はてなキーワード: 楽器とは
とても拙い、どこかで読んだことがある内容が陳腐な表現で綴られていく、思い返すだけで赤面するような文章だ。
確か小学校の卒業文集には「将来の夢:小説家」と書いたはずだ。
C、G、Am、Em…程度のコード進行に捻りのない恥ずかしい歌詞を乗せていた気がする。
ストローク奏法しかできないくせに、HistoryのアコギとかTokaiのレスポールなんか買って舞い上がっていたのもこの頃だ。
途中でDTMにも興味をもち、初音ミクを導入し、MidiキーボードやI/Fを購入したものの、アウトプットされる曲のクオリティは変わらなかった。
大学にはいって自由にインターネットが使えるようになり、またいろいろな人と関わるようになってから、小説を書いていた、とか作曲をしていた、とは言わなくなった。
僕のやっていたことはファッションの域をでていなかった。
ワナビにすらなれなかった。
それでもなお、クリエイターに対する漠然としたあこがれがある。
部屋を見返せば何年も触っていない楽器や機材が点々とし、PCの中には2000字も書かずに筆を投げ出した小説もどきが沢山保存されているにも関わらず。
あと一年すると、僕は働き蟻になる。
vorkersをみると90時間20%だから、自由な時間を確保することは難しいだろう。
この期におよんで、楽器の掃除でもなく、小説の続きを書く訳でもなく増田を書いてしまうあたり、僕の底は知れている。
「きっと何者にもなれない」。
中学3年の時から楽器を始めて、僕は高校は軽音楽部のある学校に行こうと決めていた。
そんなことはさておき、高校入試も無事終わり、僕は晴れて軽音楽部のある高校へ入学した。
仮入部をしに練習場所である視聴覚室に入ると、そこには目が大きくて、背が小さくて、ショートカットの女の子が1人、端のほうで練習風景を見ていた。
「あ、まだ一人しか来てないんだ。入部希望少ないのかな…まあいいか。」
僕はその子をよそ目に、反対側の端に座って先輩たちの練習風景を眺めていた。
今となっては練習時の音の大きさなんて全く気にならなくなったけど、当時バンドなんか組んだことがなく、ましてやスタジオで練習なんてしたことがなかったので、練習時のその音量の大きさに圧倒されるばかりだった。
そんな大音量の中での練習風景に気を取られていたら、ふと隣に反対側に座っていたはずの女の子がいた。
「○※□▲○■?」
僕に質問しているんだろうけど、大音量の中何を言ってるか聞こえない。
「きこえない!」
僕はありったけの声を出して返事をした、はずだが、やはり彼女にも聞こえてなかったっぽい。
君も入部希望?もしそうだったらよろしくね!
と書いてこちらに渡してきた。
僕はその丸っこくてかわいい文字の下に、無骨で角ばった文字で
入部するよ!君は?
と書いて渡した。すると、僕の目を見て首を縦に大きく、2回頷いた。
僕はこんな可愛い女の子もバンドやるのかー、どんなバンドやるんだろうなーといろいろ妄想しながら、また練習風景を眺めていた。
先輩方の練習に夢中になっていたら、いつの間にかその子はいなくなっていた。
しまった、名前もクラスも聞いてなかった。まあいいか、入部すると言ってたからそのうち会うこともあるだろう。
僕はまた再開する日を思いながら視聴覚室を後にし、帰宅することにした。
それから1周間、正式入部の日まで毎日視聴覚室に足を運んでみたものの、彼女は一回も来なかった。
ある種の一目惚れ的展開を期待していた僕は、まあそりゃ女の子はバンドなんかやらないでしょと半ば諦めていたが、その時、視聴覚室の重い扉が開いて、彼女が入ってきた。
それと同時に、複数の男女がどやどやと入ってきた。
僕は入部希望者が多数いることよりも、その彼女が入ってきたことに震えたし、安堵した。
程なくして僕は軽音楽部に正式入部し、新入生歓迎ライブ終了後ギター希望だったのに先輩に誘われたヘビメタバンドで何故かベースをやることになった。
目標は秋の文化祭の成功。それまでに僕は先輩たちに追いつかなければならなくなった。
彼女と一緒に部活にはいったはいいが、特別絡むこともなく…というのは、1バンドの練習中は他のバンドの人は視聴覚室に入れないというルールがあったから…特に彼女と会話することもなく毎日は過ぎ去っていった。
唯一分かった名前とクラスも、クラスはフロアが違うせいで部活以外彼女を見かけることもほぼなかった。
それでも毎日借り物のベースでTAB譜とにらめっこしている高校生活は何よりも充実していて、気がつけば夏休みになっていた。
夏休みでもこんなに学校に片道40分も掛けて通っていたのは、やはり彼女がくる「かもしれない」から。
いつしか僕は彼女をずっと目で追いかけるようになり、アイスを買いに出るときは僕も一緒に出て、他のバンドが練習してる時は積極的に近くに行って話すようにしたり。
「君さあ、彼女のこと好きだろ?」
ケンジは童顔で、背もちっちゃくて、色白で、当時の見た目的にはどちらかと言うとそんなにモテそうには見えなかった。
僕はその問に対して首を縦に振る。
ケンジはやっぱりなーという顔をして、
と続けて僕に行ってきた。願ったり叶ったりだ。同じ中学ってことは彼女の別の面を知ることができるかもしれない。
その日から、ケンジは彼女のいる輪に積極的に誘ってくれるようになり、帰宅時も一緒に帰ることが多くなった。
最高の夏休みだった。毎日彼女に出会えて、協力者もいて、会話も増えた。こんなに楽しかった夏は今思い出しても無いほどに。
2学期が始まっても3人で一緒に帰る日々は続く。時にはマックで晩御飯を食べたり、カラオケ行ったり。
ベランダで彼女が僕を見かけると、上から手を降って大声で名前を読んだりしてくれたりもした。
そしていつしか僕は、
と思うようになった。
告白するか。いつするか。僕は悩んだ。文化祭前に告白してカップルになって、より充実したライブをやるべきか、それとも文化祭で僕のカッコ良い所を見せた後、その余韻でもって告白するべきか。
僕は後者を選んだ。
文化祭当日。彼女はとても可愛らしい衣装でライブをやってのけた。正直、僕はますます好きになった。
僕はといえば、ライブ後の会話をどうしようかと悩んではいたものの、ライブ自体はうまく行ったと思う。半年でベースをここまで弾けるようになった僕かっけええええええとか思ったりもした。
ライブが終わった後、僕はケンジに呼び出された。そうだ、ついでに今日告白するから何とか二人で帰れるような感じにしてくれないかなと言おうかと思ってた。
「あのさ、俺、彼女と付き合ってんだよね。」
僕は何言ってだこいつ、冗談はやめろよと思ったが、ケンジの目は明らかに冗談ではなかった。
「実は君に彼女の事好きだろ?って聞いた時あったよね?あの時にさ、あーこいつには取られたくねーと思ってその日の帰りに告白したんだよね。それでオッケーもらってさ、その日から付き合ってるんだよね。」
ごめんの言葉もなかった。僕はだったらなんでそれ言ってくれなかったん?何協力するとか?ふざけんなよ。と罵詈雑言を尽くしてケンジを問い詰めようかと思ったが、一気になにもかもやる気が無くなった。
「あ、そう、よかったね。お幸せに。」
僕はそういって、その場を立ち去った。
ああ、僕は二人に手のひらで踊らされてたんだと。僕が舞い上がってるの見て二人でゲラゲラ心のなかで笑ってたんだろ。そう思うともう学校なんかいいや、軽音とかどうでもいいわって気持ちで満たされた。
僕はその日、1人で帰った。
次の日、視聴覚室で文化祭の後片付けをしていると、彼女が僕に声をかけてきた。
「あの…大丈夫?」
その言葉を聞いて、彼女への思いは一気に憎悪に変わった。何大丈夫って?大丈夫なわけねーだろ?
僕はその問に対して何も返答しないで黙々と片付けをしていた。
その日の帰り、当然ながら1人なんだけど、僕の前を二人が仲良く並んで帰ってるのを見て、ただただ涙が止まらなかった。
その後1年ほどして、彼女はケンジと別れたと聞いた。ケンジはろくに学校にも来なくなって、そのまま退学したと聞いた。
ホワイティに育ったけどブラックで働いてるよ。
資産家ではないけど別荘や自宅の他に不動産もあるし、小さい頃から楽器やったり海外旅行やら観劇やら…いろいろさせてもらいました。
私は行かなかったけど、子供達は高校〜大学の間にだいたい留学していた。
アルバイトなんてしなくていいから学生のうちは勉強や興味のあることを一生懸命やりなさい!という教育方針でした。
(↑というのが大学に行くまで普通だと思って生きていたあまちゃんです)
でも、いまやブラック。ブラックというより、地味な中小企業ってだけだけど。
高卒、ヘビースモーカー、下品なメイク、リスカ跡だらけ、ヤリマン…とかがメイン。
みなさん性格悪くないので楽しくやってるけど、テレビでやってることしか知らない人たちなので知的好奇心が満たされないのが辛い。
【過程】
絵師は長い年月をかけて絵を練習し、CGを学んで絵師になった。
【ハリボテ】
A「テレビドラマに出てくる札束って、一番上と一番下だけが本物で、残りはただの紙切れらしいぜ」
B「ラノベみたいだね」
【本当の意味】
別人が書いているという意味ではない。
【ネーミング】
A「小説書きのような、真に優れた作り手の呼び方を考えよう」
B「うーん……、じゃあReal Outstanding Maker略してROMでどうだ?」
【Correct!!】
B「ええと……、ブロガー?」
「マイピクは作品を公開している方に限らせていただきます」と
プロフィールに注意書きしたのに、小説書きがマイピク申請してきた。
小説書きなのに字が読めないのだろうか……?
【共感】
音屋「ただ作品の欠点をあげつらうだけだし批評家は楽でいいよな」
小説書き「まったくだ。俺たち作り手側の苦労も知らずに好き勝手言うなよ!」
絵師&音屋「お、おう」
【FAQ】
【将来の夢】
【小説書きの正体】
その楽器では超有名な協奏曲なのに、スコアとソロパート譜、ピアノ伴奏譜くらいしか出回っていない曲が少なからずあるらしい。
プロのサックス奏者をオケに招いて一曲やるとすれば、ほぼ確実にグラズノフかイベールになると思うんだけど、どっちも肝心のオケ用パート譜が売ってないとか、どう考えてもあり得ない。
だってこれを演奏するために、昔なら写譜屋にお金を払ってパート譜を作ってもらい、今だったらスコアを紙からスキャンするなり電子書籍で購入したものを、楽譜作成ソフトにぶち込んでパート譜を自動生成するという作業を、世界中のオケがいちいちやっていることになるわけで。
正直バカじゃねーのと思わずにいられない。
単にボーカルは分かりやすいけど他の楽器はお前が理解してないだけかと。
俺も分からんけど。
クラッシックとかの楽器でもその辺の高校生で一応習いました、って人が弾いてようが
音のハズレとかも技術なのかなんなのかすら知らんし。
VOCALOIDが批判を受ける文脈では必ず「VOCALOIDの音声はヒトの生の声には及ばない」と書かれるけれど、
俺は「VOCALOIDの音声がヒトの生の声には及ばない」ことは、むしろVOCALOIDのメリットのひとつだと思う。
というのも、ヒトの生の声を用いる楽曲は、生の声を美しく聞かせるミキシングが施されるために、リズム隊や楽器の魅力が損なわれることが多く、
一方でVOCALOIDの音声を用いる楽曲は、(みんな調声にはとてもこだわるとはいえ)どうせシンセの一種でしかないVOCALOIDをメインに聞かせても仕方無いから
リズム隊や楽器がかっこ良く聞こえるミキシングが施される傾向にある。
ヒトの生の声に及ばないことは、リズム隊や楽器の魅力を損なわないというメリットでもあるのだ。
というカラクリがあるために、
ボーカルを聞く事が好きな視聴者はヒトの生の声を用いる楽曲を好んで、
リズム隊や楽器を効く事が好きな視聴者はVOCALOIDを用いた楽曲を好む。
んじゃないかなぁって考えてた。
現在の仮想通貨の流通量は以下の通りで、上位3つはBitcoin、Ripple、Litecoinに
なっている。
BitcoinとRippleは根本の仕組みが違う。Litecoinは採掘のアルゴリズムが違うだけで、
http://thebridge.jp/2013/05/the-rise-of-virtual-currency-a-look-at-bitcoin-and-ripple
今まではどの仮想通貨も日本円では購入できないため、海外送金などが必要で、その手数料が
かかっていた。取引が簡単になるはずの仮想通貨の準備に手間がかかるという本末転倒な状況だった。
最近、この仮想通貨2番手のRippleが日本円で簡単に買えるようになった。
RippleはBitcoinと違って安定した通貨のため、投機目的には適さないかもしれないが、
取引の手数料がかからないので、小額でも値が上がれば利益がする。
(個人的には、長い目で見て寝かせておきたいと思うが。ちなみに、先週は一時値が上がったので、
10万円元手で2万円ぐらいプラスになった。プラス分は日本円で引き落とし。)
RippleはWCGプロジェクトに参加することで入手できるので、他の仮想通貨より入手が簡単なのも
よい。
https://secure.worldcommunitygrid.org/index.jsp?language=ja_JP
回転寿司屋とかうどん屋とかとにかく「和風」なコンテンツを提供する店で、Jポップの有名曲の琴アレンジ、笛アレンジが流れる場合がある。
ドリカムの「未来予想図Ⅱ」とか、最近だとAKBの曲なんかが琴や横笛、三味線ぽい楽器でアレンジされて店内で流れる。
でもよぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~これそれっぽいんだけどさ、全然店のコンテンツと関係ねえじゃん。
回転寿司食うのに何で琴を聴かなきゃならねえんだ?そもそも飯食う時琴や横笛聴かねえだろ。そんな文化聞いたことねえぞ。
それもアレンジ元は単なるJポップだぞ。寿司とJポップも関係ないじゃん。ばかじぇねえのか?
こんな感じで、複合的な意味で和風な飯屋と和風なBGMは関係ない。というか、ただの「それっぽさ」のみに担保されている適当なあり方だと思う。
かくして「和風」は亜脱臼的に歪められる。おそらくこれは回転寿司という業態自体が新興だからこそなせる業なのだろう。
おらおらネット右翼よ、こういう瑣末な部分はどうでもいいのかよ。和風が意味不明的に用いられておるぞ。
いや上の文章はちょっと煽った部分があるが、こうした瑣末な部分でただ「それっぽい」からそうしている的なのって結構あると思うし、どうでもいいのかもしれないけど敏感であるべきだとは思う。
同じ楽器を演奏する、学生時代の旧知の仲間のfacebookを見たら、3歳になる彼の子どもがあり合わせのおもちゃを楽器に見立て、お父さんの演奏の真似をしている写真がアップされていた。
しかしその演奏姿勢がプロ顔負けというか、部分部分で見れば完璧な形になっている所もあって、全体的に見ても子どもが構えているとは思えない程度に「だいたいあってる」感じ。
驚愕の1枚である。
自分は物心ついた頃から「見よう見まね」が破滅的に苦手な人間で、その楽器を4歳から習っていても未だに苦労の連続というだけでなく、ボール投げから始まってスポーツ全般は殆どできない。
そして今回の写真で、そういう得手不得手は3歳にして既に発現しているという事実を目の当たりにし、素質の違いを体感させられた。
もちろん、楽器というのは教えずとも見よう見まねで器用にこなせれば、そのまま上手になるほど甘くはない。
結局の所、弾きたい曲をどう弾きたいか、口で歌って説明できるくらいに入れ込み、実際の楽器で完璧に実現するという修練が不可欠なのだが、その点についても彼の子どもは心配ないだろう。
何しろ父親の彼は、元々その楽器で弾く音楽のジャンルが大好きでCDとかは聴きまくってたけど、レッスンを受ける機会が無く、大学に入ってからようやく始めて、多分今は自分より上手くなっているのだから。
そんな父親と、同じく楽器を嗜む母親の作る家庭であれば、子どもだってやがては父の嗜む音楽が好きになり、弾きたくて弾きたくて恋い焦がれるようになるはず。
そこに上述の、持って生まれた素質が備われば百人力だろう。
将来が楽しみだ。
かくいう自分の場合も、父の聴く曲は相当偏っていたけど、今ではその曲(かなりの難曲)を「弾かずには死ねない」と思うくらいにはなっていて、だからこそ敢えて厳しいレッスンを受けているみたいな感じ。
もっとも、未だに「チューニングでもなんでも音には目的があるんだから、何の意味も目的もない無駄で迂闊な音を出すな!」と叱られるレベルなので先は遠い。
クラブトラックなんか作ってるなら余計にそうだと思うけど、デフォルトの音量は音源によっても違う。
ミックスというのは、原則、「パズルのように音を綺麗に詰める作業」だと思って間違いない。
パラメータは物理的な前後(トランジェントの制御)・左右(パン)、上下(これはコンプのアタックなんかで制御できる)。
そして音域による上下。同じ場所で鳴る音(ex.キック&ベース)ならば、音域で住み分けをさせる。
コンプを強めに掛ければ(圧縮すれば)音は細くなる。潰さなければ「広がって」聞こえる。
これらを踏まえて、どこかが過剰だったり耳障りにならないように、綺麗に配列する。
>スネアやハット、主旋律、ベース、和音のベロシティやパンをどのように考えてどれぐらいの数値にしているのか
最初にも書いたけど、サンプル音源だとベロシティは「音色変化の指標」と捉えたほうが扱いやすい場合もある。
一昔前みたいに誰も彼も同じDTM音源を使ってる時代でもなし、他人の数字的な指標はあまり役に立たない。
「自分がいいと思った曲が、どのように音を詰めているのか」を聞いて分析するのが一番いい。
何を前に、何を後方に、どの楽器のどの音域を立てて、どの程度の太さで配置しているのか、とにかく分析あるのみ。
こうしたらこうなる、が理解した上で、目指す完成形を学んでおくこと。
これは明らかに不公平!!
教師や親は子供に対して、夢や希望には厳しい年齢制限があって歳を重ねるごとに選択肢が減っていくという事実をしっかり教えるべき!!
実際、メジャーマイナー人気不人気を問わず日本で就ける職業の殆どは、その職に自分が就きたいと思った頃には完全に手遅れになってるパターンばかり!
以下年齢制限別に見ていくと↓ (*一部の例外など、個々の特殊な事例を除く)
警察官 ― 25くらいまでには警察学校に入らないと現実的にまず無理
医師 ― 25くらいまでには医学部に入学してないと開業医の子息でも無い限り現実的に無理
獣医 ― 25くらいまでには獣医学部に入学しておかないと現実的に無理
薬剤師 ― 25くらいまでには薬学部に入学しておかないと現実的に無理
看護師 ― 25くらいまでには看護系学校に入学しておかないと介護系以外の求人激減
保育士 ― 25くらいまでには保育系学校で学んでおかないと求人激減
美容師 ― 25くらいまでには美容系学校で学んでおかないと求人激減
弁護士 ― 25くらいまでにはロー進学を決めておかないと合格してもタダのゴミ
作家 ― 専業で食べていくには現実的にこのくらいの年齢で入賞でもしていないと無理
有名企業正社員 ― 新卒を逃せば新卒プロパー至上主義の有名優良企業への就職&出世は絶望的
公認会計士 ― 大学卒業までには専門学校で学び始めていないと合格しても実務経験積めずに終了
声優 ― これくらいの年齢までに育成機関に通わなければ専業で食べていくのはほぼ絶望的
お笑い芸人 ― この年齢までにコミュ力を磨かなければ大勢の人前に立って笑わせることなど不可能
俳優・女優・役者 ― 遅くとも成人までには劇団・舞台なんかに立っていないとテレビのレギュラーなど夢のまた夢
芸能人・タレント ― この年齢までに一芸を磨いて「東京」にいることが絶対条件
ダンサー ― プロダンサーとして食べていくにはこの年齢までになんらかのダンスを始めることが必須
傭兵 ― 20までに体をつくっておかなければいくら頑張っても体力的に無理
パティシエ ― この年齢までに菓子作りの基礎を学ばなければどうあがいてもチェーン店の電子レンジ職人止まり
ホスト・ホステス ― 業界でやっていくには成人と同時にこの世界に飛び込まなければ後は商品価値が下がる一方
大道芸人 ― ハタチを超えてまったく一から大道芸人を目指して成功した奴など皆無
官僚 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
検事・裁判官 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
テレビ業界・テレビ局勤務 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
アナウンサー ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学と「顔」が必須条件
ゲームクリエイター ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
宇宙飛行士 ― ほぼ現役での高偏差値「理系」学部への進学が必須条件
小学校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
中学校・高校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
動物園の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
水族館の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
アニメーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
イラストレーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
ファッションデザイナー ― この年齢までに一般的なオシャレというものに興味を抱いていないような奴にはまず無理
歌手・ミュージシャン ― この年齢までになんらかの音楽活動を始めなければ自称ミュージシャン志望が確定
競馬騎手 ― 15歳までには騎手になるぞという意志を固めていなければ現実的に競馬学校への合格は無理
バイオリン職人 ― 15歳までには楽器職人になるぞという意志を固めていなければ専業で食べていくなど夢のまた夢
ファッションモデル ― この年齢でほぼ容姿背恰好は固まるので低顔面偏差値低身長にはどう抗っても無理
漫画家 ― 15歳くらいまでには絵を描き始めなければ実質的に時間切れ
プロサッカー選手 ― 12歳までにはサッカーを始めなければまず無理
プロスポーツ選手 ― 12歳までになんらかのスポーツを始めていなければまず無理
ピアニスト ― これくらいの年齢からピアノのレッスンを受けなければまず不可能
指揮者 ― これくらいの年齢からピアノ他のレッスンを受けなければまず不可能
プロオーケストラ楽団員 ― これくらいの年齢から楽器のレッスンを受けなければまず不可能
サーカス団員 ― 6歳くらいまでにはバレエ等のレッスンを受けなければまず不可能
将棋棋士・囲碁棋士 ― 小学生のうちに打ち始めなければまず不可能
伝統芸能演者 ― 親・親戚が伝統芸能に携わっていないと最初から可能性ほぼゼロ
茶華道家元 ― 親・親戚が茶華道家元でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
政治家 ― 親・親戚が政治家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
外交官 ― 親・親戚が外交官でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
農家 ― 親・親戚が農家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
漁師 ― 親・親戚が漁師でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
冒険家・探検家 ― 親・親戚が冒険家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
そもそも有名人気職業を除いて、棋士や楽器職人なんて子供の頃は存在すら知らなかったし!
ピアニストや騎手だって身近にそういう親戚でもいない限り自分の未来の職業として、リアルに考えてみるという行為それそのものすらしたことがないのが普通だろ!!
文化資本の低い家庭出身の俺は家族親戚一同高卒ばかりで大学進学すらテレビや物語の中の世界だったわけだが!!!
国は小学校入学と同時に13歳のハローワークを全児童に配布・熟読させて、道徳の時間の変わりにキャリアプランの時間を小学校教育に組み込むべき!!
一刻も早く!!
ジャジャン!!
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146622456
↑のリンクに「普通の子は教本段階で挫折」とあるのだが、自分の周り(学生オケとアマオケ)で、幼少の頃からやっている経験者は、その8割くらいはメンコンまで弾けていて当たり前。
なので練習嫌いで教本8巻の一部までしかやってない自分などは、4歳からやってた経験者としてはあまりに恥ずかしいと思い、それが昂じてまたレッスンを再開したくらい。
でも世の中の経験者の大半はそこまで行かないとか、自分の周囲の状況とあまりに違いすぎて、にわかには信じ難い話だったり。
ちなみにスズキの教本も卒業していないレベルなんて、自分も含め「そこそこ弾ける」程度でしかなく、メンコンまで行った「上手にきちんと弾ける」人との差は歴然としている。
もちろんそれを目の当たりにして満足するわけがなく、さらなる高みを目指さないとヤバいという感じになる・・・はず。
結局、教本段階で挫折したきり、そのまま楽器から離れてしまうということなのだろうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905
偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ
この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本の音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。
そこで日本の現代音楽界とか教育をDisるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。
大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。
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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代。
まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。
一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存の技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12音技法」ってのを作った。
これは何かってうと、まず1オクターブの12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。
で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。
それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。
つまりはルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなものが音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。
でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。
シェーンベルクの弟子たちがそう考えて、より主観性を排除する方向に向かうわけです。
どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。
どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。
そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。
同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。
(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要なポイントだと個人的には思ってるよ。)
でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明なものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。
ここまでが「無調」。
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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ。
彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで
サイコロで演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージが最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。
ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。
このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。
このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽が存在しなくてもいいんだよ。
さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)
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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派、スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。
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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては
調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。
ただ調性感のある音楽は大したことがないからと著作権を放棄する作曲家ばかりなのかは自分は作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。
あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんのテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックをバリバリやってた人です。
そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。
幼少期
・泥遊びをさせる
・とにかく体を動かして遊ばせる
・英語でディズニー・アニメを見せるなど、マルチリンガルになれる基礎を作っておく
・格闘技を習わせる
・勉強は最低限で、体力を作り、集団の中でリーダーになる経験をつませる
・人生の中で唯一、犯罪まがいのことをしても許される時期を満喫させる
・不良に憧れるバカ女の彼女ができるから、連れ込めるようにボロアパートを借りて一人暮らしさせる
・卒業するまでにやることやって、さっさと反抗期を落ち着かせる
・語学だけはできるので、半年ぐらい受験勉強して中の上の高校に入らせる
・高2までは勉強よりバイトしてバイク買ったり楽器買ったり、友達と夜通し遊び歩いたりする経験をさせる
・受験は高3から始めて、一浪させて得意の英語を武器に早慶文系に入れる
・ずっと真面目に生きてましたって顔を覚えさせる
僕がナンパをしなくなった理由
僕がナンパを再開する理由
http://qloneko.hateblo.jp/entry/2013/08/23/010336
ナンパという行為をやめますというなんか、バンド解散みたいな、
そんなオオゴトなんかそれ?っていうツッコミをしたくなるブログをチラチラみて違和感を覚えたので、
私 のナンパデビューについて(この言葉自体気持ち悪いけど。。)私のナンパのデビューは出会いを求めて言った
合コンや、当 時、つてで知り合った友達のパーティーに言って、
ホイホイ、お金をとられ、アムウェイのBBQに連れて行かれ、心底気持ちが悪くなってきたからです。
当 時の知り合いはみんな、自分を持っていないタイプの人だったので、
そもそもコンパを開いてくれるような友人もおらず、たまたま知り合った先輩に連れられて
上のパーティを行って、ハシゴして、今日も戦果なし、アムウェイだらけ、みたいな負け癖がついていた時に、
むしろパーティーにいた女子よりはるかに性格も見た目もきれいな人と盛り上がったのです。
上記のような、事があって、ナンパをしようとしていましたが、
やはり 最初のハードルとしては、道でナンパするっていうのは厳しい。
いまは一番のブルーオーシャンだと思いますが。そこで、300bar (新橋)や色んなところに繰り出していましたが、
そんなこんなでやはり負け続けて いたのですが、たまたま酒を飲んでいて(おっさんしかいない立ち飲み)、
鈴木保奈美に似た子がいたので、声をかけたら、話が盛り上がり、二次会に行こうとなって、
サラっと書いていますが、、ここまでたどり着くのに、多分めちゃめちゃ負けてます。
結果家に来てもらい、ゴールへとたどり着いたわけです。
楽器をやっているモロどタイプの子でした。尊敬できる人だったし、一緒にいて楽しかった。
この経験は自信になり、ナンパという武器を手に入れたという事になりますが、ナンパってやっていくと分かりますが、
やはり、色んな事を経験します。リスカの子はいなかったけど、悪夢を見るのか、薬をやっているのか、、、
という子や、逆ナン?されて、ついていったら薬をもられて財布や、iPhoneを盗まれたことや。
でも基本的にいやな事というより、感謝されたり楽しかったと言われたことの方が圧倒的に多いです。
で、自分にも彼女ができて(相当前の合コンつながり)その間は葛藤がありました。
ナンパってしていいのか?と思いながら。。結婚をしようかという話にもなって、
色々あって別れました。その間はやっぱ何か癖でナンパをしてしまい、罪悪感のようなものは当然感じていました。
更にいうと、みんな結婚していく。家庭を手に入れ、ゆるやかにランディングしていく中、
俺こういう感じで大丈夫か?という気分になったことはあります。
宮台真司氏によると、日常を抜け出しワンダーランドへとつながる云々といっておられますが、ソレは確かにそうだと思います。
ナンパして出会う子っていうのは、何か普段の生活で持っていないものを持っている人だったり
(逆にいうとそういう目が自分にできているのかもしれないですね)、
そして、何よりイニシャルコストはゼロです。コンパに行く前に可愛い子は来るのかとか、
誰かと競合するとどうするんだとかそういうことは気にしなくていい。
ブクマあたりでははてな村ネタとして消費されてるようだけど、似たようなこと時々考えてるのでマジレス。
とはいっても、俺は小説書いてるわけではなくて趣味で楽器弾いてる立場だから少し前提条件が違うかもしれない。それはあらかじめ承知してもらった上で読んで欲しい。
で、結論からいうと、あなたが斬新な発想が失われたと思っているのは別に「はてな」に出入りしているのが原因ではないと思う。単にあなたが大人になったからだよ。
ゲスパーを承知で言うと、あなたの若い頃の作品が「セミプロに近い実力」であったとしても、そこからプロのレベルに至るまでには見た目よりずっと大きな断崖があったはずで、あなたは現在その断崖にはまるべくしてはまっているだけだと思う。
例として、クラシック界では題名のようなことが言われる。全く当たっていない訳ではない。上手な子供はレッスンの課題で小学校高学年ぐらいでモーツァルトなんかを次々与えられて、なかなか魅力的な演奏をしたりする。一方で、超絶技巧の難曲を弾きこなす音大生に、古典的で簡素なモーツァルトを弾かせてみると機械的で散々な演奏になることもまたよくある。そうでなくても音大生の演奏って力任せで面白くないことが多い。結果、このあたりの曲には音大を卒業してからも苦手意識を持ちっぱなしという人が意外と多くて、巷のピアノ教師なんかじゃ、40代とか50代になってはじめてモーツァルトのような古典的作品のすばらしさがわかった、なんてことを言っている人が意外なほど少なくない。だいたい、中高生あたりの間にプロになるための修行に着手したあたりで、この辺の作品は練習課題にしか見えなくなってしまったりするらしいんだね。
ただ、聴き手の立場で言うとこれは理解に苦しむ現象ではあるんだ。モーツァルトって純粋で単純素朴みたいに言われるけど、聴いていて触発されるのは、憂愁とか諦念とか憤慨とか、なかなかどうして複雑な「大人の感情」も多分に含まれている。子供がこの辺の感情を消化して表現できることなんて到底できない以上、子供がどれだけ上手に演奏したって限界があるんだよ。
じゃあ子供がどうして音大生よりもマシな演奏をすることがあるかというと、逆説的だが子供は「何も考えていない」からだ。ちょうどあなたが超自然的なものについて突き詰めて考えずに感性で処理していたのと同じようなもの。そうすると、わからない部分は「適当」に弾くことになる。しかしモーツァルトの作品は音楽的に無理がなく自然に作られているから、「適当」でも一応それなりに形になってしまったりはするし、それを聴く大人は「深み」を勝手に読み取ってしまって、子供の演奏を褒めてしまったりするわけだ。実はその演奏にあらわれた「深み」は全部作曲者のおかげなのにね。
ところが音大生は違う。歳を食ってしまえば、怖いもの知らずでもはや「適当」になんか弾けやしない。一見なんてことなさそうな作品なのに、あれこれ試しても本質に触れた気がしない。だからこそ迷う。悩む。その結果何もわからなくなり、技術と理屈だけで無理押ししたような演奏になってしまう。そして聴き手からは「子供の方が上手だ」と酷評されることになるわけだ。
でも、これって退歩なんだろうか?違うよね。子供時代の、曲に乗っかっただけの「適当」な演奏が、自ら曲のよさを引き出す成熟した演奏に進化するまでの過程には、「曲に振り回される散々な演奏」という段階をどうしても通らなければいけないということでしかない(もちろん、その辺をあっさりクリアしてしまう人もいるのだけれど、そういう人は並以上の才能に恵まれていた一般化できない存在であることは明らかだから今はおいておく)。
あなたの今の状態って、そういうことじゃないの?「作品」という表面では長いスランプかもしれないけれど、あなた自身は過去より確実にものを理解できるようになった(「はてな村」がそういう訓練の場として適切か、についても言いたいことは大いにあるがこれも今はおいておく)。この状態で元の場所に引き返そうったって、戻った先に進歩があると思う?戻った先は「退行」じゃないの?
そうじゃなくて、あなたが今やるべきことは、強化されたあなたの頭で、あなたの過去の作品のよさと限界を冷静に分析することじゃないの?そして分析した結果、摩耗した感覚があったらそれを再度取り戻し、同時に過去の作品の限界を超える方法も模索していく。そういう格闘の先にしか、あなたの進歩はないように思えるんだけれど、どうだろうか。
と、全部あなたの話をネタにして自分語りしてみた。的外れだったら「ゲスパー乙」で片付けてもらって構わない。しかし、現在の気づきから再度ナイーヴさに逃避してしまうのではあなた自身の進歩を殺してしまうのではないかと心配になったんだ。
役に立とうが立つまいが、何かを考えるきっかけになってくれれば幸い。