「演歌」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 演歌とは

2024-11-20

紅白歌合戦韓日友好のイベントにするべきだよ

演歌とか日本伝統を廃して友好のためKPOPグループ増やそうよ

老人に支配された国でいいのか?

若者らしいアメリカで人気なKPOPの先進的な音楽聞こうぜ

2024-11-19

新しい時代ついていけなさすぎるだろ

働くハードル上がってる気がするし

クオリティも上がってる気がするし

なんだよ、コンプライアンスって

AKBもよく分かんなかったのになんだよルなんとかって

子供の頃の紅白演歌地獄時間だったけど、今は若い奴の時間地獄だぞ

これからポリコレかと思ったらパワハラ知事が勝つし

なんだよ、ハラスメントって疑われたら終了じゃねぇのかよ

Facebookは過疎るし、Xはバトルばっかり

一方的悪口はどこでするんだよ

ついていけなさすぎる。これで平均寿命の半分?おんなじ時間も街からネットからも爪弾きなの?無理だろー

2024-11-05

anond:20241105120356

スマホ比較して一般化しているかどうかの判定をするならクラシック演歌ロックなんかも一般化してません。

メジャージャンル一般化していないことになってしまうので閾値の設定を間違っている定義であることが明らかですね。

2024-10-25

anond:20241025173545

えー、まずですね、森進一さんというのは、まさに、まさにですね、昭和から平成、そして令和にかけて、日本演歌界を代表する歌手でありまして、その歌声は、ええ、国民の心に響く、唯一無二の存在であります

そういう、すいませんちょっと野次はやめていただけますか? たいせつなところなんですから

おふくろさん”など数々の名曲が、まさにですね、日本人の心に深く刻まれているわけでありまして、彼の歌は日本文化の一部として根付いているのであります

えー、ですから森進一とは何かと問われれば、まさに、日本音楽歴史を背負い、国民の心に生き続ける象徴である、そう申し上げる他ないわけであります

2024-09-26

anond:20240926193135

オタク気質でない音楽などないやで

演歌『孫』の作者かて自宅にスタジオ持っとったくらいや

2024-08-20

酒を鮭に替えると鮭に人格が宿る

一人鮭

手酌鮭

演歌を聞きながら

なあ鮭よ

お前には

わかるよな鮭よ

2024-08-03

anond:20240730132210

「おーい、とんぼ」は、1978 年に発売された竜鉄也シングル曲です。この曲は、失恋の悲しみをトンボに例えて歌った演歌で、発売当時に大きな人気を集めました。

2024-07-29

anond:20240728112129

西野カナ世界観演歌世界だよな

いつまでも男がいないとダメって歌でさ

こういう価値観こそフェミニスト達は立ち向かうべきじゃねーの

クソどうでもいいけど

2024-07-06

anond:20240705164109

スポーツ新聞を読む(実際はネット記事ちょっと読むだけ)

週刊誌を読む(これもネット記事を読むだけ)

演歌を聞く(全く聴かない)

盆栽をする(観葉植物は育ててる)

ゴルフをする(する、観戦もする)

大人漫画を読む(かりあげ君とか釣りバカ日誌とか、読む)

屋台で飲んで帰る(屋台っぽい店で楽しんでる)

・飲んだ帰りにお土産を買って帰る(寿司お土産はよく買う)

ネクタイを額に巻く(宴会でよくやってる)

ラジオで今どきの歌みたいなのに演歌っぽい曲流れるなと思ったら鬼滅の歌か〜

憎い〜憎い〜って

2024-07-05

大人になったらこうなる」と思ってたけど実際はならなかったこ

スポーツ新聞を読む(実際はネット記事ちょっと読むだけ)

週刊誌を読む(これもネット記事を読むだけ)

演歌を聞く(全く聴かない)

盆栽をする(そんな兆候ない)

ゴルフをする(しないし、観戦もしない)

大人漫画を読む(かりあげ君とか釣りバカ日誌とか、全く読まない)

屋台で飲んで帰る(屋台がないので行けない)

・飲んだ帰りにお土産を買って帰る(結婚してないので無理)

ネクタイを額に巻く(やってる人見たこともない)


他にある?

2024-07-03

anond:20240703193349

伝統がどうたらこうたらってのは、元を辿ると明治時代に発生した文化だったってのは多いし、下手すりゃ演歌みたいに戦後以降の文化がなぜか伝統文化みたいな扱いにされたりしてるから

2024-06-15

ラジオは苦労して聞きたい

から20年ほど前、中学生の頃、毎週土曜に放送されていた声優ラジオ林原めぐみハートフルステーション」をそれはもう全力で聞いていた。

当時はガラケー時代で、インターネットで聴ける環境もなく、実家にあったラジオデッキで聞いていた。手回しでラジオ局の電波キャッチしなければならない当時としても古くて面倒なやつで、毎回、番組の前の時間帯にやっているラジオが聞こえてきた時は歓喜したし、だんだんとそっちの方のラジオも聞くようになった。音質は全然クリアじゃなくて、よく朝鮮語番組の音声が混じった。バカ自分北朝鮮から電波が届いたんだと思って(当時、拉致被害者帰国などがあって朝鮮といえば自分の中では北朝鮮だった)、海の向こうの知らない世界に思いを馳せた。林原めぐみ番組最後キーワードを言っていたが、朝鮮語演歌みたいな曲が流れる中、「雑音リスナー聞こえる?キーワードはイタズラ!イ・タ・ズラ!」と言っていたもんだ。

当時、MDという記録媒体流行していて、ラジオ生活を快適にしようとラジオMDに録音できるコンポを買った。ちょうど部屋を妹と交換することになり、ラジオ電波キャッチする力が弱くなって、デカくて黒いクッキー型みたいなアンテナを、布団にこもりながらアッチコッチ動かして、雨戸が悪いのか?と思ったら親にバレないように大雨の日でもちょっとだけ音を立てないように雨戸を開けてみたりして、これはよく聞こえるぞとやったりしてた。

今は声優トーク番組スマホで聴けるし電波心配もない。youtube進出してる声優もいて、動画まで見られる。しかカジュアル化しすぎてどうにも楽しくない。思春期の頃ということを差し引いても、やっぱラジオ聴くというのは面白かったし、ラジオと向きあっている時間は宝物みたいだったと思う。

2024-05-25

男性声優の歌の幅の狭さにうんざりする

どいつもこいつも似たような声で下手くそ

世間一般で「歌上手い」と言われている宮野真守谷山紀章、確かに上手いかもしれないけどこのパターン以外に無いのか?

演歌のようにこぶしをまわしたり、ジャズのように掠れたセクシーな歌を歌える声優が居ない

これだけ沢山声優が居るのに、皆ロックアイドルポップしか歌えない

女性声優若い人はクソみたいな萌え声しか歌わせて貰えないが、中年以上の実力派は割とバリエーションに富んでるから別にいい

問題男性声優なんだよ

おっさんよおいつまでアイドルポップを爽やかに歌ってんだよ

もしくは清春の真似が声優界の歌上手いの頂点とかダサ過ぎだろ

 

 

追記

伸びてた

ただの増田愚痴に付き合ってくれてありがとう

アニメゲームは好きだけど声優の歌を好んで聴いてるわけじゃなく好きなミュージシャンアニメゲーム声優へ曲提供するから聴いてる

からヒプマイもセルフカバー出してくれ(もし出てたらすまん)

ブコメおすすめ教えてくれた人ありがとういっぱい曲出してる人は曲名もセットで教えてくれるとありがたい

あと谷山紀章さん釣りに使ってすみません

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

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6/22

朝はてぶ見たらこ記事があって、とても驚きました。

父の死は、私にとってとても大きな出来事で、父のことを書きたいと1年間思い続けているけど、整理がつかずになかなかかけずにいます。一部ですが少し吐出せて、それを読んでもらえてうれしいです。

私が書いた別の読みたいというブコメをみかけたので、かなり以前に書いた増田ですが、お年寄り話題・肉親の死が出てくるものを2つほど貼っておきます

※ビービーの車名直しました。廃車するとき泣きながら見送ったのに間違えてしまった、ご指摘ありがとうございました。

https://anond.hatelabo.jp/20200731173343

https://anond.hatelabo.jp/20200109011834

2024-05-04

去年か今年あたりまで歌謡曲演歌はどう違うのか分からないと思ってた。

J-POP歌謡曲の違いについて取り上げたテレビ番組か何かを見たとき

歌謡曲」の意味を調べたら真実を知ってしまって、

「お前は真実を知りすぎた」と何者かに殺された。

演歌って日本海の曲多くない?

やっぱ荒れて波とかすごいから歌にすると映えるのかな

太平洋側の曲ってないんかな

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