同じ楽器を演奏する、学生時代の旧知の仲間のfacebookを見たら、3歳になる彼の子どもがあり合わせのおもちゃを楽器に見立て、お父さんの演奏の真似をしている写真がアップされていた。
しかしその演奏姿勢がプロ顔負けというか、部分部分で見れば完璧な形になっている所もあって、全体的に見ても子どもが構えているとは思えない程度に「だいたいあってる」感じ。
驚愕の1枚である。
自分は物心ついた頃から「見よう見まね」が破滅的に苦手な人間で、その楽器を4歳から習っていても未だに苦労の連続というだけでなく、ボール投げから始まってスポーツ全般は殆どできない。
そして今回の写真で、そういう得手不得手は3歳にして既に発現しているという事実を目の当たりにし、素質の違いを体感させられた。
もちろん、楽器というのは教えずとも見よう見まねで器用にこなせれば、そのまま上手になるほど甘くはない。
結局の所、弾きたい曲をどう弾きたいか、口で歌って説明できるくらいに入れ込み、実際の楽器で完璧に実現するという修練が不可欠なのだが、その点についても彼の子どもは心配ないだろう。
何しろ父親の彼は、元々その楽器で弾く音楽のジャンルが大好きでCDとかは聴きまくってたけど、レッスンを受ける機会が無く、大学に入ってからようやく始めて、多分今は自分より上手くなっているのだから。
そんな父親と、同じく楽器を嗜む母親の作る家庭であれば、子どもだってやがては父の嗜む音楽が好きになり、弾きたくて弾きたくて恋い焦がれるようになるはず。
そこに上述の、持って生まれた素質が備われば百人力だろう。
将来が楽しみだ。
かくいう自分の場合も、父の聴く曲は相当偏っていたけど、今ではその曲(かなりの難曲)を「弾かずには死ねない」と思うくらいにはなっていて、だからこそ敢えて厳しいレッスンを受けているみたいな感じ。
もっとも、未だに「チューニングでもなんでも音には目的があるんだから、何の意味も目的もない無駄で迂闊な音を出すな!」と叱られるレベルなので先は遠い。