はてなキーワード: 幹部とは
自分が小学校の時はギルモンが出てきた奴が小学校6年生あたりにやってた記憶があるんだけど、その時はレナモンに全然性的興奮を覚えなかった。
でも、先週は「ワルダモン」っていう悪の女幹部の権化みたいなアプモン(区別されて新シリーズのデジモンは今こう呼ばれてる)が出てきて、これは、やばいなと一瞬で感じ取った。
レナモンというのは、女狐型のデジモンなんだけど、言ってしまえばこれはあくまでもケモナー向けなデザインなわけ。
でも、ワルダモンはもう、亜人系。しかも、肌がちょっと青いぐらいの。しかも爆乳で足もエロい。顔にワンポイントのタトゥーが入っていて、しゃべり方と能力も淫魔的でエロい。平成の過大エロスといっても過言ではない。
こんなん、どう考えても小6ぐらいの子どもが見たら一般家庭のティッシュ使用量が増えるに決まってる。
これは危険ですよ。ほんと。
例えば、ポルノが性犯罪を高めているという話がある。にわかに信じがたい、むしろポルノで性衝動を抑えてるだろうと自分は思ってる。だからってポルノを全肯定するわけではないが。
自分は気に入ったキャラが居たらpixivで「○○○○ r-18」と検索する。でも、このアプモンはデジモンは知っている人でも知らない人が多いぐらいには人気がない。つまり、ワルダモン r-18と検索して明確なポルノがでることはない。この性衝動はとどまることをしらない。
「悪気は無い」と言い訳をよく聞くんだけど。
社会にとって最低の存在であるはちまの幹部(彼らは企業なので個人という扱いは変)と楽しそうな飲み会写真をネットに上げるスクエニのプロデューサーとか。
>スクウェア・エニックスの社員、煽り系サイト大手「はちま起稿」運営者と仲睦まじい様子をアピールした件で謝罪
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65860660.html
写真を上げたことが悪いんじゃなくて、行き来があって一緒に仲良く飲みに行ったりしている日ごろの行いが悪いんで何の解決でもない訳ですよ。どっちかっていうと反社に近い話で。おまぬけなPが写真上げたから発覚しただけで。スクエニですらそのへんとズブズブなら、今回のPS4でゼルダ出して!みたいのも、そのへんに通底する社会のダニと近い感覚で物を考えるゲーム制作スタッフがいるんじゃないか?という疑心にもつながっているんですよ。
それなりに業界経験があるのに、今回の発言が煽りで無く無自覚な妄言だとしたら、それはそれでびっくりな話ですが。私にはあんまり信用できませんね。
本当はダメダメなところを書き連ねようとした。
無意味な設定が多いとかね。
でもその中でひとつ気になる繋がりが見えたので、それについて書く。
ヨルハが感情を持つことを禁止されてるといいながらも、最初から感情MAXな件。
ダメ設定のひとつかと思ったけど、機械生命体のコアを流用されている設定と組み合わせると、そうでもなくなってくる。
アンドロイド軍は機械生命体のことを感情のない低俗な兵器と見ていた。
しかし実際には、最終的に高度な知性を獲得して再び宇宙に旅立ったように、その推測は間違いだった。
感情のない機械生命体のコアを使うことで感情のないヨルハ部隊を作ろうとしたところ、
そのことはおそらく設計者の誤算で、この物語が成り立つ根幹部分だったのかな、と。
異星人・機械に感情がないとする前提も、時代遅れ(2017時点でも)すぎる。
他にもいろいろ雑な部分があるし、だから結局こんなよく考えもせず
雰囲気だけで盛られた設定だろうとは思うけど、
悔しいことにゲームデザインは優秀で、プレイしていて楽しいんだな。
だからなるべく設定を深読みしてあげて、自分なりの解釈を作っていくのが、
安倍ちゃんが「菅総理が海水注入を中断させた」って書いたのが発端。
菅元総理は「海水注入は中断されてない、デマで名誉毀損」と提訴。
裁判所は「菅元総理が海水注入にイチャモンつけて、東電幹部が中止を決定した。しかし現場の独断で注入は続行された」を事実認定。
その上で「菅元総理がアホなことやってたのは事実だから、名誉毀損にはあたらない」で菅元総理敗訴。
菅元総理と左の人は「実際には海水注入は続行されてたんだから『中断させた』は安倍のデマ、安倍が悪いのに裁判所が擁護してる」、って批判してる。
明日は日本史上初のプレミアムフライデーだが、この制度に政府、自民党、経産省、経団連が込めた真意を説明しておく。
ポイントは2つ。
1つ目は、制度策定に厚労省が一切絡んでいない、財界主導の制度であること。
月末の金曜日という時期は、普通の会社員なら月末事務とかでかなり忙しい時期である。そう、普通の会社員ならば。
しかし、そうならない層がある。
大手企業の幹部以上や、上級官僚を始めとした「上級国民」層だ。
例えば、多くの大手企業が、月末の金曜日の午前中や昼過ぎに、当月の業績を振り返る「経営会議」を行っている。この経営会議に出席するような幹部層は、月末までに完了しないといけない「作業」は一切持たない「口を動かして人を動かす」人達なので、月末金曜日は経営会議が終われば暇になる。遅くても15時までには。
だから、プレミアムフライデーは15時からに設定している。
プレミアムフライデーの15時を過ぎたら、同日の23時59分までに終わらせないといけない仕事が残ってる「普通の」人達を横目に見つつ、「お前らも早くこういう立場になれよ」と彼らに声を掛けながら、晴れやかな顔で繁華街に繰り出す…そういう制度なのである。
言い換えれば、近年向上心がなくなってきたという調査結果も出ている日本人に対して、向上心を喚起させる施策なのである。手を動かす作業者ではなく、口で人を動かす上級国民を目指せ、と。
高橋まつり事件を受けて、作業の外注化が進んでいる。ビッグコミックスピリッツの「気まぐれコンセプト」でも描かれていたが、広告業界では、事件後、夜にまたぐような作業は下請けに投げ、自分たちは遅くても20時には退社するように、仕事のやり方を変えている。勿論、下請け業者はその分残業が増えるが、売上は増えていない。
厚労省が絡むと下請けの人達ガーとなるので、始めから厚労省は除外して制度設計を進めているのだ。
つまり、元請けの立場に居て、口で人を動かす立場に居られる人達を愛で、彼らのような人になりたいと普通の国民に思わせる制度が、プレミアムフライデーなのである。
サラリーマンの幹部養成学校の一日が刑務所と変わらない→実際に行った人たちが続出 - Togetterまとめ - https://togetter.com/li/1083373
▼Q:なんでこんなものが続いているのか
ここの母体は「社員教育研究所」という会社で、ビジネスマナー等の半日研修セミナーをメインにおこなってます。昔いた会社では、正社員は全員ここの半日研修を受けることになっていました。管理者養成学校に行くのは管理職と新卒社員だけでした。
半日研修は、意外にもいたって普通の内容です。笑顔の耐えない講師の人が当たり障りのないビジネスマナーを教えてくれます。半日話を聞いて仕事サボれてラッキー、くらいの感覚で受けました。しかし講師の笑顔にだまされてはいけません。それはただの仮面です。ここの講師は全員管理者養成学校の教師を兼ねてます。いつでも怒鳴り声があげられるのを、セールス向けに意図的にゆるーくゆるーく振る舞ってるのです。
この、セミナーの使い分けがポイントです。管理者養成学校の卒業生は一部が完全に洗脳されます。よしんば洗脳されなくても、管理職的な視点から後述の「一定の効果」を認めるひとは少なくありません。そのため、「管理者養成学校にいかせるまでもない(行かせたくない)けど、多少学んでほしいことがある」と考えた管理職は、このゆるーい半日研修を採用するのです。つまり、
というサイクルが発生しています。飴と鞭に近いものを感じるというか、よくできています。多分なくなりません。
▼Q:「一定の効果」ってなに?
→トップダウン式の企業における「上からの命令には迅速かつ忠実にしたがう」という感覚を身に付けることです。
命令に従わなかったり、勝手な判断で動く社員はどの企業にも一定数発生します。それを許容する文化もあれば、「上からの命令は絶対に守る/言われてないことは絶対にしてはいけない」という文化もあるでしょう。そして、例えば急成長して組織構造が確立していない大企業のような「企業風土はまだ根づいてないけど、上としては絞めるところをしっかり絞めたい」という意識が働きやすい企業は、荒療治であっても命令に絶対服従の社員を育てたいと思うではないか…というのが私の予想です。
他にも「承認体験を与える」「ブレインウォッシュしたあとにある種の価値観を植えつける」とかもありますがこれも後述します。
▼Q:実際にはなにやるの?
本当です。たとえば、「駅前に立ち、大声で歌を歌う」「歌で審査員を感動させる」「動きを激しくアレンジしたラジオ体操を覚える」「行動力基本動作10ヶ条を暗記する」といった課題を与えられます。それらがすべて合格にならないと補講が発生し、強制的に宿泊数が一日延びます。そんなことをわたしは7泊8日で怒鳴られながらおこないました。
この「意味がない」というのは実はとても効果的です。そもそも、入校初日に先生から
「ここで教えることに意味はない。大声を出そうが、歌が歌えようが、仕事はできるようにならない。だけど、ここは研修、練習の場だ。練習でできないことが、本番でできるわけがない。ここでの訓練を通じて、社会人としての一挙手一投足を学んでほしい」
とか言われます。そしたら「意味がないじゃん」という反論は意味をなさなくなります。しかも、「意味はない」けど「歌で審査員を感動させる」ために歌う歌が
要領とごまかしで 長い坂はゆけない
仕事場は戦いの場 半端ではない
やる気になって汗を流せど 力なき悲しさ
いつかみじめな自分を見るだろう
年をとってほぞを噛むなら いまやるがいい
ひらけゆく青空の大きさはどうだ
しなやかな若竹にできないということはない
なんて歌詞なんです。
ここが恐ろしい、そして本当にすごいところで、教師が意味を提示しないので、自分で考えるしかないんです。
「意味がない」からこそ、「自分で意味を内面化する」。このための仕組みが管理者養成学校はとにかく高度に作られています。たとえば、大声で歌を歌うとどうなるか。脳が酸欠になり、思考力が低下します。どれだけ歌っても鬼の形相の教師が怒鳴ってきます。何度も審査に落ち限界に限界を重ねて大声で、精一杯気持ちをこめたあと、教師が満面の笑みで「合格!」って言って抱き締めてくるんですよね。このときの承認された感覚は半端ないです。涙がボロボロ出ますし、ボロボロ泣くのは気持ちいいです。承認体験は人を盲目にします。
なお、こういった方法論は一般的にbrainwashingと呼ばれているはずです。そういった仕組みを利用しているのは軍隊とカルトの二つが一般的ですね。
▼Q:嫌じゃなかった?
ポイントは「秒単位の余裕すらない規律」「徹底した団体行動」「常に見られていること」「でも絶妙な息抜き」の4つです。合宿中は一日を5時起床/22時30分消灯で行動します。自由時間はこのうち合計3時間ほどありますが、単独行動は禁止です。研修はグループでおこなうので、一人だけ休む、一人だけ練習するなどは禁じられています。本当の意味での自由時間は、起床と就寝のための30分くらいです。それらは布団の出し入れと着替えでつぶれます。
なお、行動と行動の間に1分でも空き時間があれば、なにか練習しないといけません。寝泊まりと訓練をする部屋は一面ガラス張り、かつ消灯時以外はカーテンを閉めるのを禁じられています。教師は常に見回りをしており、なにもしていなかったら怒られます。あなた方はパノプティコンをご存じでしょうか。
見られているのは教師だけではありません。同じグループのひとや、違うグループのひとも同じです。学校では実に細かなルールが設定されています。「部屋を出入りするときは『失礼します』とおじぎをしてから出入りする」「移動時には常に小走り」「椅子から立ち上がるときには椅子を必ず机の奥まで入れる」等々。そして、「ルールを破った人がいれば他のひとが注意する」「注意されたら『ありがとう』と返す」等々。ここでは生徒もまた監視している存在なのです。
しかし、ガッチガチでありながら、休憩時間にビールやタバコを嗜むことは許されています。絶妙です。縛るところは縛りつつ、一握りの自由を与えます。また、グループ内でのコミュニケーション促進にもなります。
▼Q:みんなこんなルールを守るの?
→守ります。意味がないルールでも、ここでは規律が内面化されるからです。
一番面白かったのは、「風呂に入る前には、風呂場の上に書かれている『風呂に入るときは、1:頭からお湯を二杯かぶる 2:頭を二分洗う 3:お湯を三杯かぶる 4:水を一杯かぶる 5:体を五分洗う ...』の規則を必ず読み上げてから入る」でした。みんな読み上げるし、書かれている「体を洗う順番」を守ります。本当に。風呂は息抜きの場ではありません。厳密には、「息抜きをしつつも、規律は規則として必ず守る」という感覚が四六時中植えつけられます。
▼Q:あなたは何を学んだの?
→ラジオ体操でぶっ倒れるとか、40キロ歩いて本当に立ち上がれなくなるとか、あとは四六時中怒鳴られたときに何度も発生したミスがあるとか、そういった点での「私自身の体力的・精神的限界を知れた」ということは結果的によかったかなと思います。
また、『1984年』の二重思考ってこういうことなのかと体感しました。承認体験が重なるにつれて、「規律めんどくさい!」が「規律を守ることは楽しい!」に刷り変わっていく感覚は絵も知れぬものがありました。訓練の最後には「この学校は最高だ!!」って本気で思ってました。でも「学校を補講なしで卒業し、一日でも早く出たいから全力で試験に合格しようとする」んです。
矛盾してるでしょう?でもそれを可能にするのが管理者養成学校なのです。
→同感ですがつぶれないと思います。洗脳されてるひと結構いますし、この「洗脳されてる」が「『個人の人格』とは別の『社会人としての規範的人格』を学ぶ」と錯覚してるひとは多いです。私も、管理職の立場になったら部下に行かせない保証はないなと思います。
▼Q:おまえは既に洗脳されてる
→洗脳っていうのは「こんなの絶対おかしいよ!」って理屈で理解していても「わー!たーのしー!すごーい!」と思ってしまうから洗脳なのです。
次に狙われるのは金正男の息子、漢卒だと噂されている。
曰く有名な大学を経てエリートコースを進み、民主主義を好んでいるという。
金正男同様、脱北者が作る暫定政府の若き指導者として担ぎ上げられることを金正恩は警戒しているらしい。
これだけでも下手な小説や映画を遥かに超える大河スペクタクル。
それを海を挟んだ特等席から見学できるのだから日本人は堪ったものではない。
三男が金正恩。
今回正男が暗殺されたが、残る正哲はどこに行ってしまったのか。
どうやら音楽やら趣味やらに没頭して政争には関心がなく、結果として正恩に後継者争いに影響なしと判断されて軟禁されている。
手元には1本のギターがあるだけ。
その時目覚めるのだ。
彼を支えるのは息を潜めていた反正恩派の幹部たちだ。
処刑された張成沢派の残党も金正男亡き今手を貸すかもしれない。
彼らは蜂起する。
好機は今と脱北者の暫定政府を中国の後押しのもと打ち立てるに違いない。
内外同時に起こった大きな流れに金正恩は抗いきれず、遂に北朝鮮に革命が起きるのだ。
そんな妄想をグッドモーニングのお天気お兄さんである依田さんを見つめながら歯を磨いているときにぼーっと考えていた。
今週もあと一日だ。
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
これを読んで懐かしくなった。
高校までエスカレーターの私立幼稚園で。周辺の3つの市くらいから金持ちが集まり、お母さんが派手な美人が多い。親が元女優、プロスポーツ選手、ヤクザ幹部みたいな人も多い。
受験対策というのはほぼ無いので、親の職業、年収、寄付金なんかで決まる。
受験でしたことと言えばちゃんと記憶にあるのは面接。多動気味だった僕は面接中にもう全身が痒くなって大暴れしたのを覚えている。一応それ以外にも先生と遊ぶ時間もあったから、そこでも見られていたんだろう。
うちは普通のサラリーマン家庭だったがバブルで潤っていたこと、母方の祖父母がそれなりの中小企業の社長だったこともあってか合格。
袖の下も渡したらしいという話は後から聞いた。
キリスト教系だったので、様々なクリスマスやハロウィン、ミサなんかを味わえたのはいい経験。
エスカレーターで上がれるところを、親の意向で母の母校を受験することに。(幼稚園は人気高いが小学校は頭がわるいイメージの強いところだったので、50%くらいの園児が別の小学校に進学する)
受験対策として塾に通わされる。もちろん塾と言っても勉強ということではなく、マナーとかお作法とか創造力があるか、といった試験をクリアするためのもの。
ひたすら折り紙の練習や、箸を正しく持って小豆を皿から皿へつまんで移動できるか、面接で受け答えできるかの練習。
そして迎えたお受験日。事前の練習通りやったし、面接もなんとなくだがよく喋れた記憶がある。しかし、結果は不合格。後の親の感想によると、サラリーマン家庭であったことと年収。
小学校は公立に入ることになった僕だが、小2から学習塾に通い出す。小3の夏期講習をきっかけに進学塾へ。
小5の終わりまでは灘クラスにいたものの、常にその中の最下位だったのでワンランク下のクラスへと変更。あと、僕自身の二度と受験したくないという意向を受けて大学までエスカレーターの中学を第一志望に。
エスカレーターは高校までの滑り止め中学に合格したものの、第一志望は不合格。
正直なところ第一志望は余裕で問題を解けていたが、珍しく内申点を重視する学校だったことが仇になったんじゃないかと見ている。なんせ受験反対派の先生のクラスで受験のために小学校休みまくっていたので。
先述の通りエスカレーターのため無し。
普通にすごしていたものの、怠けまくったせいで中学受験の第一志望だったところ大学がD~E判定という状態で高3を迎える。まぁ一年留年するか〜と思っていたところにネットでAO入試を知り先生に相談。
さすが私立高校ということで当時は珍しかったAO対策室みたいなところがあり、そこの指導のおかげで、中学受験第一志望だった大学と同ランクの大学へ合格。
元々行きたい業界は決まっていたので、ちゃんと早めに3年の夏のインターンから就活を開始。3つほどインターンに参加し、そのうちの第一志望だった会社からかなりの早期に内定をもらう。
通常の就活より相当早めのいわゆるインターン裏枠選考だったため、そこで就活終了。なのでちゃんとした就活はしないまま終わった。そして、今も最高の会社だなと思いながら働けている。
ここで細かいプロフィールを書いても釣りっぽさが増すだけだけだが。
私は東大卒なんだよ(学部卒、就活に失敗した負け組)。で、中2の娘がいる。めっちゃかわいい。くそかわいいぞ。うらやましいだろ。反抗期だけどな。
さて、この前、娘に「なんで勉強するのか」と問われて、答えに窮してしまった。
院進しなかったから「学問そのものの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。
就活に失敗して自殺未遂までした身だから、「勉強すれば良いトコに就職してお金持ちになれる」と言うこともできない(余談だが、自殺未遂のときに救急車を呼んでくれた人がいまの妻)。
かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。「健康に効果があるって言ってるけど嘘だよ」「健康に効果があるって具体的にどういうことを言ってるかちゃんと調べたことある?それに、嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」と言われてしまった。「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」「いまちゃんと調べて反論しようか」「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識や自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」
言ってから気付いたが、オウム真理教の幹部に高学歴が多かったのはあまりにも有名な話であって、「怪しい新興宗教に騙されない」って例示はあかんかったなぁ。
そりゃあ、私にも、東大を受験するために毎日勉強していた時期もある。毎日毎日英単語帳を捲り、世界史の教科書を隅から隅まで読み、文系なのに手が痛くなるほど計算していた。でも、「勉強していた自分」が遠い遠い過去になってしまったいま、なぜ子どもは勉強するのか、なぜ私は勉強していたのか本当に分からなくなってしまった。
追記1:娘に読まれてもバレない程度にはフェイクを入れている(妻に読まれたらおそらくバレる)。ただ会話や内容の本質は損なっていないはずだ。
追記2:結構伸びてて嬉しい。娘の頭が良いというコメントがいくつかあるけれど、少なくとも勉強に関しては、数学が異常にできるのを除いて、これといって優秀なわけではないよ。最低限のことはやっているみたいだけど、そもそも勉強が全く好きではないっぽい。「勉強しないと社会で普通に生きていくことができないから勉強するのだとしても、ではなぜ社会は私たちに勉強を要求するのか」あたりが質問の真意だったと思う。
つーか今気づいたけど、娘も私も「勉強」と「学問」という言葉をほとんど区別せずに使ってた。これが問題だったのかもしれない。
追記3:娘は、私が答えに窮しているのを察するや否やさっさと消えてしまったので娘の本当の気持ちは分からない。私の推測でしかないが、「一応東大卒の父親」を試したんだろう。娘よ、期待に応えられなくてごめん。
自分が東大を目指して勉強したきっかけを考えてみると、何かやりたいことがあったとかではなくて、「周囲の人間に尊敬されたい」「親を喜ばせたい」「モテたい」あたりの気持ちしかなかったと思う。もちろん勉強自体きらいではなかったし、だから続いたのは確かだけどね。
追記4:親が言うのも変だが娘は多分文化系のリア充グループに所属している。先生に怒られるような問題をおこしたことが皆無で、成績も中の上、似たような同級生たちと楽しく生活している中学2年生の女の子に、「将来の選択肢が増える」とか言っても実感が湧かないのかもしれない。娘は教員に怒られるようなことはしないけれど、内心では先生や学校を酷く軽蔑しているようで、「中学のシステムはぜんぶクソ、教員は馬鹿ばかり、数学の教員が数学を分かっていない」などとよく言っている(娘はいつも先生のことを教員と呼ぶけれどこれも中二病かな)。勉強を強制されているという感覚がある一方で、(勉強が好きではないけれども)学問に対する憧れはあるのかもしれない。というのはこの前、娘の部屋で中島義道「哲学の教科書」を見つけたから。自分の利益不利益からもっと勉強しておけばよかったなんて思ったことはないけれど、娘に適切な助言をできないのは本当にかなしい。大学に入ってからも誠実に勉強しておけばよかったと心から思う。
追記5:当たり前だが追記にもフェイクを入れてある。
以前に所属してた情報系サークル(以下、J)の話だが、そろそろ自分の中で留めておくのも限界が近いので書いておく。
はじめは、真面目にゲームなどを作りながら技術を学ぼうと思って入部していたが、まともに作業できるような場所は自分の家くらいなものだった。
もちろんサークルに部室が無いわけではなく、二つある部室のうち、部内では片方を作業部屋、もう片方を雑談部屋としていた。
大学のサークル紹介ページには、作業部屋で楽しく作業をしているような写真が載っている。
実際には、片方の部室に籠ってTCGやらソシャゲやってるだけ、もう片方の部室は開かずの間といった状況であった。
むしろ、作業部屋で作業していると先輩から睨まれる。そんな始末である。
それとこれは自分で見たのではなく学友から聞いた話なのだが、どうやら本来持ち込み禁止の物品(刃物等の危険物とかいろいろ)を部室に置いているらしい。
また、技術関係で詳しい人も(過去には居たらしいが)特に居ない、分からないところがあるから先輩方に聞こうと思っても、そもそも聞けそうな雰囲気じゃない、など。
情報系サークルとしてこれでいいのか?ということで、私はサークルをやめた。
それから新しい情報系サークル(以下、F)を立ち上げたが、やはり都合が悪いからか、Jからは相当反感を買ったようである。
Jが一体何をしようとしているのか見当もつかないが、ただただ真似するだけでは先へは進めないと言っておきたい。
何をしたらいいのかわからなくて他の団体の活動を真似してみるケースはよくあるし、最初はFを運営していくなかで我々もそうしてきた。
しかし、しっかりとの行動の意味をくみ取らなければそれはただのコピーであり、良くも悪くも活動を真似した場所以上の存在にはなれないだろう。
私自身はいろいろサークルに所属していたが、あれほど荒廃し、活動の意味を忘れているサークルは今までに見たことがない。
今後大学サークルの幹部となる人、あるいは、大学でサークルを立ち上げようと考える人もいるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20170125191935
これに乗っかるんだけど、山本七平と司馬遼太郎の対談にこのあたりが一番はっきりでていると思うのだが、二人は以下のようなプロフィールである
司馬については軍歴はいまいちぱっとしないとはいえ基本的には学歴エリートだといえるし、山本にいたっては死地を潜り抜けた歴戦の勇士であり、また教育によって得られた英語力と数学力を存分に活かして軍隊の下級幹部として活躍していたといえるだろう。ようするに彼らはエリートであり、そして現代においては彼らは知的エリートであったと理解されている人物だと思う。
が、しかし彼ら二人が対談したときに、しきりに繰り広げられていたのが自分たちは下っ端であったとか最末端であったとか典型的な庶民であったとかいう主張であり、特に山本はその認識が強い。いや、もちろんしかし彼らは下っ端であった。しかしそれは庶民の中での下っ端であったのではない。エリート社会におけるその階層の中での下っ端であったということだ。
このことは何を示すか。司馬遼太郎や山本七平ほどの観察力をもってしても、自分たちがエリート社会の最末端であるという事実を、日本社会の最末端であると誤認してしまうということだ。
これは別にこの二人とか日本人とかに限らない現象なのではないかと思っている。どんなエリートであれ、かならず自分よりも上が存在している。
たとえばビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグにしたところで経済力がどれだけ大きいといっても、政治的社会においては最末端の存在であろう。彼らはその資金力をロビー活動に用いるノウハウという点では古豪に及ばないだろうし、また資金力という点では必ずしも有力ではないドナルド・トランプやバーニー・サンダースと比べれば直接的な政治力はゼロも同然だ。
これは極端な例なのであまり適切ではないかもしれないが、たぶん大抵のエリートは自分のことをエリートだと正しく認識できていない。ある一面における能力と運においてのみ秀でている存在であるということを認識しても、自身がエリート階層に属しているという自意識を持つことは、あまりない。
故に彼らは大衆主義/ポピュリズムと愚民政治を混同してしまう。それは、自身が大衆ではないと認識していないから。自分「以外」の人間集団を見たとき、自動的に彼らを愚民として認識してしまう。自分は大衆であるが故に、自分と違うものは異常者か愚民に違いにない、と。
この話にオチはない。