はてなキーワード: 楽器とは
私は2010年ぐらいまでよさこい祭りに参加していて、ソーラン節をiPodに入れるぐらいには好きだった。バランスの整ったよさこい踊りを自宅で踊れるのも嬉しかったし、派手な衣装や振付け、演舞ゲシュタルトもソイヤッそれなり気に入っていた。
それでも、なにかが引っ掛かってよさこいの世界観に埋没しきれなかった。全体としては好きなんだけれどッコイショー、私が嫌いなもの、私とは相容れないものが宿っていると感じていた。それが何なのか表現できないまま、5年間ほど経ってしまったけれど、最近、ある人にヒントを頂いて、その答えがわかったような気がする。
何が引っ掛かっていたのか、その一言でわかった。そうだソイヤッ、よさこい祭りには、東方シリーズの(記号の)匂いがしていたのだ。
同じ四国三大祭りでも、『阿波踊り』『新居浜太鼓祭り』シリーズには、東方シリーズの匂いなど全く感じない。『さぬき高松まつり』もそうだし『松山まつり』『さかいで大橋まつり』もソーランそうだ。音楽はもとより、演舞にすら、弾幕的な匂いが感じられない。
ところがよさこい祭りには、どことなく東方シリーズの匂いが漂っている。BGMのメロディライン、楽器の使い方(特にピアノ!)、演舞表現にすら東方的な何かが籠もっている。「よさこい踊りのどこが東方的?バカな事言ってるんじゃねぇドッコイショー」と言う人もいるだろう。でも、例えばさぬきや高松の盆踊りと比べてみればいい。ビカビカしていて、マスゲームみたいで、ゲシュタルトが踊り狂って迫ってくるのはよさこい踊りだ。しかも、演舞には凝った名前までついている。
東方的と言って語弊はあるなら、“アイドルヲタ”的と言い直したほうがいいだろうか。一糸乱れぬ統率された動きと、色彩感覚で訴えかけるあの感覚!背景の色彩感覚も、あれはトラディショナルなアイドルヲタだけを惹きつけるようなものではなく、もう少しヤンキー寄りの人でも惹き付けられる表現にみえる。
そういえば、よさこい参加グループのネームセンスも、ヤンキー的な漢字仮名遣いというより、オタク中二病的漢字仮名遣いだった。よしんば、あれをヤンキー的漢字仮名遣いと認めたとしても、そのなかでは比較的オタク中二病的漢字仮名遣いに近い。オタク的消費者でも咀嚼できなくもないというか。
たぶん私は、そのあたりが最初から引っ掛かっていたのだ。そして、私が引っ掛かっていたまさにそのオタク的テイストってやつが、よさこい祭りの躍進の一助にもなったのかな、とも想像する。もちろん、それだけでよさこい祭りがブレイクしたわけではないだろうけれど、純然たるヤンキーのほうだけを向いたデザインだったら、たぶん、ああはソイヤッいかなかったのではないか?
よさこい祭りがブレイクしていったゼロ年代は、ヤンキー的なものとサブカル的なもの、ヤンキー的なものとオタク的なものの境目が曖昧になっていき、区別が無意味になっていく途上段階だった。ハッ!そうした融合と拡散が現在進行形だった時代に、二次創作性が高いだけでなく、ヤンキー的な面持ちの裏側にオタク的な間口の広さを隠し持ったコンテンツとしてよさこい祭りが脚光を浴びたのは、幸運な巡り合わせだった、と思う。たぶん、ベストタイミングだったんじゃないのかな?もし、時機を見計らってデザイン&リリースとしたら、高知商工会議所の慧眼恐るべし、である。
飽きてきたのでこのへんでソーラン。
移調楽器…B管の楽器とかかな?私はピアノ、バイオリン、オーボエと偶然にもC楽器ばかり演奏していたので演奏しにくくて苦労した、という事はないです。
でも指揮者がトランペットやクラリネット、ホルンの人に出している指示を聞いていると、さっぱりチンプンカンプンでした。
移動ドでは歌えないです。移調も苦手です。転調、移調させて鼻歌でふんふん歌うのはできます。
譜面を見たり、何度あげて…下げて…という計算をすると全く出来ない、理解できないので
感覚でこれくらいかな?という音程の幅を見当つけて、頭のなかで当てはめてみて感覚でしっくり来る音を選んで移調させています。
すごくアバウトです。
とにかく譜面を見ない、計算をしない、移調元のメロディーを耳で覚える、移調先の音を見当付けて、頭のなかで再生してみて
絶対音感と言っても実はいろんなレベルがあって、生活音も全てピッチがわかる・オケのチューニングがセント単位でわかる、とかいうレベルから、ピアノの音を当てるのは得意だけど他の音になるとよくわからない、といったものまであるんだけど、元増田はかなり精密にわかるようだね。
日本では「絶対音感神話」みたいなのがあって熱心な親が多いのだけれど、中途半端な絶対音感 (というのも妙な言葉だが、上記のように耳に馴染んだ楽器の音ならわかる、あたりのレベル)だと逆に相対音感を身につける邪魔になることもあるそうだ。例えば次の調査:
http://www.human.niigata-u.ac.jp/~psy/miyazaki/Papers/Report1999/Report1999.html
元増田は吹奏楽をやってたそうだけど、移調楽器は得意? 階名(移動ド)で歌える? 自分はピアノの鍵盤・譜面の音高・固定ドのラベルの3者ががっちりくっついちゃってるので、移調して弾くのがすげー苦手 (頭の中で演算しないと弾けない)。移調が楽にできるようになる練習って何かある?
他の人も自分と同じように音を聞いているんだとてっきり思っていたから衝撃でした。
吹奏楽を20年近く続けているんだからもっと早く気づくべきだったのかもしれません。
ドレミの歌のように1音1音がドレミ~のどれかに当てはまって聞こえる
同時に鳴った音を聞き分けて、音を言い当てることが出来る(今のところ7音位なら余裕)
ピッチがずれると気持ち悪い
音は聞き分けられても狙った音を発声する技術がないので酷い音痴、そのズレが気持ち悪いのでカラオケには絶対行かない
たまに生活音がドレミで聞こえる
いいなぁ~絶対音感欲しいなあ~と言われたけどそんなに良いものではないです。
自分の出している音が自分の出したい音とずれた場合、違和感を感じるからです。
歌手の生歌も殆ど聞きたくなくなります。カラオケも絶対行きません。
音の聞き分けが出来ても一発芸にすらなりません。普通に生活しているとなんの役にも立ちません。
こだわりが強くなって面倒だと思います。
私の母は絶対音感が娘につくように、幼い頃からピアノや楽器を習わせていたので
でも同じように音楽の教育を受けた妹には絶対音感が無いそうです。
ドレミの歌みたいに聞こえないなら、どういうふうに聞こえてるんだろう?
説明を受けてもよく分からなかった。
めったに演奏されない曲だからなのか、紙で印刷されたスコアしかない楽譜が少なからずある。
これだといざ演奏する場合、パート譜の作成から始めないといけないのだが、今時の楽譜ソフトで、スキャンした紙のスコアを、印刷状態の良し悪しに左右されず正確なデータとして認識できるものなんてあるのだろうか。
そもそもスキャナも家にないので、最近のスキャナの性能もよく分からないし。
ちなみにコピーしてハサミと糊で切り貼りとか、スコア見ながらまっさらな五線譜にペンでとか、楽譜ソフトに打ち込んで・・・は論外。
そんな作業をしながら譜めくりのタイミングとか、長い休符の後で入りにくい箇所に他の楽器のガイドをどう書くかとか、そんなこと考えていくのは無理ゲー過ぎるので。
いやあ、羨ましい。。。
その某ジャンルでは妻子持ちの30代位のおじさんが、女装したコスプレ写真upするだけでちやほやされて、同人誌も数百部売れて、彼氏持ちの高校生に「しゃぶって笑」って言うだけでセフレになってくれんだってさ~。その高校生とコスプレでハメ撮りしたあと、そのコスプレでイベント出れるらしいw
俺は四年位そのジャンルいたけど、何もなかったわ…でもそのおじさん、コミュ力高いしおしゃれ笑だし仕事やってて金ももってっから、Twitterやらピクシブやらで知り合った女の子と仲良くなるのも早くてラブホでコスプレ撮影会とか出来てたみたい。やっぱそういうとこからコツコツ上手くやってってんだろーなー。少しばかり上手な位の絵だってちょくちょく上げてりゃファンはそれなりに増えるだろうしな。
奥さんとは別れるって言ってるらしいけど、別居しつつ未だセフレと同棲生活だって。
俺の理想だ。実に、羨ましい。
俺も絵を描くだけじゃなくて楽器とかも始めようかなー。いいなー。
古来ヴァイオリンというのは、全く弾けない者・少しだけ弾ける者・とてもよく弾ける者の3種類に人類を区別するための楽器だった。
1番目と3番目は人類にとって特に益にも害にもならないが、2番目は雑音を撒き散らして周囲に迷惑を振りまく。
かくいう自分は2番目に入る奏者だった。
保育園の頃から習っていたのに、耳が幼いまま長じた結果、独学になってからは大して弾けもしないのに慢心を極め、手が付けられない状態に落ちたというか。
例えるなら、幼少から料理を手ほどきされたのに「甘い」「辛い」「脂っこい」「デカい」くらいしか味覚が備わっておらず、しかもそれ以上興味が湧かなかったため、「節子デカいは味覚ちゃう視覚や」と親切に指導してくれる人間がいなくなった途端、どんどん腕が荒れてメシマズ化したと。
そこに転機が訪れたのは去年のこと。
何を思ったのか、突然「満漢全席を作りたい!」みたいに、とんでもなく難しい名曲を弾きたくなり、自己流()では無理そうだったので、大人向けのレッスンに再入門したのがきっかけだった。
今振り返れば本当に身の程知らずな話だった。もし例えでなく先生が料理の包丁を持っていたら、冗談抜きで何度か刺されたんじゃないか?という話だ。
そこで、メシマズならぬ音マズでさえ考えなくても弾ける曲を1曲セレクトし、その曲を通じて包丁ならぬ弓の持ち方を叩き直される所から始まり、「ちゃんと歌って完璧に弾け、手先だけで弾くのは許さん」と言われ、先日ようやくマスターした。
でもその結果、それまで全く理解できなかった「妙味」がハッキリ分かるようになり、マスターした曲とほぼ同レベルと定義されている(そして味を理解できない故にバカにしていた)幾つかの定番曲がスラスラ弾ける上に、心底名曲だと体感できるまでになっていた。
やっていた当初は屈辱的なレッスンだと思っていた(この期に及んでまだプライド高杉なのだw)けど、想定外の成果に一人狂喜してしまった。
・・・などと偉そうに書いたが、所詮は「出汁の取り方」「器具の基本的な使い方」「調味料の加減」を考えなくとも正しくこなせるようになった程度だ。
そして「基本がきちんと備わるだけで、こんなに美味しく作れる料理がいっぱいあるんだ!」と喜んでいるに過ぎない。昔からやっていて今更そこかよって話だ。
イージーモードでゲームをプレイすれば、大抵のタイトルでハイスコアを叩き出せるレベルとも言い換えられる。
実際先生も仰っていた。
「これでようやく増田さんも、今まで色々ブレて偏っていた所から、正しい道の入口に来れましたね」と。
「♪君の行く道は 果てしなく遠い」けど、別に歯は食いしばっていない・・・多分。
今自分に出来ることと出来ないことを明確に実感してしまった以上、こうなったら何年かかろうが絶対上手くなるしかないのだ。
最初に書いた3番目にはなってないけど。
日時:2014年6月28日(土) 18時30分開演(第2回公演)
入場無料だが、ハガキによる事前応募・抽選制である。つまり私の個人情報は防衛省に把握されたw
原題は「シェルタリング・スカイ」。
同名の映画があるが、特にそれとは関係ない模様。ちなみに映画の方の音楽は坂本龍一氏の担当で、ゴールデングローブ賞受賞らしいので、今度聞いてみようと思う。
曲は終始穏やかで、オーボエの澄んだ音色とトランペットの柔らかな音が印象的だった。
「オリエント急行」「ドラゴンの年」「ハーレクイン(ユーフォニアム独奏曲)」などで有名なスパークの曲ということで楽しみにしていた。期待通りのスパーク節を、厳選された編成の音楽隊が見事に演奏した。
これ以上吹くと崩れる、というギリギリのところで荒ぶるホルンの音が、吹奏楽サウンドのホルンで、とても気に入った。
トランペットは途中で舞台裏で演奏するのだが、舞台裏から聞こえるフレーズとしては相当難易度が高く、スパーク先生鬼だ……と思った。
パーカッションは、上手からひな壇にかけてかぎかっこの“「”字状に配置されていたが、上手手前に「パチン」と打ち合わせる楽器(名前が分からない……スラップスティック?)、上手奥にタンバリン、上手中央にスネアと、結構離れているのに終始揺るぎないリズムを刻んでいて安心して聴けた。
ロビーでも放送で流れたのは、カフェで休憩中の身にはありがたかった。
1部はウィンド・オーケストラ編成、2部は大編成のシンフォニック・バンド編成とのことだった。
これも期待していた曲。上手に吹くととてもカッコイイ。
曲目紹介で、1964年の東京オリンピック、そして先日の国立競技場での編隊飛行の話があった。「F-86F」「T-4」とちゃんと紹介するあたり、ニヤッとしてしまった。
演奏は文句なかったが、特にトリオのサックスが美しかった。そしてドラムセット!どこまで譜面に書いてあって、どこまでアドリブなんだろう。普通の曲ならアドリブだろうと思うのだが、なにしろ斎藤高順「航空中央音楽隊第4代隊長」の作である。一音一音忠実に……なんてことも???
服部克久氏の息子の服部隆之氏の曲。「機動戦艦ナデシコ」「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」など劇伴の分野を中心に活躍されている方が、航空自衛隊50周年(つまり10年前の2004年)に委嘱により作曲したもの。
トゥッティの音圧と、それに負けないツインスネアドラム。迫力のある曲だった。
この曲は、航空自衛隊60周年記念で募集した作品の中から選ばれた、コンサート・マーチ。
東京藝術大学トロンボーン専攻で首席で卒業、入隊1年3ヵ月の田中裕香さんの曲。
この曲も60周年記念。こちらは歩ける行進曲。
国立音楽大学卒のトランペット奏者で、北部航空音楽隊所属の和田信さんの曲。
トリオがEuphの旋律(対旋律ではなく)で始まるのが意外だった。
曲自体は弱起で始まり、装飾的な動きや音量差も多く、歩くのに向いているかどうか……
二人は曲目紹介でそれぞれマイクを握ったが、ちゃんと階級を名乗るのか、と思った。
一般の方で「○○会社課長の△△です」という機会はそんなにないと思う。
航空自衛官の16階級中、2等空曹は12番目、空士長は14番目である。ちなみに航空中央音楽隊長で指揮の水科克夫さんは2等空佐、4番目である。
「春になって、王達が戦いに出るに及んで」を知っていたので、期待していた。
複雑な拍子の曲で、非常に難易度が高い。「危険な空でぶつかり合う2つの対立した力を表現」とあるが、まさにそんな感じだった。
アメリカ軍のことは全く知らないのだが、第564戦略空軍司令部軍楽隊の委嘱による作曲と聞いて「564」という数に驚いた。
アンコール1曲目は「一旦地上に降りて(水科克夫さん)」ふるさと。
ここで、楽団のメンバー紹介が行われたが、北部、中部、西武、南西の各音楽隊からのメンバーが想像以上に多くて驚いた。
アンコール2曲目は空に戻って。
おそらく音楽会最後の曲として定番になっているのだろう、公式の行進曲。
やや大きなシンフォニック・バンド編成になった第2部だが、野暮ったく分厚くなることはなく、高いレベルの合奏による心地よいサウンドが維持されていた。木管の弱奏の際に一瞬、弦?と思うような、ふわりとした音が鳴った瞬間があった。
この日の空は荒れ模様だったが、ホールの中は澄んだ、濁りのない吹奏楽サウンドで満たされていた(すみだ、だけに)。
ニコニコが無ければ今のような汚いイメージは付かずに本当に天使のイメージしか無かった
ニコニコが初音ミクのイメージを汚しニコ厨の気持ち悪いイメージをなすり付けた
ニコニコが無くてもどうせYoutubeとかで人気出てた出ないわけがない
俺はランキングを毎日見る程度のにわかで面白い奴がたくさんいるのを知っているけど心の底から嫌悪出来る奴も多いもん
ニコニコ全体を一言でくくれるものではないけど悪いイメージは良いイメージよりどうしても目立ってしまう
ニコ厨を嫌う人たちにとっては初音ミクも同時に嫌悪の対象となっていることが多い
ニコニコの話題がタブーな場所では初音ミクについての話題もタブーになってることがマジで多いんだ
本当は何も関係ないのに・・・そいつらと初音ミクについてもっと話したかった
俺は「歌い手」という人種が嫌いだし「歌ってみた」というジャンルも嫌いだ
素人のオナニーカラオケを聞きたいと思わないし動画を見ることは絶対に無いから普段はどうでもいいんだけど
その「歌ってみた」と初音ミクは同列に置かれることが多くCDショップではだいたい同じ場所に置かれるのが本当に残念
初音ミクはただの楽器でクリエーターによって捉え方も扱い方も世界観もまるで違う
プロもアマも使ってるし気持ち良い曲も気持ち悪い曲も神曲も糞曲も腐るほどある
本当は初音ミクを使ってるというだけで全ての曲を同列に語れるものじゃないんだけどその辺はまぁ仕方ない
リスナーの中のイメージも全く違うし100人いれば100通りのミクがいると俺は本気で思っている
天使だったりビッチだったりパンツは縞パンも白も熊さんパンツもあってネギが好きだったりそうじゃなかったり
ロクに聞きもしないで避けてる人も多いんだがその避けてる理由がニコニコ発祥で臭いからってイメージだからなのが本当に残念なんだ
ニコニコは初音ミクを育てたけど同時に拭ってもぬぐいきれないイメージを植え付けた
もちろん初音ミクが育つ土壌を提供した功績は計り知れないしニコニコがなければ存在し得なかった名曲もたくさんある
でもニコニコがなかったら無かったで純粋なボーカロイドだけのコミュニティが出来たんじゃないのか?
はぁ
なにこのクッソ気持ち悪い長文
上京したのは18の時。
目標や夢なんか何も持っていなかった。
子供の頃から母親には「あんたは大抵のことがそれなりにできるけど、なにか一つでも真剣に打ち込めるものを作らないとダメだよ。」と常々言われていたが、その頃の自分はどれも上手く出来ている実感は持っていなかった。
今思えば確かに「それなり」にできていて、得意科目だった英語は周りの同級生が必死で家で勉強してようやく偏差値60ぐらいだったのに、一切家では勉強せずにビートルズの曲と歌詞・和訳をすべて暗記しているだけで偏差値70オーバーだった。
つい最近にはじめてテストをやって知ったが、IQが無駄に134もあるらしい。
高校卒業後は入試科目が国語と英語だけのFラン大学に進学した。
大学に入って軽音サークルに入ると、高校時代までは出会ったことがないようなタイプの人間がたくさん居た。
僕が在籍していたサークルは大学の軽音サークルでは珍しく、オリジナルバンド、いわゆる外バンを多数抱えるサークルだった。
一番多い時には30近くのバンドが学外で活動していた。
楽器を始めたのが高校2年生の頃で、そもそも不器用でそれほどうまくなかった僕はサークルでできた友人たちとコピーをやることすらままならない腕前だった。
それでもあまりに個性的で魅力的な彼らと遊ぶことはそれまでに経験したことがないような楽しい時間で、知らない音楽を教え合ったり集まって練習したり、悪ふざけをしたりとこれからの人生も含めて二度と訪れないかけがえのない時間だった。
全く自信がないから初めは断っていたが、ある日何故か承諾してしまった。
そのバンドは加入した時点では大学付近のライブハウスで月1ぐらいのペースでライブをやっていたぐらいのよくあるアマチュアバンドだったが、リーダーである件の誘ってくれた先輩というのが天才的なソングライティングの才能を持っており、かつ、人間関係を築く天才だったため加入してから瞬く間にCDを全国のレコードショップで発売するまでになった。
それに伴い、ライブの回数は増え、レコーディングや地方へ遠征する機会も多くなっていった。
大きく変わっていく生活に僕はなかなか慣れず、また、もとよりやる気を出すのに凄くエネルギーが要る(この時は気づいていなかったがADHDだということが後で分かった)ため行動力は鈍り、授業にはどんどん出なくなった。
その分、楽しくバンド活動をやっていたのかというと、そうでもなかった。
バンドの活動の幅が広がるにつれて、自分の下手さが足を引っ張っていると思い込んでしまい、プレッシャーを感じていた。
ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジのセンスがあったらしい。
センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンドに必要不可欠な人間になってしまっていた。
もうこうなったら練習してうまくなりさえすれば良かったが、この頃にはギターを弾くことが苦痛とさえ思うようになっていた。
それでもライブは決まっている。
学校にいく必要もなくなったので更に本数は多くなり、その次の年には年間とおして4
日に1回というペースでライブをやった。
これだけやってればそれなりに認知度も上がってきて、ファンだと言ってくれる人も多くなった。
そういった人たちに褒められたり応援してもらう度に自分が下手すぎて死にたくなった。
なおさら後に引けない状態になっていった。
もしかしたら他のメンバーも同じような気持ちだったのかもしれない。
3枚目のアルバムをリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。
「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」
一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。
メンバーの誰も反対はしなかった。
その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。
あっという間に1年が過ぎて、バンドは活動停止した。
その後、知り合いのバンドにうちでやってくれと頼まれた。
初めはもうバンドはやるつもりはないと断っていたが、あまりのしつこさで折れてしまった。
その1年間で多少自信をつけていたせいもあるかもしれない。
その後はまた同じようなことを繰り返した。
学習しないやつだ。
2つ目のバンドに加入して3年目。
就職していたが、社長とソリが合わなくて喧嘩して辞めることになったので、これを理由にして実家に帰ることにした。
バンドも辞めた。
この10年間は一体何だったのだろう。
幸いにも初めのバンドをやっていた頃に働いていた会社でウェブマーケティングのスキルを身につけていたので、田舎の賃金が安いとはいえ全く生活には困っていないどころかちょっと本気を出せばそれなりに余裕のある生活すらできる。
ただ、生きている実感がまったく無い。
むちゃくちゃなことばっかりやっていたけど、音楽をやる時だけはみんな真剣だった。
就職した後も次は仕事に真剣で、中には28で上場企業の副部長クラスの地位を得ていたり、だれでも知っているような会社の営業所長になっていたりする奴もいる。
こう言うとアレだが名前書ければ入学できるようなFラン大学出の人間の出世コースじゃない。
仕事の話を聞いてもやっぱり彼らのやること考える事は真剣だ。真剣にやって来た結果が彼らにはある。
僕は到底彼らにかなわない。
別にお金も地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。
たくさんの反響を頂きました。
後で読みなおしてみると書きなぐった感がすごくてとても読みにくい文章でした。すみません。
急に誰かに聞いて欲しくなって勢いで書いたので・・・
いろいろな意見を頂いて、自分の中で今後どうやって行くのか決意が出来ました。
http://anond.hatelabo.jp/20140619160649
いつかまたいい報告ができればと思います。
気持ちはすごいわかる。
というのも、俺は、しがないチェロ奏者(アマオケ経験者)なのだが、楽器を触ったことすらないやつが、世界のトッププロの演奏をCD(生でなくCD!!)で聞いて、○○の指揮は~とか○○楽章のスタッカートの解釈が俺には理解できないとか、こき下ろしてるわけですよ。
お前ら譜面読めんのかと。というか弓持てるのか?ヴィブラートかけようとしたら右手も連動して動いちゃう系じゃないのかと。
朝から晩まで楽器弾いてて壁紙の模様が譜面に見えたりしたことあんのかと。指先の豆から血が出たことあんのかと。
クラオタといいサカオタといい、専門分野の消費者的なオタクって口ばっかりでフィジカルが全然伴ってない。
調弦はできないし強いシュートも打てないのに、専門的な用語を使い知識量だけで勝負してこようとする。
そこに軽さを感じる。説得力がなく耳障りに感じる。
そもそも経験者がオタクにイラつくのは、オタクたちからトッププロたちへの敬意を感じないからだと思う。
すげえ!なんでこんなことできるんだ!という驚嘆と尊敬がオタクたちにはピンと来ない。だってやったことないから。
だからこそ敬意を欠いた批判を繰り広げることができる。とも言える。
世のオタクたちには、頭ではなくて身体で感じてその上で思ったことを言って欲しいと言いたい。
カードバトルするより、虫とかトカゲとか集めて戦わせた方が面白い
村作りゲームするより、庭をいじったりアリの巣眺めてた方が面白い
http://anond.hatelabo.jp/20140528075127
自分の中にある感情や感覚を表現する為に絵を描いているんだと思う。
表現をするという行為は我々に満足感や社会との繋がりを与えてくれる大切なものだ。
絵以外でも音楽だったり小説、映画、普段の日常会話等で自分を表現するのは可能だろうし
実際、我々は様々な方法によって自分を表現している(言葉や顔の表情、態度、服装等)
絵を描く人は絵を使って、楽器をやっている人は楽器を使って、自分を表現をする事に各々、魅力を感じていると思う。
その魅力の理由は、楽しいとか、気楽に出来るからとか、理由は人それぞれだと思う。
そして、絵を描く人は、絵で自分をより上手く表現したいから、人や動物等の描き方、魅せ方を勉強しているのではないだろうか。
勿論、カラオケで自分の感情を歌に込めて表現する方法もあると思し、純粋に歌を歌うのが気持ちいいって人も大勢いるだろう。
絵を描く人が増えたと感じるのは、ネットが発達してきてpixiv(イラスト投稿サイト)などで絵によるコミュニケーションの場が
増えているからかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/zyake_mk2/20140518/1400418070
この手の問題何度も議論にあがりますね。
SIerは潰れる。技術力ないから。それ以上の議論に発展できない。
Sierの方がおっしゃっておりますが、これは技術の問題ではないです。
マネタイズの問題です。
コミュニケ力(Int) x 技術力(Int) x 活躍できる場所/場面/カルチャー/運(Boolean)
なんですよ。
綺麗なアーキテクチャを、更地から立てて、クラス設計、DB設計で100倍の生産性を発揮できる場所
しかもしれが、膨大な案件の受注と結びついて、ぶんぶん力を振り回せる場所。
まずその場所がないです。ほとんどはぐちゃぐちゃなどっかのSIerがすでに荒らしまくった土地、
その土地の上にものを立てないと行けない。決められた納期と責任という名の不明瞭なものに包まれて。
http://www.open.sh/entry/20140505/1399275679
→COPYWRITERSBLOG:本当に「電通と博報堂は丸投げで中抜きしかやらない」のか
http://copywriterseyes.hatenablog.jp/entry/2014/05/05/232146
アメリカでも西海岸のアーリーベンチャーではない金融系のSIは
プロセスを重視しますし、新しい技術をこぞって使ったりしません。
indexとかと一緒で、生産性を100倍のエンジニアが活躍出来る場所って限られます。
そういうエンジニアが、100倍生産性を発揮できたので、100倍効率よく仕事がそもそもない
楽器がむちゃくちゃうまくたって、曲がかけないと、音楽が売れず、
有名な人の下で、バックミュージシャンとして活躍するしかない。
それと同様です。
自分で、プラン描いて、技術持って、グイグイ巻き込んで、それぐらいできて
ようやく生産性100倍で給与も100倍とかは目指せるでしょうがね。
難しいですね。。
ちょっと「しこり」のようなものができたのでそれについて書こう。
先日、とあるコンサートに行った。ニコニコ動画の「演奏してみた」から発したコンサートだ。僕は「演奏してみた」が大好きで、その中でもそのコンサートにはひいきにしている人が出ていたので楽しみにしていたし、愉しかった。いつもいつもニコニコ動画で見ているので、生の演奏、つまり好きなところだけ繰り返してみたり、いやなところは早送りしたり、やっぱり巻き戻してみたりができないことは新鮮な体験だった。充実した音楽体験ができ、非常に満足だったし、これから公開されるであろう動画にも期待ができる内容だった。
「しこり」を感じたのはすべてが終わり、ロビーに出た時のことだ。そこに募金箱があった。今回のコンサートは基本的には無料だった。「演奏してみた」では珍しくはない。おなじくらい対価がいるのも珍しくないけど。僕の浅い経験でも募金箱は珍しくなかった。当然募金をした。3000円を入れてきた。
(内訳)今回のコンサートよかったです料:1000円 次回もたのしみにしています料:1000円 僕は他の人とは違うんです料:1000円
そんな気分だと、今回の3000円を考えてみて思った。趣味にお金を使うときというのは、たぶんに期待料だと思う。僕は期待しているからこれだけ払う、という心理が働く。今回はより積極的に「次回もたのしみにしています料」を含んでいるのは結構な期待値だと思ってほしい。
「しこり」というのは最後の1000円だ。「僕は3000円出す」という満足のために出した1000円だと、帰宅してからじっと自分自身に問うてやっとわかった。払ったときは特に考えもなく「はい、3000円」だったのは正直なところだが、その内訳について、自分自身で認識していなかった。
それは言い捨ててしまえば、僕は3000円払うことで自己表現をしたつもりだったのだ。なんという底の浅さだろうか。
僕が「演奏してみた」が大好きなのは、たった数分の動画の裏にある膨大な練習の時間があるからだ。1人の人間が1つの楽器を満足に扱えるようになるまでにどれほどの時間と意志の力がいるのか。まったく楽器ができない僕には想像もつかない。上澄みだけを見ていると判っているからこそ「演奏してみた」の動画は輝くのだと思う。その1つの動画にしても1回の演奏で満足したわけでもないだろう。なんどもなんどもやり直して、やっと1つの動画が公開される。無料で。しかしコンサートならなんとかそれにこたえられる。しかし、僕は、それを自分のために使っているのだと気付いた。
とはいえ、それが奏者の心につながるのなら、とどくのなら、なにかを波立てるのなら、それでいい。僕のつまらないしこりや葛藤なんてどうでもいいことだ。ただ、増田に書きたかった。次回も楽しみにしています。
これからのSE業界に新卒で入ってくる人、転職で入ってくる人へ業界の実態とスキルについてアドバイス。
色々就活生と喋っているが、よく言うことを雑多に記載。
【職歴】
・営業社員向けカスタマー管理サービス(CRMシステム)構築:1年
・RFP作成などの上流工程~運用保守の下流工程まで経験あり。
【前提】
・以下は主にSI企業で上流(要件定義)から担当するPM、PLとしてやっていきたい人向けのスキルである。
技術者で食って行きたい人は、全然違うスキルが必要なので無視して良い。
→何も雑談する力が必要なわけではない。ここでのコミュニケーション能力とは「折衝力、人の輪の中に入っていける力」を指す。
システムは人が使うものなので、何をするにもまず人と喋って要件を聞き出さないと話にならない。
技術力があれば良い、と言うのは大きな勘違いで「人に使ってもらえるもの」なので、そこを無視してどんな最新技術を使っても宝の持ち腐れ。
また、往々にして「システムを導入する=業務をシステムに合わせて変えることが求められる。
これはパッケージシステム導入に限らず、スクラッチでも同様。その時に「業務を変えたくない」連中が抵抗勢力として現れる。
そこを説得するものSEの仕事。そんな敵の中に飛び込んでいって、説得して、最後には協力してもらうまで信頼を勝ち取らなければならない。
そんな場でツボを外したことを言おうものなら、相手からは無視されて終わる。
そんなことが起きないための第一歩としてコミュニケーション能力は必須。
→この2つはセットで考えたい。近年は技術革新が目覚しいため、全部の技術情報を自分で知っているなんて不可能。
そのためにGoogleなどの検索ツールを活用するが、膨大な情報を自分の中でまとめて要点を「つかむ」ことが重要。
細かく知っておくのは専門家の領域なので必要ないが、せめて利用しているツールや技術がなんなのかを、
人に説明できるレベル/類似ツールとの違いを説明できるレベルで知っておく必要あり。
→技術力、プログラミング能力は必須ではない。上記②の人にやってほしいことを伝えるまでには代用できるからである。
しかしプログラマーと対峙するときに、相手はプログラミング言語で会話をしてくる(これは誇張ではなく事実)
その時にいちいち②のプロセスで言ってることを調べていては、理解にロスがかかって進まない。
その時に何か1つでも言語をある程度知っていると、たとえ知らない言語での開発でも言ってることがわかるようになる。
この感覚は例えが悪いが、ピアノを習っておけば、数年後に違う楽器を触っても上達が格段に早いとか、
ドラクエをやっておけば新桃太郎伝説の攻略がスムーズにいく、とかの感覚に似ている。
新卒でプログラミングやったことがなくても、①・②は社会で鍛えられるし、③は研修・OJTという形で経験が積めるから問題ない。
新卒でプログラミングやったことある人は、③が経験済みなので、その分有利である。
転職の場合往々にして即戦力として求められるので、③の経験がないのが大きなネックになる。
巷で言われる業界未経験OKとは、③のスキルがない人のことを指すため、
①・②が人より優れてないと厳しい、ということになる。
参考にされたし。
くりえいてぃぶであるということは難しいなぁ
クリエイティブな仕事に憧れてたけど、絵も描けず、楽器もできず、文章も書けないみたいなワナビーこじらせた人間たちの最後の逃げ場って感じがするよね。
RailsやjQuery作った人間はすごいけど、それを使うあなたは全然すごくないじゃん。ただの消費者じゃん。
でも絵や音楽と違って供給者と消費者の境目が一見曖昧だからなんかすごいように他人も自分も錯覚するんだよね。
それもワナビーを呼び込む理由なんだろうけど。
TDDとかも、それを導入したら現場の効率が上がるとか本当はどうでもよくて「TDDやってる俺かっこいい」なんでしょ?
ワナビーとしての充足願望が満たされるんでしょ?
それで「会社にTDDを導入するにはどうしたらいいか」みたいなブログ書いたらはてぶで「こいつはわかってるヤツ」みたいなコメントもらえて嬉しいんでしょ?
そりゃ教条主義に陥るわな。反原発をTwitterでつぶやいて仮初の賞賛を集めるニートと同じだわ。
まあ「銀の弾丸は無い」って言ってるヤツも「銀の弾丸は無いって言える俺かっこいい」だから本質的には同じなんだけどね。
私は人に嫌われる。
小学生の頃、吹奏楽部で私以外はみな一年上、という楽器をやることになった。
最初は「○○ちゃん、○○ちゃん」と可愛がってくれた上級生たちは、ふと気がついたら私を仲間外れにし、ヒソヒソクスクスやるようになった。
中学生の頃、休みの日に街で同級生二人に会った時、一人は私に気づいて手を振ってくれたがもう一人は目をそらした。
気づいたほうの子が「ほら」と私の存在を知らせたが、こちらを見ようともしなかった。
高校生の頃、体育でペアを組んで行動することになにった女子は、露骨に私を嫌った。
同様に私を嫌っていた女子と一緒になってヒソヒソやり、体育が自習になった時(私と行動せざるを得ない状況になる)
「あたしイヤだー!」と叫んでいた。
派遣でとある会社で事務をやることになった時、そこの先輩(年下)二人にも嫌われた。
露骨に意地悪されたりはしなかったが、「こいつ要らない、こいつ嫌だ」というオーラが出ていた。
上司が気づいて別の部署に移動になったが、そこではさらに嫌われた。
リーダーはいじめこそしなかったが私をゴミみたいな目で見ていたし、目の前で露骨にヒソヒソする人たちもいた。
私をサンドバッグにしてみんなが団結していた感じだった。
家庭内では幼少時から姉に嫌われていた。
姉は私を徹底的に否定し、時には暴力も振るった。
成長してモラハラについて調べていたら、姉の行動がそのまま書いてあった。
上に挙げたのはほんの一例で、ほぼ全ての年代で万遍なく人から嫌われていた。
いつの頃からか、「自分は嫌われ者なんだな」と自覚し、中学生くらいの頃はそれでも自分から他人に話しかけたりもしたが、高校生になったらもう完全に諦め、自分から他人に接触することはやめた。
自分では気づいていない、悪いところもあるのだろう。
でも、ニコニコ笑いながらどぎついことを言ってきたり、頭に紙袋をかぶせて集団で叩いたりするような人が人気者で、何も悪いことをしていない私はなぜ嫌われるのだろう、と先日ふと思った。
アニメ本編はちょっと袋小路だなあと思うけどアニソンもぬるくなってるかな
ジュディマリもそうだし、増田だとAIKOのアナライズが話題になってたけど
誰でもできるとは言わないまでも、かなり敷居が下がってきて
最近のアニソンはみんな普通に一時転調入れてスケールカチカチ切り替えてる印象
音符配置的にはこれでもかと詰め込んでインパクトはあるんだけど
悲しいかなオケもミックスも安いので繰り返し聞いてると割とすぐ飽きちゃう
まあぬるいっちゃぬるいかもなあ
まあでも、いい楽器と奏者とスタジオとエンジニアが揃った「いい音」ってのは
当然金がかかるわけで、そういうところに拘れるご身分のビッグネームの方々は
引き続きがんばっていただきたいなと