はてなキーワード: 文化系とは
シフト減→解雇だから、休業補償よこせやってのと、会社都合だよな、ってとこ確認中。
30台のパートのおばさん。
業種はコロナの影響まるかぶりなとこあるから覚悟してたけどさ、なんというか経営者の「この状況だから仕方ないよね?補償は専門機関と確認してからね」って態度が腹立つの通り越して呆れですよ。
そりゃあなたも大変でしょうけど、そこで「がんばったんだけど、申し訳ない、補償に関してはできる限り」とか、口先だけでも言えないのかね?最後っ屁かよ。
もともとこの経営者とすごく気が合わなくてさ、沸点低くてモラハラで、お客さんにはいい顔するけど電話切ったら悪口だし、機嫌悪いと嫌味、毎回言ってること違うし、それ指摘するとキレるし。
だから辞められてよかったとも思うんだけど、何があれって、私こういう経営者に当たるの2回目なのよ。
前の会社の経営者も全く同じ。正社員だったから余計あたりがキツくて、毎日顔色伺って、でも何やってもなじられて、帰ったら今日あったこと思い出して「うわぁぁぁ」って叫んでた。最後は適応障害で辞めた。正直今もフラッシュバックして「うわぁぁぁ」ってなることがある。
面接で「この人なら大丈夫」って思った。やっと落ち着いて働けると思った。
なのにまたモラハラ。
前の経営者も、今回の経営者も、面接まではすごい人当たりがいいんだよ。入ってからもしばらくは。
でもしばらくしたら「あれ?」って。その「あれ?」が日に日に増えてって、ひとつの「あれ?」につまづいてる間に次の「あれ?」が増えて、そうすっと怖くなってきて、ずっと顔色伺っちゃうの。でもそれでもうまくいかないの。
他の人もそれなりに嫌な思いしてるんだけど、どうも見てると、私ってそういう人に嫌われやすいというか、ターゲットにされやすいみたいなんだよね。
周りの人から気遣われることもしばしばあった。でも、みんな、経営者の手前かばうようなことはなくて、まぁ、そこは仕方ないんだけど。
私の見る目がないのかな?
ちなみに学生時代いじめられたことはない。カースト的には最下層の微オタク。部活はゆる文化系。
父親も経営者で、若い頃は正直モラハラだった。誰のおかげでメシが食えてんだとか。直接的な暴力はないけど。
それに対して萎縮しちゃうところもあるし、勝気な性格だからか「え、何言ってんの、おかしいんじゃないの?」って空気読めずに言っちゃうとこもあって、そこらへんが嫌われるところなんじゃないかと分析してる。
ちなみに父親とは現在適度な距離で付き合ってる。じいさんになってしょぼくれちゃったしね。持病があるからコロナ心配。
前の会社で適応障害になった時、カウンセリングを受けたんだけど、やっぱり父親とか家族の関係で生じた認知の歪みが、モラハラ経営者の餌食になりやすい原因だと言われて、現在もカウンセリング中。
幸いずっと働いてたおかげで失業手当が長くもらえるから、コロナが鎮まるまでおとなしく自粛生活しながらオンラインでカウンセリング受け続けようと思う。
でも、コロナがおさまったらまた働かなきゃいけなくて、その時の職選びどうしよう…って不安。
35も過ぎたおばさんだから、コロナ後は職選びなんてできないかもしれないけどさ。
できたら経営者とか上司より、そこら辺のパートさん捕まえて「どうっすか、この会社」って聞きたい。
おしえて、諸先輩方!
【追記】
タイトルが悪い、とのブコメをいただいたので、タイトル変更しました。
このコロナ禍で、皆それぞれ大変だと思う。
まず、自分と家族の安全を確保して、それから少しずつ周囲へ安全と文化を取り戻していこう。
とりあえずそう考えて動いてます。
その第一歩として、顧問先の民間学童保育にマンガとか本を寄贈してるんだ。
文学部出身で、「文化系」を標榜してるので、現状、それが一番貢献できることかと。
わたしは男なので男子の好きは想像できるけど、小学生の女の子の好みがわからなくて。
とりあえず、今のところ『リアル』『銀の匙』『3月のライオン』『ホームレス中学生(小学生版)』を贈ってみた。
でも、このあたりは4~6年生向けで、1~3年生向けのものがわからない。
あ、『コナン』とか藤子不二雄Fの『ドラえもん』『オバQ』とかは既にあるんだけど、
なんというか、もうちょっとマニアックなものがあってもいいかと。
そういう方が、将来への射程が長いような。
次に考えてるのは、
『ちはやふる』『俺物語!!』『君に届け』『動物のお医者さん』『BAKUMAN』『少年アシベ』『よつばと!』『ダンジョン飯』『あずまんが大王』あたり。
個人的には『ママ』『ギャラリーフェイク』『ハチクロ』、人生の厳しさを伝える意味で『カイジ』『零』もいいかも、と考えてるけど、小学生には難しいかな。
藤子不二雄Fでも、「少し不思議」関係を推したいけど、大丈夫かな。
で、注文多くて悪いんだけど、
100円棚、80円棚にあるような。
というのも、これは事務所じゃなくてわたし個人でやってるから、資金に限りがあるんです。
本当は、小遣いが少なくなっても『ジョジョ』『寄生獣』『キングダム』あたりを寄贈したいけど、自粛してます。グロ描写が保護者ウケしないかもなって。
あと、『ズッコケ三人組』シリーズをドカンと寄贈できればいいんだけど、
予算面で難しくて。
自分の観測範囲だと、けっこう読書好きとかマンガ好きとかのカップルはたくさんいて、特にアウトドアなデートに出かけている様子もないんだよね。本屋さんとか、キャラクターグッズのお店とか、ジョジョの奇妙な冒険展とか、そういうのに一緒に行って距離を縮めてるみたい。あとは普段のサークル活動とか。
この増田の話だと、自然に身体が触れ合わないと、相手を異性として意識できないってことになってるけれど、自分の周りのカップルだと自然に距離が縮まるデートスポットに特に行っている様子はなさそう。
自分の周りが特殊なのか、それとも単にいろんなカップルがいるだけなのか、よくわからないや。みんなそれぞれだからいいと思うけどね!
自分や自分の経験に重なるところがあったので書きますが、失恋直後にかける言葉ではないかもしれません。傷つけたらごめんなさい。
・21歳女性
・158cm 中肉中背
・顔立ちはめったに褒められない
・趣味は読書と映画と美術鑑賞。春休みなのにコロナで美術館に行けないので、家に引きこもって全話無料開放中のいぬまるだしっを読み切りました。
持論ですが、文化系の趣味は基本的にリアルで恋愛の契機になることは少ないと思います。
美術鑑賞や映画鑑賞は基本的にパーソナルスペースを確保したまま進行するので、
通常進行=友達判定
です。
普通にしていれば(物理的に)距離が縮まらないイベントで、意図的かつ自然に距離を縮めるのは恋愛上級者でない限りものすごく難しいと思うんですよね……。
友情は好意、恋愛感情は好意+性的衝動が相互に成り立つことだと解釈しているので、美術館や映画は複数回繰り返せば友情は成立しますが恋愛感情が生まれることはなかなかない気がします。
少なくとも、私はそうでした。
じゃあサシで会うなよ!思わせぶりにすんなビッチ!と言われるとそうですね反省します、としか言えませんが、キスやセックスをしたいと思わないだけで会ってて楽しいことは間違いないので誘われたらついて行ってしまうと思います……。
長くなりましたが、もし恋人を望まれているなら手法を変えたほうがいいと思いますし、結婚相手を探されているなら手法はそのまま戦場をマッチングアプリではなく婚活市場にシフトしたほうが良いかと思います。
web広告では「うわ、私の年収低すぎ…」的なネガティブな広告と
twitter界隈(特にweb系、コンサル系フリーランス)の躁気味な呟きと行動力を見ていると
どんどん心が病む。
できるだけこういったものは見ないようにしているんだけど、
こういう人たちの行動力は見習う必要があると思って時々眺めている。
例えば「初めて○○日で月収〇〇円しました!」みたいな意識高いやつ。
情報商材的なものと本当に意識高く行動している人が混在しているこの手の人たちは
それにも関わらず中にはメンヘラ経験有りもいてどうやったらその境地にたどり着いたのか
本当に不思議で仕方ない。
というかあの人たち、自分は未経験と書いて成功するまでのサクセスを書くけど、
その期間が圧倒的に短すぎたり、アウトプットが凄くて、明らかに未経験に見えないのが気になる。
それに文化系のようでマッチョイズムがすごい体育会系に見えるし。
自分もこういった人たちのようになれればいいのだが、どうやってもそこに行ける気がしない。
「親は子供に勉強させる」というのは今も昔も親にとっての共通の課題であるように感じる。それはなぜだろう。
物事を極端に単純化してみれば「生物の至上命題は生物を絶やさないことである」と捉えることもできる。そのためには生命現象を停止させることができる様々な脅威への対策が必要になる。生物の長い歴史の中で脅威への対策は「多様性」だった。いろんな脅威に対応できるいろんな個体がいれば、そのうちのいくつかは生き残り、また多様性を生み出して新たな脅威に備える。適者生存による自然選択である。
人類はある種この「生物の多様化」というトレンドの極端な例外であると言える。なぜならば、人類は高い「知能」を使って脅威を事前に発見し、回避する術を手に入れたから。これまでは平たく言ってしまえば「数撃ちゃ当たる」的なスタンスで脅威に立ち向かってきた生物は自ら脅威を取り除くことができるようになった。つまり人類の最大の武器は「知能」あるいは「知性」であり、これを最大化することが生存の最適戦略であるというのは納得できる話で、故に「親が子供に勉強させたい」というのはごく自然な欲求であるように感じる。
では「勉強とはなにか」ということを真面目に考察する必要があるわけだが、現代の日本人が「勉強」という単語を聞いて想起するのはそれこそいわゆる「勉強」であるように思う。それは義務教育の小中学校で行う、教師から生徒への一方的な知識の詰め込みだ。このやり方は一見効率はいいし、それらの知識を体得することで未来が明るいことが(実際にはそうでなく集団幻覚としてであっても)約束されている場合には子どもたちも「やる気」にはなるとも思える。しかし、現代においてそれは成り立たない。世界の裏側の(厳密には世界の裏側は海である確率が高いが)人たちの様子が光の速度で伝わってくるレベルに地球全体が高度に繋がった時代では最適戦略も変わって来る。
どういうことか。人類の知性が想定しうる脅威は急速に個人の力で対策できるものではなくなっていったのだ。社会を形成した人類は一つの脅威に立ち向かうために複数人で協調して脅威に立ち向かうことを余儀なくされ、今では数百や数千人を動員する必要があるプロジェクトがざらにある。たとえばがん研究に携わっている人間の数は見積もることすらできるかどうかわからない。研究のためのデータを提供する勇敢な患者さんや一線で活躍するために琢磨する学生たちも含めればゆうに万の桁を超えるだろう。そんな環境の中で生き残るためにはどうすればいいのか、「成功するというのは一体どういうことなのか」についてもっと真剣に考えた方がいいのではないかと思うことがある。
成功を定義できない親が「成功のために勉強しろ」と宣うのはちゃんちゃらおかしいのではないだろうか。そもそも小中学生の親程度の年齢で自分の人生が、あるいは自分の人生観が導いた結論としての成功の定義が、本当に子供にとっての「成功」なのだろうか。まもなく30に差し掛かる私は統計的にはあと50年ほどの時間が残されている。今子供を産んだらその子が小中学生になっている頃に私は40前後の計算になる。そこまできてようやく人生の折り返し地点。終身雇用だったとして退職まで残り25年。それまで勤めている会社があるのかどうか、国があるのかどうか、自分の生き死にすら保証されない中で、成功を定義付けて恐らくは自分より未来を生きる子供に押し付けていいのだろうか。どんなに私ががんばっても遠い国の主宰がボタンを一つ押しただけで、私達の知る世界は消えてしまうのかもしれないのに。
では私はどう思うのか。私は一番大事なことは「勉強がしたい、あるいはしないといけないと自覚した時に、それを全力でサポートできること」だと思う。一口に「勉強」と言っても色々ある。私はずっと科学が大好きで、アメリカの優秀な中学校で表彰される程度には科学に関するあらゆる知識を吸収する探究心があった。でも逆に、いわゆる「文化系」の科目は大の苦手、というか大嫌いだった。国語、歴史、地理、こういった科目には一切の興味がなかったし常に成績が悪かった。きっとそういう人は多いんじゃないだろうかと思う。学校で教えている教科でなくてもいい。たとえばスポーツだって勉強だ。見ている分には非常に単純なマラソンにだって勉強しなくてはならないことがたくさんある。その証拠に私はマラソンでより早く走るために何を勉強したらいいのかすらわからない:まずそこから勉強しなくてはならない。
ゲームだってそうだ。私が一時期ものすごくハマっていたリーグ・オブ・レジェンドは勉強しなくてはならないことが山ほどある。キャラクター、武器、そしてゲームプレイに影響を与える様々なギミックの数値を知り、それを最適に組み合わせて実行に移さなくてはいけない。私はこういったことが得意だったので、最初は上達が早かった。でも次第に自分の才能(熱心に取り組んで考えて成長する力)が足りないことに気がついた。世の中には私よりはるかに上手にこれをこなすことができる人たちが存在する。そしておよそ5年間、毎日数時間とのめり込んできたゲームをある日突然全然遊ばなくなった。せいぜい数週間に一度、まとまって友人たちとわいわいとやるくらいになった。そして私はいわゆる「勉強」を始めた。それまで大学を通してやってきたプログラミングに割く時間が圧倒的に増えた。この時私は周りから「ゲームをしろ!」だなんて言われなかった。だからすんなりと離れることができた。
最後に一つ、個人的なエピソードについて語りたい。私は高校二年生最初の学期の時に物理で赤点を取った。当然両親には怒られた。しかし次の学期には期末試験で学年二位の点数を取った。なぜか?当然、両親に怒られたからではない。自分が好きだと自負していた物理という科目で赤点を取ったのが悔しかったからだ。私は自分の勉強方法を見直して、物理という科目への向き合い方を徹底的に変えた。その結果、ものの数ヶ月で私は学年トップを争えるようになったのだ。実際にはクラスの進度に歩調をあわせていたのでもっと早くその域に達していたのだと思う。その経験から私は「何かをしたいと、本当に、心の底から思うのなら、それはきっとできる」と信じるようになった。だから逆に、焦っても仕方がないのだとも思うようになった。勉強というのはそういうものなんだろうと、私は思っている。
もちろん、これもまた私が個人的に経験した一つの成功体験でしかない。これが普遍的な真実であるとは思わない。残念なのはそのことに気がついたのは私が指導してきた数人の後輩たちを凹ませてしまったあとだったことだ。私は、こういう原則でいるがために、完全に自主性に任せて「できない」ことを「やらない」ことだと決めつけていた。実際には取り組むための「きっかけ」が必要なんだという基本的なことにすら気づかずに。自主性に任せてどんどんと探求する意欲を芽生えさせるためにどうしてあげたらいいのか、私にはまだわからないし、あるいはそうすることが本当にいいことなのかどうかもわからない。だから私は現時点で子供を産んで育てるということをしようとは思っていない。でももし、また誰かが私に学びたいと申し出てきたのであれば、それがプログラミングだろうとゲームだろうと、私はその人がやりたいことに熱中できるようになるきっかけを探す努力をできるようになりたいと思っている。
・「靴の踵がすり減った女」「服装のだらしない女」を狙えと本質的には同じ
・男女問わず、興味も無いのに出会いを目的として趣味の場に踏み込んでくる人間は嫌われる。
・男女逆で「理系男子は女慣れしてないから狙い目!」は叩かれない?チョロいから狙い目ですよって言われりゃ男女問わず不愉快。でも何故こちらは許されがちなのか。
→草食系男女ブーム、優しい男、線が細くて眼鏡の似合う知的な男が好き、一定の需要がある。塩顔、しょうゆ顔や、体育会系、文化系のような好みの問題として許容されてる?でも男のおとなしい女子が好き、は昨今叩かれがち。
→言葉選びがマズい。
→属性の規模によっては忌避感がある?ハンドメイドは今の時代ややマイナー趣味、でもこれが編み物女子、陶芸女子だとピンポイント過ぎて「そっか」って感じでは?釣り女子アウトドア女子だったらどうだろう、やっぱりモヤっとするだろうか。理系男子…は実質メガネ男子ぐらいに相当するので、メガネ女子を狙え、ぐらいのものか。
すこしだけ、というのは、ううんなんて言えばいいんだろう。にわかオタクだったっていうか。
小学生のころから根っからのオタクだったので創作したり妄想したりするのが好きだったんですけど、高校時代はライトなオタクだったというか。漫画読むしアニメも齧ってたしニコニコ動画とかも見てたけど、そこまでヘビーなオタクじゃなかった。
なぜそうだったかって、勉強と部活に明け暮れていたからなんですけれども。そこそこの進学校に入学した自分は今思うとめっちゃ痛いんだけど高校デビュー(笑)したくてごりっごりの運動部に入ってた。
それまで文化系だったから、その部活では底辺だった。でも個人競技の側面のあるスポーツをしていたので誰かの足を致命的に引っ張ることはなかった。本当に良かった。
そこで同じ競技をしていた同い年の同級生が他にもうひとり居たんですね。男の子なんですけど。
端的に言うと、めちゃくちゃ陽キャだった。もう根暗の自分からすると最初はマジで怖くてびくびくしてた。
同じ種目だから練習も同じなんですけど、まじで同じ部活じゃなかったら関わることがなかった人種。
その子は最初の一年は部活さぼりがちでした。なんか勉強の方に専念したいらしくて。でも練習に顔出さない割にはもともとの運動神経が良くて部活の成績はそこそこ良かった……たぶんもっと練習してれば強くなっていたのではないかとおもう。
二年生になって、練習によく顔を出すようになった。たぶんなんか、その子のなかで気持ちが変わったんでしょうね。
毎日のように練習で顔を合わせるんですけど、怖いと思ってたのがコミュニケーションするうちにこいつ良いやつじゃん…ってなった。
その子めちゃくちゃイケメン(でも顔がこわい)で、一年生のときからお付き合いしてる彼女が居るんですね。で、よくその子のことを惚気られた。
しかもその惚気かたがめちゃくちゃ可愛くて、下世話な話とかじゃなくて、今度お花見に行く~とか、手作りのお弁当を作ってもらった~とか、なんかもうあまずっぱいんですよ。
ほんとうに好きなんだなあ~と部活の合間とか終わったあとに話を聞きながら、彼のようなひとのことをリアル風早くんと言うんだろうなと思っていた。(風早くんが誰か気になるひとはぐぐってくれ・・・)
なんで急にこんな話するかっていうとツイッターで行きずりのオタクが「マジの陽キャはいいやつ」みたいな呟きしてるのが流れてきて。本当にそうだなあって思ったからなんですよね。
余興は女子が制服で縄跳び…大学サークルの理不尽な慣習:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/articles/ASMCX4218MCXOIPE00M.html
俺の大学時代って、もう20年以上前だけど、未だにこんなのあるのね。
なるべくおとなしめの文化系の女子が多いサークルに入ったから、
ただ、新入生は、新歓で一発芸をやるっていうしきたりで、
どうしても入りたいサークルだったので、
やるしかなかったな… 苦い思い出。。
少し高めのお店に飲みに行ったとき、
のが見えた。
思って、就職したくなくなった。特に大手企業はそんなイメージだった。
酒の肴にするだろうけど、
つらいよね。
もちろん、男子の場合、下着が見えても面白くもなんともないので、
前を手で隠してて往生際が悪かったとか
その男子は、ノリが体育会系だったからかすぐパンツを脱いだのだが、
したと後悔している。
結束を固めるっていうことだと思うので、
お上手な芸よりも、恥ずかしい、エグいほうがいいと
いうことになるんだと思う。
そういう傾向にあるのかもしれない。
まぁ、俺にはついて行けなかったなと思う。
(さすがに女子の全裸はないようだが、その場合は男子が身代わりに全裸になるようで)
それから思い出したけど、
ホテルニューオータニに用事があって行ったときに
厳粛な行事で、こういう下品な芸ってどうなのって思ってしまった。
なかなか難しいことで、
それだったら脱いだり、一気飲みをしたりするほうが
楽なのは確かだよね。
まぁ、今ぐらいの年齢になれば、
脱ぐだけで、仕事がどうにかなるんであれば、
嫌ならやめろっていうブコメがあったように思ったけど、
それぞれウエイトのかけ方は違っても、
その大学に入学した面もあったので、やめるなんて考えられなかったな。
社畜も一緒ですな。損得だけで行動してるわけではないし、視野も狭いからね。
決めることができる立場なので、やっていません。
会社の飲み会って、みんなが共通の話題をもっているわけでもなし、
仕事の話をするのも疲れるしで、
それを聞いたとき俺はびっくりしたけど、
それからは、年に1回程度、昼間に、なるべく高級なお店で食事会を
するだけにしている。
でも、そういう時代の流れかな。これからは転職も副職も当たり前になってくるし、
─原文─
「罰ゲームは、10メートルほど先にある袋に向かってハイハイして進み、
以上です。疲れた。
初めて投稿する。
誰かに読んでいただくことを意識しながら書こうとすると、どうもちぐはぐな文章になってしまう。
そこで、いつもの紙の日記に書くかのように、独り言を発するかのように、書いていくこととする。
***
いや、今もまだ、受け入れ度合いは7割くらいで、
残り3割くらいは、「制服好きなんてキモい」「人に言えない趣味」「むっつりスケベ」なんて思ってしまう。
しかし、もしも将来、自分が娘を授かったら、これは懸念ではないか。
まさか我が娘に対して、いやらしい目線を向けてしまうのではないか。
まだ結婚もしていないというのに、杞憂に終わるかもしれないことを、気にしている自分がいる。
何を言いたいのかというと、
私はごく自然な人生を送ることを難しく感じるときがあるのである。
そんな目線を向けたくもないのだが、どうやら私の脳は、
女子高生の制服が、性的興奮の起動スイッチになっているようなのだ。
この10年の間に、ありとあらゆる角度から、自分のこの性質について、
私は、女子高生の制服そのものに性的興奮を覚える、ということが分かった。
だから、私服姿や体操着姿、ジャージ姿の女子高生では、あまり反応しない。
実は中身が男でも、高校の女子制服を着ていれば、ドキドキする気持ちがあることを確認した。
でも、だからといって、イメクラに行くとか、ブルセラ買うとか、メルカリで注文するとか、
そういうことはしない。
そういう人生には、したくないのだ。
いそいそと夜中に、女子高生とかjkとかを検索ワードに入れて、
「女子高生の制服が好き」という自分を認められていないと、虚無感に襲われる。
いわゆる街撮りという、女子高生の制服そのものに焦点を当てた画像サイトも好きだ。
不覚にも見てしまうと同じく興奮するのは悔しいのだが、
もし実際に駅のエスカレーターなどで盗撮しようとしている輩を発見した時には、
女子高生の制服フェチと、脚フェチ(靴フェチ、においフェチ含む)である。
女子高生の制服フェチは、おそらく私の生い立ちが関係している。
接点を作る努力を怠った、とも言えるが、
中高を共学で過ごした人は、女子との接点を作る努力など、そもそもする必要がない。
なぜ私は、一度きりの人生の中で、共学高校生活を経験すらさせてもらえなかったのか、と。
もう1つ、脚フェチについて。
女子の素足のにおいを嗅ぐのが好きだった。机の下に入って、女子の脚を見るのが好きだった。
小学校に上がってからも、女子のちょっと汚れた感じの上履きが好きだった。
ここに、女子高生の制服フェチが重なると、紺ソとローファーに強烈な性的興奮を覚えるのは頷ける。
紺ソ、ローファースタイルにスーツを着て、普通に仕事をしているときもあった。
ふざけ半分ではなく、真面目に捉えて、悩んでいる男性は、
私の、10年間の考察結果を、この日記で(これ、増田って言うんですね!)、
共有していきたいと思っている。
小さい頃は泣くたびに「男が泣いていいのは産まれた時と親が死んだ時だけだ」とかなんとか先生から言われたな。
あと高校で文化系の部活に所属すると、親が他所でその話する度にいちいち恥ずかしそうにしてたな。男のくせに運動部に入らなかったのが恥ずかしいらしい。
最近髪を伸ばし始めたんだが、初対面の人には必ずこれを聞かれるな。まあ珍しいのは確かだし、別にいいんだけど。
あっ、今日古着屋行ったら「メンズ服10%OFF、レディース服20%OFF」ってやってたな。そこ前も同じセールやってたけど、逆は見たことない。
まあ私はレディース服も着るのでいいんだけど、ファッションについて調べているときに「マナーとして男性はレディース服は試着しない方がいいです」って見たな。試着はやめておこうと思った。
特定されたくないからこれ以上言わないけど、別にこんなのはほんの一部だよ。(あとまあ語るほどでもない小さい差別くらいならほぼ毎日あるよね。女性も同じだと思うけど。)
力を合わせて頑張りましょうしか言わない
アプリもある
あの局の良いところはテレビ以外の情報伝達手段を追求するところ
災害放送が見れるのに、普段受信料を払ってないような人が見れていいの?
今回はみんな避難所に逃げたらしいけどそこのテレビは自治体が受信料を払ったテレビだよ
俺はいらないとかじゃないんだよ
教育系の番組はいらないって言うけど、子どもは楽しそうに見てる
文化系の番組はいらないって言うけど、民放で組めないようなマイナーな学問の番組ができる
紅白はいらないって言うけど、中継や合成の技術はすごいし高画質放送なども大々的に披露してる
(バラエティとして見ると面白くないのは同意できるからうたコンやのど自慢くらいの気持ちでやってほしいけど)
オリンピックのたびにスポーツ科学を扱った番組を最新鋭のGoProカメラやCGを使って作ってくれる
いらないの一言であの局をなくすのって2位じゃダメなんですかの精神とあまり変わらない気がする
それでも変えたいならあの局が持つ災害放送以外の役割もちゃんと考えて発言してほしい