はてなキーワード: 外国語学校とは
望んだわけでもないのに今まで全く女っ気が全く無かった。
毎度毎度、女性に勝手に一方的に好意を持ってしまっては引かれる。
仲良くなりたいと近づいたら、塩対応でそれより先に行けない。
その割には、彼氏持ちや既婚者には「彼女出来そうなのに」「結婚したらいい旦那さんになりそう」
って言われる。勘弁して欲しい。安全圏から無責任なことを言わないで欲しい。
もし同じことを言った経験のある女性は、自分がって意識がない限りは頼むから止めてあげて欲しい。
昔いいなと思った子達は大抵同年代のライバルがいた。もちろん勝てなかった。
少し前いいなと思った子達には既に彼氏がいた。
平日朝晩オナニーして、休日は4,5回オナニーするのやめたい。
もし、若い頃のどこかで彼女が出来て1度は発散できたらここまで執着しなかっただろうか。
世の中の人達はやることやって、その度にガス抜きできてるのに、
一度も達成できない俺が毎日数回やるのは異常だなんて思わないで欲しい。
セックスがしたいだけでは、と思うだろうがそりゃしたい。
セックスがしたいだけならとっくの昔に風俗に行っている。それでは解決しない。
自分に好意を持って笑いかけてくれる女性がいるってすごいね。羨ましい。ものすごく。
恋愛結婚報道で若干の落胆を自分がしてしまっていることに気づいてから、いちいち覚えたり活動を追うのを止めた。
よく言われるどうせ自分が付き合うわけでもないのに~というツッコミはそのとおりだと思ったから。
でもはっきりと線引をした心構えでファンになるには自分には難しかったので、最初から追わないようにした。
仕事で余暇時間が減ったということもあり、純粋に作品だけ見て楽しむというスタンスに落ち着いた。
オナニーの日課でエロ同人作家をフォローしておかず集めに興じているが、
ツイートを見てると作品だけじゃなくてその先の作者にも興味を持ってしまうのは
自分でもやべーやつだなと思ってる。
そういう人たちがある日結婚しました、子ども生まれましたと発表してると
意識の表層ではめでたいなーとは思うけども、
自分でも思うが心が腐っている。
どこかでネガティブな共感を求めてオタク趣味に逃げてしまっていたところに、
男の友達はそれなりにいた自負はあるんだけど、皆ほとんど結婚してしまって疎遠になり、急に寂しくなった。
30歳600万なら婚活でいけるだろ、と言われてやってみても駄目だった。
身だしなみを整え、ケチらず、押し付けがましくならず、相手の反応に合わせて会話を楽しむよう心がけた。
それをネットで愚痴ると、顔が相当ブサイクか性格が悪いんじゃないのって毎度毎度同じ結論にされるのも辛かった。
(性格が悪い、のくだりは前述した内容からすると否定できないが、会話する内容は朗らかになるように努めていた)
ハゲでもデブでもないけど身長が163cmで低い。検索条件に身長を入れられると一発で検索外になる。
外国人と交際はできないか、と第二外国語を勉強したバカな時期もあった。
外国語学校に行き、一応検定も受かるまでには習得したが、そもそも知り合いが出来るチャネルがなかった。
言語交換サイトは大抵相手の言語に合わせないと会話が成立しないことが多く、日本語でやりとり出来るような人はほぼいない。そして長続きしない。
まったくもって浅はかな考えだった。
コロナの影響でテレワークになり、いよいよ外出は食料調達程度になり
人と会話する機会もがくっと減った。
なんだか、もう、どうしようもないのかな。
https://anond.hatelabo.jp/20200519162131
そもそもプログラミングスクールでやってるような「プログラミング!」っていう内容はここ最近の分野なので
例えば英語学習みたいな長い歴史もないし経験則もないのでいい加減なものが多いのはしょうがないと思う
あと50年もすればそれなりにこなれてくるかもしれない
その一方でプログラミングの背景にある情報理論や構造的プログラミング、OS構造の考え方みたいなのは普遍的なので
(まぁそれも英語・数学の学習に比べると歴史が浅いから完璧ではないと思っているし、大学による差が大きいと思うが)
問題は情報理論やプログラミングの考え方、Moden Operationg Systemsを読んだ、とかだけだと実際の現場で役に立つとは限らない
英語の文法は知ってるけど喋れないのとか、数式は解けるけど社会課題を数式に落とせない、とかに似ている
そういった面でも実際のプログラミングを行うというのも非常に重要で、英語に対する英会話に相当する
英語(文法)知らないで英会話だけ学んでも、まぁそれなりに喋られるようにはなるのかもしれんけど
プログラミングは5年もすれば喋り方が変わってたりするので全然話せなくなる
なのでプログラミングだけをやると5年もすると使えない知識になって、その都度多大な苦労をして学び続けることになる
この辺は理論的な普遍的な部分をしっかり学んでいれば喋り方が変わるだけなので実はそれなりに対応できる
(たまに文法も変わるが、ドラスティックには変わらないのでそこまで問題にならない)
プログラミングだけをやって、その理論を学ぶこともできなくはないが
限られた人にしか難しいだろうというのと、そういう人は先に理論をやった方が早いとも思う
てことで、プログラミングを学ぶにはとにかくプログラミングしろ、っていうのはやや暴論で
その中で英文法を学ぶこともできるとは思うけれど、先に文法を学んでからやった方が効率がいいに決まってる
プログラミングを勉強するなら情報理論やOSの基礎的な話・考え方あたりを学んで
その上で実践的なプログラミングをやるのが1番の近道だと考えている
簡単に言うと、情報系の大学に行ってちゃんと基礎的な授業を受けるのが良い。
外国語学校に通いながら英会話スクールに通う人みたいに、大学に通いながらプログラミングスクールに通うという手もなくはないが
http://anond.hatelabo.jp/20170125191935
これに乗っかるんだけど、山本七平と司馬遼太郎の対談にこのあたりが一番はっきりでていると思うのだが、二人は以下のようなプロフィールである
司馬については軍歴はいまいちぱっとしないとはいえ基本的には学歴エリートだといえるし、山本にいたっては死地を潜り抜けた歴戦の勇士であり、また教育によって得られた英語力と数学力を存分に活かして軍隊の下級幹部として活躍していたといえるだろう。ようするに彼らはエリートであり、そして現代においては彼らは知的エリートであったと理解されている人物だと思う。
が、しかし彼ら二人が対談したときに、しきりに繰り広げられていたのが自分たちは下っ端であったとか最末端であったとか典型的な庶民であったとかいう主張であり、特に山本はその認識が強い。いや、もちろんしかし彼らは下っ端であった。しかしそれは庶民の中での下っ端であったのではない。エリート社会におけるその階層の中での下っ端であったということだ。
このことは何を示すか。司馬遼太郎や山本七平ほどの観察力をもってしても、自分たちがエリート社会の最末端であるという事実を、日本社会の最末端であると誤認してしまうということだ。
これは別にこの二人とか日本人とかに限らない現象なのではないかと思っている。どんなエリートであれ、かならず自分よりも上が存在している。
たとえばビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグにしたところで経済力がどれだけ大きいといっても、政治的社会においては最末端の存在であろう。彼らはその資金力をロビー活動に用いるノウハウという点では古豪に及ばないだろうし、また資金力という点では必ずしも有力ではないドナルド・トランプやバーニー・サンダースと比べれば直接的な政治力はゼロも同然だ。
これは極端な例なのであまり適切ではないかもしれないが、たぶん大抵のエリートは自分のことをエリートだと正しく認識できていない。ある一面における能力と運においてのみ秀でている存在であるということを認識しても、自身がエリート階層に属しているという自意識を持つことは、あまりない。
故に彼らは大衆主義/ポピュリズムと愚民政治を混同してしまう。それは、自身が大衆ではないと認識していないから。自分「以外」の人間集団を見たとき、自動的に彼らを愚民として認識してしまう。自分は大衆であるが故に、自分と違うものは異常者か愚民に違いにない、と。
この話にオチはない。