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はてなキーワード: 楽器とは

2014-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20140111125228

ダンスミュージックってのがそもそもどんなのかよくわからない

好きな人電車乗りながら聞いたりもするの?踊る時だけでなく。

音楽だけじゃなくてダンス自体もよくわかんない。

DJが何やってんのかもわからないし(楽器みたいに上手い、下手ってあるの?)

クラブってこわいイメージ

2014-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20140108123936

そらそうだけどさ

いい演奏を聞く →(自分でやるときお手本がたくさんある)→ 楽器が上手くなるのが早い

いい絵画を見る →(自分でやるときお手本がたくさんある)→ 絵が上手く描けるが早い

いい文章を見る →(自分でやるときお手本がたくさんある)→ 文章力が上がる

()をみんな省略して話してるんでしょ?

だって前提だから確認するまでもないし。

本を読むと文章が上手く書ける、はおかし

いい演奏を聞くと楽器が上手くなる → ならない

いい絵画を見ると絵が上手く描ける → ならない

ゆえに、いい文章を見ても文章を上手に書けるわけじゃない。

と、思ってるんだけど本さえ読めば文章力も上がるって意見多いよね。

書かないとダメなんじゃないの?

2013-12-19

テクノロジーは手段であって、目的であってはいけない。あくまでも解決したい課題最初にきて、そのためにテクノロジーを使うようにしなくてはいけない。」って狭い考えだと思った

なんか意識高そうな人たちが詐欺っぽいサイト構築してますが、

技術で世界をかえる?それって自己満足になってない?【鈴木まなみ】 | TheWave

技術目的化しちゃいけない」なんてこと、趣味でも何でも、何かに打ち込んだことがある人だったら、そんなこと言わないはずなんだよ。

それは短距離走でもいいし、ピアノでもいい。

子供ときでもいいし、大人になってからでもいい。

技術目的化する状態っていうのは、研究特に基礎研究なんかがそうだと思う。

技術とか真理の探究目的であるものは、短期的には金銭にならない。

目的があって、それを達成する、っていうのは、逆に考えれば非常に会社的、資本主義的で、短絡な発想だ。

それに至る困難や、複雑さを考えない人がよくそう言う傾向がある。

その目的に至るまでのパスを考え、問題点を洗い出したり、困難な問題を突きつけると、途端に不可能とかマイナス思考なことを言うな、みたいに言い出す人が多い。

技術目的化するのは、頭が良すぎる人たちだけじゃないはずだ。

自動車の運転だってスポーツだって楽器だって、それで試合レースに勝つとか、人前で評価される前に、そのもの自体が目的化している時間があるはずなんだ。

吉本隆明が、何事にもそういう時間必要だ、と本に書いているのを読んで、本全体には納得がいかなかったが、その文章だけは同意せざるを得ない。

それを他人のために使うかどうか、はまた別の局面であって、その二つが両輪になって初めて素晴らしい何かが成立するのであって。

考えなしに、何かを達成しよう、と考えたところで、そこまでのルートを洗い出せば、自分能力を超えていること、人的資金的パワーが足りないことにぶちあたって、破綻するだけ。

何も目的がなくても、毎日ナイフを研いだり、試合だとか明確な目的がなくてもランニングするんじゃないかな、スポーツ選手だって

単に自動車を運転していることが楽しい

単にピアノを触っているだけが楽しい

これはどういう仕組みなんだろう、どうしてこうなっているんだろう、ということをひたすら突き詰めていく。

これは会社のような目的指向場所時間では到底不可能なことだ。

というわけで、会社仕事以外の時間ぐらい、目的指向から離れたらどうだろう、と思ったりした。まる。

2013-12-16

彼女ができる条件

・生まれ持った物が特別良い(家が金持ちイケメン身長高い、白人等等)

・獲得した物が特別良い(一流大卒、高給取り、楽器が上手い、芸能人等等)

・運が特別良い(女に縁があった、周りに女が多い、友人の紹介、宝くじ当選等等)

この三つのうちどれか一つでもないと彼女はできないんじゃないか とコーヒーショップカウンターから町ゆく男女を眺めつつ考えた

カップル、女複数、男単独 この三つで通行人として成り立っている感じだ 

彼女いない歴年齢の俺は、女の子として生まれたかったとつくづく思う 女複数の中に混じって遊びたい

「そんなこと言って、ブサイクな女として生まれたら~」って反論は無意味。俺は今現在が「ブサイクな男」なのでこれ以上は悪くならない。

2013-12-14

最近、「ヒトカラ」を覚えた。

アンドロイドアプリに、ジョイサウンドアプリあるじゃないか。あれに引っかかった。

連動してて、毎月300円課金すれば歌い放題ってアプリもあるわけだが。どうしても使える場所が限られる。

歌詞表示じゃなくて、楽譜表示が欲しいのだが。暗譜してない曲は困る。

「歌えない」というか……自分の声が嫌い。音痴ってわけじゃあないが。

カラオケってギター持ち込みで接続してOKとか。カラオケ店で「楽器練習に使えます」とかあるわけで。

なら、楽器持ち込んで演奏してもいいよね?マイク使わなきゃ、声より小さいし。で、ポケットに入れて持ち込める楽器で。

さすがに3時間で、レパートリーと体力が尽きる。

2013-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20131208133925

本当に「物語」が好きな人なら、アニメゲームという媒体にこだわらず、自分面白いと思ったもの面白いと語ると思うが。作曲家冨田勲は、初音ミク偏見なく分析し、楽器として扱っている。

小学生がみんなスマフォもってるってのが想像つかない

自分→30代男、こないだ人生で始めてスマフォ買った。

親→50代、スマフォ携帯も持ったことなし。

小学校中学校時代→そもそも携帯ってなかったようなきがする。ポケベルはあったかも。

高校時代田舎なので持ってる人なんていなかった。

高校卒業後→ちょっと都市にでてきたら、同世代の人でも携帯持っててびっくりした。着メロ打ち込んだりの時代かな。

社会人→ずっと携帯なしで育ってきたから、必要性がわからなくてずっと持たないまま。

やっぱ、親がまったく携帯もってないのが大きい気がする。自分が今の時代子供だったとしても、携帯持たせてくれるとは到底想像できない。家庭用ゲーム機もなかったし、子供にそんなお金かけられるわけがないし、親でさえ持ってないもの子供に持たせるなんてうちじゃ天地がひっくり返っても想像できない。アイスクリーム食べたい、雪がしみてしもやけが酷いので冬靴がほしいって言ってもお金いかダメと言われるような状況で、ゲーム機携帯欲しいなんて想像もできねえ。そんなこと言おうものならぶん殴られて3日飯抜かれてもしょうがない。

今の親って金持ちなの?なんで子供携帯代はらえるんだろ。倫理的な問題よりも、金銭的な問題が信じられない。俺の感覚おかしいのか?

いや金の余裕の問題じゃなくて、働いてない人=子供に個人のアイテム買わせるって感覚がわかんないんだよな。

そもそも親の金生活必需品以外の個人のアイテム子供が持てるという感覚が全くわからない。うちそういうの全くなかったから。お年玉も小遣いもなかった。ふつう買ってもらえるもんなの?例えばCD一枚にしろ欲しい服にしろモスバーガーしろ、始めて買ったのは高校の時バイトしてだった。マンガ社会人なって初めて買った。親に何か買ってもらえるという感覚がない。いやだって働いてないのに自分の物買えるってありえない。わけわかんねえ。その金どこから湧いてくるの?高校生楽器やってますみたいの見るとその金どこから湧いてるの?って疑問でいっぱいになる。家にお金の余裕あるから?だとしてもそれ親の金だろ、使ってもらえるわけがないって思う。

子供が欲しいっていうから持たせるのかな?それとも親が持っておきなさいって持たせるの?どっちにしても全く感覚が違いすぎて想像できない。小学生ほとんどが持ってるっていうから、今の親(20代出産して小学生の子なら俺と同世代だろう)が子供携帯持たせる感覚ってどんなんだろう。

携帯持ってない子供は例えるなら靴はいてない並」的な意見聞いてあまりにも感覚乖離しすぎててわけがからない。冬靴買ってもらえなかったから実際そうなのか。でも靴と携帯が同等とは思えない。少なくとも裸足で学校行かされることはなかったんだし。

少し前に人生初のスマフォ買った。SIMフリーiPhone 5sふつうに買えるようになったので。よくわかんねー契約とか本体がすぐに自分のものになってないとかなんかめんどくさいから、SIMフリーならと。でも音声通話いらないからしてない。BIG SIMデータ通信だけしてる。

2013-10-28

アラサーメンヘラの現状

土曜日大学時代の友人の結婚式に行ってきた。これで自分以外の女性は全員結婚した。

一方の自分はといえば、一番初めに結婚した友人の結婚式前後して精神疾患にかかってしまった。

適応障害の診断に始まり抗鬱剤を飲みつつステージ4まで肝がんが進んだ父親の世話をしていた頃の私は、かなりしんどそうに見えたらしい。実際私は女性にもかかわらず、友人の結婚式リクルートスーツで参列しようとして友人に諭されてようやくブローチをつけていたぐらいだった。

その後父親が死んでから躁転自分で何をしているのか何が起こっているのかわからないまま、気がついたら数年前に卒業した大学の近くにある精神病院閉鎖病棟で手足を縛られた状態で横たわっていた。数週間して個室に移ったあとも自由な外出もままならず、病棟廊下を死んだような顔で歩き回っている人たちの輪に加わっていた。

その後、半年ほど引きこもり、その間に私の病状を心配した家族から長年住んでいた家から引っ越したのちに、半年ほど精神科デイケアに通った。

そのころから、もう自分普通人間(いわゆる健常者)では、なくなってしまったと思うようになった。実際そのころはストレス精神病薬の副作用による食欲亢進のお陰でBMIが30位上になっていたし、今は父親の遺産社会で働いていた頃に入っていた保険からでた入院保険金で生活出来ているけれど、いつかは障害年金生活保護生活することになるのかなとぼんやり思い始めていた。実際私が通っていたデイケアの利用者の大半は障害年金生活保護生活しており、丸々と太っている人たちが大半だった。

いつだったか、ふとその話を母親にした時に、「そんなことがこれからも出来ると思うな。外に出て働け。働くことができなくても復職のために準備をしろ」と言われ、簿記1級の受験のために資格予備校に通った時期もあった。2級受験から5年以上立っていた上に、精神病薬を飲みながらだったから、受験直前期になってやっぱり無理だと思い、受験料だけ払って受けなかったけれども。

簿記1級を諦め、パートで1年働いている間に肥満外来に通って、なんとかBMI健康的な水準に戻した。その後契約社員ではあるけれども、中堅企業採用されてフルタイムで働いている。

でも、肥満だった証のだるだるの皮膚を見るたびに、閉鎖病棟にいた現実を思い返すたびに、もう私は普通ではないと思ってしまう。みんな普通に結婚して、子供も産んでいるのに、小学校の頃から結婚して家庭を作るんだ~などとのほほんと考えていた自分ができない立場になってしまった。

職場恋愛をしようとしても、会社には病気のことを隠しているのでできない。外部で婚活しようとしても、妊娠するためには断薬する必要があること、断薬すればまた躁転するかもしれないことを条件に結婚してくれる相手などいやしない。それに楽器演奏と月1のお笑いライブ趣味にしている今が一番ラクだと思っている自分もいる。

けれど、このままは嫌だ、自分にもパートナーがほしい、早く親元から離れたいと思っている自分もいる。でもパートナーは作れないだろうな、ある程度貯金がたまったら一人暮らしして、いきなり紐なしバンジーしたくなっても周りに心配かけないように物品の処分や死後の手続きについて書き置きしておかないと…

2013-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20131022111104

俺は音楽好きだけど楽器できないから、常に劣等感を持ちながら聴いてるね。これも前にも書いたかもしれないけど。

音楽好きである以上、いずれ楽器はできるようにならなければならないと思ってる。

2013-10-20

10月悪夢

毎年10月を迎えると、必ず蘇る記憶がある。

その経験がその後の自分の長い人生おいてとても重要ものとなったのは

言うまでもなく、また、今でもその時行った自分の一連の行為に対して

正解を見いだせないでいる。

大人になるということは、何かを諦めることだと誰かが言った。

成長するにつれて、複雑な人間関係が構築されて行く。

溜まっていく知識と経験が、様々なしがらみの対処法を見出して行き、

やがて"大人らしい"行動をできるようになるのだろう。

しかし、当時の自分はまだ18歳の高校生だった。

大人とも子どもとも言い切れない、多感な時期だ。

誰にでもそんな時期があっただろう。

18歳の自分と、成長した自分とでは、思考だけでなく、

それからくる行動も異なることだろう。

何かしらの縁があってこの文章を読まれた方は、純粋に沸き起こった気持ち

(18歳の頃の自分の気持ち)と、一度俯瞰してみてから取る行動(大人の行動)

の2つを感想として頂けると嬉しい。

後者を述べる際は、ぜひ今の自分の年齢も一緒に添えて頂けると嬉しい。

それでは、私に付き纏う10月記憶について語りたいと思う。

残暑厳しい10月のことである

私は卒業半年後に控えた高校3年生であった。

私の通っていた私立高校は当時その地域でも校則が厳しい学校で有名であり、

女性であればスカートの丈や化粧の禁止などはもちろんのこと、

男性であれば髪の毛が耳にかかっては行けない、鞄と靴は学校指定の物で

ないとならないなど、かなり理不尽な物が多くあった。

当時はロックバンドパンクバンド流行し、長い髪の毛が世間でももてはやされていた。

私も多分に漏れバンドグループに夢中になり、長い髪に憧れたものだった。

しかし、私は男性であったか校則によってそれは許されず、そのルールと戦い

ギリギリの長さに挑んでは教師から散髪を要求されるのであった。

そうは言っても、世間から見ればただの黒髪短髪であることに違いはないのであるが。

自分で言うのもおこがましいことではあるが、私は当時そこそこ人気のある方であったと思う。

同学年だけでなく、校内であれば大抵の女子が私のことを知っていたと思う。

バレンタインデーの日などには、2桁のチョコレートをもらうくらいの程度だと思って

頂ければと思う。

話しを戻そう。

そんな厳しい学校で、卒業半年後に控えた高校3年生である

私の通う学校進学校であったので、校則の厳しさと、受験ストレスとで、

ただならぬ緊張感が教室を支配していた。

そんな張りつめた空気に一瞬の和らぎを与えるのが、10月に開催される学園祭である

受験があるので1、2年生の頃ほどの準備はできないが、それでもお祭りである

皆の心が少なくともその前2週間ほどは心躍るのである

そして、その心躍る気持ちの中、同じクラス軽音楽部に所属するSとKから

学園祭の出し物にバンドとして出たいので、バンドボーカルとして参加して

欲しいとの依頼があった。

Sはお調子者でひょうきんなタイプクラスでも目立つ方であった。

Kは落ち着いた性格で、白い肌にメガネをかけ、今で言う草食系男子だ。

余談ではあるがKは地毛が茶色みを帯びており、当時羨ましく思ったものだ。

私はロックバンドパンクバンドが好きという話は前に述べたが、そういう経緯も

あってSやKと音楽の話して盛り上がる機会が何度かあり、また以前に一度だけ一緒に

カラオケに行ったことがあったので、彼らは私のそこそこの歌唱力も知っていた。

そして、これは表には出さなかったが、私が校内の女子から人気があったことも

その理由の一つであったのだろう。

バンド学園祭でのライブ1回のみの臨時的もので、ライブ終了と共に解散、

オリジナル曲ではなく一般的な曲であるのでカラオケと変わらないか大丈夫

という彼らの後押しもあり、私は快く引き受けた。

バンドメンバーはSがギターでKがベース、そして他のクラス軽音楽部に

所属するIがドラムという構成であった。

彼らはいつもそれぞれの楽器を弾いているということもあり、練習もこなれた

ものだったのだろう。

私はボーカルで、音楽聴くのが専門。

彼らも特別な物は期待していなかったこともあり、私が練習に呼ばれたのは

オファー当日の1度しかなかった。

学園祭当日が迫る中で、彼らの中で1つ問題があった。

それはどの曲を演奏するかということであった。

出し物の持ち時間の都合上、せいぜい3曲が限界

私がいるので誰もが知る有名曲をやる必要がある。

しかし、彼らにもプライドがあったのだろう。

そして、ついに学園祭2日前となった。

さすがに私も焦りを感じ、どの曲をやるのか決めてくれとSとKに言い寄った。

翌日(学園祭前日)の朝、SとKから紙を渡された。

そこには、人気バンドグループの曲からパンクバンドメタルバンド

当時流行っていたアイドルグループの曲(彼ら曰くバンド風にアレンジするとのこと)

まで10曲程度の曲が書かれていた。

もちろん、私が全て知っている曲だ。

SとKの言い分としては、この中から3曲を今日の練習で決めるので、私にはこの

10曲全て覚えて来てくれとのことであった。

また、明日学園祭当日)の朝早く来て練習をするのと、午前中にリハーサル

あるのでよろしくとのことであった。

私は、曲が決まったらすぐに私に教えるように言い伝えた。

当時は携帯電話など今ほど普及しておらず、私が持っているのはポケベルであった。

しかし、SとKは持っておらず、私の自宅への電話を待つのみであった。

私はその日、母親にSとKから連絡があったらポケベルに連絡するように伝え、

1人カラオケに行って練習をすることにした。

しかし、SとKからの連絡は一向になかった。

カラオケでの練習を終え、帰宅すると23時を回っており、SとKの自宅への夜分の

連絡は避けることにした。

そして、学園祭当日。

私にとっての悪夢の日となる。

当日の朝SとKの口から告げられた言葉は、私が想定していたそれとは全く違う物であった。

「やっぱりオリジナルの曲をやることにした。だからボーカルは降りてくれ」

私は自分の耳を疑った。

私は練習に2週間前の1度しか出ていないので彼らの本当の気持ちは分からないが、

彼らだけでの練習を重ねる中で、彼らなりにも色々と葛藤があったのであろう。

そして、終始無言で横にいたIの存在も大きかったのかもしれない。

Iとはほとんど話す機会が無かったが、卒業後も本格的に音楽をやって行きたい

という思考を持っていたと後で聞いた。

とにかく、私は学園祭当日にバンドから追放されてしまったのだ。

もちろん、私は彼らに詰め寄った。

ふざけるな、そんなことあってたまるか。

からでもいいか10曲の中から3曲選んで練習をするぞ。

しかし、彼らの頑なな意思が翻ることは決してなかった。

その時の気が動転した私の行動が、私の人生を揺るがすきっかけとなった。

怒り狂った私の心の矛先は、SのギターとKのベースに向いた。

私は、ギターベース破壊したのだ。

気が気でなかったので詳しくは覚えていないが、SとKも慌てふためいて

いただろう。

その1時間後、私は彼ら3人と校長室にいた。

そこで私は停学処分を言い渡されたのだ。

SのギターとKのベース軽音楽部の備品であった。

そこでも取っ組み合いになりそうになったのを、担任の教師に止められ

私は3人と隔離された。

その後3人と校長がどんな話をしたのかは私には分からない。

少し経って、担任からSとKとIのバンドは予定通りライブを行うと聞かされた。

ギターベースは、軽音楽部の同じ型のものを使うとのことであった。

教室に戻ると、学園祭前のいつもとは違った緊張感が教室にあった。

担任によって気持ちは落ち着かされたとは言え、今朝起きた一連の事実に対して、

それを受け止めるだけの器が私にはなかった。

机に座り自然と涙が溢れた。

周りには楽しそうなクラスの仲間の騒ぎ声が聞こえる。

SとKは、その中でも一際声を上げて笑っている。

私は、そっと目を閉じ、両手の拳を強く握りしめた。

その後私の取った行動はあえて伏せるが、その行動が私のその後の長い人生

決定づけるものとなってしまったのは言うまでもない。

そして、今でもその時の対処について正解を見いだせないでいる。

皆さんであればどのような対応をするだろうか。

ここまでが今でも10月になると毎年蘇る私の記憶である

2013-09-29

ドロップアウトして田舎暮らししたい

もし今、自分田舎に帰って自治会活動に参加するとしたら、あまり歓迎されずに「東京仕事しとった高学歴の偉そうな若僧がやってきやがった」みたいな扱いをされるんだろうなと思う。

自治会行事スケジュール調整役や子供会指導係を買って出て、うまくこなしていけば少しずつ改善できるだろうか。パソコン教室とか開けば重宝されるかもしれない。野球コーチができてもいいだろうし、楽器を使えてもよさそうだ。カラオケは苦手じゃないし、筋トレ継続してきた。課題フリートーク

他の人より得意だからって、それが自分にとって価値がなければ意味がないんだとよく思う。

小学校中学校と成績は良かったけれど、別に頑張って勉強したわけじゃない。それよりは足が速いとか野球サッカーが上手いとか、そうありたかった。今思えば、大した努力もしてなかったんだから何も不思議ではないんだけど、当時は自分には何も得意なことがないと思い込んでいた。それなのに周りからは、勉強ができるからって他のことをやらない感じ悪い奴だと見られていたようだった。成績を上げることより皆と仲良く遊びたかった。自分転校生だし仕方ないと思っていた。でも自分より後に転校してきた子は普通に溶け込んでいた。ますます自分は駄目だと落ち込んでいったが、成績が落ちることはなかった。今までどおり特に勉強はしてないし塾に通い始めたわけでもない。

中学校卒業して、知り合いが誰もいない学校に進学した。スポーツができればいいんだと思った僕は運動部に入って毎日練習に参加した。部活の同期とは普通に接することができたけれど、根っこの部分は変わってないので、クラスでは中学校ときと同じように浮いた存在だった。やはり成績がいいからと人と関わらない嫌な感じの人だと思われていたらしい。

この頃から部活で頑張って練習した成果が出始めて、全国大会入賞し、努力が成果につながることがわかってきた。工学系に進んだこともあり、勉強ができるのは価値あることだと思えるようになった。自分価値ある人間だと信じることができた。どこかの大学先生が「ティーンエイジアイデンティティ確立するためにある」と言ってたけれど、それが実現できたわけだ。

物事がわかるようになれば、世界が広がるし、自分客観視しやすくなる。福沢諭吉だって「ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」と著書(学問のすすめ)に記している。

そうは言っても、僕は今の状況を目指していたのか、僕は本当に貴人や富人になりたかったのか、疑問に思うことはある。獲得した学歴は無くならないし、獲得した知識や技術は失われない。有名な大学を優秀な成績で卒業して、帝国データバンクで上位ランクに入る会社入社して表彰され、業界では知らぬ者は居ない大企業本社に配属されて都心で暮らすなんてビジョンを持ったことなんかないのだけど、なぜこうなってしまったのか、なんで同じ誤ちを繰り返してしまったんだろうか。

ちょこちょこ転職活動しても、オファーがあるのは田舎中小企業じゃなくて都心オフィスがある会社ばかり。

「俺だって、こんな風になりたくなかった!こんな風に……」と会議室の机を叩き付けるような銀行員にはなりたくないのだけど。

数年前のJ-POPでこんな歌があった。

そして僕は知ってしまった。小手先でやりくりしたって、何一つ変えられやしない。今僕の居る場所が望んだものと違っても、悪くはない。きっと答えは一つじゃない。

彼らは日本で最も人気のあるアーティストの一組だと思うし、名前を知らない日本人ほとんどいないんじゃないだろうか。発売当時は単なるラブソングの前振りにしか思っていなかったけど、今の自分の気持ちを的確に表している。僕は彼らほどの成功を収めていないので比べるのは間違いかもしれないけれど、今居る場所が悪くはないと思って歩き出していこうと思う。本気でやらなきゃ、何一つ変えられやしない。

2013-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20130926200323

俺は絵が描けない。描いている自分妄想する頻度は計り知れないが。

絵に限らず、何かに熱中している自分妄想する癖がついてしまった。例えば楽器とか。勉強とか。

もし俺が東大卒だったらそれはそれでいいんだろうけど、現実Fランから

2013-09-25

階上の住人

日付が変わるころ、毎晩のように「眠れねえ」「落ち着かねえ」「どうするんだ俺」と絶叫。床を叩いてるんだか、飛び跳ねてるんだかの音が1時間以上続く。耳栓は用をなさないし、耳栓をつけたまま眠るのは違和感がある。

慣れたおかげで恐怖はないが、最近残業が多いので、眠れねえのはこっちだ!とでも怒鳴り返してやりたくなる。

これがテレビ楽器の音なら大家相談しているところだが、精神科案件のような気もするので言い出せないでいる。

封筒に3万円でも入れてポストに「これで通院してください」って投函しておこうか。引っ越す手もあるが、この騒音以外は、日当たり良好で駅までも近い物件なんだよなあ。

2013-09-10

ceroLIQUIDROOM Ebisu

2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人否が応でも7年後の日本想像せざるを得なかったわけだが、日本未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。

今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカル高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクト表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。

満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現演奏が始まる。

アコーディオンバイオリン一曲目のみ)、アコースティックギターウッドベースの4人組からなる表現ceroと関わりの深いバンドだ。ギター古川高城高校の頃からの知人であり、その後もcero表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城舞台袖で涙を流していたそうだ。

さて、表現演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞メンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようであるスキャットハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器演奏も素晴らしく、アンプラグド楽器アンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroコンテンポラリーエキゾチックロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。

ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。

いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。

盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城cero表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。

つの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコート羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫びフロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。

二度目のMCサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスタンバリン担当したあだち麗三郎表現での演奏とは変わってパーカッション古川麦ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。

ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルート音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城一人二役セリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞VJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。

新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生つぶやきや、ceroメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。

再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブ表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバム表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。

短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスからまり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。

最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭最後の盛り上がりを演出した。

しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後最後演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。

実は、最後MCおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京風景、そして変わりゆく日本音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代目撃者となったのかもしれない。

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130830235558

どんな複雑な行為も、長い時間かけて反復すると無意識レベルで出来るようになっていくんだよね。

楽器の練習を想像すると分かりやすいと思う。

掲示板荒らしなんて普通の人はしないし、したとしてもすぐに飽きたり他にまともな娯楽を見つけたりしてやめてしまうんだけど、そうならなかった人も確率的に発生しうる。

元増田が問いただした荒らしもそういう人だったんじゃないかな。

既に荒らす行為が当人の日常の一部になってしまって、やめる理由がないか荒らし続けているのだろう。

2013-08-28

三十路男の焦燥

最近会社から帰って寝るまでの時間、常に焦燥感を感じる。

ダラダラ遊んでいていいのか、なにか有意義なことをしなくていいのか

そんな気持ちがちらちらと湧いてくる。

別段生活がうまくいってないとかはそういうことはない。

会社はそれなりに仕事があるけど定時で帰れるし、週末は趣味を楽しんだり友達遊んだりしている。

でもこのままでいいのか。なにか自分スキルなり知識なり糧になるようなことをした方がいいんじゃないか。

でも何をしたらいいのか。勉強?なにを?それとも筋トレ?それとも創作系の趣味でも始めればいい?

昔そう思って絵や楽器を始めたりしてみた。当然長続きしなかった。

続ける程の情熱が湧く程好きになれなかった。向いてないのか。

そういう気持ちばかりが積もって焦る。焦るばかりでなにも動けない。

どう動いたらいいのか分からない。なにが正解なんだ。

もちろん正解なんかないのは分かっている。だからこそ迷う。

しかも年を取るごとになにかを始めるのがおっくうになってくる。

一旦動き出せばわりと動けるかもしれないのに。

正しい道だけを選んで 選んでるうちに日が暮れて

立ち止まったまま動かない 結局何にもやらないなら

有罪有罪有罪重罪



そうやって今日もなにも成せないままダラダラと時間を消費して終わる。

そんな毎日

2013-08-27

なんで子供習い事って親の送迎ありきなの?

いや、幼稚園児くらいならわかる。

それは、習い事でなくても、遊びに行くのでも、親の送迎は必須だ。少なくとも世間ではそうしたほうがいいとされている。

だが習い事だ。別に必ずしもやらなきゃいけないことじゃない。

最初は年齢が幼いからと送迎するにしても(楽器系は4歳とか5歳とかから習うことも多い)ゆくゆくは自力で通うのが前提じゃないのか。

そんなつもりでいた私は放置親とか言われちゃうんですかね。

そろそろ送迎からは手を引こうと思ってたんだけど。

私は親が塾まで迎えに来るの嫌だったけどな。みんな電車で帰ってるのに。

2013-08-26

せっかちさんの憂鬱

最近になってようやくハッキリ自覚したのだが、自分は病的にせっかちというか、短気な性格だ。

どれぐらいせっかちかと言えば、例えばバスを1時間待つ以外に代替手段がないという状況でさえ、凄まじくイライラする。

イライラしたところでバス10分後に来るようになるわけでもないのに、完全にエネルギー無駄というか、絵に描いたような空回りだ。


この性格で損をすることは色々あるだろうけど、直近で困っているのはスポーツ楽器等の技術習得の場面。

習得というのは教わることと身に付けることがセットになっているけど、自分場合、教わったことを脇目も振らずがむしゃらに取り組み、動作を完全自動化するアプローチしか持ち合わせていない。

教わったことの要点をきちんと頭で整理し、消化するプロセスが欠落しているので、教わったことしか出来るようにならない。

普通の人が1教わったら自学自習を通して234くらいまで分かるようになる所が、自分は1教わって1だけ身に付く感じで、発展性ゼロなのだ

即ち「せっかちなのに要領が悪い」と。あるいは「不器用脳筋」か「無能な働き者」か。


最近だと、こういうせっかちさは「多動性」の発現の一つと言われているようだけど、集中力が持続しないとか、昔遅刻魔だったとかも加味すると、恐らく自分も当てはまると思う。

まあ本当に当てはまるかどうかはともかく、「せっかちな性分」が日常生活に悪影響を及ぼさないよう、何らかの工夫は絶対に必要だろう。

実際、遅刻癖は出かける準備の時から常に時計を持ち歩くようになって「5分前行動」くらいに落ち着いたし、待つときイライラは常に暇つぶしアイテムを携行し、それに取り組むなどしてどうにかなっている。

なので、今度はその工夫を学習という場面で行えばいいのだが、どうしたもの・・・

2013-08-23

基本を習うタイミング

4歳から高校まで習っていたバイオリンのレッスンを、30代も半ばになって再開してからはや半年

この間、徹底的に直され、今でも直されまくっているのがボウイングだ。


バイオリン擦弦楽器である関係上、弓の元から先まで均一な音を出すのが基本中の基本であることは、ほぼ確実だ。

言い換えれば、切る前の羊羹みたいな、テヌート的な音が「バイオリンでは」基本と。

子供のうちから習った場合、それできらきら星を弾くのがド定番だったりする。

ここまではいい。昔は練習嫌いだった自分でさえ習得できたので、これは子供の頃から習った人は全員体得すると言っていい。


しかしこれ、西洋音楽本質に照らし合わせると、飽くまで「バイオリンにおける基本」に過ぎないのだ。

まり固有の楽器技術的な基本と、音楽的な基本が違っているのだ。

しろ西洋音楽の音の基本は、頭にだけアタックが付き、そこから音符いっぱいかけて緩やかに減衰する、デタッシェという音だったりする。

これは擦弦楽器だろうが撥弦楽器だろうが管楽器だろうが打楽器だろうが全く関係なく、西洋人にとって最も自然に聞こえるから、という話。

即ち、テヌート的な音の出し方しか出来ない場合、まともに聴かせられる曲が、かなり限定されてしまうと。

嘘だと思うなら、例えばモーツァルトテヌートだけで弾いたらどうなるか想像してみるといい。かなり暑苦しい、ともすると力任せの演奏に聞こえるはずだ。

これがメンデルスゾーンとかになると、1フレーズごとに表情を変えることが要求されるし、それが出来ないと非常に退屈でつまらない演奏になるのは間違いない。

しかテヌートけがベースの奏法では弾き方の引き出しが少なすぎて、こうしたロマン派の難しい曲には全く対応できない。

またテヌートデフォな人は、必要以上に力んでいることが多いので、音色も硬く、場合によっては汚い、荒っぽいものだったりする。

結果的に、普通の人がイメージするバイオリンの音から大きくかけ離れてしまうのだが、本人はなかなか気付かない。


昔はあまり練習に熱心でなかった自分は、結局テヌート的奏法しか習得できなかった(させてもらえなかった)ので、今になって目を回しながら対応に追われている。

バイオリンは可能な限り力を入れず、かつ綺麗で芯のある音を出さないといけない楽器であることを思い知らされているというか。


そこで疑問なのだが、幼少からバイオリンを熱心にやっている人は、一体いつくらいに、デタッシェの奏法を習得するのだろうか。

保育園幼稚園小学校低学年の子にこういう難しいことが理解できるとは思えない。

反面、少なくともメンデルスゾーンを弾く前には絶対にマスターしていないと、発表会で「右手はまだまだだけど左手はいいんじゃない」といった微妙な評価をもらうことになるだろう。

やはりスズキ最後の方に出てくる、モーツァルト協奏曲を弾く辺りだろうか。

2013-08-20

夏の終わりに

 少し前に、ある楽器を習いに音楽教室に通っていた。

 そこの先生プロミュージシャンとしても活動している人だった。

 先生から言われた言葉で印象深いものがある。

 「適当にやって、それでお金を稼げるようになるために、みんな努力しているんです」というもの

 言われたときはまったく理解できなかった。

 適当にやってお金を稼ぐだなんて。なんて不真面目な考え方だ、そんなのおかしいと思った。

 けど最近、その言葉意味が少しだけわかるような気がしている。

 10年以上、毎年欠かさず参加している夏フェスがある。もちろん、今年も参加した。

 そのフェスでは、ベテランミュージシャンから、新進気鋭の若手バンドまでさまざまな世代ミュージシャンが出演し、それぞれのパフォーマンスを繰り広げる。

 私が見た限りの印象だけれど、若手のバンドは、数曲演奏するだけのステージでもものすごく気合いが入っている感じがする。

 MCでは『僕たちの名前だけでも覚えて行ってください』と叫び、膨大なエネルギーをそのまま音に変換したような演奏をする。

 一方、ビッグネームベテラン勢には、若手みたいな気迫は感じられない。

 何百回と演奏してきたヒット曲を「いつもどおり」演奏する。

 もう、本当に何百回、下手したら1000回以上演奏しているのかもしれない。

 だから必要以上に気合いとか気迫とか、いちいちこめなくてもステージはしっかり成り立つし、客側からしても、十分に観る価値があると思える。

 ベテランの人たちは別に最初から気合いとか気迫といったもの放棄していたわけではないだろう。

 彼ら・彼女らが若い頃は「最近現代)の若者にうけてるバンド」と同じような熱量を、何十年も通して繰り返しライブレコーディングで発揮してきた。

 そういった作業を繰り返すことで、実力が鍛えられる。適当にやったとしても元々の技量が鍛えられまくっている。 

 そこで冒頭の先生言葉を思い出す。説得がある言葉だったのね。

2013-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20130813143145

ニコニコとかの動画サイトってアマチュアレベルで許される時代は過ぎ去って

プロ並みの品質を求められるとこになってるから投稿せん方が無難なんだろうなって思う。

黎明期なら素人投稿して狭い領域で楽しめたんだろうけど、まあ有名になってきちゃうとどうしても

こうなるのは避けられないんだろうなってさ。

あとなんか単に楽器引くのが好きってだけじゃなくて承認欲求が混ざってるよね。

しろそっちのが大きそう。彼みたいな言葉が引っかかってるってんなら、本当は自分の何を満たしたいのか、

よく考えるべき時な気もする。

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