はてなキーワード: 情報量とは
人生を満たすために僕達は「面白い情報」を探してる訳じゃないですか
「探さないと満たしてくれる物に巡り会えない」なんてことは当たり前のことじゃないですか
でもですね、最近思ったんですよ
満たされる為の情報集めなのに「満たされる時間」よりも「情報集めてる時間」の方が多いなんて本末転倒ですよね
情報集めしてる時に「必要情報(満たしてくれる情報)」と「不必要情報(意味のない雑音)」があるじゃないですか?
「情報集めが上手い」人ってのは恐らく、必要情報だけにアクセスできる割合が高くて、不必要情報にはできるだけアクセスせずに済んでる人間だと思うんですね
一日24時間でその内に自由に使える時間は人それぞれですが限られた時間です
その時間の中から濃度の高い情報だけにアクセスできなきゃいけないんです。そうじゃないと情報集めだけで一日が終わってしまいます
自分は色んなサイトを巡って新着情報や新発売情報などをチェックしています
それは生産された消費物から、自分の人生を楽しくしてくれそうな、どこかの誰かの思考まで、色んな情報をチェックしている訳です
なので、時間が足りない
こんな人生は満たされている訳じゃない
こんな人生は、情報を自分で操作できずに情報量に押しつぶされているだけだ
何十万とある生データを直接見せられても人間は正しく理解できない。
平均値、中央値、最頻値、分散、最大値、最小値、四分点、ヒストグラム、そして各種グラフ・・・
何十万の生データをこれらの両手で収まるような数値群に集約することで、ようやく人間にもそのデータの形が見えるようになる。
何十万のデータがせいぜい十程度の数値に収まるのだから、そこには膨大な情報の欠落があるのを、当然と思えない人はおかしい。
勿論、単なる膨大な欠落とはならないよう、取捨選択された情報は極力、元データの特徴を抑えたものにする必要がある。
平均値をはじめとする各種統計量は、基本的にはその観点で優秀なものが使われている。
しかし、どうしても元の情報量は欠落してしまう。それは統計を用いる限りどうすることもできない。
最終的に見せる値が少ないほどそれは顕著で、どの統計量を見せるかによって、データの印象も変ってしまう。
だからといってすぐ、じゃあ統計は詐欺だ、という方向に走るのもおかしい。
そもそも大量の生データは人間には理解できないという前提を理解すべきなのだ。
「理解できない」を元の情報量を代償にしながら「ちょっと理解できる」にするのが統計だ。
グラフも、基本的にはこれと全く同じ。元データじゃ人間には何が書いてあるのかわからないから、せめて情報量を絞って、イラストレーションして大枠だけなんとか伝えようとした結果だ。
情報量を絞るのだから、当然その過程で欠落は起きるし、生データのうち一部だけの印象を見せることしかできない。
だから様々なグラフを選択したり、工夫を用いてどうにかそれぞれの生データの特徴を最も優秀に表すことができそうな形を模索するのだ。
このデータは重要なのは平均値くらいだな・・・とか、このデータは散らばり具合も見せないと分からないな・・・とか言うのと基本的には同じだ。
それを、自衛の意識が高すぎるのか、被害妄想か、「この種類のグラフはどんな状況でもとにかく駄目!」とか言うのは筋が悪すぎる。
まあ3D円グラフとかどう考えても絶対に擁護できないものもあるが、そんなものはごくわずかしかない悪例であって、大概は「何が何でも全く使うタイミングが無い」というグラフはない。
元のデータの特徴に合わせてなんとか人間が理解しうるような様々な形態を取捨選択してできたグラフなのだということを、理解すべきだろう。
なわとび:602回
ボクシング:109kcal/21歳
徒歩:110.4kcal/3590歩
体操ザムライ見てて、フィットボクシングやるときも一つ一つの動作を丁寧にやっていこうと思った
少し前から「夜明け前」をちょっとずつ読んでて、この間ようやく1部が終わって折返し地点に来た
島崎藤村が自分のお父さんをモデルにして書いた幕末から維新にかけての歴史小説
1部の前半は木曽街道馬籠宿の庄屋の平穏な暮らしぶりが描かれるばかりなのだけれど、後半に入ると怒涛の勢いで日本の情勢が転変していく様が描かれる
あまりの情報量の多さに幕末素人な自分はめまいがするような心地がした
主人公の半蔵は幕末の青年らしく、自分も日本のためになにかしたいと焦りを募らせるのだけれども、彼が依って立つ平田篤胤の国学の思想というのがどうもちょっと曲者
本居宣長あたりから発するものらしいのだけれども、神の国である特別な日本古来のものを大切にしてそれによって国を作っていこうというもので、中国由来の儒学などの排斥を主張し、神仏習合を廃して純粋な神道を取り戻そうと言っている
これって、詰まるところは日本SUGEEEのネトウヨ思想の先祖なのではないか
半蔵くんは(ローカルな)ネットで真実に目覚めてしまった残念な子なのでは
これは間違いないのだが、俺=新世代=SNS世代の作品鑑賞方法で発見したことがある。
というか別に鬼滅に限った話じゃないのだが、キャッチーだから例としてタイトルを使わせてもらった。
まず前提として、俺は20代後半。インターネット中毒タイプの人間だ。
具体的には2ch、個人の感想サイト、それにまとめサイトだ。年齢を重ねてからはTwitterなんかも始めた。
真面目に、親の顔よりおそらくPCの画面の方を長く見て生きてきた。
「アホが何か言ってる」と思っていただいて結構だが、一応偏差値はそこそこ高かったし、読書感想文では県で賞も取った程度の知力はある。
まず、結論を書こう。
つまり、
「作品に感動したかどうかを決めるのは自分ではなくなった」のだ。
そういう時代が来た。ないしは来る。
要するに、鬼滅という作品を読む・観るなりして、泣く、キャラを好きになる、続きが気になる、技がカッコイイと思う。
これらの感情を、コンテンツを楽しんだ本人ではなく、最早他人が決めているということだ。
作品の評価を自分で決める能力が、「俺=新世代=SNS世代」にはもうないのだ。
「なるほど、水の呼吸というのはカッコいいんだな」「なるほど、煉獄さんの死のシーンは泣けるんだな」「義勇としのぶさんの関係はエモいんだな」
作品を読む前、もしくは後にSNSやサイトの情報を取り入れて、上のような感想を自分の中から「発掘」し「言語化」する。
そして、自分の中の感情というものを整理し、「俺はこう思ったのだ」と認識する。
これが、現代人が作品を鑑賞し、心中で行われている工程である。
「いや流石に作品でよく描かれる、家族の愛とか……そういうのはわかるだろ?」とツッコまれるかもしれない。
それが残念ながら、わからないのだ。最早家族愛は、感情の共感の最小単位ではないのだ。
俺は鬼滅の刃を見て泣いた。煉獄さんの母が出てくるシーンでそれはもう泣いた。
だが、その感情は俺以外の誰かが発露した感情を取り入れて、これは泣けるシーンだと認識したから泣いたのだ。
上の現象、俺だけのことかと思っていた。だが、どうやら違う。現職で小さな子供と触れることが多いのだが、同じことが起きている。
若年期からSNSなどに触れていると、みんなそうなっていくのだ。
(俺はまとめサイトや2ch、俺より若い世代はTwitterやLINE、という違いはあるが)
何故こうなるのか、答えは簡単だ。
俺がどう思ったのかを考える前に、SNSやネットにはわかりやすく言語化された感想が文章や映像になって落ちているからだ。
まあ、俺達の世代だけの話ではない。
「へーこのシーンってこういう意味があったんだ!」とか、「へーこのシーンの演出ってこういう意図だったのか!」
と思ったことはないだろうか。それが極大化しただけの話だ。
監督のインタビューや評論家のテキストを見て、みんなやっていたことだ。
作品に対する解釈の補助というのは、評論家という人間に職がある時点で過去から必要とされていたのは確かだろう。
だが、おそらく今、俺達の上の世代が考えているよりも、ずっと事態は進行している。
つまり、俺にとって「鬼滅の刃」が面白い理由、それは「俺の視界内の人が面白いと言っているから」だ。
「俺はこの作品が好きだから好きな人の意見だけを集める」「俺はこの作品が嫌いだから嫌いな人の意見だけ集める」
新世代は、このエコーチェンバー現象の影響を受けないのではないのか、というのが俺の考えだ。
つまりこういうことだ。
「視界内の人間が好きだと言っているから作品を好きになる」のであり、「視界内の人間が嫌いだと言っているから作品を嫌いになる」
では、今後何が起きるのか、これが一番重要なことだ。心して聞いてほしい。
おそらく、「作品に対してどう思うか」の感情を先導する人間が今後、より重要視される。
まとめサイトでは、匿名掲示板で行われた、作品への感想が打ち込まれているだろう。
おそらく、この流れがもっと明確に商業化され、工業化されていくのではないかと思う。
つまり、
「感情の先導者」が職業的に生まれるのではないか、と俺は考えている。
現在も存在する、評論家やレビュワーといったものではない。もっとプリミティブな感情の先導者だ。
「○○が可愛かった」「○○がかっこよかった」「アレは面白い」「アレはつまらない」といった感情を、これからは代表者が綴り、
俺達は彼らが思うように、思う。
そういう時代が来るのではないだろうかと考えている。
いや、もしかしたら、もうとっくにそういう時代なのかもしれない。
貴方のお子さんが「何か」に対して抱いている感想、それがYoutuberのものではないと思えるだろうか。
つまり、「作品を見て単独で何かを想うこと」が出来る人間が、おそらくは特別な存在になっていく。
ここからは少し話がズレる。
上の話、最早漫画作品だの、アニメ作品だのに限られた話ではなくなってくんじゃないか。
つまり、親子の愛から政治、飯の味、天気……事象に対するあらゆる感情を「発露」し「言語化」するための専門職が設けられるのではないかと思う。
俺達は、おそらく他人を愛する、という感想を、他人を憎む、という感想を、他人に考えてもらう日が来るのだ。
いや、もしかしたらもう来ているのかもしれない。世界はITで繋がった。
情報量は爆発した。
もう、人間の脳が処理できる総量を超えているはずだ。
ならば、本当に人は、自分の感情が自分から発せられたものであると思えるだろうか。
我思う故に我あり。
俺達は最早「我」を投げ捨てながら生きている。
前回、Twitterに適応できないオタクの行く末(anond:20191011160414)を投稿した者である。前回の増田では、トラバ/ブコメ共に様々な意見を頂き、自身を見つめる良い機会となった。とても感謝している。
前回の投稿からもう1年近く経っているが、その間に、というかつい最近でオタク的消費活動が大きく変わってきたためここに記録しておきたいと思い書くことにした。これが改善であるかどうかはさておき、これから先にまた変化があったら比較できるため、その意味でも詳しく書いておきたい。
書き終えてみて、改めて見るととても長い文章になってしまった。一応内容は節ごとにまとまっているので、読み飛ばして気になる所だけ読んでくれても構わない。
本題に入るが、まず俺はTwitter垢を作成した。俺にとってこれは大きな一歩だった。この大きな一歩に繋がる積極的な変化があったのかというと、そんな事はなく、きっかけは極めて消極的なものであったと思っている。この消極的でありながら重い腰を動かすきっかけについて簡単に説明するとするなら、それは定点観測型の消費に限界を感じたためであると言える。
具体的には、過剰消費による虚無と、巡回サービスの変化がある。それぞれについて軽く書いていきたい。
前回述べたように、俺はtwitterを検索エンジンとして活用し、気に入った作品の二次創作を拾っては消化、拾っては消化して楽しんでいた。自分が発信側になれない一種の「諦め」を持ちながらもそれが一番快適で自身に合っていたからだ。これについて、ブコメで「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」と指摘されたが、まったくその通りだったと思っている。消費する側として一方的に評価、消化しかしなかった事が自身を完璧主義にしてしまい、いざ自分が発信しようとするとそれが頭を持ち上げて邪魔をしてくるのだった。
とはいえ、それでもいいと開き直っていればよかったのかもしれない。今までそうしてきたように、これからもそうしていくことは不可能ではなかった。しかし、ここで虚無感がドッと湧いてきて、とうとう音を上げてしまうことになった。
どれだけ色んな作品を見て、なにかを感じても何も言うことが出来ない。発信する媒体もない。仮に、何か言おうとした所でどうしようもない駄文が出来るだろうが、それを流す場所も無かった。ただただ感情は吐き出される事もなく喉の奥に押し込まれ、SNSのタイムライン同じく次のまた次の情報の波に流されていくのだった。(もっとも、どのタイムラインにも俺は文字通り存在しなかったわけだが)
常に蚊帳の外である事を自覚させられ、これは「お前はずっと傍観者で、何にも関われないし、誰もお前を知らないだろう」といった気持ちを起こさせるのに十分すぎるものだった。
これを読んで考えすぎだろうと思う人も居るだろう。実際そうだと思う。おそらく、一人で消費するということ自体が、考えすぎてしまう原因なのだと思う。自問自答は、最終的には問題から目を背けさせてくれない。そしてこれはコロナ禍の状況によって更に悪化した。そういうわけで、最終的にこれと俺は向き合うことになる。
Twitterをメインにした定点観測にはいくつかの方法があるが、俺は専らRSSリーダーやSlackを用いて情報を集約していた。なぜTwitterクライアントを用いずにこれらを用いるかと言うと、Twitterのタイムラインは9割以上ノイズだからだ。要らない「いいね」が表示され、知らないユーザがおすすめされ、加えて不安を煽ってくる広告ツイートも混入してくる。どうでもいいご飯写真が上がる。クソつまらない診断メーカー。とにかくノイズ、ノイズ、ノイズ。それがタイムラインだと思っていた。(過去形なのは、この認識が変化していった為だが、それは後述する。)
で、これの何が限界になったかといえば、観測に用いていたツールが軒並み使えなくなったことが大きい。特に影響が大きかったのがIFTTTとintegromatの一部有料化である。どちらも、ベビーユーザーとして利用していた。(あまり知られていないintegromatについて説明しておくと、IFTTTと同様の作業自動化サービスである。)
これらの主な利用方法としては、該当ツイートの巡回、検索だった。IFTTTはツイート検索の定期巡回に優れており、integromatは特定ユーザがいいねしたツイートの取得で便利だった。この二つのサービスがほぼ同タイミングで一部有料化を掲げたため、俺は快適な創作ツイートの巡回を諦めることになる。
(IFTTTの有料化について : https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1276755.html )
(integromatについては記事にされていないが、今年Twitter連携機能のみ有料化された。)
結局は無料サービスにフリーライドしていただけなので文句は言わないが、IFTTTに依存しない情報収集を考える事はいいきっかけだったのかもしれない。
こうして心理的、仕組み的に方向転換を強いられてTwitter垢を作成してみることになった。どうせ作るなら少数の人でいいから交流してみたいな…くらいのお気持ち。ちょうど追っていたコンテンツの専用垢としてそれっぽい推しのアイコンを用意し、無難なプロフィールを何度も書き直しながら書いた。恥を忍んで #○○と繋がりたい タグを付け、初心者のフリをしたツイートをした。勢いがあるそのコンテンツは凄まじくて、数時間でツイートは数百のいいねが付いていて、少し怖くなった。恐る恐るフォローすると、フォローを返してくれて、なぜかそれだけで安心した。大げさかもしれないが、久々に新しいアカウントを作って界隈に入るのは、そういうことである。
ツイートにいいねした人をフォローしていくうちに、俺は巨大な相互フォロー網(以下、巨大FF網と書く)に取り込まれている事が理解できた。プロフィールを開く度に見る「○○さん、他○人がフォローしています」みたいな数字がフォローするたびに雪だるま式に大きくなっていく。タイムラインは自分が思った通り煩雑になっていき、一度の更新でシークバーが小さくなった。更新の度に米粒のような大きさになるそれは、俺の心のようだった。
あたふたした俺はくそつまらない無難なツイートしか出来なかったが、それでも反応してくれる人が居てくれたため、徐々に萎縮が和らいでいった。推しについて拙い言葉を書くと、誰かがいいねを送ってくれた。恥を忍んでアホらしいタグを付けたツイートをすると、誰かが返信してくれた。界隈の巨大FF網、その集団意識はそのようにして俺を取り込んでいった。そしていつしか、俺も誰かのどうでもいいツイートにいいねやリプライを送るようになる。しかし、ふとした瞬間に定点観測時代の俺がこう囁いてきた。「それって互助会と何が違うの?」と。
定点観測時代、推し関連のタグでツイートを巡回してる時によくこう思ったものだった。「なんでこのツイートにいいねが沢山付くの?」「この人のイラスト、毎回同じ人が持ち上げてるな」「定型文のような褒め文句…互助会みたい」
はてブにおいては互助会は悪とされている。互助会の人たちで持ち上げられた記事は大体つまらないし、並ぶコメントも「参考になりました!」ばかり。これと同じ感情を定点観測時にTwitterでも感じていた。いいねの数でツイートを巡回していたので、価値のあるツイートだけ伸びてほしかった。どうでもいいツイートが伸びて、それを拾うと、ゴミを拾った気がして、イライラしていた。
しかし、後に巨大FF網に取り込まれた俺はそれを体現するように振る舞っていた。フォロワーのどうでもいいツイートに気軽にいいねやRTを送り、また自身のツイートも同じように扱われていた。気軽な反応は心理的な障壁を無くし、より安心感を強化していく。もはや「価値のあるツイートこそ伸びるべき」といったグツグツと煮詰まった思想は、火が消された鍋のように静かになった。会話をする当事者たちからすれば、そんな事はどうでもよかったのである。
俺ははてブの互助会を擁護したいとは思ってはいない。ただ、互助会がなぜ生まれるのか、その一端は理解出来たように思っている。
評価指標となるいいねやブクマといったものは、当事者間ではカジュアルな肯定に使われるが、観測者側からは質の良さでソートする時の指標として重く受け止められている。そのため価値に見合わない評価を付ける事を当事者間では歓迎され、観測者側は嫌うのではないだろうか。これが正しいかは分からないが、この価値観の違いが互助会の生まれる原因であり、またそれが害悪的であると糾弾される理由ではないか、と俺は薄々感じるようになった。
それでも、どこか脳裏には「質の良いツイートが伸びるべき」という意思は存在したようだが、属する巨大FF網が持つ互助会的文化に、それも破壊されることになる。
ここで述べる"互助会的文化"はあくまで俺の属したFF網で存在しただけで、Twitter全般で起きている事ではない事を先に明記しておく。
それは決まって形式的な挨拶ツイートだった。(以下"おはツイ"と称する)夜明けと共にタイムラインが動き出す時、皆揃って、おはツイをする。これを初めて見たとき、なんだかむず痒い思いをした。形式的な挨拶ツイートと、それにつくいいねのインフレ。ツイートに付けられるタグや画像から得られる情報はほぼ無だった。属する界隈は、某ソシャゲコンテンツだったため、おはツイにはそのソシャゲの推しスクショがよく貼られているのだが、これも理解出来なかった。単なるゲーム画面だ。#○○が今日も□□ みたいなタグがだいたい付いている。なんだそれは?
とにかくおはツイの絶対的特徴として挙げられるのがその情報量の無さと明らかに釣り合わない評価(いいね/リプライ)だった。これが午前中、FF網全体で再生産され続ける。インフレするいいね欄を見ていると、次第に俺は「質の良いツイート」の定義がわからなくなった。
そして、このツイート群がもたらす特異性は、その連帯感にある。すなわち、同じFF網に居たとしても、おはツイをする/しない でうっすらと交流関係に壁が出来上がっていくのだ。それもそのはず。形式的とはいえ、毎朝話すフォロワーと話さないフォロワーが居たら、自然とそうなるのだ。現実社会でそうであるように、Twitter上でも変わらなかった。どんな環境であろうと、挨拶は変わらず有効で、逃げられない。
俺はこのFF網に取り込まれた時点で界隈に受け入れられた、一員だと勘違いしていたがそれは違った。毎朝行われるこの儀式じみた挨拶ツイートをこなしてこそ、この集団意識の一員となれるのである。
先頭で"洗礼"と書いた意味が、ようやく理解出来たと思う。この儀式が内包者のツイートへの価値観を塗り替え、統一しているのだ。誰かがこれを強制したりはしない。だが、いうならば集団意識がそれを催促しているのかもしれなかった。そしてこれを通過した頃には、俺の価値観は一新された。
ここまで聞くと、「おいおいそんな所、面白いのか?」も疑問が湧くだろう。先に結論を言うと、面白い。
たしかに、そのタイムラインは常に情報量の無いツイートで溢れていた。冗長な挨拶周りが毎朝再生産されていた。しかし、これらは俺自身が発信する時の障壁を限りなく低くすることにも作用したのだ。
前回の増田までは、俺は自分の思いを発信するにあたり、「完成された感想文」が必要であると、そう信じていた。自身が求める質と同等のものを発信するべきと考えていたためである。誰が見ても分かるが、明らかにこれは長続きしない。自分の理想と実際の質の乖離に耐えられないからだ。
だが自分がその"レベルの低さ"を許容すると、話は変わる。煩雑なタイムラインを受け入れた時、自分も煩雑な発信が出来るようになるのだ。そしてこれは、"発信したいけど出来ない"を大きく上回る。俺に必要だったのは高等な「完成された感想文」などではなく、低俗な「エモいメモ書き」で十分だったのだ。
ここまで書いてみて、改めて以前の考えが独りよがりであるかと痛感した。消費専門で二次創作を漁っては、一方的に評価したり、ノイズにイライラしたりする。これはこれで楽しかったが、視野が狭くなりすぎていた。
本当に好きなコンテンツを摂取して、発信も含めた消費を楽しむには定点観測では全然足りない。自分がつまらない事しか書けない事を自覚したうえで、色々な人の発信、二次創作を許容して楽しむ。こうした先に、もっと良い発信が出来るヒントがあるのではないかと、今はそう思っている。
先述したとおり、これが改善であるかどうかは分からない。またこの先に、「あの発想はどうかしてた」と目が覚めるかもしれない。もしそうなったらそれはそれでまた書いてみようと思う。
タイトル通り。
『2億ドルもブチ込む映画でよくこの脚本でOKが通ったな』って言うドラゴンボール・エボリューション級の驚き。
この映画に投資した人・制作進行管理する人らは、この脚本をチェックした時に絶句しなかったんでしょうか?
配給会社はこの仕上がりに試写会で気絶しなかったんでしょうか?
『もうどうにもならない・・・。知名度ある監督だしアクションシーンあるし赤字にはならんだろ(ならんよね?)』と言う、ドラゴンボール・エボリューション みたいな諦観???
『イッツアメェェェジィン!!!我々がハリウッド映画の新ジャンルを切り開く!!!』と言う、フロンティア・スピリッツ???
どういった経緯で TENET がお偉いさんたちの Go を取り付けることが出来たのか?
そちらの方が TENET の明かされていない謎よりも遥かに興味をそそられます。
まず最初にこの映画が誰向けの映画なのかを書いておきたいと思います。
TENET はミステリー小説好きの人向けのための映画です。SF好きの人も本作を見るべきですがSFはフレイバーです。
ミステリーは好きだけどSFは好みじゃ無いんだよなぁと思っていた人は是非とも映画館へ足を運んでみてください。
逆にSF好きの人はSFはフレイバーなので過大な期待はしないでください。でも映画館へ足は運んでみてください。
念のためもう一度書いておきますが、TENET はミステリー小説好きの人向けの映画です。
根幹といえるべき事柄なのでもう一度更に書きますが、TENETはミステリー小説好きの人向けの映画です。
ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。
ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。
ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。ミステリー小説好きの人向け映画です。
おわかりいただけましたか?
おわかりいただけましたよね?
おわかりいただけたところで、TENET の楽しみ方について記載したいと思います。
観客も作中の主人公も、同じ目線・同じ情報量のまま進行する本作ですが、『黒幕が誰なのか』予測してください。
ぶっちゃけスタート30分くらいで映画のオチの予測がつき、とあるシーンで確信に変わるのですが、それは根拠なき直観ってヤツです。
ミステリー小説好きのあなたは、TENET 作中に散りばめられているヒントを元に『 “根拠” を持って黒幕を予測してください。』
どうせXXXだろ?っていう過去みた映画・マンガ・アニメ・ゲームからの無根拠予測はダメです。ちゃんと TENET 作中のヒントを使って予測してください。
どの時点で “根拠” を持って結末を予測出来たか、友人・家族と競い合ってみると楽しいと思います。
フレイバーのSF要素が『はてな???』となるような事ばかりです。
たとえば、本作のテーマは時間逆行なのですが、時間逆行すると肺呼吸が出来なくなります。
でも目は大気から酸素を取り込む事が出来ますし、光を取り込む事もできますし、視覚の情報処理も正常ですし、
おそらく臓器・神経の働きも正常、自意識も正常、自立した活動が可能です。
そして (作中の描写では) 特定の “炎” に限定して熱エネルギーが反転され凍りつきます。
未来道具では無いノーマルな現代の車は普通に運転出来る(動く)んですけどね。
作中で描写されていないところを補完しながら、勝手にいろいろ考えてみてください。
あなたが、上記に当てはまらない場合、映画館へ足を運ぶ必要はないのでしょうか?
いいえ、下記のどれかに当てはまるようでしたら、是非足を運んでみてください。
鬼滅が傑作だと評されることへの個人的違和感を言語化すると「面白いのに凄い傑作と言われると首を捻ってしまう」であり、その理由は「巨悪と戦う漫画の割に世界観が壮大でない」からだと思う。
ナルトにしろブリーチにしろワンピースにしろ、個々のエピソードが面白いのとキャラがいいのは勿論、世界観の情報量が膨大(露骨な言い方をすればWikipedia読み込まんといかん位用語が多い)で、これの真似は確かにできんわって思うのが大きいと思うんだ。二次創作するには楽しいけど、これ1から自分で作れって言われたら時間いくらあっても無理だと思ってしまう。キャラとかエピソードは思い付くけど、世界構築はできない。
でも鬼滅の世界観は割と狭めなのだ。鬼がいる以外は現実に近く、チャクラだの念だのといった説明が必要な特殊設定はなしで技のエフェクトは※あくまでイメージである。
組織については敵味方双方、あまり複雑ではない。階級はあるが、主に「柱とそれ以外」でありたとえばワールドトリガーのような部隊ごとの特色や上司部下関係といった要素は少なめである。敵も強さはヤバイが、無惨というトップの他は序列はあるものの複雑な組織体型はなく派閥や上司部下の無惨を介さない関係性も(元からセットの鬼以外では)あまりない。例外である蜘蛛山も、独裁者と奴隷という割と単純な図式である。
武器や戦法や技についても、呼吸とか型とか確かにかっこいいんだけど、斬魄刀や血継限界やスタンドに比べると設定的に語れるところは少なめである。
敵の目的に関しても、ただの長生きしたい性格の悪いやつのわがままでありぶっちゃけ無惨の言うとおり小規模な災害なので、考察の余地も少ない。似た悪役にからくりサーカスのフェイスレスがいるが、あれの場合「滅茶苦茶壮大な悪事だからさぞ遠大な計画がと思ったのに女にふられたからとかふざけんな」というオチなので、最初から小物の私欲というのとはまた別である。
勿論、設定が複雑であればあるほど素晴らしいと思っているわけではない。設定を扱いきれない位ならない方がよいとさえ思う。規模だって、世界を救わなくても町一個をサイコ殺人鬼(たまに殺す以外は小市民)から救う話だって全然面白いのだから。ただ、ガワが王道少年漫画で千年の巨悪に立ち向かう話なのでどこかに壮大さを求めて読んだら肩透かしを食らった、というだけの話である。
つまり、鬼滅とは「いろんな意味で設定が壮大で(かつ細かく)ない傑作」なのだと思う。逆説的にいえば「巨悪と戦うバトルもので設定が異様に凝っていて壮大なうえでそれがおおむね生かされていて面白い」という、これまでのバトルもの傑作の特徴を持たずに売れたという点ですごい漫画なのだと思う。
そしてそれは30代から始まるのではと。
親は私が子どもの頃(つまり親が30代の頃)、好きな漫画を教えたり読ませたりすると、「AKIRAの影響受けてるから」とAKIRAを差し出して読ませて来たりした。
妖怪漫画を見せれば水木しげるを、少女漫画を見せれば美内すずえを納戸から取り出してくる。
肝心の漫画の感想は「まぁ、面白いんじゃない?」で、子ども心にちょっと小馬鹿にされてるのがヒシヒシ伝わってきた。
好きなアニメを見てても、横で父親と「○○の系譜だ」「今時の子はこういうのが好きなのか」とぺちゃくちゃ。
そして「今、私が新しいと思っていて、大切な人と共有したいこと」を「二番煎じだ」と遠回しに指摘して、一緒に楽しんでくれない。
そのくせ、勧められた漫画を「面白かった」と言った時だけ機嫌が良くなり、自分が子どもの頃、それがいかに新しかったか語った。
そして現在。
30代になった私の友人が最近、なろう小説でパクりを見つけたと、
十年くらい前のアニメから引っ張ったネタパク(曰く、モノローグが作中モノローグの改変コピペに見えるらしい)を指摘してきた。
「こんなのがランキング上位なんだけどww 今時の子は○○も知らんのか」
そりゃ知らんやろ。なろう現役世代が10年前に深夜アニメとか見てる訳ないやろ。
せいぜい親の録画を横で見てたくらいのものだろう。
因みに友人も息が長い…というか、10年以上前にハマったジャンルに未だしがみついて、「○○が劣化した」「ファンに媚びるようになった」とか言ってしまうタイプで。
私は今、twstにハマってるのだが、布教する度に外側の騒動を拾って来て「厨ジャンルなんでしょ? やだよw」とマウントを取ってくる。
キャラを大事にしてるゲームなのに、布教した際に「推し声優のキャラが実装されたらやる」と言われた時は殺意も芽生えた。
多分だけど、彼女、興味はあるのだ。
興味はあるのだけど、決定打がないので、外側の浅いところを突き回してマウントを取っている。
そのくせ、その外側の浅いところが全てなので、私の話とか聞きやしないのだ。
多分、始めたは始めたで、「顔のいい○○じゃん」と暫くネタ弄りで来るだろう。
彼女は5chとニコニコ全盛期が受け止められるMAXの情報量なので、あの頃のような弄りから入らないと新しいことが理解できない。
今のところ、私はまだ『余白』を持っているつもりでいるが、私と彼女は同級生。
もう少ししたら私も、男性アイドルもののゲームをみんなドルマスやうたプリのパクり、ループものをみんなまどマギのパクり、SFをみんなAKIRAの系譜と言うようになるのだろう。
そうしないと、新しいものは刺激が強すぎて老化で神経が保たなくなるのだ、多分。
比較的上の世代の経営者層の方と話をしていると、よくタイトルのような話題が出る。「来てくれない」ということについては、自分はたまたま周囲に若者が多い環境なのであまり実感は無いのだが、まあ実際若者人口が絶対的に減少しているというのもあるし、「やる気がない」とか「考えていることがわからない」ということについては、多分いつの時代も言われていたことだろうなーというくらいに思っていた。
ただ、最近もうひとつの可能性を深く考えている。それは、時代の急激な変化にあわせて、近現代においては稀なレベルで世代間の価値観に大きな分断が生まれているのでは無いか、ということ。
例えば2008年のリーマンショック。そして2011年の東日本大震災。それらでこれまで積み上げていたものがあっさりと崩れ落ちる体験。そして、少子高齢化がもはや打つ手なくなって日本は衰退の一途をたどるしかないということが共通認識になってきたのも、震災前後と記憶している。
多感な時期にこれらを経験した層が、今「若者」と呼ばれている。その結果、例えば、以下のようなことをぼんやりと考えている人が多いのではないか(仮説1)。
●がむしゃらに働いてもどうせ報われない
●今が一番幸せ。将来は、暗い
逆に言えば、以下のようなことも考えているとも言える(仮説2)。
●経済優先にこだわりすぎず、もっと多様な価値観を大切にしたい。
●大企業も倒産する世の中で、本当に安心できる生き方を探したい。
●暗い未来を、なんとか変えたい。
この感覚は、旧来の価値観を捨てられないと、なかなかに理解しにくいのでは無いか。
そこで最初の話に戻ると、「いくらがんばっても若者が来てくれない」「今の若者はやる気が無い」「今の若者は何を考えているのかわからない」という悩みは、上記を理解し彼らの考えに深く寄り添うことで多くの場合解決できる。つまり、「やる気が無い」のではなく、「努力の方向性がこれまでの世代と全く違う」(仮説3)ことを受け入れる必要がある。具体的には、以下。
●お金や昇進だけでなく、別の希望も併せて叶えてあげたらいい。
●多様な価値観を認めて、受け入れたらいい。
そんなこと簡単にできっこない・・・と思うかもしれない。しかし、いずれはそういうことをナチュラルに求める今の若者層以降が多数派となって社会を創っていくようになる。厳しい言い方をすれば、そのときに世界から拒絶されるのは今の大人たちの方ということになる。(仮説4)
●処理すべき情報量の圧倒的増加
今の時代は変化が凄まじく早く、行き交う情報量が、20年前とは比べ物にならない。ビジネスの最前線で圧倒的な情報量を処理し続けるには、自ずとデジタルネイティブのほうが有利だと言える。スマホ中毒なんて否定的な言葉もあるが、これからの時代は水を飲んでご飯を食べると同レベルに情報を処理することはプライオリティが高い。
旧来の価値観に基づくニーズはあらゆる分野がすでにレッドオーシャンになっている。一方、上記のような新しい価値観に基づく分野は、ブルーオーシャンである可能性が高い。それらのニーズを実感として理解できている若者層のアンテナ感覚は、より価値がある。
世界に目を向ければ、コロナを前提とした経済の再構築やらDXやら米中の覇権争いや北極海シーレーンやら、混沌が加速することは明らか。
自分はまだ40代になったばかりの新米経営者だけど、もう引退準備を少しずつ進めようと思っている。その代わり、若手の育成に注力する。ノウハウを若手にどんどん移転することで、それらが加速し、より大きな価値が生み出せるのではないか、と思うから。(仮説5)
BUMP OF CHICKENのあのMVめちゃくちゃ感動した!細かい所までめっちゃちゃんとしてて往年のポケモンファンにはタマランものだった...
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確かにめちゃくちゃmvは凄かった。凄かったんだけど、自分が期待してたのは『ポケモン剣盾の冠の雪原の情報発表』であって、BUMP OF CHICKENのコラボmvではなかった。
しかし、まだ冠の雪原についての情報が沢山出てれば別にmvに文句などつけなくても良かったのだ。
少ない。
圧倒的に少ない。
最初動画の分数を見たとき、10分も情報くれるの!?と思ってワクワクしてたのだが、10分の内3分くらいがmvに取られ、肝心の冠の雪原の新情報は、
・ガラルスタートーナメントの詳細
・ポケモンGOとの連動
・サトピカ配布
である。
その内元々判明していて続報が出されたというのはダイマックスアドベンチャーとポケモン内定とサトピカ配布以外の4つである。(キョダイメルメタルはお漏らしだったので元々判明してたとは言い難いが...)
う、うーん...
なんか...もっと新情報が来ると思ってたよ...例えば...バドレックスについてとか...
そしてその情報量の少なさをカバーするかのようにあのBUMP OF CHICKENのmv。
凄かった。凄かったんだけど、凄すぎてみんなそれについてしか言及しなくなった。
ほぼみんな冠の雪原について触れることがなかった。
とあるフォロワーは、「明日ポケモンやらなきゃ...!!」と呟いていた
...どうせやらないだろう。そもそも、あのmvは20年超のポケモンの集大成であり、過去作のキャラが一切登場しないポケモン剣盾で全て補える訳ないのだ。あのmvはジムリーダーやチャンピオンなどの人間中心で作られていたから尚更だ。過去作をやると解釈しても、あの放送は「ポケモン剣盾のDLCについての情報発表放送」だったわけで、冠の雪原すげー!買うわ!とかならなければ全くその情報発表会の意味が無い訳である。言い過ぎかもしれないが、もはや情報発表会は失敗している。誰もそちらに興味を示してないからだ。
というか、ポケモントレーナーを中心としたmvなら、ポケマスの1周年の時に合わせて出せばよかったんじゃない?と言わざるを得ない。結構最近だし。
更に悲しいのが、さっき情報発表会で発表されたのはこれらである。みたいな感じで言ったが、その後ポケモン情報局のTwitterで、
と発表していたのである。
え??????????なんでそれ情報発表会で言わなかった????
完全に新規の情報である。(一応どっかでは噂されてたらしいが)何故かその情報は一切情報発表会では言われなかった。
邪推かもしれないが、もしかしてBUMP OF CHICKENのmvを入れるために...省かれた...?
メインはそのmvではないのに...??
別に大々的に出るよ!!!と放送内で言えという訳じゃないけど、放送内でサラッと鎧の孤島の情報発表会の時みたいにぼんぐり出るよみたいな感じに言えば良かったと思う。何故言わなかったのか本当に謎of謎。いやホント.......
あとこれめっちゃ関係ないけどサトシキャップピカチュウ配布しすぎじゃない?キミきめで配布し、海外のあいことば配布でももらえ、更にまたもらえるとかどんだけ出すの????よく分からない大盤振る舞いしてる、別にいいけど...もらえるものならもらうけど...
以上