

オーストリアセルビア宣戦布告し、第一次大戦が始まる

・三越呉服店新装開店(エスカレーターライオン像が話題に)

・『少年倶楽部』創刊

1915年(大正4年)

第一次世界大戦:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される

袁世凱中華帝国の皇帝を宣し、元号を洪憲とした

サマセット・モーム『人間の絆』

芥川龍之介『羅生門』

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数字と固有名詞と記憶と今がごっちゃになって、ちょっと気持ちいい。

自分がさかなクンと同い年なのは知っていたが、ぺヤングとも同い年とは知らなかった。

それと昭和、長いな。

明日も朝早いし、そろそろ寝る。

2012-10-18

本州の人にはなかなかわかってもらえない沖縄のこと

http://togetter.com/li/391689

まさか鵜呑みにしちゃっている人いないよね?

> 実際、レイプってあまり聞きません。

そりゃレイプ被害にあったことを回りに言いふらすやつはいないだろうよ。加害者がどこの国の人間だろうとね。

> 多分、日本米軍が起こす殆どの事件は海兵隊だと思う。

陸海空海兵隊問わず事件起こしてるけどね。

> 基本的に地元人と軍人が遊ぶ場所はそれほどかぶらない。

屈強な米兵がうじゃうじゃ居る場所にあえて行くやつは少ないだろうよ。

> 互いのテリトリーを知ってか知らずか超えてしまった時に不幸な事件が起こる確率が高くなる。

米兵が犯罪犯しに超えて来るんだよ。

沖縄本島には10年以上いたけど米軍さんの振る舞いで嫌な思いをしたり危険を感じた事は皆無だったな。

基地周辺に近づかなければ直接体験する可能性は低いよね。米軍の事件事故無視し続ければ、嫌な思いはしないよね。

米軍さんが起こした時にあたか日常茶飯事の如く報道して情報操作するメディアがとてもいけ好かない。

大きく取り上げてはいるけど、「日常茶飯事の如く」って感じるのはマジ主観だよねー。

全体に、「ネットで知った真実」が散りばめられているように見える。アメ女周りの話はネタ

本州って言い回し面白いよね。九州四国北海道にはすぐ分かってもらえるのか。

沖縄の人だと普通、県外のことを内地とか本土っていうけど、この人はどうしても沖縄の人たちと同じ言い回しをしたくないんだろうなー、なんてことをぼんやりと思った。

まあ、主観ですけどね。

2011-12-13

気象庁地震速報リストメモコピペ)しとく11

その1 http://anond.hatelabo.jp/20110312041916

その10 http://anond.hatelabo.jp/20110906023846

気象庁の… http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html

平成24年03月15日02時01分	15日01時57分頃	茨城県北部	M3.7	震度3
平成24年03月14日22時34分	14日22時29分頃	千葉県東方沖	M4.5	震度3
平成24年03月14日21時09分	14日21時05分頃	千葉県東方沖	M6.1	震度5強
平成24年03月14日19時55分	14日19時49分頃	三陸沖	M5.9	震度3
平成24年03月14日18時14分	14日18時09分頃	三陸沖	M6.8	震度4
平成24年03月12日08時01分	12日07時58分頃	熊本県熊本地方	M3.9	震度4
平成24年03月11日17時36分	11日17時33分頃	十勝地方中部 	M4.5	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━366日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年03月10日03時18分	10日03時15分頃	茨城県北部	M3.9	震度3
平成24年03月10日02時29分	10日02時25分頃	茨城県北部	M5.5	震度5弱
平成24年03月09日01時45分	 9日01時41分頃	宮城県沖	M4.4	震度3
平成24年03月08日12時27分	 8日12時23分宮城県沖	M4.7	震度3
平成24年03月08日03時55分	 8日03時51分頃	茨城県南部	M4.3	震度3
平成24年03月08日00時22分	 8日00時19分頃	新潟県中越地方	M2.7	震度3
平成24年03月05日15時29分	 5日15時24分頃	岩手県沖	M5.0	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━360日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年03月04日14時18分	 4日14時15分頃	茨城県北部	M3.3	震度3
平成24年03月01日23時53分	 1日23時50分頃	福島県沖	M4.2	震度3
平成24年03月01日07時36分	 1日07時32分頃	茨城県沖	M5.4	震度5弱
平成24年02月29日23時37分	29日23時32分頃	千葉県東方沖	M5.8	震度4
平成24年02月29日18時04分	29日18時00分頃	福島県沖	M5.3	震度4
平成24年02月29日02時01分	29日01時57分頃	千葉県東方沖	M4.3	-
平成24年02月28日14時24分	28日14時20分頃	茨城県沖	M5.1	震度4
平成24年02月28日04時36分	28日04時32分頃	沖縄本島近海	M5.6	震度3平成24年02月28日04時36分	28日04時32分頃	沖縄本島近海	M5.6	震度3平成24年02月28日01時34分	28日01時30分頃	宮城県沖	M4.5	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━350日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年02月24日13時14分	24日13時10分頃	茨城県南部	M4.3	震度3
平成24年02月24日04時31分	24日04時28分頃	岩手県沖	M4.7	震度3
平成24年02月20日13時31分	20日13時28分頃	茨城県北部	M3.4	震度3
平成24年02月19日14時58分	19日14時54分頃	茨城県北部	M5.1	震度5弱
平成24年02月18日23時29分	18日23時20分頃	茨城県沖	M4.8	震度3平成24年02月18日23時24分	18日23時20分頃	茨城県沖	M4.8	震度3平成24年02月18日14時16分	18日14時13分千葉県北西部	M4.2	震度4
平成24年02月18日14時00分	18日13時56分頃	千葉県北西部	M3.8	震度3
平成24年02月16日14時13分	16日14時09分頃	宮城県沖	M4.4	震度3
平成24年02月16日13時54分	16日13時50分頃	北海道南西沖	M4.4	震度3
平成24年02月16日02時36分	16日02時32分頃	茨城県沖	M4.4	震度3
平成24年02月15日15時33分	15日15時28分頃	福島県沖	M4.7	震度3
平成24年02月15日13時39分	15日13時36分頃	渡島地方東部	M3.5	震度3
平成24年02月14日21時43分	14日21時40分頃	長野県北部	M3.5	震度4
平成24年02月14日15時27分	14日15時22分頃	茨城県沖	M6.2	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━340日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年02月14日12時32分	14日12時28分頃	茨城県沖	M5.5	震度3
平成24年02月12日04時59分	12日04時56分頃	宮城県沖	M4.5	震度3
平成24年02月11日10時31分	11日10時27分頃	茨城県南部	M4.7	震度3
平成24年02月10日13時59分	10日13時56分頃	秋田県内陸北部	M3.7	震度3
平成24年02月10日06時56分	10日06時52分頃	宮城県中部	M4.4	震度3
平成24年02月09日15時17分	 9日15時14分頃	伊豆半島東方沖	M3.9	震度3
平成24年02月09日12時59分	 9日12時55分頃	日向灘	M4.6	震度3
平成24年02月08日21時05分	 8日21時01分頃	佐渡付近	M5.7	震度5強
平成24年02月08日20時39分	 8日20時36分頃	茨城県沖	M3.9	震度3
平成24年02月08日06時45分	 8日06時41分頃	茨城県沖	M4.1	震度4
平成24年02月06日07時10分	 6日07時05分頃	茨城県沖	M5.0	震度3
平成24年02月05日09時02分	 5日08時59分頃	茨城県沖	M4.3	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━330日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年02月01日16時47分	 1日16時44分頃	宮古島近海	M4.2	震度3
平成24年01月30日03時21分	30日03時18分頃	日向灘	M4.8	震度4
平成24年01月29日16時51分	29日16時46分頃	山梨県東部・富士五湖 	M4.7	震度4
平成24年01月28日21時48分	28日21時44分頃	岩手県沖	M4.9	震度3
平成24年01月28日14時24分	28日14時21分頃	茨城県沖	M4.9	震度4
平成24年01月28日09時26分	28日09時22分頃	岩手県沖	M5.6	震度4
平成24年01月28日08時07分	28日08時04分頃	山梨県東部・富士五湖 	M4.1	震度3
平成24年01月28日07時51分	28日07時46分頃	山梨県東部・富士五湖 	M4.1	震度3
平成24年01月28日07時48分	28日07時43分山梨県東部・富士五湖 	M5.5	震度5弱
平成24年01月28日07時44分	28日07時39分頃	山梨県東部・富士五湖 	M5.0	震度4
平成24年01月27日13時23分	27日13時19分頃	千葉県東方沖	M5.1	震度3
平成24年01月26日05時47分	26日05時43分宮城県沖	M5.1	震度4
━━━━━━━━━━━━━━━320日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年01月24日17時11分	24日17時07分頃	福島県沖	M4.5	震度3
平成24年01月23日20時49分	23日20時45分頃	福島県沖	M5.1	震度5弱
平成24年01月23日07時55分	23日07時52分頃	宮城県沖	M4.1	震度3
平成24年01月22日10時24分	22日10時20分頃	茨城県南部	M4.1	震度3
平成24年01月19日22時13分	19日22時09分頃	千葉県東方沖	M4.5	震度3
平成24年01月18日22時33分	18日22時29分頃	福島県浜通り	M4.0	震度3
平成24年01月18日17時58分	18日17時55分頃	宮城県沖	M4.3	震度3
平成24年01月18日12時13分	18日12時10分頃	福島県浜通り	M4.2	震度3
平成24年01月17日12時33分	17日12時30分頃	茨城県南部	M4.7	震度3
平成24年01月15日19時40分	15日19時36分頃	宮城県沖	M4.1	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━310日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年01月14日19時01分	14日18時58分頃	岩手県沖	M4.7	震度3
平成24年01月13日21時53分	13日21時50分頃	茨城県北部	M3.9	震度3
平成24年01月12日20時14分	12日20時11分頃	福島県浜通り	M3.6	震度3
平成24年01月12日14時42分	12日14時37分頃	宮城県沖	M5.4	震度3
平成24年01月12日12時25分	12日12時20分頃	福島県沖	M5.8	震度4
平成24年01月12日10時43分	12日10時40分頃	茨城県沖	M4.8	震度3
平成24年01月11日15時05分	11日15時00分頃	留萌地方南部	M4.0	震度3
平成24年01月11日06時25分	11日06時22分頃	福島県沖	M4.4	震度3
平成24年01月09日07時17分	 9日07時13分岩手県沖	M5.0	震度3
平成24年01月09日01時56分	 9日01時52分頃	千葉県北東部	M3.9	震度3
平成24年01月09日00時40分	 9日00時37分頃	和歌山県北部	M4.7	震度3
平成24年01月07日19時47分	 7日19時43分福島県沖	M4.6	震度3
平成24年01月06日06時01分	 6日05時55分頃	茨城県沖	M4.4	震度3
平成24年01月06日01時51分	 6日01時47分頃	宮城県沖	M4.9	震度3
平成24年01月05日22時17分	 5日22時13分福島県中通り	M4.1	震度4
平成24年01月05日21時41分	 5日21時37分頃	福島県中通り	M4.2	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━300日間━━━━━━━━━━━━━━
平成24年01月01日14時37分	 1日14時28分頃	鳥島近海	M7.0	震度4平成24年01月01日14時34分	 1日14時28分頃	鳥島近海	M7.0	震度4平成24年01月01日00時32分	 1日00時29分頃	新潟県中越地方	M4.1	震度4
平成23年12月31日08時14分	31日08時11分頃	茨城県北部	M4.5	震度3
平成23年12月30日18時38分	30日18時35分頃	宮城県沖	M4.2	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━290日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年12月24日15時18分	24日15時14分頃	福島県浜通り	M4.0	震度3
平成23年12月24日11時24分	24日11時21分頃	山形県置賜地方	M3.9	震度3
平成23年12月22日05時14分	22日05時10分頃	福島県沖	M4.6	震度3
平成23年12月21日11時11分	21日11時06分頃	岩手県沖	M4.6	震度3
平成23年12月20日18時15分	20日18時10分頃	茨城県北部	M3.3	震度3
平成23年12月20日15時31分	20日15時26分頃	岩手県沖	M5.0	震度3
平成23年12月20日10時39分	20日10時35分頃	秋田県内陸南部	M2.6	震度3
平成23年12月20日02時31分	20日02時24分頃	茨城県北部	M4.3	震度3
平成23年12月20日02時27分	20日02時24分頃	茨城県北部	M4.3	震度3
平成23年12月19日23時43分	19日23時40分頃	茨城県北部	M4.1	震度3
平成23年12月19日16時05分	19日16時01分頃	千葉県東方沖	M4.6
平成23年12月19日05時39分	19日05時36分頃	石川県能登地方	M4.1
平成23年12月18日18時05分	18日18時02分頃	千葉県東方沖	M4.8
平成23年12月17日17時53分	17日17時50分頃	能登半島沖	M4.3
平成23年12月16日15時16分	16日15時12分頃	栃木県南部	M4.3	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━280日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年12月15日07時49分	15日07時45分頃	茨城県沖	M4.3	震度3
平成23年12月14日13時11分	14日13時01分頃	岐阜県美濃東部	M5.2	震度4
(平成23年12月14日13時04分	14日13時01分頃	岐阜県美濃東部	M5.2	震度4)
平成23年12月12日14時17分	12日14時13分茨城県沖	M4.7	震度3
平成23年12月12日04時55分	12日04時51分頃	茨城県沖	M4.6	震度3
平成23年12月11日20時20分	11日20時16分頃	茨城県北部	M4.1	震度3
平成23年12月11日12時34分	11日12時30分頃	奄美大島近海	M4.4	震度3
平成23年12月11日10時27分	11日10時22分頃	奄美大島近海	M5.4	震度4
平成23年12月10日15時12分	10日15時08分頃	宮城県沖	M4.7	震度4
平成23年12月10日04時49分	10日04時43分オホーツク海南部	M5.7	震度3
平成23年12月10日00時27分	10日00時23分茨城県沖	M4.2	震度3
平成23年12月08日01時16分	 8日01時12分頃	能登半島沖	M4.1	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━270日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年12月06日12時41分	 6日12時38分頃	福島県会津	M3.2	震度3
平成23年12月05日04時23分	 5日04時20分頃	宮城県沖	M4.4	震度3
平成23年12月05日01時06分	 5日01時02分頃	豊後水道	M4.0	震度3

2011-09-06

気象庁地震速報リストメモコピペ)しとく10

その1 http://anond.hatelabo.jp/20110312041916

その9 http://anond.hatelabo.jp/20110706034608

気象庁の… http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html

平成23年12月03日13時20分	 3日13時16分頃	宮城県沖	M4.3	震度3
平成23年12月03日06時07分	 3日06時03分千葉県南部	M4.4	震度3
平成23年12月03日05時59分	 3日05時55分頃	千葉県南部	M5.2	震度4
平成23年12月02日09時54分	 2日09時50分頃	宮城県沖	M4.7	震度3
平成23年12月01日22時28分	 1日22時24分頃	長野県北部	M4.5	震度3
平成23年11月30日21時58分	30日21時55分頃	宮城県沖	M4.0	震度3
平成23年11月29日03時56分	29日03時53分宮城県沖	M4.4	震度3
平成23年11月28日23時37分	28日23時33分茨城県沖	M4.4	震度3
平成23年11月26日20時13分	26日20時09分頃	福島県沖	M4.3	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━260日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年11月26日10時47分	26日10時43分宮城県沖	M4.4	震度3
平成23年11月26日09時19分	26日09時16分頃	福島県会津	M3.6	震度3
平成23年11月26日09時10分	26日09時05分頃	佐渡付近	M4.4	震度3

平成23年11月25日21時41分	25日21時38分頃	茨城県沖	M3.8	震度3
平成23年11月25日05時17分	25日05時14分頃	静岡県東部	M2.7	震度3
平成23年11月25日04時55分	25日04時52分頃	広島県北部	M4.3	震度3
平成23年11月25日04時38分	25日04時35分頃	広島県北部	M4.6	震度4
平成23年11月25日02時42分	25日02時39分頃	福島県会津	M3.1	震度3
平成23年11月24日19時30分	24日19時25分頃	浦河沖	M6.1	震度5弱
平成23年11月24日04時28分	24日04時24分頃	福島県沖	M6.0	震度4
平成23年11月21日19時20分	21日19時16分頃	広島県北部	M5.4	震度5弱
平成23年11月20日10時33分	20日10時26分頃	茨城県北部	M4.7	震度3
平成23年11月20日10時27分	20日10時23分茨城県北部	M5.5	震度5強
平成23年11月20日06時03分	20日06時00分頃	福島県会津	M3.2	震度3
平成23年11月20日02時40分	20日02時37分頃	福島県沖	M4.6	震度3
平成23年11月19日19時10分	19日19時07分頃	福島県浜通り	M4.2	震度3
平成23年11月18日04時01分	18日03時58分頃	福井県嶺北 	M4.8	震度4
平成23年11月17日19時12分	17日19時09分頃	福井県嶺北 	M3.9	震度3
平成23年11月17日17時38分	17日17時34分頃	宮城県沖	M4.6	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━250日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年11月14日09時28分	14日09時25分頃	熊本県熊本地方	M3.0	震度3
平成23年11月13日18時09分	13日18時05分頃	福島県沖	M4.0	震度3
平成23年11月13日00時32分	13日00時29分頃	福島県会津	M3.3	震度3
平成23年11月10日18時59分	10日18時56分頃	愛知県西部	M3.9	震度3
平成23年11月10日07時46分	10日07時43分秋田県内陸南部	M4.1	震度4
平成23年11月09日14時28分	 9日14時24分頃	茨城県沖	M4.0	震度3
平成23年11月08日12時09分	 8日11時59分頃	沖縄本島北西沖	M6.8	震度4平成23年11月08日12時03分	 8日11時59分頃	沖縄本島北西沖	M6.8	震度4平成23年11月08日03時34分	 8日03時30分頃	福島県中通り	M3.8	震度3
平成23年11月07日23時46分	 7日23時42分頃	栃木県北部	M4.5	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━240日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年11月05日00時49分	 5日00時45分頃	茨城県北部	M4.2	震度3
平成23年11月04日12時03分	 4日11時59分頃	茨城県沖	M4.8	震度3
平成23年11月03日19時38分	 3日19時34分頃	茨城県南部	M4.9	震度4
平成23年11月02日10時46分	 2日10時43分岩手県沖	M4.4	震度3
平成23年11月01日06時02分	 1日05時59分頃	釧路沖	M4.4	震度3
平成23年10月29日15時28分	29日15時24分頃	宮城県沖	M4.9	震度3
平成23年10月28日05時33分	28日05時29分頃	山形県置賜地方	M4.1	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━230日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年10月26日13時23分	26日13時19分頃	茨城県沖	M4.0	震度3
平成23年10月26日07時02分	26日06時58分頃	鹿児島県薩摩地方	M3.9	震度3
平成23年10月26日02時12分	26日02時08分頃	福島県沖	M5.0	震度3
平成23年10月25日12時57分	25日12時54分頃	福島県沖	M4.3	震度3
平成23年10月24日04時02分	24日03時58分頃	岩手県沖	M4.2	震度3
平成23年10月21日17時06分	21日17時03分上川地方中部	M6.2	震度3
平成23年10月20日06時24分	20日06時21分頃	福島県浜通り	M4.4	震度3
平成23年10月20日06時17分	20日06時13分福島県浜通り	M4.1	震度3
平成23年10月19日16時09分	19日16時05分頃	福島県浜通り	M4.1	震度3
平成23年10月19日16時09分	19日16時05分頃	福島県浜通り	M4.1	震度3
平成23年10月18日18時09分	18日18時06分頃	宮城県沖	M4.0	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━220日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年10月15日11時58分	15日11時55分頃	茨城県北部	M4.2	震度3
平成23年10月13日02時48分	13日02時44分頃	福島県中通り	M3.2	震度3
平成23年10月12日06時35分	12日06時32分頃	佐渡付近	M4.3	震度3
平成23年10月10日11時50分	10日11時46分頃	福島県沖	M5.6	震度4
平成23年10月10日03時04分	10日03時00分頃	山梨県東部・富士五湖 	M3.3	震度3
平成23年10月09日16時21分	 9日16時18分頃	大阪府南部	M3.9	震度3
平成23年10月09日02時25分	 9日02時20分頃	熊本県熊本地方	M3.0	震度3
平成23年10月08日06時15分	 8日06時11分頃	紀伊水道	M4.4	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━210日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年10月07日11時54分	 7日11時51分頃	浦河沖	M4.8	震度3
平成23年10月07日07時04分	 7日07時01分頃	福島県沖	M4.2	震度3
平成23年10月06日19時41分	 6日19時37分頃	長野県北部	M4.5	震度3
平成23年10月06日17時43分	 6日17時39分頃	栃木県北部	M3.8	震度3
平成23年10月05日23時36分	 5日23時33分熊本県熊本地方	M4.4	震度5強
平成23年10月05日19時18分	 5日19時13分長野県北部	M3.7	-
平成23年10月05日19時09分	 5日19時06分頃	長野県北部	M5.1	震度4
平成23年10月05日19時03分	 5日19時00分頃	長野県北部	M5.3	震度3
平成23年10月05日14時21分	 5日14時17分頃	岩手県沖	M4.8	震度4
平成23年10月04日19時29分	 4日19時25分頃	福島県浜通り	M4.2	震度3
平成23年10月04日19時23分	 4日19時19分頃	徳島県北部 	M4.3	震度3
平成23年10月03日07時33分	 3日07時29分頃	福島県浜通り	M4.2	震度3
平成23年10月02日22時54分	 2日22時51分頃	新潟県中越地方	M3.2	震度3
平成23年10月02日06時27分	 2日06時24分頃	福島県沖	M3.9	震度3
平成23年10月01日06時40分	 1日06時37分頃	福島県中通り	M4.1	震度3
平成23年10月01日02時23分	 1日02時20分頃	千葉県東方沖	M4.7	震度3
平成23年09月30日13時32分	30日13時30分頃	福島県浜通り	M3.7	震度3
平成23年09月30日01時58分	30日01時54分頃	福島県浜通り	M4.2	震度3
平成23年09月29日19時09分	29日19時05分頃	福島県沖	M5.6	震度5強
平成23年09月29日04時21分	29日04時18分頃	福島県沖	M4.4	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━200日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年09月26日22時49分	26日22時46分頃	茨城県北部	M4.3	震度4
平成23年09月26日17時23分	26日17時20分頃	福島県会津	M4.1	震度4
平成23年09月26日16時53分	26日16時49分頃	浦河沖	M4.3	震度4
平成23年09月26日14時43分	26日14時39分頃	福島県会津	M4.0	震度3
平成23年09月26日07時37分	26日07時30分頃	茨城県北部	M4.0	震度3
平成23年09月25日11時02分	25日10時58分頃	福島県浜通り	M3.4	震度3
平成23年09月25日03時16分	25日03時12分頃	福島県浜通り	M3.5	-
平成23年09月24日02時53分	24日02時48分頃	茨城県北部	M3.7	震度3
平成23年09月23日22時16分	23日22時12分頃	岩手県沖	M5.0	震度3
平成23年09月23日17時20分	23日17時15分頃	茨城県北部	M5.1	震度4
平成23年09月23日05時04分	23日04時59分頃	福島県沖	M4.7	震度3
平成23年09月22日14時50分	22日14時46分頃	茨城県沖	M4.7	震度3
平成23年09月21日22時40分	21日22時30分頃	茨城県北部	M5.3	震度5弱平成23年09月21日22時34分	21日22時30分頃	茨城県北部	M5.3	震度5弱平成23年09月21日06時03分	21日05時59分頃	宮城県沖	M4.7	震度3
平成23年09月19日03時36分	19日03時32分頃	福島県沖	M5.1	震度3
平成23年09月18日19時43分	18日19時39分頃	浦河沖	M4.9	震度4
平成23年09月18日16時09分	18日16時04分頃	三陸沖	M5.9	震度3
平成23年09月18日12時32分	18日12時28分頃	秋田県内陸南部	M4.0	震度3
平成23年09月18日00時17分	18日00時13分宮城県沖	M4.3	震度3
平成23年09月17日16時39分	17日16時34分頃	岩手県沖	M5.6	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━190日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年09月17日07時44分	17日07時41分頃	三陸沖	M5.7	震度3
平成23年09月17日06時42分	17日06時36分頃	三陸沖	M5.7	震度3
平成23年09月17日06時14分	17日06時08分頃	岩手県沖	M5.9	震度3
平成23年09月17日04時32分	17日04時26分頃	岩手県沖	M6.3	震度4
平成23年09月16日11時07分	16日11時03分福島県浜通り	M4.4	震度3
平成23年09月16日07時18分	16日07時15分頃	奈良県	M4.3	震度3
平成23年09月15日17時04分	15日17時00分頃	茨城県沖	M6.2	震度4
平成23年09月15日04時28分	15日04時24分頃	浦河沖	M3.1	震度3
平成23年09月15日00時01分	14日23時56分頃	福島県沖	M4.5	震度3
平成23年09月14日04時25分	14日04時21分頃	茨城県北部	M4.0	震度3
平成23年09月13日23時18分	13日23時14分頃	宮城県沖	M4.6	震度3
平成23年09月13日10時26分	13日10時22分頃	茨城県北部	M3.7	震度3
平成23年09月13日02時47分	13日02時42分頃	茨城県沖	M4.4	震度4
平成23年09月13日01時55分	13日01時50分頃	日高地方西部	M4.5	震度3
平成23年09月11日19時13分	11日19時09分頃	千葉県北西部	M4.2	震度3
平成23年09月10日17時39分	10日17時36分頃	浦河沖	M3.2	震度3
平成23年09月10日15時04分	10日15時00分頃	茨城県沖	M4.8	震度4
平成23年09月10日00時54分	10日00時51分頃	浦河沖	M3.4	震度3
平成23年09月09日07時09分	 9日07時06分頃	岩手県沖	M4.7	震度3
平成23年09月09日06時56分	 9日06時52分頃	浦河沖	M2.9	震度3
平成23年09月08日22時43分	 8日22時38分頃	福島県沖	M5.2	震度3
平成23年09月08日20時01分	 8日19時58分頃	香川県西部	M3.7	震度3
平成23年09月08日18時05分	 8日18時02分頃	浦河沖	M3.1	震度3
平成23年09月08日03時54分	 8日03時50分頃	浦河沖	M3.3	震度3
平成23年09月07日23時45分	 7日23時37分頃	浦河沖	M2.9	震度3平成23年09月07日23時41分	 7日23時37分頃	浦河沖	M2.9	-)
平成23年09月07日22時34分	 7日22時29分頃	浦河沖	M5.1	震度5強
平成23年09月07日15時28分	 7日15時24分頃	熊本県熊本地方	M3.4	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━180日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年09月07日07時31分	 7日07時27分頃	浦河沖	M4.3	震度4
平成23年09月05日21時18分	 5日21時14分頃	福島県沖	M4.9	震度3平成23年03月11日14時53分	11日14時46分頃	三陸沖	M7.9(M9.0)	震度7

2011-07-06

気象庁地震速報リストメモコピペ)しとく9

その1 http://anond.hatelabo.jp/20110312041916

その8 http://anond.hatelabo.jp/20110602112034

気象庁の… http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_singendo_index.html

平成23年09月05日21時18分	 5日21時14分頃	福島県沖	M4.9	震度3
平成23年09月04日05時56分	 4日05時53分埼玉県南部 	M4.7	震度3
平成23年09月02日13時51分	 2日13時48分頃	宮城県沖	M4.3	震度3
平成23年09月01日11時54分	 1日11時50分頃	茨城県沖	M4.2	震度3
平成23年08月31日18時36分	31日18時33分千葉県北西部	M4.5	震度3
平成23年08月31日02時25分	31日02時20分頃	千葉県東方沖	M4.3	震度3
平成23年08月30日03時25分	30日03時22分頃	茨城県沖	M4.6	震度3
平成23年08月29日01時02分	29日00時55分頃	トカラ列島近海	M3.1	震度3
平成23年08月28日18時27分	28日18時23分和歌山県北部	M4.0	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━170日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年08月27日14時09分	27日14時05分頃	茨城県沖	M4.3	震度4
平成23年08月27日11時39分	27日11時35分頃	茨城県北部	M4.3	震度3
平成23年08月23日07時08分	23日07時04分頃	福島県浜通り	M4.3	震度3
平成23年08月23日00時29分	23日00時26分頃	福島県沖	M4.5	震度3
平成23年08月22日21時25分	22日21時21分頃	福島県沖	M4.2	震度3
平成23年08月22日20時29分	22日20時23分茨城県沖	M6.0	震度3
平成23年08月22日17時40分	22日17時36分頃	茨城県南部	M4.6	震度3
平成23年08月22日09時10分	22日09時07分頃	十勝地方中部 	M4.7	震度4
平成23年08月22日07時09分	22日07時05分頃	福島県沖	M4.5	震度4
平成23年08月22日04時46分	22日04時42分頃	宮城県沖	M4.2	震度3
平成23年08月21日19時55分	21日19時50分頃	秋田県内陸南部	M3.1	震度3
平成23年08月21日08時02分	21日07時58分頃	宮城県沖	M4.7	震度4
平成23年08月21日04時41分	21日04時37分頃	宮城県沖	M4.4	震度3
平成23年08月19日14時41分	19日14時36分頃	福島県沖	M6.8	震度5弱
平成23年08月19日13時54分	19日13時51分頃	岩手県沖	M4.4	震度3
平成23年08月19日13時47分	19日13時43分茨城県北部	M3.4	震度3
平成23年08月19日11時32分	19日11時29分頃	根室半島南東沖	M4.2	震度3
平成23年08月19日00時43分	19日00時39分頃	茨城県南部	M4.0	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━160日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年08月17日12時17分	17日12時14分頃	宮城県沖	M4.6	震度3
平成23年08月17日12時08分	17日12時05分頃	宮城県沖	M5.2	震度4
平成23年08月17日09時27分	17日09時23分茨城県南部	M4.4	震度4
平成23年08月17日04時41分	17日04時35分頃	岩手県沖	M5.4	震度3
平成23年08月16日19時20分	16日19時16分頃	茨城県北部	M4.6	震度3
平成23年08月15日22時34分	15日22時31分頃	福島県沖	M4.1	震度3
平成23年08月15日15時30分	15日15時26分頃	茨城県南部	M4.7	震度4
平成23年08月14日18時59分	14日18時55分頃	福島県浜通り	M4.2	震度3
平成23年08月14日16時42分	14日16時38分頃	茨城県北部	M4.3	震度4
平成23年08月12日03時27分	12日03時22分頃	福島県沖	M6.0	震度5弱
平成23年08月11日22時35分	11日22時31分頃	宮城県沖	M5.3	震度4
平成23年08月10日08時17分	10日08時13分和歌山県北部	M4.6	震度4
平成23年08月10日02時49分	10日02時45分頃	宮城県沖	M4.2	震度3
平成23年08月09日07時35分	 9日07時31分頃	浦河沖	M4.1	震度3
平成23年08月08日16時24分	 8日16時20分頃	福島県沖	M4.2	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━150日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年08月07日22時36分	 7日22時33分福島県浜通り	M4.3	震度3
平成23年08月07日12時41分	 7日12時33分茨城県北部	M4.8	震度4
平成23年08月06日16時20分	 6日16時15分頃	千葉県東方沖	M5.2	震度3
平成23年08月06日11時57分	 6日11時54分頃	福島県浜通り	M3.9	震度3
平成23年08月05日20時20分	 5日20時16分頃	福島県浜通り	M4.8	震度4
平成23年08月05日19時57分	 5日19時53分岩手県沖	M4.9	震度3
平成23年08月05日02時48分	 5日02時45分頃	千葉県東方沖	M4.4	震度3
平成23年08月02日13時43分	 2日13時39分頃	福島県会津	M3.6	震度3
平成23年08月02日10時49分	 2日10時46分頃	福島県会津	M3.5	震度3
平成23年08月02日00時02分	 1日23時58分頃	駿河湾	M6.1	震度5弱
平成23年08月01日22時48分	 1日22時44分頃	岩手県沖	M5.7	震度4
平成23年08月01日15時58分	 1日15時55分頃	宮城県沖	M4.6	震度3
平成23年08月01日02時41分	 1日02時36分頃	浦河沖	M5.4	震度4
平成23年07月31日14時23分	31日14時20分頃	青森県東方沖	M4.2	震度3
平成23年07月31日03時58分	31日03時54分頃	福島県沖	M6.4	震度5強
平成23年07月30日10時11分	30日10時07分頃	和歌山県北部	M4.0	震度3
平成23年07月29日23時58分	29日23時53分福島県沖	M5.5	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━140日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年07月29日01時04分	29日01時01分頃	宮城県沖	M4.1	震度3
平成23年07月27日21時37分	27日21時33分茨城県北部	M3.5	震度3
平成23年07月27日01時53分	27日01時49分頃	新潟県中越地方	M3.7	震度3
平成23年07月26日22時41分	26日22時36分頃	宮城県沖	M4.5	震度3
平成23年07月26日08時02分	26日07時58分頃	浦河沖	M4.8	震度3
平成23年07月26日05時39分	26日05時35分頃	茨城県沖	M4.3	震度3
平成23年07月25日20時59分	25日20時55分頃	千葉県東方沖	M5.7	震度3
平成23年07月25日20時08分	25日20時04分頃	宮城県沖	M5.1	震度3
平成23年07月25日04時01分	25日03時51分頃	福島県沖	M6.2	震度5弱平成23年07月25日03時56分	25日03時51分頃	福島県沖	M6.2	震度5弱平成23年07月25日00時11分	25日00時07分頃	宮城県沖	M5.2	震度3
平成23年07月24日23時36分	24日23時32分頃	三重県南部	M4.7	震度4
平成23年07月24日08時59分	24日08時56分頃	宮城県沖	M4.3	震度3
平成23年07月23日13時43分	23日13時34分頃	宮城県沖	M6.5	震度5強平成23年07月23日13時39分	23日13時34分頃	宮城県沖	M6.5	震度5強)
(平成23年07月21日04時22分	21日04時18分頃	沖縄本島近海	M5.3	震度4平成23年07月21日01時16分	21日01時12分頃	新潟県中越地方	M3.0	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━130日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年07月19日10時43分	19日10時39分頃	福島県沖	M5.3	震度3
平成23年07月19日05時26分	19日05時22分頃	駿河湾	M4.0	震度3
平成23年07月19日03時46分	19日03時41分頃	福島県浜通り	M3.6	震度3
平成23年07月17日09時59分	17日09時55分頃	福島県浜通り	M4.2	震度3
平成23年07月16日18時02分	16日17時57分頃	茨城県南部	M4.0	震度3
平成23年07月16日14時21分	16日14時17分頃	福島県沖	M4.4	震度3
平成23年07月16日06時14分	16日06時11分頃	茨城県北部	M3.7	震度3
平成23年07月15日21時05分	15日21時01分頃	茨城県南部	M5.5	震度5弱
平成23年07月15日12時25分	15日12時21分頃	福島県沖	M4.1	震度3
平成23年07月15日11時03分	15日10時59分頃	福島県中通り	M3.4	震度3
平成23年07月15日01時51分	15日01時47分頃	宮城県沖	M4.1	震度3
平成23年07月14日10時38分	14日10時35分頃	宮城県沖	M4.8	震度3
平成23年07月13日05時51分	13日05時47分頃	福島県沖	M5.3	震度4
平成23年07月13日00時41分	13日00時37分頃	宮城県沖	M5.1	震度4
平成23年07月12日18時03分	12日18時00分頃	宮城県沖	M4.9	震度4
平成23年07月12日10時38分	12日10時35分頃	福島県浜通り	M3.4	-
平成23年07月12日09時41分	12日09時38分頃	福島県浜通り	M3.7	震度3
平成23年07月11日13時33分	11日13時29分頃	岩手県沖	M5.0	震度4
平成23年07月11日10時39分	11日10時36分頃	宮城県沖	M4.5	震度3
平成23年07月11日09時12分	11日09時09分頃	福島県浜通り	M4.4	震度4
平成23年07月10日10時10分	10日10時04分頃	三陸沖	M5.0	-
平成23年07月10日10時07分	10日09時57分頃	三陸沖	M7.1	震度4平成23年07月10日10時02分	10日09時57分頃	三陸沖	M7.1	震度4平成23年07月09日22時45分	 9日22時41分頃	宮城県沖	M4.1	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━120日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年07月08日22時15分	 8日22時10分頃	岩手県沖	M4.8	震度3
平成23年07月08日11時48分	 8日11時43分宮城県沖	M4.0	震度3
平成23年07月08日03時40分	 8日03時35分頃	福島県沖	M5.6	震度4
平成23年07月07日00時19分	 7日00時15分頃	茨城県沖	M5.8	震度3
平成23年07月05日19時45分	 5日19時34分頃	和歌山県北部	M4.4	震度4平成23年07月05日19時38分	 5日19時34分頃	和歌山県北部	M4.4	震度4平成23年07月05日19時28分	 5日19時18分頃	和歌山県北部	M5.4	震度5強平成23年07月05日19時23分	 5日19時18分頃	和歌山県北部	M5.4	震度5強平成23年07月04日20時04分	 4日20時00分頃	福島県中通り	M4.3	震度3
平成23年07月04日11時11分	 4日11時07分頃	和歌山県南部	M4.1	震度3
平成23年07月03日18時23分	 3日18時19分頃	福島県沖	M3.9	震度3
平成23年07月03日02時15分	 3日02時11分頃	福島県会津	M3.8	震度4
平成23年07月02日07時32分	 2日07時28分頃	長野県中部	M4.0	震度3
平成23年06月30日19時26分	30日19時22分頃	福島県沖	M5.3	震度3
平成23年06月30日14時15分	30日14時11分頃	長野県中部	M3.9	震度4
平成23年06月30日13時58分	30日13時54分頃	長野県中部	M3.1	震度3
平成23年06月30日13時22分	30日13時18分頃	岩手県内陸北部 	M3.7	震度3
平成23年06月30日08時25分	30日08時21分頃	長野県中部	M5.1	震度4
平成23年06月30日08時21分	30日08時16分頃	長野県中部	M5.5	震度5強
平成23年06月30日07時19分	30日07時14分頃	千葉県北東部	M4.7	震度3
平成23年06月29日20時07分	29日20時04分頃	長野県中部	M2.7	震度3
平成23年06月29日19時35分	29日19時32分頃	長野県中部	M3.4	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━110日間━━━━━━━━━━━━━━
平成23年06月29日14時31分	29日14時27分頃	福島県会津	M3.3	震度3
平成23年06月29日11時08分	29日11時04分頃	福島県浜通り	M3.4	震度3平成23年06月28日21時21分	28日21時18分頃	熊本県熊本地方	M4.1	震度4平成23年06月28日12時49分	28日12時45分頃	福島県浜通り	M4.3	震度3
平成23年06月26日05時15分	26日05時11分頃	秋田県内陸南部	M3.9	震度3
平成23年06月25日17時29分	25日17時25分頃	福島県浜通り	M4.1	震度3
平成23年06月25日17時05分	25日17時01分頃	福島県浜通り	M4.1	震度3
平成23年06月25日16時09分	25日16時06分頃	福島県浜通り	M4.4	震度3
平成23年06月25日02時44分	25日02時39分頃	浦河沖	M5.3	震度3
平成23年06月24日23時50分	24日23時47分頃	福島県沖	M4.3	震度3
平成23年06月24日09時40分	24日09時36分頃	福島県会津	M3.5	震度3
平成23年06月23日19時38分	23日19時35分頃	宮城県沖	M5.3	震度4
平成23年06月23日17時26分	23日17時22分頃	福島県沖	M4.4	震度4
平成23年06月23日06時56分	23日06時51分頃	岩手県沖	M6.7	震度5弱
平成23年06月23日03時24分	23日03時19分頃	茨城県北部	M4.0	震度3
平成23年06月22日23時33分	22日23時29分頃	岩手県沖	M5.4	震度3
平成23年06月21日17時54分	21日17時49分頃	茨城県沖	M5.6	震度3
平成23年06月21日13時43分	21日13時40分頃	宮城県沖	M4.6	震度3
平成23年06月21日11時31分	21日11時28分頃	秋田県内陸南部	M3.3	震度3
平成23年06月20日10時51分	20日10時46分頃	千葉県東方沖	M4.6	震度3
平成23年06月20日06時59分	20日06時55分頃	福島県浜通り	M3.6	震度3
平成23年06月20日06時21分	20日06時17分頃	福島県浜通り	M3.7	震度3
平成23年06月20日04時02分	20日03時58分頃	福島県沖	M4.5	震度3
━━━━━━━━━━━━━━━100日間━━━━━━━━━━━━━━
(平成23年03月11日14時53分	11日14時46分頃	三陸沖	M7.9(M9.0)	震度7

2010-12-22

http://mainichi.jp/select/today/news/20101222k0000m010072000c.html

普天間:近隣施設「移転を支援」 外相沖縄知事に打診

 前原誠司外相は21日沖縄県を訪問し、仲井真弘多(なかいまひろかず)知事と昼食を交えて会談した。会談後の記者会見前原外相は、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)周辺地域危険性除去に向け、学校病院など近隣施設を一時的に移動させることに対し、政府として支援を検討する考えを示した名護市辺野古への移設にめどが立たないなか、飛行場の当面の継続使用を前提に、近隣の危険性除去に前向きに取り組む姿勢を見せることで沖縄の理解を得たい考えを示しただが基地撤去を求める沖縄側の反発も予想される。

 会談では仲井真知事が、普天間飛行場危険性除去に向けた政府の取り組みを要望。前原外相は「飛行場の周りで危険性除去の要望があれば出してほしい」と応じた。さらに「具体的な施設の移動や、それに対する対応策について、要望があれば政府の責任対応したい」と話した

 この後の会見で前原外相は「代替地が決まるまでは普天間飛行場継続使用されることになる。万一の事故による被害を最小限にするために、例えばバッファー緩衝地帯)を作るといったことを考えている」と述べ、危険性除去に向けた一時的な施設の移動に言及。「具体的な施設については知事から改めて言及をいただく」と述べ、個人的な見解として「普天間第二小学校や近接の病院など子どもやお年寄りにかかわる施設」を挙げた。

 また、前原外相は会談で、5月の日米合意で普天間移設とパッケージ(一括実施)になっている沖縄本島南部の基地の返還・縮小や米海兵隊グアム移転を挙げ「全体として沖縄の負担軽減につなげたい」と強調。これに対し仲井真知事は「パッケージだと何も前に進まない」と述べ、普天間以外の基地の先行返還を政府に求めた。「先行返還すれば、県民に対して目に見える負担軽減策となる」(県幹部)という意図があるが、前原外相は「パッケージは維持しながら、部分的に先行返還できるものがあるか、事務レベルで議論している」と述べるにとどめた。【西岡省二、井本義親】

普天間継続」って、何だかんだでこれが一番丸く収まる案なんじゃないの?

基地活動家は活動の名目が存続し続けるし、近隣住民に補助金継続支給されるし、与党としても「代替候補地を協議中」の看板をダラダラ掲げられるし、県知事は県外移設の建前を捨てずに住むし、移転費用節約できるし、良い事ずくめだよな。普天間危険性に怯える住民の意志がガチ無視されてるって点を除けば、だけど。

2010-05-25

普天間県内移設を沖縄島民に納得してもらう方法

  沖縄普天間県内移設に猛抗議している。

  しかし、アメリカは、物理的に沖縄本島以外の立地を認めない。

  ならば、沖縄島民が「受け入れたくなる」ように仕向けるしかない。

  現状では、沖縄島民は「米軍アメリカの侵略のために使われている」程度の認識である。

  これを「侵略からの防衛軍」という立ち居地に変更すればいい。

  しかし、沖縄島民に対して「中国の侵略」「北朝鮮の侵略」を唱えても、

  「荒唐無稽」と突っぱねられるだけである。

  沖縄島民が、唯一「侵略感情」を有するのは、唯一、大和民族に対してだけである。

  となると、倒錯した話であるが、

  「アメリカ軍海兵隊は、本当は、沖縄島民を、

   大和民族から守るための防衛軍なんだ」と説明した方が、

  沖縄島民の理解を得やすい。

  まさに、以前米軍司令官が口を滑らせた

  「日米安保は瓶の蓋論」である。

  なので、参議院選挙で、「立ち枯れ日本」、もとい

  「立ち上がれ日本」を大量当選させる。

  その上で、「立ちあがれ日本」は田母神閣下総裁に迎え入れ、

  「日米安保廃棄、自主防衛、核武装靖国遊就館史観復活」を主張させる。

  立ち上がれ日本フィクサーである石原閣下反米主義者なので、

  反米主張はお手のものだろう。

  こうすると、沖縄県民は、「天皇主義者靖国主義者による侵略の恐怖」に怯え、

  米軍に「助けを求める」だろう。

  なので、極めて逆説的だが、「立ち上がれ日本」を支持することが、

  「沖縄島民に県内移設を納得してもらう近道」になるのである。

2010-04-11

普天間基地移設問題で知っとくべき事実

http://anond.hatelabo.jp/20100410064212

個人的メモへの補足

アメリカ中国とは絶対に戦争をしない

朝鮮戦争の前半、アメリカは数に任せて押し寄せる膨大な中国軍に完全に敗北(その後、38度線まで押し戻すことに何とか成功)したトラウマから、全面的な対決は絶対に行わない。中国もそれは承知の上で、台湾が明確に中国から独立の意思を示していない今、あえて軍事占領するのは国際経済上の不利益が大きいと判断している。

アメリカ台湾戦略は、あくまでも牽制のレベルにとどまる。中国が本気で台湾を占領すべく軍事侵攻した場合アメリカ台湾を見捨てる。せいぜい台湾内の対中抵抗勢力に援助を行う程度にとどまる。

そんな中国にとって、台湾周辺の米軍基地は、目障りではあってもそれによって困ることはない。中国にとって最も困るのは、台湾軍事力の強化。そのためアメリカは、台湾への武器売却によって中国を牽制している。

中国で考えた場合アメリカ日本から離れたがっている。

中国核ミサイルは、日本全土を攻撃できる。沖縄日本ではその攻撃への対処が困難であり、そのためグアムへの移転が決まった。自民党政権下の日本がどうしてもというので日本にも一部を残すというのが今の状態。核ミサイル攻撃の被害を最小限にするために、現在は極力兵力を分散させたいと考えている。日本の「残ってくれ」という要請は、むしろアメリカの作戦の足を引っ張っている。

なお、グアムには8000人もの人口増大を受け入れる能力は、実は無い。インフラ面、特に水不足が深刻になる。一方、米軍施設が遊休化している隣のテニアン移転を歓迎している。

極東戦争が発生する可能性は、中国よりも北朝鮮の方が大きい。

いちいち説明するまでもないと思うけど、

  1. 経済立て直しのための昨年の150日闘争、その後の100日闘争で成果なし、デノミも失敗。
  2. 金正日からその子供への権力移譲の最中
  3. そのけっかとして政権不安定な状態。
  4. 核実験情報を収集する航空機日本に飛来している。
  5. 先日の韓国艦の沈没。

なんて状況が今まさに発生している。特に最後のは、北朝鮮の攻撃による可能性が高い。その場合北朝鮮政権軍部の一部のコントロールを失っている可能性がある。報復攻撃をすると全面的な戦争に発展するし、かといって何もしないわけにもいかない状況。身動きが取れないので韓国政府は原因究明の名目で時間を稼いでいる。

アメリカ辺野古案を最善と言うのは、自民党政権がそう言ったから。

自民党政権普天間基地を県外へ移転するという検討を一切行わず、アメリカに対して「全ての案を検討し、辺野古が最善」と説明してきた。

アメリカにとっては、「日本が最善というからそこに決めた。何でその話が変わるの?」という状態。

アメリカが「現行案(辺野古案)が最善と信じている」と言い続けているのは、日本政府官僚)の顔を立てているため。現政権が、「あれは自民党政権の嘘です。」ときちんと謝罪すればよいだけの話。

アメリカがやたら強硬なのは、日本が強く出なかったから。

日米安保条約では、日本が主張すれば条約の内容も、地位協定も変えることができる。

アメリカ日本民主党政権に変わったことでこの変更を持ち出すのではないかと恐れたが、鳩山は何も言わなかった。これでアメリカ強気に出れると判断、徹底的に日本側からの提案を拒絶し、困らせる方針を採用した。鳩山は困らせればご機嫌取りに走る。そうすればアメリカ基地以外の要求をいろいろ突きつけることができ、日本の政治コントロールできる。そして東アジアでの外交がやりやすくなる。

アメリカが実務者協議すら門前払いしているのは、彼らが「アメリカが要望だから」と責任転嫁してくるのを見越しているから。民主党を仕切っているのは元は自民党政治家。やり方は同じと見透かされている。その責任転嫁と強引な基地負担の押し付けの結果、辺野古の移設が住民の反対に遭い、暗礁に乗り上げている。

アメリカは同じ失敗を彼らは繰り返さない。門前払いは、日本の問題は日本でちゃんと責任を持て、というメッセージ

アメリカの本音は、佐世保に近い佐賀空港が一番(だった)。

実際に、アメリカ佐賀を「ベストポジション」と評価している。とはいえ、これも10年以上前の話。

佐賀場合、他の部隊との連携が取りやすい利点がある。

また、日本国内、どこに行っても北朝鮮核ミサイルの射程内だが、佐賀場合北朝鮮との間に韓国があり、北朝鮮にとってミサイルによる奇襲攻撃がやりにくい。発射後、韓国上空を飛ぶことから、韓国基地から迎撃しやすい。

普天間基地の移設を受け入れる沖縄県外の自治体は、ある。

筆頭が大阪府。とはいえ、作りすぎで赤字が増大している地方空港はおおむね、移転先の対象。滑走路長1500m以上あると更に有望。基地の受け入れは、赤字をあっさりと解消してくれる。

実弾射撃演習などは、既に静岡などが受け入れている実績がある。普天間だけ県外の自治体が受け入れない、という事態はありえない。

徳之島はじめ、奄美諸島での受け入れはありえない。

差別に基づく移転先の選定が反発を生むのは当たり前。

奄美諸島には沖縄以上に過酷な搾取歴史がある。琉球政府の支配下にあって、島津侵攻時に、琉球政府奄美を見捨てた。太平洋戦争日本沖縄が切り捨てたように。そして沖縄と同等以上の過酷な生活を強いられた。

更に言うと、基地の地代という不労所得によって潤う集団がいる沖縄と異なり、奄美諸島の住民は自らの力で生きてきた。その自信と力がある。そこに米軍基地押し付けようとしても失敗する。日本政府海兵隊の駐留が必要と考えているのなら、本州四国九州から選択しなければならない。

名護市が一旦は受入れを表明したのは、政府脅迫のため。

沖縄復帰後、日本政府はあらゆる手段を駆使して一貫して米軍基地沖縄押し付けてきた。

一例を挙げる。

現在基地土地貸借契約更新地主が拒否できない法制度になっているが、それ以前は、拒否することができた。日本政府更新に協力した地主に対して莫大な借地料を毎年支払う一方、反戦地主に対しては、土地代を次の更新までの一括支払いとすることで、「一括支払いによる利息分の差し引き」と、「一括支払いで得た所得に対する高額な所得税の賦課」という法の下の平等違反する方法で嫌がらせを行っていた。これは嫌がらせ氷山の一角

そして辺野古への移設の経緯。

名護市への普天間基地移設に関しては、公共事業基地の受入れをリンクさせ、受け入れに同意しなければ名護市への国の直轄する公共事業を無くすと脅迫した。

沖縄本島北部は山と基地が多く、計画的な町の発展が困難な環境にあり、公共事業への依存度も高い。

この恐喝に屈し、当時の名護市長岸本は基地の受入れを表明し辞職、その後、受け入れ派の島袋市長になった。

島袋は反対派と対立する姿勢を示しながら国からの公共事業の獲得を目指したが、当時の小泉政権はむしろ反対派の弾圧に血道を上げた。環境アセスを強行するために自衛艦をアセス海域に派遣し、反対派の排除を図ったのはその象徴。

自衛隊の銃口を住民に向けたことで、住民虐殺を行った旧日本軍と現自衛隊が同じであることを自ら証明してしまった。

また、小泉政権は受け入れ派を利する政策を怠ったため、「受け入れ表明から13年たっても経済は上向いていない。」と受け入れ派を失望させた。前回の名護市選挙の結果、受け入れに反対する稲嶺が当選する結果を招いた理由の一つはこれ。

現在もなお受け入れの姿勢を崩していないのは今年任期が切れ、知事選落選する(あるいは出馬すらできない)予定の仲井真県知事のみ。

基地移転には、犯罪被疑者の取調べの全面可視化地位協定の改正が必須

先日、政府アメリカとの密約の中に、米兵の逮捕権の放棄があることが明らかになった。当時の自民党政権政府官僚は、日本国民が米兵に轢き殺されようがレイプされようが構いません、とアメリカ約束したわけ。

地位協定の改正は日本のどこに米軍基地があろうと重要な問題。アメリカ地位協定の改正の条件として、日本警察の取調べの全面可視化を求めている。実際には弁護士の同席も要求しているが、落としどころは全面可視化

犯罪捜査における取調べの全面可視化を行い、地位協定の改正を提案すれば、それを拒否する理由はアメリカにはない。これを行うのは現政権責任

実は、普天間基地には戦略的にも戦術的にも存在の理由はない。

数年前から台湾海峡及び北朝鮮軍事情勢は変化しており、現在は、アメリカ軍事専門家普天間基地重要とは考えていない。

必要と主張しているのは日本の政治家であり、アメリカはそれに配慮しているだけ。

北朝鮮軍事力経済の疲弊と共に弱体化する一方だし、中国は逆に強くなりすぎ、アメリカが本気で戦争をできる相手ではなくなった。

経済的にも日本より中国の方が重要になってきている。

中国アメリカが仲良くなる、ということを信じられない人は多いかもしれないが、アメリカ利益のためなら独裁制国家とも仲良くする。そもそもイラクフセイン独裁政権を長く支持してきたのは、イランを弱体化させたいと考えたアメリカ。(フセインアメリカと仲が良いことに調子こいてクウェートに侵攻した。)

普天間基地固定化・県内移設は最悪の選択

沖縄地元紙以外では完全に無視されているが、沖縄県内の住民の反発は政府アメリカ想像をはるかに超える。というか、日本政府アメリカが甘く見すぎ。

固定化・県内移設を選んだとき、米軍の(少なくとも施設)は破壊の脅威に晒される。

沖縄の徹底した反戦教育のおかげで、人を標的にした破壊活動は、おそらく無い。無いと信じたい。

神奈川などでは米軍基地に対して手製の迫撃砲や、基地を狙う方向に向けられた砲身が発見されることがある。ところが沖縄ではそういう事件が滅多に起きなかった。

しかし、一度だけ、総領事のケビンメアが、喫茶店コーヒーをぶっ掛けられる事件があった。これはケビンメア石垣に米艦船で乗り付けた際、寄航反対の看板勝手に持ち去り、廃棄して「ゴミを捨てだだけだ」と言い放ったことがきっかけ。コーヒーをかけたのは本土出身者だったとのことだが、彼とて沖縄の住民であることには変わりはない。

石垣に米艦船の寄航を誘致したり、与那国に陸上自衛隊を誘致しようという一派が活発に活動しているように、沖縄意識も変わりつつある。相手が物であれば、コザ暴動のような事件がいつ起きても不思議はない。

嘉手納・普天間基地は、フェンス1,2枚で仕切られているだけで、緩衝域がほとんど無く、脆弱。その上、基地の外に居住し、家族がいる米兵も多い。車はYナンバーですぐに見分けが付く。敵意に囲まれたときに、これほど弱い基地は他にない。

しかもここ数ヶ月間、米兵の犯罪は頻発、傍若無人な訓練も多い。民主党裏切りと共に、反米感情は増大する一方。

現状、極東有事が発生したとき、嘉手納・普天間を拠点に軍事行動が十分取れるかどうか怪しい。具体例を書くと犯罪教唆になりかねないので控えるが、かなり簡単に運用が困難になる状況に陥る。ここに米軍基地を維持するのは、もはや不可能だと考えた方がいい。

参考資料

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http://www.city.nago.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/20090408keii.pdf]

2010-02-01

1/27放送「アンカー青山繁晴の“ニュースDEズバリ

ttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid775.html

青山繁晴

「はい。これドンと出てんですが、一番遠くから見て下さい。これグアムですね。つまり海外移転ってやつですね。で、これ実は本当は何年か前にアメリカの内部で検討したことはあります。カートキャンベルさんというね、今あの、政権の幹部になってますけど、その人なんかを中心に検討したことはあるんですよ。ところがもう今はないんです。どうしてかというとね、皆さん最近アメリカ中国の関係を考えて下さい。その、オバマさんが中国へ行った時まではですね、アジア歴訪で行った時までは、とにかく中国経済が頼みだからってことで人権の問題も何にも言わなかった。で、そのあとにですね、オバマ政権の内部でいろんな議論があって、あの、経済中国と仲良くしなきゃいけないからこそ、安全保障人権ではむしろはっきり姿勢を示すべきだっていうふうに変わったから、今、グーグルっていう企業がその、中国検閲を許さないって言ったら、あの親中派ヒラリー国務長官までがその、中国検閲を認めないってことを言って正面から喧嘩をし、そしてこの(地図示して)、このへんに台湾があるわけですけど、台湾アメリカ武器を売ると、ね。ミサイルを売るということまで決めたと。そういう関係にあるわけですよ。そうすると今、この沖縄本島にあるその海兵隊部隊、いざとなったら一番最初に前方展開、前に出ていく部隊をこの遠い、だからこれ、この地図を作ってもらったんですが、こんな遠い所に下げるってことはもうないんですよ。ということはこの海外案はもうダメなんですね。

2009-11-06

米軍問題と空港問題リンクさせちゃえば?

日航の再建にあたって、採算の取れないような空港にまで張り巡らされていた国内線が大幅削減されるのはほぼ確実な情勢。その一方で全日空もいくつかの国内線を廃止すると言い出している。さりとて民主党政権国内線オープンスカイ化にまで乗り出す構えはなさそうで、そうなると「定期便ゼロ」の国内空港が今後急激に増加しそうである。

一方で、普天間基地移設問題は民主党政権が「県内移設検討」とか「次期名護市長選まで様子見」とか、合意を白紙にするようなことを言い出したために、普天間移設を前提とした海兵隊グアム移転まで既にお流れになりかねない状態だ。民主党沖縄からの米軍削減を公約にしていたようだが、それって逆に米軍削減が進まなくなるんですけど?

 

そこで、定期便のなくなっちゃう「採算性のない」地域にとっておきの地域振興策。

国が言い出す前に、「沖縄米軍地元(多くの場合沖縄県外)誘致」を言い出しちゃえばどうだろう。もともと飛行機が飛ぶ前提で騒音とか漁業権とか処理している地域なのであるから、余所に移転するよりもめごとは少なかろうし、人口減も補える。交付金も下りる。何より沖縄本島ほど人口過密じゃないから米軍犯罪も抑止できる(盛り場に行きようもない空港も多かろうて)。

2008-04-02

武力と領土と建国の礎となる理念

http://anond.hatelabo.jp/20080401032416

できれば核兵器があると良い。

領土はライフラインがぶった切られないような島があれば最高。沖縄本島琉球独立運動でもするつもりか?

2007-10-08

音と自転車

バイク寿司を宅配するバイトを二年弱やっていた。時間の経つのが早くて接客も面白く、稼ぎがいいから長く続けたけれど、苦痛に感じることも少なからずあった。一つは、自分の運転するバイクエンジンが発する騒音がひどく耳障りだったこと。一つは、厨房店長iPodから流れる音楽がひどく耳障りだったこと。これらに比べれば寒風に曝された指先がかじかむことや豪雨で雨合羽の中にまで浸水することなんかは些細で、というより、音を掻き消してくれる雨や風をむしろ好んでいた。

年に一度の長い旅行は、いずれも音から遁れることが第一の目的だった。一昨年の夏、東京から自転車太平洋沿いに西へ向かい、福岡から南下して鹿児島、さらに沖縄本島へ。最南端の喜屋武岬にたどり着いたとき、軽トラック屋台ラジカセから大音量の音楽を発しているのをみて死にたくなり、そのあと安宿で一週間ほど寝込んだ。夏休みが明けて大学に戻ると、授業中の教室内は喋り声に充ちていて哀しかった。試しに投書などしてみたけれど改善されないので出席するのを止め、語学単位を落とした。通学で利用するJRの車内放送に耐えられず、大学近くに安い部屋を借り、一人暮らしの静けさの中で心穏やかに過ごした。

昨年の夏、東京から自転車日本海沿いに北へ向かい、新潟青森札幌を経由して、最北端へ向かった。宗谷岬にたどり着いたとき、記念碑に据えられたスピーカーから演歌エンドレスで流れていたけれど、その事実を予め知っていたためにさほど落込むことはなく、そのかわりに感動も何もなかった。砂浜に張ったテントの周りで夜半過ぎまで打上げ花火をしている若人たちに何かを訴える気力もなく、逃げるように走り続けていたら北海道を一周してしまい、ぐったりして東京に帰った。夏休みが明けて大学に戻ると、講義中の教室内は変わらず喋り声に充ちていて、試しに投書などしてみたけれど教授曰く「君達は子供じゃないのだから子供にするような注意はしない」とのことで、つまり何も変わらなかったので出席を止め、単位を落とした。大学に通うことが阿呆らしくなって通信教育に切り替えた。

今年の夏、生活と自転車に書いた通り、北極圏を走ってきて、完全な無音の空間に初めて出会った。自分の周囲三キロ以内に自動車が近付いてくると、あ、人が来た、と判るくらいの静けさだった。クロクマの親子に会いたくないけれど会ってしまったとき、彼らは物音一つ立てなかった。走っているとき、または自転車押して歩いているとき、ふと自分の足音さえ耳障りに思い、足を止めた。足音が止むことによって今まで自分が歩いていたことを知り、砂利を一歩一歩踏みしめて歩く音を聴くことで、再び歩き始めたことを知覚した、と思った。日本iPod音楽を聴きながら歩いているときには自分の足音を聴くことはない。音楽なんか要らないと思った。

北緯七十一度の小さな空港で久方ぶりに聴いた音楽スティービー・ワンダー太陽のあたる場所』だった。ちょうど十年前に初めて触れた洋楽が彼の歌だったことから、ひどく懐かしい思いに浸り、音楽はあってもいいと思い直した。飛行機を三つ乗り継いで日本に帰ると、危惧していたほどの喧騒はなく、今年こそは旅行後の鬱と無縁で過ごせる、と期待していたんだけどな。

帰国後に始めたバイトの店内で流れる有線放送に耐えられなかった。……音から逃げるに触発されて書き始めたのだけど、続きは後日。

参考リンク

Stevie Wonder "A Place in the Sun" http://jp.youtube.com/watch?v=ExGvrl3t3rc&v3

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